1-81 『生徒会長な従姉』

「ふぅ……」

僕は長時間ディスプレイに固定し続けていた視線を、夕陽に赤く染まった窓の方へと逃がした。
昼にこの生徒会室に呼び出されてからずっとキーボードを叩き続けているのだが、
それから相当な時間が経っているように思われる。

「あの、織部君?」

僕を呼ぶ声に視線を正面へと向けると、少し困ったような表情をした笹倉さんの姿が目に入る。
彼女と僕はクラスメイトでもあり、同じ生徒会執行部の会計をしていることもあってわりと仲がいい。
噂ではいいところのお嬢様らしいとか。

「ああ、ごめんごめん。ちょっとぼっーとしてた。
悪いけどもう一度言ってくれる?」
「はい……でも私のほうこそごめんなさい。私、パソコン使えませんから、
織部君に全部任せてしまって」
「いやいや、こんなのできる人がやればいいんだよ。ということで続きお願い」
「ふふ、ありがとうございます。次はえーと……水球部の遠征費が十三万四千六百四円です」
「了解」

僕は次々と領収書の内容を読み上げる笹倉さんの声から用途と経費を抜き出し、
表計算ソフトのセルの中に打ち込んでいく。
僕の通っている私立高校は、何故か海外の企業と同じく十二月決算なのだ。
だから会計である僕と笹倉さんはここしばらくの間、生徒会室に籠もりきりになっているというわけである。
ちなみに生徒会長及び僕たち以外の生徒会執行部の面々は、他の仕事で席を外していてこの部屋にはいない。

作業を再開して暫くした頃、生徒会室の扉が静かに二回ノックされた。

「あ、誰か帰って来たのかもしれませんね。ただ今お開けしますから、少々お待ちください」

笹倉さんはそう言って扉に近づいた。だが彼女がそこに達する前に扉は開かれ、
我が生徒会の長であり僕の一つ年上の従姉――百瀬恋(ももせれん)がひょっこりと顔を覗かせた。

「ただいま戻りました」

彼女は母親のマリアさん譲りの長く美しい金髪をかきあげて、にっこり笑ってそう言った。
親戚である僕が言うのもなんだがすっきりと整い凛々しくさえある容姿と、
女性にしては高く、スラッと引き締まったスタイルを持つ恋姉さんはかなりの美人だ。

「百瀬先輩お帰りなさいませ。外は寒かったでしょうから、何か暖まるものでも持ってきますね」
「ありがとう、笹倉さん。あの……織部くん?」

しかも成績優秀、周囲からの信望も篤いというのだから非の打ち所が……いや、
あるな。みんなに知られていないだけで。

「えと、その……織部くん。織部くん……私帰ったきたのに」
「百瀬先輩。はい、コーヒーです。インスタントですので、お味は保証できませんけど」
「え! あ、ありがとう。笹倉さん」
「それと織部君の分も淹れたんですけどどうでしょう?……織部君?」

姉さんは僕と二人きりになると……。僕はそこまで考えて笹倉さんが、
僕をじっと見ていることに気づく。





「笹倉さん? どうかした?」
「いえ、コーヒーお飲みになりますかとお尋ねしたのですけれど……」

ああ、また僕が自分の世界に飛んでいっていたらしい。いい加減にこの癖は直さないといけない。

「うん、頂くよ。ありがとう。それと百瀬さんもお帰りなさい」
「あ……うん! ただいま!」

僕の隣に座る姉さんは、すごく嬉しそうに笑って応えた。何かいいことでもあったのかもしれない。
笹倉さんは自分のコーヒーを注がずに定位置――僕の正面の席に腰をおろした。

「ところで百瀬先輩以外の方はどうなさったのですか? もう活動終了時刻は過ぎていますよね」
「ええ、みんなにはそれぞれの仕事が終わったら、
各自解散するように伝えたからもう帰ってしまったと思うわ」
「じゃあ、僕らもさっさときりのいい所まで終わらして帰ろうか?」
「はい、そうですね」
「あ、えっと。その……そのことなんだけどね……」

普段学校では凛々しい表情の多い姉さんは頬を赤く染めて、しどろもどろにながらそう言った。
……そこはかとなく嫌な予感がするのは何故だろうか。

「た、確か笹倉さんってお家が遠いのよね?
暗くなると帰りが危ないからわ、私が代わりに織部くんの作業を手伝うわ」

そこまで何とか言いきると真っ赤な顔を俯けてしまう姉さん。さらさらと美しい金糸の束が、彼女の肩を流れるように滑った。
……何てわかりやすい人なんだ、姉さんは。
案の定、机を挟んで向こうの笹倉さんはにやにやしている。

「ふふふ、わかりました。百瀬先輩、お願いしますね。
それにしても……お二人は随分仲がよろしいのですね、私も少しうらやましくなってしまいます」
「ち、ちょっと待って、笹倉さん! 僕と百瀬さんは別に」
「存じ上げていますよ。お二人は従姉弟同士の関係にありながら、
好きあっていらっしゃると。……結婚式には呼んでくださいね?」

それをどこで聞いた! それに最後のなんだ! 最後の!!
しかも姉さんはそれを聞いて、余計に恥ずかしそうにしてるし。

「ではまた来週お会いしましょう。失礼します」
「お、おい!」

僕は、荷物を持って生徒会室から外に出てしまった笹倉さんを追いかけようと椅子から立ち上がったのだが、
腰の辺りに微かな抵抗を感じて振り返る。
果たしてそこには僕のブレザーを、ちょこんと掴む姉さんの姿があった。

「い、いっちゃやだ。さくちゃん行かないでよぉ……」
「少しだけだから。ちょっと話をしてくるだけだから、ね?」
「やだやだ。さくちゃんはここにいるの!」

姉さんはまるで駄々っ子のように首をふるふると左右に振った。
そうこれこそがほとんど完璧な姉さんの唯一の短所? である。彼女は異常に甘えん坊なのだ。



「わかった、ここにいるよ。でもね姉さん、僕たちがそういう関係にあるって思われることはやっぱりよくない。
僕が姉さんの家に住まわせてもらってることを、学校に知られたらどうなるか……姉さんならわかるよね?」
「……うん」

僕の家には誰も住んでいない。十二年前になるが父さんが九州の支社へ転勤した際、
母さんも一緒について行ってしまったからだ。
父さんと母さんは僕も九州に連れて行くつもりだったが、その話を聞いた姉さんに大泣きされてついに折れた。
それ以来、僕は元々近所にあった姉さんの家つまり叔父夫妻の家で、居候させてもらっている。
叔父夫妻とは言っても僕と血縁のある叔父は姉さんの妹が生まれてすぐに亡くなっているので、
母親のマリアさんと恋姉さんと小学生の妹の奏(かなで)の母子家庭になってしまってはいるが。

「あの……さくちゃん、ごめんなさい」

そう言って姉さんはしょんぼりと肩を落とした。ああは言ったが姉さんが人一倍寂しがり屋で、
甘えん坊なのは昔から変わっていない。
だから普段は頼もしい生徒会長を演じていて、相当我慢しているのだろう。
そう思った僕は姉さんの腰に腕を回し、頭を綺麗な金髪ごと撫でた。彼女は気持ち良さそうに目を細める。

「んぅ……」
「姉さん、気持ちいい?」
「うん。すごく気持ちいいよ。さくちゃんになでなでされると、とっても安心して眠たくなるの」
「はは、寝ちゃだめだよ?」

姉さんはこくりと頷いたが、本当に寝てしまいそうだ。僕はゆっくりと手を離した。

「あれ……さくちゃん?」
「そろそろ作業を再開しないとね。あんまり遅くなるとマリアさんと奏が心配するだろうし」

僕はノートパソコンをそれまで置いていた長机から、来客用のソファーの付いた机に移す。
実は長い間硬い椅子に座っていたので腰が痛かったのだ。

「ほら、姉さんが手伝ってくれるんでしょ?」
「うん! ちょっと待ってね」

姉さんはいそいそと領収書の束を持ってソファーに腰掛けた。僕の隣――ではなく僕の股の間の狭いスペースに。
……もう何も言うまい。

「じゃあ、もう時間が時間だしやりかけのバスケ部のだけやってしまおうか?」
「えへへ、バスケットボール部だね。えーと、……」


* * * * *


僕は最後のエンターキーを押して息をついた。

「ふう、終わった」
「さくちゃんお疲れ様。疲れちゃった?」

姉さんは体を捻って僕の顔を少し心配そうに覗き込んだ。僕はそんな可愛らしい彼女を安心させるため微笑む。

「心配してくれてありがとう。確かに目は少し疲れてるけど他はそうでもないよ」
「そうなの? よかった……」
「うん。じゃあ鍵を返してから帰ろうか?」
「ま、待って。えと、もうちょっとだけここにいたらだめ?」





そう言う姉さんの顔は先ほどと比べてもより紅い。もう日は落ちていて外は薄暗いが、
完全下終了校時刻には少し時間がある。
僕は携帯を取り出しマリアさんに少し帰るのが遅れる旨のメールを送った。そして姉さんの華奢な体を抱きしめる。

「あう……さくちゃんさくちゃん」
「んー? やっぱりこうすると暖かいね。姉さんは寒くない?」
「うん、だ、大丈夫……あの、さくちゃん? そ、そのよかったらでいいんだけど……きき、キスして欲しいの」

好きな女の子と口付けするのが嫌いな男がいるだろうか? 少なくとも僕はそうじゃない。
僕は姉さんの綺麗な手の甲を僕の手の平で包むように握りしめ、僕のほうへと引き寄せて姉さんの唇を奪った。

「んぅ……、ぷは。さくちゃん好きぃ」
「僕も好き、だよ」
「あ……、嬉しいけど恥ずかし……よ」
「ふふ、自分から言ったくせに?」
「だってだってさくち、んんぅ」

言い訳しようとする小さくて可愛い口を僕のものでふさいで黙らせた。
そして先ほど以上に激しく舌を使って姉さんの口内を愛撫する。

「んん! ひゃぷ、や、やぁ。さ……ちゃん。ふわあ、こんなのら、めぇ!」
「……駄目じゃないよ」
「やあぁ。んむぅ…………ひゃくひゃんすきぃ、だいひゅき。……んぁ、はぁふ。さくちゃんだいすき!」

初めはマグロだった姉さんの舌も、今では積極的に僕の舌と絡め合っている。
姉さんの体は不定期にぴくぴくと痙攣していて、その大きな瞳も何かに耐えるようにぎゅっと閉じられている。
そろそろそろかと考えた時、姉さんの体が一際大きく痙攣し、ぐったりと脱力した。

「姉さん……大丈夫?」
「あ……だいじょうぶ……」

だがとろんとした瞳は全く焦点が合っていないし、息もかなり荒い。
僕は姉さんが落ち着くまで彼女の頭を撫で続けた。


* * * * *


僕たちは職員室にいた顧問に生徒会室の鍵を返却し、学校を後にする。
外はすっかり暗くなっていて、十メートルおきに設置された街灯の無機質な光のみが頼りだ。

「姉さんまださっきのこと恥ずかしがってるの?」
「だ、だって……」

姉さんは茹でだこのようになった顔を、隠すかのように抱きしめた僕の腕にうずめた。
そんな可愛らしい姉さんの仕草に、僕の中の悪戯心がむくむくと頭をもたげる。

「さっきの姉さんは体をぴくぴくさせて、僕のことを好き好き大好きって言ってくれて本当に可愛いかったよ」
「や、やぁ。……恥ずかしいから言っちゃやだ……」
「それに姉さんは全校生徒の代表の生徒会長なんだよ?
そんな人が実はこんなに甘えん坊さんだなんて誰も思わないだろうね」
「あうあう……」
「でも僕は夜に一人じゃトイレにも行けなくて、
僕を起こすような甘えん坊な姉さんが大好きだよ」
「も、もう! さくちゃんのいじわる! いじわるなさくちゃんなんて嫌い」





姉さんは目の端に涙をため、ぷいっと顔をそっぽに向けて僕から少し体を離した。
……僕の腕は両手で掴んだままだけど。
姉さんの大人っぽい外見と異なる可愛い反応も見られたことだし、これ以上機嫌を損ねられても困る。ここまでにしておこう。

「ごめんごめん。ちょっと姉さんをからかってみたくなっただけなんだ」
「ひ、ひどいよぉ……私だって一人で行けるように頑張ってるし、さっきのはさくちゃんが激しくするからなのに」
「はは、僕ができることなら何でもするから許してよ、ね?」
「……本当に何でもいいの?」
「僕ができることなら」
僕たちは商店街のアーケードから外に出る。ここまでくれば僕たちの家まで後五分とかからない。
姉さんは何をお願いしようか少し迷っていたようだが、意を決したように僕の腕を強く抱きしめて口を開いた。

「あの、今日お家に帰ったら私と一緒にお風呂に入ってくれる? 後、背中の流しっこもしたいの」
「え?」

明日、姉さんお気に入りの駅前のケーキ屋でモンブランでも奢ることにでもなるかなと考えていたのだけど、正直予想外だ。
僕と姉さんは昔は一緒に風呂に入っていたのだが、それも姉さんが中学に通い始めるまで。
僕がどんどん女らしい体つきになっていく姉さんと、
一緒の風呂を嫌がったせいだが、確かにその時の姉さんは寂しそうな顔をしていた。

「……だめ?」
「い、いや。……そうだね奏も一緒だけどそれでもよければ」

百瀬家ではマリアさんの負担を減らすべく、家事の分担が行われている。
小学生の奏も新聞を入れるなどといった簡単な家事手伝いをしている。そしてその奏を風呂に入れるのは僕の仕事なのだ。

「うん。私とさくちゃんと奏ちゃんの三人で一緒にお風呂入りたい」
「そ、そっか。なら一緒に入ろうね、ははは……」

僕は風呂の中で僕のナニがナニしないように祈るしかなかった。
奏に『あー! パパのぞうさん大っきくなってるー!』なんて言われてしまう事態となれば目も当てられない。

「えと、もう一ついい……かな?」
「ま、まぁ、いいけど」
「私、さくちゃんの部屋で。さくちゃんの布団で。さくちゃんと一緒に寝たい。
そ、それでさくちゃんにぎゅってしてもらって、いっぱいキスしてもらいたいの。……してくれる?」

姉さん、その上目遣いは反則ですよ?
姉さんのことが好きな僕としてはそれをされると、
どんなお願いでも叶えてあげたくなってしまう。まぁ、僕にそのお願いを拒む理由はないのだけれど。

「ああ、いいよ。姉さんのお願いなら叶えないわけにはいかないしね」
「えへ、さくちゃんだーいすき」

姉さんは僕の体と自分の体をより密着させるべく、その柔らかで暖かい肢体を僕にギュウギュウ押し付ける。




ああ、僕はなんと幸せ者なのだろうか。
姉さんのことが好きな僕と、僕のことが好きな姉さん。そんな二人が一緒にいることができるなんて、
これ以上幸せな事がこの世界に存在するだろうか? いや、存在しない。これだけは断言できる。
だから僕はこの幸せを大事にしたいと思う。

そろそろ僕たち二人きりの帰り道もおしまい、僕たちの帰るべき家が見えてきた。
おや、百瀬家の前に大人と小さい、恐らく小学生くらいの子供が立っている。
向こうもこちらに気づいたらしい。ブラウンのふわふわした髪を持つ、母親によく似た可愛い女の子がぱたぱたとかけてくる。

「パパーーー! お姉ちゃーーーん! お帰りなさーーーーーい!」

僕たちの帰りが遅いのを心配して外で待っていてくれたのだろう。後でしっかり謝っておかないと。
でも僕たちがまず最初に僕たちの大切な家族に伝えるべきものは、心配かけてごめんなさいではない。
自分を待っていてくれてありがとうという気持ちを伝えるもの。
だから僕と姉さんは僕に飛び付いてくる少女と微笑みながらゆっくりと近づいてくる女性に、
その気持ちを伝えるために一つの言葉を紡いだ。


ただいま、と。
2008年09月03日(水) 13:30:34 Modified by amae_girl




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