1-463 二度目の料理

一体全体、何がどうなってこうなってるんだ?
右手にはお玉、左手にはフライ返しを持って交差させている少女。
何故かシンプルな水色ストライプのエプロンを着て笑みを浮かべて立っていた。
「おかえりー。けっこう待ってたんだよ?」
ここは、我が家である。キッチンである。
下校後、喉が乾いたので牛乳に相談しようかと思って家に着くなり冷蔵庫に向かった。
すると、これだ。唐突なイベントだ。
彼女は見慣れた顔ではある。が、頭が理解してくれない。彼女がここにいることだけは、何があってもありえない。
確かに顔見知りではある。知ってもいる。というより交際している。だから、家の中にいてもおかしくはないが………。
肩まである髪が艶めいて、小柄な背は自分の制服の胸あたりまでしかない。だから、エプロンが大きく見えるのだが、それがまたいい。頭を撫で回したくなる。
が。
繰り返す、ここはキッチンである。
そして彼女は、料理が作れない。ありえない物を世に送り出す。
以上から推測される結論を、鈍い頭がようやく理解したとき、告げる。
これは、緊急事態だと。第一級緊急事態だと告げる。
エマ――――――――ジェンシ――――――――!!



「とりあえず」
なるべく優しく刺激しないように話しかける。
「そのお玉とフライ返しを置いてくれ」
幸いにもまだ手をつけてないようだ。流し場にも、コンロにも、周辺にも食材が見当たらない。これはかなりの幸運である。
「料理なら、俺がするから。何が食べたい? ホットケーキ、クッキー、なんでも作ってやる。だから――――」
「だめだよ」
即否定。かなり強い語気で。
相当強い意志を持っているらしい。簡単には折れてくれなさそうだ。
しかしこちらも退いていられない。以前、シチューだと言われて出された悪夢の体現。
あれを、あの恐ろしさを、あの悲劇を二度と体感したくはない。
してはいけない。危険が及ぶ可能性がある。生命に。
あれを、二度と引き起こしてなるものかあああぁぁぁぁあぁああ!!



今でもたまに、夢に見る。
『作る途中で鍋、引っかけちゃって………。一人分しか残らなかったんだけど………』
と言って、いじらしく絆創膏を何ヶ所か張った手で顔を真っ赤にしながら差し出されたシチュー。自分よりも小さな、彼女のわずかに震える手が皿をゆっくりと置く。
『食べてくれるかな………?』
さらに、少し緊張して不安げな彼女が隣にいる。食べずにいるやつぁ、男じゃねえ。
匂いはよい。見た目もよい。
白いとろりとした見た目が食欲をそそる。人参の色が、ジャガイモの丸っこさが、早く食べてくれとかき立てる。
『じゃ、いただく』
『おかわりないから、よく味わって食べてね』
しかし、一口含むと。 そこに壊滅した街が、道に倒れた人が、黒く焦土と化した広場が、この世のありとあらゆる悪が具現していた。
妬み、憎しみ、恨み、悲痛な叫びが、蹂躙された思いが、無垢な希望が断たれた絶望が、濃厚圧縮されていた。
『どうかな………?』
一度スプーンを置き、美味しい、とは言わずに頷く。そして彼女を引き寄せた。表情を除かれないためだ。
声に出せない。出してはいけない。世界の闇が、溢れ出してしまう。
これは、何だ。
夢か。
現実か。
彼女の頭を撫で、そっと離れる。永遠の別れのように感じた。悲しいけど、これって戦争なのよね。
再び槍を掴む。銀色に輝く楕円が励ましてくれたような気がした。
………これが、俺のジャスティス。
この世全ての悪と、対峙し。
闘った。



体調の異変に気づかれないように彼女を送ったあと、意識がぷつりとトんだ事は覚えている。
だから、ここは退けない。
退くことはできない。
「いや、その、ほら。いつものお礼がしたい。たまには自分で手料理をしなきゃ腕も鈍る」
「でも、だめ」
頑なに意志を貫く彼女。
ここは妥協点を探してダメージを食い止めるべきか。全喰らいよりは遥かにマシか。
「じゃあ、どうすればいい?」
「私が、料理するの」
「手伝おう。それでいい?」
「だめ」
「なぜ?」
「私が、料理するから」
堂々巡りで戻ってきた。
「わかった。好きにしていい」
自分の決意なんて所詮こんなもんだ。彼女のためなら塵よりも軽く動く。
すまない、我が銀矛よ。今回も共に戦ってくれるか?
「じゃあ、早速」
こちらに向かってくる彼女。お玉とフライ返しを片づける。
「料理するのに必要ないのか?」
いらない、と小さく返事する彼女。長い髪が揺れた。
「だって………」
息を吸う音が聞こえた。深呼吸したのだろうか。
振り返って、抱きついてきた。
「………私が料理したいのは君だから」

ぎゅううぅ、と力いっぱい抱きしめてくる。
小さいのでさほど苦にはならず、むしろ心地よい安心感を与えてくれる。
「だからね、今日は私が料理するの」
頭を押しつけてくる。そっと、手を回して抱く。
この心臓の音は聞こえないだろうか。
この驚きは知られないだろうか。
さすがに恥ずかしい。
彼女が腕の力を緩めたので、それに合わせてこちらも力を抜く。
彼女は名残惜しそうに力を抜いて腕を下ろすと、俺の背を押して台所を後に。
向かう先は俺の部屋のようだ。
ドアを開け、部屋に入るとすぐに抱きついてくる彼女。すりすりと柔らかい体を密着させてくる。ふわり、甘い香りがした。
「ずっと待ってたから、これくらい甘えさせて」
細い手を背中に回して、後方のベッドへと押し倒される形になる。柔らかい衝撃を感じ、反射的に目を閉じた。
わずかな間をおいて見上げると、潤んだ瞳と紅潮した頬とを見つめる。
互いに何も言わず、軽く、触れるようなキス。
ほんの少しだけ温かさを感じ、唇を離すとすぐに消えた。
「これから料理しちゃうんだから。今日はおばさん、うちのお母さんと旅行だから戻ってこないんだから」
また唇を重ねる。何度も、何度も。
熱を冷まさないように熱く、間をおかずに。
「だから、たまには私からしてみよって、思ったの」
舌まで重ねてきた。本当にどうしたのか。
「いっぱい、いっぱいしてあげようって思った」
俺の頬にひんやりとした冷たさを感じる。火照ってきた頭にはちょうどいい。
「だから、今日くらいは、私からさせて………?」
どうやら、調理開始の合図らしい。


久しぶりに甘々なのも悪くはない。
2008年07月20日(日) 12:52:49 Modified by amae_girl




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