創造論とインテリジェントデザイン論

関連ネタ, 誤謬・詭弁

Appeal to Nature


"Appeal to nature"(自然への訴え)とは:
  • あることが自然であるから、良いあるいは正しい
  • あることが不自然であるから、悪いあるいは間違いだ
  • あるものが自然由来なので、良い
といった形の主張であり...
  • 「自然」が意味ある推論なしに「理想」「望ましい」「正常」の同義語として使われる
  • 「自然」の定義があいまい(例:人為選択品種は自然?)
という点で詭弁化する。

自然由来の漢方薬Huo Luo Jing Dan(活絡金丹)による死亡例や、自然由来のラドンガスで米国では年間2万人が死亡しているといった形で、自然なものが望ましくない性質を持っているという対抗議論や、自然には存在しない現代薬品が数知れない生命を救ってきたという、不自然なものが望ましい性質を持っているという対抗議論によって、無効化可能である。

しかし、実際には"Appeal to Nature"詭弁を掲げる者たちは、前面にシンプルな防御論理を展開して、対抗議論を否定してくる:
  • 文明によって人間が活動圏を広げて、本来は立ち入らない場所に立ち入るようになって、「有害」なものと遭遇した
  • 文明によって人間が変質する前は、「有害」ではなかった。
  • 人間が自然に介入したことで、「有害」なものができている。(介入をやめれば、有害でなくなる)
これらは神義論(神は慈しみ深いのに、この世に悪があるのは何故か)の"Appeal to Nature"バージョンと見ることができる。

そして、もっとも「思考を節約」した、そして究極の防御手段を使ってくる場合もある。すなわち...
  • 「自然」によって死ぬのは「自然」なことであり、「正しい」ことである。その「自然な死」を阻止することは「不自然」であり、「悪」である。
善悪判断の指標に「自然」を使う方法。これだと、「自然」は必ず「善」になり、"Appeal to Nature"は原理的に反証不可能な主張になる。

このような主張は「健康のためなら死んでもいい」と似ているが、別物である。この主張では「死」は否定的な意味合いを持っている。しかし、上記の「自然な死」の主張では、死は蕭然と受け入れるべき善きことという意味合いを持っているからだ。

そこまでいけば宗教である。宗教とは詰まるところ「善悪判断指標」であり、この「自然な死」の主張はまさしく、「自然」を「善悪判断指標」に置いている。そのような信仰を持つ者に考えを変えさせることは、改宗を強要するに等しい。目の前に多くの死が積み上がり、死への恐れの前に敗北しない限り、考えを変えることはないと見るべき。


wikipediaの記述
[ wikipedia: Appeal to nature ]

Appeal to nature is a fallacy of relevance consisting of a claim that something is good or right because it is natural, or that something is bad or wrong because it is unnatural or artificial. In this type of fallacy, nature is often implied as an ideal or desired state of being, a state of how things were, should be, or are: in this sense an appeal to nature may resemble an appeal to tradition.

"Appeal to nature"詭弁は、あることが自然であるから、良いあるいは正しい、あるいは不自然であるから、悪いあるいは間違いだと主張から構成される。このタイプの詭弁では、自然は理想的もしくは望ましい状態、ものごとのかつての有り様、あるべき姿、などを意味する。この意味で、"Appeal to nature"は"Appeal to tradition"に似ているかもしれない。

Several problems exist with this type of argument that makes it a fallacy. First, the word "natural" is often a loaded term, usually unconsciously equated with normality, and its use in many cases is simply a form of bias. Second, "nature" and "natural" have vague definitions and thus the claim that something is natural may not be correct by every definition of the term natural; a good example would be the claim of all-natural foods, such as "all-natural" wheat, the claimed wheat though is usually a hybridised plant that has been bred by artificial selection. Lastly, the argument can quickly be invalidated by a counter-argument that demonstrates something that is natural that has undesirable properties (for example aging, illness, and death are natural), or something that is unnatural that has desirable properties (for example, many modern medicines are not found in nature, yet have saved countless lives).

このタイプの議論には詭弁化させる幾つかの問題が存在している。まず第1に、"自然な"という単語は感情的意味合いの強い単語であり、ふつう無意識に正常さと同等視される。そして、その用法は多くの場合は、バイアスのかかった形である。第2に、"自然"と"自然な"はあいまいな定義であり、従って、あることが自然であるという主張は、"自然な"という単語のどの定義でも正しいことにならないかもしれない。これの例は、全自然小麦のような完全自然食品という主張である。ふつう、そう主張された小麦は人為選択によって育てられた交配種である。最後に、この議論は、老化や病気や死が自然であるという、自然なものが望ましくない性質を持っているという対抗議論や、自然には存在しない現代薬品が数知れない生命を救ってきたという、不自然なものが望ましい性質を持っているという対抗議論によって、無効化される。

Generic forms of an appeal to nature are:

"X is Y because it is natural." (Y being a desirable property) "X is Z because it is unnatural." (Z being an undesirable property)

Or simply when a desirable or undesirable property is implied:

"X is natural."
"X is unnatural."

"Appeal to nature"の一般形式は:

"それは自然なので、XはYである"(Yは望ましい性質)。
"それは不自然なので、XはZである"(Zは望ましくない性質)。 

あるいは望ましい、あるいは望ましくない性質が含意されている。

"Xは自然である"
"Xは不自然である"


This fallacy is exemplified, for instance, on some labels and advertisements for alternative herbal remedies. The labels often have the phrase "all-natural" to assert that the product is safe. The idea that natural herbs and plants are always safe ignores the many toxic plants found in nature (hemlock, nightshade, belladonna, poisonous mushrooms, to name a few) and any possible side effects the herbs might have. Cocaine, for instance, is an "all-natural" medicine derived from the coca plant, and which was prescribed for many years for everything from chest colds to depression, yet it is highly addictive and can wreak havoc on the body's organs. Whether a product is "all-natural" or not is irrelevant in determining its safety or effectiveness.

この詭弁は、たとえば、代替ハーブレメディのラベルや広告などに見られる。ラベルには「純天然」といった言葉がかかれ、製品が安全だと根拠無く主張される。天然ハーブや植物が必ず安全だという考えは、自然界にある毒をもつ多くの植物(ドクニンジン、毒ナス、ベラドンナ、毒キノコなど多数)や、ハーブにあるかもしれない副作用を無視している。たとえば、コカインは植物コカから抽出された純天然薬品であり、咳の出る風邪から鬱まで多くの場合に長年にわたり服用されてきたが、高い中毒性があり、身体の器官に有害である。純天然であるかどうかは、製品の安全性や有効性とは関係がない。


The presence of this fallacy is manifest in the logic behind certain objections to evolution, specifically objections to evolution's morality. Those who object for this reason assume that if behaviors such as polygamy, infanticide and violence are shown to be natural, that would make them acceptable. This misunderstanding has fueled some animosity towards evolutionary biologists, for example sociobiology was criticized from this angle in the latter half of the twentieth century. (See also sociobiological theories of rape.) Others, while not believing 'natural' to be 'right' themselves, assume that those advancing evolutionary theories do. This objection should not be confused with the closely related criticism that biologists in these fields are suggesting genetic determinism. This fallacy is often present in arguments for the legalization of marijuana or other drugs such as peyote.[ citation needed]

この詭弁の存在は、進化論への反論、特に進化倫理へ反論の背後にみられる。これらの反対者たちは、一夫多妻や嬰児殺や暴力が自然であると示されると、それらが容認されるべきものになるという理由で、反対する。この誤解は社会生物学者への憎悪に火をつけるたとえば、社会生物学者は、20世紀後半にこの角度から批判された。自然が正しいことを意味しないとわかっていても、「進化論を発展させている者たちがそう考えている」と考える者たちもいる。この反論は、「この分野の生物学者が遺伝子決定論を示唆している」という関連した批判と混同すべきでない。この詭弁は、マリファナやペヨーテのようなドラッグの合法化議論で提示される。

類似した詭弁・誤謬

この"Appeal to natire"は、"Naturalistic Fallacy"(自然主義の誤謬)と混同されることがある。wiki:Naturalistic Fallacyによれば:
The naturalistic fallacy is an alleged logical fallacy, described by British philosopher G.E. Moore in Principia Ethica (1903). Moore stated that a naturalistic fallacy was committed whenever a philosopher attempts to prove a claim about ethics by appealing to a definition of the term "good" in terms of one or more natural properties (such as "pleasant", "more evolved", "desired", etc.).

The naturalistic fallacy is related to, and often confused with, the is-ought problem (as formulated by, for example, David Hume). As a result, the term is sometimes used loosely to describe arguments that claim to draw ethical conclusions from natural facts.

Alternately, the phrase "naturalistic fallacy" is used to refer to the claim that what is natural is inherently good or right, and that what is unnatural is bad or wrong (see "Appeal to nature").

自然主義の誤謬は、英国の哲学者G.E. Mooreが"Principica Ethica"[1903]で記述した、主張された論理の誤りである。Mooreは、良いとか、より進化したとか、望まれたとかのいくつかの自然の性質の用語の見地から、"良い"という言葉の定義に訴えて、哲学者が、ある主張を証明しようとするときは常に、関わってしまうのが自然主義の誤謬だとMooreは書いた。

自然主義の誤謬は、David Humeが定式化した"is-ought problem"と関連していて、混同されることが多い。結果として、この用語は、自然界の事実から倫理的結論を描くと主張する議論をゆるく記述するために時々使われる。

"自然主義の誤謬"というフレーズは、自然なものは本質的に良くか正しい、不自然なものは悪いか誤りだという主張を指して使われることがある。
また、スコットランドの哲学者David Humeの"Is-ought problem"とも混同される[ wiki:Is-ought problem ]。


その歴史をめぐって


新聞広告に登場する"Only Natural"をさがすと、1930年にそれらしい例があった。





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