「貴様ぁ!ガルムの分際で我々に手を出すなど、正気かぁ!?」
「人間風情が偉そうに吠えてんじゃねぇぞ!死にてぇ奴から前に出な!!」
獣境の村『ヴィレス』から北に二里ほど進んだところで、十人ばかりの帝国兵士を前に、仁王立ちする男。
白銀の毛に蒼瞳。
青いマントをはためかせながら、どっしりと腰を据えて槍を構えるは虎のガルム。
「待てぃ!何事か!!」
「っち……次から次へと……しつけぇんだよ!!」
背後から駆け寄る声に、手にした槍を突き出して答える。
しかし、動きの取りにくい馬上にも関わらず、その切っ先をいとも簡単に躱した声の主は、逆に斧を突き付けてきた。
「寸止めだぁ!?てめぇ……舐めてんのか!!」
「待て!儂(わし)は敵ではない!!」
「邪魔すんな!ぶっ殺すぞ!!」
威風堂々たる鎧。
金色の鬣(たてがみ)の上に王の証である冠。
真っ赤なマントをなびかせるその姿からは圧倒的強者の気配が否応なく漂う。
「ライオンのガルム……てめぇ、まさか――」
「今はそれどころではあるまい!ひとまず退くぞ!!」
「あぁ!?ふざけんな!いきなり現れといて、何勝手なこと言ってやがる!逃げるなら一人で逃げな!俺にはやらなきゃなんねぇことがあんだよ!」
「なに……?」
二人の視線が揃って帝国兵へと向けられる。
その瞬間、文字通り獲物が睨まれたようにビクッと体を震わせる帝国兵達。
白い虎にライオン。
強大な雄二頭が自分達を見据えているのだ。
それも無理からぬことだろう。
「こ、こいつも奴の仲間か!?」
「わからん……が、なんとしても荷は守るぞ!」
「荷だと……?」
帝国兵達が身を挺して守ろうとする荷馬車に、ライオンのガルムが視線を向けると、その荷台には拘束され、縄で繋がれている3人の子供達の姿。
「小僧、まさかあの子供達を救うために……?」
「てめぇには関係ねぇだろ!」
「なんとも向こう見ずな男だ……だが!」
「ぬぉ!?て、てめぇ!!」
不意に首根っこを掴まれ、馬の上へと引っ張り上げられたかと思えば、そのまま逃走するように走り出したライオンのガルム。
「お前に話がある。今は大人しくしてもらうぞ!」
「おい!このままじゃ……おい!!」
ぽかんと立ち尽くしたままの帝国兵達の姿がどんどん遠くなっていく。
その後ろの荷台では、不安そうな顔をこちらに向ける子供達の顔。
「こ……の!!」
「ぬ!?仕方ない……許せ!!」
――ガンッ!
「がっ!?」
なんとか馬から飛び降りようと槍を突き立てようとした途端、鈍い音が頭に響き、そのまま意識が遠ざかっていった……
…………
……
「……はっ!?てめぇ!!」
意識を取り戻し、すぐさま立ち上がる。
辺りを見回すと、どうやら森の中に連れ込まれたようだ。
「まだ一刻も経っておらぬというのにもう目覚めたのか。呆れた頑丈さだな」
横で焚火に薪をくべながら、やれやれといった表情で答えるライオンのガルム。
改めてその姿をまじまじと見て確信する。
「間違いねぇ……てめぇ、ガレオスだな?」
「ほぅ……儂を知っておるのか」
「ヴィレスの王を知らねぇガルムなんざいるわけねぇだろ……!」
獣王ガレオスによる統治の元、多くのガルム族が故郷とし、暮らすこの村。
獣境の村『ヴィレス』
先代国王が引退し、その実の息子であるガレオスが王に即位してというもの、かつては小さな集落に過ぎなかったヴィレスの村は、王政の元に広い領土と数多の臣民を抱え、一つの国家として大陸に名を知らしめる程に成長した。
かつては他種族からの迫害対象となっていたガルム族がこれほどの繁栄を築き、他種族とも対等な関係を保つ今に至ったのは彼らの功績あってのもの。
「何でてめぇがこんなとこにいやがる?それも護衛も付けず、たった一人でだ!大体ヴィレスは今、王位継承戦の真っ最中じゃねぇのか!?」
「やはりお前も王位継承戦に参加するためにヴィレスに向かっていたところであったか……」
ヴィレスの王位にガレオスが就いて三十余年。
高齢を迎え、次なる世代へ希望を託さんとガレオス自ら参加者を募り、開いた次代王位継承戦。
何を隠そう、己もまたその大会に参加するためにコルキドの地を発ったというのに、なぜこの男が目の前にいる。
「ヴィレスでは今も間違いなく継承戦が行われている最中だ。その途中、白い虎のガルムが何やら騒動を起こしているとの知らせを聞いてな。大会は大臣達に任せ、様子を見に来たというだけの話だ」
「答えになってねぇぞ、じじぃ!それだけの話でてめぇが単身ヴィレスを飛び出すわけがねぇ!」
「ただの気まぐれだ。継承戦には多くの参加者が集まってくれはしたが、その中に儂が納得できるだけの者はいなかった。既に希望のない結果を待ち続けるより、帝国兵相手に大立ち回りを演じる者を直接見たくなったというだけの話だ」
「で?近衛兵も付けずに一人で来たってのか?」
「帝国の者達に儂がヴィレス王だと知れれば、村に揉め事を持ち込むことになり兼ねん。わざわざ臣下達を連れ歩いて目立つ危険を避けただけの話よ」
「…………」
もっともらしい理由を並べてはいるが、ただそれだけの理由でそんなことをするだろうか。
言っていることは嘘ではないようだが、まだ何か真意を隠しているような気がする。
だが、今はこれ以上ここで時間を良否している場合ではない。
「そうかよ……じゃあ、俺は行くぜ」
「先ほどの帝国兵を追うつもりか?」
「だったら何だ!?てめぇが邪魔しなけりゃアイツらを助けてやれたんだ……!」
「あの荷馬車に乗せられていたのは人間の奴隷のようだった。なぜ助ける?お前はヴィレスの王になる為にここまで来たのだろう?」
「うるせぇ!!俺は必ず王になってやる!どんなことしてもだ!!でもなぁ……アイツらの目は俺に助けてくれって言ってたんだ!無視できねぇだろ!!」
「王になることを諦めてもか?」
「王になるのは虐げられるヤツら皆を守ってやるためだ!そんな国を作るんだよ!!」
「その物言い。やはり白虎一族の者か……」
「そうだ!白虎一族族長ガルオンの長子ガルディス!親父に代わり一族の無念を晴らす!」
ガレオスがヴィレスの王となって数年のうち、ある一つの事件が村を騒がせた。
彼の盟友であり、兄貴分でもあったガルオンの率いる白虎一族が、王都の荷を強奪したのだ。
だが、それは当時ガルム族を良く思わなかった者達が仕掛けた策略で、ガレオスの失墜を狙ってのものだった。
当のガレオスは臣下の罪をただ罰するのみで、ガルオンを白虎一族ごと永久追放し、王都からの体面を守ったという。
ヴィレスを追放され、遠くコルキドの地まで追いやられた白虎一族のそれからというもの、慣れぬ気候、不足する食料、見知らぬ文化に日々悩まされ、辛い日々を過ごすこととなった。
今、ヴィレスに住む若者達は、その平和が築かれる過程の中で、自分達のように存在を奪われてきた者達がいることを知らない。
それを知っても尚、心から王を信頼ことができるだろうか……。
「小僧……お前、ガルオン殿の子だったのか……?」
「そうだ!なぜ親父達を助けなかった!?親父達がハメられたことはてめぇにもわかってたはずだ!」
「……それについて許しを乞うつもりはない。あれは、儂の弱さが招いた悲劇だ」
「そうだ!俺は私利私欲のために友を売ったてめぇとは違う!俺は真の王に相応しい器を示して、正しい国を作るだけだ!俺達のような存在を二度と生まないためにな!」
「ならば、やはり何を置いてもヴィレスに向かうべきではなかったのか?もう継承戦は始まっておる。今から向かったとしてもおぬしが王になる機会はすでに残されておらんぞ?」
「……あぁ、熱くなると目先の事しか見えなくなるのは俺の悪い癖だ。だから、せめてあのガキ共だけでも助けにいくのさ。王の事はまた考えりゃいい」
「不器用だな……引き留めはせぬが、今お前があの子らを助けても意味はないぞ」
「……何だと?」
「仮にあの子達を助けられたとして、その後はどうする?子供達だけではない。お前もまた帝国に楯突いたお尋ね者になり、ずっと追われ続ける人生だ」
「なら放っておいた方がアイツらも幸せだってのか!?」
「違いするな。儂は間違っておるとは言っておらん。ただ、やり方が何というか……直情的過ぎる」
「……さっきからくどくどと……わかりやすく話しやがれ!!」
「お前は正しいと思ったことをすれば良い。儂が知恵と力でそれを助けてやろう」
「馬鹿にしてんのか!?こっちはぶっ殺してやりてぇ程にてめぇを恨んでんだぜ!?そんな奴の手なんざ借りるわけねぇだろ!!」
「ならばお前があの子達を抱えながら一人逃げ続けるのか?本当にそんなことができると思うのか?小僧」
「……今回だけだ……それ以上、じじぃの道楽に付き合ってられるか……!!」
「それで良い」
こうして一時的に手を組み、帝国軍から奴隷を解放すべく動き出したガルディスとガレオス。
まずは先ほどの場所へと戻り、その足取りを追う。
「轍(わだち)は王都の方へ続いておるな……」
「じじぃ。俺はこの付近のことは知らねぇが、こういうことはよくあることなのか?」
「そうだな……全てを把握しておる訳ではないが、王都陥落以後、働き口として多くの奴隷が王都に連れてこられているという話は聞いたことがある」
「反吐が出るぜ……帝国のヤツら……!」
「物事とは見方によってその性質を変えるものだ」
「あぁん?」
「奴隷制度自体は帝国が王都を占領する前から存在していた。金銭を対価に働き口を得る。奴隷もまた飢えを凌ぐことができ、雇い主によってはそれまでよりも良い暮らしができるようになるだろう」
「人間が人間を飼うのが正しいってか?」
「その様な実例も少なからずあるということだ。もっとも、帝国のやり方については良い噂を聞かぬがな」
「まぁいい。今回、頭を使うのはてめぇの役目だ。ひとまず荷馬車を追うぜ?」
「良かろう。どちらにせよ王都に入られてしまっては手が出せなくなる」
再び馬を走らせること約一刻。
間も無く王都が見えてこようというところで、目標の荷馬車の背を捕らえた。
「止まるな!このまま突っ込むぜ!!」
「無鉄砲なのも良いが、策はあるのだろうな?」
「無論!蹴散らすまで!!」
「やれやれ……」
さらに速度を上げ、追い込みをかける一行。
荷馬車を警護する帝国兵が、後方から響いてくるその馬の足音に気が付いた。
「ん?あれは……さっきのガルムだ!!戻ってきやがった!!」
「馬車を急がせろ!他はヤツらの足止めだ!」
「ありがてぇ……わざわざ隊を二つに分けやがった。おいじじぃ!てめぇが前だ!!」
「待て、小僧!わざわざ一人で十人を相手にするつもりか?」
「どのみち後ろを引き付けねぇとだろうが!」
「儂が手本を見せてやる……おぬしは子供たちを助け出せ!」
「おい!てめぇ!勝手に――」
手綱を手放し、武器を構える兵士達の前へ飛び降りたガレオス。
自分も続こうと鐙(あぶみ)を踏む足に力を込めたが、ここで馬を止めては荷馬車に逃げられてしまう。
「ちっ……!勝手に犬死すんじゃねぇぞ!」
「あっ!?ま、待て!!その馬を止めろ!!」
「行かせぬよ!馬を追いたければ儂を超えていくことだ!」
「くそ……さっさとコイツを片付けろ!!」
そんなガレオスを尻目に、荷馬車を猛追するガルディス。
荷台からひょっこり頭を出した子供達が、こちらを心配そうな目で見つめる。
「ガキ共ぉ!頭を下げてろぉ!!」
咆哮のような声を聴き、慌てて頭を抱えてうずくまる子供達。
その様子を確認したガルディスは、携えた槍を逆手に構え、荷馬車に向けて投げつけた。
「な、なんだと!?」
槍は見事に荷台の車輪に命中し、バランスを崩した荷馬車はそのまま地を滑りながら横転する。
操手は慌てて立ち上がって剣に手をかけたが、ガルディスがその前に喉元に槍を突き付け、戦意を奪い去る。
「手錠の鍵を出しな……見ての通り、俺は我慢強くねぇぜ?」
「わ……わかった……!これだ!!」
「よし……てめぇは用済みだ」
「ひ……!?」
ガルディスが槍に力を入れた瞬間、雄叫びのようなガレオスの声が飛んでくる。
「止めぬか!!」
「あぁ!?」
兵士を相手取りながら、様子を伺っていたガレオス。
「目的を見失うな!早く子供達を連れていけ!!」
「荷馬車はもう使えねぇ!全員は馬には乗れねぇぞ!?」
「考えなしに行動するからだ!儂を置いて早く行け!!」
「全員やっちまえばいいだけだろうが!!」
「愚か者が!勝つことが目的ではない!!余計な危険を生むだけだと分からぬのか!!」
「……偉そうに!」
「おじちゃん……?」
荷馬車から這い出て、ガルディスに近づいてきた子供達が心配そうに声をあげる。
「ぐ……くそっ!!」
頭を切り替えたガルディスは、鍵で子供達の手錠を外し、肩に一人、脇に抱えるようにして一人、膝で挟むようにして一人、計三人の子供を馬へ乗せると、そのまま元来た道を引き返すように馬を走らせた。
「戻っては来るな!さっきの場所で落ち合うぞ!」
「あぁ!心配なんてしてねぇよ!!」
再びガルディスの背を守るように立ちはだかるガレオス。
帝国兵たちはその間、一人として倒れることこそしていなかったが、完全にガレオスに抑え込まれ、身動き一つ取れない状態のまま馬を見送ることしかできなかった。
「虎のおじちゃん……ライオンのおじちゃん大丈夫だよね?」
「口を閉じてねぇと舌噛むぜ?アイツなら心配ねぇよ。すぐに会えるさ」
陽は完全に沈み、子供達が寝静まる時間になってもガレオスが戻ってくることはなかった。
焚火に薪をくべながらガルディスは考える。
明日の朝まで待っても彼が戻らない時はここを離れよう。
「ん……むにゃ…………」
自分のマントを布団代わりにして、すやすやと静かな寝息を立てて眠る子供達。
もしも、あの時自分が戦うことに固執していたら、この寝顔を見ることはできなかったかもしれない。
もしも、自分が荷馬車を破壊せず、もっとうまい方法で子供達を助け出せていたなら、今頃全員揃ってヴィレスに向かっていたのかもしれない。
「クソじじぃが……」
「酷い言われようだな……」
「じじぃ!?」
突然の背後からガレオスの声が聞こえ、身構えるように振り返る。
「大きな声を出すでない。子供達が目を覚ましてしまう」
「てめぇ……無事だったのか……」
「行方を掴めぬよう陽が落ちるまで奴らを撹乱した後ここに向かったので遅くなってしまった。正直、もうここにはいないのではないかとも思ったぞ?」
「けっ……借りを作ったまま放っておけるわけねぇだろ」
「やはり、お前は優しいな……」
「あぁ!?なんでそうなる――」
ガレオスは自分の口の前に人差し指を立て、ガルディスの言葉を制する。
「ぐ……ぬぅ……!」
「良いか、小僧。目的のためには常に何が最善で、どうすれば最も高い可能性を得られるかを考えて動かねばならん。それは自分を信じてくれる者達に対する義務だ」
「さっきのことを言ってんだろ?けっ!それぐらい自分で理解してんだよ……」
「そしてそれは、信じてくれるものが増えれば増えるほどに難しくなるものだ。責任と重圧はどんどん重くなり、自分という個が許される隙は失われていく……」
「また、王たるものはなんちゃらってお説教か?俺はてめぇみたいにはならねぇよ」
「そうだな……儂もあの時、自分を貫くことのできる強い意志があればと……そう思うことが何度もある。選択に悩み、疲れ、挫折しそうになることもな……」
「今度は愚痴かよ……ヴィレスの王ともあろう男が情けねぇ……」
「儂とて冠を外せばただの一人のガルム。なにより、今の儂は王としてここにおるわけでもないしな」
「だったら何だよ?」
「おぬしより長い人生を歩んできただけの老いぼれだ。だが、先人の言葉は聞いておいても損はないぞ?」
「けっ……いいからさっさと寝やがれってんだ」
「ふふ……まぁ、今日はこの辺にしておいてやるか。さて、明日はどこへ向かう?」
「……ヴィレスだ」
「それは構わぬが――」
「親ならいねぇってよ。寝る前に聞いた。こいつら、孤児ってやつみてぇだ」
「……そうか。なら、親元の心配は無用というわけだ」
「……いいのかよ?」
「何がだ?」
「ヴィレスに厄介事を持ち込むことになるかもしれねぇんだぞ?」
「ふ……ははっ!まさかおぬしに心配されるとはな。安心しろ。もしもの時のことは考えておる」
「ふんっ……てめぇが変にしょんぼりしなきゃそんな心配しねぇんだよ……」
――翌朝
「おい。そろそろ起きろよガキ共!」
「ん……おはよ……」
「ねぇねぇ、虎のおじちゃん」
「あん?」
「ライオンのおじちゃんがまだ寝てる」
人間にはガルディスとガレオスが同じくらいの歳に見えるのだろうか。
軽く三回りは離れているというのに、子どもというのは残酷なものだ。
舌打ちをしてから、ガレオスを叩き起こす。
「何でてめぇがまだ寝てやがんだよ!!」
「ぬ!?お、おぉ……すまんな。昔から朝が弱いのだけは治らんのだ……」
「けっ……城でぬくぬく暮らしてっから体が鈍るんだろうが」
予定通りヴィレスへと足を向ける一行。
馬が足りないため、徒歩での移動となったが、後ろから追いかけてくる者もいないようでひとまずは問題なさそうだ。
これもガレオスが単身敵を撹乱してくれたおかげか。
あの時、自分がガレオスの立場なら、ある程度兵士の相手をした後、真っ直ぐ森を目指したはずだ。
そうなれば恐らく今頃は追っ手がかかっていたことだろう。
「ちっ……」
「ん?どうした小僧?」
「なんでもねぇよ、じじぃ!」
「ねぇねぇ、虎のおじちゃん?」
「なんだ?」
「今から行くとこには、おじちゃんみたいな人たちがいっぱいいるの?」
「らしいな。俺も行ったことはねぇから知らねぇんだ。この爺さんに聞いてみな」
「ねぇ、ライオンのおじちゃん?」
「そうだな……狼、ゴリラ、熊、キツツキ、犬、猫、白鳥、鼠、狐、ヤマアラシ、蝙蝠……」
「わぁ!すごぉい!!」
「あまり多くはないが、人間も住んでおるぞ」
「わたし、猫さんの人に会ってみたい!」
「そうだな……儂が良い猫の娘を紹介してやろう。間違っても自分から探しに行ったりするでないぞ?危ないからな」
「んん?」
「おい。そろそろ見えて――あん!?」
「む!?」
ヴィレスが視界に入った辺りで、子供達を抱えて傍の茂みへと飛び込む二人。
「おい、じじぃ……!」
「うむ……どこかに潜んでおるな……」
辺りに微かに漂う不穏な気配。
まだ距離があるためか、位置までは正確に掴むことができない。
恐らくヴィレスの出入り口を監視しているのだろう。
「まぁ、普通に考えりゃ帝国の奴らだろうな。てめぇの正体がバレたんじゃねえのか?」
「いや、それはなかろう。儂は帝国軍の者と外交の場で直接会ったことはないからな」
「風貌だけ知ってりゃなんとなくわかるだろうがよ!」
「それは否定できんが、ライオンのガルムというだけでは奴らも動きはせんだろう。その証拠に、今もヴィレスに入る者を確認しておるだけに過ぎん。証拠を掴もうとしておるのだな」
「ただの奴隷のガキ三人にそこまですんのか?」
「奴らは今や大陸中から反感を買っておる。少しでも弱みを見せれば、反乱の火種にも成り兼ねんからな」
「アイツらも必死って事か……仕方ねぇ……」
「何をする気だ?」
「俺が奴らの目を引く。その隙にガキ共を連れて村へ入れ」
「……おぬしが犠牲になって我らを救おうというのか?」
「ヴィレスの奴らじゃねぇ。ガキ共のためだ。それに、てめぇには借りがあるからな……」
「ならぬ!!」
「ひっ……!」
急に吠えるように大声を上げたガレオス。
驚いた子供達も委縮してしまっている。
「何熱くなってやがる?奴らに気付かれるだろうが」
「……す、すまぬ。とにかくだ、そんな真似は許さぬ」
「だったらどうするってんだよ!?」
「夜まで待ち、闇夜に紛れれば……」
「このままここから動かずにか?下手すりゃ奴らに見つかっちまうぞ!水や食料だってねぇんだ!」
「ならば、儂が囮になろう」
「ふざけんな!てめぇがいなくなったら村でのガキ共の暮らしを誰が保証すんだよ!」
「儂の名前を出せば――」
「余所者の俺らが王の名前を出したとこで信用されるかよ」
「む、むぅ……」
一体何だというのだ。
ガルディスが囮になることを名乗り出た途端、明らかにガレオスの様子が変わった。
いつもの冷静さや思慮深さは見る影も無い。
「いいか?ガキ共にとってこれが一番の選択なんだ。『目的のためには常に何が最善で、どうすれば最も高い可能性を得られるかを考えて動く。それは自分を信じてくれる者達に対する義務』これはてめぇの言葉だぜ」
「……儂は……また」
「ガキ共は明るい未来を信じてんだ。てめぇにはそれを叶える義務があるんだろう?」
「……また繰り返すのか?」
「じゃあな、ガキ共!達者で暮らしやがれ!!」
「おじちゃん……」
そう言葉を残し、茂みを単身飛び出したガルディス。
わざと帝国軍の目を引くように、吠えながら街道を駆け抜ける。
「うぉおおおおおおおおおお!!」
「いたぞ!白い虎のガルムだ!!」
「ライオンとガキ達はどうした!?」
「とにかく追うぞ!!」
「へっ!単純で助かるぜ!」
ガルディスの姿を見た途端、それを追いかけるように姿を現した五人の帝国兵士。
「五人だぁ?気配ではもっと多かったはずだ……まだその辺に隠れてやがんのか……くそっ!!」
どうする。
考えれば気付きそうなものだが、この展開は考えていなかった。
このまま敵を倒して、全ての兵士を炙り出すか。
ダメだ。
今の目的は囮に徹する事。
しかし、どうすれば……
「うぉおおおおおおおお!!」
「ラ、ライオンのガルムが出たぞ!!」
「なんだとぉ!?」
ガルディスとは反対側へ走るようにして姿を晒したガレオス。
慌てた様子で新たに三人の兵士が姿を現した。
「追え!逃がすな!!」
周囲の気配を探る。
どうやら他に伏兵はいないようだ。
「何考えてんだクソじじぃ!!」
「ふっはははは!儂にもおぬしの無鉄砲さがうつったようだ!!」
そのまま大きく円を描くようにして合流した二人。
「ガキ共は!?」
「儂らが去った後、村へ逃げ込むように言い含めた。儂の鬣(たてがみ)とマントの切れ端を持たせてある。それを臣下の者に渡せとな!」
「そんなんで大丈夫なのかよ!?もし信用されなかったら――」
「大丈夫だ!村にもおぬしのような無鉄砲な二人組がおる。あやつらなら儂の意図を察してくれるだろう!」
「何の保証もねぇだろ!」
「なんだ、小僧?おぬしらしくもない」
「俺にもてめぇの堅物さがうつったんだよ!!」
「ふははは!それは良いぞ!!」
暫らく走り続け、ヴィレスから監視の目が完全に外れたことを確信すると、その場で足を止め、帝国兵と向かい合うように武器を構える二人。
「さて、これからのことだが……」
「とりあえずこいつらをぶっ飛ばせばいいんだろうが!!」
「うむ。安心せよ。最後の策は考えておると言ったはずだ」
「今となっちゃそれも信用できねぇ話だ!」
「はぁ……はぁ……貴様ら!もう逃がしはせんぞ!!」
「ガキはどうした!?」
「ガキだぁ?何の事かわかんねぇな」
「まったくだ。誰かと間違えているのではないか?」
「ふざけやがってぇ!コイツらを捕らえろ!!」
――数刻後
ヴィレスから再び数里離れた街道。
そこに、ゆっくりと歩く二人の後姿があった。
「で、どうするって?」
「おぬし、革命軍とやらの話を聞いたことはあるか?何やら帝国軍と戦うために同志を集い、反撃の隙を伺っている組織との話だ」
「ほぅ……そんな物好きな連中がいるのか」
「恐らく、今回のような子供達はまだ他にもいることだろう。ここまできて、そんな彼らを放っておくわけにもいかんであろう?」
「おいおい……全員助け出そうってのかよ……で、どこにいるんだよ?その革命軍とやらは」
「知らぬ」
「あぁ!?」
「儂も噂程度の話しか聞いておらんでな」
「おい、じじぃ!とうとうボケちまったんじゃねぇだろうな!?」
「はは……儂の跡を継ぐ者がしっかりと成長するまでは、そういうわけにはいかぬな」
「はんっ!どこの馬の骨とも知らねぇやつに奪われてたまるかよ。次の王は俺がなるって決めてんだよ!!」
「ほう……なら、精進せねばならんな」
「そういや、じじぃ。継承戦はどうなってんだよ?」
「いかん。大臣達に任せきりであった……」
「てめぇ……ホントにもうボケてんじゃねぇか!?」
「人間風情が偉そうに吠えてんじゃねぇぞ!死にてぇ奴から前に出な!!」
獣境の村『ヴィレス』から北に二里ほど進んだところで、十人ばかりの帝国兵士を前に、仁王立ちする男。
白銀の毛に蒼瞳。
青いマントをはためかせながら、どっしりと腰を据えて槍を構えるは虎のガルム。
「待てぃ!何事か!!」
「っち……次から次へと……しつけぇんだよ!!」
背後から駆け寄る声に、手にした槍を突き出して答える。
しかし、動きの取りにくい馬上にも関わらず、その切っ先をいとも簡単に躱した声の主は、逆に斧を突き付けてきた。
「寸止めだぁ!?てめぇ……舐めてんのか!!」
「待て!儂(わし)は敵ではない!!」
「邪魔すんな!ぶっ殺すぞ!!」
威風堂々たる鎧。
金色の鬣(たてがみ)の上に王の証である冠。
真っ赤なマントをなびかせるその姿からは圧倒的強者の気配が否応なく漂う。
「ライオンのガルム……てめぇ、まさか――」
「今はそれどころではあるまい!ひとまず退くぞ!!」
「あぁ!?ふざけんな!いきなり現れといて、何勝手なこと言ってやがる!逃げるなら一人で逃げな!俺にはやらなきゃなんねぇことがあんだよ!」
「なに……?」
二人の視線が揃って帝国兵へと向けられる。
その瞬間、文字通り獲物が睨まれたようにビクッと体を震わせる帝国兵達。
白い虎にライオン。
強大な雄二頭が自分達を見据えているのだ。
それも無理からぬことだろう。
「こ、こいつも奴の仲間か!?」
「わからん……が、なんとしても荷は守るぞ!」
「荷だと……?」
帝国兵達が身を挺して守ろうとする荷馬車に、ライオンのガルムが視線を向けると、その荷台には拘束され、縄で繋がれている3人の子供達の姿。
「小僧、まさかあの子供達を救うために……?」
「てめぇには関係ねぇだろ!」
「なんとも向こう見ずな男だ……だが!」
「ぬぉ!?て、てめぇ!!」
不意に首根っこを掴まれ、馬の上へと引っ張り上げられたかと思えば、そのまま逃走するように走り出したライオンのガルム。
「お前に話がある。今は大人しくしてもらうぞ!」
「おい!このままじゃ……おい!!」
ぽかんと立ち尽くしたままの帝国兵達の姿がどんどん遠くなっていく。
その後ろの荷台では、不安そうな顔をこちらに向ける子供達の顔。
「こ……の!!」
「ぬ!?仕方ない……許せ!!」
――ガンッ!
「がっ!?」
なんとか馬から飛び降りようと槍を突き立てようとした途端、鈍い音が頭に響き、そのまま意識が遠ざかっていった……
…………
……
「……はっ!?てめぇ!!」
意識を取り戻し、すぐさま立ち上がる。
辺りを見回すと、どうやら森の中に連れ込まれたようだ。
「まだ一刻も経っておらぬというのにもう目覚めたのか。呆れた頑丈さだな」
横で焚火に薪をくべながら、やれやれといった表情で答えるライオンのガルム。
改めてその姿をまじまじと見て確信する。
「間違いねぇ……てめぇ、ガレオスだな?」
「ほぅ……儂を知っておるのか」
「ヴィレスの王を知らねぇガルムなんざいるわけねぇだろ……!」
獣王ガレオスによる統治の元、多くのガルム族が故郷とし、暮らすこの村。
獣境の村『ヴィレス』
先代国王が引退し、その実の息子であるガレオスが王に即位してというもの、かつては小さな集落に過ぎなかったヴィレスの村は、王政の元に広い領土と数多の臣民を抱え、一つの国家として大陸に名を知らしめる程に成長した。
かつては他種族からの迫害対象となっていたガルム族がこれほどの繁栄を築き、他種族とも対等な関係を保つ今に至ったのは彼らの功績あってのもの。
「何でてめぇがこんなとこにいやがる?それも護衛も付けず、たった一人でだ!大体ヴィレスは今、王位継承戦の真っ最中じゃねぇのか!?」
「やはりお前も王位継承戦に参加するためにヴィレスに向かっていたところであったか……」
ヴィレスの王位にガレオスが就いて三十余年。
高齢を迎え、次なる世代へ希望を託さんとガレオス自ら参加者を募り、開いた次代王位継承戦。
何を隠そう、己もまたその大会に参加するためにコルキドの地を発ったというのに、なぜこの男が目の前にいる。
「ヴィレスでは今も間違いなく継承戦が行われている最中だ。その途中、白い虎のガルムが何やら騒動を起こしているとの知らせを聞いてな。大会は大臣達に任せ、様子を見に来たというだけの話だ」
「答えになってねぇぞ、じじぃ!それだけの話でてめぇが単身ヴィレスを飛び出すわけがねぇ!」
「ただの気まぐれだ。継承戦には多くの参加者が集まってくれはしたが、その中に儂が納得できるだけの者はいなかった。既に希望のない結果を待ち続けるより、帝国兵相手に大立ち回りを演じる者を直接見たくなったというだけの話だ」
「で?近衛兵も付けずに一人で来たってのか?」
「帝国の者達に儂がヴィレス王だと知れれば、村に揉め事を持ち込むことになり兼ねん。わざわざ臣下達を連れ歩いて目立つ危険を避けただけの話よ」
「…………」
もっともらしい理由を並べてはいるが、ただそれだけの理由でそんなことをするだろうか。
言っていることは嘘ではないようだが、まだ何か真意を隠しているような気がする。
だが、今はこれ以上ここで時間を良否している場合ではない。
「そうかよ……じゃあ、俺は行くぜ」
「先ほどの帝国兵を追うつもりか?」
「だったら何だ!?てめぇが邪魔しなけりゃアイツらを助けてやれたんだ……!」
「あの荷馬車に乗せられていたのは人間の奴隷のようだった。なぜ助ける?お前はヴィレスの王になる為にここまで来たのだろう?」
「うるせぇ!!俺は必ず王になってやる!どんなことしてもだ!!でもなぁ……アイツらの目は俺に助けてくれって言ってたんだ!無視できねぇだろ!!」
「王になることを諦めてもか?」
「王になるのは虐げられるヤツら皆を守ってやるためだ!そんな国を作るんだよ!!」
「その物言い。やはり白虎一族の者か……」
「そうだ!白虎一族族長ガルオンの長子ガルディス!親父に代わり一族の無念を晴らす!」
ガレオスがヴィレスの王となって数年のうち、ある一つの事件が村を騒がせた。
彼の盟友であり、兄貴分でもあったガルオンの率いる白虎一族が、王都の荷を強奪したのだ。
だが、それは当時ガルム族を良く思わなかった者達が仕掛けた策略で、ガレオスの失墜を狙ってのものだった。
当のガレオスは臣下の罪をただ罰するのみで、ガルオンを白虎一族ごと永久追放し、王都からの体面を守ったという。
ヴィレスを追放され、遠くコルキドの地まで追いやられた白虎一族のそれからというもの、慣れぬ気候、不足する食料、見知らぬ文化に日々悩まされ、辛い日々を過ごすこととなった。
今、ヴィレスに住む若者達は、その平和が築かれる過程の中で、自分達のように存在を奪われてきた者達がいることを知らない。
それを知っても尚、心から王を信頼ことができるだろうか……。
「小僧……お前、ガルオン殿の子だったのか……?」
「そうだ!なぜ親父達を助けなかった!?親父達がハメられたことはてめぇにもわかってたはずだ!」
「……それについて許しを乞うつもりはない。あれは、儂の弱さが招いた悲劇だ」
「そうだ!俺は私利私欲のために友を売ったてめぇとは違う!俺は真の王に相応しい器を示して、正しい国を作るだけだ!俺達のような存在を二度と生まないためにな!」
「ならば、やはり何を置いてもヴィレスに向かうべきではなかったのか?もう継承戦は始まっておる。今から向かったとしてもおぬしが王になる機会はすでに残されておらんぞ?」
「……あぁ、熱くなると目先の事しか見えなくなるのは俺の悪い癖だ。だから、せめてあのガキ共だけでも助けにいくのさ。王の事はまた考えりゃいい」
「不器用だな……引き留めはせぬが、今お前があの子らを助けても意味はないぞ」
「……何だと?」
「仮にあの子達を助けられたとして、その後はどうする?子供達だけではない。お前もまた帝国に楯突いたお尋ね者になり、ずっと追われ続ける人生だ」
「なら放っておいた方がアイツらも幸せだってのか!?」
「違いするな。儂は間違っておるとは言っておらん。ただ、やり方が何というか……直情的過ぎる」
「……さっきからくどくどと……わかりやすく話しやがれ!!」
「お前は正しいと思ったことをすれば良い。儂が知恵と力でそれを助けてやろう」
「馬鹿にしてんのか!?こっちはぶっ殺してやりてぇ程にてめぇを恨んでんだぜ!?そんな奴の手なんざ借りるわけねぇだろ!!」
「ならばお前があの子達を抱えながら一人逃げ続けるのか?本当にそんなことができると思うのか?小僧」
「……今回だけだ……それ以上、じじぃの道楽に付き合ってられるか……!!」
「それで良い」
こうして一時的に手を組み、帝国軍から奴隷を解放すべく動き出したガルディスとガレオス。
まずは先ほどの場所へと戻り、その足取りを追う。
「轍(わだち)は王都の方へ続いておるな……」
「じじぃ。俺はこの付近のことは知らねぇが、こういうことはよくあることなのか?」
「そうだな……全てを把握しておる訳ではないが、王都陥落以後、働き口として多くの奴隷が王都に連れてこられているという話は聞いたことがある」
「反吐が出るぜ……帝国のヤツら……!」
「物事とは見方によってその性質を変えるものだ」
「あぁん?」
「奴隷制度自体は帝国が王都を占領する前から存在していた。金銭を対価に働き口を得る。奴隷もまた飢えを凌ぐことができ、雇い主によってはそれまでよりも良い暮らしができるようになるだろう」
「人間が人間を飼うのが正しいってか?」
「その様な実例も少なからずあるということだ。もっとも、帝国のやり方については良い噂を聞かぬがな」
「まぁいい。今回、頭を使うのはてめぇの役目だ。ひとまず荷馬車を追うぜ?」
「良かろう。どちらにせよ王都に入られてしまっては手が出せなくなる」
再び馬を走らせること約一刻。
間も無く王都が見えてこようというところで、目標の荷馬車の背を捕らえた。
「止まるな!このまま突っ込むぜ!!」
「無鉄砲なのも良いが、策はあるのだろうな?」
「無論!蹴散らすまで!!」
「やれやれ……」
さらに速度を上げ、追い込みをかける一行。
荷馬車を警護する帝国兵が、後方から響いてくるその馬の足音に気が付いた。
「ん?あれは……さっきのガルムだ!!戻ってきやがった!!」
「馬車を急がせろ!他はヤツらの足止めだ!」
「ありがてぇ……わざわざ隊を二つに分けやがった。おいじじぃ!てめぇが前だ!!」
「待て、小僧!わざわざ一人で十人を相手にするつもりか?」
「どのみち後ろを引き付けねぇとだろうが!」
「儂が手本を見せてやる……おぬしは子供たちを助け出せ!」
「おい!てめぇ!勝手に――」
手綱を手放し、武器を構える兵士達の前へ飛び降りたガレオス。
自分も続こうと鐙(あぶみ)を踏む足に力を込めたが、ここで馬を止めては荷馬車に逃げられてしまう。
「ちっ……!勝手に犬死すんじゃねぇぞ!」
「あっ!?ま、待て!!その馬を止めろ!!」
「行かせぬよ!馬を追いたければ儂を超えていくことだ!」
「くそ……さっさとコイツを片付けろ!!」
そんなガレオスを尻目に、荷馬車を猛追するガルディス。
荷台からひょっこり頭を出した子供達が、こちらを心配そうな目で見つめる。
「ガキ共ぉ!頭を下げてろぉ!!」
咆哮のような声を聴き、慌てて頭を抱えてうずくまる子供達。
その様子を確認したガルディスは、携えた槍を逆手に構え、荷馬車に向けて投げつけた。
「な、なんだと!?」
槍は見事に荷台の車輪に命中し、バランスを崩した荷馬車はそのまま地を滑りながら横転する。
操手は慌てて立ち上がって剣に手をかけたが、ガルディスがその前に喉元に槍を突き付け、戦意を奪い去る。
「手錠の鍵を出しな……見ての通り、俺は我慢強くねぇぜ?」
「わ……わかった……!これだ!!」
「よし……てめぇは用済みだ」
「ひ……!?」
ガルディスが槍に力を入れた瞬間、雄叫びのようなガレオスの声が飛んでくる。
「止めぬか!!」
「あぁ!?」
兵士を相手取りながら、様子を伺っていたガレオス。
「目的を見失うな!早く子供達を連れていけ!!」
「荷馬車はもう使えねぇ!全員は馬には乗れねぇぞ!?」
「考えなしに行動するからだ!儂を置いて早く行け!!」
「全員やっちまえばいいだけだろうが!!」
「愚か者が!勝つことが目的ではない!!余計な危険を生むだけだと分からぬのか!!」
「……偉そうに!」
「おじちゃん……?」
荷馬車から這い出て、ガルディスに近づいてきた子供達が心配そうに声をあげる。
「ぐ……くそっ!!」
頭を切り替えたガルディスは、鍵で子供達の手錠を外し、肩に一人、脇に抱えるようにして一人、膝で挟むようにして一人、計三人の子供を馬へ乗せると、そのまま元来た道を引き返すように馬を走らせた。
「戻っては来るな!さっきの場所で落ち合うぞ!」
「あぁ!心配なんてしてねぇよ!!」
再びガルディスの背を守るように立ちはだかるガレオス。
帝国兵たちはその間、一人として倒れることこそしていなかったが、完全にガレオスに抑え込まれ、身動き一つ取れない状態のまま馬を見送ることしかできなかった。
「虎のおじちゃん……ライオンのおじちゃん大丈夫だよね?」
「口を閉じてねぇと舌噛むぜ?アイツなら心配ねぇよ。すぐに会えるさ」
陽は完全に沈み、子供達が寝静まる時間になってもガレオスが戻ってくることはなかった。
焚火に薪をくべながらガルディスは考える。
明日の朝まで待っても彼が戻らない時はここを離れよう。
「ん……むにゃ…………」
自分のマントを布団代わりにして、すやすやと静かな寝息を立てて眠る子供達。
もしも、あの時自分が戦うことに固執していたら、この寝顔を見ることはできなかったかもしれない。
もしも、自分が荷馬車を破壊せず、もっとうまい方法で子供達を助け出せていたなら、今頃全員揃ってヴィレスに向かっていたのかもしれない。
「クソじじぃが……」
「酷い言われようだな……」
「じじぃ!?」
突然の背後からガレオスの声が聞こえ、身構えるように振り返る。
「大きな声を出すでない。子供達が目を覚ましてしまう」
「てめぇ……無事だったのか……」
「行方を掴めぬよう陽が落ちるまで奴らを撹乱した後ここに向かったので遅くなってしまった。正直、もうここにはいないのではないかとも思ったぞ?」
「けっ……借りを作ったまま放っておけるわけねぇだろ」
「やはり、お前は優しいな……」
「あぁ!?なんでそうなる――」
ガレオスは自分の口の前に人差し指を立て、ガルディスの言葉を制する。
「ぐ……ぬぅ……!」
「良いか、小僧。目的のためには常に何が最善で、どうすれば最も高い可能性を得られるかを考えて動かねばならん。それは自分を信じてくれる者達に対する義務だ」
「さっきのことを言ってんだろ?けっ!それぐらい自分で理解してんだよ……」
「そしてそれは、信じてくれるものが増えれば増えるほどに難しくなるものだ。責任と重圧はどんどん重くなり、自分という個が許される隙は失われていく……」
「また、王たるものはなんちゃらってお説教か?俺はてめぇみたいにはならねぇよ」
「そうだな……儂もあの時、自分を貫くことのできる強い意志があればと……そう思うことが何度もある。選択に悩み、疲れ、挫折しそうになることもな……」
「今度は愚痴かよ……ヴィレスの王ともあろう男が情けねぇ……」
「儂とて冠を外せばただの一人のガルム。なにより、今の儂は王としてここにおるわけでもないしな」
「だったら何だよ?」
「おぬしより長い人生を歩んできただけの老いぼれだ。だが、先人の言葉は聞いておいても損はないぞ?」
「けっ……いいからさっさと寝やがれってんだ」
「ふふ……まぁ、今日はこの辺にしておいてやるか。さて、明日はどこへ向かう?」
「……ヴィレスだ」
「それは構わぬが――」
「親ならいねぇってよ。寝る前に聞いた。こいつら、孤児ってやつみてぇだ」
「……そうか。なら、親元の心配は無用というわけだ」
「……いいのかよ?」
「何がだ?」
「ヴィレスに厄介事を持ち込むことになるかもしれねぇんだぞ?」
「ふ……ははっ!まさかおぬしに心配されるとはな。安心しろ。もしもの時のことは考えておる」
「ふんっ……てめぇが変にしょんぼりしなきゃそんな心配しねぇんだよ……」
――翌朝
「おい。そろそろ起きろよガキ共!」
「ん……おはよ……」
「ねぇねぇ、虎のおじちゃん」
「あん?」
「ライオンのおじちゃんがまだ寝てる」
人間にはガルディスとガレオスが同じくらいの歳に見えるのだろうか。
軽く三回りは離れているというのに、子どもというのは残酷なものだ。
舌打ちをしてから、ガレオスを叩き起こす。
「何でてめぇがまだ寝てやがんだよ!!」
「ぬ!?お、おぉ……すまんな。昔から朝が弱いのだけは治らんのだ……」
「けっ……城でぬくぬく暮らしてっから体が鈍るんだろうが」
予定通りヴィレスへと足を向ける一行。
馬が足りないため、徒歩での移動となったが、後ろから追いかけてくる者もいないようでひとまずは問題なさそうだ。
これもガレオスが単身敵を撹乱してくれたおかげか。
あの時、自分がガレオスの立場なら、ある程度兵士の相手をした後、真っ直ぐ森を目指したはずだ。
そうなれば恐らく今頃は追っ手がかかっていたことだろう。
「ちっ……」
「ん?どうした小僧?」
「なんでもねぇよ、じじぃ!」
「ねぇねぇ、虎のおじちゃん?」
「なんだ?」
「今から行くとこには、おじちゃんみたいな人たちがいっぱいいるの?」
「らしいな。俺も行ったことはねぇから知らねぇんだ。この爺さんに聞いてみな」
「ねぇ、ライオンのおじちゃん?」
「そうだな……狼、ゴリラ、熊、キツツキ、犬、猫、白鳥、鼠、狐、ヤマアラシ、蝙蝠……」
「わぁ!すごぉい!!」
「あまり多くはないが、人間も住んでおるぞ」
「わたし、猫さんの人に会ってみたい!」
「そうだな……儂が良い猫の娘を紹介してやろう。間違っても自分から探しに行ったりするでないぞ?危ないからな」
「んん?」
「おい。そろそろ見えて――あん!?」
「む!?」
ヴィレスが視界に入った辺りで、子供達を抱えて傍の茂みへと飛び込む二人。
「おい、じじぃ……!」
「うむ……どこかに潜んでおるな……」
辺りに微かに漂う不穏な気配。
まだ距離があるためか、位置までは正確に掴むことができない。
恐らくヴィレスの出入り口を監視しているのだろう。
「まぁ、普通に考えりゃ帝国の奴らだろうな。てめぇの正体がバレたんじゃねえのか?」
「いや、それはなかろう。儂は帝国軍の者と外交の場で直接会ったことはないからな」
「風貌だけ知ってりゃなんとなくわかるだろうがよ!」
「それは否定できんが、ライオンのガルムというだけでは奴らも動きはせんだろう。その証拠に、今もヴィレスに入る者を確認しておるだけに過ぎん。証拠を掴もうとしておるのだな」
「ただの奴隷のガキ三人にそこまですんのか?」
「奴らは今や大陸中から反感を買っておる。少しでも弱みを見せれば、反乱の火種にも成り兼ねんからな」
「アイツらも必死って事か……仕方ねぇ……」
「何をする気だ?」
「俺が奴らの目を引く。その隙にガキ共を連れて村へ入れ」
「……おぬしが犠牲になって我らを救おうというのか?」
「ヴィレスの奴らじゃねぇ。ガキ共のためだ。それに、てめぇには借りがあるからな……」
「ならぬ!!」
「ひっ……!」
急に吠えるように大声を上げたガレオス。
驚いた子供達も委縮してしまっている。
「何熱くなってやがる?奴らに気付かれるだろうが」
「……す、すまぬ。とにかくだ、そんな真似は許さぬ」
「だったらどうするってんだよ!?」
「夜まで待ち、闇夜に紛れれば……」
「このままここから動かずにか?下手すりゃ奴らに見つかっちまうぞ!水や食料だってねぇんだ!」
「ならば、儂が囮になろう」
「ふざけんな!てめぇがいなくなったら村でのガキ共の暮らしを誰が保証すんだよ!」
「儂の名前を出せば――」
「余所者の俺らが王の名前を出したとこで信用されるかよ」
「む、むぅ……」
一体何だというのだ。
ガルディスが囮になることを名乗り出た途端、明らかにガレオスの様子が変わった。
いつもの冷静さや思慮深さは見る影も無い。
「いいか?ガキ共にとってこれが一番の選択なんだ。『目的のためには常に何が最善で、どうすれば最も高い可能性を得られるかを考えて動く。それは自分を信じてくれる者達に対する義務』これはてめぇの言葉だぜ」
「……儂は……また」
「ガキ共は明るい未来を信じてんだ。てめぇにはそれを叶える義務があるんだろう?」
「……また繰り返すのか?」
「じゃあな、ガキ共!達者で暮らしやがれ!!」
「おじちゃん……」
そう言葉を残し、茂みを単身飛び出したガルディス。
わざと帝国軍の目を引くように、吠えながら街道を駆け抜ける。
「うぉおおおおおおおおおお!!」
「いたぞ!白い虎のガルムだ!!」
「ライオンとガキ達はどうした!?」
「とにかく追うぞ!!」
「へっ!単純で助かるぜ!」
ガルディスの姿を見た途端、それを追いかけるように姿を現した五人の帝国兵士。
「五人だぁ?気配ではもっと多かったはずだ……まだその辺に隠れてやがんのか……くそっ!!」
どうする。
考えれば気付きそうなものだが、この展開は考えていなかった。
このまま敵を倒して、全ての兵士を炙り出すか。
ダメだ。
今の目的は囮に徹する事。
しかし、どうすれば……
「うぉおおおおおおおお!!」
「ラ、ライオンのガルムが出たぞ!!」
「なんだとぉ!?」
ガルディスとは反対側へ走るようにして姿を晒したガレオス。
慌てた様子で新たに三人の兵士が姿を現した。
「追え!逃がすな!!」
周囲の気配を探る。
どうやら他に伏兵はいないようだ。
「何考えてんだクソじじぃ!!」
「ふっはははは!儂にもおぬしの無鉄砲さがうつったようだ!!」
そのまま大きく円を描くようにして合流した二人。
「ガキ共は!?」
「儂らが去った後、村へ逃げ込むように言い含めた。儂の鬣(たてがみ)とマントの切れ端を持たせてある。それを臣下の者に渡せとな!」
「そんなんで大丈夫なのかよ!?もし信用されなかったら――」
「大丈夫だ!村にもおぬしのような無鉄砲な二人組がおる。あやつらなら儂の意図を察してくれるだろう!」
「何の保証もねぇだろ!」
「なんだ、小僧?おぬしらしくもない」
「俺にもてめぇの堅物さがうつったんだよ!!」
「ふははは!それは良いぞ!!」
暫らく走り続け、ヴィレスから監視の目が完全に外れたことを確信すると、その場で足を止め、帝国兵と向かい合うように武器を構える二人。
「さて、これからのことだが……」
「とりあえずこいつらをぶっ飛ばせばいいんだろうが!!」
「うむ。安心せよ。最後の策は考えておると言ったはずだ」
「今となっちゃそれも信用できねぇ話だ!」
「はぁ……はぁ……貴様ら!もう逃がしはせんぞ!!」
「ガキはどうした!?」
「ガキだぁ?何の事かわかんねぇな」
「まったくだ。誰かと間違えているのではないか?」
「ふざけやがってぇ!コイツらを捕らえろ!!」
――数刻後
ヴィレスから再び数里離れた街道。
そこに、ゆっくりと歩く二人の後姿があった。
「で、どうするって?」
「おぬし、革命軍とやらの話を聞いたことはあるか?何やら帝国軍と戦うために同志を集い、反撃の隙を伺っている組織との話だ」
「ほぅ……そんな物好きな連中がいるのか」
「恐らく、今回のような子供達はまだ他にもいることだろう。ここまできて、そんな彼らを放っておくわけにもいかんであろう?」
「おいおい……全員助け出そうってのかよ……で、どこにいるんだよ?その革命軍とやらは」
「知らぬ」
「あぁ!?」
「儂も噂程度の話しか聞いておらんでな」
「おい、じじぃ!とうとうボケちまったんじゃねぇだろうな!?」
「はは……儂の跡を継ぐ者がしっかりと成長するまでは、そういうわけにはいかぬな」
「はんっ!どこの馬の骨とも知らねぇやつに奪われてたまるかよ。次の王は俺がなるって決めてんだよ!!」
「ほう……なら、精進せねばならんな」
「そういや、じじぃ。継承戦はどうなってんだよ?」
「いかん。大臣達に任せきりであった……」
「てめぇ……ホントにもうボケてんじゃねぇか!?」
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