遠くアルモニアで、たったー人アタシの帰りを待つ愛する妹キャサリン。
何よりも大切な唯一の肉親。
アタシはあなたのために今、ここで刃を振るうわ。
「さあ、出てきなさい!アタシの妹に手を出そうだなんて命知らずは、どこのどいつかしら!?」
事はほんの数日前、楽都『アルモニア』にて起こる。
遠征でアルモニアを訪れたシャムール義勇兵団。
その中の一人が あろうことか道ですれ違ったアタシの妹に一目惚れして、声をかけた。
幼い頃からアタシが男なんて寄せ付けさせなかったから、あの子に男に免疫なんてあるわけがない。
だからこそあの子はコロッと騙されてしまい、その気になってしまった。
それは確かにアタシの不覚。
仕事であの子の傍にいられなかったことも、世問の恐ろしさを教えることを怠ってしまった。
でも、だからといって許せるはずがないじゃない!
「き、貴様!何者だ!!」
「ここがシャムール義勇兵団の屯所と知っての所業だろうな!?」
「アタシが何者かって……?見たらわかるでしょうが!!」
そう。
アタシこそ、大陸に名を馳せるアルモニア騎士団一番隊長ジョセフィーヌ!
ただし、今日のアタシは愛する妹をたぶらかし、傷つけようとする不届き者を成敗するため、遠くアルモニアから遣わされた愛の守護者!
「……カマか?」
「いや、変態だ……!」
「はぁああああ!?何ですってぇ!?!?」
許さない。
あの子だけでなく、アタシの乙女心まで踏みにじるなんて……よくも……よくも!
「あんたらも同罪よ……いいかしら?あんた達は乙女に手をあげたのよ?心無い吉葉でガラス細工のように繊細で美しい心を殴りつけたの……」
「な、何なんだこいつは……!?」
「覚悟なさいっ!アタシの……シャウトッ!!」
「ひっ――!?」
安心なさい。
死にはしないわ。
ただし、その心に刻み付ける!
乙女を傷つけた代償として、痛みと共に最大の恐怖を!
「はぁああああっ!!」
――ドゴォオオオオオオオオン!
「――っ!?」
「これ以上の狼籍は見逃すわけにはいきません……ガラス細工の美しさを語るにしては、横暴が過きるというものでしょう」
振り切られたアタシの拳を素手で受け止めたのは、見憤れない隊服に身を包んだ大鷲のガルムの男。
よくよく見ると、男とアタシの拳の間には、風の魔素で生成された障壁が存在した。
とはいえ、直接のダメージが防げたところで、アタシの拳の衝撃はちんけな降壁一つで全て吸収しきれるものじゃない。
それを受け切るだけの鍛え方はしてるってわけね。
「あんた……誰よ?」
「無論、義勇兵団の閃係者です。名高きシャムール特産のガラスを扱う職人でもあります」
「職人のくせして、少しはやるみたいだけど……それくらいでいい気になってんじゃないでしょうね?」
「まさか。アルモニア音楽騎士団、ー番隊隊長ともあろう方の全力が、この程度だとは思ってはいません」
「あら……流石ね。職人なだけはあるわ。見る目あるじゃない。それとも単にアタシのファンかしら?」
「見紛うはずもない。深紅の隊服に、雄叫びを上げて敵を薙ぎ倒す豪斧。『轟音の赤鬼』ジョセフィーヌ殿。直接お目にかかるのは初めてだが、その武勇は遠く聞き及んでいます」
「その呼ばれ方はあまり好きじゃないのよね。いかにもゴツくてむさ苦しそうな名前じゃない?で、そういうあんたはどなた様なのかしら?」
「これは失礼。名乗りが遅れました。私はシャムール義勇兵団の遊撃隊隊長を任されております、アギラという者です。なにやら屯所で暴れている者がいると部下に聞き、参上しました」
シャムール義勇兵団?
そういえばさっきからそんなこと言ってたわね。
えっと……なんだったかしら。
確か 『自分たちの芸術を守るため』とか言ってこの辺の有志が集まってできた非正規兵団だったわね。
今ではそれが転じて 『正義のために』 だとかなんとか。
「でも、まぁ……つまりはあんたもアタシを止めに来たお邪魔虫ってことでいいのよね?」
「止めに来た、というのとは少し違います。正直なところ、私一人で貴殿を完全に抑え込むとことは難しいでしょう。ですが、それはあくまで実力行使ならば、という話です」
「と、言うと?」
いちいち面倒な言い回しをする男ね……
いい加減イライラしてきたわ。
ストレスはお肌の大敵だって言うし、さっさとぶっ飛ばしちゃおうかしら。
「聞けば、貴殿は妹に言い寄った我が兵団の者を探しているとのことですが、その妹君はキャサリンという名では?」
「…………不思議ね。アタシはここで妹の名前を口にした覚えはないのだけど」
「アルモニアでキャサリン殿に声をかけたのはこの私だったというだけのことです。つまり、貴殿の目的はこの私ということになる。ならば、私さえいれぱ無聞係な仲間たちに刃を向ける理由もなくなると思うのですが……いかがでしょう?」
「へぇ……あんたがね…………」
見返りも求めないで剣を持ったその志は結構なことだけど、そんな連中がナンパに精を出してるようじゃ笑い話にもならないわ。
安心なさい、キャサリン。
あなたを毒牙にかけた悪しき男は、アタシが成敗してあげる。
所詮、男なんて女の前では飢えた狼でしかないの。
それが世界でアタシの次にプリティなあなたの前となれば、例え忠節を重んじる騎士であろうと、万人に崇められる聖人君主であろうと、一瞬で本性を剥き出しにする。
「いいわ……ちょっと表に出なさいな。直接話が付けられるならアタシも大歓迎よ」
「心遣い、痛み入る。というわけだ。全員屯所から出ることは許さん。この方は私の客人だ。いいな?」
「で、でも……アギラさんとはいえ、轟音の赤鬼を一人で相手にするのは――」
「客人だと言っている!いいな!?」
「わ、わかりました……!」
とことんくっさい男ね。
剣を捧げた場所は違っても、正義のために戦う者としての流儀は共通ってわけ?
いいわ。
すぐにその化けの皮を引っペがしてあげる。
「――んなもん知ったこっちゃねぇんだよぉおおおお!!」
「ぐ……はぁああ!?」
「アギラさん!?!?」
べラべラと薄っぺらな言葉ばかり垂れ流す、そのいけ好かない顎を完璧に捉えたわ。
「アタシの素性を知って、どうせ大したことはできないと踏んだんだろうが、お生憎様だったなあ!!」
「貴様っ!!アギラさんの誠意を無下にするつもりかっ!?」
「黙ってろ、三下ぁ!知ったこっちゃねえんだよ!アタシにとっては愛する妹こそが第一!何よりの正義!騎士の誇りも礼節も、遥か彼方に置き去りにしてここに来てんだ!いい加減に悟れやぁ!!」
「っち……皆で取り囲めの所詮は多勢に無勢だ!!」
「やめろ!!」
「ア、アギラさん……!」
「手出し無用!これは私とジョセフィーヌ殿との問題だ!」
軽〜く五メートルは吹き飛ばされておいて、それでも立ち上がろうってわけ?
そりゃ、仲問の前で簡単にやられるわけにはいかないものね。
まあ、これで少しはやる気になったのならいいわ。
一方的に攻めるのは嫌いじゃないけど、すまし顔のまま逝かれるのは大嫌いなのよね……!
「仲問の手前、カッコつけてるとこ悪いけど、膝が笑ってるわよ?いいから全力でかかってきなさい。あの世まで返り討ちにしてあげるから」
「殺すつもりなら今の一撃でそうしていたはず……そうしなかったということは、何か狙いがあってのことでは……?」
「減らず口も大慨にしなさいよ?あんたなんて斧を振るうまでもないと思っただけのことよ。それを今から証明してあげるわ」
なんてことを言ってはみたけど、この男か言ったことは的を得ている。
アタシの目的は『殺し』じゃない。
あくまで、妹に仇なす者を成敗すること。
「ふんっ!!」
もし仮に、心からキャサリンと愛し合う男が現れたとして、その男とあの子の未来に待ち受ける結果が、あの子が傷つくようなものだとしたら、そんな一時の幸せなんて得ない方がマシ。
「どりゃぁああ!」
ましてや、アタシの拳で簡単に音を上げるような軟弱な男に、あの子と真に幸せな人生を築くことなんてできるはずがない。
これまでだってそうだった。
「うぉらぁああああああああ!!」
薄っぺらな愛を語って、妹に近づこうとする男は皆そう。
何があっても幸せにしてみせる?
一生あの子を守り抜く?
あの子に誓ったはずのそんな台詞を、アタシを前にして言い続けられた男なんていやしなかった。
「ふんぬぅうううううううううううう!!」
だというのに、どうしてこの男は立ち上がってこられる。
これだけアタシの拳を受け続けても、瞳の奥で燃える炎はこれっぽっちも衰えちゃいない。
「ど……どうしました……もう満足しま……したか……?」
明らかに違う。
これまであの子に近づこうとした有象無象とは。
「…………いいわ。話くらいは閲いてあげようじゃない。あんた、遠征でこっちに来た時にアタシの妹をナンパしたんですってね。大切なお仕事をほっぽりだしてまで女に現を抜かすなんて、あるまじき行為なんじゃない?義勇兵団とやらは見せかけだけの正義マンごっこだったってわけかしら?」
「そう……ですね…………自分でも、何故あのような行動を取ったのか……今でも理解できません…………しかし、これだけは確かです。私はキャサリン殿をー目で愛し、幸せにしたいと心から願ってしまった!」
「な……!?」
「相手がキャサリン殿の兄君であろうとも、ここは譲るわけにはいかない!まだ気が済まないと言うのであれば、何度でも拳を振るうと良い!だか、これだけは覚えておいていただきたい!我が剣はすでにキャサリン殿に捧げた!例えその斧でこの首が刎ねられることになろうとも、ー度捧げた剣を曲げるような真似は絶対にしてなるものか!!」
「…………」
アタシとしてことが、言葉を失ってしまった。
このアギラという男なら、もしかすると――
「――っ!?危ないっ!!」
その声でハッと我に返り、身を翻すと、猛スピードでー台の馬車が突っ込んできた。
でも、馬車に突っ込まれた程度で逝ける身休なら、アルモニア音楽騎士団の隊長なんて張ってないのよねえ。
「ふんっ!!!!もう……危ないじゃない!!」
アタシは馬車から飛び確りてくる人物を目にして、驚きを隠すことができなかったわ。
馬車を受け止めたアタシに目を丸くしている御者なんて、比較にならない程にね。
「ジョセフィーヌ兄さんっ!!」
「キャ、キャサリン!?どうしてあなたがここに!?」
「騎士団の方々から閲きましたの!兄さんがアギラ様を追いかけてシャムールへ向かったと!」
「だからって、あなた護衛も付けずに――」
「アギラ様!?」
話の途中だというのに、あの男の姿を見た途端に駆け出すキャサリン。
あなたという子は、もうそんなにも彼のことが……
「ご無事ですか!?ああ……こんなにも血を流して……私の兄が本当に申し訳ありませんっ!」
「キャ、キャサリン殿……よいのです。兄君は、あなたを想うがために、私の元を一人訪れ、真価を試そうとしただけに過ぎないのですから」
「だからといって……早く治療を……!」
「心配は無用です。あなたの顔を見た途端、痛みなど忘れてしまいました。あなたの姿、声こそが、私にとっての何よりの癒し。どうか笑ってください。愛する妹のために全てを投げ捨て突き進む兄君と、こんな不器用な形でしかあなたへの想いを証明できない私のことを」
「……ふふ。あなた様がそう望むのであれば、キャサリンはいくらでも笑いますわ」
「おぉ……身休の内から力が湧いてくるのを感じます。やはり、あなたは私にとっての女神だったのですね。キャサリン殿……」
「アギラ様……」
「黙れ〇〇〇野郎が!その〇〇臭い手をすぐキャサリンから離せぇええええ!」
なによこれ。
なんなのよこれ。
前回アルモニアで顔を合わせて、今日がまだ二回目。
それなのに、もうお互いの全てを信じ、完全に通じ合っています的な空気。
許すまじ。
あぁ、許すまじ。
キャサリン。
すぐにでもこの男の正体を暴いて、あなたの目を覚まさせてあげる!
「まだ認めては頂けないようですね……いいでしょう!ならば私も拳をもって、貴殿にキャサリンとの愛を理解してもらうのみ!」
「よく言ったぁああああ!!二度と立てないように捻り漬してやるわぁああああああああ!!」
――二日後
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ…………」
「はぁ……はぁ…………ま……まだ……だ……!」
「二人共のもうやめてくださいませ!!」
キャサリンを賭けたアギラとの男同士――じゃなかった!
女と男と戦いは、二昼夜に及んで続いた。
互いにー歩も引かす、拳の交換を続けてはいたけど、それは最初のうちだけ。
やっぱりアタシの拳に敵う男なんて、そう易々と見つかるわけがなかった。
でも……それでも……
「な……何で……これだけやられても立ってこられるのよ!?あんたは!!」
「……全ては……キャサリン殿に捧げた……我が愛のため…………例えこの身が引きちぎれようとも…………彼女が見守ってくれている限り……この心が折れることはない!」
「あんた……」
「アギラ様……!」
こんな男に出会えるなんてね。
最愛の妹ながら、良い眼をしてるわ。
認めましょう。
この男なら本当にキャサリンを幸せにしてくれるかもしれない。
アギラに寄り添うキャサリン。
その絵は、まさに「お似合い」で、こんなにもアタシの心を震わせるんだもの。
「いいわ……その根性とキャサリンの気持ちに免じて、交際を認めてあげる」
「おぉ……感謝しますぞ!ジョセフィーヌ殿!いや、ジョセフィーヌ兄さんとお呼びしたい!!」
「そこまで許した覚えはないわよっ!!それに、もし!キャサリンを傷つけるような真似をー度でもしてみなさい!?その時は、アタシが絶対にあんたを許さないから!いいわね!?アギラ!!」
「あぁ……承知した!!」
「それよりも兄さん!今回の件、騎士団ヘはどのように報告するおつもりですか!?シャムール義勇兵団の方々にここまで無礼を働いてしまった以上、タダでは済まされませんわよ!!」
「そ、それは…………」
「構いません。仲間たちには私が口止めしておきます。あくまで、私とジョセフィーヌ殿の間に置ける個人的な問題であったと。ですので、ジョセフィーヌ殿はアルモニア音楽騎士団の方々に同じように報告してもらえれば、それで事は収まるかと」
「アギラ様……何から何まで中し訳ありません。もう二度とこのようなことがないよう、兄には私が責任を持って言いつけておきますので、どうかお許しを……」
「あなたは私が愛する家族も同然の方。となれば、その兄君であるジョセフィーヌ殿も私の家族。平和を守ること以上に、家族を守ることに理由が必要でしょうか?」
「ありがとうごさいます……!」
「ごらぁああああ!そこっ!二人の世界に入ってんじゃねえぞ!?調子に乗りやがって、このガキャーー!!」
「もうっ!少しは兄さんもわきまえてください!ほら、兄さんも頭を下げて!!」
「あ……ヤダっ!ちょっとキャサリン……無埋やりだなんて……」
てっきりキャラ作りかと思ってたけど、この男本物だわ。
くそ真面目なのに天然とかいう一番めんどくさいタイプ。
しっかり監視しておかないと何をしでかすかわかったもんじゃないわね。
「はははっ!では、これからよろしく頼む。ジョセフィーヌ殿。共にキャサリン殿を守り抜こうではないか!」
「いきなりタメロだなんて、馴れ馴れしいわね。ほんっと、手の速い男だこと……まあ、いいわ。堅苦しいのはアタシもゴメンだし。あ、あと 『殿』も付けなくていいわ。どうせ何かつけるなら可愛らしく『ちゃん』とかにしてくれるかしら?」
「感謝する。ジョセフィーヌ殿。では、共に守っていこう!キャサリンちゃんを!」
「そっちじゃないわよ!!」
「な、なぜ怒る!?『ちゃん』とは若い女牲に用いられる敬称で、キャサリン殿をそう呼ぶように指示されたものと解釈したのだが、違ったのか!?まさかジョセフィーヌ殿を 『ちゃん』 付けで呼べというわけではあるまい!?」
「あーーーーー!!やっぱ嫌いのアタシこいつ嫌いよ!!」
「兄さん!!いい加減にしてくださいっ!!」
その後、アタシはキャサリンに連れられてアルモニアへと帰還。
到着直後に騎士団からの呼び出しを受け、今回の一件についての釈明を求められた。
少し意外だったのは、アタシヘのお咎めが全くといっていいほどなかったこと。
団長から注意こそ受けたものの、当のシャムール義勇兵団からは抗議どころか『今後もより良い聞係を』なんて書簡が届いたもんだから、部下たちへの体面もあってか、重い処分を科することは難しかったのでしょうね。
キャサリンは喜んでいたけれど、それがアギラの口添えあってのものだと考えると、少し複雑な気持ちにはなる。
とはいえ、これがきっかけとなり、彼らとの閘に軋轢が生まれようものなら、キャサリンは大手を振ってアギラと顔を合わせることすらできなくなるわけで、それはあの子がひどく悲しむ。
だから、今回の事に関してはアギラに感謝しなくてはいけない。
仮にもアタシが認めた男だしね。
そうして本件は一件落着。
アタシとアギラは、共に妹を愛す、良き友人となったわけ。
ちょっと悔しいわね……
シャムールでの一件から一年。
アタシがアルモニア音楽騎士団団長に就任することか決まった。
前団長がいい歳になってきたもんで、後継者を指名するとか言い始めたのが始まりで、後継者を決める会議で満場一致の支持を受けたのがアタシ。
めんどくさそうな書類仕事に追われるのはお肌にも悪そうだから断ろうかと思ってたのだけど、このことをキャサリンに話すと大喜び。
最前線で戦っていたアタシをずっと心配してくれていたのね。
だからこそ、アタシは前線からー歩身を引く決心をした。
それで少しでもあの子か安心してくれるなら、書類の山の処埋くらい安い手問ってもんよね。
「ジョセフィーヌ。団長就任おめでとう!君が団長ならば皆も安心することだろう!」
「兄さん。おめでとうございます。これで少しは気を休めることもできそうですわ」
式典衣装に着替え、会場へと向かう途中、廊下でアタシを待っていたのはアギラとキャサリンの二人だった。
来賓として招いたのだけど、二人揃って気が早いこと。
「ん〜!ありがとう、キャサリン!もうあなたに心配かけないようにアタシ頑張るわね!アギラの式典中、アタシの監視がないのを良いことにキャサリンとイチャついたりしたらタダじゃおかないから……ね?」
「もうっ!兄さんってば!!」
「ははは!わかってるさ!むしろ変な虫が付かないよう心して警護しなくてはね」
「いやですわ、アギラさん。兄さんの前で……」
「そこっ!!!!イチャつくなって言ってんのよ!!!!」
「おっと、もう式が始まってしまう!急がなくては!」
「ちょっと!?わかってるの!?ねえ!?ホントにわかってるんでしょうね!?」
「ほら!兄さん、急いで!!」
その後、式典はつつがなく執り行われた。
「アルモニア音楽騎士団一番隊隊長ジョセフィーヌ。今を以て、貴公の一番隊隊長の任を解き、新たに騎士団長の任を命ずる」
「はっ!謹んでお受けいたします!」
アルモニア音楽騎士団の新団長の誕生を受け、式典に出席してくれた面々か盛大な拍手をアタシに浴びせてくれた。
「姉御!いや、団長の昇進おめでとうございます!!」
「あんなことまでやらかしておいて、団長にまで昇り詰めちまうだなんて、流石っすね!!」
「お姉さま!これからも騎士団をよろしくね〜!!」
「団長になっても私たちのジョセフィーヌ様でいてね〜!」
主に騒がしいのは団員たちで、その様子に騎士団外からの出席者が圧倒されているのがわかる。
「ちょっとあんたたち〜?まだ就任式は終わってないんだから、少しは礼節ってものをわきまえなさい!!」
形式ばった重苦しい空気は一変、あっけらかんとした暖かい空気に包まれる会場。
これには前団長もやれやれといった様子。
うちの騎士団にはこっちのが合ってるものね。
そんな雰囲気をそのままに、式典後のパーティーへと移る会場。
「すごい人気だったな……『ジョセフィーヌ』の名は私たちの故郷でも聞き及ぶところではあるが、ここまでとは思わなかった」
「兄さんは私の事となるとああですけど、仲問想いで、人望が厚いと聞いていますわ。それだけに無茶をすることも多くて、私もハラハラすることが多々ありました!!」
「は〜い!そんな妹想いで、仲間想いのジョセフィーヌさんの登場よ〜!残念だけど、二人っきりの時間はこ・こ・ま・で!今夜はアタシが主役なの!」
「おぉ、ジョセフィーヌ!丁度君の話をしていたところだ」
「兄さん……お酒臭い……それに、そのお連れの方たちは……」
「ん〜??」
ほんの数本ワインを空けてから、急いで二人のところにきたつもりだったのだけど、背中にしがみついたまま離れない部下達に気付かないまま引きずってきてしまってたみたいで。
「何よあんたたち!アタシはこれから愛する妹と兄妹水入らずの時間を過ごすのよ!!あっちへお行きっ!!
「ひっどいっすよ、姉御〜!これから任務でご一緒する機会も減っちまうんですよ〜?」
「そうっすよ!俺たちと思い出話でもしながら盛り上がりましょうよ〜!!」
「嫌よ!!なんであんたらみたいなむさ苦しい男共に囲まれて洒飲まなきゃいけないのよ!一緒に飲みたけりゃ王子様系のイケメンでも引っ張ってきなさいのなんならアタシの拳で今すぐ美しい顔に整形してあげようかしら!?」
「姉御のいけず〜!飲みましょうよ〜!!」
「んもうっ!剣を振ることばっかりでパーティー一慣れしてない子はこれだからのあ、ほら!あそこにダンスの相手を探してる子猫ちゃんたちがいるわよ!アタシほどじゃないけど、そこそこイケてるわね!」
「なにぃ!?おい、行くぞ!!」
「おうよ!!」
しがみ付いて離さなかった部下たちを何とか振り払うアタシを楽しそうに笑いながら、アギラがこんなことを口にする。
「はははは!私たちのことは気にしなくて大丈夫だ。せっかくの機会だ。君も部下たちと親睦を深めてきたまえ!キャサリンのことも私が貴任を持って警護する」
「気にするっての!だいたいあんたはいっつもいっつもそうやって余裕ぶっちゃってもぅー!なに!?アタシを挑発してるわけ!?」
「なんのことだ?」
「きーーーーっ!!」
これもいい機会だと思った。
キャサリンとアギラが交際を始めてそろそろー年。
あの時の誓いを忘れていないか試してやるわ!
「いいわ……もう一度はっきりさせようじゃない。あんたがキャサリンに捧げた剣とやらで、この子を本当に守り抜けるか……!」
「なるほど……一年越しの再試験というわけか。その勝負、男として背を向けるわけにはいかんな!」
「アギラさん!?兄さんも、ちょっと落ち着いてください!」
「ふんっ!なによ!!ちょっと仲良くなって『アギラさん』なんて呼ばれるようになったからって、腑抜けて剣が鈍ってたりでもしたら即アウトよ?アウト〜!」
「無論。むしろ、この一年。愛する者を守るため、以前にも増して鍛錬には力を注いできたつもりだ!今では君を相手取ることも叶うものと信じている!」
「は……よく言った……この爽やかチキンが!素揚げにして食ってやるわぁああああ!!」
「はぁああああああああ!!」
「むっ!?」
流れるように放たれる強烈な蹴り。
そして、このキレ。
アタシが飲んでいることを抜きにしても、速い。
「しかし、甘〜〜〜〜い!!」
「ぐはぁ!?」
「魔素も纏わせてないただの蹴り一発でアタシを満足させられるとでも思ってるのかしら!?そうやって場所や周りの目を気にしてる余裕が、いつかキャサリンに傷をつけることになるのよ!このおバカ〜!!」
「ふ……たしかに、洒に飲まれるような男ではないか。ならば遠慮も無用という訳だ。どうだろう、ジョセフィーヌ?一つ賭けをしないか?」
「おもしろいじゃない。アタシが勝ったらあんたとキャサリンは即破局!絶縁よ!永遼にド田舎の果てで泣いてなさい!」
「いいだろう!ならば私が勝ったなら、キャサリンがシャムールで私と共に暮らすことを許してもらう!!」
「…………は?」
それっていわゆる同棲ってやつ?
結婚前のカップルが夫婦になった時の生活を想定して一緒に暮らすラブラブイべントってやつ?
「認めるわきゃねえだろぉ、ボケぇ!!だいたいそれじゃアタシがキャサリンと過ごす時間が減っちまうだろぅがぁああああ!!」
「キャサリンとの別れを賭けるのだ。否が応でも認めてもらう!」
普通にやり合えば実力的にまだアタシの方が上のはず。
だけど、空気に煽られたアギラのこのやる気……
酒もまだ抜けきっていないし、もしも負けでもすれば……
「この決闘を見守る全ての者たちが証人だ!私が勝てばキャサリンとの暮らしを許してもらう!あなたか勝てば、私は手を引くことを誓おう!異論はないな!?ジョセフィーヌ!!」
「ぐ……!」
ちょっとした試験のつもりが、決闘同然の様相を呈してきたもんで、会場内の皆が騒ぎに気付いて集まってきちゃったじゃない。
もしものことを考えて、この場を煙に巻いてしまうのは簡単。
でも、新団長か就任初日にそんな醜態さらしたりすれば、騎士団そのものに不借感を抱かせることにもなる……
「涼しい顔してえげつないこと考えるじゃない……アギラ。アタシが一度は認めた男だけのことはあるわね……」
「と、いうことは?」
「いいだろう……その決闘!!受けて立ぁああああつ!!」
あの子の兄として、親代わりとして、あの子の幸せだけを願って生きてきた。
漢として、絶対に負けられない闘いがここにある!
それでもアタシを倒してのけたなら、もう何も言うまい!
あんたに全てをくれてやるの
「いくぞ!アギラぁああああ!!」
「こい!ジョセフィーヌぅうううう!!」
「待ってください!!」
「――っ!?」
その時、突然アタシとアギラの問に割り込んできたキャサリンによって拳が止まる。
「危ないじゃないの、キャサリン!」
「ジョセフィーヌ兄さん!私をいつまでも子ども扱いしないでください!!」
「キャサリン、どいていてくれ。これは私とジョセフィーヌの誇りを賭けた男同士の決闘だ。何人も止めることは許されない!」
「いいえ!これは私とアギラさんの問題ですっ!アギラさん変な空気にあてられ過ぎです!」
「キャサリン……?」
「兄さんが私のことを想い、これまでずっと守ってきてくれたことはよく知っています。でも、もういいんです!いつまでも私が兄さんにおんぶにだっこされていては、兄さんが報われません!」
「……いいのよ、そんなこと。アタシはそうしたいからそうしているだけ。あなたの幸せがアタシにとっての幸せでもあるの」
「いいえ!今回は私だって引きません!もし、それが兄さんの幸せだとするなら、そんな幸せは間違ってます!私はアギラさんの幸せを願うと共に、自身もまた幸せになろうと決めました!そう思える人に初めて出会えたんです!だから、兄さんにもそう思える人を見つけて欲しい。そうして初めて兄さんは自分の人生を歩むことができるんです!」
キャサリンが私に正面切って対立している。
初めての経験。
なんだかんだ言っても、いつでもアタシを信じ、後ろをついて歩いてきたキャサリン。
いいえ。
思えば、アギラと出会ってからこの子は変わった。
アタシという烏篭から抜け出し、自分自身で幸せを見つけるために飛び立とうとしている。
なら、アタシにはもう……
「今まで守ってくれてありがとうごさいました……兄さんのおかげで、今の私がここにいます。だから、もう十分なんです。今度は、私が兄さんの幸せを願う番です……」
「……アギラ……今一度誓いなさい。この子を泣かせるような真似をしたらブッ殺す!絶対に、守り抜くと誓いなさい!!」
「おうとも!私は彼女を永速に守り抜くことを我が魂に誓う!!」
「任せたわよ……」
「兄さん……わかってくれたんですね」
「ごめんなさいね……もしかしたら、アタシのしてきたことは酷くおせっかいだったのかもしれないわ。守っているつもりが、いつまでもあなたを縛り付けていただけだった……」
「ううん……いいのよ、兄さん……だって、こうして私たちの結婚まで認めてくれたんですもの……」
そうね。
これでキャサリンもアギラと結ばれて――
ん?
「ちょっと待ちなさい、キャサリン。今、あなた『結婚』って言わなかったかしら?」
「はい、そのように。だって、アギラさんは『永遠に守り抜く』とおっしゃってくれましたので……」
「安心してくれ、ジョセフィーヌ。誓いは違えない。我が剣は必ずやキャサリンの幸せを守り抜く!」
「てめぇ!!そこまで許した覚えはねぇぞぉおお!?」
「ぐほぉ!?」
「あぁ!?アギラさん!!兄さん、一体どうしたというの!?」
後日、間も無くキャサリンはアギラとめでたく式を挙げた。
当初は式をぶち壊してやるつもりで式場に乗り込んだアタシだったけれど、それも結局起きることはなかった。
花嫁衣裳に身に包み、心からの幸せを感じ、涙するあの子を見てしまったら、そんな気なんて失せてしまったわ。
アギラもそれに胸を張って応えていた。
きっと大丈夫ね。
あの二人なら、誰もが羨むような幸せを築いてくれる。
アタシも頑張らなくちゃね。
「――って!何なのよこれ!?違ーーーーう!!こんなのアタシが予定していた幸せ発見ライフと違ーーーーう!!!!」
流れゆく日々。
団長となったアタシの日常は、早くも十五年が経過したが、自分の幸せを見つけるための道に影を落としたのは、毎日山のように机に積まれる書類たちだった。
最初の内だけだと思っていたこの憎たらしい山は、年を追うごとに巨大化し、今やアタシのデスクを埋め尽くそうとしている。
「団長……手が止まってますよ?」
「あぁん……エリオットちゃん!今や、あなただけがアタシの心のオアシス……いっそのこと、このまま二人で愛を育む永速の遠征にでも出かけちゃう?」
「これか全部片付いたらそれも考えます」
「だって!どんだけ処理しても後から後から後からポンポンポンポン上乗せされていく じゃないの!!全部燃やしちゃっても手が追いつかないわよ〜…………え!?今考えるって言ったわよね!?」
「ちなみに、団長の目の前の山の一番下に、妹さんからの手紙を挟んでおきました。書類を燃やしちゃったら、その手紙も燃えちゃうことになりますが、いいんですか?」
「手紙……キャサリンからの……はっ!?今日は太陽の日!?」
「その山を全て処理したら読んで頂いて構いません。ボクも手伝いますから、頑張りましょう」
「おっしゃぁああああ!やったろうじゃねぇかぁああああ!!」
毎月太陽の日に届けられる、愛する妹キャサリンからの手紙。
それはあの子がアギラと共にアルモニアを離れて十五年経った今も続いている。
子供が生まれ、日々すくすくと成長していること。
アギラが休暇の日には、家族みんなで近くの湖にピクニックに行くこと。
そんな幸せな日々が綴られた手紙は、唯一アタシが妹の幸せを知る手段となっていた。
でも、手紙の最後にはいつも同じ言葉が記されている。
――兄さんは自分の幸せを見つけることができましたか?
ごめんなさい、キャサリン。
あなたが願ってくれたアタシの幸せ。
それを見つけることはまだできていないの。
だって、騎士団の子たちときたら、アタシが付いてないと危なっかしすぎて、とてもじゃないけど自分のことなんて考えていられないんだもの。
でもね、最近こう思えてきたの。
忙しくて大変な毎日だけど、そんな日々の中で皆と笑い合える一瞬に感じる小さな幸せ。
そんな小さな幸せが積み重なったところに、アタシの幸せはあるのかもしれないって。
「――っしゃぁあああ!辿り着いたわよ、キャサリーーーーン!」
「お疲れ様でした。毎日これくらいの量を処埋してくれれば、終わりも見えるというものなんですけどね……」
「また生意気言っちゃって。これは愛による力なの。そして、アタシはだれかれ構わず愛を振り撒くはしたない女とは違うの……」
「僕にはよくわかりませんね……」
「あら……じゃあアタシが愛を教えてあげましょうか?」
「たった今、相手を選ぶという話をしていませんでしたか……?心から遠慮します」
「あらぁ!あなたはその辺の有象無象とは違うもの〜!ダメよ〜?自分を小さく見績もったりしたら。身体とかいろいろ大きくならないんだからね!」
この子はエリオット。
五年程前、アルモニアの路上で拾った孤児。
いろいろと事情のある子なんだけど、放っておくこともできなくて今もここに置いている。
もしかしたら、話に聞くキャサリンとアギラの子供と歳が近かったこともあったのかもしれないわね。
でも、それは決して、この子の本質を見抜いたうえでの行いではなかった。
「でも、お陰様で助かってるわ。一人じゃとてもじゃないけど処理しきれる量じゃないもの」
「いえ。僕にとっても勉強になりますから」
「ホント、いい子を拾っちゃったわ……あんたなら隊長になっても皆が文句を言うことはないでしょ。いいえ!アタシが言わせないわ!エリオットちゃんを悪く言ってるのはドコの誰!?顔面を凹ませてあげる!!」
「それも団長が組織体制の見直しに尽力してくれたからです。本来なら、僕のような子供が……しかも新参者が隊長になろうと思ったら何十年も努力しないといけないはずなのに……」
「そういう見栄やしきたりを重んじるやり方は嫌いなのよ。アルモニア音楽騎士団は違うわ。なんてったって、他でもないアタシが団長なんですもの」
アタシ自身か驚いている。
今やこの目の前の少年の実力は騎士団内でも指折り。
ずぶの素人だった子が、わずか数年でここまでの才能を発揮するなんてね。
それについては、もはや団内の全員が知るところで、明日はこの子が二番隊隊長に就任するための式が執り行われる。
十二歳の少年を隊長にすると言った時のお偉方の顔ときたら……
説得には苦労したけど、頑張った甲斐あったってもんよね。
「アルモニア音楽騎士団団長補佐エリオット。今を以て、貴公の団長補佐の任を解き、新たに二番隊隊長の任を命ずる」
「はいっ!謹んでお受けいたします!」
翌日、予定通り行われた就任式の場で、エリオットは堂々たる姿で新たな任を拝命した。
「「おぉおおおおおおおおおおお!!」」
歴代隊長の最年少記録を大きく更新した彼の隊長就任に、団員たちは大いに沸いた。
これもアタシにとっては小さな幸せの一つ。
幸せを掴み取ってみせたと、キャサリンに胸を張って言うことはまだ難しいけれど、それでも少しずつ近づいている。
キャサリンの願いが実を結ぶまで、アタシは頑張るわ。
「おめでとう。エリオット……」
そんなある日、シャムールから応援要請が届いた。
近頃、シャムールの街周辺で、正体不明の魔物の目撃例が多発していて、シャムールが総力を挙げて調査に当たってはみたものの、件の魔物を捕獲することは叶わず、原因を突き止めることができずにいるらしい。
長期問に渡り街の不安を放置するわけにもいかず、原因の究明と解決にあたり、アルモニア音楽騎士団に協力を依頼してきたってわけ。
一つ気になったのは、何故か応援部隊の指揮として、アタシが指名されていること。
でも、少し考えたら全てわかった。
シャムールでこんな事件が起きたことを知れば、遅かれ早かれアタシはキャサリンの身を案じて飛び出していく。
それこそいつかの殴り込みの時のように。
とはいえ、今やアタシは騎士団の顔である団長。
そんな真似をすれば、今度は直属部隊だけでなく、騎士団全体が動揺することでしょう。
そこで、あえてシャムール側から指名することでアタシに大義名分を与え、動きやすくする。
アタシの性格をよく知っていて、シャムールの意向に介在できる力を持つ者。
まぁ、アギラしかいないわよね。
キャサリンからの手紙では、アギラ自身はもう前線を退いて、若い人材の育成に尽力してるって話だったけど、元義勇兵団の遊撃隊隊長ともなれば、シャムールのお偉方に口添えするくらいのことは今でもできるんでしょう。
「一番隊を召集してちょうだい!要請を受け、これよりシャムール周辺の魔物の調査、討伐任務の現地へ向かうわ!」
乗せられた感があることは否めないけど、感謝するわ、アギラ。
もしかしたらキャサリンや甥の顔を見る時間もできるかもしれないしね。
でも、そんな妄想はあくまでも妄想に過ぎなかったということなのかしら。
「話と達うじゃない……どこにいるのよ、その魔物とやらは!?」
「我々にもさっぱりわからんのだ……アルモニア音楽騎士団に応援を打診した頃は、確かに魔物が周辺をうろついていた。それは調査団の報告でも確認できている」
シャムールに到着し、現地の騎士団連中に案内させながら調査に乗り出したアルモニア音楽騎士団。
でも、どれだけ探索しても、その魔物とやらの姿を発見することはできなかった。
「その魔物ってのはどんなヤツなの?」
「正直なところ謎だらけだ。姿形は様々だが、今まで見たこともないような奇妙な形をしている個体ばかり。捕獲して詳しく調査しようにも、人が近づこうとすると、すーっと煙のように姿をくらましてしまう始末だ」
「魔物が人問相手にかくれんぼってわけ?シャムール周辺のヤツらは随分と気が利くものね。おかげで退屈せずに済んでるわ」
「今のところはケガ人も物的被害も出ていない。ただ、存在していることだけは問連いないという状況だ」
「ホントにもう……気持ち悪いわね」
「まったくもってその通りだ。我々としても早急に解決したいところなのだが、なかなか成果をあげることができずにいる……」
案内役の顔を見ると、完全に参ってしまっていることがよくわかる。
ちゃっちゃと任務を済ませて、余った滞在時間でキャサリンたちとの時間を過ごそうと思っていたけど、任務を途中で放棄してそんなことするわけにはいかないし、残念だけどまたの機会になりそうね……
「アタシたちがアルモニアに帰るまで、まだ三日あるわ。その間に何としてもヤツらを見つけ出すわよ!」
「協力、感謝する!」
シャムールの人々とアルモニア音楽騎士団は連携し、徹底的に街の周辺を捜索したが、丸三日が経過しても、標的どころか、その痕跡を発見することさえできなかった。
謎は深まるばかり。
アタシたちかやってきたことで、戦力的に不利になったと見て、どこかに身を隠しているのかもしれない。
だとしても、ここまで完全に自分たちの痕跡を断つことが、魔物の知能で可能なのかしら。
「あ〜あ……結局、空振りだったわね……こんな気分でアルモニアに帰ることになるとは思ってなかったわ……最悪ね、もう……こんなにブルーになったのはいつ以来かしら?」
「これだけ探してもダメだったんです。何か進展があるのを待つしかないでしょう……」
「シャムールからも、引き統いて情報提供はしてくれると申し出があったわけですしね」
シャムール滞在最終日。
この日の調査も終了し、いよいよアルモニアへの帰路に就くまで残すところ数刻。
肩を落としなから部下たちと話すアタシの目の前では、帰投準備に駆け周る団員達の姿。
「そういえば、団長。シャムールには妹さんがいらっしゃったのでは?もう長いこと会ってないんじゃ……」
「まぁね……でも、任務も失敗しちゃったし、アタシだけウキウキしながらあの子のとこに遊びに行くわけにもいかないでしょ……」
これは自分に課した誓約。
騎士団内で最も権力を持つ団長という肩書があれば、多少仕事を部下に任せてプライベートな時間を作ることは簡単。
でも、アタシはその肩書を振りかざしたりはしない。
騎士団に所属する者たちは皆がアタシにとっての家族。
家族が一人でも頑張っている内は、アタシも役目を放って遊び呆けたりするわけにはいかない。
どのみち、甥の顔なんて見ちゃったら、戻って仕事なんてできなくなっちゃうでしょうしね。
「行ってきてくださいよ!もうあんまり時聞もないですけど、こんな機会早々あるもんじゃないですよ?」
「……気持ちは嬉しいわ。でも、アタシも帰る準備とか、シャムール
の面々に挨拶とかいろいろあるし――」
「大丈夫っすよ!団長、ずっと休み無しに騎士団のために働いてたじゃないですか!これくらいの特別休暇があっても誰も文句言いませんよ!それに、団長らしく振舞おうだなんて、姉御らしくないですよ?」
「姉御、ね……懐かしい呼び方しちゃって……でも、いくらアタシでも団長の立場ってもんが――」
「姉御も丸くなりましたね〜?らしくないっすよ?俺たちは姉御が団長になるって聞いた時、すごく嬉しかったんすよ!団長になったからって、団長らしくなってほしかったわけじゃないんす!」
「挨拶や荷造りは自分たちがやっておきます!だから行ってきてください!!」
「あんたたち……」
「ほら!どんどん時聞がなくなっちゃいますよ!!」
「もぅ……馬鹿ねぇ……団長をそそのかす団員なんて、あるまじきだわ!罰として、アルモニアに帰ったら洒樽の中で溺れさせてあげるから、覚えてらっしゃい!!」
「「いえーーーーい!!」」
部下の計らいで得られたほんのひと時の余暇の時間。
十五年ぶりにキャサリンとアギラに、そして初めて甥に会える。
馬を走らせるアタシの視界が揺ら揺らとぼやけていく。
もう歳かしらね……涙もろくなっちゃっていけないわ。
「確か……こっちの方って聞いたけど…………」
シャムール義勇兵団の屯所で聞いたアギラの家の住所。
とはいえ、不慣れな土地で目的地まで真っ直ぐ向かうということはなかなか難しい話。
焦らないように、でも、急ぎつつ目的地を目指す。
「この道を真っ直ぐ進んで、突き当たりの家ね……!」
今行くわよ、あんたたち。
まずは思い切り抱きしめて、それから――
――ズドォオオオオオオン!!
「ヒヒィイイイイイン!!」
「――っなに!?」
途端、地嗚りのように響き渡った爆音により、馬が足を止めた。
続いて同じ爆音が街のあちこちから響き渡り、ただ事ではない事態であることを告げる。
この時、アタシは二つの選択肢を迫られた。
一つ、キャサリンたちのところまで急行し、安否を確認する。
一つ、騎士団のところまで戻り、事態の把握と対応に努める。
ジョセフィーヌ個人としては前者。
アルモニア音楽騎士団団長としては後者。
迷いは延々と絡み合い、アタシの足を地に縛り付ける。
「敵兵発見!!」
「――っ!?」
直後、行く手に現れたのは、漆黒の鎧を纏った兵士たち。
それを見て、アタシは無意識の内に馬の腹を蹴っていた。
奴らが現れたのが、キャサリンの家がある方角だったことか理由だったのだろうと思う。
「おぉおおおおおおおお!!」
「な、何だこいつ……急に――ぐぁああああ!!」
問違いない。
こいつらがこの騒ぎの首謀者。
その正体は、帝国軍。
理由はともかくとして、シャムールを襲撃してきたのだ。
「キャサリィイイイイン!!」
立ちはだかる雑兵を蹴散らし、前へ前へと馬を走らせる。
「ゴァアアアアアアアア!!]
「何よ……あれ……!!」
目的の家に近づくにつれ、その家が既に半壊していること。
そして、そこにいる巨大な魔物が、何かに向けて威嚇している様子が見えてくる。
「母さんっ!!」
魔物の足元。
ちょうど家の影になって見えはしなかったが、そこから響き渡った
幼い声を閲いた途端、アタシの脳裏でブチッと何かが切れる音がした
「うぉらぁああああああああ!!」
比ベようのない体格差。
黒く、硬い鱗に確われた皮膚に刃は通るのか。
そんなこと考えるまでもなく、アタシは魔物の脳天目がけて斧を叩きつける。
「――ッグ……オォオオオオ……!!」
「キャサリン!?アギラ!?」
着地と同時に家内を見回すと、そこに見党えのある顔が。
「ジョ、ジョセフィーヌ!?よく来てくれた、友よ!!」
「アギラ!!」
ちょうど魔物と相対する形で、血だらけになりつつ弓を構えていたアギラの姿。
その背後に、背中から血を流して床に伏すキャサリンと、泣きながら彼女にすがりつく小さな子供。
「何なのよ、コイツは!?」
「わからん……!突然現れて、暴れ出した。その時、崩れた屋根からミルヴァを庇ってキャサリンが……!!」
「ミルヴァ……?」
それは手紙で伝え聞いていたキャサリンとアギラの子の名前。
すると、他でもない、キャサリンにすがるこの子供こそがミルヴァ。
実際に見るのは初めてだけど、綺麗な桃色の髪は紛れもなくキャサリンから受け継いだもの。
「とにかく、さっさと片付けるわよ!コイツだけじゃない!帝国軍も街に攻めてきてる!!」
「帝国軍が!?くっ……なんて問の悪い……!!」
「グルルルル……!!」
よくよく見て、目の前の魔物がこれまで見てきた魔物のどれとも異質なものであることがよく分かった。
竜種のようだけど、体を覆う鱗と鉱石のような皮膚。
こんな個体、見たことない。
まさか、これがシャムール駒士団が探していた例の謎の魔物ってわけ?
「やれるわね?アギラ!」
「無論だ……!キャサリンを決して傷つけないと君の前で誓っておきながら、この様……罰なら後でいくらでも背負おうというもの!今はこいつを倒すのみ!!」
「ゴォアアアアアアアア!!』
振り下ろされる巨大な爪を皮一枚のところで避け、前へと足を踏み出す。
威力はとてつもないけど、そんなどんくさい動きじゃアタシは捕まえられないわよ!
「ふんっ!!」
地を蹴り、勢いに乗った体勢のまま放たれる一撃がこめかみを捉え、僅かに竜の重心が傾いた。
「はあっ!!」
すかさず同じ場所をアギラの矢の雨が襲い、竜はそれを庇おうと翼を盾にする。
でも、それじゃ視界が遮られて、アタシの姿が見えないでしょ?
「おらぁああああああああああああ!!」
「グギャァアアアア!」
余裕をもってあらん限りの力を溜め、渾身のー撃を見舞う。
かつて、どんなに巨大で強大な魔物であろうと仕留めてきた必殺の一撃。
「どうかしら?たまんないでしょ!」
「――っまだだ!ジョセフィーヌ!!」
「グルゥアアアア!』
迂闊だった。
技を放ったがための脱力感と、経験がもたらした油断がアタシの反応を一瞬遅らせた。
「ぐっ……!?」
「ジョセフィーヌ!?」
大木のような尾が鞭のようにしなって頭上から襲い掛かり、強烈な衝撃によりアタシの身体は床板を突き抜けて沈む。
「い、痛いわね……やってくれる……じゃない……!力任せは嫌われるわよ……?」
「無事か!?」
「えぇ……なんとか。なんて硬いのかしら……」
手早く片付けてしまおうと意気込んだはいいが、予想をはるかに上回る強靭さに、アギラの顔に焦りが見え始める。
アタシも同様だった。
必殺のつもりのー撃でさえ、僅かばかりのダメージを与えることが精一杯。
これでは逆にアタシたちの体力が持たない。
しかも……
「母さん?母さん!?」
さっきからキャサリンがぐったりしたまま動かない。
出血の程からみても、かなり深手であることは間違いみたいね。
「このままじゃ……!」
「…………ジョセフィーヌ。頼みがある」
「なによ、こんな時に?」
「キャサリンとミルヴァを連れて、ここから逃げてくれ……!」
「あんた……なに言ってるの?」
意図していることは埋解できる。
戦うにしても、背に二人を庇ったまま倒せるような敵ではない。
キャサリンの治療も急がないといけない状況。
それはわかる。
でも、傷ついたアギラが一人で戦って勝てるはずはないし、どんな埋由があろうとも一人残していくような真似――
「頼む……友よ。私には二人を抱えて逃げるだけの力は残っていない。だが、君ならなんとかできるだろう……?」
「だったら二人で逃げるのよ!アタシが二人を抱えるから――」
「迫ってくるコイツをどうするつもりだ……?」
「それは……あんたが弓で牽制してくれれば……」
「はは……さっきも見ただろう。弓だけで抑え込めるならこんなことにはなってないさ。それに、帝国軍の奴らもうろついているはずだ」
「でも…………」
「大丈夫だ。私一人でもなんとか時聞くらいは稼げる。君たちがこの場を去ったら、隙を見て私も脱出する……!」
「…………くっ!!」
アギラはそう言うが、それが容易でないことは明らか。
でも、全てを選ぶことはできない。
「アギラ……忘れてないでしょうね?あんたはキャサリンを『一生守る』と誓ったのよ!?こんなところで死んだりしたら、アタシがもう一回ぶっ殺すからね!!」
「あぁ……!すぐに追いつく!二人を頼んだぞ!!」
アタシはもう振り向かなかった。
キャサリンを背負い、ミルヴァを脇に抱え、駆ける足にカを込める。
信じるしかない。
アギラの誇りと信念を。
「父さん……!!」
「ミルヴァ……母さんを頼んだぞ!」
それからの道中のことはよく覚えていない。
噛み切った唇から滴る血に気付いた時、アタシはシャムール義勇兵団の屯所にいた。
腰かけた椅子に立て掛けられた斧の刃には夥しい血が付着していて、ここに辿り着くまでに相当数の帝国兵を斬ったことはうっすらと記憶にある。
それと、思い出せることがもう一つ。
屯所に駆け込み、急いで治療を施したキャサリンが、すでに息絶えてしまっていたこと。
アタシの頭は真っ白になった。
十年以上も顔を合わせることができずにいて、ようやく会えると思ったところに待っていたこの結末。
自身の幸せを掴み取り、兄のアタシの幸せまでも願ってくれた優しいあの子はもういない。
「……う……ひっぐ…………!」
ミルヴァはアタシの膝に顔をうずめながらずっと泣いている。
この子もまた、アタシと同様、アギラにキャサリンを託された。
でも、命を賭けて託された想いを、アタシたちは酌んでやることはできなかった。
「シャムール義勇兵団の屯所はここか?コイツを頼む……」
その時、屯所に訪れた男を見て、アタシの意識は党醒した。
正確には、その男が大事に両手で抱いていたそれを見て。
「アギラ!?!?」
「え……?父さん!?父…………さん?」
男が抱いていたのは、アギラの亡骸だった。
「ミルヴァ……お前は無事だったんだな……!」
「グ、グラフィードさん!?」
ミルヴァがグラフィードと呼んだ男は、自身が先程見てきた光景を語った。
帝国軍と魔物の両方に襲撃されたシャムールの街がすでに酷い有様であること。
家で寝ていたところ、街が騒ぎになっていることに気が付き、表に出たところでアギラの家か燃えている現場に遭遇。
駆け付けはしたが、そこには巨大な魔物の死骸と、アギラの亡骸だけが残されていたこと。
あの魔物は炎を吐いたりはしなかった。
ということは、家が燃えたのは彼が自分自身の手で火を点けたということ。
幸せな思い出の詰まった家を自分で焼き払う。
それも、全ては愛する家族に生きて欲しいがため。
「俺がもっと早く駆け付けていれば結果も違ったかもしれねぇ……すまん…………すまん、ミルヴァ……!!」
「父さん……うぅ…………あぁ………………!!」
アタシは立ち上がり、ミルヴァに深々と頭を下げるグラフィードの元へと歩み寄る。
その時のアタシの心の内は、悲しみよりも、別の感情に支配されていた。
「あんた……傭兵のグラフィードね?名前くらいは聞いたことがあるわ」
「そういうあんたは……?」
「アルモニア音楽騎士団団長ジョセフィーヌよ」
「アルモニアの……?そういえば、遠征でこっちに来てたんだったか。不運だったな。出先でこんな事態に巻き込まれちまって」
「そんなことどうでもいいのよ……アタシが聞きたいのは、あんたがこれだけの騒ぎになるまで、どこで何してたかってことよ!」
力いっぱい襟元を締め上げられなからも、グラフィードは少しも抵抗しようとはしない。
やっぱり後ろめたいことがあるってわけ?
「俺は…………っ!」
「あんたがさっさと剣を振っていれば、もっと多くの人を助けられたんじゃないの!?キャサリンも!!アギラも!!!!皆が必死に戦って、守ろうとしている間、てめぇ――」
「やめてくださいっ!!」
間に割って入ってきたのは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたミルヴァだった。
「グラフィードさんは悪くありません……!ボクが……えっぐ……ボクがもっと強ければ……ひっぐ……」
「ミルヴァ…………」
この子が抱いている感情は自分のことのようによくわかる。
アタシだってそう。
キャサリンとアギラを守れなかった自分の弱さが憎い。
でも、この子はアタシとは違った。
アタシはそれをグラフィードに押し付け、現実から逃げようとしてしまったのに対し、この子は自分の弱さを認める強さをこの歳にして持っている。
「……ごめんなさい……悪気はなかったの…………」
「いや……こんな時だ。仕方ねぇさ。俺も同じようなことを考えることがあるよ…………」
「ミルヴァ……あなたにもよ。ごめんなさい…………!」
「おじさん……?」
それしか言葉にすることができなかった。
言い訳も、反省も、慰めさえも。
もっと注意深く魔物を調査していれば、何らかの兆候を得ることができていたかもしれない。
変な意地を張らず、キャサリンたちの家にすぐに向かっていれば守れたかもしれない。
たらればなんてくだらない。
終わってしまった時は還らない。
そう思っていたはずなのに、夥しい数の小さな後悔が重なり合い、大きな波となってアタシの心を揺さぶった。
その後、私は部下に引きずられるようにしてシャムールを脱出した。
最後まで抵抗を続ける姿勢を崩さなかったシャムール義勇兵団を街
に残して。
アタシもアギラの故郷を取り返さんと斧を握ったが、アルモニア音楽騎士団団長という立場は、その行為を許してはくれなかった。
ここで団長を失うようなことになれば、シャムール騎士団ばかりか、アルモニア音楽騎士団までもが崩壊してしまう。
そのことを案じた、現地の団員が、アタシの前に立ちはだかったのだ。
グラフィードは、ミルヴァをアタシに預け、シャムールの戦火の中へと消えていった。
生きているのか、死んでしまったのかもわからない。
だけど、別れ問際の彼の顔は、自分の道を見つけた。
そんな顔をしていたような気がする。
後に、数日が経って、シャムールを完全に占領した旨の告知が、帝国軍より発表された。
それはシャムール義勇兵団の壊滅と、キャサリンとアギラが幸せを築いた街が失われたことを意味していた。
「……おじさん。ボク、強くなりたいです」
「そうね……アタシももっと強くならないといけないわ……」
妹夫婦を含む、シャムールで失われた多くの命の葬儀は、所緑の深かったアルモニアの地で行われた。
アルモニア音楽騎士団の全員が通りに並び、盛大な追悼曲を街中に響き渡らせる中、参列者たちの列の一端で、ミルヴァはアタシの手を強く握りしめる。
「アン夕はこれからどうするの?」
「言った通りです。強くなります。ボクの力で、誰かを守ってあげられるように」
「アン夕は十分に強いわ。自分の弱さを認め、それでも前を向いて歩き出そうとしているんだもの。それは簡単にできることじゃないわ。その強さを教えてくれた父さんと母さんに感謝なさい」
いくつもの死と戦場を乗り越えてきたアタシでさえできないことを、こんなにも小さな少年がやってのけるなんてね。
「はい……でも、結局母さんを守ることはできませんでした……」
「それは、その心の力を現実にするだけの経験がアンタになかっただけよ」
「だったら教えてください!心の力を現実にする術を、ボクに!」
本当に強い子。
あれだけの経験をしておきながら、真っ直ぐとアタシを見る瞳の奥には、熱い信念に裏打ちされた炎が灯っているのがわかる。
そういえば、アギラもこんな目をしていたわね。
「いいわ。アタシが木気であんたに叩き込む。その心が報われるだけの漢にしてあげるわ」
「そうすれば、ボクもおじさんのようになれますか?」
「それはこれからのあんた次第。努力なさい。そして、父さんみたいないい男になるのよ?」
「はい!」
「それと、アタシはおじさんじゃない。心は乙女よ。お姉さんと呼びなさい?」
「はい!!」
この子といつか、シャムールを必す奪還して、あの子たちに見せつけてあげなきゃね。
あんたたちが育てた雛烏が、堂々と翼を広げ、希望の空を羽ばたく姿を……
何よりも大切な唯一の肉親。
アタシはあなたのために今、ここで刃を振るうわ。
「さあ、出てきなさい!アタシの妹に手を出そうだなんて命知らずは、どこのどいつかしら!?」
事はほんの数日前、楽都『アルモニア』にて起こる。
遠征でアルモニアを訪れたシャムール義勇兵団。
その中の一人が あろうことか道ですれ違ったアタシの妹に一目惚れして、声をかけた。
幼い頃からアタシが男なんて寄せ付けさせなかったから、あの子に男に免疫なんてあるわけがない。
だからこそあの子はコロッと騙されてしまい、その気になってしまった。
それは確かにアタシの不覚。
仕事であの子の傍にいられなかったことも、世問の恐ろしさを教えることを怠ってしまった。
でも、だからといって許せるはずがないじゃない!
「き、貴様!何者だ!!」
「ここがシャムール義勇兵団の屯所と知っての所業だろうな!?」
「アタシが何者かって……?見たらわかるでしょうが!!」
そう。
アタシこそ、大陸に名を馳せるアルモニア騎士団一番隊長ジョセフィーヌ!
ただし、今日のアタシは愛する妹をたぶらかし、傷つけようとする不届き者を成敗するため、遠くアルモニアから遣わされた愛の守護者!
「……カマか?」
「いや、変態だ……!」
「はぁああああ!?何ですってぇ!?!?」
許さない。
あの子だけでなく、アタシの乙女心まで踏みにじるなんて……よくも……よくも!
「あんたらも同罪よ……いいかしら?あんた達は乙女に手をあげたのよ?心無い吉葉でガラス細工のように繊細で美しい心を殴りつけたの……」
「な、何なんだこいつは……!?」
「覚悟なさいっ!アタシの……シャウトッ!!」
「ひっ――!?」
安心なさい。
死にはしないわ。
ただし、その心に刻み付ける!
乙女を傷つけた代償として、痛みと共に最大の恐怖を!
「はぁああああっ!!」
――ドゴォオオオオオオオオン!
「――っ!?」
「これ以上の狼籍は見逃すわけにはいきません……ガラス細工の美しさを語るにしては、横暴が過きるというものでしょう」
振り切られたアタシの拳を素手で受け止めたのは、見憤れない隊服に身を包んだ大鷲のガルムの男。
よくよく見ると、男とアタシの拳の間には、風の魔素で生成された障壁が存在した。
とはいえ、直接のダメージが防げたところで、アタシの拳の衝撃はちんけな降壁一つで全て吸収しきれるものじゃない。
それを受け切るだけの鍛え方はしてるってわけね。
「あんた……誰よ?」
「無論、義勇兵団の閃係者です。名高きシャムール特産のガラスを扱う職人でもあります」
「職人のくせして、少しはやるみたいだけど……それくらいでいい気になってんじゃないでしょうね?」
「まさか。アルモニア音楽騎士団、ー番隊隊長ともあろう方の全力が、この程度だとは思ってはいません」
「あら……流石ね。職人なだけはあるわ。見る目あるじゃない。それとも単にアタシのファンかしら?」
「見紛うはずもない。深紅の隊服に、雄叫びを上げて敵を薙ぎ倒す豪斧。『轟音の赤鬼』ジョセフィーヌ殿。直接お目にかかるのは初めてだが、その武勇は遠く聞き及んでいます」
「その呼ばれ方はあまり好きじゃないのよね。いかにもゴツくてむさ苦しそうな名前じゃない?で、そういうあんたはどなた様なのかしら?」
「これは失礼。名乗りが遅れました。私はシャムール義勇兵団の遊撃隊隊長を任されております、アギラという者です。なにやら屯所で暴れている者がいると部下に聞き、参上しました」
シャムール義勇兵団?
そういえばさっきからそんなこと言ってたわね。
えっと……なんだったかしら。
確か 『自分たちの芸術を守るため』とか言ってこの辺の有志が集まってできた非正規兵団だったわね。
今ではそれが転じて 『正義のために』 だとかなんとか。
「でも、まぁ……つまりはあんたもアタシを止めに来たお邪魔虫ってことでいいのよね?」
「止めに来た、というのとは少し違います。正直なところ、私一人で貴殿を完全に抑え込むとことは難しいでしょう。ですが、それはあくまで実力行使ならば、という話です」
「と、言うと?」
いちいち面倒な言い回しをする男ね……
いい加減イライラしてきたわ。
ストレスはお肌の大敵だって言うし、さっさとぶっ飛ばしちゃおうかしら。
「聞けば、貴殿は妹に言い寄った我が兵団の者を探しているとのことですが、その妹君はキャサリンという名では?」
「…………不思議ね。アタシはここで妹の名前を口にした覚えはないのだけど」
「アルモニアでキャサリン殿に声をかけたのはこの私だったというだけのことです。つまり、貴殿の目的はこの私ということになる。ならば、私さえいれぱ無聞係な仲間たちに刃を向ける理由もなくなると思うのですが……いかがでしょう?」
「へぇ……あんたがね…………」
見返りも求めないで剣を持ったその志は結構なことだけど、そんな連中がナンパに精を出してるようじゃ笑い話にもならないわ。
安心なさい、キャサリン。
あなたを毒牙にかけた悪しき男は、アタシが成敗してあげる。
所詮、男なんて女の前では飢えた狼でしかないの。
それが世界でアタシの次にプリティなあなたの前となれば、例え忠節を重んじる騎士であろうと、万人に崇められる聖人君主であろうと、一瞬で本性を剥き出しにする。
「いいわ……ちょっと表に出なさいな。直接話が付けられるならアタシも大歓迎よ」
「心遣い、痛み入る。というわけだ。全員屯所から出ることは許さん。この方は私の客人だ。いいな?」
「で、でも……アギラさんとはいえ、轟音の赤鬼を一人で相手にするのは――」
「客人だと言っている!いいな!?」
「わ、わかりました……!」
とことんくっさい男ね。
剣を捧げた場所は違っても、正義のために戦う者としての流儀は共通ってわけ?
いいわ。
すぐにその化けの皮を引っペがしてあげる。
「――んなもん知ったこっちゃねぇんだよぉおおおお!!」
「ぐ……はぁああ!?」
「アギラさん!?!?」
べラべラと薄っぺらな言葉ばかり垂れ流す、そのいけ好かない顎を完璧に捉えたわ。
「アタシの素性を知って、どうせ大したことはできないと踏んだんだろうが、お生憎様だったなあ!!」
「貴様っ!!アギラさんの誠意を無下にするつもりかっ!?」
「黙ってろ、三下ぁ!知ったこっちゃねえんだよ!アタシにとっては愛する妹こそが第一!何よりの正義!騎士の誇りも礼節も、遥か彼方に置き去りにしてここに来てんだ!いい加減に悟れやぁ!!」
「っち……皆で取り囲めの所詮は多勢に無勢だ!!」
「やめろ!!」
「ア、アギラさん……!」
「手出し無用!これは私とジョセフィーヌ殿との問題だ!」
軽〜く五メートルは吹き飛ばされておいて、それでも立ち上がろうってわけ?
そりゃ、仲問の前で簡単にやられるわけにはいかないものね。
まあ、これで少しはやる気になったのならいいわ。
一方的に攻めるのは嫌いじゃないけど、すまし顔のまま逝かれるのは大嫌いなのよね……!
「仲問の手前、カッコつけてるとこ悪いけど、膝が笑ってるわよ?いいから全力でかかってきなさい。あの世まで返り討ちにしてあげるから」
「殺すつもりなら今の一撃でそうしていたはず……そうしなかったということは、何か狙いがあってのことでは……?」
「減らず口も大慨にしなさいよ?あんたなんて斧を振るうまでもないと思っただけのことよ。それを今から証明してあげるわ」
なんてことを言ってはみたけど、この男か言ったことは的を得ている。
アタシの目的は『殺し』じゃない。
あくまで、妹に仇なす者を成敗すること。
「ふんっ!!」
もし仮に、心からキャサリンと愛し合う男が現れたとして、その男とあの子の未来に待ち受ける結果が、あの子が傷つくようなものだとしたら、そんな一時の幸せなんて得ない方がマシ。
「どりゃぁああ!」
ましてや、アタシの拳で簡単に音を上げるような軟弱な男に、あの子と真に幸せな人生を築くことなんてできるはずがない。
これまでだってそうだった。
「うぉらぁああああああああ!!」
薄っぺらな愛を語って、妹に近づこうとする男は皆そう。
何があっても幸せにしてみせる?
一生あの子を守り抜く?
あの子に誓ったはずのそんな台詞を、アタシを前にして言い続けられた男なんていやしなかった。
「ふんぬぅうううううううううううう!!」
だというのに、どうしてこの男は立ち上がってこられる。
これだけアタシの拳を受け続けても、瞳の奥で燃える炎はこれっぽっちも衰えちゃいない。
「ど……どうしました……もう満足しま……したか……?」
明らかに違う。
これまであの子に近づこうとした有象無象とは。
「…………いいわ。話くらいは閲いてあげようじゃない。あんた、遠征でこっちに来た時にアタシの妹をナンパしたんですってね。大切なお仕事をほっぽりだしてまで女に現を抜かすなんて、あるまじき行為なんじゃない?義勇兵団とやらは見せかけだけの正義マンごっこだったってわけかしら?」
「そう……ですね…………自分でも、何故あのような行動を取ったのか……今でも理解できません…………しかし、これだけは確かです。私はキャサリン殿をー目で愛し、幸せにしたいと心から願ってしまった!」
「な……!?」
「相手がキャサリン殿の兄君であろうとも、ここは譲るわけにはいかない!まだ気が済まないと言うのであれば、何度でも拳を振るうと良い!だか、これだけは覚えておいていただきたい!我が剣はすでにキャサリン殿に捧げた!例えその斧でこの首が刎ねられることになろうとも、ー度捧げた剣を曲げるような真似は絶対にしてなるものか!!」
「…………」
アタシとしてことが、言葉を失ってしまった。
このアギラという男なら、もしかすると――
「――っ!?危ないっ!!」
その声でハッと我に返り、身を翻すと、猛スピードでー台の馬車が突っ込んできた。
でも、馬車に突っ込まれた程度で逝ける身休なら、アルモニア音楽騎士団の隊長なんて張ってないのよねえ。
「ふんっ!!!!もう……危ないじゃない!!」
アタシは馬車から飛び確りてくる人物を目にして、驚きを隠すことができなかったわ。
馬車を受け止めたアタシに目を丸くしている御者なんて、比較にならない程にね。
「ジョセフィーヌ兄さんっ!!」
「キャ、キャサリン!?どうしてあなたがここに!?」
「騎士団の方々から閲きましたの!兄さんがアギラ様を追いかけてシャムールへ向かったと!」
「だからって、あなた護衛も付けずに――」
「アギラ様!?」
話の途中だというのに、あの男の姿を見た途端に駆け出すキャサリン。
あなたという子は、もうそんなにも彼のことが……
「ご無事ですか!?ああ……こんなにも血を流して……私の兄が本当に申し訳ありませんっ!」
「キャ、キャサリン殿……よいのです。兄君は、あなたを想うがために、私の元を一人訪れ、真価を試そうとしただけに過ぎないのですから」
「だからといって……早く治療を……!」
「心配は無用です。あなたの顔を見た途端、痛みなど忘れてしまいました。あなたの姿、声こそが、私にとっての何よりの癒し。どうか笑ってください。愛する妹のために全てを投げ捨て突き進む兄君と、こんな不器用な形でしかあなたへの想いを証明できない私のことを」
「……ふふ。あなた様がそう望むのであれば、キャサリンはいくらでも笑いますわ」
「おぉ……身休の内から力が湧いてくるのを感じます。やはり、あなたは私にとっての女神だったのですね。キャサリン殿……」
「アギラ様……」
「黙れ〇〇〇野郎が!その〇〇臭い手をすぐキャサリンから離せぇええええ!」
なによこれ。
なんなのよこれ。
前回アルモニアで顔を合わせて、今日がまだ二回目。
それなのに、もうお互いの全てを信じ、完全に通じ合っています的な空気。
許すまじ。
あぁ、許すまじ。
キャサリン。
すぐにでもこの男の正体を暴いて、あなたの目を覚まさせてあげる!
「まだ認めては頂けないようですね……いいでしょう!ならば私も拳をもって、貴殿にキャサリンとの愛を理解してもらうのみ!」
「よく言ったぁああああ!!二度と立てないように捻り漬してやるわぁああああああああ!!」
――二日後
「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ…………」
「はぁ……はぁ…………ま……まだ……だ……!」
「二人共のもうやめてくださいませ!!」
キャサリンを賭けたアギラとの男同士――じゃなかった!
女と男と戦いは、二昼夜に及んで続いた。
互いにー歩も引かす、拳の交換を続けてはいたけど、それは最初のうちだけ。
やっぱりアタシの拳に敵う男なんて、そう易々と見つかるわけがなかった。
でも……それでも……
「な……何で……これだけやられても立ってこられるのよ!?あんたは!!」
「……全ては……キャサリン殿に捧げた……我が愛のため…………例えこの身が引きちぎれようとも…………彼女が見守ってくれている限り……この心が折れることはない!」
「あんた……」
「アギラ様……!」
こんな男に出会えるなんてね。
最愛の妹ながら、良い眼をしてるわ。
認めましょう。
この男なら本当にキャサリンを幸せにしてくれるかもしれない。
アギラに寄り添うキャサリン。
その絵は、まさに「お似合い」で、こんなにもアタシの心を震わせるんだもの。
「いいわ……その根性とキャサリンの気持ちに免じて、交際を認めてあげる」
「おぉ……感謝しますぞ!ジョセフィーヌ殿!いや、ジョセフィーヌ兄さんとお呼びしたい!!」
「そこまで許した覚えはないわよっ!!それに、もし!キャサリンを傷つけるような真似をー度でもしてみなさい!?その時は、アタシが絶対にあんたを許さないから!いいわね!?アギラ!!」
「あぁ……承知した!!」
「それよりも兄さん!今回の件、騎士団ヘはどのように報告するおつもりですか!?シャムール義勇兵団の方々にここまで無礼を働いてしまった以上、タダでは済まされませんわよ!!」
「そ、それは…………」
「構いません。仲間たちには私が口止めしておきます。あくまで、私とジョセフィーヌ殿の間に置ける個人的な問題であったと。ですので、ジョセフィーヌ殿はアルモニア音楽騎士団の方々に同じように報告してもらえれば、それで事は収まるかと」
「アギラ様……何から何まで中し訳ありません。もう二度とこのようなことがないよう、兄には私が責任を持って言いつけておきますので、どうかお許しを……」
「あなたは私が愛する家族も同然の方。となれば、その兄君であるジョセフィーヌ殿も私の家族。平和を守ること以上に、家族を守ることに理由が必要でしょうか?」
「ありがとうごさいます……!」
「ごらぁああああ!そこっ!二人の世界に入ってんじゃねえぞ!?調子に乗りやがって、このガキャーー!!」
「もうっ!少しは兄さんもわきまえてください!ほら、兄さんも頭を下げて!!」
「あ……ヤダっ!ちょっとキャサリン……無埋やりだなんて……」
てっきりキャラ作りかと思ってたけど、この男本物だわ。
くそ真面目なのに天然とかいう一番めんどくさいタイプ。
しっかり監視しておかないと何をしでかすかわかったもんじゃないわね。
「はははっ!では、これからよろしく頼む。ジョセフィーヌ殿。共にキャサリン殿を守り抜こうではないか!」
「いきなりタメロだなんて、馴れ馴れしいわね。ほんっと、手の速い男だこと……まあ、いいわ。堅苦しいのはアタシもゴメンだし。あ、あと 『殿』も付けなくていいわ。どうせ何かつけるなら可愛らしく『ちゃん』とかにしてくれるかしら?」
「感謝する。ジョセフィーヌ殿。では、共に守っていこう!キャサリンちゃんを!」
「そっちじゃないわよ!!」
「な、なぜ怒る!?『ちゃん』とは若い女牲に用いられる敬称で、キャサリン殿をそう呼ぶように指示されたものと解釈したのだが、違ったのか!?まさかジョセフィーヌ殿を 『ちゃん』 付けで呼べというわけではあるまい!?」
「あーーーーー!!やっぱ嫌いのアタシこいつ嫌いよ!!」
「兄さん!!いい加減にしてくださいっ!!」
その後、アタシはキャサリンに連れられてアルモニアへと帰還。
到着直後に騎士団からの呼び出しを受け、今回の一件についての釈明を求められた。
少し意外だったのは、アタシヘのお咎めが全くといっていいほどなかったこと。
団長から注意こそ受けたものの、当のシャムール義勇兵団からは抗議どころか『今後もより良い聞係を』なんて書簡が届いたもんだから、部下たちへの体面もあってか、重い処分を科することは難しかったのでしょうね。
キャサリンは喜んでいたけれど、それがアギラの口添えあってのものだと考えると、少し複雑な気持ちにはなる。
とはいえ、これがきっかけとなり、彼らとの閘に軋轢が生まれようものなら、キャサリンは大手を振ってアギラと顔を合わせることすらできなくなるわけで、それはあの子がひどく悲しむ。
だから、今回の事に関してはアギラに感謝しなくてはいけない。
仮にもアタシが認めた男だしね。
そうして本件は一件落着。
アタシとアギラは、共に妹を愛す、良き友人となったわけ。
ちょっと悔しいわね……
シャムールでの一件から一年。
アタシがアルモニア音楽騎士団団長に就任することか決まった。
前団長がいい歳になってきたもんで、後継者を指名するとか言い始めたのが始まりで、後継者を決める会議で満場一致の支持を受けたのがアタシ。
めんどくさそうな書類仕事に追われるのはお肌にも悪そうだから断ろうかと思ってたのだけど、このことをキャサリンに話すと大喜び。
最前線で戦っていたアタシをずっと心配してくれていたのね。
だからこそ、アタシは前線からー歩身を引く決心をした。
それで少しでもあの子か安心してくれるなら、書類の山の処埋くらい安い手問ってもんよね。
「ジョセフィーヌ。団長就任おめでとう!君が団長ならば皆も安心することだろう!」
「兄さん。おめでとうございます。これで少しは気を休めることもできそうですわ」
式典衣装に着替え、会場へと向かう途中、廊下でアタシを待っていたのはアギラとキャサリンの二人だった。
来賓として招いたのだけど、二人揃って気が早いこと。
「ん〜!ありがとう、キャサリン!もうあなたに心配かけないようにアタシ頑張るわね!アギラの式典中、アタシの監視がないのを良いことにキャサリンとイチャついたりしたらタダじゃおかないから……ね?」
「もうっ!兄さんってば!!」
「ははは!わかってるさ!むしろ変な虫が付かないよう心して警護しなくてはね」
「いやですわ、アギラさん。兄さんの前で……」
「そこっ!!!!イチャつくなって言ってんのよ!!!!」
「おっと、もう式が始まってしまう!急がなくては!」
「ちょっと!?わかってるの!?ねえ!?ホントにわかってるんでしょうね!?」
「ほら!兄さん、急いで!!」
その後、式典はつつがなく執り行われた。
「アルモニア音楽騎士団一番隊隊長ジョセフィーヌ。今を以て、貴公の一番隊隊長の任を解き、新たに騎士団長の任を命ずる」
「はっ!謹んでお受けいたします!」
アルモニア音楽騎士団の新団長の誕生を受け、式典に出席してくれた面々か盛大な拍手をアタシに浴びせてくれた。
「姉御!いや、団長の昇進おめでとうございます!!」
「あんなことまでやらかしておいて、団長にまで昇り詰めちまうだなんて、流石っすね!!」
「お姉さま!これからも騎士団をよろしくね〜!!」
「団長になっても私たちのジョセフィーヌ様でいてね〜!」
主に騒がしいのは団員たちで、その様子に騎士団外からの出席者が圧倒されているのがわかる。
「ちょっとあんたたち〜?まだ就任式は終わってないんだから、少しは礼節ってものをわきまえなさい!!」
形式ばった重苦しい空気は一変、あっけらかんとした暖かい空気に包まれる会場。
これには前団長もやれやれといった様子。
うちの騎士団にはこっちのが合ってるものね。
そんな雰囲気をそのままに、式典後のパーティーへと移る会場。
「すごい人気だったな……『ジョセフィーヌ』の名は私たちの故郷でも聞き及ぶところではあるが、ここまでとは思わなかった」
「兄さんは私の事となるとああですけど、仲問想いで、人望が厚いと聞いていますわ。それだけに無茶をすることも多くて、私もハラハラすることが多々ありました!!」
「は〜い!そんな妹想いで、仲間想いのジョセフィーヌさんの登場よ〜!残念だけど、二人っきりの時間はこ・こ・ま・で!今夜はアタシが主役なの!」
「おぉ、ジョセフィーヌ!丁度君の話をしていたところだ」
「兄さん……お酒臭い……それに、そのお連れの方たちは……」
「ん〜??」
ほんの数本ワインを空けてから、急いで二人のところにきたつもりだったのだけど、背中にしがみついたまま離れない部下達に気付かないまま引きずってきてしまってたみたいで。
「何よあんたたち!アタシはこれから愛する妹と兄妹水入らずの時間を過ごすのよ!!あっちへお行きっ!!
「ひっどいっすよ、姉御〜!これから任務でご一緒する機会も減っちまうんですよ〜?」
「そうっすよ!俺たちと思い出話でもしながら盛り上がりましょうよ〜!!」
「嫌よ!!なんであんたらみたいなむさ苦しい男共に囲まれて洒飲まなきゃいけないのよ!一緒に飲みたけりゃ王子様系のイケメンでも引っ張ってきなさいのなんならアタシの拳で今すぐ美しい顔に整形してあげようかしら!?」
「姉御のいけず〜!飲みましょうよ〜!!」
「んもうっ!剣を振ることばっかりでパーティー一慣れしてない子はこれだからのあ、ほら!あそこにダンスの相手を探してる子猫ちゃんたちがいるわよ!アタシほどじゃないけど、そこそこイケてるわね!」
「なにぃ!?おい、行くぞ!!」
「おうよ!!」
しがみ付いて離さなかった部下たちを何とか振り払うアタシを楽しそうに笑いながら、アギラがこんなことを口にする。
「はははは!私たちのことは気にしなくて大丈夫だ。せっかくの機会だ。君も部下たちと親睦を深めてきたまえ!キャサリンのことも私が貴任を持って警護する」
「気にするっての!だいたいあんたはいっつもいっつもそうやって余裕ぶっちゃってもぅー!なに!?アタシを挑発してるわけ!?」
「なんのことだ?」
「きーーーーっ!!」
これもいい機会だと思った。
キャサリンとアギラが交際を始めてそろそろー年。
あの時の誓いを忘れていないか試してやるわ!
「いいわ……もう一度はっきりさせようじゃない。あんたがキャサリンに捧げた剣とやらで、この子を本当に守り抜けるか……!」
「なるほど……一年越しの再試験というわけか。その勝負、男として背を向けるわけにはいかんな!」
「アギラさん!?兄さんも、ちょっと落ち着いてください!」
「ふんっ!なによ!!ちょっと仲良くなって『アギラさん』なんて呼ばれるようになったからって、腑抜けて剣が鈍ってたりでもしたら即アウトよ?アウト〜!」
「無論。むしろ、この一年。愛する者を守るため、以前にも増して鍛錬には力を注いできたつもりだ!今では君を相手取ることも叶うものと信じている!」
「は……よく言った……この爽やかチキンが!素揚げにして食ってやるわぁああああ!!」
「はぁああああああああ!!」
「むっ!?」
流れるように放たれる強烈な蹴り。
そして、このキレ。
アタシが飲んでいることを抜きにしても、速い。
「しかし、甘〜〜〜〜い!!」
「ぐはぁ!?」
「魔素も纏わせてないただの蹴り一発でアタシを満足させられるとでも思ってるのかしら!?そうやって場所や周りの目を気にしてる余裕が、いつかキャサリンに傷をつけることになるのよ!このおバカ〜!!」
「ふ……たしかに、洒に飲まれるような男ではないか。ならば遠慮も無用という訳だ。どうだろう、ジョセフィーヌ?一つ賭けをしないか?」
「おもしろいじゃない。アタシが勝ったらあんたとキャサリンは即破局!絶縁よ!永遼にド田舎の果てで泣いてなさい!」
「いいだろう!ならば私が勝ったなら、キャサリンがシャムールで私と共に暮らすことを許してもらう!!」
「…………は?」
それっていわゆる同棲ってやつ?
結婚前のカップルが夫婦になった時の生活を想定して一緒に暮らすラブラブイべントってやつ?
「認めるわきゃねえだろぉ、ボケぇ!!だいたいそれじゃアタシがキャサリンと過ごす時間が減っちまうだろぅがぁああああ!!」
「キャサリンとの別れを賭けるのだ。否が応でも認めてもらう!」
普通にやり合えば実力的にまだアタシの方が上のはず。
だけど、空気に煽られたアギラのこのやる気……
酒もまだ抜けきっていないし、もしも負けでもすれば……
「この決闘を見守る全ての者たちが証人だ!私が勝てばキャサリンとの暮らしを許してもらう!あなたか勝てば、私は手を引くことを誓おう!異論はないな!?ジョセフィーヌ!!」
「ぐ……!」
ちょっとした試験のつもりが、決闘同然の様相を呈してきたもんで、会場内の皆が騒ぎに気付いて集まってきちゃったじゃない。
もしものことを考えて、この場を煙に巻いてしまうのは簡単。
でも、新団長か就任初日にそんな醜態さらしたりすれば、騎士団そのものに不借感を抱かせることにもなる……
「涼しい顔してえげつないこと考えるじゃない……アギラ。アタシが一度は認めた男だけのことはあるわね……」
「と、いうことは?」
「いいだろう……その決闘!!受けて立ぁああああつ!!」
あの子の兄として、親代わりとして、あの子の幸せだけを願って生きてきた。
漢として、絶対に負けられない闘いがここにある!
それでもアタシを倒してのけたなら、もう何も言うまい!
あんたに全てをくれてやるの
「いくぞ!アギラぁああああ!!」
「こい!ジョセフィーヌぅうううう!!」
「待ってください!!」
「――っ!?」
その時、突然アタシとアギラの問に割り込んできたキャサリンによって拳が止まる。
「危ないじゃないの、キャサリン!」
「ジョセフィーヌ兄さん!私をいつまでも子ども扱いしないでください!!」
「キャサリン、どいていてくれ。これは私とジョセフィーヌの誇りを賭けた男同士の決闘だ。何人も止めることは許されない!」
「いいえ!これは私とアギラさんの問題ですっ!アギラさん変な空気にあてられ過ぎです!」
「キャサリン……?」
「兄さんが私のことを想い、これまでずっと守ってきてくれたことはよく知っています。でも、もういいんです!いつまでも私が兄さんにおんぶにだっこされていては、兄さんが報われません!」
「……いいのよ、そんなこと。アタシはそうしたいからそうしているだけ。あなたの幸せがアタシにとっての幸せでもあるの」
「いいえ!今回は私だって引きません!もし、それが兄さんの幸せだとするなら、そんな幸せは間違ってます!私はアギラさんの幸せを願うと共に、自身もまた幸せになろうと決めました!そう思える人に初めて出会えたんです!だから、兄さんにもそう思える人を見つけて欲しい。そうして初めて兄さんは自分の人生を歩むことができるんです!」
キャサリンが私に正面切って対立している。
初めての経験。
なんだかんだ言っても、いつでもアタシを信じ、後ろをついて歩いてきたキャサリン。
いいえ。
思えば、アギラと出会ってからこの子は変わった。
アタシという烏篭から抜け出し、自分自身で幸せを見つけるために飛び立とうとしている。
なら、アタシにはもう……
「今まで守ってくれてありがとうごさいました……兄さんのおかげで、今の私がここにいます。だから、もう十分なんです。今度は、私が兄さんの幸せを願う番です……」
「……アギラ……今一度誓いなさい。この子を泣かせるような真似をしたらブッ殺す!絶対に、守り抜くと誓いなさい!!」
「おうとも!私は彼女を永速に守り抜くことを我が魂に誓う!!」
「任せたわよ……」
「兄さん……わかってくれたんですね」
「ごめんなさいね……もしかしたら、アタシのしてきたことは酷くおせっかいだったのかもしれないわ。守っているつもりが、いつまでもあなたを縛り付けていただけだった……」
「ううん……いいのよ、兄さん……だって、こうして私たちの結婚まで認めてくれたんですもの……」
そうね。
これでキャサリンもアギラと結ばれて――
ん?
「ちょっと待ちなさい、キャサリン。今、あなた『結婚』って言わなかったかしら?」
「はい、そのように。だって、アギラさんは『永遠に守り抜く』とおっしゃってくれましたので……」
「安心してくれ、ジョセフィーヌ。誓いは違えない。我が剣は必ずやキャサリンの幸せを守り抜く!」
「てめぇ!!そこまで許した覚えはねぇぞぉおお!?」
「ぐほぉ!?」
「あぁ!?アギラさん!!兄さん、一体どうしたというの!?」
後日、間も無くキャサリンはアギラとめでたく式を挙げた。
当初は式をぶち壊してやるつもりで式場に乗り込んだアタシだったけれど、それも結局起きることはなかった。
花嫁衣裳に身に包み、心からの幸せを感じ、涙するあの子を見てしまったら、そんな気なんて失せてしまったわ。
アギラもそれに胸を張って応えていた。
きっと大丈夫ね。
あの二人なら、誰もが羨むような幸せを築いてくれる。
アタシも頑張らなくちゃね。
「――って!何なのよこれ!?違ーーーーう!!こんなのアタシが予定していた幸せ発見ライフと違ーーーーう!!!!」
流れゆく日々。
団長となったアタシの日常は、早くも十五年が経過したが、自分の幸せを見つけるための道に影を落としたのは、毎日山のように机に積まれる書類たちだった。
最初の内だけだと思っていたこの憎たらしい山は、年を追うごとに巨大化し、今やアタシのデスクを埋め尽くそうとしている。
「団長……手が止まってますよ?」
「あぁん……エリオットちゃん!今や、あなただけがアタシの心のオアシス……いっそのこと、このまま二人で愛を育む永速の遠征にでも出かけちゃう?」
「これか全部片付いたらそれも考えます」
「だって!どんだけ処理しても後から後から後からポンポンポンポン上乗せされていく じゃないの!!全部燃やしちゃっても手が追いつかないわよ〜…………え!?今考えるって言ったわよね!?」
「ちなみに、団長の目の前の山の一番下に、妹さんからの手紙を挟んでおきました。書類を燃やしちゃったら、その手紙も燃えちゃうことになりますが、いいんですか?」
「手紙……キャサリンからの……はっ!?今日は太陽の日!?」
「その山を全て処理したら読んで頂いて構いません。ボクも手伝いますから、頑張りましょう」
「おっしゃぁああああ!やったろうじゃねぇかぁああああ!!」
毎月太陽の日に届けられる、愛する妹キャサリンからの手紙。
それはあの子がアギラと共にアルモニアを離れて十五年経った今も続いている。
子供が生まれ、日々すくすくと成長していること。
アギラが休暇の日には、家族みんなで近くの湖にピクニックに行くこと。
そんな幸せな日々が綴られた手紙は、唯一アタシが妹の幸せを知る手段となっていた。
でも、手紙の最後にはいつも同じ言葉が記されている。
――兄さんは自分の幸せを見つけることができましたか?
ごめんなさい、キャサリン。
あなたが願ってくれたアタシの幸せ。
それを見つけることはまだできていないの。
だって、騎士団の子たちときたら、アタシが付いてないと危なっかしすぎて、とてもじゃないけど自分のことなんて考えていられないんだもの。
でもね、最近こう思えてきたの。
忙しくて大変な毎日だけど、そんな日々の中で皆と笑い合える一瞬に感じる小さな幸せ。
そんな小さな幸せが積み重なったところに、アタシの幸せはあるのかもしれないって。
「――っしゃぁあああ!辿り着いたわよ、キャサリーーーーン!」
「お疲れ様でした。毎日これくらいの量を処埋してくれれば、終わりも見えるというものなんですけどね……」
「また生意気言っちゃって。これは愛による力なの。そして、アタシはだれかれ構わず愛を振り撒くはしたない女とは違うの……」
「僕にはよくわかりませんね……」
「あら……じゃあアタシが愛を教えてあげましょうか?」
「たった今、相手を選ぶという話をしていませんでしたか……?心から遠慮します」
「あらぁ!あなたはその辺の有象無象とは違うもの〜!ダメよ〜?自分を小さく見績もったりしたら。身体とかいろいろ大きくならないんだからね!」
この子はエリオット。
五年程前、アルモニアの路上で拾った孤児。
いろいろと事情のある子なんだけど、放っておくこともできなくて今もここに置いている。
もしかしたら、話に聞くキャサリンとアギラの子供と歳が近かったこともあったのかもしれないわね。
でも、それは決して、この子の本質を見抜いたうえでの行いではなかった。
「でも、お陰様で助かってるわ。一人じゃとてもじゃないけど処理しきれる量じゃないもの」
「いえ。僕にとっても勉強になりますから」
「ホント、いい子を拾っちゃったわ……あんたなら隊長になっても皆が文句を言うことはないでしょ。いいえ!アタシが言わせないわ!エリオットちゃんを悪く言ってるのはドコの誰!?顔面を凹ませてあげる!!」
「それも団長が組織体制の見直しに尽力してくれたからです。本来なら、僕のような子供が……しかも新参者が隊長になろうと思ったら何十年も努力しないといけないはずなのに……」
「そういう見栄やしきたりを重んじるやり方は嫌いなのよ。アルモニア音楽騎士団は違うわ。なんてったって、他でもないアタシが団長なんですもの」
アタシ自身か驚いている。
今やこの目の前の少年の実力は騎士団内でも指折り。
ずぶの素人だった子が、わずか数年でここまでの才能を発揮するなんてね。
それについては、もはや団内の全員が知るところで、明日はこの子が二番隊隊長に就任するための式が執り行われる。
十二歳の少年を隊長にすると言った時のお偉方の顔ときたら……
説得には苦労したけど、頑張った甲斐あったってもんよね。
「アルモニア音楽騎士団団長補佐エリオット。今を以て、貴公の団長補佐の任を解き、新たに二番隊隊長の任を命ずる」
「はいっ!謹んでお受けいたします!」
翌日、予定通り行われた就任式の場で、エリオットは堂々たる姿で新たな任を拝命した。
「「おぉおおおおおおおおおおお!!」」
歴代隊長の最年少記録を大きく更新した彼の隊長就任に、団員たちは大いに沸いた。
これもアタシにとっては小さな幸せの一つ。
幸せを掴み取ってみせたと、キャサリンに胸を張って言うことはまだ難しいけれど、それでも少しずつ近づいている。
キャサリンの願いが実を結ぶまで、アタシは頑張るわ。
「おめでとう。エリオット……」
そんなある日、シャムールから応援要請が届いた。
近頃、シャムールの街周辺で、正体不明の魔物の目撃例が多発していて、シャムールが総力を挙げて調査に当たってはみたものの、件の魔物を捕獲することは叶わず、原因を突き止めることができずにいるらしい。
長期問に渡り街の不安を放置するわけにもいかず、原因の究明と解決にあたり、アルモニア音楽騎士団に協力を依頼してきたってわけ。
一つ気になったのは、何故か応援部隊の指揮として、アタシが指名されていること。
でも、少し考えたら全てわかった。
シャムールでこんな事件が起きたことを知れば、遅かれ早かれアタシはキャサリンの身を案じて飛び出していく。
それこそいつかの殴り込みの時のように。
とはいえ、今やアタシは騎士団の顔である団長。
そんな真似をすれば、今度は直属部隊だけでなく、騎士団全体が動揺することでしょう。
そこで、あえてシャムール側から指名することでアタシに大義名分を与え、動きやすくする。
アタシの性格をよく知っていて、シャムールの意向に介在できる力を持つ者。
まぁ、アギラしかいないわよね。
キャサリンからの手紙では、アギラ自身はもう前線を退いて、若い人材の育成に尽力してるって話だったけど、元義勇兵団の遊撃隊隊長ともなれば、シャムールのお偉方に口添えするくらいのことは今でもできるんでしょう。
「一番隊を召集してちょうだい!要請を受け、これよりシャムール周辺の魔物の調査、討伐任務の現地へ向かうわ!」
乗せられた感があることは否めないけど、感謝するわ、アギラ。
もしかしたらキャサリンや甥の顔を見る時間もできるかもしれないしね。
でも、そんな妄想はあくまでも妄想に過ぎなかったということなのかしら。
「話と達うじゃない……どこにいるのよ、その魔物とやらは!?」
「我々にもさっぱりわからんのだ……アルモニア音楽騎士団に応援を打診した頃は、確かに魔物が周辺をうろついていた。それは調査団の報告でも確認できている」
シャムールに到着し、現地の騎士団連中に案内させながら調査に乗り出したアルモニア音楽騎士団。
でも、どれだけ探索しても、その魔物とやらの姿を発見することはできなかった。
「その魔物ってのはどんなヤツなの?」
「正直なところ謎だらけだ。姿形は様々だが、今まで見たこともないような奇妙な形をしている個体ばかり。捕獲して詳しく調査しようにも、人が近づこうとすると、すーっと煙のように姿をくらましてしまう始末だ」
「魔物が人問相手にかくれんぼってわけ?シャムール周辺のヤツらは随分と気が利くものね。おかげで退屈せずに済んでるわ」
「今のところはケガ人も物的被害も出ていない。ただ、存在していることだけは問連いないという状況だ」
「ホントにもう……気持ち悪いわね」
「まったくもってその通りだ。我々としても早急に解決したいところなのだが、なかなか成果をあげることができずにいる……」
案内役の顔を見ると、完全に参ってしまっていることがよくわかる。
ちゃっちゃと任務を済ませて、余った滞在時間でキャサリンたちとの時間を過ごそうと思っていたけど、任務を途中で放棄してそんなことするわけにはいかないし、残念だけどまたの機会になりそうね……
「アタシたちがアルモニアに帰るまで、まだ三日あるわ。その間に何としてもヤツらを見つけ出すわよ!」
「協力、感謝する!」
シャムールの人々とアルモニア音楽騎士団は連携し、徹底的に街の周辺を捜索したが、丸三日が経過しても、標的どころか、その痕跡を発見することさえできなかった。
謎は深まるばかり。
アタシたちかやってきたことで、戦力的に不利になったと見て、どこかに身を隠しているのかもしれない。
だとしても、ここまで完全に自分たちの痕跡を断つことが、魔物の知能で可能なのかしら。
「あ〜あ……結局、空振りだったわね……こんな気分でアルモニアに帰ることになるとは思ってなかったわ……最悪ね、もう……こんなにブルーになったのはいつ以来かしら?」
「これだけ探してもダメだったんです。何か進展があるのを待つしかないでしょう……」
「シャムールからも、引き統いて情報提供はしてくれると申し出があったわけですしね」
シャムール滞在最終日。
この日の調査も終了し、いよいよアルモニアへの帰路に就くまで残すところ数刻。
肩を落としなから部下たちと話すアタシの目の前では、帰投準備に駆け周る団員達の姿。
「そういえば、団長。シャムールには妹さんがいらっしゃったのでは?もう長いこと会ってないんじゃ……」
「まぁね……でも、任務も失敗しちゃったし、アタシだけウキウキしながらあの子のとこに遊びに行くわけにもいかないでしょ……」
これは自分に課した誓約。
騎士団内で最も権力を持つ団長という肩書があれば、多少仕事を部下に任せてプライベートな時間を作ることは簡単。
でも、アタシはその肩書を振りかざしたりはしない。
騎士団に所属する者たちは皆がアタシにとっての家族。
家族が一人でも頑張っている内は、アタシも役目を放って遊び呆けたりするわけにはいかない。
どのみち、甥の顔なんて見ちゃったら、戻って仕事なんてできなくなっちゃうでしょうしね。
「行ってきてくださいよ!もうあんまり時聞もないですけど、こんな機会早々あるもんじゃないですよ?」
「……気持ちは嬉しいわ。でも、アタシも帰る準備とか、シャムール
の面々に挨拶とかいろいろあるし――」
「大丈夫っすよ!団長、ずっと休み無しに騎士団のために働いてたじゃないですか!これくらいの特別休暇があっても誰も文句言いませんよ!それに、団長らしく振舞おうだなんて、姉御らしくないですよ?」
「姉御、ね……懐かしい呼び方しちゃって……でも、いくらアタシでも団長の立場ってもんが――」
「姉御も丸くなりましたね〜?らしくないっすよ?俺たちは姉御が団長になるって聞いた時、すごく嬉しかったんすよ!団長になったからって、団長らしくなってほしかったわけじゃないんす!」
「挨拶や荷造りは自分たちがやっておきます!だから行ってきてください!!」
「あんたたち……」
「ほら!どんどん時聞がなくなっちゃいますよ!!」
「もぅ……馬鹿ねぇ……団長をそそのかす団員なんて、あるまじきだわ!罰として、アルモニアに帰ったら洒樽の中で溺れさせてあげるから、覚えてらっしゃい!!」
「「いえーーーーい!!」」
部下の計らいで得られたほんのひと時の余暇の時間。
十五年ぶりにキャサリンとアギラに、そして初めて甥に会える。
馬を走らせるアタシの視界が揺ら揺らとぼやけていく。
もう歳かしらね……涙もろくなっちゃっていけないわ。
「確か……こっちの方って聞いたけど…………」
シャムール義勇兵団の屯所で聞いたアギラの家の住所。
とはいえ、不慣れな土地で目的地まで真っ直ぐ向かうということはなかなか難しい話。
焦らないように、でも、急ぎつつ目的地を目指す。
「この道を真っ直ぐ進んで、突き当たりの家ね……!」
今行くわよ、あんたたち。
まずは思い切り抱きしめて、それから――
――ズドォオオオオオオン!!
「ヒヒィイイイイイン!!」
「――っなに!?」
途端、地嗚りのように響き渡った爆音により、馬が足を止めた。
続いて同じ爆音が街のあちこちから響き渡り、ただ事ではない事態であることを告げる。
この時、アタシは二つの選択肢を迫られた。
一つ、キャサリンたちのところまで急行し、安否を確認する。
一つ、騎士団のところまで戻り、事態の把握と対応に努める。
ジョセフィーヌ個人としては前者。
アルモニア音楽騎士団団長としては後者。
迷いは延々と絡み合い、アタシの足を地に縛り付ける。
「敵兵発見!!」
「――っ!?」
直後、行く手に現れたのは、漆黒の鎧を纏った兵士たち。
それを見て、アタシは無意識の内に馬の腹を蹴っていた。
奴らが現れたのが、キャサリンの家がある方角だったことか理由だったのだろうと思う。
「おぉおおおおおおおお!!」
「な、何だこいつ……急に――ぐぁああああ!!」
問違いない。
こいつらがこの騒ぎの首謀者。
その正体は、帝国軍。
理由はともかくとして、シャムールを襲撃してきたのだ。
「キャサリィイイイイン!!」
立ちはだかる雑兵を蹴散らし、前へ前へと馬を走らせる。
「ゴァアアアアアアアア!!]
「何よ……あれ……!!」
目的の家に近づくにつれ、その家が既に半壊していること。
そして、そこにいる巨大な魔物が、何かに向けて威嚇している様子が見えてくる。
「母さんっ!!」
魔物の足元。
ちょうど家の影になって見えはしなかったが、そこから響き渡った
幼い声を閲いた途端、アタシの脳裏でブチッと何かが切れる音がした
「うぉらぁああああああああ!!」
比ベようのない体格差。
黒く、硬い鱗に確われた皮膚に刃は通るのか。
そんなこと考えるまでもなく、アタシは魔物の脳天目がけて斧を叩きつける。
「――ッグ……オォオオオオ……!!」
「キャサリン!?アギラ!?」
着地と同時に家内を見回すと、そこに見党えのある顔が。
「ジョ、ジョセフィーヌ!?よく来てくれた、友よ!!」
「アギラ!!」
ちょうど魔物と相対する形で、血だらけになりつつ弓を構えていたアギラの姿。
その背後に、背中から血を流して床に伏すキャサリンと、泣きながら彼女にすがりつく小さな子供。
「何なのよ、コイツは!?」
「わからん……!突然現れて、暴れ出した。その時、崩れた屋根からミルヴァを庇ってキャサリンが……!!」
「ミルヴァ……?」
それは手紙で伝え聞いていたキャサリンとアギラの子の名前。
すると、他でもない、キャサリンにすがるこの子供こそがミルヴァ。
実際に見るのは初めてだけど、綺麗な桃色の髪は紛れもなくキャサリンから受け継いだもの。
「とにかく、さっさと片付けるわよ!コイツだけじゃない!帝国軍も街に攻めてきてる!!」
「帝国軍が!?くっ……なんて問の悪い……!!」
「グルルルル……!!」
よくよく見て、目の前の魔物がこれまで見てきた魔物のどれとも異質なものであることがよく分かった。
竜種のようだけど、体を覆う鱗と鉱石のような皮膚。
こんな個体、見たことない。
まさか、これがシャムール駒士団が探していた例の謎の魔物ってわけ?
「やれるわね?アギラ!」
「無論だ……!キャサリンを決して傷つけないと君の前で誓っておきながら、この様……罰なら後でいくらでも背負おうというもの!今はこいつを倒すのみ!!」
「ゴォアアアアアアアア!!』
振り下ろされる巨大な爪を皮一枚のところで避け、前へと足を踏み出す。
威力はとてつもないけど、そんなどんくさい動きじゃアタシは捕まえられないわよ!
「ふんっ!!」
地を蹴り、勢いに乗った体勢のまま放たれる一撃がこめかみを捉え、僅かに竜の重心が傾いた。
「はあっ!!」
すかさず同じ場所をアギラの矢の雨が襲い、竜はそれを庇おうと翼を盾にする。
でも、それじゃ視界が遮られて、アタシの姿が見えないでしょ?
「おらぁああああああああああああ!!」
「グギャァアアアア!」
余裕をもってあらん限りの力を溜め、渾身のー撃を見舞う。
かつて、どんなに巨大で強大な魔物であろうと仕留めてきた必殺の一撃。
「どうかしら?たまんないでしょ!」
「――っまだだ!ジョセフィーヌ!!」
「グルゥアアアア!』
迂闊だった。
技を放ったがための脱力感と、経験がもたらした油断がアタシの反応を一瞬遅らせた。
「ぐっ……!?」
「ジョセフィーヌ!?」
大木のような尾が鞭のようにしなって頭上から襲い掛かり、強烈な衝撃によりアタシの身体は床板を突き抜けて沈む。
「い、痛いわね……やってくれる……じゃない……!力任せは嫌われるわよ……?」
「無事か!?」
「えぇ……なんとか。なんて硬いのかしら……」
手早く片付けてしまおうと意気込んだはいいが、予想をはるかに上回る強靭さに、アギラの顔に焦りが見え始める。
アタシも同様だった。
必殺のつもりのー撃でさえ、僅かばかりのダメージを与えることが精一杯。
これでは逆にアタシたちの体力が持たない。
しかも……
「母さん?母さん!?」
さっきからキャサリンがぐったりしたまま動かない。
出血の程からみても、かなり深手であることは間違いみたいね。
「このままじゃ……!」
「…………ジョセフィーヌ。頼みがある」
「なによ、こんな時に?」
「キャサリンとミルヴァを連れて、ここから逃げてくれ……!」
「あんた……なに言ってるの?」
意図していることは埋解できる。
戦うにしても、背に二人を庇ったまま倒せるような敵ではない。
キャサリンの治療も急がないといけない状況。
それはわかる。
でも、傷ついたアギラが一人で戦って勝てるはずはないし、どんな埋由があろうとも一人残していくような真似――
「頼む……友よ。私には二人を抱えて逃げるだけの力は残っていない。だが、君ならなんとかできるだろう……?」
「だったら二人で逃げるのよ!アタシが二人を抱えるから――」
「迫ってくるコイツをどうするつもりだ……?」
「それは……あんたが弓で牽制してくれれば……」
「はは……さっきも見ただろう。弓だけで抑え込めるならこんなことにはなってないさ。それに、帝国軍の奴らもうろついているはずだ」
「でも…………」
「大丈夫だ。私一人でもなんとか時聞くらいは稼げる。君たちがこの場を去ったら、隙を見て私も脱出する……!」
「…………くっ!!」
アギラはそう言うが、それが容易でないことは明らか。
でも、全てを選ぶことはできない。
「アギラ……忘れてないでしょうね?あんたはキャサリンを『一生守る』と誓ったのよ!?こんなところで死んだりしたら、アタシがもう一回ぶっ殺すからね!!」
「あぁ……!すぐに追いつく!二人を頼んだぞ!!」
アタシはもう振り向かなかった。
キャサリンを背負い、ミルヴァを脇に抱え、駆ける足にカを込める。
信じるしかない。
アギラの誇りと信念を。
「父さん……!!」
「ミルヴァ……母さんを頼んだぞ!」
それからの道中のことはよく覚えていない。
噛み切った唇から滴る血に気付いた時、アタシはシャムール義勇兵団の屯所にいた。
腰かけた椅子に立て掛けられた斧の刃には夥しい血が付着していて、ここに辿り着くまでに相当数の帝国兵を斬ったことはうっすらと記憶にある。
それと、思い出せることがもう一つ。
屯所に駆け込み、急いで治療を施したキャサリンが、すでに息絶えてしまっていたこと。
アタシの頭は真っ白になった。
十年以上も顔を合わせることができずにいて、ようやく会えると思ったところに待っていたこの結末。
自身の幸せを掴み取り、兄のアタシの幸せまでも願ってくれた優しいあの子はもういない。
「……う……ひっぐ…………!」
ミルヴァはアタシの膝に顔をうずめながらずっと泣いている。
この子もまた、アタシと同様、アギラにキャサリンを託された。
でも、命を賭けて託された想いを、アタシたちは酌んでやることはできなかった。
「シャムール義勇兵団の屯所はここか?コイツを頼む……」
その時、屯所に訪れた男を見て、アタシの意識は党醒した。
正確には、その男が大事に両手で抱いていたそれを見て。
「アギラ!?!?」
「え……?父さん!?父…………さん?」
男が抱いていたのは、アギラの亡骸だった。
「ミルヴァ……お前は無事だったんだな……!」
「グ、グラフィードさん!?」
ミルヴァがグラフィードと呼んだ男は、自身が先程見てきた光景を語った。
帝国軍と魔物の両方に襲撃されたシャムールの街がすでに酷い有様であること。
家で寝ていたところ、街が騒ぎになっていることに気が付き、表に出たところでアギラの家か燃えている現場に遭遇。
駆け付けはしたが、そこには巨大な魔物の死骸と、アギラの亡骸だけが残されていたこと。
あの魔物は炎を吐いたりはしなかった。
ということは、家が燃えたのは彼が自分自身の手で火を点けたということ。
幸せな思い出の詰まった家を自分で焼き払う。
それも、全ては愛する家族に生きて欲しいがため。
「俺がもっと早く駆け付けていれば結果も違ったかもしれねぇ……すまん…………すまん、ミルヴァ……!!」
「父さん……うぅ…………あぁ………………!!」
アタシは立ち上がり、ミルヴァに深々と頭を下げるグラフィードの元へと歩み寄る。
その時のアタシの心の内は、悲しみよりも、別の感情に支配されていた。
「あんた……傭兵のグラフィードね?名前くらいは聞いたことがあるわ」
「そういうあんたは……?」
「アルモニア音楽騎士団団長ジョセフィーヌよ」
「アルモニアの……?そういえば、遠征でこっちに来てたんだったか。不運だったな。出先でこんな事態に巻き込まれちまって」
「そんなことどうでもいいのよ……アタシが聞きたいのは、あんたがこれだけの騒ぎになるまで、どこで何してたかってことよ!」
力いっぱい襟元を締め上げられなからも、グラフィードは少しも抵抗しようとはしない。
やっぱり後ろめたいことがあるってわけ?
「俺は…………っ!」
「あんたがさっさと剣を振っていれば、もっと多くの人を助けられたんじゃないの!?キャサリンも!!アギラも!!!!皆が必死に戦って、守ろうとしている間、てめぇ――」
「やめてくださいっ!!」
間に割って入ってきたのは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたミルヴァだった。
「グラフィードさんは悪くありません……!ボクが……えっぐ……ボクがもっと強ければ……ひっぐ……」
「ミルヴァ…………」
この子が抱いている感情は自分のことのようによくわかる。
アタシだってそう。
キャサリンとアギラを守れなかった自分の弱さが憎い。
でも、この子はアタシとは違った。
アタシはそれをグラフィードに押し付け、現実から逃げようとしてしまったのに対し、この子は自分の弱さを認める強さをこの歳にして持っている。
「……ごめんなさい……悪気はなかったの…………」
「いや……こんな時だ。仕方ねぇさ。俺も同じようなことを考えることがあるよ…………」
「ミルヴァ……あなたにもよ。ごめんなさい…………!」
「おじさん……?」
それしか言葉にすることができなかった。
言い訳も、反省も、慰めさえも。
もっと注意深く魔物を調査していれば、何らかの兆候を得ることができていたかもしれない。
変な意地を張らず、キャサリンたちの家にすぐに向かっていれば守れたかもしれない。
たらればなんてくだらない。
終わってしまった時は還らない。
そう思っていたはずなのに、夥しい数の小さな後悔が重なり合い、大きな波となってアタシの心を揺さぶった。
その後、私は部下に引きずられるようにしてシャムールを脱出した。
最後まで抵抗を続ける姿勢を崩さなかったシャムール義勇兵団を街
に残して。
アタシもアギラの故郷を取り返さんと斧を握ったが、アルモニア音楽騎士団団長という立場は、その行為を許してはくれなかった。
ここで団長を失うようなことになれば、シャムール騎士団ばかりか、アルモニア音楽騎士団までもが崩壊してしまう。
そのことを案じた、現地の団員が、アタシの前に立ちはだかったのだ。
グラフィードは、ミルヴァをアタシに預け、シャムールの戦火の中へと消えていった。
生きているのか、死んでしまったのかもわからない。
だけど、別れ問際の彼の顔は、自分の道を見つけた。
そんな顔をしていたような気がする。
後に、数日が経って、シャムールを完全に占領した旨の告知が、帝国軍より発表された。
それはシャムール義勇兵団の壊滅と、キャサリンとアギラが幸せを築いた街が失われたことを意味していた。
「……おじさん。ボク、強くなりたいです」
「そうね……アタシももっと強くならないといけないわ……」
妹夫婦を含む、シャムールで失われた多くの命の葬儀は、所緑の深かったアルモニアの地で行われた。
アルモニア音楽騎士団の全員が通りに並び、盛大な追悼曲を街中に響き渡らせる中、参列者たちの列の一端で、ミルヴァはアタシの手を強く握りしめる。
「アン夕はこれからどうするの?」
「言った通りです。強くなります。ボクの力で、誰かを守ってあげられるように」
「アン夕は十分に強いわ。自分の弱さを認め、それでも前を向いて歩き出そうとしているんだもの。それは簡単にできることじゃないわ。その強さを教えてくれた父さんと母さんに感謝なさい」
いくつもの死と戦場を乗り越えてきたアタシでさえできないことを、こんなにも小さな少年がやってのけるなんてね。
「はい……でも、結局母さんを守ることはできませんでした……」
「それは、その心の力を現実にするだけの経験がアンタになかっただけよ」
「だったら教えてください!心の力を現実にする術を、ボクに!」
本当に強い子。
あれだけの経験をしておきながら、真っ直ぐとアタシを見る瞳の奥には、熱い信念に裏打ちされた炎が灯っているのがわかる。
そういえば、アギラもこんな目をしていたわね。
「いいわ。アタシが木気であんたに叩き込む。その心が報われるだけの漢にしてあげるわ」
「そうすれば、ボクもおじさんのようになれますか?」
「それはこれからのあんた次第。努力なさい。そして、父さんみたいないい男になるのよ?」
「はい!」
「それと、アタシはおじさんじゃない。心は乙女よ。お姉さんと呼びなさい?」
「はい!!」
この子といつか、シャムールを必す奪還して、あの子たちに見せつけてあげなきゃね。
あんたたちが育てた雛烏が、堂々と翼を広げ、希望の空を羽ばたく姿を……
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