切込隊長

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この時期、いま一人の男が西村と関わりを持つようになった。その男は、自ら“切込隊長”を名乗っていた。このハンドルは学生時代野球部で一番バッターだったことに由来する。

古い記録をひも解くと切込隊長が西村と知り合ったのはこの年の9月のことである。二人はウマが合ったのだろうか、次第に昵懇になり、つるんで行動するようになった。西村は切込隊長の部屋に入り浸り、ビジネス論などについて夜を徹して語り合い、切込隊長が2ちゃんねるの広告料の請求などを手伝うほど極めて親密な仲であったという。

2001年2月、西村と切込隊長はインターネットラジオ局ラジ@の「うるサイゾー!2ちゃんねる 気分は上々」でパーソナリティーコンビを務めるようになり、この番組で二人はネットやら2ちゃんねるやらビジネスやらのあれこれについてだらだらと雑談をしていた。

いつしか、切込隊長は2ちゃんねるの有名固定ハンのひとりとなり、“ひろゆきの盟友”、“副管理人”とまで呼ばれるようになる。ちなみに、副管理人という役職は2ちゃんねるには実在しない。この頃の切込隊長は西村の将来性に期待してバックアップし、「メディアアーティスト」という新種のカタカナ肩書きを与えている。

この頃の切込隊長について、わたし(筆者)は当時こんな感想をもらしている。

  しかし、この切込隊長氏という人物もよく分からない人で、この人は
  「さすらいのアーケードゲーマー」という肩書きなのだが、いつの間
  にかひろゆき氏と昵懇になり天職「メディアアーティスト」の称号を
  彼に授け、2ちゃんねるの重鎮に収まっている。

そう、切込隊長とは、なんだか知らないうちに、ある日、気がついたら2ちゃんねるの最高幹部に収まっていた。そんな感じの存在だった。だが、今考えてみると2ちゃんねるの運営幹部といっても、この人は削除人ではなかったようだし、サーバの管理は夜勤氏だし、どうやら広告関係を扱っていたようだが、具体的になにをやっていたのかいま一つ判然としない運営幹部であった。

とにかく、この時期の切込隊長は2ちゃんねる各地に出没して非常に目立つ存在であり、多くの2ちゃんねらーたちから人望も集めていた(逆に嫌う人間は毛嫌いしていたようだ)。

この切込隊長について、2ちゃんねる内でいつしか経歴にまつわる伝説が流布されるようになった。曰く「学生時代にバブル崩壊で父親が負った10億円もの負債を株投資によって返済した」「20代にして100億円以上の資産を有する天才投資家」「シカゴ大学院卒業でIQ190以上の天才」などなど。

これらの伝説について切込隊長は特に否定はしなかった。そして、少し後のことになるが、新聞の取材記事や彼の著書のプロフィールなどで『勝ち組』としてこれら華麗な経歴が紹介され公認のものとなる。

とんでもない超大物である。とんでもない大金持ちである。

これほどの人物が2ちゃんねるのバックアップについた。
これほどの男が西村という人物を見込んだ。

2ちゃんねるは安泰だった。

安泰のはずだった・・・


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この作品は実話を元にしたフィクションであり、実在の人物、団体、インターネットサイトとは関係ありません。
ここに書かれている内容は、実際とは異なる場合がかなり多いでしょう。
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2008年03月22日(土) 05:50:38 Modified by battlewatcher




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