概要

グスティナの戦いとは、ザールック3330年10月、ビーストバリア国と、ロザンド軍の間で起きた戦いである。
アトレティア内乱中の戦いであるため、ロザンドアトレティア国軍ではなく、独立軍として扱われる。(当時ロザンドセロナバルス王を名乗っていたが、この戦いの直後にエスタが国を復興させるため、歴史的には「自称」として扱われ、「セロナバルス国軍」とは呼ばれないことが多い)

戦闘に至るまでの背景

わざと自国を空にすることで帝戟門の戦いを引き起こさせ、鬼龍フレイミスト国によって討たせたベルーマは、そのまま軍を進めてセロナバルス国へと侵入する。
ロザンドはこの時、アトレティア内乱を静観し、ガザデルーポルスを戦わせ、双方が疲れきった時点で乗り込み制圧しようと考えていた。
彼の領土は肥沃なセロナバルスの地であり、北のポルスガザデルーと犬猿の仲、南のモルコア国は、とても自力で何か行動が起こせれる状況ではない為、自分だけが絶対安全な場所から見下ろしていると信じきっていた。
敵も味方も全く予測していなかったビーストバリア国の遠征奇襲の報告が、そんなロザンドの足元を揺るがした。

ロザンドは、当初はこの報告を信じず、何度も「アーズ国の間違いではないのか」と問いただしたが、届いた報告の全てが「ビーストバリア国軍が侵入」で一致した為、信じざるをえなかった。

戦闘経緯



後顧の憂いのなかったロザンドはこの戦いに主力部隊を率いて自ら出陣した。
対峙するビーストバリア国軍が、数で劣っているにもかかわらず、突撃の形で陣形を敷いているのを見たロザンドは、ビーストバリアを嘲笑した。
相手は理解に苦しむ遠征で疲れている上に、自軍は兵数で勝り、地の利を持ち、有利な陣形を敷く。ロザンドに負ける要因は見当たらなかった。

両軍の激突は、火龍の猪突からはじまった。
ベルーマの制止を振り切り、火龍は自らの部隊を前進させ、これに呼応して他の部隊も動かざるを得なくなり、ビーストバリア国軍はそのまま突撃へと移る。
ロザンド軍はこれを落ち着いて受け流し、ビーストバリア国軍が突破できずに立ち往生したところを一斉に反撃すれば、勝利を手にする事ができた。
だが、ロザンドの思いもしない方向に戦局は動いていく。

ガイラスマルラの両翼を担う軍勢が動く気配を見せず、それどころか、突如その矛先をロザンド軍に向け、戦場で寝返ったのだ。
ガイラスマルラは野心が高く、義理は低い将であった為、ロザンドとしても常に警戒しなければならなかった将ではある。だが、この戦いでビーストバリア国に寝返ったところで、何の将来があるのか、ロザンドは理解に苦しんだ。
彼らがロザンドを見限った理由は、ロザンドセロナバルス国王を名乗ったことにあった。セロナバルス国は水面下で大掛かりな反抗作戦が進み、その動きをガイラスたちは察知していたが、王を名乗ってからのロザンドは彼らの進言を聞き入れず、更に王になってからそれまで同胞とみなしていた彼らに対して横柄な態度をとりはじめていた。元々忠誠心の薄い彼らは、そのことに不満を抱いていたが、そこをベルーマにつかれると、密かに説得され、この戦いでの裏切りを約束していたのだ。

こうして2将の寝返りにより戦局は一転するが、それでもロザンド軍は瓦解しかけた軍勢を立て直すと、ビーストバリア国軍に猛攻を仕掛け、火龍を戦死させる。
だが、猛攻はそこで止まり、カヌマベータも既に戦死、艦隊戦の指揮をとっていたロザンドも、その野望を胸に抱いたまま散っていった。

戦いの結末

誰もが予期しなかったビーストバリア国軍の大勝利。しかし、彼らはセロナバルス国の領土を手に入れたわけではなく、復興の手助けのみをして、鹵獲した艦艇のみを持ってそのまま帰還していく。
多くの者がこの勝利を、「戦場でたまたま私怨の裏切りがあったから勝てただけ、運だけはいい連中だ」と嘲笑し、ビーストバリア国が着実に力をつけている事に気が付いていたのは、ほとんどいなかった。

一方で、セロナバルス国は復興を成し遂げ、ビーストバリア国と同盟を結ぶ。また、この時準備されていたセロナバルスの反抗作戦には、現地に潜入していたサウラアリンが首都奪還という重要な役割を果たしていたこともあり、リゼルバの戦いから続く遺恨を水に流して、アーズ国との同盟も強化される。
このとき、アーズセロナバルス両国仲介役を果たしたのがベルーマであり、後にセロナバルス六界連合軍に協力するのもこの時の借りがあった為とも言われている。


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