超高校級の保健委員。 人に奉仕することを生きがいとしている保健委員。 自分に自信がなく健気すぎる性格が災いし挙動不審になってしまい、学園に入学するまで友達に恵まれなかった。 よく転ぶためあちこちにケガをしているドジッ子。
77期生は基本的に出番が少ないが、その中では比較的出番が多いほう。
2の時点で絶望時代が描かれていたため扱いやすかったのか、キーキャラである御手洗と接点があったり、七海をおしおき会場に誘導したりと、それなりに重要なポジション。
もし、”あの人”が今も生きていたら… きっと喜んでくれるはずです。
…私にはわかるんです。 あの人だけ…あの人だけなんですよ…
そう、あの人だけは… 私を嫌わないでくれました。
私の存在を許してくれました。 私を許して受け入れてくれました。
私に価値を与えてくれました。 私を愛してくれました。
全身で愛する私に、 全身で愛を返してくれました。
あぁ、すべてがどうでもよくなるこの開放感!
私とあの人だけが薄くて頑丈な膜の内側にいて、 私はそれを通して外側を見てるだけ…
だから…膜の外で誰に罵られても、 誰に水を掛けられても、誰に蹴飛ばされても…
まるで関係ないんです! 死んじゃう位どうでもいいんですぅ!
希望とか絶望とか知ったこっちゃないんです! 愛なんですよ!、愛!
そもそも…元を正せばね…
私がこんな人間になったのは私のせいじゃなくって、 みんなのせいなんですよ?
だって、私は私だけで、 今の私になった訳じゃなくて…
色んな人間のせいで、 今の私になったんですぅ。
だから、ね… こんな私になったのはみんなのせいでしょ?
と言っても…今の私を構成している多くは、 あの人の存在なんですけどね。
こうして、みんなに許されない私を作ったのも、 あの人なんですぅ。
でもね、そんな私でも あの人は許してくれる…
そこが、あなた達と決定的に違うところです。
―3章学級裁判終了後の罪木のセリフを抜粋
ここでは罪木が江ノ島から愛を受けていた(そして後に絶望へと堕ちた)ととらえることができるが、絶望編ではそのような描写がない。
むしろ、マッサージをさせたり蹴飛ばしたりと、あまりいい扱いをしていない。
絶望編で語られていないシーンでは「愛されて」いたのか、それとも絶望編でのあの扱いが罪木なりの「愛されている」なのかさだかではない。
どうとでも解釈可能ではあるが、絶望編の該当シーンを観て3章のあのセリフはなんだったのかと疑問を抱くファンは多い。
また、上記のセリフの通りの江ノ島と罪木の関係性をアニメに求めていたファンもおり、これもまた見たいものを見せてくれなかったなんて言われたりもする。
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狂ってるからそんなことも嬉しく感じちゃったってことじゃないんですかぁ…?