創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

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方法論的自然主義の排除を唱えるインテリジェントデザインの父Phillip Johnson


久しぶりにインテリジェントデザインの父たるPhillip Johnsonの執筆物が、インテリジェントデザインの本山たるDiscovery Instituteのサイトに2007年2月19日に出現した。それが「Intelligent Design in Biology: the Current Situation and Future Prospects(生物学におけるインテリジェントデザイン:現状と展望」である。もちろん元法学教授であるPhillip Johnsonに生物学の議論ができるわけもなく、お話だけ:
The goal of the Intelligent Design Movement is to achieve an open philosophy of science that permits consideration of any explanations toward which the evidence may be pointing. This is different from the current restrictive philosophy that rules out of consideration the possibility that a creator may be responsible for our existence, even if the evidence is pointing in that general direction. Whether or not it is successful, the IDM has made a contribution to a better understanding of reality.

インテリジェントデザイン運動の到達点は、証拠が指し示すかもしれない、いかなる説明の考慮も許容する科学の開いた哲学の実現である。これは、たとえ証拠が指し示そうとも、我々の存在に創造主が関わっている可能性を考慮することを排除する、現在の制限的哲学とは異なる。成功したかどうかにかかわらず、インテリジェントデザイン運動は現実のより良い理解への貢献をした。

" 制限的哲学"(restrictive philosophy)とは、科学の原則たる方法論的自然主義(Scientific Naturalism)を指す。これは、超自然の存否を仮定せずに自然因のみよって自然界に観測される現象を説明できるという方法論的仮定をき、経験的に検証不可能かつ反証不可能な超自然因は存否にを含めて対象外とする。

「超自然は存在しない」という張は、形而上学的自然主義(Metaphysical Naturalism)と呼ばれる。これは科学的に証明も反証も不可能であり、科学ではなく形而上学に分類される。

超越的な神と方法論的自然主義の関係は、もともとの機械論の誕生時点から特に変わっていない。すなわち、「機械論で説明できないことが起きたら、それは超越的な神の介入すなわち奇跡」であるというもの。この主張そのものは"機械論"の外側で為される神学の主張。"機械論"の枠内で言えることは「説明できない」だけ。

これに対して、インテリジェントデザインの立場では、方法論的自然主義と形而上学的自然主義を同一視し、科学的唯物論 (Scientific Materialism)と呼び、科学は超自然を否定するものと主張する。そして、科学の再定義を行って、科学から方法論的自然主義という枠を取り払えと言う。今回の記事も、あーたらこーたらと長いが、Phillip Johnsonの主張は、方法論的自然主義の排除のみ。
I am still convinced that the possible role of intelligent causes in the history or life will eventually become a subject that leading scientists will want to address in a fair-minded manner. For now, the influential scientific organizations are passionately committed to explanations that consider only material causes, so they reject out of hand any suggestion that intelligent cause may also have played some role. It seems that supporting materialism, rather than following the evidence to whatever conclusion it leads is their prime commitment.

歴史および生命におけるインテリジェントな原因の可能な役割を、指導的な科学者たちが公正な方法での主題としたくなると今も確信している。現在は、影響力ある科学研究機関が 唯物的原因のみを考える説明のみに関わり、インテリジェントな原因が何らかの役割を果たしたという示唆は何であっても拒絶している。これは、いかなる結論にも導かれる証拠に従ったものではなく、唯物論に従ったもののようだ。

方法論的自然主義を排除した、すなわち再定義された科学を当然の前提としている。もちろん、証明も反証もできない超自然を持ち込まれた科学は、従来は自然神学とでも呼ばれたものになるのだろう。

これまでインテリジェントデザイン運動が相手にしていたのは、超越的な神について、その存否を含めて言及しない"科学"だった。しかし、方法論的自然主義を排除したら、その戦場に、神は存在しないという唯物論を招き入れることになる。というのは科学の原則たる方法論的自然主義がなくなれば、形而上学的自然主義(超越的な神はもとより超自然はすべて存在しない)もまた"科学"になれるからだ。

そして、インテリジェントデザインが進化論に対する"Negative Argument"として実装されているように、形而上学的自然主義も超越的な神に対する"Negative Argument"として実装可能。たとえば、神様がいるとするなら説明できない現象を次から次へと挙げていき、答えられなければ神様は存在しないという論法をとりうる。これが"科学"として取り扱われることになる。

もちろん、いずれの"Negative Argument"も、経験的に証明も反証もできない。つまり、決着のつかない終わりなき議論が続くことになる。


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