創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など


インテリジェントデザイン概説>インテリジェントデザインの神学

「偶然の産物ではない」ことは必要条件


インテリジェントデザイン支持者たちは、世界が決定論的であることを望み、自分が決定論的であることを憎むようだ。
「偶然の産物に価値・意義・目的はない」

インテリジェントデザイン支持者たちは、進化の基本パターンのひとつである「ランダムな突然変異と自然選択」を、偶然の産物であるという理由で嫌っている。たとえば、インテリジェントデザインの本山たるDiscovery InstituteのシニアフェローであるDr. Benjamin Wikerは次のように「嫌い」を表明している:
The deepest root of the problem lies in the adoption of a cosmology that assumes that not only human life but everything else is the “outcome of a chain of accidents.” If everything we see around us is actually the outcome of chance, then anything that appears to be purposeful or meaningful in nature really isn’t.

人間の生命ばかりかすべてが、事故の連鎖の結果であると仮定する宇宙論の採用に、問題の根源がある。我々の周りに見られるものすべてが、本当に偶然の産物であるなら、自然界にある目的ありげに、あるいは意味ありげに見えるものは、実際にはそうではないことになる。

[ Benjamin D. Wiker:" The Meaning-Full Universe (2004/04/07) ]

同様の記述がDiscovery Instituteのサイトには見られる:
The Darwinist explanation, accepted by the overwhelming majority of biologists, holds that no such leap is necessary -- all it takes, instead, is enough time, random mutations, and a process of natural selection to propagate the accidents that confer a survival advantage.

圧倒的多数の生物学者によって受け入れられているダーウィニストの説明は、そのような飛躍は必要なく、十分な時間と突然変異と自然選択があって、生存に有利な事故が伝播できればいいと主張する。

[ Carl T. Hall: "Nature's diverstity beyond evolution" (2002/03/17) ]

"Children are left with the point of view that we are just accidents," Harris says. By limiting science curricula to only natural explanations, Harris adds, states show inadvertent bias in their education standards. "When the state gets involved in teaching origin science, it has touched religion."

「子供たちは、我々が偶然の産物に過ぎないという見方に置かれる。理科のカリキュラムを自然な説明(神に言及しない)に限定するなら、政府は教育基準で無意識なバイアスを示すことになる。政府が起原科学に関与することは、宗教に触れることだ」とHarrisは言う。
[ John Heys: "Deconstructing Darwin" (2002/02/24) ]

人間が「偶然の産物」であることを絶対に容認しない強い主張である。
決定論的な「偶然の産物」

しかし、超越的な神のような超自然を持ち出すと、自然界からは「偶然の産物」と見えるものが、決定論的でありうる。

もし、この宇宙の現象が完全に決定論的だったら...
She said, "So what it comes down to is ... you want to present the strongest possible case that deterministic systems like the Autoverse can generate a biology as complex as real-world biology -- that all the subtleties of real-world physics and quantum indeterminacy aren't essential. And to deal with the objection that a complex biology might only arise in a complex environment, you want a description of a suitable 'planet' that could exist in the Autoverse" [Greg Egan: "Permutation City", 1994]

マリアは念を押した。「つまり、こういうことですか・・・あなたは、オートヴァースのような決定論的世界も、現実世界の生物層と同じくらいに複雑な生物相を発生される---現実世界の微妙な物理学や量子力学的不確定性は、そのための本質的な要因ではない---ということの、最強の起こりうる事例を提示したいのだと。そして、複雑な生物相は複雑な環境でのみ発生するという異論を封じるために、オートヴァースに存在可能な---それを走らせるハードウェアは、まず確実に決して建造されないだろうという、ささいな不都合を別にしてですが---適切な"惑星"の描写が必要だと」[グレッグ・イーガン(山岸真 訳): 順列都市 (上) p.175]

遺伝子(必ずしもDNAによって実装されてなくてもよい)のミスコピーが決定論的に発生しても、それに対して自然選択がはたらくことで、進化そのものは起こりうる。こうなると、"accident"(偶然の産物)と呼べる現象は存在しなくなる。すべては必然と言えなくもない。

現実の宇宙は、量子力学レベルの乱数があるために、決定論的ではないように見える。しかし、「この宇宙は、科学的には決定論的でないかのように振る舞っているが、実際には決定論的に動いている」という主張を覆す方法がない。たとえば次のような主張は形而上学的には"あり"で、科学的には検証不可能である。
  • 超越的な神が存在して、宇宙を創造した
  • 超越的な神は宇宙の創造前に、創造後の宇宙で必要となる量子力学レベルの乱数をメルセンヌ・ツイスターで生成しつくしておいた
  • 創造後の宇宙は、その乱数系列に基づいて、いかにも量子力学レベルのゆらぎがあるかのうように振舞う

これなら、偶然性は排除され、「すべては決定論的であり」かつ「進化論」と不整合をきたさない。

もちろん確実に、インテリジェントデザイン支持者はそのような考えを拒否するだろう。それは「順列都市」の「オートヴァース」は「人類を付け足しとして登場させた、残酷で非目的論的プロセス」を決定論的に実行しているだけだから。

また、インテリジェントデザイン支持者たちは、必ずしも「偶然の産物」を否定しておらず、生物に見られる「悪いデザイン」や「変なデザイン」はデザイナーによるものではなく、進化あるいは劣化のせいだと主張することもある
神の関与

古い地球の創造論の場合、神はそれぞれの種を創造したことになっている。
Progressive creationism is the scientific belief that God created new forms of life gradually over a period of hundreds of millions of years.
進歩的創造論は、神が新形態の生命を数百万年/数億年の時をかけて次第に創造したと科学的信条である。
[ wikipedia:Progressive Creationism ]

Progressive creationists do not believe in evolution.  They believe that God created each species a unique creation, not evolving from a previous species. 
進歩的創造論者は進化を信じない。彼らは神がそのぞれの種を創造したと考え、以前の種から進化したとは考えない。
[ "Old Earth Creation Science -- Progressive Creationism" on OldEarthOrg ]

これだけで「生命に価値・意義・目的はある」ことになるかというと、そうではない。たとえば、超越的な神が...
  • 既存の生物を基に次のデザインを創る。
  • デザインしたものが生き残れるかどうか知らない。
  • デザインの最終目標はない。

この場合、Dembskiの情報量保存則のような新しい情報は生まれないという創造論原則には反していない。しかし: デザインした結果が生き残るかどうかは自然選択次第。その自然選択の結果として生き残っている既存品を基にするので、自然選択の結果と無関係な新規なデザインは創れない。
  • 生き残れることがわかっているデザインを創るわけではないので、大半のデザインは自然界配備後に子孫を残せないまま消え去る。たまたま生き残った生物が、次のデザインの基となる。
  • 人類にたどりつくかどうかは、神(あるいはデザイナー)自身も知らないし、意図もしない。意図したとしても、たどりつけるかどうかは運次第。
この場合、人類を目指すという方向性もなければ(Undirected)、目的もなく(Purposeless)、自然選択たのみ(Unguided)という、神学的にはインテリジェントデザイン理論家たちが進化論を評する「Unguided, Undirected, Unplanned, Purposeless」と同じになる。

有能で目的ある神の関与

生命の歴史を「Guided, Directed, Planned, Purposeful」なプロセスにするために、
  • 既存の生物を基に次のデザインを創る。
  • デザインしたものが、既存の生物に置き換わる。
  • デザインの最終目標はある。
としてみよう。

この場合「有能」なので
  • 「デザインして、自然界に配備したが、すぐ滅びた失敗作」はない。ただし、「デザインの最終目標」以外は捨て石となる。
  • デザインの最終目標に辿りつき損ねることはない。

となれば、デザインの最終目標には「価値・意義・目的はある」ことになるかもしれない。しかし、人類がその「デザインの最終目標」でない限り、人類は「捨て石」という「価値・意義・目的」しか持てない。

少なくとも
  • デザインの最終目標は人間である。
を追加する必要だろう。

つまるところ「人間は偶然の産物ではない」というのは「人間に価値・意義・目的がある」ための必要条件ではあるが、十分条件ではないのだろう。







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