コルキドより南方、ガライア村から数里の地点。
人里から少し離れ、静かで雄大な自然に囲まれるその場所に、辺りの景観をぶち壊す派手で巨大な屋敷がそびえ立つ。
主の名はゲメイン。
元は一介の商人だったが、周辺を治める領主の腰巾着として奔走し、苦難の末に下級貴族の位を授かるに至った野心家である。
「ゲメイン様。お客様がお見えです」
「うむ。通せ」
執事から報告を受け、自らの書斎に客人を招き入れるゲメイン。
聞けばその者は元軍属で、自分の部隊をまるまる私兵として受け入れる人物を探しているとのこと。
既に十分な数の私兵を抱えていたゲメインではあるが、戦闘の元プロを、それも集団で手に入れることができるまたとない機会。
この話を受けた時から、ゲメインは今日という日を心待ちにしていた。
彼はそれだけの理由を抱えていた。
「失礼いたします」
軽いノックと共に書斎のドアが開かれ、豪勢な椅子に踏ん反り返るゲメインが刺すような視線を向ける。
その時だった。
「――ひっ!?」
扉の向こうから現れたその人物と視線が合った瞬間のことだ。
ゲメインは心臓を貫かれるような、そんな殺気を感じ、本能的に身体が硬直してしまう。
「お初にお目にかかります。ゲメイン卿。お約束をさせて頂いておりました、私イザドラと申します。はて……如何なさいましたか?顔色があまりよくないようですが……」
「……え?」
頭を下げつつ挨拶の言葉を述べたその人物。
その後、気分を尋ねられたことでゲメインはハッと我に返る。
手も足も普通に動く。
気のせいだったのだろうか。
「あぁ……何でもない。少し驚いただけだ」
「驚く……ですか?」
「話には聞いていたが、まさか本当に女だとはな」
色白の肌に整った容姿。
淑女らしい振舞いと品位さえ感じられる。
だが、少し目線を動かすと、その端々に散りばめられた普通ではない要素が目を引く。
右目には眼帯。
はみ出し伸びる傷跡が、眼帯の下の目が既に目としての役割を果たせない状態にあることを嫌でもわからせる。
それに、この服装は高官用の軍服だろうか。
おかげで纏う空気が一般人のそれとは根本から異なる。
「信じられますまいが、これでも部隊長を務めておりました。女の身には風当たりの厳しい世界ですが、正当に私の能力を評価してくださる酔狂な方もいるものです。おかげで、軍を離れても慕ってくれる大切な部下たちとも出会えました」
「確かに。男は利よりも誇りを重んじる愚かな生き物だ。儂を含めてな」
(元軍人だと聞いていた手前、礼儀礼節も理解せぬ粗暴な輩かと覚悟していたが、随分と社交的ではないか。これも一つのビジネスなのだから、ある程度の猫を被ることは当然としても、部下からは厚い信頼を寄せられているようだ。この女もなかなか捨てたものではない……)
「フフ……ご冗談を。たった一代で貴族の地位を築き上げた商売人ともあろうお方が、プライドになど値は付けますまい」
この言葉にゲメインが微かに眉をしかめる。
貴族となる以前、商人として財を成していたゲメインは、野望のためにあくどい商売を手広く営んでいたため、近辺の住人までならず、顧客として相対したほとんどの者から恨みを買っており、その中には同じく貴族も含まれていた。
イザドラが当時のゲメインの生業を知るということは、必然的に彼に敵が多いこともまた知っていることになる。
「ふん……儂のことを随分と調べ上げているようだ」
「どうかお気を悪くしないでいただきたい。我々としても雇用主についての情報はできる限り把握しておきたいのです」
「軍人らしいな……いや、構わん。むしろ当然だ。それくらい慎重で冷静でなければ雇う側としても困る」
「ご理解感謝いたします」
「それでも儂を雇用主に選んだのは、自分たちなら問題なく対処できるという自信の表れと取っていいのだな?」
「…………」
イザドラは答えない。
ただ、口元を卑しそうに歪ませただけ。
(ふん……戦闘狂め。そうまでして戦う相手が欲しいか。だが、使えなくはない……)
「まぁ、腕の立つ兵の獲得はこちらとしても願ったり叶ったりだ。最後に貴様たちの経歴を話してもらう。こちらも事前に調べさせはしたが、念のためにな」
「承知しました。では、我々の部隊が設立された時の話からいたしましょう……」
国王を元首とする君主制国家コルキド。
その国が保有する戦力は、かつての大国レミエール王国に匹敵せんとまでいわれ、数でこそ王国に劣るものの、厳しい環境と訓練により培われた精神力と肉体は、極めて高い兵士としての質を誇る。
中でもイザドラが引き連れている一団は、王の勅令により設立された第一特殊戦術部隊に所属していた面々だった。
それはありとあらゆる戦闘訓練を潜り抜けた戦闘のエキスパートたちで編成され、隊長イザドラの指揮の元、絶対勝利を掴み取るために作られた特別部隊である。
しかし、ガルヴァンド帝国との同盟を経て、帝国が王都を滅ぼしたことを機に国内の情勢が大きく変化する。
帝国に恐怖したコルキドの上層部は、帝国に言われるがままの傀儡(かいらい)と化し、実質的支配下に置かれることとなった。
間も無く、コルキドにおける全ての部隊は強制解散させられ、イザドラたちはそのまま国外追放となったという。
イザドラはこれらの情報を微塵の躊躇もなく淡々と語った。
国家機密に当たるはずの情報さえも包み隠さず。
「……いくら国に捨てられたとはいえ、かつては忠誠を誓った国家の内政情報まで惜しげもなく語るとはな」
「既に決別した国……それに、今のコルキドは忠を尽くすに値にしない。ただそれだけのことです。それとも、情報そのものをお疑いでしょうか?」
この時、ゲメインがイザドラに感じたのは、哀しみではなく、静かな怒りだった。
(本心か否か……儂をただ試しているのか……まぁ、この際何でも構わん。元コルキドのエリート集団ともなれば、戦力としては貴重この上ない。信用に足るかどうかは後々知っていけばよい。今はメリットの方が遥かに大きいだろう……)
「よかろう。君たちを正式に我が屋敷の私兵として雇い入れることとする」
「荒事くらいにしか使えぬ我々ですが、国に捨てられて尚も居場所があるとは……私が口にするのもなんですが、随分と物騒な世の中になったものです。心より感謝しますよ。ゲメイン卿」
こうしてゲメインは、イザドラを含む約二十名の元兵士たちを丸々私兵として雇い入れた。
その際に交わした契約内容は大別して三つ。
一つ。
報酬は出来高払い。
ただし、衣食住は保証され、その他にも装備の調達、任務や演習にかかるものなど、私兵団を運用する上で必要となる経費についてはゲメインの承認を受けた後に支払われることとする。
二つ。
私兵団の統括指揮、育成など、戦闘に関わる全ての要素における方針決定はイザドラが行うものとする。
ただし、行動実行前には予めゲメインへ報告し、その可否を問うこととするが、緊急時においてはその限りではない。
団員には元々ゲメインが持っていた私兵も含まれており、イザドラは新規団員と合わせ、その全員を束ねる私兵団団長としての役職が与えられる。
三つ。
以上の契約に違反した場合、ゲメインはイザドラを含む全ての私兵を対象に禁固等の罰則、または解雇を強いる権限を有する。
これらは雇用主であるゲメインが思い通りにイザドラを操れるように交わしたゲメイン有利な契約。
だが、雇用主有利になることが自然とはいえ、元軍人の部隊長ともなれば、それなりにプライドもあるだろう。
何らかの交渉があると踏んでいたゲメインだが、そんな予想とは裏腹に、イザドラはこれら契約条項を快諾した。
(一体何を考えている?部下たちを守るためならプライドなど二の次、三の次ということか?わからん……儂はまだこの女の本性をあまりに知らなすぎる……)
ゲメインにとっては都合の良い流れではあるが、やや肩透かしを食らった気分になり、少し顔を曇らせる。
「では、現時刻をもって任務を開始いたします」
「やけに急くではないか……」
「一息つくにも、まずはそれが可能な環境かどうかを確かめてからでなくては落ち着くこともできますまい」
「なるほど。気構えからして儂らとは違うな」
このやり取りだけ見ても、彼女の綿密さ、慎重さといった要素は十分に伝わってくる。
それだけに、契約内容を快諾した点の不自然さが異様に際立つ。
「では、まず屋敷内の全ての武装を見せて頂けますか?アンティークや飾剣も全てです。それから私兵団用に用意されている施設も視察しておきたい。その後、ゲメイン卿が契約している私兵を全て庭に召集するようお願いします」
「は……?今すぐにか!?」
「戦力、状況の把握。団員同士の顔合わせと指揮系統の確認。この程度は当然でしょう。私は貴殿をお守りすることを約束しなくてはならない。これはそのために必要な措置です」
(途端に威勢が良くなったではないか……なんとも面倒な。まぁ、今はこれくらい許してやるか。しばらくはその手前をとくと拝見させてもらおう)
「いいだろう……だが、全てとなるとそれなりに時間がかかることになるが、構わんな?」
「致し方ないでしょうな。我々の常識は、貴殿らとはだいぶ異なるようです。差し当たっては、施設の視察から参りましょうか。その間に武装を揃えておくよう手配をお願いいたします」
「わかった…………」
そして、ゲメインは徐々に知ることとなる。
戦争屋、否、イザドラという人間が、決して自身の考えの枠内に収まるような存在ではないことを。
「何だこれは……何なのだこれは!?」
「おはようございます。ゲメイン卿。いかがなさいましたか?」
イザドラと契約を結んだ翌日の朝。
起床し、私室から出てきたばかりのゲメインとイザドラが廊下で向かい合う。
「あやつらは貴様の部下だろう!?あれは何をしているのだ!?」
ゲメインが窓の外を指差すと、そこにはイザドラの部下たちが屋敷周囲の外壁をハンマーで打ち壊している姿があった。
さらに、撤去された外壁部に新たに極太の鉄柱を次々と打ち込んでいる。
「昨日お話した通りですよ。屋敷を拠点とした防衛戦において、今の環境はあまりにも戦闘に不向きであると申しました。なので、まずは外壁をより強固に、より高く作り直しているまでです」
「ここの環境が防衛に不向きであるとは聞いた!今後は防衛力を強化していくともな。だから儂は貴様に訴えに応じて武器やら何やら手配したのだぞ?だが、屋敷に手を加えるなどとは一言も聞いていない!!」
「申し訳ありませんが、今は全ての目的、内容を事細かに説明している時間などないのです。貴殿はあまりに無知で、無防備でいらっしゃる。全ては貴殿と、貴殿の私産を守るためです。どうかご理解いただきたい」
(この期に及んでまだ儂のためなどと言い張るか……!)
「だが、屋敷も儂の私産であることに変わりはない。それを許可なく破壊することが許されるとでも……!?」
「可能であれば、屋敷に手を加えることは避けたかったのですが、外壁の外はゲメイン卿の私有地ではありませんので領主殿の了承が必要となります。また、外壁の内側に新たに壁を設けた場合、レンガ造りの旧外壁を足場にして、敵勢が外壁を乗り越えてくる可能性があります。よって、これが最速、かつ最善の策だと判断し、実行したまでです」
「だが――」
「繰り返しますが……これも貴殿と、貴殿の私産を守るため……ただ、そのためにです」
途端にイザドラの纏う空気が変わった気がした。
その眼光は、昨日ゲメインが彼女を初めて目にした時に感じた殺気のような圧を孕んでいる。
(儂は……とんでもないモノを身近に引き入れてしまったのではないか……?)
「ぬ……ぬぅ……良かろう。だが……今後、このような作業を行う際には儂にも報告するように……よいな?」
「承知しました。ご理解感謝いたします……」
その後もイザドラ主導による屋敷の改築は続く。
全ての部屋の扉は金属製のものに交換され、備え付けの窓の外には鉄格子を設置。
さらに、床下、天井も鉄板で補強された。
続いて、広大な隠し地下室と、かつての倍以上もある武器保管庫の増築。
外壁の四隅には監視塔が建てられた。
こうして生まれ変わったゲメインの新たな屋敷は、さながら要塞の体を成していた。
「とりあえず環境の改善はこれで完了したといえるでしょう。いかがですかな?」
「……これが貴族の屋敷たる姿か?これではまるで、儂が常日頃から命を狙われ、しかもそれを恐れているようではないか……!」
要塞と言われればまだ聞こえはいい。
が、ゲメインにはまるで自分を収監する刑務所のように見えた。
口調を荒げぬよう抑えてはいるが、その怒りはイザドラにも確実に伝わっているはずだ。
「我々の認識では、そうなる可能性も決して低いものではないと捉えております。だからこそゲメイン卿も多くの私兵を雇い入れ、あげく我々のような者とまで契約したのでは?」
「それはわかっておる!だが、ここまでする必要があったのかと聞いておるのだ!」
「恐れは恥ではありません。危険を承知の上で最善の対策を講じない方がよほど滑稽です。勇敢であることと無謀であることを一緒くたにしてはいけません。古の教えを妄信して死を誇りとする愚か者は騎士だけで十分ですよ」
騎士を愚か者と吐いて捨てるイザドラ。
淡々とした言葉ではあったが、彼女の『死』に対する認識は騎士のそれに比べ、戦場に立たない者にとってはよほど納得ができるものだった。
死は尊ぶより先に恐れるべきもの。
本来それは、生を謳歌する人間が失ってはならない価値観。
「……言わんとすることはわかった。だが、これだけは確認しておく。この所業は本当に儂のためであったと、そう言い切れるか?」
(人間とは雇い主のためにここまで尽くせるものなのか?心から信用に足ると判断し、全てを捧げると誓わせるだけのものを儂はこやつに与えていない。ならば他に何かがあるのだ。確かに感じる、この不安と恐怖。それがこやつの中には潜んでおる……)
ゲメインはこうまで言葉を尽くすイザドラの、その奥に潜む何かが気にかかって仕方がなかった。
「勿論です。貴殿は今や我々の雇い主であると共に、忠を尽くすべき王なのですから」
「また歯が浮くような台詞を……良いだろう。今は信用してやる」
「…………」
イザドラは、口元を歪ませ、再びあの不敵な笑みを見せつけた。
イザドラがゲメインの屋敷に来てから二週間が経過した。
――コンコンッ
「ゲメイン卿。またです」
ゲメインの書斎のドアがノックされ、ドア越しにイザドラの声がゲメインの耳に入る。
「……またか。いつものように処理しておけ。何かわかったら報告するように」
「承知しました」
ドアが開けられることのないまま会話は終わり、廊下からイザドラの気配が消える。
『また』
この言葉は屋敷に近づく不審人物のことを指していた。
イザドラたちが屋敷に来てからというもの、数えること五人。
恐らくは今回も屋敷が急に様変わりしたことを不審に思っての偵察といったところだろう。
というのも、素性と目的に関しては、これまでの四人の不審人物全員の調べは付いている。
イザドラの率いる私兵団は、こうした不審人物が屋敷に近づく前に察知し、屋敷に近寄らせることすらせずに身柄を抑えていた。
その後に行われるのは厳しい尋問。
初めは皆一様に口をつぐんでいたものだが、さして時間もかからぬ間に口を割り、最後には助けを求めて泣き叫ぶばかり。
そうした者たちの背景は、決まって金で雇われた諜報員だった。
雇い主は近隣の貴族。
ゲメインを快く思わない者たちである。
今になってわかる自分の危うさ。
一部の者たちから反感を買っていることは無論承知の上。
だが、ここまで直接的な行動に出る者がいようとは考えてもいなかった。
堅牢な屋敷はそうした敵から身を守るだけでなく、おびき寄せる餌としても機能し、これまで把握しきれていなかった敵の姿を日に日に浮き彫りにしていく。
「さて、どうするか……」
ゲメインは静まり返った書斎で一人考える。
(これもあやつの狙い通りという訳か……ヤツの狂気は大きな危険を孕んだ爆弾ともいえるが、あの優秀さはもはや疑う余地はない。何とか完全に懐柔することはできないものか……)
その直後のことだった。
既に陽はとっくに沈んでいるというのに、庭から大勢の人の気配を感じ、ゲメインが窓を覗く。
「くそぅ!今度は何をしている!!」
そこには、装備を整えた私兵団の面々が隊列を組んで待機していた。
――コンコンッ
「ゲメイン卿。ご報告が」
「入れ!」
「失礼します」
再びノックされたドア。
今度はそれが開かれ、イザドラが部屋へと入る。
「あれは何の真似だ?」
「これより近辺に巣食う山賊、またはそれに類する対象を全て掃討して参ります」
「山賊だとぉ……?」
突拍子もない単語の登場に、不機嫌面だったゲメインの表情が困惑の色に染まる。
「はい。先程捉えたネズミがアジトの情報を吐きました。どうやら敵は金で山賊を雇っていた模様です」
「……儂の命を狙ってか?」
「そのようです。遅かれ早かれこうした事態になっていたのでしょうが、我々が防御を固めたことを受けて、それが完全になる前に急ぎ強硬手段に出たというところでしょう。ですが、敵方は不運でしたな。我々のような存在をゲメイン卿が握っていることまでは知らなかったようで……ゲメイン卿にとっては幸運だったとも言えますか……」
「……儂を殺すために雇われたのが貴様らでなくて良かったと言わせたいのか?」
ゲメインがイザドラに対し不信感を持ち始めているのを察した上での発言なのか。
それとも単にからかっているだけなのか。
どちらにせよゲメインにとっては面白くもない。
「まさか。我々を雇おうなどと考える酔狂な御仁もそう多くはいますまい」
「……まぁよい。儂とて貴様らの力は認めておるつもりだ。山賊たちの件、方法は任せる。直ちに排除しろ」
「……ククッ……変わられましたな。平和ボケしていた頭もようやく切り替わったようで安心しました」
「そのやり方を見ていれば嫌でも変わるわ」
「何よりです……ヤツらに聞いてみるとしましょう。自分の命が、果たして受け取った金に見合うものだったかどうか。私の部下の半数を置いて行きます。通常の警護であれば十分事足りるでしょう。それでは……」
部屋を出て行くイザドラの背を見ながらゲメインは思う。
(爆弾であることは百も承知。だが、所詮は駒。道具に過ぎぬ。ならば儂が使い潰してやる。ヤツらに呑まれないだけの狂気をもってして……)
イザドラたちが屋敷に戻ったのは、翌日の昼前のことだった。
所詮は素人相手。
てっきり手早く片付けて戻ってくるかと思っていたゲメインは、イザドラの報告を楽しみにしながら待っていた。
「ふん……たかがごろつき集団を処分するのに、どれだけ時間をかけておるのやら。でかい口を叩いていた割に、その実たいしたことはなかったという訳か……」
――コンコンッ
「ゲメイン卿。今、戻りました。任務のご報告を」
「入りたまえ」
ドア越しに聞こえたイザドラの声はいつも通り淡々としたもの。
「随分と遅かったではないか。そんなにも手こずる相手だったということか?」
(健気に平常心を装ってはいるが、どんな醜態を聞かせてくれることやら……)
「これはこれは……気を揉ませてしまったようで申し訳ございません。昨晩捉えた一味の者はおおまかにしか組織人数を把握していなかったため、確認作業に少々手間取りました……」
「ほう?詳しく聞かせてもらおう」
「では、作戦の第一段階から……」
イザドラのやり方は徹底した掃討戦だった。
闇夜に乗じての奇襲に始まり、慌ててアジトから顔を出してきた賊を狙撃。
自分たちが囲まれていることを察し、アジトに立てこもったところを最新の高性能爆弾で集中爆撃。
崩壊したアジトに向けて一斉射を加えた後、隊を分散させて息のある者がいないかを念入りに捜索。
続いて、周辺三キロ圏内を捜索。
アジト外に出ていた賊を駆逐した。
「たかが賊相手にそこまでしたのか……!?」
「実戦とは程遠い作業染みた戦闘ではありましたが、久方ぶりの演習と思えば悪くはなかったでしょう。このところ屋敷の改築のせいで鈍っておりましたので、そうした意味では手頃でした」
「演習だと!?あの爆薬がいくらしたのか知っているのか!?」
「さぁ……詳細な値段までは。ですが、良い物でしたよ。流石はガリギア製。あれをまた同量補充していただきたい」
「なん……だと……!?」
屋敷に来てからというもの、屋敷の改装費を手始めに、装備の充実や補充など、何かと金を使いまくるイザドラ。
ゲメインは自身の資金力を誇示し、イザドラたちの信用を得るためにも、当初はこれらに応じ、財産の多くを支出していた。
この爆薬というのもその一つで、これだけでも大きな屋敷を数件は建てられる程の大枚をはたいていた。
全てはイザドラたちを飼い慣らし、誰も逆らえぬ程の地位を築き上げるため。
(つけあがりよってこの狂人め!餌代と思って甘くしたのは間違いだった!!こんなにも軽々しく……!!)
ゲメインの顔が怒りで赤々と染まり始めるが、イザドラは微塵も気にかけることなく続ける。
「話を戻しましょうか。実は、件の山賊ですが、全滅していない可能性が僅かながら残っています」
「ふざけるな!!多大な損失を被ったうえに、任務を途中で放棄してきたというのか!?」
「戦闘後、生き残っていた者に尋問してもみましたが、こやつらも同様。賊のハッキリとした人数を把握しておりませんでした。近隣の街に物資調達に出ている者などがいた場合、討ち漏らしていることになります」
「で!?どうする気だ!?!?」
「勿論、その場合を考慮し、アジトの付近に数名の部下を潜伏させております。もし生き残りが戻ってきた場合はこれで対処できるでしょう。ですが、これも絶対ではありません。そこで、雇い主である貴族邸に一個分隊を派遣しました。許可を頂ければ直ちに処理いたします」
怒りで赤く染まっていたゲメインの顔が一変し、今度はみるみるうちに青ざめていく。
「ま……待て!貴族を手にかけるつもりか!?」
「ご自身の命を狙った輩ですよ?放置すれば、再び命を狙われる危険もあるでしょう」
「だが、貴族を討ったとなれば他の貴族からの大規模な調査も免れまい!儂の指示であることが発覚すれば、貴様らとてタダではすまんぞ!?」
「…………任務に発つ際に『変わられた』と言いましたが、これはどうやら私の勘違いだったようです。貴方は何も理解していない。命のやり取りとはどういうものなのかを。良いでしょう。部下には警告だけさせて引き上げさせます」
「あぁ。それで――」
「ただし!」
ゲメインの言葉を遮ったイザドラが豹変。
今まで見え隠れしていた本性が、完全に顔を出した瞬間だった。
「今回だけだ。今後、同じことがあれば我々は容赦なくそれを叩き潰す。戦闘と戦争は違う。その点をわかっていない以上、我々の指示には従ってもらう他ない。まさかとは思うが、我々の飼い主にでもなったつもりだったか?それは違う。あくまで金銭と紙切れによる契約で結ばれた協力関係にあるだけだ。そこには命を賭けるに値する価値も忠義も存在しない」
「だ、だが、その契約では主導権は儂にあったはずだ!」
「平時においてはそうだ。だが、緊急時における取り決めがあったはずだぞ?最も熱り立つべき本人が今さら怖気づいている。あまつさえ敵に温情をかけろと?これが緊急時でなくて何だ?いいか。これ以上、我々の領分を穢すようならば、我々も対応を考えなければならん……余り踏み込んでくれるなよ?」
「う…………」
(何がこの女にここまでさせるのだ……儂は間違っていた……関わるべきではなかったのだ……!)
「返事が聞こえんぞ……?」
「わ、わかった……!」
雇い主としての沽券などに構っている場合ではない。
命の危険さえも感じ取ったゲメイン。
結局、金にがめつく、プライドだけが高い成り上がり貴族の老人に、そもそも首を横に振る権利などありはしなかったのである。
「では、事後処理が残っておりますので、これで失礼します」
「あ、あぁ……」
契約という結びつきを飛び越え、生物としての上下関係が確定された瞬間だった。
それがきっかけだった。
この日を境にイザドラは変わる。
なんだかんだあっても、基本的にはゲメインに尽くす形に徹していた彼女だったが、一度見せた本性がますます際立ってくるようになったのだ。
演習と称して周辺の野盗や山賊を率先的に狩り、それに伴う費用についてはこれまで以上に無心してくる。
費用と称し、隠れて蓄えでも作っているのではないだろうかとさえ思わせる。
その狂気と金遣いは、もはや一人の成金貴族の手に負える範疇を大きく超えていた。
「帝国軍の正規兵装備だと!?そんなもの手に入れる伝手がどこにある!?」
「探してください。我々には必要なのです」
「大体そんなもの何に使うつもりだ!?余計なことをして目を付けられでもすれば――」
「一方的に王都を陥落せしめた連中ですよ?今後どのような動きに出るか知れたものではありません。もしもの際、貴殿をお守りするためにも、なるべく正確に戦力を把握しておく必要があります。あくまでも、貴殿をお守りするために、ね……」
「無茶だ!こんなもの――」
「できない、と……?」
「う……じ、時間をくれ……出来る限りのことはしてみよう……」
「よろしくお願いしましたよ?」
それでも何とか自身の被害を留めようとゲメインも試みるが、一度決まってしまった上下関係を覆すことは叶わず、イザドラの圧に押され、毎度毎度首を縦に振らされる。
極め付けは、私兵団内の変化だった。
イザドラの傍若無人な言動と団長としてのカリスマ性は、元々ゲメインが飼っていた私兵を次々と惹き付ける結果となり、ゲメインが気付いた時には、もはや彼の言葉に耳を傾けようという者さえもいなくなっていた。
ゲメインがイザドラと契約を結んで三カ月。
この時点で、ゲメイン邸はゲメインを傀儡とするイザドラが代表を務める小さな君主国家と成り果てる。
「ガリギア製の最新鋭機関銃と……防弾装甲……確かに。これで屋敷の守りもより盤石なものとなるでしょう。どうかご安心を。ゲメイン卿」
相も変わらず金と装備を無心し続けるイザドラ。
これまでにゲメインが調達させられた武装の量は、数十人の団員にあてがうにしても、とても装備しきれる量ではない。
一個中隊が丸々完全武装できるほどのもの。
「……それは……なによりだ」
(こやつ……戦争でも始める気なのか……?)
「これから試射に向かいますが、同行されますか?」
「……結構。また山賊でも狩る気か?」
「いえ。もうこの辺りに山賊などおりませんので。ただの動作確認ですよ」
「そうか……」
毎週のように演習に赴き、その相手として山賊、盗賊、それらを殲滅。
イザドラたちが全滅させた組織は三つ以上。
さすがに噂も立ち、誰も寄り付かなくなるはずである。
「ところで……先日、山賊を雇ってゲメイン卿のお命を狙った貴族を覚えておられますか?」
「あぁ……無論だ」
「確か名前は……失礼。失念してしまいました。まぁ、すぐにこの世から退場願う身です。覚えていても意味はないでしょうが」
「まさか……」
「屋敷付近に配置していた監視より報告がありました。何やら良からぬ連中が屋敷に出入りしていると。既に一度警告はした。奇跡的に免れた死を、さも当然であると勘違いでもしたのだろうな。貴族だから殺されぬだろうと……舐められたものだ……!」
「だが――」
「我々の尻尾を掴ませんよう、偽装工作は徹底する。それで問題なかろう?」
「…………」
イザドラが部屋を出て、私兵団を連れ出撃するまでの間、ゲメインは何も言うことはなかった。
自分では止められないことを知っているから。
否、あの眼をした彼女を止められる者などいないことを知っているから。
「どうしてこうなってしまった……儂はどうすべきなのだ……この期に及んで契約を破棄しようものなら、どんな手段に出るかわかったものではない……関わってしまった以上、後戻りもできん……だが、このままではヤツらに食い潰されるか、最後には共倒れになるだけだ……どちらにしても破滅……ならば――」
書斎で頭を抱えるゲメインが漏らす。
どう飼い慣らそうか。
どう使い潰そうか。
そんな立場も今や逆転。
じわりじわりと心を蝕んでいく恐怖。
もはや耐えられない。
そして彼は、引かされた貧乏くじをどう処理するのかを決める。
「おい!馬を用意しろ!!」
ゲメインは書斎を飛び出し、執事を呼びつける。
「お待ちください、ゲメイン卿。イザドラ団長より、不用意な外出は控えさせるよう厳命されております」
執事より先にゲメインの元に駆けつけたのは、私兵団員の一人。
イザドラが監視と警護のために残していった者だろう。
「知ったことか!貴様らご自慢の団長様が何をしようとしているのか知らんわけでもあるまい!儂は万が一のために周辺貴族に根回しをする。この所業が誰かに知られれば、困るのは儂だけではない。貴様らとて同じだろう!」
「団長の作戦通りであれば、その危険性は非常に低いかと――」
「最善を尽くすことに不満があるか!?これはあやつの言葉でもあるのだぞ!わかったらそこをどけ!!」
ゲメインは団員の制止を無理やり退け、馬車へと乗り込む。
「急ぎオグール卿の屋敷へ迎え!」
ゲメインの屋敷から西に数里。
霧がかる辺境の地にオグールの屋敷は存在した。
廃墟となった古城を屋敷に改装したその建物は、得も言えぬ不気味さが漂っている。
「ゲメインだ。突然、約束もなしに失礼なのは承知しておるが、オグール卿と急ぎ話がしたい。取り次いでもらえるか?」
「……かしこまりました。客間にご案内いたします」
「助かる」
アポなしであるにも関わらず、門でゲメインを出迎えた執事と思わしき男は、すんなりと屋敷の中へと馬車を通す。
彼らにとってはこうした例は日常茶飯事なのだろう。
オグールが生業とするのは人材紹介事業。
奴隷、商人、執事、メイド、貴族などなど、職や階級に捉われないコネクションを多方面に持つ人物である。
中には急を要する顧客も多い。
そして、これは貴族間では有名な話だが、彼は暗殺者や傭兵などの、荒事を専門とする連中への橋渡しも請け負っていた。
「お待たせして申し訳ない。お目にかかるのは初めてですな。ゲメイン卿」
客間で待っていたゲメインの前に現れたオグール。
異常なまでに笑顔を強調する表情。
この男も普通ではない。
「突然押しかけた無礼をお詫びする。だが、背に腹は代えられぬ事情があって参った次第」
「なるほど。ビジネスのお話ですな?」
「御察しの通りだ。前置きは省こう。急ぎ始末したい連中がいる」
「ふむふむ……では、標的の詳細をご存じの限りお聞かせ願いますかな?」
ゲメインがここを訪れた理由。
それはイザドラたちを始末するため、それができるだけの者たちに渡りをつけるためである。
待つも流されるも果ては地獄。
最後に自身が生き残る可能性を見出した先、その方法がイザドラたちの抹殺だった。
屋敷を出る際、それらしい目的をでっち上げて彼女の部下を跳ね除けたが、ゲメインにとって、今この時はイザドラの監視が緩まった絶好の機会なのである。
「始末して欲しいのは、儂が抱えている私兵団の連中だ……」
「ほう……なんとも珍妙なお話で」
ゲメインは語った。
イザドラたちの過去、戦力、行動理念、自分が知る限りの全ての情報を。
「そういうことでしたか。最近、私が商品にしていた山賊共と連絡がつかなくなっていたので、調査をさせていたのですが……消息はつかめず、見つかったのは跡形もなく破壊されたアジトだけ。犯人の手がかりになりそうなものは何一つない……」
「面目ない……儂ではもうヤツらを止めることはできんのだ!」
怒りを買ってしまったかと思い、慌てるゲメイン。
だが、オグールはニコニコとした表情を崩すことなく続ける。
「いえいえ。むしろ感心しているのです。それだけ派手に動けば痕跡の一つくらいは残るものですが、彼らを消したのが貴殿の話す私兵団の仕事だったとなると、その実力はもはや疑いようもありませんな。むしろ興味が湧いてきました。その私兵団の方々に。実に欲しいものです……が、恐らく交渉は不意に終わるでしょう」
「だろうな……交渉に乗ったフリをして、逆に喰らいにくるような連中だ」
「わかりました。貴殿の望みを叶えるだけの駒を用意しましょう。ただし、紹介料と彼らへの報酬。安くはありませんぞ?今回は相手が相手ですので」
「わかっておる……いくらでも出すさ。破滅と天秤にかければ、安いものだ!」
「では、手配が済みましたら、後日ご連絡させていただきます」
「感謝する」
これでダメなら諦めるしかない。
藁にも縋る思いで、ゲメインがかけた大勝負。
「ふぅ……」
会談を終えたゲメインは急ぎ屋敷へと戻り、書斎にて大きく息をつく。
――コンコンッ
「ゲメイン卿。今、戻りました。ご報告を」
直後、部屋の扉がノックされた。
作戦終了の報告に訪れたイザドラである。
「うむ……入れ」
部屋に彼女を招き入れるゲメインは平静を装う。
彼女の部下の制止を振り切ってオグールと接見した。
相手や目的までは知られていないとしても、屋敷を出た行動そのものがイザドラにとって快くは思えない行為だろう。
「おや?お疲れのようですね。ゲメイン卿……?」
静かで、冷たく、這い寄るようなイザドラの声に、冷汗が噴き出る。
「疲れもする。まさかこんなことになるとは思っておらんかったからな」
「我々が行動を開始した後、ゲメイン卿が護衛も連れずに屋敷を発たれたと報告を受けました。そこまで急いでどちらへ……?」
作戦の報告よりも優先してゲメインの動向を探るイザドラ。
不信感を隠すつもりはまるでないのだろう。
だが、ゲメインとて今さら退く気は毛頭ない。
「屋敷を発つ際、貴様の部下に伝えたはずだ。貴族を討つならば、根回しが必要となる。少しでも身の潔白を証明してくれる人間を増やしておくことは当然の対応だ」
「ほほう……ゲメイン卿の話にそこまで耳を傾けてくれる御仁がおられたとは……」
「あまり儂を舐めるな?そうした繋がりは時間をかけ作ってきた。今日話し合いを持ったオグール卿は、広く顔の利く人間だ。その伝手を借りたまでのこと」
「なるほど……これは余計な詮索でした。では、万が一の心配もこれでなくなったということですね?」
「不満か?自分たちの力に全て任せてもらえなかったことが。それとも、儂が思い通りに動かなかったことか?」
「まさか……そうでなくては私としてもやりがいがない。次はどのような面白い事が起きるのか……楽しみで堪りませんな……」
「ふん……!」
(つくづく狂人……どこまで掴んでいるのか知らんが、儂は決めたのだ。今に目にものみせてくれる!)
彼女の眼に宿る光は怒りではなかった。
もっと異質な、禍々しく狂気に染まった淀んだ光。
――数日後
ゲメインは周辺貴族が集う会議の場に召集されていた。
議題は先日討たれた貴族に関する周知と今後の対応について。
「――というわけで、犯行は物取りを目的とした賊の仕業と思われるが、厳重な警備を掻い潜っての犯行だ。皆も警戒を怠らぬようお願いしたい」
「賊の特定に繋がるような手がかりは何かないのですかな?」
「今のところはない。目撃者はおろか、屋敷には生き残りすらおらぬ状態だったと聞く」
「おぉ……なんと惨い……」
「屋敷にあった金目の物は全て奪われていた。こうした事実から、賊は手練れ、それも大規模な組織ではないかと推測される」
「そういえば、周辺の山賊たちが姿を消したとの噂も聞いておりますな。それと何か関係があるのでは?」
「現時点では何とも言えんな……」
領主を筆頭に、白熱した議論を交わす周辺貴族たち。
だが、その内容は具体性をまるで欠いており、それはゲメインの手の者による犯行だとは知られていないことを意味する。
というのに、ゲメインの顔色は優れない。
「……ゲメイン卿は何かご存じありませんかな?聞けば、屋敷の警備に大変力を入れておられるそうで」
やはり来た。
イザドラ独自の判断で行った事とはいえ、あれだけ大規模な屋敷の改装。
嫌でも噂は立つ。
それに加え、直後にこんな事件が起きては疑惑の目が向けられるのも当然だ。
「最近、屋敷付近で数度に渡って怪しい人物が目撃されておりましてな。先程お話に出た山賊の件もそうですが、何やら物騒な気配を感じたので、自衛手段を取ったまでのことです」
「それにしても度が過ぎるのでは?まるで刑務所のようだったとも聞いてますぞ?」
「はは……お恥ずかしながら臆病な性格なものでして。これまでは見栄を張っておりましたが、居た堪れなくなり、気づけばあのように不格好な屋敷に成り果ててしまった次第です」
何とか疑惑の念を晴らそうと、ゲメインは饒舌に語る。
「ですが――」
「まぁ、良いではありませんか。私も身の回りでそうした事があれば不安で堪らない気持ちは同じ。皆さんもそうでしょう?」
「それは……まぁ…………」
「ここでゲメイン卿を責めるのはお門違いというものです。彼とてそんなことをすればどういう目に遭うかよく理解しているはずですよ」
ここでオグールが、追及の憂き目に遭うゲメインのフォローに入る。
この場にいる者の中で、本件の犯人がイザドラたちであることを知るのは彼女たちの雇い主であるゲメインと、その所業を全て聞かされているオグールの二名のみ。
それでもオグールがゲメインを庇うのは、既に契約がある段階まで進み、引き下がれない状況にまで来ているということ。
「オグール卿の言う通りだな。ところで、貴殿はとても顔が広い。そうした連中の心当たりはないか?」
「情報が少なすぎますな。山賊、盗賊、あるいは傭兵団など、それが可能と思われる者たちはいくらでも存在します。そうした組織を全てしらみつぶしに調査するというのは、いささか我々の力の適うところではありますまい」
「確かに……だが、可能性がないわけでもない。できる限りで構わん。調べてみてくれ」
「承りました。事件解決のためにも、全力を尽くすことをお約束いたしましょう」
「うむ。頼んだぞ。では、この辺で一度休憩を挟むとしよう」
次の話題に入る前に休憩が入る。
会議が始まって半日近くぶっ通しだったのだから無理もない。
さすがに議場の椅子に座る面々にも疲れが見える。
「外の風にでも当たりに行きませぬか?ゲメイン卿」
椅子に深く腰掛け、溜め息をつくゲメインに話しかけたのは、先日取引を持ち掛けたオグールだった。
「オグール卿……それは良い。気分転換にもなる。だが……」
(今二人で行動するのはまずいのではないか……周辺警備にはイザドラも参加している……)
「ご安心を。彼女たちには屋敷の外周警備を担当してもらっていますので、気にする必要はありますまい」
周囲を気にするゲメインの耳元で囁くオグール。
それを聞き、ゲメインの口元が微かに緩んだ。
「では、参ろうか」
「ええ。是非是非」
二人は他愛のない話をしながら、階段を下りていく。
だが、これはカモフラージュ。
この場で二人っきりになることを所望したオグールの真意を当然ゲメインも察している。
「こちらへ……」
「うむ」
ゲメインが案内されたのはテラスではなく、一階の外れにある小さな部屋。
部屋の前には見慣れぬ男が立っているが、風体から察するに屋敷の執事などではない。
鍛え上げられた分厚い胸板だけを見てもそれがよくわかる。
「ゲメイン卿をお連れした」
「ご苦労様です、オグール卿。どうぞ……団長も心待ちにしてましたよ」
(やはりここで請負人の紹介を済ませてしまおうということだな。再びオグール卿の屋敷に足を運ぶことになるのは危険だと思っていたが、今日の会議は絶好の目くらましになっているわけだ。最も焦らなくてはならん儂にとって絶好の好機とは……皮肉なものだ)
薄暗い部屋の中に通されると、目の前には簡素な椅子が用意されており、その向かい側には筋骨隆々の大男が一人、いやらしい笑みを浮かべながらゲメインたちを待っていた。
ふとその隣を見ると、あまりにも場に似つかわしくない幼い少女が直立不動で立っている。
頭に乗せた大きな耳は彼女がガルムであることを告げており、希薄な表情も相まって、まるで精巧な人形のように見える。
彼女も大男の関係者だろうか。
「紹介しましょう。ゲメイン卿。こちらは傭兵団『戦場の狩人』のディーノ団長と、その部下のルゥ殿です」
「面倒な挨拶は省こうや、オグールの旦那。時間がないのはお互い様だろう?」
「そうですな。では、あとは当人たち同士でのお話ということで」
そう述べたオグールは、ゲメインと傭兵二人を部屋に残して退出していく。
あまりゲメインと揃って行動することは避けた方が良いとの計らいだろう。
「というわけだ。お初にお目にかかるぜ、ゲメインの旦那。紹介に預かった『戦場の狩人』で団長を張ってるディーノだ。こっちの小さいのは気にしなくていい」
「儂がゲメインだ。この場にいるということは、仕事を請け負ってもらえるものと捉えてよいのだろうか?」
(傭兵団『戦場の狩人』といえば、戦ごとに疎い我々貴族でさえ聞き及ぶ名だ。戦場で最も相手にしたくない傭兵団の一つで、相対した者たちは彼らを狩人と称して恐れたことからその名が付いたという……この者たちであれば、確かにあやつらを討ち取ることも叶うやもしれぬ)
「勿論、喜んでお受けしよう……!」
気持ちのいい二つ返事。
だが、それだけに気にかかる。
「失礼を承知の上で聞くが、報酬目当てか?オグール卿から話は聞いているとは思うが、相手は一筋縄ではいかぬ相手だぞ?それをここまで快諾するその理由が知りたい」
「そりゃ金は大事だ。傭兵団も酔狂だけで戦してるわけじゃねぇからな。だが、今回に関して言えば……理由はその『相手』だ」
「相手……?」
「オグールの旦那から話を聞いた瞬間に予感した……そして、さっき本人を直に見て確信したよ。遠目でも十分だった。ありゃ間違いなく『鷹の眼』だ……!」
「鷹の……眼?」
ゲメインにとっては初めて聞く言葉だった。
イザドラ本人から自己紹介を受けた時にも、そんな言葉は出てこなかった。
「まぁ、あんたら貴族が知らねぇのも無理はねぇな。戦場に生きるヤツらの一種の噂みたいなもんさ。曰く、数里先から獲物の眉間を撃ち抜く腕前。その眼に捉えられた者は逃げる術を持たない」
「確かによく弓を背負ってはいたが……」
「それだけじゃねぇよ?鷹の眼はかつてのコルキド軍精鋭部隊の隊長を張っていてな。そいつらと戦った敵は例外なくこの世から消え去っている。徹底的に、跡形も残さずだ……」
「特殊部隊の隊長を務めていたとは聞いた……だが、それだけでは鷹の眼と断定することはできないのではないか?直接会ったことがあるわけでもないのだろう?」
「あの眼と纏う空気だよ……命をやり取りしてきた俺らみたいなのにはわかるんだ……あれとやり合えるんだぜ?それだけでもこの仕事には価値がある!」
「自分たちなら負けるはずがないと……?」
「それを証明してやるのさ!ヤツの伝説に俺らが終止符を打ってやる!鷹とうちの猟犬……どちらが強いかの生存競争だ……!!」
ディーノが静かに吠えた時、隣のルゥが小さく頷いたような気がした。
「確かに儂らにはわからぬ世界だ……では、任せて良いのだな?」
「おっと……報酬は勿論別に頂くぜ?俺らは安くねぇが、成功報酬で構わねぇ!」
(見た目に反して抜け目のない……だが、ヤツを排除できるならもはや金になど糸目はつけん……これは儂とヤツとの戦争なのだ!)
「いいだろう。儂は結果だけを求める……!」
ディーノはゲメインに屋敷の警備体制や人員の数、装備の詳細などを確認。
それに対し、ゲメインは知り得る限りの情報を包み隠さずディーノに打ち明けた。
私兵団から隔離されているゲメインとはいえ、主だった武装の手配などはほとんどゲメインを通して行われたもの。
警備体制の詳細はともかくとして、戦力的な分析はほぼ完全に的を射ていると言っても過言ではなかった。
「少しでもヒントになればと思って聞いてはみたが、こりゃ想像以上だな。ここまで完璧に戦力が把握できたなら、負けた方が恥ってもんだ……よし!決行は今夜だ!時間はあまり空けたくねぇ。勘付かれる恐れもあるし、これ以上武装を強化されるのも面倒だ!」
「勝てるのか!?」
「あぁ!気を揉むのも今日限りさ。明日からは思う存分羽を伸ばせることだろうぜ!」
「そうか……そうか!フフ……フフフフ!!では、頼んだぞ。儂は会議場に戻る。オグール卿がそれらしい気を利かせてはくれているだろうが、思った以上に時間がかかってしまった」
「あぁ。オグールの旦那にもよろしくな!」
この後、会議場に戻ったゲメイン。
案の定、オグールの機転により、ゲメインは腹を下したということになっていたため、他の者からの追及はなく、警備たちの者たちにゲメインの不在が知れることもなかった。
そして、一日かけた会議は終了する。
それだけかけて出た結論はというと、引き続き本件の調査は続行されるということと、解決まで周囲の異常には気を配るようにとの注意のみ。
追及の手が消えることはなかったものの、こうも具体性にかける結論に導いたあたり、イザドラたちの手腕もたいしたものである。
そんな呑気なことを考えながら帰路に着くゲメイン。
道中、馬車の中で、向かい合うイザドラと言葉を交わす。
「どうやら他の者たちに尻尾は掴まれていないようだ。流石だな」
「お褒めに預かり光栄です。ゲメイン卿こそ、よほど心配なされていたのでしょうな。ようやく安心されたご様子で……」
「あぁ……やっと肩の荷が下ろせそうだ……」
「ククッ……まだ解決していないというのに、気の早いことです」
「フフ……まぁ、それもそうだな」
(こやつのことだ……何かしら察知している点もあるのだろうが、もう遅い。既に作戦は動いている……)
残すは、今夜の作戦開始をただ待つのみである。
屋敷に戻った後、ゲメインは書斎に閉じこもり、来たるべき時を待った。
「フ……フフ…………いかんな……笑いがこらえきれぬ……」
間も無く全てが終わる。
憎たらしいあの顔を見ることも、必死に金を工面する必要もなくなる。
そう考えただけで、緩む口元が抑えられない。
――コンコンッ
そして、書斎のドアがノックされた。
「ゲメイン卿。またです」
「そうか……今度はどこの手の者だ……いつものように処理しておけ」
「承知しました。ですが、今回のはこれまでの輩と少々異なる連中のようです」
「……ほぅ?」
「手練れです。少々荒れるやもしれませんので、ゲメイン卿は決して外に出ないようお願いします……」
「貴様に手練れと言わせるか……どこの手の者だ?」
「今のところは不明です。が、どうやら傭兵のようですな。雇い主については蹴散らした後に尋ねてみるとしましょう……」
「……わかった……手早く……な……」
イザドラの気配がドアの向こうから消えて間もなく、戦闘によるものと思われる爆発音が庭の方向から小さく響いてきた。
『戦場の狩人』と『鷹の眼』の戦争が開始された合図である。
「……フ……フフ……フフフフフ……ハッハッハッハッハッハ!これで終わりだ、イザドラ!二度と会うこともないだろう!!地獄の淵で精々悔やむことだ!!ハーハッハッハッハッハ!!!!」
堪えきれなくなった笑いを盛大にぶちまけながら、ゲメインは一人、静まり返った書斎の天井を仰いだ。
戦闘による騒音を飛び越え、イザドラの耳に届かせんばかりに。
ただひたすら笑い続けた。
開戦から一刻は経過しただろうか。
時計の短針が天辺を指す頃になると、あれほど騒がしかった音もほとんど聞こえなくなった。
笑い疲れたゲメインはというと、項垂れるように椅子に座ったまま動くことをしない。
消えゆく音と、イザドラの命を重ね感傷に浸っている。
――コンコンッ
再びドアが叩かれ、作戦成功の報せを待っていたゲメインの体がビクリと揺れる。
「…………」
だが、ドアの向こうからは誰の声も聞こえてこない。
「…………だ、誰だ?」
たまらずゲメインが応答を求めると、ぼそりと呟く声が微かに聞こえてきた。
「ボク……ルゥ……」
「ルゥ……だと?」
「マスターから報告……勝利……作戦終了」
「お……おぉ……おぉ!そうか!!勝ったか!!」
自身をルゥと名乗りつつも、ゲメインは彼女の声を聞いたことがなかった。
普段のゲメインであれば警戒し、廊下に立つ人物が敵ではないことを確信するまでドアを開くことも躊躇っただろう。
だが、それは彼が待ちに待った勝利の報告。
喜びのあまり、彼は自ら反射的にドアを開け放つ。
「わっ……ビックリした……」
ドアを開き、視線を下に動かすと、チョコンと廊下に立つルゥの姿。
驚いたと言いつつ、相変わらずの無表情はさほど変わっていないように見える。
「お、おぉ……すまんな!つい取り乱してしまった」
「報酬……受け取りに来た……」
「そうか、そうか!成功報酬の約束だったな!今、金庫を開けるから少し待っておれ」
踵を返し、喜々として金庫の前まで向かうゲメイン。
金庫のダイヤルを回しながら、ゲメインはふと思う。
(思えば何故ディーノは彼女を一人で寄越したのだ?報酬額もハッキリとは決めていなかったはず。そうした話をするのであれば、団長である彼がここを訪れるのが当然であろう……)
「ところで……ディーノ殿はどちら――がっ!?」
振り向こうとしたゲメインの胸部に走る激痛。
わなわなと震えながら、視線を胸元へと向けると、そこには背後から自身の体を貫く小さな手。
「な……何を…………!?」
尚も振り返ろうとするゲメインだったが、体を貫いた手が一気に引き抜かれ、その衝撃で床に仰向けとなって転がる。
「がふっ……が……あぁ…………はぁ……はぁ……」
自身の身に何が起こったのかを理解した時には、呼吸すらもままならない状態。
霞んでいく視界でなんとか捉えられたのは、淡々と部屋を後にしていくルゥの姿。
その右手は色鮮やかな赤に染まっている。
そして、彼女が部屋を出ようとした直前、ルゥは一旦そこで立ち止まり、廊下に向かって少し視線を上げた。
「マスター……任務完了しました……」
「よくやった、ルゥ。覚えておけ?あれが我々に牙を剥いた者の末路だ。この先、ああいったものを山ほど見ることになる」
「ボク……頑張る……マスターのため」
「あぁ……期待しているぞ……」
ドアの影に隠れて、その人物の姿は確認できないが、ゲメインはその声を確かに知っていた。
静かで、冷たく、這い寄るような女の声。
「イ……ザ…………ド………………」
その人物の名を最後まで呟くよりも早く、ゲメインの意識は闇へと沈んでいった――
人里から少し離れ、静かで雄大な自然に囲まれるその場所に、辺りの景観をぶち壊す派手で巨大な屋敷がそびえ立つ。
主の名はゲメイン。
元は一介の商人だったが、周辺を治める領主の腰巾着として奔走し、苦難の末に下級貴族の位を授かるに至った野心家である。
「ゲメイン様。お客様がお見えです」
「うむ。通せ」
執事から報告を受け、自らの書斎に客人を招き入れるゲメイン。
聞けばその者は元軍属で、自分の部隊をまるまる私兵として受け入れる人物を探しているとのこと。
既に十分な数の私兵を抱えていたゲメインではあるが、戦闘の元プロを、それも集団で手に入れることができるまたとない機会。
この話を受けた時から、ゲメインは今日という日を心待ちにしていた。
彼はそれだけの理由を抱えていた。
「失礼いたします」
軽いノックと共に書斎のドアが開かれ、豪勢な椅子に踏ん反り返るゲメインが刺すような視線を向ける。
その時だった。
「――ひっ!?」
扉の向こうから現れたその人物と視線が合った瞬間のことだ。
ゲメインは心臓を貫かれるような、そんな殺気を感じ、本能的に身体が硬直してしまう。
「お初にお目にかかります。ゲメイン卿。お約束をさせて頂いておりました、私イザドラと申します。はて……如何なさいましたか?顔色があまりよくないようですが……」
「……え?」
頭を下げつつ挨拶の言葉を述べたその人物。
その後、気分を尋ねられたことでゲメインはハッと我に返る。
手も足も普通に動く。
気のせいだったのだろうか。
「あぁ……何でもない。少し驚いただけだ」
「驚く……ですか?」
「話には聞いていたが、まさか本当に女だとはな」
色白の肌に整った容姿。
淑女らしい振舞いと品位さえ感じられる。
だが、少し目線を動かすと、その端々に散りばめられた普通ではない要素が目を引く。
右目には眼帯。
はみ出し伸びる傷跡が、眼帯の下の目が既に目としての役割を果たせない状態にあることを嫌でもわからせる。
それに、この服装は高官用の軍服だろうか。
おかげで纏う空気が一般人のそれとは根本から異なる。
「信じられますまいが、これでも部隊長を務めておりました。女の身には風当たりの厳しい世界ですが、正当に私の能力を評価してくださる酔狂な方もいるものです。おかげで、軍を離れても慕ってくれる大切な部下たちとも出会えました」
「確かに。男は利よりも誇りを重んじる愚かな生き物だ。儂を含めてな」
(元軍人だと聞いていた手前、礼儀礼節も理解せぬ粗暴な輩かと覚悟していたが、随分と社交的ではないか。これも一つのビジネスなのだから、ある程度の猫を被ることは当然としても、部下からは厚い信頼を寄せられているようだ。この女もなかなか捨てたものではない……)
「フフ……ご冗談を。たった一代で貴族の地位を築き上げた商売人ともあろうお方が、プライドになど値は付けますまい」
この言葉にゲメインが微かに眉をしかめる。
貴族となる以前、商人として財を成していたゲメインは、野望のためにあくどい商売を手広く営んでいたため、近辺の住人までならず、顧客として相対したほとんどの者から恨みを買っており、その中には同じく貴族も含まれていた。
イザドラが当時のゲメインの生業を知るということは、必然的に彼に敵が多いこともまた知っていることになる。
「ふん……儂のことを随分と調べ上げているようだ」
「どうかお気を悪くしないでいただきたい。我々としても雇用主についての情報はできる限り把握しておきたいのです」
「軍人らしいな……いや、構わん。むしろ当然だ。それくらい慎重で冷静でなければ雇う側としても困る」
「ご理解感謝いたします」
「それでも儂を雇用主に選んだのは、自分たちなら問題なく対処できるという自信の表れと取っていいのだな?」
「…………」
イザドラは答えない。
ただ、口元を卑しそうに歪ませただけ。
(ふん……戦闘狂め。そうまでして戦う相手が欲しいか。だが、使えなくはない……)
「まぁ、腕の立つ兵の獲得はこちらとしても願ったり叶ったりだ。最後に貴様たちの経歴を話してもらう。こちらも事前に調べさせはしたが、念のためにな」
「承知しました。では、我々の部隊が設立された時の話からいたしましょう……」
国王を元首とする君主制国家コルキド。
その国が保有する戦力は、かつての大国レミエール王国に匹敵せんとまでいわれ、数でこそ王国に劣るものの、厳しい環境と訓練により培われた精神力と肉体は、極めて高い兵士としての質を誇る。
中でもイザドラが引き連れている一団は、王の勅令により設立された第一特殊戦術部隊に所属していた面々だった。
それはありとあらゆる戦闘訓練を潜り抜けた戦闘のエキスパートたちで編成され、隊長イザドラの指揮の元、絶対勝利を掴み取るために作られた特別部隊である。
しかし、ガルヴァンド帝国との同盟を経て、帝国が王都を滅ぼしたことを機に国内の情勢が大きく変化する。
帝国に恐怖したコルキドの上層部は、帝国に言われるがままの傀儡(かいらい)と化し、実質的支配下に置かれることとなった。
間も無く、コルキドにおける全ての部隊は強制解散させられ、イザドラたちはそのまま国外追放となったという。
イザドラはこれらの情報を微塵の躊躇もなく淡々と語った。
国家機密に当たるはずの情報さえも包み隠さず。
「……いくら国に捨てられたとはいえ、かつては忠誠を誓った国家の内政情報まで惜しげもなく語るとはな」
「既に決別した国……それに、今のコルキドは忠を尽くすに値にしない。ただそれだけのことです。それとも、情報そのものをお疑いでしょうか?」
この時、ゲメインがイザドラに感じたのは、哀しみではなく、静かな怒りだった。
(本心か否か……儂をただ試しているのか……まぁ、この際何でも構わん。元コルキドのエリート集団ともなれば、戦力としては貴重この上ない。信用に足るかどうかは後々知っていけばよい。今はメリットの方が遥かに大きいだろう……)
「よかろう。君たちを正式に我が屋敷の私兵として雇い入れることとする」
「荒事くらいにしか使えぬ我々ですが、国に捨てられて尚も居場所があるとは……私が口にするのもなんですが、随分と物騒な世の中になったものです。心より感謝しますよ。ゲメイン卿」
こうしてゲメインは、イザドラを含む約二十名の元兵士たちを丸々私兵として雇い入れた。
その際に交わした契約内容は大別して三つ。
一つ。
報酬は出来高払い。
ただし、衣食住は保証され、その他にも装備の調達、任務や演習にかかるものなど、私兵団を運用する上で必要となる経費についてはゲメインの承認を受けた後に支払われることとする。
二つ。
私兵団の統括指揮、育成など、戦闘に関わる全ての要素における方針決定はイザドラが行うものとする。
ただし、行動実行前には予めゲメインへ報告し、その可否を問うこととするが、緊急時においてはその限りではない。
団員には元々ゲメインが持っていた私兵も含まれており、イザドラは新規団員と合わせ、その全員を束ねる私兵団団長としての役職が与えられる。
三つ。
以上の契約に違反した場合、ゲメインはイザドラを含む全ての私兵を対象に禁固等の罰則、または解雇を強いる権限を有する。
これらは雇用主であるゲメインが思い通りにイザドラを操れるように交わしたゲメイン有利な契約。
だが、雇用主有利になることが自然とはいえ、元軍人の部隊長ともなれば、それなりにプライドもあるだろう。
何らかの交渉があると踏んでいたゲメインだが、そんな予想とは裏腹に、イザドラはこれら契約条項を快諾した。
(一体何を考えている?部下たちを守るためならプライドなど二の次、三の次ということか?わからん……儂はまだこの女の本性をあまりに知らなすぎる……)
ゲメインにとっては都合の良い流れではあるが、やや肩透かしを食らった気分になり、少し顔を曇らせる。
「では、現時刻をもって任務を開始いたします」
「やけに急くではないか……」
「一息つくにも、まずはそれが可能な環境かどうかを確かめてからでなくては落ち着くこともできますまい」
「なるほど。気構えからして儂らとは違うな」
このやり取りだけ見ても、彼女の綿密さ、慎重さといった要素は十分に伝わってくる。
それだけに、契約内容を快諾した点の不自然さが異様に際立つ。
「では、まず屋敷内の全ての武装を見せて頂けますか?アンティークや飾剣も全てです。それから私兵団用に用意されている施設も視察しておきたい。その後、ゲメイン卿が契約している私兵を全て庭に召集するようお願いします」
「は……?今すぐにか!?」
「戦力、状況の把握。団員同士の顔合わせと指揮系統の確認。この程度は当然でしょう。私は貴殿をお守りすることを約束しなくてはならない。これはそのために必要な措置です」
(途端に威勢が良くなったではないか……なんとも面倒な。まぁ、今はこれくらい許してやるか。しばらくはその手前をとくと拝見させてもらおう)
「いいだろう……だが、全てとなるとそれなりに時間がかかることになるが、構わんな?」
「致し方ないでしょうな。我々の常識は、貴殿らとはだいぶ異なるようです。差し当たっては、施設の視察から参りましょうか。その間に武装を揃えておくよう手配をお願いいたします」
「わかった…………」
そして、ゲメインは徐々に知ることとなる。
戦争屋、否、イザドラという人間が、決して自身の考えの枠内に収まるような存在ではないことを。
「何だこれは……何なのだこれは!?」
「おはようございます。ゲメイン卿。いかがなさいましたか?」
イザドラと契約を結んだ翌日の朝。
起床し、私室から出てきたばかりのゲメインとイザドラが廊下で向かい合う。
「あやつらは貴様の部下だろう!?あれは何をしているのだ!?」
ゲメインが窓の外を指差すと、そこにはイザドラの部下たちが屋敷周囲の外壁をハンマーで打ち壊している姿があった。
さらに、撤去された外壁部に新たに極太の鉄柱を次々と打ち込んでいる。
「昨日お話した通りですよ。屋敷を拠点とした防衛戦において、今の環境はあまりにも戦闘に不向きであると申しました。なので、まずは外壁をより強固に、より高く作り直しているまでです」
「ここの環境が防衛に不向きであるとは聞いた!今後は防衛力を強化していくともな。だから儂は貴様に訴えに応じて武器やら何やら手配したのだぞ?だが、屋敷に手を加えるなどとは一言も聞いていない!!」
「申し訳ありませんが、今は全ての目的、内容を事細かに説明している時間などないのです。貴殿はあまりに無知で、無防備でいらっしゃる。全ては貴殿と、貴殿の私産を守るためです。どうかご理解いただきたい」
(この期に及んでまだ儂のためなどと言い張るか……!)
「だが、屋敷も儂の私産であることに変わりはない。それを許可なく破壊することが許されるとでも……!?」
「可能であれば、屋敷に手を加えることは避けたかったのですが、外壁の外はゲメイン卿の私有地ではありませんので領主殿の了承が必要となります。また、外壁の内側に新たに壁を設けた場合、レンガ造りの旧外壁を足場にして、敵勢が外壁を乗り越えてくる可能性があります。よって、これが最速、かつ最善の策だと判断し、実行したまでです」
「だが――」
「繰り返しますが……これも貴殿と、貴殿の私産を守るため……ただ、そのためにです」
途端にイザドラの纏う空気が変わった気がした。
その眼光は、昨日ゲメインが彼女を初めて目にした時に感じた殺気のような圧を孕んでいる。
(儂は……とんでもないモノを身近に引き入れてしまったのではないか……?)
「ぬ……ぬぅ……良かろう。だが……今後、このような作業を行う際には儂にも報告するように……よいな?」
「承知しました。ご理解感謝いたします……」
その後もイザドラ主導による屋敷の改築は続く。
全ての部屋の扉は金属製のものに交換され、備え付けの窓の外には鉄格子を設置。
さらに、床下、天井も鉄板で補強された。
続いて、広大な隠し地下室と、かつての倍以上もある武器保管庫の増築。
外壁の四隅には監視塔が建てられた。
こうして生まれ変わったゲメインの新たな屋敷は、さながら要塞の体を成していた。
「とりあえず環境の改善はこれで完了したといえるでしょう。いかがですかな?」
「……これが貴族の屋敷たる姿か?これではまるで、儂が常日頃から命を狙われ、しかもそれを恐れているようではないか……!」
要塞と言われればまだ聞こえはいい。
が、ゲメインにはまるで自分を収監する刑務所のように見えた。
口調を荒げぬよう抑えてはいるが、その怒りはイザドラにも確実に伝わっているはずだ。
「我々の認識では、そうなる可能性も決して低いものではないと捉えております。だからこそゲメイン卿も多くの私兵を雇い入れ、あげく我々のような者とまで契約したのでは?」
「それはわかっておる!だが、ここまでする必要があったのかと聞いておるのだ!」
「恐れは恥ではありません。危険を承知の上で最善の対策を講じない方がよほど滑稽です。勇敢であることと無謀であることを一緒くたにしてはいけません。古の教えを妄信して死を誇りとする愚か者は騎士だけで十分ですよ」
騎士を愚か者と吐いて捨てるイザドラ。
淡々とした言葉ではあったが、彼女の『死』に対する認識は騎士のそれに比べ、戦場に立たない者にとってはよほど納得ができるものだった。
死は尊ぶより先に恐れるべきもの。
本来それは、生を謳歌する人間が失ってはならない価値観。
「……言わんとすることはわかった。だが、これだけは確認しておく。この所業は本当に儂のためであったと、そう言い切れるか?」
(人間とは雇い主のためにここまで尽くせるものなのか?心から信用に足ると判断し、全てを捧げると誓わせるだけのものを儂はこやつに与えていない。ならば他に何かがあるのだ。確かに感じる、この不安と恐怖。それがこやつの中には潜んでおる……)
ゲメインはこうまで言葉を尽くすイザドラの、その奥に潜む何かが気にかかって仕方がなかった。
「勿論です。貴殿は今や我々の雇い主であると共に、忠を尽くすべき王なのですから」
「また歯が浮くような台詞を……良いだろう。今は信用してやる」
「…………」
イザドラは、口元を歪ませ、再びあの不敵な笑みを見せつけた。
イザドラがゲメインの屋敷に来てから二週間が経過した。
――コンコンッ
「ゲメイン卿。またです」
ゲメインの書斎のドアがノックされ、ドア越しにイザドラの声がゲメインの耳に入る。
「……またか。いつものように処理しておけ。何かわかったら報告するように」
「承知しました」
ドアが開けられることのないまま会話は終わり、廊下からイザドラの気配が消える。
『また』
この言葉は屋敷に近づく不審人物のことを指していた。
イザドラたちが屋敷に来てからというもの、数えること五人。
恐らくは今回も屋敷が急に様変わりしたことを不審に思っての偵察といったところだろう。
というのも、素性と目的に関しては、これまでの四人の不審人物全員の調べは付いている。
イザドラの率いる私兵団は、こうした不審人物が屋敷に近づく前に察知し、屋敷に近寄らせることすらせずに身柄を抑えていた。
その後に行われるのは厳しい尋問。
初めは皆一様に口をつぐんでいたものだが、さして時間もかからぬ間に口を割り、最後には助けを求めて泣き叫ぶばかり。
そうした者たちの背景は、決まって金で雇われた諜報員だった。
雇い主は近隣の貴族。
ゲメインを快く思わない者たちである。
今になってわかる自分の危うさ。
一部の者たちから反感を買っていることは無論承知の上。
だが、ここまで直接的な行動に出る者がいようとは考えてもいなかった。
堅牢な屋敷はそうした敵から身を守るだけでなく、おびき寄せる餌としても機能し、これまで把握しきれていなかった敵の姿を日に日に浮き彫りにしていく。
「さて、どうするか……」
ゲメインは静まり返った書斎で一人考える。
(これもあやつの狙い通りという訳か……ヤツの狂気は大きな危険を孕んだ爆弾ともいえるが、あの優秀さはもはや疑う余地はない。何とか完全に懐柔することはできないものか……)
その直後のことだった。
既に陽はとっくに沈んでいるというのに、庭から大勢の人の気配を感じ、ゲメインが窓を覗く。
「くそぅ!今度は何をしている!!」
そこには、装備を整えた私兵団の面々が隊列を組んで待機していた。
――コンコンッ
「ゲメイン卿。ご報告が」
「入れ!」
「失礼します」
再びノックされたドア。
今度はそれが開かれ、イザドラが部屋へと入る。
「あれは何の真似だ?」
「これより近辺に巣食う山賊、またはそれに類する対象を全て掃討して参ります」
「山賊だとぉ……?」
突拍子もない単語の登場に、不機嫌面だったゲメインの表情が困惑の色に染まる。
「はい。先程捉えたネズミがアジトの情報を吐きました。どうやら敵は金で山賊を雇っていた模様です」
「……儂の命を狙ってか?」
「そのようです。遅かれ早かれこうした事態になっていたのでしょうが、我々が防御を固めたことを受けて、それが完全になる前に急ぎ強硬手段に出たというところでしょう。ですが、敵方は不運でしたな。我々のような存在をゲメイン卿が握っていることまでは知らなかったようで……ゲメイン卿にとっては幸運だったとも言えますか……」
「……儂を殺すために雇われたのが貴様らでなくて良かったと言わせたいのか?」
ゲメインがイザドラに対し不信感を持ち始めているのを察した上での発言なのか。
それとも単にからかっているだけなのか。
どちらにせよゲメインにとっては面白くもない。
「まさか。我々を雇おうなどと考える酔狂な御仁もそう多くはいますまい」
「……まぁよい。儂とて貴様らの力は認めておるつもりだ。山賊たちの件、方法は任せる。直ちに排除しろ」
「……ククッ……変わられましたな。平和ボケしていた頭もようやく切り替わったようで安心しました」
「そのやり方を見ていれば嫌でも変わるわ」
「何よりです……ヤツらに聞いてみるとしましょう。自分の命が、果たして受け取った金に見合うものだったかどうか。私の部下の半数を置いて行きます。通常の警護であれば十分事足りるでしょう。それでは……」
部屋を出て行くイザドラの背を見ながらゲメインは思う。
(爆弾であることは百も承知。だが、所詮は駒。道具に過ぎぬ。ならば儂が使い潰してやる。ヤツらに呑まれないだけの狂気をもってして……)
イザドラたちが屋敷に戻ったのは、翌日の昼前のことだった。
所詮は素人相手。
てっきり手早く片付けて戻ってくるかと思っていたゲメインは、イザドラの報告を楽しみにしながら待っていた。
「ふん……たかがごろつき集団を処分するのに、どれだけ時間をかけておるのやら。でかい口を叩いていた割に、その実たいしたことはなかったという訳か……」
――コンコンッ
「ゲメイン卿。今、戻りました。任務のご報告を」
「入りたまえ」
ドア越しに聞こえたイザドラの声はいつも通り淡々としたもの。
「随分と遅かったではないか。そんなにも手こずる相手だったということか?」
(健気に平常心を装ってはいるが、どんな醜態を聞かせてくれることやら……)
「これはこれは……気を揉ませてしまったようで申し訳ございません。昨晩捉えた一味の者はおおまかにしか組織人数を把握していなかったため、確認作業に少々手間取りました……」
「ほう?詳しく聞かせてもらおう」
「では、作戦の第一段階から……」
イザドラのやり方は徹底した掃討戦だった。
闇夜に乗じての奇襲に始まり、慌ててアジトから顔を出してきた賊を狙撃。
自分たちが囲まれていることを察し、アジトに立てこもったところを最新の高性能爆弾で集中爆撃。
崩壊したアジトに向けて一斉射を加えた後、隊を分散させて息のある者がいないかを念入りに捜索。
続いて、周辺三キロ圏内を捜索。
アジト外に出ていた賊を駆逐した。
「たかが賊相手にそこまでしたのか……!?」
「実戦とは程遠い作業染みた戦闘ではありましたが、久方ぶりの演習と思えば悪くはなかったでしょう。このところ屋敷の改築のせいで鈍っておりましたので、そうした意味では手頃でした」
「演習だと!?あの爆薬がいくらしたのか知っているのか!?」
「さぁ……詳細な値段までは。ですが、良い物でしたよ。流石はガリギア製。あれをまた同量補充していただきたい」
「なん……だと……!?」
屋敷に来てからというもの、屋敷の改装費を手始めに、装備の充実や補充など、何かと金を使いまくるイザドラ。
ゲメインは自身の資金力を誇示し、イザドラたちの信用を得るためにも、当初はこれらに応じ、財産の多くを支出していた。
この爆薬というのもその一つで、これだけでも大きな屋敷を数件は建てられる程の大枚をはたいていた。
全てはイザドラたちを飼い慣らし、誰も逆らえぬ程の地位を築き上げるため。
(つけあがりよってこの狂人め!餌代と思って甘くしたのは間違いだった!!こんなにも軽々しく……!!)
ゲメインの顔が怒りで赤々と染まり始めるが、イザドラは微塵も気にかけることなく続ける。
「話を戻しましょうか。実は、件の山賊ですが、全滅していない可能性が僅かながら残っています」
「ふざけるな!!多大な損失を被ったうえに、任務を途中で放棄してきたというのか!?」
「戦闘後、生き残っていた者に尋問してもみましたが、こやつらも同様。賊のハッキリとした人数を把握しておりませんでした。近隣の街に物資調達に出ている者などがいた場合、討ち漏らしていることになります」
「で!?どうする気だ!?!?」
「勿論、その場合を考慮し、アジトの付近に数名の部下を潜伏させております。もし生き残りが戻ってきた場合はこれで対処できるでしょう。ですが、これも絶対ではありません。そこで、雇い主である貴族邸に一個分隊を派遣しました。許可を頂ければ直ちに処理いたします」
怒りで赤く染まっていたゲメインの顔が一変し、今度はみるみるうちに青ざめていく。
「ま……待て!貴族を手にかけるつもりか!?」
「ご自身の命を狙った輩ですよ?放置すれば、再び命を狙われる危険もあるでしょう」
「だが、貴族を討ったとなれば他の貴族からの大規模な調査も免れまい!儂の指示であることが発覚すれば、貴様らとてタダではすまんぞ!?」
「…………任務に発つ際に『変わられた』と言いましたが、これはどうやら私の勘違いだったようです。貴方は何も理解していない。命のやり取りとはどういうものなのかを。良いでしょう。部下には警告だけさせて引き上げさせます」
「あぁ。それで――」
「ただし!」
ゲメインの言葉を遮ったイザドラが豹変。
今まで見え隠れしていた本性が、完全に顔を出した瞬間だった。
「今回だけだ。今後、同じことがあれば我々は容赦なくそれを叩き潰す。戦闘と戦争は違う。その点をわかっていない以上、我々の指示には従ってもらう他ない。まさかとは思うが、我々の飼い主にでもなったつもりだったか?それは違う。あくまで金銭と紙切れによる契約で結ばれた協力関係にあるだけだ。そこには命を賭けるに値する価値も忠義も存在しない」
「だ、だが、その契約では主導権は儂にあったはずだ!」
「平時においてはそうだ。だが、緊急時における取り決めがあったはずだぞ?最も熱り立つべき本人が今さら怖気づいている。あまつさえ敵に温情をかけろと?これが緊急時でなくて何だ?いいか。これ以上、我々の領分を穢すようならば、我々も対応を考えなければならん……余り踏み込んでくれるなよ?」
「う…………」
(何がこの女にここまでさせるのだ……儂は間違っていた……関わるべきではなかったのだ……!)
「返事が聞こえんぞ……?」
「わ、わかった……!」
雇い主としての沽券などに構っている場合ではない。
命の危険さえも感じ取ったゲメイン。
結局、金にがめつく、プライドだけが高い成り上がり貴族の老人に、そもそも首を横に振る権利などありはしなかったのである。
「では、事後処理が残っておりますので、これで失礼します」
「あ、あぁ……」
契約という結びつきを飛び越え、生物としての上下関係が確定された瞬間だった。
それがきっかけだった。
この日を境にイザドラは変わる。
なんだかんだあっても、基本的にはゲメインに尽くす形に徹していた彼女だったが、一度見せた本性がますます際立ってくるようになったのだ。
演習と称して周辺の野盗や山賊を率先的に狩り、それに伴う費用についてはこれまで以上に無心してくる。
費用と称し、隠れて蓄えでも作っているのではないだろうかとさえ思わせる。
その狂気と金遣いは、もはや一人の成金貴族の手に負える範疇を大きく超えていた。
「帝国軍の正規兵装備だと!?そんなもの手に入れる伝手がどこにある!?」
「探してください。我々には必要なのです」
「大体そんなもの何に使うつもりだ!?余計なことをして目を付けられでもすれば――」
「一方的に王都を陥落せしめた連中ですよ?今後どのような動きに出るか知れたものではありません。もしもの際、貴殿をお守りするためにも、なるべく正確に戦力を把握しておく必要があります。あくまでも、貴殿をお守りするために、ね……」
「無茶だ!こんなもの――」
「できない、と……?」
「う……じ、時間をくれ……出来る限りのことはしてみよう……」
「よろしくお願いしましたよ?」
それでも何とか自身の被害を留めようとゲメインも試みるが、一度決まってしまった上下関係を覆すことは叶わず、イザドラの圧に押され、毎度毎度首を縦に振らされる。
極め付けは、私兵団内の変化だった。
イザドラの傍若無人な言動と団長としてのカリスマ性は、元々ゲメインが飼っていた私兵を次々と惹き付ける結果となり、ゲメインが気付いた時には、もはや彼の言葉に耳を傾けようという者さえもいなくなっていた。
ゲメインがイザドラと契約を結んで三カ月。
この時点で、ゲメイン邸はゲメインを傀儡とするイザドラが代表を務める小さな君主国家と成り果てる。
「ガリギア製の最新鋭機関銃と……防弾装甲……確かに。これで屋敷の守りもより盤石なものとなるでしょう。どうかご安心を。ゲメイン卿」
相も変わらず金と装備を無心し続けるイザドラ。
これまでにゲメインが調達させられた武装の量は、数十人の団員にあてがうにしても、とても装備しきれる量ではない。
一個中隊が丸々完全武装できるほどのもの。
「……それは……なによりだ」
(こやつ……戦争でも始める気なのか……?)
「これから試射に向かいますが、同行されますか?」
「……結構。また山賊でも狩る気か?」
「いえ。もうこの辺りに山賊などおりませんので。ただの動作確認ですよ」
「そうか……」
毎週のように演習に赴き、その相手として山賊、盗賊、それらを殲滅。
イザドラたちが全滅させた組織は三つ以上。
さすがに噂も立ち、誰も寄り付かなくなるはずである。
「ところで……先日、山賊を雇ってゲメイン卿のお命を狙った貴族を覚えておられますか?」
「あぁ……無論だ」
「確か名前は……失礼。失念してしまいました。まぁ、すぐにこの世から退場願う身です。覚えていても意味はないでしょうが」
「まさか……」
「屋敷付近に配置していた監視より報告がありました。何やら良からぬ連中が屋敷に出入りしていると。既に一度警告はした。奇跡的に免れた死を、さも当然であると勘違いでもしたのだろうな。貴族だから殺されぬだろうと……舐められたものだ……!」
「だが――」
「我々の尻尾を掴ませんよう、偽装工作は徹底する。それで問題なかろう?」
「…………」
イザドラが部屋を出て、私兵団を連れ出撃するまでの間、ゲメインは何も言うことはなかった。
自分では止められないことを知っているから。
否、あの眼をした彼女を止められる者などいないことを知っているから。
「どうしてこうなってしまった……儂はどうすべきなのだ……この期に及んで契約を破棄しようものなら、どんな手段に出るかわかったものではない……関わってしまった以上、後戻りもできん……だが、このままではヤツらに食い潰されるか、最後には共倒れになるだけだ……どちらにしても破滅……ならば――」
書斎で頭を抱えるゲメインが漏らす。
どう飼い慣らそうか。
どう使い潰そうか。
そんな立場も今や逆転。
じわりじわりと心を蝕んでいく恐怖。
もはや耐えられない。
そして彼は、引かされた貧乏くじをどう処理するのかを決める。
「おい!馬を用意しろ!!」
ゲメインは書斎を飛び出し、執事を呼びつける。
「お待ちください、ゲメイン卿。イザドラ団長より、不用意な外出は控えさせるよう厳命されております」
執事より先にゲメインの元に駆けつけたのは、私兵団員の一人。
イザドラが監視と警護のために残していった者だろう。
「知ったことか!貴様らご自慢の団長様が何をしようとしているのか知らんわけでもあるまい!儂は万が一のために周辺貴族に根回しをする。この所業が誰かに知られれば、困るのは儂だけではない。貴様らとて同じだろう!」
「団長の作戦通りであれば、その危険性は非常に低いかと――」
「最善を尽くすことに不満があるか!?これはあやつの言葉でもあるのだぞ!わかったらそこをどけ!!」
ゲメインは団員の制止を無理やり退け、馬車へと乗り込む。
「急ぎオグール卿の屋敷へ迎え!」
ゲメインの屋敷から西に数里。
霧がかる辺境の地にオグールの屋敷は存在した。
廃墟となった古城を屋敷に改装したその建物は、得も言えぬ不気味さが漂っている。
「ゲメインだ。突然、約束もなしに失礼なのは承知しておるが、オグール卿と急ぎ話がしたい。取り次いでもらえるか?」
「……かしこまりました。客間にご案内いたします」
「助かる」
アポなしであるにも関わらず、門でゲメインを出迎えた執事と思わしき男は、すんなりと屋敷の中へと馬車を通す。
彼らにとってはこうした例は日常茶飯事なのだろう。
オグールが生業とするのは人材紹介事業。
奴隷、商人、執事、メイド、貴族などなど、職や階級に捉われないコネクションを多方面に持つ人物である。
中には急を要する顧客も多い。
そして、これは貴族間では有名な話だが、彼は暗殺者や傭兵などの、荒事を専門とする連中への橋渡しも請け負っていた。
「お待たせして申し訳ない。お目にかかるのは初めてですな。ゲメイン卿」
客間で待っていたゲメインの前に現れたオグール。
異常なまでに笑顔を強調する表情。
この男も普通ではない。
「突然押しかけた無礼をお詫びする。だが、背に腹は代えられぬ事情があって参った次第」
「なるほど。ビジネスのお話ですな?」
「御察しの通りだ。前置きは省こう。急ぎ始末したい連中がいる」
「ふむふむ……では、標的の詳細をご存じの限りお聞かせ願いますかな?」
ゲメインがここを訪れた理由。
それはイザドラたちを始末するため、それができるだけの者たちに渡りをつけるためである。
待つも流されるも果ては地獄。
最後に自身が生き残る可能性を見出した先、その方法がイザドラたちの抹殺だった。
屋敷を出る際、それらしい目的をでっち上げて彼女の部下を跳ね除けたが、ゲメインにとって、今この時はイザドラの監視が緩まった絶好の機会なのである。
「始末して欲しいのは、儂が抱えている私兵団の連中だ……」
「ほう……なんとも珍妙なお話で」
ゲメインは語った。
イザドラたちの過去、戦力、行動理念、自分が知る限りの全ての情報を。
「そういうことでしたか。最近、私が商品にしていた山賊共と連絡がつかなくなっていたので、調査をさせていたのですが……消息はつかめず、見つかったのは跡形もなく破壊されたアジトだけ。犯人の手がかりになりそうなものは何一つない……」
「面目ない……儂ではもうヤツらを止めることはできんのだ!」
怒りを買ってしまったかと思い、慌てるゲメイン。
だが、オグールはニコニコとした表情を崩すことなく続ける。
「いえいえ。むしろ感心しているのです。それだけ派手に動けば痕跡の一つくらいは残るものですが、彼らを消したのが貴殿の話す私兵団の仕事だったとなると、その実力はもはや疑いようもありませんな。むしろ興味が湧いてきました。その私兵団の方々に。実に欲しいものです……が、恐らく交渉は不意に終わるでしょう」
「だろうな……交渉に乗ったフリをして、逆に喰らいにくるような連中だ」
「わかりました。貴殿の望みを叶えるだけの駒を用意しましょう。ただし、紹介料と彼らへの報酬。安くはありませんぞ?今回は相手が相手ですので」
「わかっておる……いくらでも出すさ。破滅と天秤にかければ、安いものだ!」
「では、手配が済みましたら、後日ご連絡させていただきます」
「感謝する」
これでダメなら諦めるしかない。
藁にも縋る思いで、ゲメインがかけた大勝負。
「ふぅ……」
会談を終えたゲメインは急ぎ屋敷へと戻り、書斎にて大きく息をつく。
――コンコンッ
「ゲメイン卿。今、戻りました。ご報告を」
直後、部屋の扉がノックされた。
作戦終了の報告に訪れたイザドラである。
「うむ……入れ」
部屋に彼女を招き入れるゲメインは平静を装う。
彼女の部下の制止を振り切ってオグールと接見した。
相手や目的までは知られていないとしても、屋敷を出た行動そのものがイザドラにとって快くは思えない行為だろう。
「おや?お疲れのようですね。ゲメイン卿……?」
静かで、冷たく、這い寄るようなイザドラの声に、冷汗が噴き出る。
「疲れもする。まさかこんなことになるとは思っておらんかったからな」
「我々が行動を開始した後、ゲメイン卿が護衛も連れずに屋敷を発たれたと報告を受けました。そこまで急いでどちらへ……?」
作戦の報告よりも優先してゲメインの動向を探るイザドラ。
不信感を隠すつもりはまるでないのだろう。
だが、ゲメインとて今さら退く気は毛頭ない。
「屋敷を発つ際、貴様の部下に伝えたはずだ。貴族を討つならば、根回しが必要となる。少しでも身の潔白を証明してくれる人間を増やしておくことは当然の対応だ」
「ほほう……ゲメイン卿の話にそこまで耳を傾けてくれる御仁がおられたとは……」
「あまり儂を舐めるな?そうした繋がりは時間をかけ作ってきた。今日話し合いを持ったオグール卿は、広く顔の利く人間だ。その伝手を借りたまでのこと」
「なるほど……これは余計な詮索でした。では、万が一の心配もこれでなくなったということですね?」
「不満か?自分たちの力に全て任せてもらえなかったことが。それとも、儂が思い通りに動かなかったことか?」
「まさか……そうでなくては私としてもやりがいがない。次はどのような面白い事が起きるのか……楽しみで堪りませんな……」
「ふん……!」
(つくづく狂人……どこまで掴んでいるのか知らんが、儂は決めたのだ。今に目にものみせてくれる!)
彼女の眼に宿る光は怒りではなかった。
もっと異質な、禍々しく狂気に染まった淀んだ光。
――数日後
ゲメインは周辺貴族が集う会議の場に召集されていた。
議題は先日討たれた貴族に関する周知と今後の対応について。
「――というわけで、犯行は物取りを目的とした賊の仕業と思われるが、厳重な警備を掻い潜っての犯行だ。皆も警戒を怠らぬようお願いしたい」
「賊の特定に繋がるような手がかりは何かないのですかな?」
「今のところはない。目撃者はおろか、屋敷には生き残りすらおらぬ状態だったと聞く」
「おぉ……なんと惨い……」
「屋敷にあった金目の物は全て奪われていた。こうした事実から、賊は手練れ、それも大規模な組織ではないかと推測される」
「そういえば、周辺の山賊たちが姿を消したとの噂も聞いておりますな。それと何か関係があるのでは?」
「現時点では何とも言えんな……」
領主を筆頭に、白熱した議論を交わす周辺貴族たち。
だが、その内容は具体性をまるで欠いており、それはゲメインの手の者による犯行だとは知られていないことを意味する。
というのに、ゲメインの顔色は優れない。
「……ゲメイン卿は何かご存じありませんかな?聞けば、屋敷の警備に大変力を入れておられるそうで」
やはり来た。
イザドラ独自の判断で行った事とはいえ、あれだけ大規模な屋敷の改装。
嫌でも噂は立つ。
それに加え、直後にこんな事件が起きては疑惑の目が向けられるのも当然だ。
「最近、屋敷付近で数度に渡って怪しい人物が目撃されておりましてな。先程お話に出た山賊の件もそうですが、何やら物騒な気配を感じたので、自衛手段を取ったまでのことです」
「それにしても度が過ぎるのでは?まるで刑務所のようだったとも聞いてますぞ?」
「はは……お恥ずかしながら臆病な性格なものでして。これまでは見栄を張っておりましたが、居た堪れなくなり、気づけばあのように不格好な屋敷に成り果ててしまった次第です」
何とか疑惑の念を晴らそうと、ゲメインは饒舌に語る。
「ですが――」
「まぁ、良いではありませんか。私も身の回りでそうした事があれば不安で堪らない気持ちは同じ。皆さんもそうでしょう?」
「それは……まぁ…………」
「ここでゲメイン卿を責めるのはお門違いというものです。彼とてそんなことをすればどういう目に遭うかよく理解しているはずですよ」
ここでオグールが、追及の憂き目に遭うゲメインのフォローに入る。
この場にいる者の中で、本件の犯人がイザドラたちであることを知るのは彼女たちの雇い主であるゲメインと、その所業を全て聞かされているオグールの二名のみ。
それでもオグールがゲメインを庇うのは、既に契約がある段階まで進み、引き下がれない状況にまで来ているということ。
「オグール卿の言う通りだな。ところで、貴殿はとても顔が広い。そうした連中の心当たりはないか?」
「情報が少なすぎますな。山賊、盗賊、あるいは傭兵団など、それが可能と思われる者たちはいくらでも存在します。そうした組織を全てしらみつぶしに調査するというのは、いささか我々の力の適うところではありますまい」
「確かに……だが、可能性がないわけでもない。できる限りで構わん。調べてみてくれ」
「承りました。事件解決のためにも、全力を尽くすことをお約束いたしましょう」
「うむ。頼んだぞ。では、この辺で一度休憩を挟むとしよう」
次の話題に入る前に休憩が入る。
会議が始まって半日近くぶっ通しだったのだから無理もない。
さすがに議場の椅子に座る面々にも疲れが見える。
「外の風にでも当たりに行きませぬか?ゲメイン卿」
椅子に深く腰掛け、溜め息をつくゲメインに話しかけたのは、先日取引を持ち掛けたオグールだった。
「オグール卿……それは良い。気分転換にもなる。だが……」
(今二人で行動するのはまずいのではないか……周辺警備にはイザドラも参加している……)
「ご安心を。彼女たちには屋敷の外周警備を担当してもらっていますので、気にする必要はありますまい」
周囲を気にするゲメインの耳元で囁くオグール。
それを聞き、ゲメインの口元が微かに緩んだ。
「では、参ろうか」
「ええ。是非是非」
二人は他愛のない話をしながら、階段を下りていく。
だが、これはカモフラージュ。
この場で二人っきりになることを所望したオグールの真意を当然ゲメインも察している。
「こちらへ……」
「うむ」
ゲメインが案内されたのはテラスではなく、一階の外れにある小さな部屋。
部屋の前には見慣れぬ男が立っているが、風体から察するに屋敷の執事などではない。
鍛え上げられた分厚い胸板だけを見てもそれがよくわかる。
「ゲメイン卿をお連れした」
「ご苦労様です、オグール卿。どうぞ……団長も心待ちにしてましたよ」
(やはりここで請負人の紹介を済ませてしまおうということだな。再びオグール卿の屋敷に足を運ぶことになるのは危険だと思っていたが、今日の会議は絶好の目くらましになっているわけだ。最も焦らなくてはならん儂にとって絶好の好機とは……皮肉なものだ)
薄暗い部屋の中に通されると、目の前には簡素な椅子が用意されており、その向かい側には筋骨隆々の大男が一人、いやらしい笑みを浮かべながらゲメインたちを待っていた。
ふとその隣を見ると、あまりにも場に似つかわしくない幼い少女が直立不動で立っている。
頭に乗せた大きな耳は彼女がガルムであることを告げており、希薄な表情も相まって、まるで精巧な人形のように見える。
彼女も大男の関係者だろうか。
「紹介しましょう。ゲメイン卿。こちらは傭兵団『戦場の狩人』のディーノ団長と、その部下のルゥ殿です」
「面倒な挨拶は省こうや、オグールの旦那。時間がないのはお互い様だろう?」
「そうですな。では、あとは当人たち同士でのお話ということで」
そう述べたオグールは、ゲメインと傭兵二人を部屋に残して退出していく。
あまりゲメインと揃って行動することは避けた方が良いとの計らいだろう。
「というわけだ。お初にお目にかかるぜ、ゲメインの旦那。紹介に預かった『戦場の狩人』で団長を張ってるディーノだ。こっちの小さいのは気にしなくていい」
「儂がゲメインだ。この場にいるということは、仕事を請け負ってもらえるものと捉えてよいのだろうか?」
(傭兵団『戦場の狩人』といえば、戦ごとに疎い我々貴族でさえ聞き及ぶ名だ。戦場で最も相手にしたくない傭兵団の一つで、相対した者たちは彼らを狩人と称して恐れたことからその名が付いたという……この者たちであれば、確かにあやつらを討ち取ることも叶うやもしれぬ)
「勿論、喜んでお受けしよう……!」
気持ちのいい二つ返事。
だが、それだけに気にかかる。
「失礼を承知の上で聞くが、報酬目当てか?オグール卿から話は聞いているとは思うが、相手は一筋縄ではいかぬ相手だぞ?それをここまで快諾するその理由が知りたい」
「そりゃ金は大事だ。傭兵団も酔狂だけで戦してるわけじゃねぇからな。だが、今回に関して言えば……理由はその『相手』だ」
「相手……?」
「オグールの旦那から話を聞いた瞬間に予感した……そして、さっき本人を直に見て確信したよ。遠目でも十分だった。ありゃ間違いなく『鷹の眼』だ……!」
「鷹の……眼?」
ゲメインにとっては初めて聞く言葉だった。
イザドラ本人から自己紹介を受けた時にも、そんな言葉は出てこなかった。
「まぁ、あんたら貴族が知らねぇのも無理はねぇな。戦場に生きるヤツらの一種の噂みたいなもんさ。曰く、数里先から獲物の眉間を撃ち抜く腕前。その眼に捉えられた者は逃げる術を持たない」
「確かによく弓を背負ってはいたが……」
「それだけじゃねぇよ?鷹の眼はかつてのコルキド軍精鋭部隊の隊長を張っていてな。そいつらと戦った敵は例外なくこの世から消え去っている。徹底的に、跡形も残さずだ……」
「特殊部隊の隊長を務めていたとは聞いた……だが、それだけでは鷹の眼と断定することはできないのではないか?直接会ったことがあるわけでもないのだろう?」
「あの眼と纏う空気だよ……命をやり取りしてきた俺らみたいなのにはわかるんだ……あれとやり合えるんだぜ?それだけでもこの仕事には価値がある!」
「自分たちなら負けるはずがないと……?」
「それを証明してやるのさ!ヤツの伝説に俺らが終止符を打ってやる!鷹とうちの猟犬……どちらが強いかの生存競争だ……!!」
ディーノが静かに吠えた時、隣のルゥが小さく頷いたような気がした。
「確かに儂らにはわからぬ世界だ……では、任せて良いのだな?」
「おっと……報酬は勿論別に頂くぜ?俺らは安くねぇが、成功報酬で構わねぇ!」
(見た目に反して抜け目のない……だが、ヤツを排除できるならもはや金になど糸目はつけん……これは儂とヤツとの戦争なのだ!)
「いいだろう。儂は結果だけを求める……!」
ディーノはゲメインに屋敷の警備体制や人員の数、装備の詳細などを確認。
それに対し、ゲメインは知り得る限りの情報を包み隠さずディーノに打ち明けた。
私兵団から隔離されているゲメインとはいえ、主だった武装の手配などはほとんどゲメインを通して行われたもの。
警備体制の詳細はともかくとして、戦力的な分析はほぼ完全に的を射ていると言っても過言ではなかった。
「少しでもヒントになればと思って聞いてはみたが、こりゃ想像以上だな。ここまで完璧に戦力が把握できたなら、負けた方が恥ってもんだ……よし!決行は今夜だ!時間はあまり空けたくねぇ。勘付かれる恐れもあるし、これ以上武装を強化されるのも面倒だ!」
「勝てるのか!?」
「あぁ!気を揉むのも今日限りさ。明日からは思う存分羽を伸ばせることだろうぜ!」
「そうか……そうか!フフ……フフフフ!!では、頼んだぞ。儂は会議場に戻る。オグール卿がそれらしい気を利かせてはくれているだろうが、思った以上に時間がかかってしまった」
「あぁ。オグールの旦那にもよろしくな!」
この後、会議場に戻ったゲメイン。
案の定、オグールの機転により、ゲメインは腹を下したということになっていたため、他の者からの追及はなく、警備たちの者たちにゲメインの不在が知れることもなかった。
そして、一日かけた会議は終了する。
それだけかけて出た結論はというと、引き続き本件の調査は続行されるということと、解決まで周囲の異常には気を配るようにとの注意のみ。
追及の手が消えることはなかったものの、こうも具体性にかける結論に導いたあたり、イザドラたちの手腕もたいしたものである。
そんな呑気なことを考えながら帰路に着くゲメイン。
道中、馬車の中で、向かい合うイザドラと言葉を交わす。
「どうやら他の者たちに尻尾は掴まれていないようだ。流石だな」
「お褒めに預かり光栄です。ゲメイン卿こそ、よほど心配なされていたのでしょうな。ようやく安心されたご様子で……」
「あぁ……やっと肩の荷が下ろせそうだ……」
「ククッ……まだ解決していないというのに、気の早いことです」
「フフ……まぁ、それもそうだな」
(こやつのことだ……何かしら察知している点もあるのだろうが、もう遅い。既に作戦は動いている……)
残すは、今夜の作戦開始をただ待つのみである。
屋敷に戻った後、ゲメインは書斎に閉じこもり、来たるべき時を待った。
「フ……フフ…………いかんな……笑いがこらえきれぬ……」
間も無く全てが終わる。
憎たらしいあの顔を見ることも、必死に金を工面する必要もなくなる。
そう考えただけで、緩む口元が抑えられない。
――コンコンッ
そして、書斎のドアがノックされた。
「ゲメイン卿。またです」
「そうか……今度はどこの手の者だ……いつものように処理しておけ」
「承知しました。ですが、今回のはこれまでの輩と少々異なる連中のようです」
「……ほぅ?」
「手練れです。少々荒れるやもしれませんので、ゲメイン卿は決して外に出ないようお願いします……」
「貴様に手練れと言わせるか……どこの手の者だ?」
「今のところは不明です。が、どうやら傭兵のようですな。雇い主については蹴散らした後に尋ねてみるとしましょう……」
「……わかった……手早く……な……」
イザドラの気配がドアの向こうから消えて間もなく、戦闘によるものと思われる爆発音が庭の方向から小さく響いてきた。
『戦場の狩人』と『鷹の眼』の戦争が開始された合図である。
「……フ……フフ……フフフフフ……ハッハッハッハッハッハ!これで終わりだ、イザドラ!二度と会うこともないだろう!!地獄の淵で精々悔やむことだ!!ハーハッハッハッハッハ!!!!」
堪えきれなくなった笑いを盛大にぶちまけながら、ゲメインは一人、静まり返った書斎の天井を仰いだ。
戦闘による騒音を飛び越え、イザドラの耳に届かせんばかりに。
ただひたすら笑い続けた。
開戦から一刻は経過しただろうか。
時計の短針が天辺を指す頃になると、あれほど騒がしかった音もほとんど聞こえなくなった。
笑い疲れたゲメインはというと、項垂れるように椅子に座ったまま動くことをしない。
消えゆく音と、イザドラの命を重ね感傷に浸っている。
――コンコンッ
再びドアが叩かれ、作戦成功の報せを待っていたゲメインの体がビクリと揺れる。
「…………」
だが、ドアの向こうからは誰の声も聞こえてこない。
「…………だ、誰だ?」
たまらずゲメインが応答を求めると、ぼそりと呟く声が微かに聞こえてきた。
「ボク……ルゥ……」
「ルゥ……だと?」
「マスターから報告……勝利……作戦終了」
「お……おぉ……おぉ!そうか!!勝ったか!!」
自身をルゥと名乗りつつも、ゲメインは彼女の声を聞いたことがなかった。
普段のゲメインであれば警戒し、廊下に立つ人物が敵ではないことを確信するまでドアを開くことも躊躇っただろう。
だが、それは彼が待ちに待った勝利の報告。
喜びのあまり、彼は自ら反射的にドアを開け放つ。
「わっ……ビックリした……」
ドアを開き、視線を下に動かすと、チョコンと廊下に立つルゥの姿。
驚いたと言いつつ、相変わらずの無表情はさほど変わっていないように見える。
「お、おぉ……すまんな!つい取り乱してしまった」
「報酬……受け取りに来た……」
「そうか、そうか!成功報酬の約束だったな!今、金庫を開けるから少し待っておれ」
踵を返し、喜々として金庫の前まで向かうゲメイン。
金庫のダイヤルを回しながら、ゲメインはふと思う。
(思えば何故ディーノは彼女を一人で寄越したのだ?報酬額もハッキリとは決めていなかったはず。そうした話をするのであれば、団長である彼がここを訪れるのが当然であろう……)
「ところで……ディーノ殿はどちら――がっ!?」
振り向こうとしたゲメインの胸部に走る激痛。
わなわなと震えながら、視線を胸元へと向けると、そこには背後から自身の体を貫く小さな手。
「な……何を…………!?」
尚も振り返ろうとするゲメインだったが、体を貫いた手が一気に引き抜かれ、その衝撃で床に仰向けとなって転がる。
「がふっ……が……あぁ…………はぁ……はぁ……」
自身の身に何が起こったのかを理解した時には、呼吸すらもままならない状態。
霞んでいく視界でなんとか捉えられたのは、淡々と部屋を後にしていくルゥの姿。
その右手は色鮮やかな赤に染まっている。
そして、彼女が部屋を出ようとした直前、ルゥは一旦そこで立ち止まり、廊下に向かって少し視線を上げた。
「マスター……任務完了しました……」
「よくやった、ルゥ。覚えておけ?あれが我々に牙を剥いた者の末路だ。この先、ああいったものを山ほど見ることになる」
「ボク……頑張る……マスターのため」
「あぁ……期待しているぞ……」
ドアの影に隠れて、その人物の姿は確認できないが、ゲメインはその声を確かに知っていた。
静かで、冷たく、這い寄るような女の声。
「イ……ザ…………ド………………」
その人物の名を最後まで呟くよりも早く、ゲメインの意識は闇へと沈んでいった――
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