創造論とインテリジェントデザインをめぐる米国を中心とする論争・情勢など

関連ネタ

Ron Numbersの「信仰と理性」


以下は、PBSの"Faith and Reason"(信仰と理性)での、科学史家Ronald Numbers教授(University of Winsconsin)の科学と宗教についてのインタビューの和訳である。


QUESTION: 科学と宗教は常に対立してきたのでしょうか?
MR. NUMBERS: 近代史の大半を通して、科学と宗教は対立状態にはありませんでした。少なくとも対立が認識されたのは、おおよそ過去130年程度のことだ。確かに、科学と宗教の他率は17世紀の、いわゆる科学革命では起きていなかった。このとき、科学と宗教は全般的に、共通の分野たる自然哲学において融合していた。

18世紀になると、特に18世紀末には、これら2つを分かち、互いに対立させる動きが断固として進んだ。これは19世紀、特に19世紀の終わりの1/3で加速し、科学と宗教の戦争あるいは対立という考えを提示する書物が多く出された。

QUESTION: どのようにして戦争モデルができあがったのでしょうか?
MR. NUMBERS: 19世紀初頭、一部のグループの人々には、科学と宗教が特定の問題を巡っていた医率するだろうというセンスがあった。しかし、全般的に、普通の人々は科学は宗教と調和できると考えていた。結局のところ、もっとも広まったモデルの一つは「2冊の本」と呼ばれるもので、神は聖書と同様に、"Book of Nature"(自然界の本)に自らを現したというものである。この2冊の本はいずれも神の著作であるから、2つが対立することはありえない。少なくとも、いずれか一方の誤った解釈がないかぎり、対立は起きないと。

科学と宗教の対立と言う考え方が顕著になったのは、2つのベストセラーの登場した19世紀の終わり1/3である。一冊はNew York市の医学校教授John William Draperによるものであり、もう一冊はCornell University学長のAndrew Dixon Whiteによるものである。Andrew Dixon Whiteは、この問題全体を取り扱った「科学とキリスト教神学の対立の歴史」という二巻組の本を1896年に出版した。彼はこの著作で、対立の根源を教義的神学だと特定しようとした。Draperは実際にはカトリック教会にフォーカスし、科学と宗教の歴史においてプロテスタントをいいやつだと称揚した。

QUESTION: では、DraperとWhiteは化学と宗教を対立するものとして描写したわけですね。これらが一般人のどのような影響を与えたのでしょうか?
MR. NUMBERS: これらの本はとても広く読まれた。Draperの本はAppletoneのInternational Scieceシリーズで最も良く売れた。Whiteの本は多くの言語で今も出版され続けている。したがって、多くの人々は科学と宗教が絶え間なく対立してきたと仮定するようになっている。今やこの本は、宗教、特に組織化宗教を科学の発展の障害物だと見たい人々に手を貸している。言うまでもなく、多くのキリスト教徒はそのような狡猾な著作を非難し、組織化神学が科学の発展におおよそ反対するものという論を拒否している。

QUESTION: これらの本はともに、ダーウィンの進化論についての本のあとに出版されました。進化論について、これらの本はどう扱っているのでしょうか?
MR. NUMBERS: これらの本はチャールズ・ダーウィンの「種の起源」のあとに出版されたが、いずれも進化論についてスペースをほとんどさいていない。しかし、これらの本は、特に進化論と宗教の論争についての多くの出版物と同時期に出版された。今日では。進化論が宗教界に大きな対立を引き起こしたと考えるのが、慣例となっている。しかし、当時の論争の参加者たちを見れば、少なくとも米国では、ダーウィンの理論の主要な支持者が、同時に活発な宗教家だったという、理解しがたい状況であったことがわかるだろう。

QUESTION: ということは、ダーウィンの進化論に対する人々の反応は多様だったと言うことですか?
MR. NUMBERS: 「種の起源」の登場は、少なくとも米国では、多様な反応を引き起こし、その反応は我々が過去に期待するようなものではなかった。たとえば、米国におけるダーウィンの最も強力な支持者であるHarverdの植物学者Asa Grayは長老派教会員だった。彼は全体的には進化論を受けれていたが、人間の起源だけは例外とし、眼のような複雑な器官は神の介入によるものだとした。事実、さまざまな意見があった。

QUESTION: それでは、科学界と宗教界が全体として対立していたわけではないのですね?
MR. NUMBERS: そうだ。19世紀終わりの米国の大半の科学者たちは、キリスト教信者であるとともに、進化論を受け入れた者たちであり、多数が進化を神による創造の方法だと受け取っていた。したがって、進化のメカニズムの問題について論争をすることはあっても、自分たちのキリスト教信仰を救うために、進化論を拒絶する必要はないと考えていた。

QUESTION: では、キリスト教界はどうだたのでしょうか?19世紀終わりの多くのキリスト教徒たちはラディカルに進化論に反対していたでしょうか?
MR. NUMBERS: 19世紀終わりの米国大衆の進化論に対する反応はほとんど知られていない。しかし、確信を持って言えることは、圧倒的多数が進化論を拒否した。特に人間が猿の祖先と関係していたことを意味することを拒否していたことである。

QUESTION: 神学者たちはどうだったのでしょうか?
MR. NUMBERS: この問題についての発現していた神学者や聖職者たちのコミュニティでは、予想されるように、いかなる形の進化も否定する保守と、神がいかに創造に影響したかの例として進化論を支持するリベラルに、意見は分裂していた。そして、進化論を支持する人々は、世界の外にいる超越的な神という考えを、世界の中にいる存在としての神という考えに転換する必要があった。進化論は伝統的宗教観や価値観と調和できると人々を納得させようと努めた。

QUESTION: 次にガリレオの例について話したいと思います。多くの人々は、ガリレオの裁判中に、地下で誰かが火に薪をくべ、拷問台に油をさしていたと、すなわちガリレオには生命の危機が迫っていたという神話を信じています。これは実際を正しく反映したものでしょうか?
MR. NUMBERS: 一般に信じられている神話と異なり、ガリレオはカトリック教の手になる虐待をほとんど受けていなかった。ガリレオは拷問されたことはなく、死の危機に瀕したこともない。事実、彼は収監されたこともなかった。ガリレオに対するペナルティは、イタリアのフローレンス郊外の気持ちの良い別荘での軟禁だけだった。

ガリレオの問題は、天文学及び物理学についての彼の見方によるものよりも、交渉が下手なのと、前世紀にプロテスタントが試みたような、聖書の解釈の方法を教会に指導しようとする見当違いによるものだった。さらに、ガリレオは論争になった本で、教皇の見方をSimplicusという名の単純志向のキャラクターに帰するという見当違いを行った。この教皇ウルバン3世は、かつてはガリレオのパトロンであり、科学研究の支援を行っていた。しかし、ガリレオの交渉が下手だったために、教皇はかつての友に敵対することになった。

{QUESTION: 裁判が開かれたとき、地球が太陽の周りを公転しているという見方を捨てるのをガリレオが拒否したとしたら、裁判はどうなっていたでしょうか?彼は死刑になったでしょうか?
MR. NUMBERS: 仮定の問題に答えるのは困難だが、いかなる時点でもガリレオに死の脅威があったと考える理由はない。法廷記録では、最高刑が死刑になることを示唆する記述はなく、他の科学者たちもその科学的見方によって死刑になったことがない。

QUESTION: 科学者が自らの見方を理由に処刑された例はなかったのでしょうか?
MR. NUMBERS: 科学的見方を理由に生命を失った科学者はいないと私は考えている。

QUESTION: ガリレオ裁判は、科学と宗教の関係に根本的な亀裂を入れたのでしょうか?
MR. NUMBERS: ガリレオ裁判を振り返ると、科学と宗教に根本的な亀裂を入れたと見たいという誘惑に駆られるが、そのようなことはなかったと私は考えている。事実、当時、この件はほとんど関心をいだかれなかった。後に時代において、これは、教会の教えを訂正しようとした科学のパイオニアに何が起きたかの例として見られるようになった。

QUESTION: 進化論の問題にもどりましょう。進化論は仮説以上のものだという最近の教皇の声明の歴史的意義について、どう考えますか?
MR. NUMBERS: 進化論が仮説以上のものだという最近の教皇の声明は、歴史的注釈以上のものではないと私は考えている。数百年前にガリレオ裁判について教会が誤っていたとバチカンが言うこと以上のことを、教皇から聞こうとする多くのカトリックがいるとは、とても思えない。

QUESTION: 何故、ただの注釈なのか?
MR. NUMBERS: 私が教皇の声明を注釈だと考えているのは、それが大きく変わったと考えられないからだ。カトリックの高等教育機関は既に進化論を教えている。私が知っている、高等教育を受けたカトリックたちは進化論を受け入れている。したがって、私は、これがカトリック内部ですら根本的変化とはとても考えにくい。カトリックの外側では、20世紀の終わりに登場し、進化論は仮説以上のものと言う必要があると感じている、世界の主要な宗教の一つの指導者への好奇心である。

QUESTION: これは宗教が受け入れられやすくなるという意味で、価値があると思いますか?
MR. NUMBERS: パブリックリレーションのレベルでも役に立たないと思う。というのは、この声明を読んだ世界中の人々に、「種の起源」出版から100年以上たっても、進化論を仮説として受け取っていることを思い出させるだけだからである。

QUESTION: 米国内では、進化論を学校で教えるべきか否かが、常に大きな戦いとなっています。したがって、ある種の宗教信者たちには、進化論は問題です。その理由をどう、お考えですか?
MR. NUMBERS 米国では約半数が、1万年以内の人間の特殊創造を信じている。その理由は多くある。しかし、多くの人々にとって、特殊創造支持は、科学拒否の理由ではない。彼らは次のように論じることで、これに対処している。すなわち、進化論はあまりに憶測的かつ仮説的であり、良い科学の名に値せず、特に創造科学者のような根本主義者から、地球の生命の歴史について、進化論者が作ったのと同様に科学的な代案があると告られている。

QUESTION: それでは、ある意味で、これは宗教と科学のある種の分裂を意味しませんか?
MR. NUMBERS: 私にとって、20世紀後半の創造論者と進化論者の戦いは、科学と宗教の戦いの新たな局面ではない。それは、創造論者たちは科学に敵対的になることは、ほとんどないからだ。彼らの文献を読めば、反科学的な概念に出会うことはまずないだろう。彼らは科学が好きだ。そして彼らは科学ができることが好きだ。彼らは、科学が不可知論者によって乗っ取られたという事実と無神論者が生物進化のような推測の理論を提供するのを嫌う。彼らは、進化論支持者すなわち、進化を神の創造だと見る人々が自らをキリスト教に敵対すると考える以上に、自分たちが科学に敵対しているとは見ていない。

QUESTION: 実際、創造科学者たちは、自分たちの見方が科学的になるように気を遣っています。では、洪水地質学とは、どんなものでしょうか?
MR. NUMBERS: 創造科学の基礎として存在する主要な理論が洪水地質学と呼ばれるものだ。これは、事実上すべての地層の化石が、タイムスパン1年のノアの洪水でできたと考える。これは、地球上の生命の歴史が、わずか6000年か、7000年か、10000年におさまることを意味する。この立場は、特に近年、創造科学者から主張されていて、彼らはこれを代替的科学的モデルであって、科学の否定ではないと考えている。

QUESTION: 科学者は一般に無神論者でしょうか?
MR. NUMBERS:人々は大半の科学者が無神論者だという印象を持っているが、Natureが数年前に掲載した調査によれば、神を信じる科学者の比率は75年前と違っていない(約40%程度)。

QUESTION: では、科学と宗教が敵対しているというのは、人々が持つ神話なのでしょうか?
MR. NUMBERS: 科学と宗教が敵対しているという強力な神話が今日、存在していると私は考えている。そして、この神話は、この見方を提示する機会を求めて行動する、米国のCarl Saganや英国のRichard Dawkinsのような、人気の科学者たちによって、焚き付けられてきた。

QUESTION: 科学者と宗教家の現在の対話は、過去数世紀の科学と宗教の歴史に、どのように位置付けられるでしょうか?
MR. NUMBERS: 近年、科学と宗教の関係について多くの活動があり、その多くは科学と宗教の調和を目指すものである。歴史家として、この努力が実るとは言い難い。しかし、私はそれから出てくる重要な点の多くにていて懐疑的だ。根本主義キリスト教であれ、無神論的科学であれ、大半の人々は自らの意見を強固に持っている。そして、科学と宗教の調和を主張する者たちが、みずからが望むような進展を遂げることは、非常に困難だと私は考えている。






コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

サブメニュー

kumicit Transact


管理人/副管理人のみ編集できます