蒼空のリベラシオン(ソクリベ)【iOS/Android対応のスマートフォン向け協力アクションRPG】の非公式攻略wikiです。有志によって運営されているファンサイトで、ソクリベに関する情報を収集しています。

 深い森の中、木々の隙間を駆け抜けていく二つの影。
 一つは人の形をしている。
 大きさから察するに、まだ随分と幼い。
 もう一つの影は魔物だろう。
 四本足で地を蹴りながら駆ける姿は、一目で人間のそれではないとわかる。
 どうやら二つの影は連れ立ってどこかへ行こうとしているのではなく、追走劇を繰り広げている最中のようだ。
 しかし、幕引きはもう間も無く訪れる。
 見る見るうちに詰まっていく間隔からもそれが伺える。

「追いついたぞ〜!」

 二つの影が重なろうとした瞬間、追っ手側の影が飛び上がり、吠えた。

「スパーン!!」

 手にするは巨大な斧。
 自重を優に超えているであろうその鉄塊を軽々と振り抜くと、魔物の急所を見事な一閃が切り裂き、結果、呻き声を上げる暇もないまま魔物は絶命し、力無く地に転がった。

「ゴメンな。おいしくモグモグするから、許してくれな」

 たった今、魔物の命を奪い去ったばかりの人影が、その亡骸の元へと歩み寄りながら小さく呟いた。

 それは少女だった。
 年の頃は五、六といったところか。
 簡素で露出の多い服装に、鮮やかな黄緑色の髪がよく映える。
 手足と頭には魔物の毛皮を細工したであろう装飾品とマント。
 そして、背とマントの間からひょっこりと顔を見せる尻尾。
 ガルムである。

 そう。
 これは狩り。
 弱きモノの血肉を、強きモノが糧とする自然の摂理。
 肉の調達を請け負う者、それを加工する者、こうした様々なフィルターを通しているために忘れがちではあるが、人とて決してその摂理から外れているわけではないのである。
 それが例え、幼い少女であろうともだ。

「んしょ……早く帰らないとな。母ちゃん待ってる」

 少女は魔物の亡骸を肩に担ぐと、踵を返し、散歩をするかのように森の奥へと消えていく。
 左手一本で巨大な斧を棒っきれのようにブンブン振りながら歩く姿もそうだが、それに加えて、自身の体よりも二回り以上も大きな死骸を抱えているというのに、重たそうにする様子は微塵もない。
 その瞬間、歩く姿のみを見ても、普通ではない何かを確かに感じさせた。



 少女が獲物を持ち帰った先。
 それは森の奥に隠れ潜むようにして築かれた里。
 数十棟ほどの木造りの家々が建ち並び、さながら大きな村のような体を成している。
 ここまでならそう珍しくもない光景。
 この里の特異な点は、住人たちの姿にあった。
 木陰で昼寝を楽しんでいる男。
 家の前で何かの肉をさばいている女。
 広場で追いかけっこをしながら遊んでいる子供たち。
 彼らの姿をよく見ると、全員がガルムであることがわかる。

「母ちゃん、ただいまだぞ!獲物!でっかいの取ってきた!」

 他よりも一回りほど大きい家にとてとてと駆け込んだ少女は、先程仕留めた魔物を誇らしげに掲げる。
 どうやらそこは彼女の暮らす家のようだ。

「おかえりなさい、ルパ。ずいぶんと立派なのを狩ってきたわね」

「んひひ〜!」

 ルパと呼ばれた少女。
 彼女は母に狩りの成果を褒められ、ご満悦な様子。

「何度も聞くようだけど、森の外には出てないわね?里以外の人とも会わなかった?」

「ルパ、ちゃんとやってるぞ?里の掟守ってる!」

「そう。ならいいの。夕飯の支度済ませちゃうから、少し待ってなさいね」

 里の掟。
 一つ、森の外に出ることなかれ。
 一つ、外界の者の侵入を許すことなかれ。

 この掟は里に唯一存在する住人全体の決まりごと。
 里に生まれ、物心ついた子供たちは最初にこの掟を教え込まれ、生涯を通して守り抜くことを誓う。
 何故、このような掟が存在するかを説明するためには、やや時を遡る必要がある。

 ルパが生まれる遥か以前。
 その日は、この里が生まれた日。
 この地に初めて、とあるガルム一族が踏み入った日。

 今でこそ落ち着きを見せてはいるが、当時と言えば、ガルムが人間たちから激しい迫害を受け、奴隷のように扱われていた頃。
 この頃、大陸に生きる者たちの最大の脅威は帝国ではなく、命を脅かす魔物、獣の類だった。
 凶暴な気性、人間が持たない強靭な牙や爪。
 世は弱肉強食とはいえ、そんな彼らと戦うには、人間という肉体は貧弱過ぎた。
 そんな彼らの前に、その類と同じ形をした部位を身体の一部に持ち、そのうえ自分たちと同じ言葉を話し、思考する者が現れたらどう思うだろうか。
 誰しもが恐怖し、とても平静ではいられなかったはずだ。
 人間はその存在を蔑み、虐げた。
 それこそがガルムという種である。

 ルパの一族は、かつて人間の奴隷として売られるために奴隷市場の檻の中にいた。
 しかし、不当な扱いから逃れるため、その後に初代の里長となるルパの祖父が皆を先導。
 結託した一族は、そこから脱出に成功し、安住の地を求めて大陸各地を放浪することとなる。
 そして、旅の末に辿り着いたのが樹上都市「メルキス」だった。
 そこは人間ではなく、エルフが治める土地。
 そこでなら、人間が自分たちに抱いた感情も存在しないと考えたからである。

 しかし、ときに現実とは無情なもの。
 純血種こそを絶対正義。
 種の誇りを重んじるエルフたちにとって、他種族と関りを持つことは一種の禁忌とされており、人と獣の混血種であるガルムは尚更軽蔑すべき対象だったのだ。
 エルフはガルムに手を差し伸べるどころか、早々にこの地を立ち去るようにと邪険に扱った。
 これはガルムではなく、例え人間であったとしても結果は変わらなかっただろう。
 だが、そのことを知らなかったガロたちは憎んだ。
 人間を憎み、そしてエルフを憎み、世界をも憎んだ。
 かといって、エルフを攻撃しようなどという感情は芽生えなかった。
 彼らとて知性ある者としての誇りを持っていたから。

 安住の地を探し求める旅は続く。
 だが、既に旅路での消耗が限界を迎えつつあったガルムたちには休息が必要だった。
 肉体的にも勿論のこと、抱いていた希望が打ち砕かれた精神的なショックも大きかったのだろう。
 多くの者たちが足を踏み出すことを諦めていた。
 ここでルパの祖父は気が付いた。
 メルキスの目と鼻の先にありながら、エルフの気配どころか、まるで手付かずの自然がそのまま一つの結界を形成したかのような異質な森の存在に。
 理由はわからない。
 豊富な果物や木の実。
 食用に適した小動物。
 一歩踏み入れば、そこは自然の恵みが溢れ返る楽園。
 エルフたちにもそれはわかっているはず。
 だというのに、なぜ彼らはこの地を放置しているのか。
 わからないが、ルパの祖父はそこに希望を見た。
 そして、一族の皆を連れ、森の奥へ。
 そこに隠れ里を築き、安住の地とした。

 森の外に出れば、エルフの目に触れ、怒りを買うかもしれない。
 外界の者が里の存在を知れば、エルフにも里の存在が知られ、何らかの処罰を受けることになるかもしれない。
 そうしたことを未然に防ぐための掟である。



「なぁ、母ちゃん?人間って悪いヤツなのか?エルフも?」

「どうかしらね……悪い人とは限らないのかもしれないけど、お父さんやお母さんは人間にも、エルフにも会ったことがないからわからないわ」

「探せば良いヤツもいるかもなのか?」

「そうね……でも、あなたが生まれてくる前、お爺さんたちはそういう人を探して色んなところを旅したわ。みんな辛くて悲しい思いをたくさんしながら。それでも見つからなかったのよ……」

「なんでみんなワイワイ仲良くしないんだろうな」

「……ルパ?厳しいことを言うけど、あなたは今、この里をまとめる長の立場にあるのよ?変な気を起こしちゃダメだからね?」

「変?人間やエルフと仲良くするの変なのか?」

「そういうことじゃなくて――も、もういいから!早くご飯食べてしまいなさい!」

「はぁい……」

 いつもこうだ。
 こういった話をしようとすると、何故か母は怒って話を終わらせようとする。
 それはルパにとって、悲しいことでもなければ、腹立たしいことでもない。
 ただただわからない。
 不思議なことだった。

 食事を済ませ、家の屋根上に飛び上がったルパは月を眺めつついつものように考える。

「今日の月はまんまーる!キレイだぞー!」

 生まれながらにして、里と森の中以外の世界を知らぬルパ。
 外のことで知っていることは、母から口を酸っぱくして教え込まれたこの里の歴史と、他種族との因縁のことだけ。

 この里の長だった祖父。
 その息子であり、次の里長となったルパの父。
 さらにその跡を継いで、同胞たちを守る使命を帯びた自分。
 ルパが生まれる以前、里に大量の魔物が近づく事件があったらしく、このとき、魔物の気配をいち早く察知した父ガロは、里の戦士を引き連れ、里を守るために戦い、勝利をおさめ、そして、命を落としたという。
 ルパがこの話を理解できるようになったとき、彼女は父の行動を誇りに感じた。
 家族だけでなく、立派に仲間を守った彼の勇姿に憧れた。
 だから、自分もその使命を継いで戦えるということは素直に嬉しく思った。

 しかし、一つだけ理解できないこともあった。
 なぜ話し合える者同士がいがみ合うのか。
 なぜ傷つけあうのか。
 その答えを知ろうにも、 母に話を聞いても相手にしてもらえず、里の老人たちに聞いても結果は同じ。
 ルパは、純粋すぎる心で一人その答えを必死に見つけようとしたが、理由は今なおわからない。

 だが、一つだけはっきりと理解していることがある。
 仲間を守ること。
 それがルパの使命――





―― 五年後。

 月日は経ち、ルパは十歳を迎えていた。
 この頃になると、彼女も里の長として相応しい力を存分に発揮し始め、周囲の者たちもその将来に期待し、胸を躍らせていた。
 里で誰よりも強く、誇り高かった父ガロに勝るとも劣らない長になると。

「やぁ、奥さん。こんばんは。良い肉が手に入ったから、ルパに食べさせてやろうと思ってね。あの子はいるかい?」

「まぁ!いつもありがとう!あの子もきっと喜ぶわ。ルパ!?お隣さんがお肉を届けてくれたわよ?」

「んー?」

 玄関口で話すルパの母と里の仲間。
 母の呼び掛けに対し、その頭上からルパの空返事だけが返ってくる。

「また屋根上に上がって月を眺めてるのかい?」

「えぇ。ごめんなさいね。すぐに呼ぶから。ルパ!?ちゃんとお礼しなきゃダメでしょ!?」

「あー……いいよいいよ。ほら、今日は三日月の晩だから、なおさら楽しみにしてたんでしょ!」

「三日月……もしかして、紫の三日月の言い伝えのことを?」

「オレもガキの頃は信じてたよ!ロマンがあるじゃないか!」

「ちょっとやめてよ、そんな迷信。あの子もいつまでもそんなもの信じてないで、もっと里の長としての自覚を身に着けて欲しいものだわ……」

 里の者ならば誰しもが一度は聞いたことのある言い伝え。
 『紫色の三日月の夜、新たな友との出会いがある』
 毎年、ある時期にだけ必ず月が紫色に染まる日があり、その日が三日月の晩と重なったときだけ見られる紫色の三日月。
 周期的なものではないため、数年から十数年に一夜、タイミングが悪ければ数十年と見られないこともあるという。
 それほどに珍しい夜ならば、何か特別なことがあって欲しい。
 そうした淡い願いから生まれた話といったところだろうか。

「はは!あの子はまだ十歳だよ?毎日ぐんぐん成長して、ガロさんに負けないくらいの力は付いてきたけど、まだまだ子供なんだ。ちょっと夢を見ることくらいは許してやりなよ!」

「それはそうだけど……」



 その日は陽が落ちる夕方から、ずっと屋根の上で月が昇るのを待ち続けていたルパ。
 なぜそこまで待ち遠しく思うのか。
 彼女にとって、紫の三日月の言い伝えには特別な意味があった。

 新たなる友。
 里の者しか知らず、森の外に出ることのできないルパにとって、それはまさに未知との遭遇。
 掟に触れることも理解していたが、その相手が友達になれるような者ならば、里の者たちもさほど怒ることはしないだろう。
 ルパはそんな出会いに想いを馳せていた。

「まだかな、まだかな〜?まだまだかな〜?」

 完全に陽は落ち、月の姿が煌々と夜空に映し出されたとき、それは訪れた。

「うぉおおおお!?紫だ!紫だぞ!!」

 屋根上で寝転がりながら、呆然と空を眺めていたルパが飛び上がり、喜びを身体全体で表現する。
 空に浮かぶ三日月は、確かに紫色に染まっていた。
 あまりにも幻想的な光景。
 次第に里の者達もそれに気が付き、目と心を奪われていく。

「新しい友達がお話にくるぞ!早くこないかなぁ〜……今からワクワクだな!!」

 あとは言い伝え通り。
 新たな友が訪れるのを待つだけ。
 長年夢見た瞬間が、現実になることをそわそわしながら月を眺め続けるルパ。
 森の外からの来客を待ちわびて、念入りに周囲に気を配る。

「なかなかこないなぁ〜……ウズウズが止まらな――っ!?この匂い……!!」

 そのとき、里の中でルパだけが気が付いた。

「ザワザワ……友達じゃない…………?」

 森の外から漂ってくる気配。
 それは他でもない魔物の群れの気配。
 微かにではあるが血の臭いも漂ってきている。
 今回訪れたのが友達でなかったことに肩を落とすルパだったが、次の瞬間、彼女の気配の質は変容した。
 言い伝えを信じ、夢見る無邪気な子供から、里を治め、同胞たちを守るために戦う長へ。

「みんなが危ない……ルパが戦わなきゃ!」

 里の者に知らせることすらも忘れ、自身の内に燃え上がる使命感に従って行動を開始するルパ。
 天高く舞い上がった彼女の姿が紫色の三日月の中に浮かんだかと思いきや、そのまま目にも止まらぬ速さで魔物の気配の元へと駆けて行った。



 生い茂る木々により陽射しは阻まれ、昼間であっても暗がりの多い森の中。
 夜ともなれば、その暗さは闇そのもの。
 それでもルパの足取りには、躊躇などといった要素は全く存在していない。
 獣染みた夜目と、毎日庭のように駆け回っている場所だからこそできる芸当。

「んん?何だ??」

 気配に近づくにつれ、異変を感じ始めるルパ。
 魔物の群れの強烈な気配の中に、弱々しく感じる別の気配。
 それに際し、ルパは一度足を止める。
 彼女は、身を低くし、息を潜めながらゆっくりと気配の元へと忍び寄り、状況を草陰から観察した。

「くそっ!みんな無事か!?頑張れ!すぐに助けが来る!!」

 夥しい数の魔物に囲まれた見慣れぬ人影。
 すらっと伸びる四肢と、尖った耳。
 色白い肌に鮮やかな緑の服が映える。
 それはルパが生まれて初めて目にする森の外の者であり、ガルム以外の種族であった。

「なんだアイツ……なんかルパと全然違うぞ?ピンピンしてて、ナヨナヨしてる……あれがエルフか?」

 エルフが握り締めているのは弓。
 体のあちこちに怪我をしている。
 どうやら魔物と戦っているようだ。
 それにしても、魔物の集団と向かい合って戦うなど、日常的に魔物と戦っているルパから見れば愚の骨頂であった。
 魔物との戦闘においては一撃必殺、先手必勝が最も効率が良く効果的。
 集団を相手にするときは、囲まれないよう次に動く先を考えながら、翻弄するように動き回ること。
 それこそが里の戦士に習い、ルパが経験によって磨き上げた戦法である。
 同じことができないまでも、何か策を考えた上で戦いに臨むくらいのことは他種族であってもしそうなものではあるが。
 否、よく見ると男の足元に同じくエルフが数人横たわっているのが見えた。

「アイツ……仲間守ってるのか。だから逃げないのか」

 いくらルパの夜目が利くとはいえ、さすがに詳細な傷の程度までは視認できない。
 しかし、完全に気を失って動かないところを見ると、深刻な事態なのだろう。
 すぐに治療しなければ、手遅れになるかもしれない。

 だが、ルパは動かず、ただ静かにその様子を見守った。

 もし里に近づこうとする者がいた場合、速やかに森の外に追い出すこと。
 それがエルフともなれば、存在を知られることすらも危うい。
 掟でそう教え込まれているルパにとって、目の前の光景は、ただ形の違う敵同士が殺し合っているだけ。
 このまま里に危害が加えられないのであれば、意味も無く戦う必要はない。
 これは里の者であれば誰しもが取ったであろう判断で、里の長としも正しい判断だといえた。

「ゴメンな……ルパもみんなを守らないとだから……」

 ルパはエルフに対する謝罪の言葉を、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

『グルルルル……!』

「くそ……もう矢が……!!」

『グォアアアアア!!』

「うわぁああああああ!?」

 とうとう一人最後まで戦っていたエルフまでもが倒れ、彼らの運命が決する。
 これもまた狩りだ。
 弱きモノの血肉を、強きモノが糧とする自然の摂理。
 今回はエルフが弱者で、魔物が強者となった。
 それは当たり前のことであるはず。
 自分の生きてきた世界ではそうだった。

「こ、こんなところで……死にたく……ない…………」

 この獲物たちには抵抗する力は既に残っていない。
 そう判断した魔物たちが、男たちに襲い掛かろうとした時……

「――っがぉおおおおおおおお!」

『グル……!?』

 ルパは魔物の群れの前に無心で飛び出していた。
 傷つく者、弱い者を守る。
 それは里の教え以前に当然の行いであり、父ガロが命を賭して貫いた誇りであり、ルパにとっての行動原理。

 彼女はちらっと横目でエルフたちの様子を確認。
 どうやら全員気を失っているようだ。
 これならばエルフに見られる心配も、里の発覚についても心配はなさそうである。

「……よーし!ルパが相手だ!いっくぞー!!」

 何かを振り切ったといわんばかり手をグルグルとぶん回すルパ。
 突然、新たな敵が登場したことにより戸惑う魔物たち。
 彼女はその隙を見逃さず、斧を手に魔物の群れへと斬りかかる。



『グギャァアアア!』

「クルクル……ドーン!」

 敵の数は視界に入るだけでも二十体以上。
 それだけに留まらず、仲間の異変を感じ取った新手が次々と湧いてきている。
 その総数は如何ほどか。

「バキバキドーン!」

『グルル……グォアアアアアア!』

「がぉおおおおおおおお!」

『グ……グルル……!!』

 いくら数が多いとはいえ、ルパにとっては狩り慣れている獲物。
 個体としての戦闘力は比べるまでもなく、咆えて威嚇するだけでも一定の効果があるようだ。
 こうした手段を駆使しながら、ルパは包囲されないよう敵を翻弄し続け、一体、そしてまた一体と着実に獲物を狩っていく。
 何も全てを狩りつくす必要はない。
 魔物とて、群れを存亡させることを考えれば被害が限界を超える前に撤退していくはず。

「はぁっ……はぁっ……んひひひ!」

 本来なら、限界が近いのはむしろルパであったかもしれない。
 だが、今の彼女は楽しんでいた。
 狩っても狩っても後から湧いてくる獲物。
 戦果である獲物の死骸は山を築き、なおも積み上がっていく。
 何かを守りながら戦うという、かつてない経験。
 色濃くにじむ疲労。
 個の限界を感じる苦戦。
 どれもが初めてで、純粋に刺激的で、気が昂(たかぶ)った。

 そして、狂気の中にいるかの如く研ぎ澄まされたルパの感覚が、新たな強力な気配を察知する。
 森の外からこちらへ向かってくる邪悪なもの。
 群れのリーダーだろうか。

『グルル……!!』

 魔物たちも同様にその気配を察知しているようだ。

「んひひっ!!」

 だとしても今なら負ける気がしない。
 どんなに巨大で、どんなに強大な相手であろうとも。
 そうした意気込みがルパの表情からもはっきりと感じ取れる。

「な……なんだこれは……!?」

「……あれ?」

 現れた気配の主の姿を見て、ルパは一気に現実へ引き戻された。
 耳も、肌も、背後に横たわるエルフたちと同じもの。
 手にするのは盾で、服装は紫色と、多少の差異こそあるものの、それは間違いなくエルフであった。
 自分の感覚がおかしくなったのではないかと思い、何度も気配を探りなおすが、力強くどこか邪悪なこの気配は、間違いなく目の前のエルフから発せられている。

 否、それよりも考えなくてはいけないことをルパは思い出す。
 我に返ったルパの脳裏をよぎる里の掟。
 彼女に刷り込まれた、里を守るための教え。
 エルフに姿をさらしてしまえば、そこからルパの存在がメルキスに知れ渡ることになり、最終的には彼女の唯一の居場所である里に対し、何らかの対応がなされるかもしれない。

「…………事情はわかった」

 そう述べ、盾を構えたエルフ。
 それを見て、ルパの中の何かが切れた。

「がぉおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 一体何が『わかった』?
 魔物と結託してルパがエルフを襲ったと勘違いしたのか。
 それとも、ルパを見ただけで里の存在まで勘付いたのか。
 いけない。
 里を守らなくては。

「なっ!?何だ!?」

 突如雄叫びを上げたルパに対し、新手のエルフは明らかに動揺している。
 だが、ルパの思考はそんなこと意にも介さない。

「帰れ!出てけ!!森から出てけ!!」

「ちょっと待て!?どうした――」

「うるさーい!!エルフは嫌いだ!!」

 里を守らなければ。
 そのことだけを考え、ルパはエルフを威嚇し続けた。

『グォアアア!』

「む〜……邪魔ぁあああ!!」

『グギャァアアアア!』

 好機と見てか、周囲を取り囲んでいた魔物が再びルパに襲い掛かるが、もはや近づくモノ全てを反射的に攻撃する狂人になりつつある彼女。
 そのことごとくを斬り伏せながら、彼女は威嚇を続けた。

「帰れ!早くそいつらを連れて帰れ!!もう絶対に来るな!!」

「くそっ……一体何がどうなっている……!?」

 この場に現れながらも、目まぐるしく変わる状況に最後まで付いていけなかったエルフは、ルパの圧倒的な野性味と戦闘力に圧されたのか、言われるがままに横たわった仲間のエルフたちを無理やり抱えて森の出口へと走って行く。

「ふー……!ふー……!」

「ルパ!?無事か!?」

「み、みんな……」

 直後、里の戦士たちが駆け付け、魔物は討伐しつくされた。
 到着がもう少し早ければ、エルフと接触していた自分の姿を見られていたことだろう。
 だが、事は何も解決していない。

 里に帰り、調理された魔物の肉を手渡されても、食欲などわかなかった。

 あのエルフは何だったのだろうか。
 エルフの姿なのに魔物のように大きく邪悪な気配。
 それでいて、敵意は感じられなかった気がする。
 さらに、掟を破ってしまった罪悪感。
 そのことでこれから起こるかもしれない最悪の事態。
 ルパは心にモヤモヤを抱えたまま、見えない空気の壁に押し潰されるような恐怖を覚えながら、その日は床に就いた。





――翌日

 天気の良い昼下がり。
 だというのに、ルパは日課の狩りもせず、家の屋根上でぼーっと一人考え込んでいた。
 勿論、昨日の出来事について。

「うー……ルパ、どうしたらいいんだ…………」

 考え込みすぎて、昨晩一睡も出来なかった影響か、いつもフラフラしていた思考がいつも以上に定まらない。

「…………ん?」

 そんなぼやけた彼女の感覚を刺すように刺激する気配。
 間違いない。
 意識下にこびりついて離れなかったこの感じ。
 昨日、森の外へと追い返したはずのあの盾持ちのエルフの気配。

「……っ!!」

 ルパは走った。
 誰にも知らせることなく。
 誰かに気付かれてしまうよりも早く。
 普段の彼女であれば『凝りもせずによくも!』と、息巻いて駆けていきそうなものであるが、その時の彼女の表情は、焦りに塗れた悲痛なものだった。



「おぃ!何してる!おまえ!!」

 頭上から突如声を掛けられ、びくっと体を震わせた人影が上を見上げると、大樹の枝先にちょこんと座るルパがいた。
 彼女は人影をじっくり観察し、昨日の記憶と照らし合わせる。
 やはり間違いない。
 昨日のエルフ。

「帰れ!ルパはもう来るなって言った!」

 軽く牙を剥きながら、怒りを露わにするルパ。
 昨日よりも深いところまで森に入られた。
 やはり里を攻めに来たのではないか。
 彼女は警戒を怠らぬまま男を威嚇し続ける。
 だが、そんなルパに対し、男はいたって平静に言葉を返す。

「ルパ……?それは君の名前か?俺の名前はシオンだ。君に聞きたいことがあるんだが、少し話をしないか?」

「違っ!ル……ルパは……ルパは……ルパなんて名前じゃない……ぞ……?」

「でも、今自分のことをルパって……」

「うぅ……うるさいぞ!話ってなんだ!?」

「話を聞いてくれるのか?助かる」

「ち、違う!違うぞ!ルパはそんな悪いことしないぞ!!いいから帰れ!!ドカーンしちゃうぞ!!」

 自分をからかっているのだろうか。
 あまりの敵意の無さに、そんな感覚にさえ陥ってしまう。

「いいから帰れ!早く帰れ!!帰れ帰れ帰れ帰れ帰れ帰れー!!」

「……今日のところは機嫌が悪いみたいだな。大人しく帰るよ」

「もう来るな!早く!!シャカシャカ動け!!本当にドカーンするぞ!!」

「わ、わかったから……!」

 結局何をするでもなくすごすごと森を出て行ったシオン。
 項垂れた彼の背中を見ながらルパはあることを思い出す。

「あ……モヤモヤのこと聞くの忘れたぞ…………」

 だが、それももはやどうでもよかった。
 二度もああして森から追い出されたのだ。
 これで本当に二度と森に踏み入ることはないだろう。
 もし、もしも再びあの男が森に現れた時が来るとすれば、それはすなわちエルフが里を襲いにやってきたという宣戦布告。
 それこそがルパが一人悩み抜いて出した回答だった。





――さらに翌日

 森の中を駆けるルパ。
 狩りのためではない。
 またしても例のエルフ、シオンの気配が森に入ったのを感知したからだ。

「またおまえ!ルパ、もう来るなって言った!何回も言った!!」

「毎回、突然現れるんだな……昨日は話しそびれてしまったので、改めて出向かせてもらったんだが……まだ機嫌は治らないのか?」

 既に警告は繰り返した。
 疑う余地はない。

「ルパたちをいじめにきたな!?させないぞ!ルパがみんなを守るんだ!!」

「いじめる!?ちょっと待ってくれ!そんなつもりはない!」

 相対するシオンは慌てて敵意の無さを訴えてきた。
 それを見てルパは思い出す。
 発せられる気配こそ邪悪な印象を受けるが、いつだってシオンから敵意や悪意のようなものは感じられなかった。
 野性的な感覚と、裏表のない純粋さを併せ持つルパにして、それを見誤ることもないだろう。

「……おまえはエルフだ。ルパたちはガルムだ。仲良くない。いじめに来たんじゃないのか……?」

「仲良くないか……そうだな。それは否定できない。だが、それはガルムに限った話じゃない。エルフは根本的に他種族と親交を持つことを良く思ってはいないんだ。それこそ、余程のことがなければ攻撃しようなどと考えない。例えば、メルキスに害意でも向けない限りな」

「ほ……本当か……?」

「他でもないエルフの俺が保証する。信じて欲しい」

「……………」

 ルパの心はすっと軽くなった。
 自分が掟を破ったために、里が滅ぼされる。
 ここ数日、彼女の心を強烈に圧迫していたそんな不安が一気に解消されたから。

「良かったぁ…………!」

 ため息交りに心からの声をこぼすルパ。
 ペタンと尻餅をついて呆ける彼女。
 その様子を眺めていたシオンも、つい笑みをこぼす。

「はは……誤解は解けたようだな。なら――」

「お話は終わりだな!もう帰っていいぞ!ほら!出てけ!!」

「……は?」

 打って変わって、再びシオンを森から追い出さんとするルパ。
 シオンはその変わり身の早さに驚き、ただ戸惑うばかり。

「待て!誤解は解けたんだろう!?」

「ルパたちをいじめに来たんじゃないのはわかったぞ?でも、掟だからな!仕方ないぞ!」

 先程までルパの中での優先順位は、里の危機の回避が何よりのもので、その次に里の掟となる。
 そして、エルフがルパの里を攻撃しに来たのではないとわかった時点で、ルパの行動の最優先事項は里の掟となったわけだ。
 単純明快、迅速果断。
 相対する者がどんなに理不尽に思ったとしても、ルパの知ったことではない。

「動け!走れ!!出て行かないとドカーンだぞ!!」

「な、何なんだもう……!」

 吹っ切れた様子で斧を振り回すルパを見て、今の状態では言葉も通じないだろうと判断したのか、シオンは抵抗することもなく、とぼとぼと森の出口へと歩いて行った。

「んひひ!里も平和にワイワイ!掟も守ってガッシガッシ!これでみんな安心――あ……またアイツのこと聞くの忘れたぞ……」





――さらにさらに翌日

 ルパも全く予想していなかったでもないが、本当にまた来たときは驚きを隠せなかった。

「も〜!おまえ!しつこい!!帰れ!!」

「なぜ俺が悪者にされているんだ……誤解なら昨日解いたはずだろう?」

「それは終わった!ルパは掟を守るだけだぞ!!」

「その掟ってのは何のことなんだ?」

「掟は掟!森に入るな!!」

 四日間にして四度目の警告。
 まだ懲りないのだろうか。
 目的など知ったことではない。
 だが、里に近づけるわけにはいかない。
 何かを訴えかけようとしているようだが、今の自分は里の長であり、掟を誰よりも重んじなければならない立場。

「出て行け!本気でバキバキするぞ!!」

 怒りに殺気を交え、より攻撃的な威嚇に切り替える。
 牙を剥き、斧を振り回し、爪で地を抉る。
 もう次はない。
 言葉だけでなく、姿勢でもそう訴える。

「……わかった。今日も帰るさ」

 伝わったはずだ。
 去り際のシオンの表情を見て、そうルパは確信した。





――さらにさらにさらに翌日

 ルパの内に燃え上がっていた怒りは、徐々に困惑へと変わりつつあった。
 何度警告しようが、何度威嚇しようが、もう忘れたといった顔で翌日また現れる。 

「相変わらず、お早い登場だな。魔物に勘付かれないように、自分なりに気配を絶っているつもりなんだが……結界でも貼ってあるのか?」

「けっかい……?何だそれ!?ルパはおまえの気配すぐわかる!魔物みたいだけど、ちょっと違う!」

「なるほど……やはりコレのせいなのか……?」

「ぶつぶつうるさい!!来るなって言ってるんだぞ!!毎日毎日しつこいぞ!!」

「生憎、煙たがられるのには慣れている。それに、俺はただルパと話がしたいだけだ」

 怒るルパを相変わらず柳に風と受け流すシオン。

「ルパのこと、ルパって呼ぶな!ルパって呼んでいいのはみんなだけだぞ!!」

「みんなってのは仲間か?他にも仲間がいるのか!?」

「――っ!?」

 いけない。
 これ以上はいけない。
 言葉を交わすほどにボロが出る。
 シオンが里に興味を持てば、いつか里を探し出し、それをメルキスのエルフに告げ口するかもしれない。
 回避したはずの滅びが現実のものとなるかもしれない。

「もうヤダ……おまえとはもう話さないぞ!絶対に!絶対に話さない!!頭の奥がグチャグチャでグラグラだ……!!」

「ルパ……?」

「ルパのことを呼ぶのをやめろぉおおおおおおおお!!」

「――ぐぁっ!?」

 ルパはシオンを殴り飛ばした。
 何を言っても裏目に出てしまう。
 他の方法を知らなかった。

「……ぐ……うぅ!」

「あ…………」

 遥か後方まで吹き飛んだシオンの体は大木の幹に打ち付けられ、鈍い痛みに彼の表情が歪む。
 それを見たルパの顔もまた同じくらいに歪んでいた。

「えっと……ルパは…………その…………」

「……大丈夫だ。わかってる。ここにはもう来ない」

 一瞬遅れてやってきた罪悪感。
 無抵抗の者に手をあげてしまった。
 里の長としての、ガルムの戦士としての誇りを傷つける行為だ。
 それはルパが初めて体験した感情だった。





―― さらにさらにさらにさらに翌日

 既に陽が傾き始めているというのに、今日はまだシオンの姿を見ていない。
 手をあげられたことで、やっと理解したのだろうか。
 ルパの訴えがシオンに通じたのであれば、それは里の長として正しい行いを成したはず。
 里を脅かす脅威を未然に防いだのだから。

 だが、ルパは釈然としなかった。
 心の内に巣食っているモヤモヤはより大きなものになっている。
 理由は明確。
 シオンを殴った手の感触が未だに消えないのがその証拠だ。
 彼のことを知りたいと考えていたはずが、どうしてこうなってしまったのか。
 問題が一つ片付いたかと思えば、また新たに一つ。

「う〜……!!まただ……頭がグチャグチャしてきたぞ……」

 日々をこんなに頭を悩ませながら生きたことはなかった。
 特訓し、魔物を狩り、月を眺め、肉を食い、眠る。
 精一杯生きているつもりでいた自分の人生はなんだったのか。

「――えっ!?何で!?」

 ふと感じるシオンの気配。
 森の中には入ってきていない。
 まだ随分と距離がある。
 それにしても、痛い思いまでして、それでも懲りないのか。

「…………よぉし!」

 ルパは駆ける。
 このモヤモヤの原因がシオンならば、やはり彼自身をどうにかする必要があると思ったから。

 もう一つ腑に落ちないことがある。
 いくら察知しやすい類の気配とはいえ、里から森の外までの距離がいったいどれだけあるだろうか。
 さしものルパとて、通常これほどまで遠方の気配を察知することはできないはず。
 これではまるで、シオン自身がルパに呼びかけているような。
 彼女にはそう思えた。



 あっという間に森の外縁部の傍までやってきたルパは、足の速さを緩め、姿勢を低く、忍び足で縁まで近づいた。
 木陰から森の外の様子を入念に確認し、エルフの気配がないかを探る。

 これまでは森の中に入ってきたシオンを追い出すため、仕方なく接触してきたが、掟では森の外に出ることは禁止されており、その理由はエルフを含む他種族に自分たちの存在を知られないようにするためである。
 シオンは、メルキスのエルフがガルムを攻撃することはないと保証した。
 だが、それはあくまでもメルキスに害を及ぼさないことが前提。
 森の外をうろつくガルムを目にすれば、メルキスのエルフたちがどういった判断をするかまではわからない。

 メルキスと里を繋ぐ一直線上。
 その上の森の境界線ギリギリのところにシオンの姿があった。

「…………」

 周囲に気を払いつつ、シオンの挙動に目を光らせる。
 一歩でも森に入ったら、今度はどうしてやろうか。
 そんなことを考えながら、木陰から監視を続けたルパだが、時間がどれだけ経過してもシオンはそこを動こうとはしなかった。

「……………………」

 シオンはただ森の奥を見つめ、何をするでもなくただ時を過ごすだけ。

「………………………………う……うずうずするぞ……」

 気配を絶ちながら獲物を観察し続けるという行為は、狩りをする上では必ず経験するもの。
 だが、観察対象がこうまで何もしないケースとなると、ルパとて経験はなく、気を見計らうこともせず仕掛けたい気持ちになってくる。

 結局、月が昇った後、傾き始めるまで頑張って監視を続けてみたが、状況は何も変わらなかった。
 シオンの気配は依然として強烈に発せられており、これであれば異変があったとしても里からすぐに察知できる。
 そう判断したルパは、シオンに姿を見せないまま、里へと帰っていった。





――さらにさらにさらにさらにさらに翌日

「ぐむぅ…………!」

 里に帰り、ルパは寝床に入ったはずなのだが、太陽が昇ってもその目が閉じきることはなかった。
 こうもシオンの気配を感じ続けていては、神経が落ち着かず、またも眠るに眠れなかったのである。

 相変わらずシオンの気配は同じところから動いていない。
 恐らく彼も眠っていないのではないだろうか。
 それどころか、食事や水さえも口にしていないのではないか。
 感じる気配は一晩通して全くぶれることがなかった。

 そもそもシオンの目的は何だ。
 話がしたいと言っていた気がする。
 シオンが直接ルパの元を訪れようとすれば、森に入るなり話もせずに追い返される。
 ならば自分の元へルパを呼び寄せることで、会話の機会を得ようとしているのではないか。
 そう考えると妙に納得できた。
 諦めたわけではない。
 方法を変えただけ。

 ルパは眠気で細っていた目を見開き、立ち上がった。



――ドサッ!!

 おもむろに投げ置いた数匹の魔物。
 ルパがここに来るまでに仕留めた獲物だ。
 彼女が家を出て一刻程が経過した後、彼女はシオンの前に姿を現していた。

「食え!」

「やっと来てくれたか。いや、顔を出してくれたか」

 シオンの目の前に転がる魔物の死骸。
 そこから少し視線を上げ、ルパの足元を見ると、森の外には出てきていないことがわかる。

「掟なんだからな!ルパは森からは出ないぞ!」

「それでいいさ。十分だ」

「おまえがお腹空いて死んだら、いっぱい魔物が寄ってくる。それはダメだ。ルパが困る。だから食え!」

 ルパが少しバツが悪そうにしていることを承知の上で、そこにあえて触れないシオン。

「そこまでわかってるのか……いや、ありがたい。いい加減腹が空いて我慢の限界だったんだ」

「おまえ、ずっとルパを待ってたのか?」

「あぁ。どこにいるかもわからない君が俺に気付けるように、あえて魔素を全力で垂れ流していた。おかげでクタクタだ……」

「そんなにルパとお話ししたかったのか?」

「そうだ。まずは君に感謝を。同胞を救ってくれたろ?」

「あれはたまたまだぞ!たまたま!!」

「それでも君のおかげで命を救われた者がいることは確かだ。ありがとう」

 シオンが座したまま頭を深々と下げ、ルパに感謝の意を示す。
 しかし、いくら取り付く島もなく追い返し続けたとはいえ、感謝の言葉を述べたいだけなら、これまで何度もチャンスはあったようにも思える。
 まだ他にも理由があるのだろうか。

「それだけなのか?」

「いいや。他にも君に聞きたいことがたくさんあるんだ。君のことを知りたい。君がどこの誰で、何故こんなところにいるのかを」

 あるにはあった。
 だが、理由と呼ぶにはあまりに弱すぎるというか、些細過ぎる目的。

「…………本当にそれだけなのか?」

「それだけだが?ところで……この肉はどうさばけばいいんだ?」

「…………」

 色んなことを覚悟してここまでやってきたことが馬鹿らしく思えてきた。

「んひひ!」

「聞こえているか?こいつのさばき方を教えて欲しいんだが……」

「端っこをサクッと切って、皮をビーッとやって、お腹をパカッとして、グログロを全部出して――」

「あー……大丈夫だ。よくわかった。他の魔物とかと変わらないんだな」

 懐から小さなナイフを取り出すシオン。
 それを見てもルパは微動だにしない。
 自身に対して敵意がないことは今さら論じるまでもなくわかっているから。



 それからは毎晩シオンの元を訪れることが新たな日課となったルパ。
 初日にシオンのことを山のように聞き出し、彼の生い立ちや過去を知ったことで、ルパの中のモヤモヤは瞬く間に消え去った。
 次に、ルパは自身のことを全て話した。
 自身の立場のことも。
 里のことも。
 一族の過去のことも。
 この行為は、里の者からみれば常軌を逸した行為といえる。
 最も警戒すべき相手であるエルフに、自分たちの何もかもを晒してしまったのだから。
 しかし、この時のルパにはその先の不安など微塵もなかった。
 そもそも里の掟には直接触れていない。
 シオンに会うときにしても、森の外に足を出すことだけはしないし、シオンを森に入れることもしない。
 ルパは里の長として、掟を守ることだけは遵守し続けた。

 とはいえ、危険であることはルパとて説明されるまでもなく承知している。
 それでもなぜシオンに全てを打ち明けたのかと聞かれれば、彼女は笑って『シオンなら大丈夫』と答えるだろう。
 数度顔を合わせただけの仲だというのに。
 直感と言ってしまえばそれまでだが、ルパは心の底から信用できると思える何かをシオンに感じていた。

 こうしてシオンは、ルパが初めて目にした森の外の者であり、ガルム以外の種族であり、そして初めて得た里の外の友人となった。

「そうか……君たちも大変だったんだな…………」

「エルフが森に入ってこないのは、その『せいいき』ってヤツだからなのか?」

「あぁ。聖域は古くからメルキスに伝わる伝承で、神秘の自然が溢れる妖精たちの楽園とされている」

「ようせい?モグモグしてるコイツらのことか?」

「これはただの魔物だよ……だが、こんなに多くの魔物が聖域の中に生息しているとは知らなかった。しかも、どれもこれも見たこともない種だ」

「ふーん……」

「良くも悪くも人の手が全く加えられていなかった森だからな。そのせいで他の森には存在しないような原生生物や、凶悪な種の魔物が多くいるんだろう。よくそんな森の中で生きてこれたな」

「ゴチャゴチャした話はわかんないけど、ルパはガルムの長なんだぞ!ちっちゃくても里で一番強いんだ!みんなも強いけどな!」

「住めば都か。君のパワフルさの所以がよくわかったよ」

「シオンも強いぞ?前にルパが思いっきりドーンしたのに元気だった。魔物なら一回でヘロヘロなんだぞ?」

「一瞬、気が遠のいたけどな……」

 シオンから聞く話は、どれもこれもがルパの知らないものばかりで、彼女の見識とは異なるものだった。
 森と外の境界線を挟む二人を中心に、世界がどんどん広がっていくような気がして、次第にルパの興味は森の外の世界へと向かっていった。

「ん?そういえば、俺のことシオンって呼んでくれるようになったんだな」

「シオンはもうルパの友達だからな。シオンもルパのことルパって呼んでもいいんだぞ?」

「ははっ……友達だもんな。名前で呼び合うのが普通だよな。一度怒られてるから気を付けてたんだが、無用な心配だったみたいだ」

「あの時はルパとシオンは友達じゃなかったからな!」

「はははっ!それもそうか」

「あー!そうだ!!紫の三日月のお話!!」

「紫の月?」

 ガルムに伝わる言い伝えでは、『紫色の三日月の夜、新たな友との出会いがある』とある。
 それは毎年、ある時期にだけ必ず月が紫色に染まる日があり、その日が三日月の晩と重なったときだけ見られる紫色の三日月。
 いつ訪れるかもわからなかったあの夜、それは初めてルパとシオンが出会った夜。
 つまりは、言い伝えは現実となり、今こうしてルパの目の前に存在していることになる。

「紫の三日月を見るとな、新しい友達に会えるんだって母ちゃんが言ってた!ルパとシオンが会った日が紫の三日月の日!ほら!!ほらぁ!!!!」

「真紫月(しんしづき)のことか。俺も詳しくはないけど、大気中の魔素が活性化して光の影響がどうとかって話だったかな……」

「しんしづき……紫色の月の名前か?」

「そうさ。ガルムにはそんな伝承があるんだな。ちなみにエルフには『不吉の前触れ』として伝わってるよ」

「不吉って知ってるぞ!なんか恐いヤツだ!」

「真紫月の晩は魔素が活発化しているから、いろんな植物や魔物に影響を与えることがあるんだ。俺とルパが出会った日、魔物が大量に発生してただろう?あれも真紫月が関係しているらしい。だからこそエルフのみんなは不吉なんて言うのかもな」

「シオンはすごいな……何でも知ってるんだな……!」

「そんなことないさ。俺も話に聞いただけで、詳しく研究してる人も大陸中にたくさんいる。俺なんかよりもそういう人の方がもっといろんなことを知ってるよ」

「でもでも、シオンとは会えたぞ?ガルムのお話も本当ってことなんじゃないのか!?」

「言い伝えは土地や種族によって変わるものだからな。でも、そんな話があるってことは、昔本当にあったことがお伽話として残っているのかもしれない。だからルパが聞いた話も嘘とは限らないさ」

「んひひひ!そうだな!!」

「………………」

「ん?どうしたんだ、シオン?」

 先程までとは打って変わって、急にルパを見つめながら黙り込むシオン。

「お腹痛いのか?」

「ルパ……」

 彼の表情はやけに改まった深刻そうなものだった。

「お薬か?薬草が近くにあるぞ!?」

 そんなにも症状はひどいのだろうか。
 ルパが慌てて森の奥に向かおうとした時だった。

「ルパ。森の外に出てみないか?」

「……え?」

 突然の提案にルパは凍り付く。
 シオンはルパの立場や一族の事情を全て知っている。
 それは、ルパがどれだけ一族のことを想い、里の長としての立場を重んじているのかを知っているはず。
 そのうえでこんな提案を持ち掛けた。

「何でだ……?シオン、ルパの友達なのに……!!」

 悲しかった。
 紆余曲折を経て、やっと友達になれたと思ったのに。
 彼を信用して全てを話したのに。
 自分が大切にしているものを軽んじられたことが、ただただ悲しかった。

「そうじゃない!最後まで聞いてくれ!」

 涙ぐむルパの目の前まで駆け寄ると、真っ直ぐとルパの目を見て言葉を続けるシオン。

「このまま森の中に閉じこもったまま生きるのはやめるべきだ。ルパだけじゃない。里にいるルパの仲間みんなも!」

「でも……掟が…………」

「それはもう過去のものだ。ガルムが昔、人間から迫害を受けていたことは俺も知っている。でも、今の世界は違うぞ?」

「違う……?」

 森の中に完全に閉じこもり、外界との接触を避けてきたため、ガルムの里の時間は止まったまま取り残されている。
 ルパは妄信的に紫の三日月の言い伝えを、誠の話だと信じていたが、今では真紫月という名はほぼ一般的なものとなり、そのメカニズムまでもが少しずつ明らかになってきている。
 同じく、ガルムが受けていた他種族からの迫害についても、今ではガルムという種が一定の立場を獲得し、そうした動きもほとんど見られなくなっている。
 ルパたちが知らないだけで、世界は常に変化し続けているのだ。

「俺に全部任せてくれなんてことは言えないけど、ルパの力になれる人を知っている。その人の力があれば、ルパも、里のみんなも外の世界で自由に暮らせるようになるかもしれない!」

「みんなで外に……」

「ヴィレスって国を治めてるガルムの王様がいるんだ。その国では大勢のガルムが自由に楽しく暮らしてるらしい!」

 ルパの心は揺れていた。
 実際、シオンと接するようになってからというもの、今まで興味がなかったはずの外の世界に対する想いは強くなりつつある。
 だが、意識下まで刷り込まれた里の掟がルパの心を締め上げる。

「俺もそうだ。メルキスで同胞たちに蔑まれ、堪らなくなって街を飛び出したから外の世界を知ることができた。だからこそ今の俺があるし、ルパとも出会えた。ルパもいろんな人に会って、いろんなことを知って、いろんなものを見よう!もっともっと多くの友達だってできるぞ!」

 諦めずに訴え続けるシオンだが、ルパにはその必死さが理解できない。
 だが、その必死さには確固たる理由があるように感じられた。

「掟を破るのは恐いと思う。森の外だって良いことばかりとは限らないかもしれない。それでも、知らないまま捨ててしまうのはもったいないと思わないか?不安なら俺が支えてやるし、傷つきそうになったら俺が守ってやる」

「うぅ……でも……」

「ルパはみんなを守りたいんだろう?森の中に閉じ込めておくことは守るとはいわないぞ?俺が里のみんなに話したって聞いてはもらえないだろうけど、ルパの言葉なら聞いてくれるはずだ」

「う……うぅ…………!」

「ルパのお爺さんやお父さんは必死にみんなの居場所を作ろうと努力した。その時はそれが精一杯だったのかもしれない。でも、ルパは新しい道を見つけて、歩み出す機会を得ることができたんだ。立場を継いだだけでいいのか?何かを変えようとは思わないか?ルパは里の長だろ?いつもの元気で踏み出してこい……!」



 ルパは震えながらも、差し伸べられた手を掴み取った。

「が…………がぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 その咆哮は、木々の間を駆け抜け、ガルムの里にまで響き渡る。
 瞬間、ルパは境界線を越え、文字通り新しい一歩を踏み出したのだ。



 その後、ルパはシオンを連れて里に戻った。
 里の者たちは慌てふためき、シオンに刃を向けようとする者さえいたが、ルパがそうはさせなかった。
 ルパはシオンと共に頭を下げ、これからの方針を語る。
 ヴィレス国王ガレオスに会い、里の皆の居場所をもらえるように依頼してくると。
 いくら説明したところで、確かに突拍子もない話。
 最初は鼻で笑われたものだが、二人の訴えを聞くうちに、里の者たちの反応は徐々に変わっていく。
 拒絶に染まっていた心は次第に興味に染まり、孤独を望んでいたはずの意思は自由を求めるように。

 ルパとシオンによる説得は三日三晩続けられ、最終的には里の者全員に受け入れられた。



「シオン!王様ってどんな人だ!?長よりも偉いのか!?」

「王様みんなが立派な人とは限らないから、難しいな。ただ、これから会いに行くヴィレス王は、とても国民に慕われる素晴らしい王様って話だ」

「おぉ……楽しみだな!ルパたちのこと助けてくれるかな!?」

「大丈夫さ。ルパもある意味、小国の王みたいなものだからな。民を想う気持ちを無下にするような人じゃないはずさ」

「ルパが王様?ヴィレスにも王様……王様は一人じゃないとダメだから……ルパと王様が勝負?」

「頼むからそれだけはやめてくれ…………」

 ガルムとエルフ。
 種を超えた絆で結ばれた二人。
 そんな彼らだからこそ起こせる奇跡もあるはず。

 目標は獣境の村ヴィレス。
 自分たちを信じ、里で待つ皆の未来を守るために。
 二人はその想いを胸に、力強く地を蹴った。

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