ギリシア社会が安定し、民主化が進むと、能力のある者はだれでも出世できるようになった。だが、そのためには、まず、説得によって民衆の支持を得る能力にたけていること、すなわち、雄弁でなければならなかった。このような時代の要請から、「ソフィスト」と呼ばれるさまざまな弁論学者たちが町から町へと遊説し、職業として謝礼を取って青年たちの弁論術の教育にあたった。これによって、ギリシアの高等教育機関の不備が補われ、また、実証主義的な批判精神を育成したことは確かだが、同時に、その教育内容は説得の技術ばかりが中心で、真理や倫理の問題はおざなりであったために、場合によっては、白を黒と言いくるめる詭弁にいたり、自分の野心のためなら道徳もねじまげるという悪風も生み出した。
いずれにしても、それまで哲学は自然研究に終始していたのに対し、この関心は突然、人間社会の問題に向けられるようになったのである。ここでは、自然との違いが注目され、とくに、〈自然〉の絶対不変性に対して、〈規範〉の相対人為性がとりあげられ、ここから法や道徳に対する軽視の態度も生じてきたのである。
しかし、このようなソフィストたちも同一の派をつくっていたわけではなく、それぞれ独立に活躍し、小手先の弁論技術教師にすぎないと批判はされることもあるものの、独自にさまざまな思想を持っていた。また、彼らは一般に論理性を重視し、これによって常識から常識に反するようなパラドクスを導き出して、啓蒙的に常識の欠点を暴き出し、さまざまな問題提起をしたという意味で、哲学的にもおおきな貢献をしていたのである。そして、むしろ、彼らがときに嫌われた理由は、むしろ、とどまることを知らないこの徹底した啓蒙的合理性によるものであり、不合理な道徳、いかがわしい常識など、論理の力によってはばかることなく批判してしまったからではなかったかと思われる。
ギリシアの北のトラキア出身で、三十のころよりギリシア諸都市を遍歴して、国民教育家として活躍し、とくにアテネにはしばしば訪れて長期滞在し、多くの子弟を養った。また、ある新都市では憲法の起草をてがけたりもしている。彼の名声は高く、アテネ全盛期の政治家ペリクレス、三大悲劇詩人のひとりエウリピデスにも尊敬され、ソクラテスもまた彼の知を讃えていた。彼の思想の特徴はその柔軟さにあり、彼は、それまでの神や自然中心の発想を、言わば人文主義的観点に転回し、人間自身の問題としてとらえかえしたのである。それゆえ彼は神に関しては人間にとっては不可知という立場をとったのだが、無神論と誤解され、シリアに逃れようとしたが、その途中、溺死した。
南イタリアのエレア派の祖パルメニデスの弟子であり、[実在は不動の一者である]とする師の説を擁護すべく、独特の間接論法を考案し、独断から論証へという大きな哲学の転換点を形成した。彼の論法とは、反論者の常識的議論を前提としつつ、そこから矛盾の生じることを明らかにすることで、かえって、一見、常識には反するようでも師の説どおりであらなければならないことを証明するものであり、弁証的背理法とも言うべきものである。このような弁証法はその後の議論や数学の探求を活発化したが、しかしまた、ソフィストは常識外の詭弁をろうするという悪評のもとともなった。晩年はエレアの僭主に反抗し、とらえられて舌をかみ切って死んだとも伝えられている。
イタリアの南のシシリー島の人で、エンペドクレスに師事し、修辞学や自然学を学んだ。また、エレアのゼノンの弁証法も身につけていた。BC 427年、彼の都市が同じ島内の都市と戦うことになった際、彼は彼の都市を代表して援助を求めてアテネに来訪し、そのみごとな雄弁で人々を心服させたという。その後、各地をソフィストとして遍歴し、弁舌の第一人者との名声を獲得して、百才以上の驚くべき長寿をまっとうした。彼は、プラトンの対話篇のひとつ『ゴルギアス』にも登場し、弁論術はあらゆる事柄に有効であるが、しかし、それは格闘術などと同じように正義のためにのみ用いなければならない、と述べている。
前5〜4Cのギリシアの論客ないし職業教師。「ソフィステース」とは、文字通りには、‘知恵者’という意味で、知恵のある人、知恵を授けてくれる人をさしたが、すでにギリシア時代から、利益のためには論理で煙にまいて常識外のことでも主張する‘詭弁家’という悪い意味でも言われた。当時のソフィストとしては、プロタゴラスやゴルギアスが有名である。これに対し、ソクラテスは、彼らの知が空虚であると批判し、魂の世話としての本来の知恵を求めた。
人間尺度論 homo-mensura theoria】
プロタゴラス(『真理』または『打倒論』、
プラトン『テアイテトス』)
「人間は、在るものの在ることについての、在らぬものの在らぬことについての、万物の尺度である。panton krematon metron anthropos, ton men onton hos esti, ton de me onton hos ouk estin. 」という人間相対主義、主観主義の代表的命題。たとえば、同じ風がある人にとっては冷たく、またある人にとっては、そうではない。
この命題に対する解釈には、
黒をも白と思わせる弁論術の効果、
事実の個人相対性、
個人感覚の絶対的真理性、
宇宙における人間中心主義、
背後存在を否定する現象実証主義、
知恵の実用功利主義、
自然学に対する規範学の提唱、など、
さまざまなものがあり、多くの人々が自分の文脈に合わせてしばしば引用するが、もともとはどのような文脈でプロタゴラスが用いたのか、あまりはっきりしない。
プロタゴラス(『真理』または『打倒論』、
プラトン『テアイテトス』)
「人間は、在るものの在ることについての、在らぬものの在らぬことについての、万物の尺度である。panton krematon metron anthropos, ton men onton hos esti, ton de me onton hos ouk estin. 」という人間相対主義、主観主義の代表的命題。たとえば、同じ風がある人にとっては冷たく、またある人にとっては、そうではない。
この命題に対する解釈には、
黒をも白と思わせる弁論術の効果、
事実の個人相対性、
個人感覚の絶対的真理性、
宇宙における人間中心主義、
背後存在を否定する現象実証主義、
知恵の実用功利主義、
自然学に対する規範学の提唱、など、
さまざまなものがあり、多くの人々が自分の文脈に合わせてしばしば引用するが、もともとはどのような文脈でプロタゴラスが用いたのか、あまりはっきりしない。
4つのものが知られている。
〈中点通過のパラドクス〉とは、ある道の中点に至るまでにその中点の中点を、その中点の中点の中点を、その中点の中点の中点の中点を、………、つまり、無限の点を通過しなければならず、いつまでももともとの中点には至らない、というものである。
〈アキレスと亀のパラドクス〉とは、アキレスと亀が距離をおいて出発するならば、アキレスが亀がかつていた位置に着いた時には、つねに亀はさらに先に進んでいるがゆえに、アキレスは亀にいつまでも追いつけない、というものである。
〈飛ぶ矢のパラドクス〉とは、飛んでる矢も、それぞれの瞬間にはある位置に停止しているのであり、いつも停止している矢は飛んではいない、というもの。
〈すれちがいのパラドクス〉とは、停止するAと動くBがすれちがう瞬間に、Bと同じ速さで逆に動くCはBと倍もすれちがうがゆえに、瞬間とその半分の瞬間は等しい、というものである。
これらについてもさまざまな解釈がありうるが、そのひとつには、前2者は時空の無限分割に関する単独のパラドクスと相対のパラドクスであり、後2者は時空の最小単位による単独のパラドクスと相対のパラドクスと考えることもできる。そして、このような議論によって、分割や運動という発想に矛盾があることを指摘し、師の不動の一者の説を擁護しようとしたのだと思われる。
〈中点通過のパラドクス〉とは、ある道の中点に至るまでにその中点の中点を、その中点の中点の中点を、その中点の中点の中点の中点を、………、つまり、無限の点を通過しなければならず、いつまでももともとの中点には至らない、というものである。
〈アキレスと亀のパラドクス〉とは、アキレスと亀が距離をおいて出発するならば、アキレスが亀がかつていた位置に着いた時には、つねに亀はさらに先に進んでいるがゆえに、アキレスは亀にいつまでも追いつけない、というものである。
〈飛ぶ矢のパラドクス〉とは、飛んでる矢も、それぞれの瞬間にはある位置に停止しているのであり、いつも停止している矢は飛んではいない、というもの。
〈すれちがいのパラドクス〉とは、停止するAと動くBがすれちがう瞬間に、Bと同じ速さで逆に動くCはBと倍もすれちがうがゆえに、瞬間とその半分の瞬間は等しい、というものである。
これらについてもさまざまな解釈がありうるが、そのひとつには、前2者は時空の無限分割に関する単独のパラドクスと相対のパラドクスであり、後2者は時空の最小単位による単独のパラドクスと相対のパラドクスと考えることもできる。そして、このような議論によって、分割や運動という発想に矛盾があることを指摘し、師の不動の一者の説を擁護しようとしたのだと思われる。
存在しても知りえない、
知りえても伝えられない」】
ゴルギアス(逍遥学派「メリッソス、クセノファネス、ゴルギアス」)
彼の失われた著作『自然について、または、存在しないものについて』に書かれていたとされる3つの命題。しかし、彼はあくまで弁論術家であり、このような命題も、哲学的主張というよりは、むしろ、たんなる弁論術の応用にすぎないのかもしれない。
〈非存在〉は非存在として存在するのであるから、〈非存在〉も存在である。〈非存在〉と〈存在〉が異なるとすると、〈非存在〉が存在である以上、〈存在〉は存在ではなく非存在でなければならない。同じであるとすると、〈存在〉も非存在である。ゆえに、いずれにしても〈存在〉は非存在であり、なにものも存在しない。
また、我々の知識が誤りうるように、〈存在〉と我々の〈知識〉は異なるものである。〈知識〉が〈存在〉とは異なる以上、我々は〈存在〉を知りえない。
さらに、人に伝えるには言語を用いなければならないが、〈言語〉は〈存在〉とも〈知識〉とも異なる。異なるもので異なるものは伝えられない。ゆえに、〈言語〉では〈存在〉も〈知識〉も伝えられない。
知りえても伝えられない」】
ゴルギアス(逍遥学派「メリッソス、クセノファネス、ゴルギアス」)
彼の失われた著作『自然について、または、存在しないものについて』に書かれていたとされる3つの命題。しかし、彼はあくまで弁論術家であり、このような命題も、哲学的主張というよりは、むしろ、たんなる弁論術の応用にすぎないのかもしれない。
〈非存在〉は非存在として存在するのであるから、〈非存在〉も存在である。〈非存在〉と〈存在〉が異なるとすると、〈非存在〉が存在である以上、〈存在〉は存在ではなく非存在でなければならない。同じであるとすると、〈存在〉も非存在である。ゆえに、いずれにしても〈存在〉は非存在であり、なにものも存在しない。
また、我々の知識が誤りうるように、〈存在〉と我々の〈知識〉は異なるものである。〈知識〉が〈存在〉とは異なる以上、我々は〈存在〉を知りえない。
さらに、人に伝えるには言語を用いなければならないが、〈言語〉は〈存在〉とも〈知識〉とも異なる。異なるもので異なるものは伝えられない。ゆえに、〈言語〉では〈存在〉も〈知識〉も伝えられない。
ソフィストたちはある問題に対して、しばしばそれを「それが〈自然によって physei 〉生じたか、〈規範によって nomoi 〉生じたか」という面から論じた。つまり、それが〈自然〉によって生じているのであれば、たしかに絶対的で変えることのできないものであり、必ず従わなければならないが、もしそれが〈規範〉によって生じているにすぎないのであれば、それは他のものに相対的で、人為によって作られたものにすぎないのであるから、人為によって変えることも可能であり、それに従わなければならない理由はない、としたのである。
そして、このように〈自然〉とは異なる〈規範〉のさまざまな特徴が論議され、「ある都市にとって正しく、良いと見えるすべてのものは、その都市がそうと命じる限りそうなのである」「同じものについて、2つの相反する議論が成立つ」と言われた。
ときにはさらに〈規範〉に対して批判的になり、「〈規範〉は人々の暴君であり、多くの反〈自然〉的なことを強制する」「強者の利益以外に正義はない」とも言われ、〈自然〉状態を理想化するソフィストたちも少なくなかった。
そして、このように〈自然〉とは異なる〈規範〉のさまざまな特徴が論議され、「ある都市にとって正しく、良いと見えるすべてのものは、その都市がそうと命じる限りそうなのである」「同じものについて、2つの相反する議論が成立つ」と言われた。
ときにはさらに〈規範〉に対して批判的になり、「〈規範〉は人々の暴君であり、多くの反〈自然〉的なことを強制する」「強者の利益以外に正義はない」とも言われ、〈自然〉状態を理想化するソフィストたちも少なくなかった。
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