施設



■ウェストミンスター宮殿

ウェストミンスター宮殿のおかれているテムズ川河畔は中世ととして戦略上の要衝であった。すくなくともアングロ・サクソンの時代には既にこの地に何らかの建物が建設されていた。ソーニー・アイランドとして知られるイングランド中世にはカヌート王によって初めて宮殿として用いられるようになり、サクソン王朝の最後から2代前の王エドワード懺悔王はシティ・オブ・ロンドンの西、ソーニー・アイランドに宮殿とウェストミンスター寺院を建設した。時代が下るとこの周辺の地区はウェストミンスター(Westminster) と呼称されるようになった。これは西方の修道院 (West Monastery) の省略形であると考えられている。1066年のノルマン・コンクエスト時にはウィリアム1世は一時ロンドン塔を自身の住居として定めたが、後にウェストミンスターへと移っている。これらサクソンやウィリアム1世により使用された建築物は現在残っていない。宮殿における最古の部分は次代のウィリアム2世により建造されたものである。


中世後期をとおしてウェストミンスター宮殿は王の住居であり続けた。イングランド政府が成立すると、公共施設の多くはウェストミンスター周辺に建設されている。議会の前身であるクリア・レギス(Curia Regis, 枢密院)はウェストミンスター・ホールに設けられた。1295年に設立された初めてのイングランド議会である模範議会も宮殿内で開催されている。このようにほぼ全ての議会は王の居住する宮殿内で開催されたが、何らかの理由により他の場所に設けられたことが数例ある。

1529年の大火が発生するまでウェストミンスターは王の宮殿として機能していた。1530年にヘンリー8世はヨーク宮殿をトマス・ウルジー枢機卿から手に入れ、ホワイトホール宮殿と改名して自身の宮殿として使用した。公にはウェストミンスター宮殿が住居であったが、実際には二つの議会および裁判所として利用されていた。本来宮殿であったウエストミンスター宮殿には議会としての利用に適した部屋が存在しなかった。議会の開会式など重要な国事行事はPainted Chamberで執り行われた。貴族院はホワイト・チャンバーで、庶民院については固定した開催場所が存在せず、時にはウェストミンスター寺院のチャプター・ハウスで開催されている。その後宮殿内の聖ステファン教会が議場とされたがこれはエドワード6世統治下のみ似終わった。

■ウェストミンスター教会

ウェストミンスター教会 (Westminster Abbey) は、イギリスのロンドンウエストミンスターにあるイギリス国教会の教会。聖ペテロ修道教会。戴冠式などの王室行事が執り行われ、内部の壁と床には歴代の王や女王、政治家などが多数埋葬されている。墓地としては既に満杯状態で、新たに埋葬するスペースはもはやなくなっている。国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)が隣接している。

イギリス中世の大規模なゴシック建築である。11世紀にエドワード懺悔王が建設し、1066年以降、英国国王の戴冠式が行われている。1245年、ヘンリー3世が再建を決め、フランスの建築家を招き、フランスのゴシック建築にならって現在の寺院を建て始めた。14世紀末までにおおよそ完成するが、正面部分は16世紀初め、塔は17世紀、と長期間にわたって建設されている。

■ロンドン塔

ロンドン塔(Tower of London)はイギリスの首都ロンドンを流れるテムズ川の岸辺、イースト・エンドに築かれた中世の城塞である。正式には「女王陛下の宮殿にして要塞」と呼ばれるように現在も儀礼的な武器などの保管庫、礼拝所などとして使用されている。またその景観からホワイト・タワーとも呼ばれる。

◎ロンドン塔で処刑された人々
ロンドン塔は監獄でもあったから、ここで処刑もしばしば行われた。以下はそのうち歴史に名を残す著名な人々のリストである。
  • 1305年 ウィリアム・ウォレス スコットランド独立の英雄だが、最後はイングランド軍に捕まりロンドン塔で車裂きの刑にされた。
  • 1471年 ヘンリー6世 ランカスター朝最後の王。薔薇戦争でヨーク朝のエドワード4世に捕らえられ、処刑される。
  • 1483年 エドワード4世のふたりの王子。エドワード5世とヨーク公リチャードは父の死後ロンドン塔に連れ込まれたまま行方不明となった。王位を簒奪したリチャード3世が殺害したとされる。1624年にふたりの子供の骸骨が発見されている。
  • 1535年 トマス・モア ヘンリー8世に反抗して処刑された。
  • 1536年 アン・ブーリン ヘンリー8世の2番目の妻で姦通罪により城内のベル・タワーの下で処刑された。このあたりには今でもアン・ブーリンの亡霊が出ると噂される。
  • 1542年 キャサリン・ハワード ヘンリー8世の5番目の妻だが、やはり不貞の罪で処刑された。
  • 1554年 ジェーン・グレイ ヘンリー8世の死後、有力貴族の思惑でイングランド女王に擁立されたが、対立したメアリー1世により処刑された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2007年02月10日(土) 21:22:12 Modified by boreas_england

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