基本情報


略歴

ガルデス共和国評議会議長でありながら、時に独裁者の様な即断と越権行為を実行することがあり、同世代を生きたラグライナ帝国皇帝セルレディカと並ぶ覇王と称された。
しかしその決断は私利私欲とは無縁で、結果が後からついてきた為、どれだけ独断で動こうとも国民からの人望と人気が衰えることはなかった。

1249年に失脚したバックス議長の後任を決める為に行われた選挙において、本命はバース委員であったが、大方の予想を覆してラヴェリアが当選。
1250年にクレアムーンとの不可侵条約を結ぶと、それまでも国境を挟んで幾度となく競い合ったラグライナ帝国との戦いに突入する。
更に、自分達だけではなく、クレアムーンも帝国軍との戦いに巻き込む為、ミズハを使い両国の間に火種を巻き、1253年7周期にはレヴァイア王国まで動かしてレヴァイアの乱を起こさせる。

1255年、9周期23日目フェルグリアの戦いにおいては自らも参戦し、帝国軍と激しい戦いを繰り広げるが後一歩及ばず撤退。
翌年の第3次モンレッドの戦いでも再び最前線へと赴き、皇帝セルレディカと直接対決を演じるが、帝国軍の団結した防壁をついに突破できず、大きく後退することとなる。
この戦いの後にエルから「奮戦を讃えて」と送られた剣と書状が内通疑惑へと発展し、査問への招集がかかる。
これは、エルの謀略であり、最初からそれが目的で送られた品であったが、本国に居た反ラヴェリア派の議員はただ彼を陥れる口実が欲しかっただけだった為、喜んでこの疑惑に飛びつくが、ラヴェリアはこの疑惑を退けて、逆に反対派の議員を糾弾した。

しかし、エルの真の狙いは彼を前線から引き離すことであり、強烈なカリスマ性をもつ彼が戦場から離れたその隙にラグライナ帝国軍は大進軍を開始、首都ガイ・アヴェリまで迫る。
共和国軍は、軍議をかさねた結果、出陣ではなく首都篭城を決意するが、ラヴェリアは共和国軍に残された勝機はここしかないと、議長でありながらこの結論を無視し、ノスティーライナの戦いにおける一か八かの奇襲戦に挑む。
この戦いであと一歩までエルを追い詰めながらも勝利をつかめず、その帰還の最中、エルの内応工作に応じたミズハによって背中を刺され、落命した。(ラヴェリア事件

人物

  • この頃の共和国は軍閥化が進みつつあり、ラヴェリアも自らの口癖でもある「薬になる毒もあれば、毒になる薬もある」という言葉の通り、悪習と知っていながら軍人と評議委員を兼任、戦場では戦果を、評議委員としては財政案を次々と打ち当ててその人望は共和国随一となった。

関連項目

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