最終更新: avatar_course 2011年01月27日(木) 14:54:19履歴
アバターコースが、洗脳を行うカルトとして世界中で批判や争いが絶えないサイエントロジーをもとにして作られたプログラムであることを示すものはないか、探してまとめてみます。
アバターコースとサイエントロジーの関係 - Wikipedia
サイエントロジーの論争 - Wikipedia
アバターコースとサイエントロジーの関係 - Wikipedia
サイエントロジーの論争 - Wikipedia
某サイトに載っていた、サイエントロジー東京が、サイト運営者に送ったメールの一部がアバターについて触れられています。そこで「変えられてしまったものはもはやサイエントロジーでも何でもありません」とあり、アバターに批判的な人たちだけでなく、サイエントロジー側からも、アバターコースはサイエントロジーのプログラムを変えたものと考えられていることが分かります。
[サイエントロジーとアバターの関係について] アバターはサイエントロジーのスクウィレル(サイエントロジーを変えてしまうこと)として、サイエントロジーから正式に発行している抑圧的な人物やグループのリストに載っています。サイエントロジーは、100%L.ロンハバードの文献に沿って適用されたときに効果を発揮するもので、変えられてしまったものはもはやサイエントロジーでも何でもありません。サイエントロジーの問題については: サイエントロジーがカルトと言う批判についてのまとめ(Wikipedia)
1974年から、少なくとも1984年まで、ハリー・パルマーは、ニューヨーク州エルマイラで、公式にサイエントロジーのサイエントロジー・ミッションを運営していた。
1984年、パルマーとエルマイラ・ミッション社はサイエントロジー教会への一切の支払を中止したが、サイエントロジー教会に、商標不正使用の訴訟を起こされた。
1998年2月28日(パルマーが負けた訴訟の中で)、パルマーは、エルマイラ・ミッション社の名称を、当時のアメリカ合衆国連邦裁判所の命令に従い、1987年3月11日に、クリエイティブ・ラーニング・センターに変更していたことを述べた。
1984年、パルマーとエルマイラ・ミッション社はサイエントロジー教会への一切の支払を中止したが、サイエントロジー教会に、商標不正使用の訴訟を起こされた。
1998年2月28日(パルマーが負けた訴訟の中で)、パルマーは、エルマイラ・ミッション社の名称を、当時のアメリカ合衆国連邦裁判所の命令に従い、1987年3月11日に、クリエイティブ・ラーニング・センターに変更していたことを述べた。
原版のアバター教材は、今よりサイエントロジー用語を広範囲に使用していた。
ハリー・パルマーは、他のサイエントロジー会員にそれらを売り、"end of case"を得、サイエントロジー・ブリッジをすべてカバーしたと述べた。2008年現在、サイエントロジー用語の多くが、アバターコースでも使用され続けている、"ランダウン"、"アイデンティティ"、"ハンドリング"などがそれである。アバターコースは、サイエントロジーと同じ名前で、類似のコース"Integrity Course"や"プロフェッショナルコース"を提供している。
ハリー・パルマーは、他のサイエントロジー会員にそれらを売り、"end of case"を得、サイエントロジー・ブリッジをすべてカバーしたと述べた。2008年現在、サイエントロジー用語の多くが、アバターコースでも使用され続けている、"ランダウン"、"アイデンティティ"、"ハンドリング"などがそれである。アバターコースは、サイエントロジーと同じ名前で、類似のコース"Integrity Course"や"プロフェッショナルコース"を提供している。
パルマーは地球外の知識や、たまに起きる地球外の経験を話す。「25,000年前・・・銀河連合の始まりは」
ここでは、過去に書かれている記事を集めます。
ハリー・パルマーがサイエントロジーから裁判によって訴追されたのが、1986年にアバターコースを始める前なので、英語で古い記事が多くなります。
ハリー・パルマーがサイエントロジーから裁判によって訴追されたのが、1986年にアバターコースを始める前なので、英語で古い記事が多くなります。
- マギー・ホフマン=グリムが書いた手紙(英語) 2002年6月6日
- 1日目 - 信仰の年月、痛みと共に終了する(英語)
- 2日目 - 信心は友達を取り上げ、家族を取り上げ、恋人すら取り上げる(英語)
- 3日目 - 信者は高い授業料を支払った(英語)
- 4日目 - 帝国崩壊とともに、自らを救う者あり(英語)
- 5日目 - パルマー、多くの顔を持つ男(英語)
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