大学水準の西洋哲学として知っておくべきことのすべて


---------------------------------------------------------------------------- C 禁欲派

----------------------------------------------------------------------------
キュプロスのゼノン (Zenon 336-264BC)
 キュプロス島の商人の家庭に生れ、商用でアテネに生き、クセノフォンの『ソクラテスの思い出』から哲学に感銘を受け、小ソクラテス派やアカデミア派に学んだ。30になると、アテネの市場の彩壁堂(ストア・ポイキレー)で講義を始め、その克己自制の思想は、後には皇帝から奴隷まで多くの人々の支持を得るようになっていった。彼は自己の思想を実践し、質素な生活をしつつ、子弟を養成した。だが、年をとって足をくじいた折、それを神が召しているしるしと考え、みずから息を止めて自殺した。

【アタラクシア ataraxia】
 不動、すなわち、心が動揺なく平静な状態であること。ヘレニズム時代のストア派、エピクロス派、懐疑派もともに、知を求め愛することよりも、このような平静な心をもって生きることこそ哲学であると考えた。ストア派においては、どうでもいいことにわずらわされないよう理性に従って生きること(アパテイア)、エピクロス派では、必要最小限の欲望で足るを知ること、懐疑派においては、心の乱れの元凶である判断を中止すること(エポケー)がそれであった。

【アパテイア apatheia】
 ストア派
 無感動、すなわち、外界のどうでもよいものごとには心を動かされないこと。

【アディアフォラ adiaphra】
 ストア派
 違いのないもの、どうでもいいこと。存在するものごとは善いことと悪いこととどうでもいいことの3つに分けられる。そして、自然に従って生きる徳だけが善いことであり、悪徳が悪いことであるが、その他の健康と病気、快苦、美醜、力と無力、貧富、名声と不評、生まれの良し悪しなどは、すべて第3のどうでもよいことに属する。なぜなら、これらは運命によって与えられたり奪われたりしうるものであって、我々自身の本性を構成するものではなく、幸不幸には関係ないからである。それゆえ、我々は、このようなことにわずらわされることないアパテイアに達しなければならない。
 この説は後に緩和され、この中にも、善ではないまでも選ばるべきもの proegmenaと、悪ではないまでも避けらるべきもの apoproegmanaとが認められた。

【アウタルケイア】
 ストア派
 自足、すなわち、幸福に達するには、ただ自分自身の徳のみで足りるということ。つまり、我々は、健康と病気、快苦、美醜、力と無力、貧富、名声と不評、生まれの良し悪しなどのことで心を煩わしているが、しかし、これらは運命によって与えられたり奪われたりしうるものであって、我々自身の本性を構成するものではないのだから、どうでもよいこと(アディアフォラ)であり、このようなものことに左右されることなく(アパテイア)、自然に従って、理性的本性に従って生きるという、自分自身の徳こそが、幸福へと導いてくれるものなのである。

【本性に従う生活 homologoumenos te physei zen】
 ストア派
 人間本性にとって善いものごと、すなわち、徳だけにこだわり、それ以外のどうでもよいこと(アディアフォラ)左右されることのない生活。

【種子的ロゴス logoi spermatikoi】
 ストア派
 実体 ousiaは、基体 hypokeimenonであり、その何であるか、すなわち、そのロゴスは、それに内在する力 dynameisによって規定される。力は、より完全なものによるより不完全なものへの浸透 krasis であり、それゆえ、万物は浸透し、他のものに宿っている。このような力の中で最も完全なものが神であり、これは、万物をすでに種子的ロゴスとして可能的に含み、それらを配置する摂理なのである。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

トップページ


古代1 アルケーの探求
古代2 ソクラテスの時代
古代3 ヘレニズム
中世1 帝政ローマ時代
中世2 ゲルマン時代
中世3 スコラ哲学
中世4 科学のめばえ
16C 宗教改革の時代
17C 人間学と自然科学
18C 理性の崇拝と批判
近代1 ナポレオン時代
近代2 ブルジョワ誕生
近代3 帝国主義へ
近代4 世紀末と実用学
戦前 社会と科学
戦中 実存と行動
戦後 自由と技術
現代 閉塞と回顧

【メニュー編集】

Wiki内検索

管理人/副管理人のみ編集できます