堀江 貴文(ほりえ たかふみ、1972年10月29日 - )は、日本の実業家、受刑者、株式会社ライブドア元代表取締役社長CEO、SNS株式会社オーナー兼従業員。愛称はホリエモン。身長173センチ、体重90キロ。

来歴

サラリーマンの家庭に生まれる。福岡県八女市出身。久留米大学附設中学校・高等学校を経て、東京大学文学部宗教学・宗教史学専修課程中退。離婚歴有り、一子有り。

会社設立

東京大学に入学後は、駒場寮の北寮へ入寮し、同部屋となった二人の先輩のうちの一人(後にオン・ザ・エッヂ〔後:ライブドア、現:LDH〕の設立メンバーの一人となる人物)から、塾講師のアルバイトを紹介される。アルバイト先の塾で、共同で会社を設立することとなるメンバー達と知り合った。
在学中の1996年(平成8年)、ウェブページ制作請負会社である有限会社オン・ザ・エッヂを設立。設立資金600万円は当時の交際相手の父親により出資された。1997年(平成9年)に株式会社に改組。同社は、当時のインターネットが普及しはじめた黎明期に、いち早くホームページ制作・管理運営を行う会社として注目され、レコード会社などの一流企業のサイト制作を請負いながら急速に成長していった。2002年(平成14年)、経営破綻した旧ライブドア社から営業権を取得した。

プロ野球球団買収

2004年(平成16年)に経営難でオリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)との合併が決定されたプロ野球球団、大阪近鉄バファローズ買収を申し出たことから一挙に注目を浴びる。買収の申し出を拒否されると、今度は東北に新球団を設立する計画を発表。球団名を「仙台ライブドアフェニックス」とし、監督としてトーマス・オマリーを招聘すると発表した。本業の競合他社でもある楽天(東北楽天ゴールデンイーグルス)と参入を競い合うが経営体力の不足等が指摘され、審査の結果楽天の参入が決定、ライブドアの参入は実現しなかった。この年の流行語大賞の一つに「新規参入」が選ばれ、新規参入できなかったはずの堀江がなぜか授賞式に出席した。
その後も野球以外では、公営競馬の運営業務への参入打診を図るが、結局白紙となった他、経営危機に陥っていたサッカーJ2リーグ・サガン鳥栖の経営参加を計画するもやはり実現に至らなかった。一方で競走馬「ホリエモン」を所有していた。
2004年(平成16年)10月、ベストジーニスト受賞。また2005年(平成17年)3月には第42回ゴールデン・アロー賞話題賞を受賞。後者は、タレント活動もしていたとはいえ実業家の受賞は異例である(非・芸能人の同賞受賞者は、これまでスポーツ選手や作家にはいた)。

ニッポン放送買収

2005年(平成17年)2月、社長を務めるライブドアはニッポン放送の株を35%取得、同社最大株主となる。その後2月21日現在ニッポン放送株を40.1%取得。なお、株取得が報道された直後から当時ニッポン放送の子会社だったフジテレビジョンを出入り禁止になり、平成教育2005予備校から降板させられた。この時にフジテレビと大きな騒動となり報道機関が殺到することになる。その時に彼が言った言葉で有名なのは、主に「想定の範囲内」という言葉がある。
しかし、2005年(平成17年)4月、ライブドアとフジテレビジョンとの間で和解が成立。ライブドアの所有するニッポン放送株式全てをフジテレビジョンが取得することが発表された。フジテレビジョン側がライブドアに支払った金額は1400億円ほどであり、このことで2005年(平成17年)のフジテレビの株主総会で株主らが日枝久会長ら経営陣や堀江貴文に対し批判を行った。またこの和解によってフジテレビ出入り禁止は解除された。
2005年(平成17年)6月には自民党での講演でフジテレビ日枝久会長と共に呼ばれたが、お互いの溝の深さが露呈する講演となってしまった。
2005年(平成17年)7月23日放送のFNS25時間テレビよりフジテレビの番組出演が解禁され、細木数子との対談を行った。この時六本木にあるライブドア本社からお台場フジテレビのスタジオまでマラソン姿で走り、久しぶりに「想定の範囲内」という言葉が使われた。

総選挙立候補

2005年(平成17年)8月16日に衆議院の解散にともなう総選挙において、自民党から福岡1区での立候補を打診されたが、出馬するかどうかは未定であることが明らかとなった。一方、民主党の岡田克也代表(当時)とも会談を行うが民主党からの立候補は見送られた。
しかしながら、当の自民党からは堀江を擁立する事に対する批判が相次ぎ、また、堀江が自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。堀江は無所属として亀井静香の選挙区である広島6区で立候補すると発言したが、立候補の記者会見を自民党本部で行っていたこと、広島6区で自民党・公明党が候補を擁立しなかったこと、武部勤自民党幹事長や竹中平蔵経済財政政策担当大臣など自民党大物幹部が堀江の応援演説に訪れていたことから、自民党による亀井静香への対立候補として世間から認知されるようになった。対立候補の当事者であり「刺客」という言葉を最初に用いていた亀井静香は堀江について「自民党の刺客が自民党を名乗らない。忍者かね」と評した。
当人は住民票が現在の居住地(六本木ヒルズ)である為に、9月6日に東京の選挙区で期日前投票を済ませていた。
2005年(平成17年)8月22日に放送された日本テレビのザ・ワイドで生中継のインタビューを受け、有田芳生に北朝鮮との間で抱える日本人拉致問題に関する質問に対しては、「経済援助して北朝鮮が自立出来る流れを作るべき」「太陽政策が良いと思う」と返答した。
2005年(平成17年)9月6日には都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制にした方が良い」と言う天皇制の否定とも取れる趣旨の発言が一部で物議を醸し、選挙特別番組でも亀井静香が「自民党が天皇制を否定するような人物を擁立すべきでない」と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三等に対し不満を漏らした。
選挙の結果としては、亀井静香の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得る為に「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に次ぐ8万4千票で落選した。民放の開票速報番組で、「比例は公明」と訴えていたことについて丸山和也(当時は非議員、現参議院議員)に真意を尋ねられると、「公明党は改革を支持している政党だから」と発言した。
敗北後、今後の衆院選で同じ広島6区から出馬する意向を示唆していたが、翌年の証券取引法違反事件で自身が東京地検に逮捕された事により、四年後の2009年8月の総選挙には出馬しなかった。一方、選挙投票日である9月11日に自身が所有する競走馬のホリエモンが高知競馬場で出走し初勝利を挙げた。

このページへのコメント

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Posted by awesome things! 2014年01月22日(水) 01:22:16 返信

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Posted by jfmohuai 2013年11月14日(木) 11:47:07 返信

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