大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて

A ミレトス派の人々

 小アジアの植民ポリスのミレトスで活躍したタレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスの3人を《ミレトス派》と言う。彼らが《哲学》の始祖とされるのは、アリストテレスが『形而上学』Α−3〜7において、彼以前の哲学の歴史を簡潔に論じており、この叙述に基づいてであるが、実際、彼らは、初めて哲学的な〈アルケー〉への問いを立て、それを探求したがゆえに、哲学の実質的な端緒を開いたからでもある。彼らはたしかに〈自然〉を論じたが、それは近代の自然科学のように自然そのものを探求するためではなく、あくまで〈アルケー〉の答えないし答えへの糸口を自然に求めるためだったのである。

タレス (Thales c624/40-546 BC)

 タレスは、「ギリシアの七賢人」のひとりとして名声をはせていた。たとえば、彼は清貧な暮らしをしていたが、このために、哲学は現実には役たたずだと非難されたので、冬の間に突然、あり金をはたいて町中のオリーブしぼり器すべてを借りきった。ところが、まさにその年はオリーブが豊作で、彼は独占したオリーブしぼり器を思いのままの値で貸出し、多額の金を作ってみせた。また、日食を予言したり、幾何学的測量方法を発明したりしている。
 しかし、彼が哲学の祖とされるのは、このような現実的、実用的、表面的な行いによるのではなく、そのような驚くべき発見を可能にする、世界構造そのものへの探求の態度にある。つまり、彼の目的は、知恵を手段として、金を儲けてぜいたくな暮らしをすることではなく、また、ただ多くを知って、それに甘んじているだけでもなく、知恵を手段とし、さらなる知恵を求めていくことにある。身近な知恵から、より深遠な知恵へと問うこの態度が、単なる〈知者〉と〈知を愛する者〉とを分ける指標になる。そして、まさに彼は、さまざまな身近な物事の観察から、その根本を探求し、それが〈水〉ではないか、という大きな仮説をうち立てたのである。

アナクシマンドロス (Anaximandros c610-c546 BC)

 アナクシマンドロスは、タレスの弟子で、タレスの哲学的探求態度を引継ぎ、その根本実体を論証的に〈無限定体〉と想定するとともに、それを変化発展させる必然性である法的秩序を考えた。この法的秩序は、いまだ、人間社会の法律のアナロジー(比喩)で表現されているが、その意味するところは、科学的な自然法則を予見したものであると言える。また、このような研究の他に、地図を初めて作った人とされ、円筒型の地球を想定し、天文学的な主張もおくつか残している。

アナクシメネス (Anaximenes ?-525 BC)

 アナクシメネスは、アナクシマンドロスの弟子で、《ミレトス派》の完成者とも言われる。つまり、根本実体を〈空気(気体)〉とし、呼吸する生命体的宇宙を考え、さらに、多様な物質の相違をその〈気体〉の凝縮度ということで一元的に説明づけたからである。また、地球を円盤型と考えたとされる。彼の後、ミレトスはペルシアに滅ぼされてしまったが、彼の考え方は《ピタゴラス派》に継承されていくことになる。


ミレトス派の術語

【アルケー(始源)】

 ‘始め’‘根本’という意味のギリシア語。
 アリストテレスの『形而上学』Δ(「哲学事典」)−1によれば、アルケーとは、
 1 事物の運動の端緒
    たとえば、道の一端
 2 事物の最も善く成し遂げられる端緒
    たとえば、学問の入門書
 3 事物に内在する、その事物生成の端緒
    たとえば、脳髄
 4 事物に外在する、その事物生成の端緒
    たとえば、子供の父母
 5 事物を動かす意志を持つもの
    たとえば、国家の君主
 6 事物が知られる端緒
    たとえば、論証の前提
  のことであり、これらに共通することは、「そこから始まる第一のもの」であるということである。
 アリストテレスはこれに対して、ものごとは単一の原因からのみでは始まらない、として、《4原因説》を打ち立てた。

【物活論 hylozoism】

 [物質は、つねにいたるところに、ある種の本性的な生命力をその内部に持ち、これが生滅変化、運動、連関の原動力となる]とする思想。古代のミレトス派やヘラクレイトス、また、ルネサンス期のパラケルスス、ブルーノ、さらには近代のある種の進化論などに認められる。
 これは、擬人的な神々が外部から物質を支配する神話的自然観から、死せる物質という今日のような機械的自然観への移行の過程に現れる、原動力が物質そのものに宿っているとする汎神論的な、ある種の形而上的自然観である。

【「万物は神々に満ちている。」】

   タレス
 《物活論》的な自然観を表したテーゼ。しかし、ここで言われる神は、もはや神話的な擬人的自然観ではなく、あくまで、自然に内在し、自然を変化発展させる力能のアナロジー(比喩)であり、汎神論的なものである。つまり、当時の〈自然(フュシス)〉とは、今日のように、〈死せる物質〉に構成された機械なのではなく、まさに、みずからかく成る力能をすべての部分に秘めた〈生きた物質〉なのである。そして、宇宙全体も、言わばひとつの生命体として生きたものと考えられたのだ。
 もっとも、この言葉そのものはタレスによるものではないとされることもあるが、いずれにしても、彼らの自然観を最も代表的に言い表している言葉であると言えよう。

【水 hydor】

   タレス(アリストテレス『形而上学』Α−3)
 〈水〉こそが万物の〈アルケー(始源)〉である。というのは、すべてのものの養分が水気のあるものであり、すべてのものがそれから生成するものこそが、すべてのものの始元であるからである。また、すべての種子にも水気があり、このように、水気のあるものの原理は水なのである。
 彼は「水が最善である」と言ったのであって、しばしば哲学史の解説に見られるように、彼が、万物が水からできている、〈水〉が根本質料である、と考えたとするのは誤解であろう。つまり、彼は、多くの物質の中でも特に〈水〉こそが、他のさまざまな物質を変化発展させる原動力、養力を最も強く持つものである、と考えたと言うべきだろう。

【無限定体 apeiron】

   アナクシマンドロス
 すべての限定者になりうるものは、すべての限定のないものでなければならない。なぜなら、ある特定の物質が始源であれば、それと対立する性質の物質は存在しているはずがないが、既知のいずれの物質にもそれと対立する性質の物質が必ず存在しているからである。それゆえ、始源である物質はいかなる既知の物質からも中立的な〈無限定体〉であるにちがいない。
 そして、この〈無限定体〉が運動しつつ、さまざまな分離が行われることによって、さまざまな限定体を生じる。しかし、それらの存在者は、その冒した不正に対して、時の順序に従って、つぎつぎと罰を受けて償いを払い、生滅していかなければならない。すなわち、世界には、火と空気、水、土が一定量の分限を保っていなければならないのだが、たとえば、火が分限を越えて勢力を拡大すれば、かつての火は、灰という土になるという償いをしなければならないのである。これは、人間社会の秩序である法律のアナロジーによって、自然に内在する秩序である自然法則を表現しようとしたものである。

【空気 aer】

   アナクシメネス
 我々の魂が気息であり、これが我々を統制しているように、宇宙の始源も〈空気〉であり、これが宇宙を包括している。
 そして、同じ〈空気〉が希薄化し温熱化すれば火を生じ、また、濃厚化して冷却化すれば、順に、風、雲、水、地を生じるのである。
 これは、宇宙をある種の生命体と見る《物活論》とともに、同一実体の、凝縮度という同一尺度の程度差でさまざまな物質の存在を首尾一貫して説明するものであり、ギリシア的〈フュシス(自然)〉観のひとつの範型となって、後の哲学者たちに大きな影響を与えた。

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