最終更新: shirononegi 2013年04月18日(木) 06:51:27履歴
(左:A郭土塁、右:大竪堀 G郭下)
城名 | 樫ノ木城【かしのきじょう】 |
所在地 | 富山県富山市大山町楜ヶ原【くるみがはら】 |
別名 | 村田城 |
形態 | 山城 |
遺構 | 削平地、切岸、横堀、堀切、竪堀、土塁、土橋、虎口、櫓台 |
上杉謙信の越中南部の押さえとされていた城。
枡形虎口があり、中世城郭の芽生え的な存在。
廃城後に城内が畑として利用されていたため、畑への農道として道が造設されている可能性が高い。
また、廃城後に宗教的施設(寺院、神社など)が作られていたという仮説もある(佐伯哲也氏)。
城主 :三木良頼、村田秀頼
飛騨の武将 三木良頼が上杉方軍役として守備していた記録がある。
上杉方の武将 村田秀頼に樫ノ木城南方の太田上郷が与えられており、在城していたと考えられる。
築城者:
飛騨の武将 三木良頼が上杉方軍役として守備していた記録がある。
上杉方の武将 村田秀頼に樫ノ木城南方の太田上郷が与えられており、在城していたと考えられる。
築城者:
土橋の左右に竪堀がある。
右手に2本、左手に1本の竪堀がある。
竪堀にて斜面横移動を阻止している事から、重要な入り口であったと考えられる。
左手の竪堀は、谷を挟んで向こう側の尾根にある大竪堀(G郭下)と繋がっていたらしい。
虎口がある。直進できないように何度も折れ曲がる。横矢がかかる。
左手に直進できる上り坂があるが、これは廃城後の造成農道らしい。
右手に2本、左手に1本の竪堀がある。
竪堀にて斜面横移動を阻止している事から、重要な入り口であったと考えられる。
左手の竪堀は、谷を挟んで向こう側の尾根にある大竪堀(G郭下)と繋がっていたらしい。
虎口がある。直進できないように何度も折れ曲がる。横矢がかかる。
左手に直進できる上り坂があるが、これは廃城後の造成農道らしい。
樫ノ木の弱点を守る郭。
樫ノ木集落へ続く尾根があり、尾根伝いに敵が攻め込むのを防ぐため、
郭の北側に2重の堀切、1本の竪堀を設けている。
郭の北縁には土塁が設けられていた。現在は少し残っている。
樫ノ木集落へ続く尾根があり、尾根伝いに敵が攻め込むのを防ぐため、
郭の北側に2重の堀切、1本の竪堀を設けている。
郭の北縁には土塁が設けられていた。現在は少し残っている。
G郭から移動するには、大竪堀を降りる。
大竪堀の下は、かつては水田だった湿地。
ぬかるんでいるので注意。雨天や雨降り後でなければ靴で渡れる。
湿地を渡れば大手口土橋左手にあった竪堀を上る。
大手道(土橋手前)へ出る。
大竪堀の下は、かつては水田だった湿地。
ぬかるんでいるので注意。雨天や雨降り後でなければ靴で渡れる。
湿地を渡れば大手口土橋左手にあった竪堀を上る。
大手道(土橋手前)へ出る。
向かうには、ナビ設定を考えると、
一旦 旧大山町の牧野公民館または東薬寺駐車場を目指し、
そこから川を渡って対岸へ。
山に向かうようにして行けば集落となる。
あとは道なりに進めば、樫ノ木のバス停がある上り坂と平坦道の分岐へ。
牧野の方に行かずに、樫ノ木(楜ヶ原)へ行く事が出来るかどうか不明。
一旦 旧大山町の牧野公民館または東薬寺駐車場を目指し、
そこから川を渡って対岸へ。
山に向かうようにして行けば集落となる。
あとは道なりに進めば、樫ノ木のバス停がある上り坂と平坦道の分岐へ。
牧野の方に行かずに、樫ノ木(楜ヶ原)へ行く事が出来るかどうか不明。
このページへのコメント
本の引用だけでなく、もっと「自分の意見」を書いて下さい。城跡探索でなく、皆で山登り体験して楽しかったよ、としか伝わってきません。
読者が求めるのは、徹底して書き込んだ地図、自分なりの推理、対象に近づいて撮った写真です。未開の地に集団で行く余裕があるのですから、レジャーでなく今一歩踏み込んだ探索をして欲しいです。