作曲家・多田武彦〔通称・タダタケ〕のデータベース。

男声合唱組曲「みどりの水母」(作詩:大手拓次)

みどりの水母ミドリノクラゲ指示速度調性拍子備考
1睫毛のなかの微風マツゲノナカノソヨカゼやや早く、さわやかに4分音符=約96ト長調4/4
2夕暮の会話ユウグレノカイワ遅く、しみじみと4分音符=約52ト短調4/4
3アキ中庸の速さで、もの悲しく4分音符=約78ト短調3/4Solo
4雪のある国へ帰るお前はユキノアルクニヘカルオマエハ早く、思いをこめて4分音符=約114ニ短調2/4
5みどりの水母ミドリノクラゲ遅く、重々しく4分音符=約54ハ短調2/4

作品データ

作品番号:T34:M30n
作曲年月日:1976年2月15日
京都大学グリークラブより第10回記念定期演奏会のために委嘱

初演データ

初演団体:京都大学グリークラブ
初演指揮者:志水雅一
初演年月日:1976年12月6日
京都大学グリークラブ第10回定期演奏会(於大谷ホール)

作品について

多田作品の中で大手拓次をテクストとして用いた唯一の組曲である。多田武彦はこの組曲について「志水雅一君が,もし私に熱心に作曲を頼まなかったら,この組曲は出来ていなかっただろう」「それほどまでに私には創作意欲がなく,元気もなかった」としている。その心情を反映してか作風は「優しき歌」や「ソネット集」に通ずる西洋的感傷に憂鬱さが増したものとなっている。特に終曲の狂おしいほどのセンチメンタルなメロディーや最後の和声進行などは従来の多田作品には見られないものである。
2曲目『夕暮れの会話』では他作品ではあまり見られない“こぶし”をハミングに配する事で、風のながれを表現していると考えられる。
初演以来ほとんど演奏されていなかったが、初演後30年以上経ってから改訂版が作られた。
詩の出典
「みどりの水母」……不明
上記以外……『藍色の蟇』(アルス、1936年)

歌詩

睫毛のなかの微風
そよかぜよ、
こゑをしのんでくる そよかぜよ、
ひそかのささやきにも似た にほひをうつす そよかぜよ、
とほく 旅路のおもひをかよはせる そよかぜよ、
しろい 子鳩の羽のなかにひそむ そよかぜよ、
まつ毛のなかに 思ひでの日をかたる そよかぜよ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ひかりの風よ、
そよかぜは
胸のなかにひらく 今日の花 昨日の花 明日の花。

夕暮の会話
おまへは とほくから わたしにはなしかける、
この うすあかりに、
この そよともしない風のながれの淵に。
こひびとよ、
おまへは ゆめのやうに わたしにはなしかける、
しなだれた花のつぼみのやうに
にほひのふかい ほのかなことばを、
ながれぼしのやうに きらめくことばを。
こひびとよ、
おまへは いつも ゆれながら、
ゆふぐれのうすあかりに
わたしとともに ささめきかはす。


ものはものを呼んでよろこび、
さみしい秋の黄色い葉はひろい大様な胸にねむる。
風もあるし、旅人もあるし、
しづんでゆく若い心はほのかな化粧づかれに遠い国をおもふ。
ちひさな傷のあるわたしの手は
よろけながらに白い狼をおひかける。
ああ 秋よ、
秋はつめたい霧の火をまきちらす

雪のある国へ帰るお前は
風のやうにおまへはわたしをとほりすぎた。
枝にからまる風のやうに、
葉のなかに真夜中をねむる風のやうに、
みしらぬおまへがわたしの心のなかを風のやうにとほりすぎた。
四月だといふのにまだ雪の深い北国へかへるおまへは、
どんなにさむざむとしたよそほひをしてゆくだらう。
みしらぬお前がいつとはなしにわたしの心のうへにちらした花びらは、
きえるかもしれない、きえるかもしれない。
けれども、おまへのいたいけな心づくしは、
とほい鐘のねのやうにいつまでもわたしをなぐさめてくれるだらう。

みどりの水母
まどかけのうへをすぎてゆく霊のあしおと、
それをはやくよびとめてください。
おまへはさびしいわたしの胸にうかびあがるみどりの水母である。
おまへはわたしの胸のなかをゆききするやはらかい駒鳥の羽である。
その、花粉のやうにひろまつてゆく足おとをよびとめてください。
わたしの眼はしろい蛋白石のやうにひえてゐる。

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このページへのコメント

多田武彦はこの組曲について「志水雅一­君が,もし私に熱心に作曲を頼まなかったら,この組曲は出来ていなかっただろう」「」­それほどまでに私には創作意欲がなく,元気もなかった」としている。

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Posted by nanasi 2013年12月17日(火) 22:51:02 返信

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