あおやま たくお wiki: 活動記録などを載せています。専門は哲学。


2017.11.20.
今月26日(日)に京都市左京区のライブハウス「外」にて、佐々木敦さん(新刊『筒井康隆入門』)と筒井作品についての対談を行ないます。詳細は引用ツイートをどうぞ。

2017.11.10.
昨日発売の『現代思想』(総特集:分析哲学)に、拙論「原因または錯覚としての行為者」を寄稿しました。千葉雅也さんの下記ツイートにある「ドラスティックなアドバイス」を分析哲学的に展開した内容です。

2017.08.07.

2017.07.31.
下記の合評会が開催されます。要旨等の詳細はこちらをご覧ください。

2017.07.10.

2017.06.17.
講談社の雑誌『本』にて、「心と時間:その哲学と科学」という連載を始めました。初心にかえって(蛮勇をもって)書くつもりです。第一回「ここまで生きてきた、というのは冗談」は、発売中の六月号に載っています。

2017.04.06.
四月より京都大学 人間・環境学研究科に異動しました。忙しくなりそうですが、研究の時間は死守したいと思います。また、すこし前になりますが、『新潮』四月号にエッセイを寄稿しました。又吉さんの小説の反響で、各所で売り切れと聞いています。

2016.12.13.

2016.11.25.
十年かけて書いた本が出ます。『時間と自由意志:自由は存在するか』(筑摩書房、11月25日)。入門書等に比べると出版部数やや控えめのため、いずれ必要になりそうな方は、お早めにご入手頂けますと幸いです。情報を〈こちら〉にまとめておきます。

2016.09.13.
『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』(太田出版)が明日、刊行されます。古典から現代までの哲学、諸科学や諸人文学、そして音楽や小説やプロ将棋などの知見を通じて、「何」「いかに」「なぜ」の幸福の問いを論じています。情報を〈こちら〉にまとめておきます。

2016.07.07.
すこし先となりますが、8月27日、キャンパスプラザ京都にて「知覚・行為・自由:美濃正教授退職記念ワークショップ」が開催されます。各地から集った研究者が、知覚・行為・自由のテーマごとに発表を行ないます(私は自由についてお話しします)。詳細はこちらをご覧ください。

2016.05.31.
6月11日(土)・12日(日)に京都工芸繊維大学 松ヶ崎キャンパスにて、日本時間学会第8回大会が開催されます。初日には公開シンポジウム「紛争後社会の再生と記憶」も行なわれます(予約不要・無料)。詳細はこちらをご覧ください。

2016.04.12.
共著のオープンアクセス論文をScientific Reports誌(ネイチャー・パブリッシング・グループ)に発表しました。同時性判断と順序判断に関する神経科学系の論文です。時間の「順序」判断には、意外にも、身体運動を担う脳領域が関わっている可能性があるようです。
論文URL:www.nature.com/articles/srep23323
ニュース記事URL:headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160413-00000006-at_s-l22

2016.01.13.
2月6日(土)に東京にて、下記の公聴会を行ないます。自由意志、必然と偶然、選択と責任などを論じますので、関心のある方はぜひお越し下さい。(ご紹介のツイート
青山拓央 博士学位請求論文「分岐する時間――自由意志の哲学」公聴会
 日時:2016年2月6日(土)、15:00-18:00
 場所:慶應義塾大学三田キャンパス大学院校舎2階325-B教室
 特定質問者:鈴木生郎(慶應義塾大学)
 コメンテイター:入不二基義(青山学院大学)
 コメンテイター:斎藤慶典(慶應義塾大学)
 オーガナイザー/コメンテイター:柏端達也(慶應義塾大学)
ブログ更新の間が開きましたが、昨年終盤は日本科学哲学会・時間論ワークショップ時間学国際シンポジウム等に参加しました。

2015.09.26.
10月2日(金)に福岡にて、下記のセミナーが開催されます。お近くの方はぜひお越しください。(詳細はこちら
時間学アフタヌーンセミナー「こころは過去で出来ている 現代時間論から見る心の哲学」
2015年10月2日(金)14:00 〜 16:00(開場 13:30) アクロス福岡 円形ホール
平井靖史 先生(福岡大学 人文学部文化学科・教授)
筒井康隆氏の日録エッセイに私の名前が出ていたのですが、私が文章を書くようになったのは――二十数年前――氏の影響が大であり、光栄で、感慨深いです。

2015.5.30.
6月6日(土)・7日(日)に山口大学・吉田キャンパスにて、日本時間学会第7回大会が開催されます。初日には公開シンポジウム「宇宙と人間と時間」も行なわれます(予約不要・無料)。詳細はこちらをご覧ください。

2015.2.7.
淡路夢舞台国際会議場にて開催された、新学術領域研究「こころの時間学」領域会議に参加しました。三日間にわたり、世界先端の科学研究発表をいくつも聞くことができ、感銘を受けました(計画班・公募班あわせて80名が参加)。
私は初日に公募班として「自由と時間分岐」との題目で発表し、二日目には連携研究企画「哲学と神経科学の対話」(司会:池谷裕二先生)にて、飯田隆先生、信原幸弘先生に続いて登壇し、「今が今だとなぜ分かるのか」との題目で発表をしました。

2015.1.10.
ながらく品切れであった名著『物と心』が文庫化されました(大森荘蔵著、ちくま学芸文庫)。私は解説を寄稿しましたが、そのこととは独立に、多くの方に同書をおすすめします。

昨年は、次の二冊の草稿をひと通り書き終えたので、今年はそれらを本として出版できればと思っています。
『分岐する時間 ―自由意志の哲学』(仮題)
『幸福とは何か』(仮題)

2014.11.7.
来週、山口大学にて下記のシンポジウムがあります。近郊の方はぜひお越しください。(詳細はこちら
時間学国際シンポジウム「過眠症の病態生理−動物モデルから臨床への応用−」
2014年11月13日(木)10時30分〜12時00分
西野精治先生(スタンフォード大学精神科教授)
9月と10月には、東京と京都でそれぞれ開かれた『哲学入門』(戸田山和久著)合評会に参加し、自然史と言語生成に関する複数の意見を聞くことができました。(この問題についての過去の私見は『分析哲学講義』6章にあります)

2014.9.2.
高校生からの哲学雑誌『哲楽』にエッセイを寄稿しました。編集人の方のツイートを転載します。


2014.7.1.
日本哲学会大会のシンポジウムに登壇してきました(北海道大学)。シンポジウム中やそれ以後に、多くの見解が聞けて参考になりました(懐かしい方々にもお会いできました)。質疑応答の際に言及した、マクタガートについての過去の拙論はこちらです。また、司会者の一人であった入不二基義先生が下記のツイートをされています。
ところで、大会二日目の昼休み中に近所でニコ生の将棋中継があったので、少しだけ見学してきました。ニコ生といえば、先日の時間学特別セミナーでの水原啓暁先生の講義がニコ生スタイルで――ネット経由での質問がスライド画面を流れていく――、それをさばく話術に感心しました。

2014.6.19.
今月前半は、日本時間学会大会と新学術領域研究「こころの時間学」領域会議に参加し、さまざまな刺激を受けました。発表や雑談をお聞きするなかで、気づいたことを別ページに備忘的に記します(→マクタガートと心理的現在)。

2014.5.11.
応用哲学会の大会に参加してきました(関西大学ミューズキャンパス)。哲学上のさまざまな話が聞けて楽しかったです。大阪には久しぶりに行きましたが、今年度からはこちらの研究にて、定期的に大阪に行くことになりそうです。

2014.5.1.
6月7日(土)・8日(日)に福岡県みやま市にて、日本時間学会第6回大会が開催されます。初日には公開シンポジウム「体内時計の効果的な活用は可能か」も行なわれます(予約不要・無料)。詳細は学会ホームページをご覧ください。また、6月下旬には北海道大学にて日本哲学会第73回大会が開催されますが、私は大会シンポジウムに登壇させて頂く予定です(ポスター)。

2013.12.4.
下記の本にエッセイを寄稿しました。たいへん綺麗なデザインの本なので、エンデの好きな方にはとくにお薦めします。
(2015.5.30. 追記:大学の入試問題にてこちらのエッセイが使用されたとのことです)
『ミヒャエル・エンデが教えてくれたこと −時間・お金・ファンタジー−』
池内紀/著 小林エリカ/著 子安美知子/著 ほか,新潮社

2013.7.22.
今週金曜日、下記の国際シンポジウムがあります。私はコーディネーターを担当しています。詳細は研究所ホームページをご覧ください。
時間学国際シンポジウム 「幸福とは何か −心理・文化・時間−」
大石繁宏教授(ヴァージニア大学心理学部)
  「幸福研究の最前線 −文化・社会心理学的視点から−」
ミシェル・ドボアシュ准教授(岡山大学文学部)
  「サシャ・ギトリの戯曲と映画における幸福感」
 7月26日(金)15:00−18:00(開場14:00)
 ニューメディアプラザ山口・多目的シアター(山口市熊野町1-10)
 入場無料・予約不要(定員200名)
なお先月は、山口大学にて日本時間学会大会があり、同日には時間学公開学術シンポジウム「〈夜〉の文化史」も開催されました。

2013.4.9.
新学期になりました。前回更新後、時間学研究所での多くのイベントに参加したほか、YCAM(山口情報芸術センター)主催の次のイベントにも参加しました。
YCAM InterLab Camp vol.2 「TECHTILE」集中ワークショップ
・YCAMと慶應義塾大学との共同研究開発プロジェクト「TECHTILE」
・触覚を導入した「触感表現」を実際に体験できるワークショップ
私は2日目のパネルディスカッションにて、アリストテレス『心について(デ・アニマ)』と野矢茂樹『心と他者』を素材に、触覚についての話をしました。当日のディスカッション全体の様子が、こちらの記事にまとめられています。

2012.12.07.
前回の更新後、研究所のイベントがたくさんありましたが、明日は国際シンポジウムがあります(予約不要・入場無料)。詳細は研究所ホームページをご覧ください。
時間学国際シンポジウム「時間と脳」
―時間によって解き明かす知覚、そして意識―
講演:下條信輔 先生(カリフォルニア工科大学)
講演:James Heron 先生(ブラッドフォード大学)
 日時:平成24年12月8日 (土) 14:30-18:15 (開場14:00)
 場所: 山口大学 吉田キャンパス 大学会館
パネルディスカッションの際、私も少しだけ出ます。また研究所のイベントではありませんが、来週は下記のセミナーで「幸福・知識・時間」という講演をする予定です。詳細はこちらをご覧ください。
情報処理学会中国支部イブニングセミナー
「身近な最先端をあなたに−錯覚学・時間哲学と情報処理−」
 日時:平成24 年12 月13 日( 木) 16:00 〜 18:00(受付開始15:40)
   場所:広島市・まちづくり市民交流プラザ・研修室B(広島市中区袋町6番36号)
 対象:一般市民、学生(大学生・高校生)、参加費:無料

2012.10.25.
人文科学研究所哲学ワークショップ「ウィトゲンシュタインの哲学をめぐって」に参加しました(10月20日、日本大学)。いろいろな論点を再確認することができました。発表内容への賛否と独立に一つ気になったことがあるのですが(邦語での哲学研究における他の邦語文献の扱いに関して)、それについてはいずれ。

翌日の21日には、岡ノ谷一夫先生主催の「岡ノ谷情動プロジェクト成果発表会」に参加しました(東京国際フォーラム)。講演内容も面白かったですが、さらに、脳波音楽演奏とクラリネットとの合奏があり、とても良かったです(フランク・ザッパに聴かせたかった!)。

昨日24日には山口大学での「哲学」の授業内にて、時間学研究所客員教授である橋元淳一郎先生にご講演いただきました(時間学研究所セミナーの一環として)。橋元先生の著作には学生のころから親しんでおり、今回も講演のあとでいろいろなお話を伺うことができました。

2012.6.18.
6月9日〜10日、立教大学(池袋)で開催された日本時間学会大会に参加してきました。シンポジウム「映像・映画・身体と、時間」では、コーディネーター兼司会を務めました。さまざまな話が聴けて良かったです。
一昨日は山口市にて、将棋の羽生善治二冠の講演会を聴いてきました。名人戦での惜敗の直後でしたが、すでに過去のこととして切り替えられている印象を受けました(講演をすること自体が、切り替えに寄与しているようにも見えました)。

2012.2.3.
今月6日にちくま新書から『分析哲学講義』が刊行されます。目次や内容紹介などを、こちらのページにまとめておきます。
"分析哲学講義"のページ

半年間もこのブログを更新していませんでしたが、所属先の時間学研究所では、各種セミナーから餅つき!まで、いろいろありました。

2011.8.4
7月31日、東京大学本郷・山上会館にて、『〈私〉の哲学 を哲学する』(永井均・入不二基義・上野修・青山拓央著、講談社)合評会に参加してきました。全著者のほか、多くの方が来られていました。節電のための暑さで私はボンヤリしていましたが、客観的にはいろいろ応答していたようです。そのなかで、哲学的な「揺れ」あるいは「引き裂かれ」についても述べたのですが、大森荘蔵さんに関してそれを論じた拙文がネットに出ていたのでリンクしておきます(リンク先PDFの末部に掲載)。
「野矢茂樹著『大森荘蔵―哲学の見本』書評」, 『科学哲学』, 41-2号, 日本科学哲学会, pp. 129-134, 2008. 12.
 
2011.6.30
拙著『分析哲学講義』(仮題)の草稿を書き終えました。新書サイズで二五〇頁ほどです。いま数人の方に見て頂いており、ご意見をもとに推敲しています。現時点での章立てとともに、文献紹介リストを〈こちら〉に載せておきます。

2011.5.19
情報処理学会『情報処理』6月号の特集「時間とコンピュータ」に、エッセイを寄稿しました。タイトルは「時間分岐/人生の棋譜化」で、名人戦中の羽生名人と並んでエッセイを載せて頂き光栄です。本特集に将棋関連のエッセイが混じっているのは、昨年、情報処理学会創立50周年記念イベントとして、女性プロ棋士対コンピュータ将棋ソフトの対局があったからでしょう(速報記事)。
男性プロ棋士対ソフトの対局はしばらく行なわれていませんが、また行なわれることを期待しています。棋士の選出は難しいですが、個人的には、世界一将棋の強い哲学徒である糸谷哲郎五段(大阪大学)を推薦します。

2011.5.18.
6月11日(土)・12日(日)に山口大学にて、日本時間学会第3回大会が開催されます。初日には、下記のシンポジウムと特別講演もあります(予約不要・無料)。詳細は学会ホームページをご覧ください。
時間学公開学術シンポジウム 6月11日(土)1:30PMより
「時間体験の基礎―心理学,哲学,生物学からのアプローチ」
・「時間の体験についての実験心理学による解明」 一川 誠 (千葉大学文学部准教授・実験心理学)
・「時間の非対称性と価値や幸福の問題」 柏端 達也(千葉大学文学部准教授・哲学)
・「ゾウの時間、ネズミの時間から、ハエの時間まで」 粂 和彦(熊本大学発生医学研究所准教授・時間生物学)

特別講演 6月11日(土)4:30PMより
・「非線形科学と時間」 蔵本 由紀 (京都大学名誉教授)

2011.4.28.
いま書いている本のなかから、本筋に関わらない与太話を引用します。下記の両者が本当に似ているかを、争うつもりはもちろんありません。
 『名指しと必然性』は講演録を手直しして出版したものですが、もとになった講演は、一九七〇年にアメリカで行なわれています。一九七〇年という年はなかなか象徴的で、そこには多くの文化的転回点がありますが、たとえば私は個人的に、分析哲学史における『名指しと必然性』をジャズ史における『ビッチェズ・ブリュー』(一九七〇)というアルバムと重ねて見ています。ジャズ・ファンにはこの比喩だけで、かなりのニュアンスが瞬時に伝わるでしょう。あるスタイルが円熟し、技巧化の果ての閉塞が見えたとき、ある種の開き直りと混沌を含んだ、新たなスタイルが提出される。そのことによって全体の景色が変わる。両作品にはそうした側面があります。ついでに言えば、ばらばらの情報が同時並行で流れていく点も似ています。

 『名指しと必然性』における転回は、論理実証主義とその前史・後史に顕著な、形而上学への強い疑念をあっさり無視している点と、同時に、やはり強い疑念の対象であった様相概念(「可能」「必然」などの諸概念)を全面的に用いている点に現れています。そこには、なぜそうすべきかについての明確な論証があるわけではなく、新しいスタイルのもとでの見事な「演奏」があるだけですが、その演奏に魅せられた人々は新たなスタイルを徐々に取り入れていきました。

2011.4.27.
友人が、web上で読める哲学雑誌を創刊しました。ご覧の通りの力作です。案内文を転載しておきます。
高校生からの哲学雑誌『哲楽』創刊号、日英で公開しました。サンデル教授、チョムスキー博士のインタビュー記事に、日本の若手哲学徒・研究者による珠玉のエッセイが続きます。web版->http://philosophy-zoo.com/tetsugaku-magazine epub版->http://philosophy-zoo.com/tetsugaku-magazine/kiyak...

2011.4.14.
一年ほど前に書いたエッセイ(幸せで、それを知っているなら「群像」2010年3月号)が、某大学の入試問題に使われたそうです。読み返してみるに、ある真実をとらえていると思いますが、その正しさゆえに今現在これを書くことはできないでしょう。

2011.4.6.
『新版 タイムトラベルの哲学』(ちくま文庫)について、amazonでこちらのレビューを書いて頂いたのですが、残念ながら内容は誤解の多いものでした。これ自体はよくあることですが、こうしたレビューを見て哲学一般への誤解(哲学は科学と無縁である)をも深めてしまう方が居るようなので、レビューの中心を占める時間対称性の問題について、簡単にコメントをしておきます。

結論から言えば、エントロピーに言及しても物理法則の時間対称性は維持され、時間の向きの問題は解消しません。拙著215頁で挙げられているヒュー・プライスの著作や、渡辺慧『時間の歴史』に、その理由が詳しく述べられています(後者には数式による証明もあります)。上記二冊が手に入らなければ、ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』も参考になります。

重要なのは、物理法則が時間非対称であることと、初期状態が低エントロピーであることの区別で、マクロな経験におけるエントロピー増大は後者のみで(時間対称的な法則のもとで)説明可能です。しかしこの場合、なぜその初期状態が「初期」状態なのか――その状態が存在する時間を、なぜ未来ではなく過去と見なすのか――をエントロピーで説明することはできません。つまり、エントロピーによって時間の向きは定まりません。

拙著では、以上のことを前提として時間の向きの議論をしていますが、上記の解説は省略しています。拙著での議論に直接必要がなく、また、この種の解説にはきりがないためです。しかし、こうした省略によって、拙著ひいては哲学書全般が、科学の無視に基づいている――ましてや非論理的である――と誤解されるとすれば残念なことです。なお拙著の文庫版補章では、相対論的タイムトラベルについても論じています。

関連
物理学者による相対論的タイムトラベルの本では、『時間旅行者のための基礎知識』草思社(→amazon)がとくに良書です。こちらを読んでから拙著を読まれると、多くの誤解が避けられます。

2011.2.2.
『科学哲学』43−2号に拙論が掲載されました。ネット上でも近日中に、こちらのページで公開されるようです。
「アキレスと亀:なぜ追いつく必要がないのか ―野矢・青山・植村論文の検討―」, 青山拓央, 『科学哲学』, 43-2号, 日本科学哲学会
この論文は草稿を書いてから、たぶん4〜5年が経っています。書きあげたあと満足して、しばらく存在を忘れていました。

また、筑摩書房の月刊誌「ちくま」に、拙著の紹介エッセイを書きました。こちらのページでも読むことができます。

2011.1.3.
今月8日にちくま文庫から『新版 タイムトラベルの哲学』が刊行されます。文章を全体に手直ししたほか、『思想』誌(岩波書店)掲載の論文を補章として収録しました。文庫版まえがきの一部をこちらに引用しておきます。
"タイムトラベルの哲学"のページ

昨年末のおもな活動は、時間学国際シンポジウムの運営、分析哲学の新書執筆、自宅引越、風邪反復などです。

2010.10.10.
共著『〈私〉の哲学を哲学する』(永井均・入不二基義・上野修・青山拓央著、講談社)が刊行されました。変わった構成の本ですが、哲学の本としてこの構成は有効であったと思います。また現在、『タイムトラベルの哲学』文庫版の校正作業中です。ちくま文庫より来年1月の刊行予定で、単行本版(講談社)に大幅な加筆・増補がなされています。

講談社の紹介ページ
入不二さんのwiki(大きな書影あり)
目次
序章 永井均 問題の基本構造の解説
第I部 入不二基義セクション
 0 語句解説「内包」
 1 〈私〉とクオリア ―マイナス内包・無内包・もう一つのゾンビ―
 2 永井均との討論
第II部 上野修セクション
 0 語句解説「真理条件」「大文字の他者」
 1 現実指標としての〈私〉 ─永井均『私・今・そして神』を中心に─
 2 永井均との討論
第III部 青山拓央セクション
 0 語句解説「様相」「指標」
 1 様相と指標の累進 ─永井均著『なぜ意識は実在しないのか』検討─
 2 永井均との討論
   全セクションについてのフロア討論
第IV部 あとから考えたこと
 1 永井均 聖家族 ―ゾンビ一家の神学的構成
 2 入不二基義 無内包の現実
 3 上野修 存在の耐えられない軽さ ―ラカン、デイヴィッドソン、永井均
 4 青山拓央 命題と《現実》
あとがき 上野修

2010.5.28.
6月5日(土)・6日(日)に山口大学にて、日本時間学会第2回大会が開催されます。私は5日のシンポジウム「死と時間」にてコーディネーターを務めます。同シンポジウムの内容は下記のとおり。詳細は学会ホームページをご覧ください。
講演者:
井上愼一(山口大学時間学研究所元所長・時間生物学)
 ・「死」の生物学
中筋由紀子(愛知教育大学教育学部准教授・社会学)
 ・記憶と親密圏
鈴木生郎(慶応義塾先導研究センター研究員・哲学)
 ・死と時間の形而上学
日時:2010年6月5日(土)14:00〜17:30
場所:山口大学人文学部大講義室(予約不要・無料)

2010.3.30.
先月から今月にかけて、四回の時間学セミナーに参加。私もトラルファマドール(Ⓒカート・ヴォネガット)的な発表をしました。
その他には、YCAMでの展示に関する池上高志さんの講演(於山口大学)や、田島正樹さんの新著『神学・政治論』の合評会(於東京学士会館)に参加。『神学・政治論』はこの著者にしか書けない良書で、形而上学的にはやや無理筋な個所も、実存哲学の寓話として読むなら些細な瑕瑾と思われてきます。
2010.2.8.
『群像』3月号に随筆を寄稿しました。冒頭はこんな感じです。
幸せで、それを知っているなら
哲学者のトマス・ネーゲルはこんな話を書いている。聡明な大人の男性が頭に怪我をし、幼児のような精神状態になってしまった。しかし彼は満ち足りた「幼児」で、みんなに優しく世話をされながら、食べたいときに食べ、遊びたいときに遊んで暮らす。彼の心の中だけを見るなら、幸福感に包まれている。
それでも私たちはふつう彼を不幸だと思うだろう。それは、いったいなぜなのか。ネーゲルの答えはこうである。聡明な大人として生きられたはずの彼は、さまざまな幸福の可能性を奪われている。だからこそ彼は不幸なのである。現在の彼の認識のみでは、彼が幸せかどうかは決まらない。「幼児」としての現実が、どんな可能性を背景に成立しているかが重要となる。
私はこの話を読むと、英語で歌われた「幸せなら手をたたこう」を聴いたときのことを思い出す。この歌はもともと外国の歌で、英語詞は日本語詞と少しだけ違う。「幸せなら手をたたこう」ではなく、「幸せで、あなたがそのことを知っているなら、手をたたこう(If you're happy and you know it, clap your hands.)」という歌詞なのだ。
(つづく)

2010.1.6.
2009年の終盤は、学会のイベントに二つ参加しました。科学基礎論学会 秋の研究例会では、ワークショップ「死者の存在論をめぐって」にオーガナイザーとして参加(2009.10.24 慶應大学)。西日本哲学会大会では、60周年記念シンポジウム「黒田哲学の再評価」にシンポジストとして参加(2009.12.5 九州大学)。
後者はシンポジストなので発表論文(「行為と出来事は直交するか:黒田因果説の検討と展開」)を準備し、講演と討論を務めました。会場の自由な雰囲気のおかげか、聴衆と3名のシンポジストの間で噛み合った議論が成立し(学会では珍しい?)、収穫がありました。
その「収穫」を確認する意味で、『哲学の現場』(井上忠著)を読む予定です。

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