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ソールズベリ平原の戦い(1290.4.14)

主力兵力被害
ヤーデ伯ケルヴィン軍ヤーデ伯ケルヴィン
フィリップ3世
1800人7000人
ラウプホルツ公エドムンド軍ラウプホルツ公エドムンド
ラウプホルツ諸侯
24000人3500人

戦場
 グラン・タイユ北部に広がる樹海の北側、ロードレスランドに面した広大な平原をソールズベリと呼ぶ。ソールズベリ平原は樹海から続く肥沃な大地と、ブルーム丘陵から流れ込む豊富な水により農耕に適した土地である。また、樹海を避け南方へ抜ける道と、鉱山へ向かう道が分岐する交通の要でもあった。しかし、グラン・タイユとロードレスランドの境に位置し、戦略において重要な位置を占めるこの平原は、古来より幾多の戦いが繰り広げられてきた大地である。

原因・背景
 オート侯カンタールの死に伴うメルシュマンの混乱に乗じ、ハン・ノヴァに帰還したケルヴィンは諸侯を集め盟約を締結する。これにより形式上は覇権を手にしたケルヴィンであったが、民意とともに周辺諸侯の支持を得るのは難しかった。中原の派遣どころかハン・ノヴァの統治にも支障が生じ、盟約の崩壊を阻止できていなかった1289年、ケルヴィンは突如主君であるナ国ショウ王の召還命令を受ける。
 ラウプホルツ公国は当主であるエドムンド公爵の指示の下、中原への出兵を決定する。代々ラウプホルツはグラン・ヴァレを境に北方との交流をできるだけ遮断することにより、公国を維持する政策を取ってきた。国力においてラウプホルツはメルシュマンのどの国にも勝り、ギュスターヴ13世の侵攻にも屈することはなかった強国である。出兵はその国力を過信した若き領主とその首脳部の、大きな国策転換であった。
 こうして、両国はそれぞれ背後に不安要素を抱えたまま、1290年を迎える。

経過・戦況
 1290年1月、グラン・ヴァレを2万4000の兵力で越えたラウプホルツ軍は、11日にはギュスターヴ13世最期の地メルツィヒに陣を敷いた。
 それに呼応しハン・ノヴァではケルヴィンを筆頭に諸侯が交戦の陣容を議する。しかしメルシュマン諸国の協力は得られず、ロードレスランドの南方諸国のみの出兵となった。そのため兵力は1万8000しか集結できず、しかも盟約が崩壊しかけているため南方諸国約8000の兵力に信頼を置くことができなかった。さらに名代として嫡子チャールズを欠き、ケルヴィンはまさに窮地に立たされたのである。ようやく出陣することができた12日には、すでにラウプホルツ軍はシュヴァルツメドヘンを越えていた。
 14日、ソールズベリ平原を一望できるブルーム丘陵に陣を敷いたケルヴィンは、戦場をソールズベリ平原に決し、ラウプホルツ軍が樹海を抜けるのを待ち受けた。
 ケルヴィンの動きを察知したラウプホルツ軍は直接樹海を抜けず、一度東へ軍を向け海岸線に布陣する。そして、樹海の踏破によって疲弊していた軍隊に休息を与え、19日未明にソールズベリ平原へと進軍した。
 19日、ラウプホルツ進軍の報を受け、ケルヴィンはブルーム丘陵から軍を進め平原北部に展開した。
 両軍は広大な平原で対峙し、日の出と共に動き出した。ラウプホルツ軍は両翼に展開した第三軍と第五軍を押し出し、陣形をV字に開いた形へ移行した。それに対しケルヴィンは、敵の左翼に対し並列になるように第三軍から第五軍を展開した。
 しかし、V字の内に沿って部隊を展開したため、ケルヴィン軍の第五軍はラウプホルツ軍の中心へ進軍する形になった。敵の攻撃が集中した第五軍は、救援に向かった遊軍フィリップ3世の到着を待たず崩壊する。さらにフィリップ3世も敵に半包囲される形になった。
 兵力差と判断ミスにより、ケルヴィン軍の兵はじりじりと削られていく。そんな中、半包囲されたフィリップ3世は戦線を立て直すため、ケルヴィン本陣が危険にさらされることを承知の上で一旦後退する。その後戦線を維持していた第四軍、第三軍との合流を図った。ラウプホルツ軍が戦線を左右に広げ部隊を展開している今、各部隊を各個撃破すれば勝機は見えてくる。それがフィリップ3世の考えだった。
 その決断は的を射る。ケルヴィン率いる第一軍に一時は攻撃が集中したものの、再編成したフィリップ3世の軍勢がラウプホルツ右翼の第三軍を撃破したことにより戦局は大きくケルヴィン側に引き寄せられた。
 この後、フィリップ3世はラウプホルツの第二軍に攻撃を仕掛ける。この時点ではラウプホルツの兵力は圧倒的に優位だったが、第三軍の壊滅により戦いは決していた。
 ラウプホルツ公エドムンドは第三軍の壊滅により既に戦意はなく、迫りくるフィリップ3世軍に驚愕し撤退を指示した。
 ソールズベリ平原の戦いは、開戦から約五時間で戦局が決したのであった。

結果・戦果
 この敗北によりラウプホルツ公国ではエドムンド公がその責を負い退位し、若くして隠遁生活を送ることとなる。また、出兵を阻止できなかった首脳部も更迭され、新たな幼い公爵のもと、先々代の公爵の補佐をしていた老人たちがラウプホルツを先導していくことになった。ラウプホルツは再度半鎖国政策を取ることによって、国力を維持していった。
 戦いに勝利したケルヴィンだったが盟約の崩壊は阻止できず、失意のまま二年後にこの世を去った。ヤーデ軍は新領主チャールズのもと統括されるが、それは苦汁に満ちた時期を再び迎えたにすぎなかった。
 ソールズベリ平原の戦いは、勝利した側はより苦しい立場を作り出すことになり、敗北した側は政策の見直しによって新たな繁栄を迎えるという、皮肉な結果となった。



参考資料
パーフェクトワークス 140-141

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サンダイル史

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