六界全史 - レディス



基本情報


略歴

ガルデス共和国評議会委員の父を持ち、彼女も18歳のときに立候補、そのカリスマと父から受け継いだ政治手腕を持って委員になる。
ラヴェリアはそ彼女の能力を高く買って「税金の再構築案(後にレディス法と呼ばれる事になる)」の原案を託し、共和国の財政立て直しを一任した。
ラヴェリアは、政治家でありながら軍人としての気質を捨てきれず、常に最前線へと向かうが、ノスティーライナの戦いに赴くとき、生還の可能性の低さを自覚し、彼女に共和国の未来を託した。
不幸にもその予想は的中し、ラヴェリア事件によってラヴェリアは落命、後任を務めることとなった。
この時既にラグライナ帝国との戦いは最終局面を向かえ、首都決戦を覚悟するほど追い詰められていたガルデス共和国にとって、議長という地位は沈み行く舟の操舵者であり、彼女の他に立候補者がいなかったという側面もある。

しかし、セルレディカの崩御と帝国内乱戦争の勃発により、ラグライナ帝国との戦いは思わぬ形で一旦終わりを遂げ、代わりに国境断絶事件により、クレアムーンとの戦いが激化する。
1258年ガイ・アヴェリの戦いにおいては、秘密裏に動く必要があった為、正規の手続きをとらずに彼女の独断で軍を動かし、かろうじてクレアムーン軍を撃退する。
だが、彼女の独断行動を政敵であるゴゥドは、レディスを引きずり落とす為の理由とし、自分の派閥を使って議会上でレディスを失脚させ自身が後継に就く。

ゴゥドが政権を握っている間、レディスはゴゥドに拉致されていたが、世間には「逃走した」と触れ回られていた。
1259年3周期、ゲイルたちの救出作戦によりようやく発見されるが、精神的な傷が大きく、しばらくはエヴェリーナの私邸にて養生に務めた。
しかし、ゴゥドが急死するという事態となり、レディスは再び議長として返り咲く。
あまりにも突然の出来事に、世間ではレディスによるゴゥド暗殺が囁かれるが、本人には身に覚えのないことであり、やがて噂も風化していった。(現在では暁の守人の仕業という説が有力であるが、レディス派の将軍による暗殺という説も完全に否定されたわけではない)

その後、ルディの申し出により、キリグアイで和平会談を成し遂げるべく出発するが、和平を望まない一派が差し向けた暗殺団に襲われこの和睦会談は頓挫、両国はキリグアイの戦いを迎えることとなる。
しかし、この戦いに勝利しながらも、侵略ではなく和睦を主張するルディに心打たれ、レディスもルディとの再会談を希望し、1261年にルディと単独会談が行われ、その年のうちに真田弥生も交えた三国の代表者によるバスティアの会談が実現される。
ルディが提唱するアレシア連邦に個人的には賛同するが、ガルデス共和国は長き間帝国と戦い続けたことから、「連邦参加=吸収統合」という危機感が根強く存在し、直接の参加を躊躇してあくまでも同格の同盟国という形をとった。

ルディ病没により、帝国内で旧帝国貴族の武力蜂起が起き、帝国は弱体化。
レディスは「今連邦に参加すれば、帝国に貸しを作れて対等な立場を保つことができる」と議会を説得し、ついに1268年ガルデス共和国も連邦への参加を決意、レディスは連邦の二代目代表となる。
レディスはその後、ルディが連邦の母と呼ばれたのに対して連邦安定の人と呼ばれ、1282年までアレシア連邦の安定期を築き上げた。
1313年に病没、ルディ真田弥生は既に亡くなっていた為、最後の巨星が流れ落ちた年となった。

人物

  • レディスの時代は、後世の様な憲法と議会が確立するより遥かに昔であり、共和国や議会制といってもまだまだ帝国や王国と変わらず、権力者の「現場の判断」や「超法規的決断」がまかり通った時代であった。だが、無尽蔵に権力者が軍を自由に動かせる訳でもなく、レディスがガイ・アヴェリの戦いで行った独断専行行為は、ゴゥドに糾弾の隙を与える結果となった。

関連項目