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デザイナー:極蝶



デザイン名: 宿命-shukumei【愛の伝道師】
作成者:極蝶
説明:
我が宿命は「愛の伝道師」である。

インドネシア語の情報
I Love You = あなたを愛している = Saya Cinta Kamu
Saya=私
Cinta=愛する
Kamu=あなた

Suka=好む なので、Saya suka kamuを日本語ではあなたが好きです。
かわいい=Cantik

ちなみに、Dewi Sukarno(デヴィ夫人)さんの名前について: 
”Dewi”はインドネシア語では女神という意味である。
”Sukarno”は第一インドネシア大統領で、フールネームもSukarnoのみ(名字は持っていません)

■日本語には主語がないのはなぜ?
参考:通弁サイト
日本語に主語がないというのも、日本人の「アイデンティティ」の弱さ、もっと厳密に言うならば、集団(全体)と溶け合った自己、他の存在と同一化した自分というところから来ているのかもしれません。西洋の住居がカギのかかる個々の部屋をユニットに構成されているのに対して、日本の家屋は、障子や襖(ふすま)といったソフトなボーダーで仕切られているだけです。また、自分の自己紹介には、所属している会社や団体の名前を出すことが多いのも事実です。組織のなかでも、各自の分担範囲はさほど厳密ではなく、みんなで気を利かせあって、調整しながらひとつのことを成し遂げようとする伝統があります。

こういったことから、日本人の「個」は、「集全体」にほぼ等しく、同時に「集」は「個」でもあると言えます。「同じ釜の飯を食う」などと言い、同一の集団に所属している他の存在との境界がゆるく、心理的には「同一」であろうとするのです。だから、上記のような主観的な文章が成り立ち、心理的・心情的な共感という暗黙の了解があるからこそ、主観的でありながら客観的にもなりうるのです。つまり、主語はこの際、誰でもいいのです。もちろん、これは、通常、公に発信するコミュニケーションにはそのまま当てはまりませんが、日本語表現の本質として、文章を作成するときのベースになっているような気がします。言い換えれば、このベースが押さえられていれば、その日本語表現はどこまでも自然な日本語らしくなるというわけです。


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