最終更新:ID:o+ZFQBnOcQ 2014年11月11日(火) 23:26:24履歴
響くあの音楽はなんだろう?
―――お祭りの為の特別な音楽さ!
そうなんだ!
じゃあ香るこの甘い匂いは?
―――ハロウィンの為の特別なお菓子さ!
街を包むのは甘いカボチャの香り
不気味で愛しい飾り付け
満ちる笑みは幸福そのもの
そうなの!
なんて魅力的な匂いなのかしら!
―――気に入ったならキミもお出でよ、楽しいよ!
ええ、それじゃあ是非いただくわ!
―――ああ、お食べお食べ。ああでも待って、魔法の言葉がまだだよ!
けれどだぁれも気付かない
潜んでいるものに気付かない
魔法の言葉?
―――ハロウィンと言えば決まっているじゃないか!
ああ、なるほど!
Trick or Treat!!
―――どうぞ!
ありがとう!
―――美味しいかい?
ええ、とっても!
―――そうかそうか、でも大事なことを一つ忘れているね。
けれどキミは、そろそろ気付いたかい?
もういい加減、気付いたね?
何かしら?
―――Trick and Treat!!
えっ……?
―――キッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!
今宵はハロウィン!
そう、怪物たちの楽しい夜さ!
こんばんは、哀れなお坊ちゃん、お嬢さん!
我々怪物たちの為に滑稽なダンスを踊っておくれ
楽しい怪物の夜に彩りを!
さあ、とびっきりのショーの開幕だ!
...Open-ended...
ED「はっぴぃはろうぃん」
PCより
PLより
さらさら、さらさら。
眠る彼女を起こさないように、優しくその頭を撫でる。
二人だけの静かな部屋に流れるのは、髪のこすれる音と彼女の吐息、そして時折聞こえる苦しげなうめき声にも似た彼女の寝言。
今まで己の中途半端さで大事なものを手放して、逃してきた。
彼女もまた、自分と一緒にいてくれないのなら。
独りにするというのなら。
またあの孤独を味わうというのならば。
もう手段は問わない。死んで逃げることすらさせやしない。
だからこそ一緒に入れないと、死なせてほしいと願う彼女の両手を奪い、
必要なら逃げる足も、噛み千切ることで死を与えかねない舌も奪うだろう。
そうでなければ彼女は死を願い死を思い死に焦がれ死を求め死を欲し続けて。
俺のことを一番に思っても求めてもくれないじゃないか?
死にすら嫉妬する己の感情に自嘲しかでてこない。
自分の感情ひとつで腕を奪ったことへの罪悪感が、彼女を傷つけたことへの自己嫌悪があればまだ何か違ったのかもしれない。
しかし今の自分にあるのは自己満足と安堵と―――彼女への愛だけだ。
傷つければ傷つけるほど、君が離れていかないで済むのならば俺はそうしよう。
それで自分がどうなろうが、俺は後悔などしない。
静かに、優しく、彼女の額に口づけを落とす。
できればその夢さえも自分のことであればいいのにと、願う。
眠る彼女を起こさないように、優しくその頭を撫でる。
二人だけの静かな部屋に流れるのは、髪のこすれる音と彼女の吐息、そして時折聞こえる苦しげなうめき声にも似た彼女の寝言。
今まで己の中途半端さで大事なものを手放して、逃してきた。
彼女もまた、自分と一緒にいてくれないのなら。
独りにするというのなら。
またあの孤独を味わうというのならば。
もう手段は問わない。死んで逃げることすらさせやしない。
だからこそ一緒に入れないと、死なせてほしいと願う彼女の両手を奪い、
必要なら逃げる足も、噛み千切ることで死を与えかねない舌も奪うだろう。
そうでなければ彼女は死を願い死を思い死に焦がれ死を求め死を欲し続けて。
俺のことを一番に思っても求めてもくれないじゃないか?
死にすら嫉妬する己の感情に自嘲しかでてこない。
自分の感情ひとつで腕を奪ったことへの罪悪感が、彼女を傷つけたことへの自己嫌悪があればまだ何か違ったのかもしれない。
しかし今の自分にあるのは自己満足と安堵と―――彼女への愛だけだ。
傷つければ傷つけるほど、君が離れていかないで済むのならば俺はそうしよう。
それで自分がどうなろうが、俺は後悔などしない。
静かに、優しく、彼女の額に口づけを落とす。
できればその夢さえも自分のことであればいいのにと、願う。
またロスト者を出してしまうなんてことをやらかしたKPです、どうもイイーキルスからこんばんにちは。
ハロウィン卓と銘打って開いたこの卓、なるべくノリとテンションを詰め込んでみたのですが、如何でしたでしょうか?
KPは何だかんだ、皆様のRPでとても楽しませていただきました! 茶番は素晴らしいですね!
とはいえ茶番と言えども大切なRPですので、NPCの心象については普段通り動かしておりました。
どんなNPCの行動原理にも必ずそれに至った理由はなくては……という基本方針は変わっておりません。
(その理由が他人から見てくだらないものかもしれないことはともかくとして)
例によってKP自身がエンディングを統一しなくてもそれぞれで別々の結末に至ってもいいのか…。
なんて妙なことを考え始めているもので、これからも今回のような卓になっていくかと思います。
ただエンディングの種類としましては、一つの結末があり、そこから個々人でさらに分岐していった形ですので、「Open-ended」と銘打たせていただきました。
所謂メリーバッドエンド。その時の立ち位置などによってその結末がハッピーにもバッドにも捉えられるエンドです。
皆様にとって、今回のエンディングはどんなエンドだったでしょうか?
どんなエンドであれ、楽しんでいただくことが少しでも出来たのなら、幸いです。
それでは長々と失礼しました! またどこか、別の卓で……。
ハロウィン卓と銘打って開いたこの卓、なるべくノリとテンションを詰め込んでみたのですが、如何でしたでしょうか?
KPは何だかんだ、皆様のRPでとても楽しませていただきました! 茶番は素晴らしいですね!
とはいえ茶番と言えども大切なRPですので、NPCの心象については普段通り動かしておりました。
どんなNPCの行動原理にも必ずそれに至った理由はなくては……という基本方針は変わっておりません。
(その理由が他人から見てくだらないものかもしれないことはともかくとして)
例によってKP自身がエンディングを統一しなくてもそれぞれで別々の結末に至ってもいいのか…。
なんて妙なことを考え始めているもので、これからも今回のような卓になっていくかと思います。
ただエンディングの種類としましては、一つの結末があり、そこから個々人でさらに分岐していった形ですので、「Open-ended」と銘打たせていただきました。
所謂メリーバッドエンド。その時の立ち位置などによってその結末がハッピーにもバッドにも捉えられるエンドです。
皆様にとって、今回のエンディングはどんなエンドだったでしょうか?
どんなエンドであれ、楽しんでいただくことが少しでも出来たのなら、幸いです。
それでは長々と失礼しました! またどこか、別の卓で……。
目が覚めた時、そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。
何が起こっているのか、何が起こったのか。理解することが出来ず、室内を眺めること数秒。身体を起こすために手を突こうとして、右手の指の付け根から、左手のひらの中辺りから、火を噴くように噴き出して脳天を貫いた熱を持った激痛に焼かれた。
「あ…う゛…ぐ……!」
冷や汗とも脂汗ともつかぬ、嫌な汗が額から噴き出す。反射的に身を縮こまらせ、痛む両手を掻き抱くように寄せた。
目に映ったのは、目映いばかりの白だった。
「……あ…」
病的な程白い肌ではない。それは清潔感を伴った白であり、何処かよそよそしさを纏った白でもある。
包帯だった。真新しい包帯が、両手に巻かれている。……いや、これは本当に手なのだろうか? 左手は手のひらの中程から先が存在せず、右手は本来あるはずの五本の指が付け根からごっそりと失われていた。
じぐじぐと絶え間なく脈打ちながら痛みを与える熱っぽい両手を、ただ呆然と見つめる。不揃いな長さの、不格好な両手。思い出したくもないような、遠い昔の出来事が頭の中で再生される。忘れることは出来ない、つい数時間前の出来事が頭の中で再生される。脳を別の痛みが貫いた。
「ひ、ぐ……あ……かひゅっ…ひゅーっ……はっ…!」
何が起こったのか正しく理解して、言葉に出来ない思いが胸の許容量を超えて詰め込まれ、喉が塞がれ息苦しくなる。吸って吐く吐く吐く吸って吐く吐く吸って吸って吸って吸って―――。規則正しく呼吸ができない。
外から、中から。自分を焼け付くそうとする痛みは、まるで空気中の酸素を消費している火のようだ。必死に酸素を取り込もうと喘げば喘ぐほど、かえって呼吸が乱れて余計苦しむ羽目になった。
苦しさに涙で視界が滲む。
「ひゅーっ……ひゅっ……はっ……す、……げほっ…!」
苦しさから逃れようとシーツの海で藻掻くように動いている内に、ベッドから転がり落ちる。受け身さえ碌に取ることも出来ず、顔が身体が確かに手だった何かが放り出され叩き付けられ、更なる痛みを与えた。
痛みでぐちゃぐちゃに混ぜ合わされ、酸素が十分に行き届かずにぼんやりする頭で必死に考える。逃れる手段ではなく、死ぬ手段。だがその為には落ち着かなくてはならない。
視線を廻らせる。ソファ、丸テーブル、ランプ、ダブルベッド、クローゼット……。内装から此処がホテルであることを理解する。ホテルであることが分かったところで、何処かなど分かりもしないが、その事実だけ分かれば十分過ぎた。つまり、そういうこと。一杯一杯に注ぎ込まれた胸の内に更なる絶望感が犇めいて潜り込んで行く。深く深く。ああ、この感覚を自分は知っている。
碌に呼吸も整わないまま立ち上がる。ベッドに両腕を乗せ、それを支えに立ち上がった。覚束ない。視界は滲んだまま。ただ水中の中にいるかのような息苦しさは続いていて、酸素不足のせいか耳鳴りと頭痛がし始める。
ふらふらと覚束ない足取りで向かったのは洗面所だった。不揃いな両手でどうにかノブを回すと扉をこじ開け、肩で押しのけるように扉を開ける。もつれ込むように洗面所内に倒れ込み、反射的に身体を支えようと地面に突いた両手擬きから更なる激痛が噴き出して力が抜け、顔面を再び打ち付ける。ひんやりした床と、相反する熱を帯びた痛み。けれどそんなものでは落ち着かない、落ち着けない。
ずるずると這いつくばるようにして、無理矢理身体を起こし、洗面所をぐるりと見渡す。鏡に酷い顔をしている自分が映った。泣きそうな顔をした死人。形容するならそんな顔。泣き女(バンシー)になったつもりはなかったのだけれど、と自嘲する余裕も、今は無い。
満足に動かせない手を無理矢理動かし、その度に噴き出す激痛に脂汗を滲ませながら、棚を、引き出しを、必死に探す。それは程なくして見つかった。
「はーっ……はー、……、…はあっ……」
それは何処にでもある、極々一般的な剃刀だった。安宿でもなければ、大抵洗面所に備え付けられている、本来なら身なりを整えるための道具。右の手のひらで、どうにかそれを掴もうと四苦八苦する。かちゃかちゃと煩わしい引っ掻き音を鳴らしながら、どうにかそれを捕まえることが出来た。
洗面台の上に剃刀を転がす。からん、と乾いた音。荒い呼吸のまま、滲む視界にそれを捉えながら、右腕を持ち上げる。
しゅる…と衣擦れの音と共に袖が落ち、包帯が隙間無く巻かれた右腕が露わになる。口を近づけ、舌で包帯を探り、隙間を見つけて歯を滑り込ませながら包帯を咥え込むと、くんっ、と腕を頭を同時に動かして引っ張る。はらはらと包帯が解けて包帯の下に隠されたガーゼが顕わになる。べったりと皮膚に張り付いたままのガーゼ。それを引き剥がす痛みを想像して、背筋に冷たい何かが流れて行く。けれど止める訳にもいかない。
「はーっ……はー……!」
包帯を全て解くと、ガーゼをそっと咥え込む。むっとするような薬品の匂いが鼻を突き、それに混じって鉄臭い香り。意を決して、同じように腕と頭を動かしてガーゼを引き剥がした。
「―――――!!!」
べりべりべりべりと引き剥がされる感覚、思い出したように噴き出す痛み。開いたいくつかの傷が赤い雫を滴らせる。がくがくと情けないくらい身体が、足が震える。今にも座り込んでしまいそうになるのを必死に堪え、洗面所に左腕を突いた。
剃刀を動かして、刃の部分を下に向けながら、洗面所の端から突き出させる。持ち手の部分を腕と体重を掛けて押さえつけ、痛みで小刻みに震える右腕を剥き出しの刃に近づけた。ただそれだけなのに、軽く皮膚の表面が引っかかれ、ちくちくとした痛みが伝わる。
「ふーっ……ふー……、…………はあ…」
深く息を吐き出すと、呼吸を止め………そのまま勢い良く腕を、剃刀に押しつけるようにしながらスライドさせた。
すうっと、鋭い刃はあっさりと皮膚を割いて肉に潜り込み身体を傷つける。刃と反して切り付けられた腕にはずず…と刃が潜り込み神経に触れながら動く感触。始めは冷たい何かが通り抜けてくような感覚と同時に、ぴりぴりと静電気が起きたかのような痛みが走り、直ぐさまそれは肉に直接火を付けたかのような熱を伴う痛みに変わる。切り裂かれた肉を押しのけるように赤い血がぷっくりと噴き出して、白い皮膚を伝い落ちていく。
「………はー……」
左腕の押さえつける力が緩み、重力に従った剃刀がからりと床に落下する。それを横目に見ながら、壁伝いにずるずると床の上に座り込んだ。
刃によって与えられた痛みに、冷静さを取り戻す。全身を覆っていた熱が腕に集中していくかのような錯覚。頭から熱が抜け落ちて冷めてくような幻想。
呼吸が整ってくると、視界と頭が徐々にはっきりしてくる。
――――これから、どうしよう。
誰かの助けなんてものは望めない。元より望むつもりもないが、自分一人で出来ることを大幅に制限されたこの現状をどうにかする良い手立てが浮かばない。
相手は怪物だ。人の心を持った怪物。
対して自分は化け物だ。人の形をした化け物。
そう、何処迄も自分は化け物でしかあれないのに、この身体はいっそ恨めしくなるほど普通の人間と違わないのだ。人体の限界を超えたことなど出来るわけもなどなく、それ故に両手の指を失ってしまったという、ただそれだけのことで無力になる。
形振りなんて構っている余裕はない。
床に落ちた剃刀に視線を向ける。これを喉に突き立てればいい。それだけで、この脆い身体はあっさりと死ぬ。綺麗な死に方、綺麗な傷口なんて、最初から望んではいない。ただ、こんな形で死ななくてはならないのかと、それだけを口惜しく思った。こんなものは自分が望み焦がれる死ではないと、惨めな気分になった。そしてこんな状況へ貶め、こんな気持ちを味合わせた怪物を憎むと共に込み上げる愛しさに、吐き気がした。
四苦八苦しながら剃刀を拾いあげ、先程と同じように剥き出しの刃を洗面所の端に突き出させる。両腕を一杯まで伸ばして、持ち手の部分を押さえつけて固定する。丁度、刃の先端と向き合うような体勢。
呼吸を整えて、突きつけられた刃に気を付けつつ、視線を少し落とす。胸元で揺れる緑の輝きが映った。
「…………」
泣きじゃくりながら、何度も何度も、懲りることなく贈られ続けた誕生日プレゼント。結局その泣き顔に心が折れて、受け取ってしまった人生最初で最期の誕生日プレゼント。受け取った時、とても嬉しそうな顔をしていたのを、思い出す。未練たらしく今まで外すことも出来ずに肌身離さず身につけていた。
「…ごめんね、ヘンリー……。…やっぱり約束は、守れないわ…」
何度目になるかも分からない謝罪の言葉。ただどうしても、こうして自分が死ぬ瞬間には必ずこの緑色の輝きがちらついて、謝らずには、いられなくなるのだ。
息を吸って、吐き出す。
暗く据わった瞳で刃の切っ先を見つめ、視線を天井へと移す。ぐ、と白い喉が刃の前に差し出され、そのまま―――
「そいつには謝るのに俺には謝ってくれないんだ?」
ぞわりと背筋を駆け上がる暗い声が耳元で囁くと同時に視界がぐるりと回った。ぐっ、と容赦も手加減も無しに首が締め上げられ、その勢いのまま床に頭を叩き付けられる。
「あぐっ…!」
涙が滲んだ瞳で見上げれば、赤い瞳(ひかり)と目が合った。
「酷いよなあ…エリーゼは……?」
「…………」
その言葉に口を噤む。落ち着いた筈の呼吸が、気を抜けばまた乱れてしまいそうだった。
「まただんまり? ……ああ、それとも……」
首を掴む手と反対の手が、ぶちり、と。無造作に首にかけられていたペンダントの鎖を引き千切る。
「 あ 」
「これのせいか?」
やめて、と。
言う暇すら与えられることもなく、緑の宝石(ひかり)は無残にも砕かれた。いとも簡単に。あっさりと。大切にした月日に反比例して、それはあまりにも脆かった。
こんなにも、簡単に壊れてしまうものだったのだと。
頭が理解すると同時に、目の前が赤く染まった。後はもう、覚えていない。
†
気が付いたらベッドの上にいて、気が付いたら優しい目で見下ろされていて、気が付いたら撫でられていて、気が付いたら腕が更に短くなっていたけれど。その何もかもが全て、どうでも良くて。
「新しいの、後で俺が創ってやるからさ」
欠片の罪悪感さえも感じさせない、狼の笑いを押し殺した声さえも耳をすり抜けて。
ただひたすらに、死を思った。
死を願い死を思い死に焦がれ死を求め死を欲し続けた。
恐らく二度と、永遠に訪れることはないのだろうことを、頭の片隅で理解しながら。
実績のロックが解除されました
メメント・モリ : 自殺が阻止されました。
ぼんやりと見上げた空に打ち上げられる花火。ハロウィン・フェスティバルも、終わりに近づいているということを知らせるそれを見つめながら、ローレンスは肺の奥深くまで吸い込んだ紫煙を吐き出した。
もう一方の手にはカラフルなセロハンの包装で包まれた、彼には似合わない棒付きの菓子が手持ち無沙汰に揺れている。ハロウィン用の包装がされた、カボチャを象ったマシュマロのお菓子。買った理由はただ一つ、渡そうと思っていた相手がいるからだ。
ローレンスは、ただひたすら此処で待っていた。
教会での取引を終えてから今までずっと、此処で一年に一度しか逢えない大切な肉親を待っていた。
「Trick or Treat!!」
何をするわけでもなく、ただ花火を眺めていると横合いから甲高い少女特有のソプラノボイスと共に、菓子がひったくられる。空っぽになった片手を見下ろしてから、ローレンスは視線を横へ移した。
「意地汚いぞ」
冗談めかした口調で、カボチャのかぶり物を被った少女へ言葉を投げかける。
「油断している方が悪いのよさ。今日はハロウィンなんらよ? わるういお化けいっぱいいるんよ? ぼんやりしてたら酷い目にあわされるのよさ!」
ローレンスからひったくった菓子をぶんぶかステッキのように振りながら、この街のパンプキンバーのマスターことシトルイユはぴょこぴょこと跳ねるようにして彼に近づくと、その隣にいそいそ腰掛ける。
横に並ぶと、ローレンスの背が高いこともあって、シトルイユは余計小さく見えた。隣に座る南瓜の頭を見下ろしながら、ローレンスは普段は決して誰にも見せない苦笑を浮かべると、その南瓜のかぶり物を取り上げる。
「あっ」
反射的にそれを取り戻そうと伸ばされた小さな両腕が届かない位置まで南瓜を持ち上げたまま、反対側にそれを置くと、シトルイユをひょい、と膝の上に乗せた。
「もー、なにするのよさ!」
「邪魔だったからな」
「アチシのあいでんてて!」
「はいはい」
ぷくっ、と頬を膨らませて怒って見せるシトルイユの、普段は誰にも見せない少女らしい顔を見下ろしつつ、その形の良い頭を撫でる。ふわふわとした柔らかい髪の感触。雨の日は酷いことになるからこの髪はあまり好きじゃないと、いつだったか嘆いていたことを思い出す。今もそうなのだろうか。
髪を引っ張らないようになるべく丁重かつ慎重に、髪を梳く様に二度三度と撫でていくと、気持ちが良いのか猫のように目を細める。あの頃と、何も変わっていない。
「……。おにいちゃんは、変わらないね」
「そうか?」
「そうだよ。無駄にたてに大きくなったくらい!」
前は一緒だったのに悔しい。と言いたげな顔で見上げてくるシトルイユを見下ろして、ローレンスは頬を掻いた。
どう返事をしたら良いものか悩んでいるというわけではない。シトルイユの指摘通り、ただ図体ばかりが成長して肝心の中身が全く成長していない為、ぐうの音も出なかったというのが正しい。
何も返せずにいるローレンスに、シトルイユはやれやれとでも言いたげに肩をすくめて首を横に振った。
「そんなんじゃ、ごはんもちゃあんと食べてるか心配だな」
「流石に飯は食ってる」
「自分で作って?」
「……いや、店で適当にだが」
「ほーら。やっぱりおにいちゃんは、わたしがいないと駄目駄目ね」
「………そうだな」
妹がいなければ、何一つまともに出来ない自分。無駄に回る頭と経験によって培われた対人術と……それは生きる為の術ではなく働くための術であり、ひいてはただ、社会に溶け込むための技術だった。生きる為の何もかもを自分は投げ捨ててしまっているのだな、と。改めて自覚する。
いや、投げ捨てているわけではない。投げ捨てていたら今日まで生きてなどいなかっただろう。ただ、どれほど努力しても絶対的に埋められない欠けた部分があるのだ。その欠けた部分を埋めてくれるのが妹だった。その妹は今、この街に囚われている。もう、随分と長いこと。
隣でぺりぺりとセロハンの包装を剥がす音が聞こえた。ついで、呻くような声。
「またカボチャのマシュマロ。わたし、好きじゃないのに」
「ん…悪い。適当に買って来た」
「だと思った!」
真剣に選んで買って来たのなら嫌がらせよ!と抗議の声。けれどそれでも妹が自分の買ったものはちゃんと残さず食べてくれることをローレンスは知っている。
あぐあぐと不満げに、あるいは不機嫌そうにジャック・オー・ランタンを象ったマシュマロを食べる妹を眺めながら、言わなくてはならないことがあったことを、ローレンスは思い出す。
本当は忘れていわけではない。胸を塞ぐような罪悪感と、遠のいた未来に絶望にも似た嘆きを感じて、口にするのが憚られた。言葉にしたらそれが余計に現実味を帯びてしまうことを知っていて、だから、言いたくないと頭の何処かで誰かが拒否する。
けれど、言わなくてはならない。
パンの道しるべはまた小鳥に食べられて、妹が帰るための道を示してやれなくなったことを言わなくてはならない。
「なあ、」
「言わなくてもわかってるよ」
だが、それを伝える前に言葉は最初の部分で切り捨てられる。
俯きがちだった視線を、隣へ戻す。マシュマロをかじるその横顔からは、何の感情も伺えない。募る罪悪感に息苦しさを覚えた。
「今度は、」
「…………」
「今度は、どれくらい、まっていればいいの? おにいちゃん」
淡々と問うて来る声。
「……わからない」
明確な答えさえ返してやれない情けない自分。泣きたくなった。だが、泣くわけにはいかない。本当に泣きたいのは妹の方なのだと、誰よりも何よりも、一番に、ローレンス自身がよく知っているから。
「そっか……」
手と口が止まる。互いに俯いたまま、沈黙が流れる。時間にして恐らく数秒程度のそれは、永遠のようにさえ思えた。
ややあって、その沈黙を破ったのはシトルイユの方だ。
「じゃあ、仕方無いから情けないおにいちゃんを妹はけなげに待っていてあげる!」
無理矢理明るい笑顔を貼り付けて、必死に震える声を泣きそうになる自分を押さえつけて。その場をどうにか取り繕おうとする。
何も言えなくなったローレンスは、ただ黙ってシトルイユを抱きしめた。
「……だから、だから…! ……はやく…迎えにきて、ね…おにいちゃん…」
徐々に嗚咽が混じり、ついには泣き出してしまった妹の頭を、ローレンスはただ黙って撫でることしかできなかった。
毎年ここを訪れる度に。月日を重ね成長し、年老いていくローレンスを見る度に。妹がどうしようもない不安に苛まれていることを知っていて尚、今はただ、一年に一度、こうして会いに来てやることしかできなかった。
†
ハロウィン・フェスティバルから早一週間。
マーク・ウッディ、ケイト・ティアニーの両名が意識を取り戻し、二人の職場復帰が現実味を帯びてきた頃、ローレンスはひっそりと退職届を出していた。惜しむ声もあったが、取り消すつもりはない。
居心地の良さにかまけて長居しすぎたのだ。人と関わることが心地良すぎていつの間にか、目的を見失いかけていた事実にあの時気が付いた。
結果として、妹を取り戻す機会をまた失った。
二度目は、ない。
だから一匹狼に戻ることにした。地位も名誉も安定した生活も捨てて、ただ妹を取り戻すためだけにパンの導を敷くことに没頭する為に。
「とはいえ……あいつが帰って来て先立つもんが無けりゃ怒られるよなあ…」
警察署を背に、がしがしと頭を掻きながら雑踏へ紛れ込む。
とりあえず、安定しているか否かはさておいて、手に職は就けなくてはならないだろう。
「……何でも屋でも始めてみるかねえ」
ぽつりと独りごちながら、一先ず事務所が必要だな、と不動産屋へと足を向ける。
ポケットの中を探っていると、ふと、覚えの無い固い感触。そのまま摘んで引っ張り出せば、それは可愛らしいセロハンに包まれたキャンディだった。
「…悪戯好きな妹だこって」
苦笑混じりにセロハンを剥がし、ころん、と口の中にキャンディを投げ込む。口いっぱいに広がった甘い味に、顔を顰めた。
「やっぱり甘いもんは好きになれねえや」
甘い味は嫌な記憶を引きずり出す。飢えて、甘い匂いに誘われて、そうしてあの街を訪れて、妹を置き去りにして自分だけ外へ逃げ延びてしまった、嫌な記憶を。
顔を顰めたまま飴を口の中で転がし、ローレンスは街を歩く。
『ほんとうに仕方の無いおにいちゃんね』
妹の困ったような声が鼓膜を揺さぶった気がした。気のせいだ。
実績のロックが解除されました
パンの導は鳥の腹 : シトルイユの解放と引き替えに二名の警官の命が救われました。
「誰かと思えば、“彼女”に吹き込んだのは君だね?」
「おや、これはこれは。こんにちは、“割れた卵(ハンプティ・ダンプティ)”」
「おはよう、“黒山羊”さん」
窓辺に腰掛ける“既に割れた卵(ハンプティ・ダンプティ)”を意に介した風もなく、シェーヴル・ノワールは淡々と今日の業務を済ませる。彼女を知るモノがその様を見たら余りのおかしさに笑い転げたかもしれない。
小綺麗なお着せを身に纏って人間の真似事に興じる神の姿は誰が見ても滑稽そのものだろう。いいや、実際それは神などではなく、単に人間が便宜上、そう形容したに過ぎない存在なわけだが。
「吹き込んだとは随分と人聞きが悪い言い方をしますね。私はただ親切心から教えて差し上げたに過ぎないのに」
「結果として壊れたよ、彼女」
「まるで私が壊したかのような言い草はやめて頂きたいものです」
「違うの?」
「違いますよ?」
からからと笑いながら山盛りになった洗濯籠の中身を仕分けていく。別にシェーヴルがやる必要は全くないことなのだが、偶にはこうして働くのも悪くは無いと彼女は思っていた。
実に人間味溢れる思考回路。普段の自分ならば決して思いもせず、考えもしないようなことも、この姿であればいくらでも思いつくし、考えもした。他の自分はこんなことは厭うかもしれない。それはとても残念なことだ。感情に振り回されるということは、こんなにも楽しく、こんなにも面白いことなのに。
ただ怠惰に呼び出され、時に生贄を与えられるのを黙って待っているよりもずっとずっと楽しい。
確信を持って言える。自分は恐らく何十年何百年何千年何万年何億年と生きてきた中で、今が最も充実していると。
「彼女は最初から壊れていたのです。ええ、人としては生まれ落ちたその瞬間より破綻しておりました。それは貴方も十二分にご存知の筈」
「勿論知っているし分かっているとも。十二分にご存知さ。だって彼女は生まれ落ちた俺なのだから」
「ならば先程の貴方の質問には矛盾が生じますよ」
くい、と少しずり落ちた眼鏡の位置を正しつつ、近くを通ったメイドに声を掛け、この場を任せる。一礼し、場を任されたメイドはハンプティを気にすることもなく、業務を引き継いで洗濯を始めた。まるでハンプティが見えてないかのように。
†
長い廊下をシェーヴルは歩く。その後ろを跳ねるような軽やかな足取りでハンプティが続いた。時折メイドや家人と擦れ違い、挨拶をするが、誰も彼もがハンプティに気が付いた様子はやはりない。
ハンプティという青年は地味とは正反対の外見をしていた。
脱色したかのような現実味のない白い髪に、白い瞳。肌は病的を通り越し、死人のそれ。身に纏っている裾や袖がボロボロのコートもまた、ハンプティと同じように白い色をしていた。
頭のてっぺんから爪先まで白一色の青年。色を持たない青年。
生まれることなく死を望み選んだが故に、色と言う個を持たず、性という区分さえ持たない。
“彼女”が生まれなかった姿。“彼女”が生まれることを選ばなかった成れの果てがそこにあった。
「さっきの話だけど、」
「はい」
「別に矛盾はないよ。君はエリーゼを壊して、人として破綻してる彼女に戻したのだから」
「エリーゼが壊れたのは彼女の自業自得ですよ?」
からかうような声音と笑みを浮かべ、首だけを廻らせシェーヴルは振り返る。それに合わせるように、ハンプティは足を止める。止まっていても歩いていても、地に足が着いていない。さながら彷徨う亡霊のよう。事実、ハンプティがそれに近い存在だ。
ハンプティが止まったを見て取って、シェーヴルも足を止めると、くるりと身体ごと振り返った。
「別にあの影が死んだってエリーゼが壊れることはなかった」
「そうでしょうか?」
「そうだよ。だってエリーゼは影なんてなくっても、縋って頼れる存在を見つけていたんだから。それを横から囁いて壊したのが君」
「困った子ですね、探偵ごっこですか?」
「真面目に聞いてよ。ねえ、どうしてよりにもよって“そのこと”を教えてしまったの?」
他のどんな残酷な言葉よりも、愛しい彼の拒絶と嫌悪の言葉よりも、その事実こそがエリーゼに致命傷を与える事を、シェーヴルは知っていた。知っていて、教えた。ハンプティが指摘する通りだ。何一つ間違いはない。
ならば何故そんなことをしたのかと問われれば、それは至って簡単なことだ。
「主に捧げられた生贄を掠め取る不誠実な神官には罰が必要だと思いませんか?」
「それだけ?」
「もっと言うなら、彼女の為でもありました」
「他には?」
「貴方を欺くのは難しそうですね。徹頭徹尾彼女を私の元へ堕とすためですよ」
「わー、さいてい」
けらけらとハンプティが笑う。だがその目は笑っていない。それもそうだろう。ハンプティからすればエリーゼとして生きている“彼女”は希望そのものであった筈なのだ。喪われた輝かしい未来が見えたかと思えば、目の前の黒山羊によって徹底敵に叩き潰されてしまった。笑っていられるわけがない。
対して愉快げな笑みを浮かべるシェーヴルの内面も、その実穏やかではなかった。
よもや自身が祝福を与えた存在に、贄を掠め取られそうになるなどと考えてもいなかったのだ。感情に振り回されるのは面白いが、思った通りに事が運ばないのに腹が立つ。それでも徹底した罰を与えないのは、いつでもあれを意のままに動かす事ができる自信があるからだ。祝福された人間が、その神の息吹から逃れられることなど、ありはしない。
いつでも、そう、今この瞬間にでも命じれば彼女を手中に落とせるだろうことを見越して、あえて好きに動かさせていた。
「それは、どうかな?」
シェーヴルの心中を見抜いたハンプティが、凍えるような輝きを宿していた瞳に喜悦を滲ませて首を傾げる。
「どういう意味でしょうか?」
「あーれれっ、気付いてないのー?」
態とらしい口調。嘲りと愉悦を滲ませた声。苛立ちが募り、沸騰しかける思考回路をいなしながら、落ち着きを取り戻そうと意味も無く眼鏡の位置を直す。
「気付いてないのかー、そっかー。それとも単に君が“私”を甘く見ているからなのかなー?」
「…………」
「私はね、黒山羊さん。人間も怪物も等しく私と同じものに変えてやるのが大得意なんだ。それが近しい存在であれば、あるほど、ねっ? ……イッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
ケタケタケタケタ。けたたましく笑うハンプティに、今度こそシェーヴルは怒りにまかせ、つかつかと歩み寄ると思い切りその顎を蹴り上げてやった。想像に反して軽い感触、例えるなら小鳥を蹴ったかのような、あるいは、胎盤から引きずり出された胎児を蹴り飛ばしたかのような柔らかで気持ちの悪い感触と共に、ハンプティは宙を一回転し、そのまま床の上に大の字になって仰向けのまま倒れる。
ケタケタケタケタ。それでも笑い声は止まない。ケタケタケタケタケタ。どうやれば止まるのか見当も付かない。だからただ力任せに拳を振るい足を振り下ろした。
†
それほどそうしていたのか分からない。息が上がり肩でぜえぜえと喘ぎ始めた頃、漸く笑い声は止まった。
だがその口元にのっぺりと貼り付けられた笑みは消えない。
「忘れていたね? 黒山羊さん。私の母は私を孕んだが故に、私に一番近しい人間であったが故に狂い、異端となり異形に成り果ててしまったことを。忘れていたね? 黒山羊さん。私の父は私に近づきすぎたが故に死んだ母を理解し愛していたが故に家族を守ろうと私を遠ざけたことを。忘れていたね? 黒山羊さん。私の弟は私に母と同じように近づきすぎたが故に母と同じように異端となりかけ、異形に成り果てようとしていたことを。忘れていたね? 黒山羊さん。俺は俺を孕んだせいで狂い歪みそして異端となって異形に成り果てた母の腹の中で腐った中身をぶちまけて割れたことを?」
けたたましい笑みを引っ込め、不気味なほど静かな笑みを浮かべながら、ハンプティは起き上がる。そうして仰々しく両手を広げながら、一歩、二歩、と後ろへ下がっていく。一歩後ろへ進むごとに、ハンプティの姿は透けて行き、向こうの景色が見えていく。まるで曇りガラスが磨かれ美しくなってく様を見ているようだ。
「俺は童謡(マ・“メル”・ロワ)、私は童話(“メル”ヒェン)。人の形を与えられた“悪夢(形無きモノ)”さ」
その言葉を最後に、ハンプティの姿は溶けて消える。
後に残されたシェーヴルは、苛立たしげに壁を殴りつけた。
「……やはり私は貴方が好きになれそうにありませんね、ハンプティ・ダンプティ」
吐き捨てるように、先程までハンプティが立っていた場所へそう投げかけてから、シェーヴルはくるりと身を翻すと長い廊下を再び歩き始める。
「ですが……エリーゼ……いえ、メルヒェンは頂きますとも。あれは私に捧げられた贄なのですから」
にたりと悪意に充ち満ちた笑みを浮かべながら、黒山羊は歩く。予定変更。暫く休暇を貰って姿を消した彼女を追いかけなくては。
実績のロックが解除されました
黒山羊の追走 : シェーヴル・ノワールが“彼女(メルヒェン)”の行方を追い始めました。
ハロウィン・フェスティバルでのオープンカフェは今年も大好評だった。また来年も是非来て欲しい、という要望が入り、きっとまた来年もこの街に来ることになるのだろうな、とリベラは頭の片隅で考えつつ、後片付けに精を出す。
テーブルや椅子などは街で貸し出してもらったものばかりで、こちらで用意したものと言えば使い慣れた調理器具や手描きのメニュー表くらいなものだ。それでも材料の手配を委託したり何だりと、下準備があってこその手軽な荷物であったわけだが。
あらかた片付いたところで一息吐く。
フェスティバルの終わりを告げる花火は当の昔に全て打ち上げられ、残ったのはまだ祭りの余韻を楽しもうとする人ばかりだ。大半はホテルなり、自宅なりに帰ったことだろう。
疎らな人通りを眺めながら、何となく、彼の姿を探してみる。無論、あるわけがない。この街のことなど知る由もないのだから。それでもいてくれたらいいな、なんて、未練がましく考える辺り、どう足掻いてもその後ろ姿、横顔の残滓を断ち切ることはできないのだろうと確信めいた予感を持つ。
「リベラー、もう殆ど片付けるものないし、先にホテル帰っててもいいよー」
少し離れた場所から気の抜けたようなマスターの声。
「あ、そーですか? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいまーす」
そう返して立ち上がると、ぐっと伸びをする。肩の関節がぱきりと鳴った。ついでに軽い立ちくらみ。額を軽く抑え、くらくらと世界が揺れる感覚を流してから、視線を前に向けた。
首の後ろ、骨の両サイドを揉みほぐすように指圧しながら、ホテルへ向かって歩き出す。自分ではさほど意識していなかったが、それなりに疲労は溜まっているようで、ぐりぐりと気持ちよさを伴った痛みが首筋から神経を伝い信号となって脳に送られる。
自分で思っていたより疲労が溜まっているらしい自分を自覚しながら、ホテルに帰ったら一先ずシャワーを浴びてさっさと寝てしまおうと決め込む。そうとなれば現金なもので、ホテルへ向かう足も速く……なった途端に止まらざるを得なかった。
「あー……」
見覚えのありすぎる、しかし求めていたそれとは違う知り合いの哀愁漂う背中を見つけてしまったからだ。
――――どうしようかなあ……。
迷うこと数秒。結局放って置くことが出来ず、溜息を一つ零しながらその背中へと歩み寄った。
†
「まったく……あれからもうそれなりに経つのに、まだ立ち直れてないの?」
「ウウウウ…グスッ、ズビ……マトイー、マトイー……」
バーのカウンターに突っ伏してぐすぐすと泣くカボチャ頭……だったと記憶していたカブ頭の友人を、頬杖を突いて観察する。
タキシード姿の上にちょこんと乗っかった、一般的基準から見れば大きい、けれど人間の頭部と比較すれば小さめのカブ頭。彼自身の長身もあって、とてつもなくアンバランスだ。
「というか君、整形でもしたの? 自慢のカボチャは?」
「グスッ……貸シマシタ」
「……貸し出し可能だったの、あれ」
思わず突っ込んでしまった。
「ソウデスヨ…? 丹精込メテ育テタカボチャデスカラ…マトイ、ト……ウワアアアアン!」
「あー……」
それなりの期間、友人として付き合ってきたつもりだったが、頭部が付け外し可能なことは知っていても貸し出しまで請け負っているとは……。そうと知っていれば借りたのに、なんて全く関係無いことを考える。所謂、現実逃避。
友人の意外な一面を知ってしまった衝撃にひたる暇もなく、入れてはいけないスイッチを再び押してしまったようで、落ち着いた筈のカブ頭が再びバーのカウンターに突っ伏して泣き出してしまう。
どうすればいいのか誰か教えて欲しい。
一先ず、早めに上げてもらえたにも関わらずホテルに帰ってゆっくり休むという選択肢は、この友人を少しでも気に掛けてしまった時点で除外されてしまった。せめて一時間でもいいから眠れる時間が確保出来ればいいなあ、などと、まだまだ続くであろうカブ頭の泣き声をバックミュージックに、リベラは一人、黄昏れた。
†
明け方。
すっかり夜も明け、水平線の彼方が白み始めている。
――――そろそろ出ないと危ないな。
朝日に照らされ薄れていく街並みを眺めながら、リベラは小さな溜息を零した。
結局あの後、延々とカブ頭の泣き声とマトイの二重奏を聴き続ける羽目になってしまった。友達だし、辛いのなら支えになってやるのが当然のことと考えているから別段、それについては苦でも何でも無かった。
ただ、蓄積している疲労ばかりはどうしようもなく、度々襲い来る睡魔と格闘しながら話に耳を傾け続けるのは少々どころではなく骨が折れた。それもまあ、仕方の無いことか、と割り切って今度こそホテルへ向かう。
聞くところに寄ると、友人二人は既にこの街にはいないらしい。病院へ緊急搬送されたのだとか、なんとか。一体何をしたのやら。自分の友人達は困った人たちばかりだなあ、と小さな苦笑が零れ落ちる。
そこに、罪悪感は欠片も無く。
そこに、心配はすれども死の予感と不安は無く。
誰かがリベラの心の内を覗けたならば、その異常性をあるいは強く糾弾したかもしれない。だが誰にもリベラの心の内を見ることは叶わない。故に誰もリベラに指摘できない。だからリベラは気づけない。
自分が普通という枠組みからどれほど外れているのかということに。気づけたとしても間違いなくリベラはこういうだろう。
俺は間違ったことなんてしてないよ。
普段通りの笑みで。普段通りの言葉で。何一つ変わらずに。それがどれほど異常なことかも分からずに。
時として正しいことが誤りであることを、リベラは知らなかった。純粋さは時に周囲からは悪意としか映らないことを、リベラは知らなかった。
誰よりも何よりも、そのことを知っていた筈なのに。
「君は変わっちゃったね、リベラ」
「俺は何も変わってないよ、エンツォ」
哀れみを込めた腕の無い青年の言葉に、リベラはただただ笑った。
「やっと逢えた!」
万感の思いを込めて。
その姿を青年はただ哀れに思い、どこか嫌悪するかのように、笑みを湛えたまま眺めていた。
この思いよ届けと、遠いいつかの日のように願って送った招待状。けれど初めての時と違い、今回は実の所、さほど期待はしていなかった。
あの人は疑い深い人だから、来てくれないかもしれない。あるいは疑うからこそ来てくれるかもしれない。確率は五分五分。賭けとしては悪く無いが、そこに込められた願いが一途であればあるほど、五分五分の確率はいっそ恨めしくなるほど低いもののように見えてくる。
同じものでも気の持ちよう一つで全く違うように見えるのだから、人の心というのは実に複雑怪奇かつ面倒に出来ているのだと心底思った。
†
「また来たのか。警備というのは暇なのか?」
「そんな連れないこと言わないでよー。仲良くしよ?」
「誰が」
はんっ、と鼻を鳴らしてそっぽを向いて蛇を愛で始めるシトロンに、リズは困った様な笑みを浮かべつつカウンターに顎を乗せた。
朝のフォーチューンは静かだ。
元々、この店を訪れる客が少ないため、いつ来ても此処は静かなのだが、昼や夜は隣のパンプキンバーが繁盛しているため、隣の喧噪がよく聞こえて来る。その度にシトロンが「五月蠅くて敵わん」とぶつくさ文句を零しているのを、リズはよく聞いていた。
「双子ちゃん来たの?」
「…訂正しておくが、あの二人は双子じゃない」
「似たようなものじゃない」
「違う」
とりつく島もないとはこのことを言うのではないだろうか。
シトロンという女性は基本的に誰に対しても平等に接してくれるのだが、リズやイヴェールを始めとした、一部の人間に対しては辛辣だった。その理由も原因も知っているし分かっているため、とやかくは言わない。言わないが、出来れば仲良くしたいと思っているリズとしては少し所ではなく淋しく思う部分があるのは否めない。
こればかりは当人の心の問題であり、無理強いするわけにもいかないところが難しい処だ。
「それで、双子ちゃん来たの?」
「さあな、知らん。私はこの店から出ていないし」
「出ればいいのに」
「日差しは好かん」
「ああ言えばこういう」
「それはこちらのセリフだ」
平行線を辿ってばかりの会話に決着が着くわけもなく、結局こうやってだらだらと会話のドッヂボールをすることに時間を費やす。
けれど、
「……来てくれるといいね」
「………。そうだな」
この日は少しばかり違ったようで、珍しくリズの言葉にシトロンが同意を示した。
互いにとって、この祭りは特別なものだった。
たった一枚の便箋に託した思いに、相手が答えてくれるかどうか。さながらラブレターの返事を待つ子供のような気分だが、そこの込められた想いの真剣さは、決して戯れの一言では済まされない。文字通り人生全てをかけた一枚だった。
Yes or No。
相手の答え一つで変わる今後の人生を思いながら、どちらからともなく、重たくもどこか切なさの籠もった溜息を落としたのだった。
………………
………………………………………………
†
「それで、彼は来てくれたの?」
「うん」
公園のベンチに肩を並べて腰掛ける二つの影。
宵闇に浮かび上がる白い女と、宵闇に溶け込む黒い少女。対照的な二つは冷えた空気に包まれた公園の中、誰に咎められるでもなくそこにいた。
「そう、良かったわね」
「うん」
心底幸せそうに、嬉しそうに、リズ・ホープは笑う。
黒い少女は特別表情を動かすこともなく、人形じみたその美貌に死人の如き無表情を湛えたまま、隣に座る女をちらりと一瞥しただけだった。
「しあわせ?」
「んー……うん、幸せ、かなあ。不安になるくらいに?」
「不安を覚える程の幸福は幸福を持て余している証拠。幸福慣れしていないのね、貴方」
「かな。人生で幸せーって思えた瞬間、少ないからさ」
不幸の連続であったわけではない。
だが自分の人生を総合的に、かつ、主観的に眺めたとき、そこにある幸福の総量は不幸のそれよりも圧倒的に少ないと思った。どうにも幸福というものから、とことん見捨てられているのではないかと思う様な人生。生きていること、それ自体が幸福だと言ってしまえばそれまでなのだが、やはり人間、生きている以上の幸福を時に求めたがるものだった。
「貴方が幸せなら、私はそれでいいわ」
「貴方は幸せなの?」
「……。…わからない」
問い返せば困ったように、黒い少女は首を横に振った。
「私にとっての幸せの定義が何に依るかで、幸福も不幸も等しくひっくり返るもの」
「なんだか貴方のお話はいつも難しい気がする」
「難しいというよりも単純に、考えの違いに依るものだと思うわ」
「んー……幸せとか不幸とかって、さ。そんな難しく考えなくてもいいんじゃない? 嬉しかったら素直に嬉しがればいいし、嫌なら素直に嫌がればいいし。たったそれだけのことだと思うのだけれど」
「そう……じゃあ、」
黒い少女が立ち上がる。
月明かりに照らされた彼女の姿(シルエット)は歪なものだった。左腕は丁度、前腕の中程で跡切れており、右腕にいたっては上腕の中程より先が存在していない。無くした腕の空白分、潰れ、ひらひらと揺れるゴシックロリータの袖が虚しく風に揺れた。
「嫉妬と憎悪に駆られた、みっともなくてどうしようもない醜い心をさらけ出して生きていけばいい?」
芝居がかった仕草と退廃的で何処かおぞましさを孕んだ艶然とした笑みを浮かべ、少女が小首を傾げる。
「そういうわけじゃ……」
「…分かってる」
けれどそれは一瞬のこと。次の瞬間には表情らしい表情が刮げ落ち、もとの死人の如きそれに戻る。
「私は自分で言うのも何だけれど、激情家なの。でも、振り幅がただの二つしかない」
「二つ?」
「怒りと、悲しさ虚しさ。その二つしか私には用意されていなかった。……いえ、私のことなんてどうでも良いことね」
そこで彼女の自分語りは打ち切られてしまった。
いつもそうだ。彼女は自己を客観的に観測できていた時から今に至るまで、自分のことを最後まで語らない。それは無意味なことを切り捨てる。その理由を、リズは知らない。知る由もないことだ。リズはリズで、彼女は彼女。二つの存在が交わり一つになることなど、本来あり得ぬことなのだから。
「お星様によろしくね、リズ・ホープ」
「そっちも狼さんによろしく」
「……そうね」
気が付けば空は白み始めていた。
人間と言うのは極限まで哀しいことを一度に体験してしまうと、それに関する何もかもに期待が持てなくなる生き物であるようだった。
幼い二人に宛てた手紙にしたためた、素っ気ない文章。来ても、来なくても。どちらでも良いように、期待など一欠片も乗せないよう気を付けて書いたそれ。
あの二人は良くも悪くも幼かった。幼い時分の世界の変化というのは急激だ。目まぐるしく変わって見える世界、目まぐるしく変わっていく心。
一時の感情に身を任せるのはいつだって若さが手伝うのだ。
だから期待なんてしない。したくない。して裏切られるのが怖い。あの二人を嘘吐きにも裏切り者にもしたくなんてなかった。だから来てくれることを願う一方で、あの二人が来ないことを願う自分がいた。
これ以上、期待に応えられたら必要以上に心を傾けてしまいそうだったから。
†
「また来たのか。警備というのは暇なのか?」
「そんな連れないこと言わないでよー。仲良くしよ?」
「誰が」
からんかろん、と軽やかなドアベルの音が薄暗い店内に響く。顔を上げればやはり、というべきか、リズ・ホープがいつもの締まりのない笑みを浮かべて出入り口に立っていた。相手にするのも面倒で、蛇を愛でることへ神経を傾ける。
ぎしりとカウンターの椅子が鳴る音。ちらりと横目に見れば、カウンターに顎を乗せてこちらを上目遣いに見ているリズと目が合って、視線を逸らした。
朝の静かな一時。もう少し時間が経てば、隣のパンプキンバーが賑わい始め、その喧噪がこちらにまで届く。
始めの頃こそとても煩わしく思っていたそれも、慣れてくるとそれほどでもなくなっていた。慣れただけで好ましく思っているわけではないが。
「双子ちゃん来たの?」
何の気無しに投げかけられた問い。
「…訂正しておくが、あの二人は双子じゃない」
どきりと跳ねた心臓を誤魔化すように、答えになら無い言葉を返す。
「似たようなものじゃない」
「違う」
そんな言葉に律儀に返事を返してくれるリズの対応に、少しばかりありがたく思いながらも、感謝の言葉は決して口にしない。
シトロンはリズ・ホープという人物が好きではなかった。別に、リズという人間の性格が受け付けないとか、そういうのではない。この嫌悪は、シトロンの内側でクツクツと静かに煮えている嫉妬から来るものだった。
内側で嘆き続ける多くの声。眼を閉じれば今でも聞こえる。悲しみ、嘆き、淋しさ、孤独、そして諦め。一人一人、響く声の大きさは違えど抱いているものはただ一つ。
愛しているのに愛されているのに、個を喪ったが故に愛を喪った嘆き。
とんだ悲劇。けれどシトロンを生んだ親と呼ぶべき存在から言わせてみれば喜劇であるらしい、それ。常にそれらに晒され続けるシトロンからしてみれば、堪ったものではなかった。
「それで、双子ちゃん来たの?」
会話の流れが修正される。
「さあな、知らん。私はこの店から出ていないし」
心中で小さく舌打ちをしながら、そう答える。事実だ。嘘は一欠片も混ざっていない。
「出ればいいのに」
「日差しは好かん」
「ああ言えばこういう」
「それはこちらのセリフだ」
平行線を辿るばかりの会話。リズと話すときは始終、こんな調子だった。それでもリズは懲りずにシトロンに話しかけてくるし、話しかけられれば答えないわけにもいかないと考える律儀さが多少なりともシトロンの中にあった。だからこそ会話となる。そのどちらが欠けても、二人の会話は成り立たないだろう。
ある意味ではこれも奇跡なのかもしれない。
絶妙なバランスで成り立っているその関係と会話に、ふと、シトロンはそんなことを考えた。
「……来てくれるといいね」
「………。そうだな」
ぽつりと零された一言に、小さく頷く。
けれどそれは、どちらかと言えばシトロン自身の思いというよりも、リズ自身の願いへの肯定であり同意。
リズはシトロンに自分を重ねている。それを拒否も否定も、シトロンはしない。誰だって自分を見るのは怖い。だから自分に似た存在に自分を重ねて、あたかもその人間のことであるかのように言葉を振り翳す。
それは罪ではなく、怯えを孕んだ欺瞞であり、痛みを和らげるための優しさでもあった。
まるで麻酔のように、麻薬のように。
………………
………………………………………………
†
ハロウィン一色に彩られた街を、シトロンはぼんやりと歩く。
街を行く人々は皆皆、一様に笑顔を浮かべ、祭りを心の奥底から楽しんでいることが、その表情一つで分かる。そんな中、人混みに混じって歩くシトロンは、首に絡む二匹の蛇を撫でながら、心此処にあらずと言った風に歩き続ける。
店を早めに閉めて来た訳だが、目的があるわけでも約束があるわけでもない。ただ、何となく。はっきりとした意味や意図がある行動ではなかった。
「……騒がしいな、人混みは」
嘆息し、出てきたことを早々に後悔し始める。けれど戻るのも何だか億劫で、結局耳に刺さる騒がしい喧噪を我慢して歩き続ける。
時折、小柄な人影と擦れ違う度に、何かを期待している自分に気が付いて、その度に自己嫌悪に陥る自分がいた。
――――何を、期待しているんだろう。
自身の意志に反して無意識下の思いというのは存外素直なもので、なんだか自分自身にも裏切られたような気分になって泣きたくなる。
足取りが徐々に重くなり、視線が地面へと吸い寄せられていく。
終いには歩みは完全に止まって、視線は地面に。じわじわと眦が熱くなって、鼻の奥がつんと痛み、喉を塞がれたような息苦しさを覚える。
治らない、泣き虫。泣きたくなんてないのに。
一つ、二つ。塩辛い雫がぽたり、ぽたりと落ちて地面に吸い込まれて消える。
「ぐすっ……」
一度堰を切ってしまうとなかなか止まらない。
――――落ち着くまで、どこかで休もう。
重たい足を、身体を引きずるように一歩、前に進む。
幸い、祭りの喧噪の方が大きくて、シトロンを気に掛けるようなモノはいない。これ幸いと、泣いたままシトロンは周囲を見渡す。
ともかく、適当な路地に入って―――
くいっ、
両手を引かれた。
足取りが止まり、視線が少し下に下がる。
「また泣いてるんですか? 蛇さん」
「うー、蛇さん泣かないでー」
幼い二つの、心配そうな声が鼓膜を揺らした。
『■■■■■■■■■■■■■■』
突き刺さる言葉。
自分本意で傲慢な願いであると分かっていても、そう、昔からどうしてもあの人の言葉だけが自分の胸を正確に刺し貫く。あの人の行動が、声が、感情が、存在そのものが、いつだって自分を傷つけもすれば癒しもするのだ。
ヒュー・バースデイ――――イヴェール・ブラックウェルにとって、世界とは、自分と兄と、それ以外のものだけで構成されていた。
とてもシンプルな世界構成。だがシンプル過ぎるが故にそれが孕んでいる危険性も、他ならぬ本人が、誰よりも理解していた。理解していて、だが、今さらどうにかできるものでもない。それをどうにかできる時期はとっくのとうに過ぎ去ってしまっているのだ。このまま進むより他なかった。
「間違ってるなんて、ずーっと前から知ってるんです、よー…だ」
言い訳のような独り言。けれど嘘ではない。
自分達は生まれた時からそもそも間違っていたことを、イヴェールは正しく理解している。だが理解していることと、それを受け入れること、実現することはまた別なのだ。
死にたくなんて、なかった。
生きていたかった。
だから生きている。
けれど生き存えても自分はやはり間違いだらけ。間違いだらけで進んだ結末は、周囲の人間を誰彼構わず傷つけるものでしかなかった。
大切なのに。傷つけたくないのに。自分がただ存在しているだけで、傷つけてしまう。
一年、二年と月日を重ねる毎に。誰かを愛おしく思う程に。自分の心の何処かが死んで行くのを、イヴェールは自覚していた。
自分はきっと恐らく、当の昔に死人なのだ。名実共に。
『私は生まれたこと、それ自体が間違っていたの』
そうだ、間違ってる。
生まれなければ良かったのだ、自分なんて。
『俺は生まれる前に死んだこと、それ自体が間違ってたんだ』
多分そうだ、きっと間違ってる。
生まれる前に死んではいけなかったから、自分は生まれたのだ。
――――けれど、それなら、ねえ、待って待って。
なら自分はどうすればいい?
生まれたことも間違い、生まれる前に死ぬことも間違い。どちらも選べぬのなら、一体何を選べと言うのか?
生まれた事実は変えられないのだ、どう足掻いても。
確定されてしまっている過去。終わりの見えない未来。自分はどうすればいい? どうしたら、皆、納得してくれる?
どうしたら、自分は納得できる?
†
のろのろと、祭りの装飾と喧噪で輝く街の中を歩く。
足が、重い。全身に重りを括り付けられているかのように、一歩、一歩と踏み出す毎にただただ疲労ばかりが蓄積し、一向に前に進めている気がしなかった。それでも確かに変わる景色を見て、しっかりと前には進めているらしいことを理解する。
頭の中では、彼の言葉がぐるぐると渦巻いていた。
『貴方は望んでも手に入れられないからこそ、周りを壊してそのただ一つを手に入れようとするんですね』
悪意と邪気と、それを上回る純粋さで上塗りされた笑みで、彼はイヴェールにそう囁いた。
父への惜しみない愛、家族への焦がれと、どこまでも凍えた母への無関心を抱いて生まれた我が子の言葉。それが単なる子供であったのならば、きっと意にも介さなかった。けれどあの子の中には確かに、兄の血が流れているのだ。
大好きな、大好きな、あにさまの血が。
あにさまの血が流れるあの子の言葉を自分には無関係であると割り切るには、イヴェールという青年は兄を神聖視しすぎていた。
絶対的な、神様。その血の一欠片でさえも、例えそれが他人に流れているものであったとしても、イヴェールにとってそれは兄であるし、兄の一部分であるのだ。敬虔な教徒でさえも思わず身を引いてしまうかもしれないほどの、信仰心にもよく似た愛。崇拝と呼ぶにはあまりにも狂気的で、あまりにも純粋過ぎる一途な思い。
それらが廻りめぐって、たった一人の少年の言葉を、イヴェールの心に重くのし掛からせていた。
何よりも、その言葉が的を射すぎていたせいで、イヴェールは気に掛けざるを得なかった。
「………はあ」
重たい溜息が口から零れる。
そうだ、その通りだとも。
自分は昔から望んだものは決して手に入れることができなかった。
自由を望めどそれが与えられはせず。約束すれどそれは周囲によって儚い夢とされ。
兄の愛を望んでも、それは蛇に掠め取られた。
だから。
だから、壊す。
それを手に入れるために邪魔な何もかもを壊す。自分の幸せの為に壊す。それらを自身の幸せの代価として差し出す。
この世界は実によく出来ていることを、イヴェールは知っていた。
不幸と幸福がバランス良く釣り合いを取って存在している世界。誰かの幸福の影で、その幸福の為に誰かの不幸がある。それは自分であったり、親しいものであったり、あるいは自分が知りもしない他人であったり。自身の幸福の代価たる不幸の形は様々なれど、幸福を手に入れる為に不幸が必要であることはこの世の不変の真理だとイヴェールは確信している。
幸せになるために、ただ、努力をしているだけだ。誰にも文句は言わせない。皆やっていることじゃないか。
音も形も無い、他ならぬ“自分自身”から響く非難の声に、そう言い訳する。
知ってる、分かってる。本当は………
「………気付いて…選んで欲しかった…」
ぽつりと零れ落ちた本音は雑踏の中に消えた。
†
自分が手を下すまでもなく、気付いて欲しかった。
必死な自分の声に耳を傾けて、抱きしめて、そうして、選んでくれたのなら。それは、どんなに素敵なことだっただろうか。
それは永遠に叶うことのない夢だと知って。
それでも、
――――あにさま、ぼくは貴方に、貴方自身に、選んで貰いたかった。
胸の内で願うだけなら、勝手だろう。誰も知る由もなく、誰も永遠に知りもしない、子供の我が儘。
………………
………………………………………………
†
もうじき祭りも終わる。最後の花火が夜空を彩り、そうして流星の如く空を流れて燃え尽きて消えた。
イヴェールはそれを、兄の隣でぼんやりと眺めていた。
「綺麗だったね」
嬉しそうに隣で笑う兄。
「そうですね」
笑い返す。
兄が自分に笑いかけてくれた。
たったそれだけのことなのに、心を塞いでいた黒いモヤも、どろどろとした汚濁も、何もかもが解け溶けて消えて浄化されていく。たくさんの誰かの言葉よりも、自分自身の叫びよりも、たった一人の最愛の兄の言葉が何よりも強く強く、この胸に響き、この胸を揺さぶり、全ての言葉を打ち消す力を持っていた。
まるで魔法のようだと、イヴェールは思う。
「どうしたの、イヴェール?」
「いえ……なんでもありません、あにさま」
「……嘘」
じぃっと真摯に自分を見つめる兄。こう言うときだけ、無駄に聡いのだ。気付いて欲しいことに気付いてくれないのに、隠したいことに兄は過敏に気付くのだ。それはきっと、何よりも誰よりも、心配してくれているからこそ。
だから、もどかしさを覚えることはあっても、それに勝る嬉しさがある。心配して貰えているという、たった一つの真実。どれほどそれが自分にとって不都合なものであっても、自分などどうでも良いイヴェールにとって大した問題ではなかった。
「………あにさま、」
「なあに、イヴェール」
「……ずっと、傍に居て、くれますか…?」
「いるに決まってるでしょ? イヴェールが嫌がっても離れないよ」
安心させるように抱きしめてくれる。腕から手から、触れ合う身体から伝わる体温がじわりと染み込んで、ほう、とイヴェールの口から思わず安堵の息が零れた。
「……あにさま」
「うん、なあに?」
「………………。……ごめんなさい」
「…イヴェール…? どうしたの、急に…?」
「………」
答えず、ただ強く、抱きつく。縋る様に。
「…ごめ、んなさい…あにさま……。…ごめんなさい……」
「イヴェール……? 何か、あったの…?」
戸惑う兄の言葉に応えることも出来ず、イヴェールは静かに泣いた。
†
ごめんなさい、あにさま。
忘れたくないのに、忘れてはいけないのに。もう、蛇の名すら、思い出せないんです。
忘れてはいけないのに、ぼくは、ぼくが犯した罪を忘れさせられてしまうみたいなんです。
あの蛇は加減を間違えたんです。何もかもを消し去ってしまったんです。あの蛇自身も、もう、以前の自分を覚えてはいないでしょう。そもそもそんなものがあった事実も、そんなことがあった真実も、もう覚えてはいないでしょう。
ごめんなさい、あにさま。
せめてもの、欠片も意味のないことだとしても、罪滅ぼしとして覚えていようと思ったのに。
ぼくは、もう、覚えていられないんです。
ごめんなさい、あにさま。
ぼくは、その事実が、どうしようもなく嬉しい。
貴方を何の気兼ねもなく、罪の意識を抱くこともなく、純粋に慕い愛せる事実が、この上なく嬉しい。
…………ごめんなさい、■■■さん。■■さん。
†
「君たちが忘れても、」
「私が覚えていますから……」
「だから、」
「大丈夫」
「…………」
白と黒の影は、抱き合う双子へ向けて小さく囁いた。
それを聞いていたのは、黒い影の傍らにいた、一人の狼だけだった。
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消去-Delete- : “世界”が■■■と■■を完全に抹消しました。
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