世界史 - ギリシア世界

エーゲ文明

クレタ文明(ミノア文明)

青銅器文明が成立
クノッソスなどの都市国家を建設
写実的で平和的な文明
線文字Aは未解読
この文明はエヴァンズが発掘

ミケーネ文明

アカイア人が建設した王国群の中でも、ペロポネソス半島ミケーネティリンス、小アジアのトロヤ/トロイなどが有力
線文字Bヴェントリスが解読に成功
おそらくドーリア人によって滅亡
この文明を発掘したのはシュリーマン




ギリシア人の移住とポリスの成立

ギリシア人の南下

アイオリス人イオニア人の南下とドーリア人の南下があり、後者はギリシアに鉄器をもたらした
移住によって獲得した土地はクレーロス(くじ)によって共同体の成員に割り当てられたが、その土地もクレーロスと呼ばれた

ポリスの成立

アクロポリスと呼ばれる高台の下にシノイキスモス(集住)し、ポリスと呼ばれる都市国家建設
ふもとにはアゴラと呼ばれる広場がある。
古い部族神オリンポス12神として統合され、
共通の守護神を崇拝するポリス間には隣保同盟(アンフィクチオニア)と呼ばれる宗教同盟が結成された。
デルフィ(デルフォイ)のアポロン神殿の神託は全ギリシア人に対して権威を持った
ゼウス神殿の祭典のときに4年に1度のオリンピア競技大会が行われた。
民族的には自らをヘレネス、異民族をバルバロイとして区別した。




ポリスの発展

植民活動

ネアポリス(ナポリ)・マッサリア(マルセイユ)・ビザンチオン(イスタンブール)などは独立した植民市
ギリシア軍隊の基本は武器自弁の市民兵で、戦時には重装歩兵(ホプリテス)
中小農民の中には没落して債務奴隷になるものもいた

アテネの発展

王政→貴族制→僭主制→民主制の区別が明確なポリスだった
任期1年のアルコン(執政官)が様々な権利を掌握した
ドラコンアテネ最初の成文法を成立
ソロン貴族と平民の調停者として財産政治(金権政治)を実施し、
負債を帳消しにして身体を抵当にした借金を禁止した
非合法手段で権力を掌握した支配者僭主となったペイシストラトスの時代は陶器産業などの手工業が発達
次いで民主的な改革を行ったクレイステネス陶片追放(オストラキスモス)の制度を始めたがすぐに廃止された

スパルタの発展

半自由民ペリオイコイ国有奴隷ヘロット(ヘイロタイ)に分かれていた
リュクルゴス制という厳格な軍国主義的体制を確立
鎖国政策を採用
農業面に力を注ぎ、商工業は軽視された




ペルシア戦争


アケメネス朝vsギリシア連合軍
イオニア地方ミレトスで起こったイオニア反乱をダレイオス1世の軍隊が鎮圧した際のいざこざがきっかけ
前490年マラトンの戦いではアテネのミルティアデスを中心とする重装歩兵がアケメネス朝を撃退
前480年にアケメネス朝のクセルクセス1世が第三回目の遠征
スパルタのレオニダス率いる連合軍がテルモピレーの戦いで全滅し、アケメネス朝軍はアテネに侵攻
アテネはテミストクレスが指揮する三段櫂船中心の海軍がサラミスの海戦でアケメネス朝軍撃破
アテネの指導者ペリクレスとアケメネス朝の間で和約が締結され、終結



アテネの繁栄


アテネを盟主にデロス同盟結成
戦争での勝利の原因のひとつがアテネ海軍の活躍であったため無産市民の発言力が増大
ペリクレスの時代に古代民主政が完成
政治上の最高機関は民会参政権は青年男子のみが持ち、婦人・奴隷・在留外国人にはなかった
財源はピレウス港(ペイライエウス港)やラウレイオン銀山からの収益




ポリス社会の変質

ペロポネソス戦争

アテネvsスパルタ
ペロポネソス同盟の盟主はスパルタ
ペリクレスらを疫病で失った頃から民主制は衆愚政治に陥り、
スパルタからの和平提案もデマゴゴス(煽動政治家)らの反対で実現しなかった。

ポリス社会の没落

レウクトラの戦いテーベエパミノンダスがスパルタを破りギリシアの覇権を握った
没落した市民は有力者の傭兵となって市民皆兵の原理は崩壊し、ポリスの機能は全く失われていった

マケドニアの台頭

ギリシアの北方でマケドニアが成立
フィリッポス2世のころ発展
デモステネスらはマケドニアに宣戦布告したがカイロネイアの戦いアテネ・テーベ連合軍は完敗した
戦後フィリッポス2世は全ギリシアの代表をコリントに集めヘラス同盟(コリント同盟)を結成
暗殺された彼の遺志は子のアレクサンドロスが受け継いだ





ギリシア文化


ゼウスを主神とするオリンポス12神が代表的な神々
ディオニソス/デュオニソスは葡萄と演劇の神

ホメロス-「イリアス」「オデッセイア」
ヘシオドス-「労働と日々」
女流詩人としてサッフォーらが出た

タレース万物の根源を水と考え
アナクシマンドロス万物の根源を無限定なものと考え
ヘラクレイトス万物は流転すると考え、火をその変化の象徴とした
彼らを特にイオニア学派と呼んだ。
また、ピタゴラス万物の根源を数と考え
デモクリトス万物の根源を原子(アトム)と考えた

アイスキュロスエウリピデス「オイデプス王」ソフォクレス三大悲劇詩人という。
代表的なソフィスト「人間は万物の尺度である」と説いたプロタゴラスがいる。
それらを痛烈に批判したソクラテス人間の最高の知恵は無知の知であると考え
より特殊的な事例からより一般的な法則を導き出すという帰納法を説き知徳合一を主張。

前期の荘重なドーリア式の代表的な建物はアテネのパルテノン神殿
中期は優雅なイオニア式、後期は繊細優美なコリント式

代表的な彫刻家は「アテネ女神像」「ゼウス像」などのフェイデアス/フィディアス

喜劇が発達、特にアリストファネス「女の平和」
歴史の父ヘロドトスペルシア戦争を主題に「歴史」を著し
アテネのトゥキディデスペロポネソス戦争を主題に「歴史(戦史)」を著した

プラトンは経験的認識を超えたイデアを主張し、学校と研究所を兼ねたアカデミアを設立
その弟子アリストテレス万学の祖で、後のイスラム哲学や中世ヨーロッパのスコラ学に大きな影響を与えた

ヒポクラテス医学の父と呼ばれた