最終更新: chorus_mania 2020年07月02日(木) 14:37:52履歴
みどりの水母 | ミドリノクラゲ | 指示 | 速度 | 調性 | 拍子 | 備考 | |
1 | 睫毛のなかの微風 | マツゲノナカノソヨカゼ | やや早く、さわやかに | 4分音符=約96 | ト長調 | 4/4 | |
2 | 夕暮の会話 | ユウグレノカイワ | 遅く、しみじみと | 4分音符=約52 | ト短調 | 4/4 | |
3 | 秋 | アキ | 中庸の速さで、もの悲しく | 4分音符=約78 | ト短調 | 3/4 | Solo |
4 | 雪のある国へ帰るお前は | ユキノアルクニヘカルオマエハ | 早く、思いをこめて | 4分音符=約114 | ニ短調 | 2/4 | |
5 | みどりの水母 | ミドリノクラゲ | 遅く、重々しく | 4分音符=約54 | ハ短調 | 2/4 |
多田作品の中で大手拓次をテクストとして用いた唯一の組曲である。多田武彦はこの組曲について「志水雅一君が,もし私に熱心に作曲を頼まなかったら,この組曲は出来ていなかっただろう」「それほどまでに私には創作意欲がなく,元気もなかった」としている。その心情を反映してか作風は「優しき歌」や「ソネット集」に通ずる西洋的感傷に憂鬱さが増したものとなっている。特に終曲の狂おしいほどのセンチメンタルなメロディーや最後の和声進行などは従来の多田作品には見られないものである。
2曲目『夕暮れの会話』では他作品ではあまり見られない“こぶし”をハミングに配する事で、風のながれを表現していると考えられる。
初演以来ほとんど演奏されていなかったが、初演後30年以上経ってから改訂版が作られた。
2曲目『夕暮れの会話』では他作品ではあまり見られない“こぶし”をハミングに配する事で、風のながれを表現していると考えられる。
初演以来ほとんど演奏されていなかったが、初演後30年以上経ってから改訂版が作られた。
睫毛のなかの微風
そよかぜよ、
こゑをしのんでくる そよかぜよ、
ひそかのささやきにも似た にほひをうつす そよかぜよ、
とほく 旅路のおもひをかよはせる そよかぜよ、
しろい 子鳩の羽のなかにひそむ そよかぜよ、
まつ毛のなかに 思ひでの日をかたる そよかぜよ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ひかりの風よ、
そよかぜは
胸のなかにひらく 今日の花 昨日の花 明日の花。
夕暮の会話
おまへは とほくから わたしにはなしかける、
この うすあかりに、
この そよともしない風のながれの淵に。
こひびとよ、
おまへは ゆめのやうに わたしにはなしかける、
しなだれた花のつぼみのやうに
にほひのふかい ほのかなことばを、
ながれぼしのやうに きらめくことばを。
こひびとよ、
おまへは いつも ゆれながら、
ゆふぐれのうすあかりに
わたしとともに ささめきかはす。
秋
ものはものを呼んでよろこび、
さみしい秋の黄色い葉はひろい大様な胸にねむる。
風もあるし、旅人もあるし、
しづんでゆく若い心はほのかな化粧づかれに遠い国をおもふ。
ちひさな傷のあるわたしの手は
よろけながらに白い狼をおひかける。
ああ 秋よ、
秋はつめたい霧の火をまきちらす
雪のある国へ帰るお前は
風のやうにおまへはわたしをとほりすぎた。
枝にからまる風のやうに、
葉のなかに真夜中をねむる風のやうに、
みしらぬおまへがわたしの心のなかを風のやうにとほりすぎた。
四月だといふのにまだ雪の深い北国へかへるおまへは、
どんなにさむざむとしたよそほひをしてゆくだらう。
みしらぬお前がいつとはなしにわたしの心のうへにちらした花びらは、
きえるかもしれない、きえるかもしれない。
けれども、おまへのいたいけな心づくしは、
とほい鐘のねのやうにいつまでもわたしをなぐさめてくれるだらう。
みどりの水母
まどかけのうへをすぎてゆく霊のあしおと、
それをはやくよびとめてください。
おまへはさびしいわたしの胸にうかびあがるみどりの水母である。
おまへはわたしの胸のなかをゆききするやはらかい駒鳥の羽である。
その、花粉のやうにひろまつてゆく足おとをよびとめてください。
わたしの眼はしろい蛋白石のやうにひえてゐる。
そよかぜよ、
こゑをしのんでくる そよかぜよ、
ひそかのささやきにも似た にほひをうつす そよかぜよ、
とほく 旅路のおもひをかよはせる そよかぜよ、
しろい 子鳩の羽のなかにひそむ そよかぜよ、
まつ毛のなかに 思ひでの日をかたる そよかぜよ、
そよかぜよ、そよかぜよ、ひかりの風よ、
そよかぜは
胸のなかにひらく 今日の花 昨日の花 明日の花。
夕暮の会話
おまへは とほくから わたしにはなしかける、
この うすあかりに、
この そよともしない風のながれの淵に。
こひびとよ、
おまへは ゆめのやうに わたしにはなしかける、
しなだれた花のつぼみのやうに
にほひのふかい ほのかなことばを、
ながれぼしのやうに きらめくことばを。
こひびとよ、
おまへは いつも ゆれながら、
ゆふぐれのうすあかりに
わたしとともに ささめきかはす。
秋
ものはものを呼んでよろこび、
さみしい秋の黄色い葉はひろい大様な胸にねむる。
風もあるし、旅人もあるし、
しづんでゆく若い心はほのかな化粧づかれに遠い国をおもふ。
ちひさな傷のあるわたしの手は
よろけながらに白い狼をおひかける。
ああ 秋よ、
秋はつめたい霧の火をまきちらす
雪のある国へ帰るお前は
風のやうにおまへはわたしをとほりすぎた。
枝にからまる風のやうに、
葉のなかに真夜中をねむる風のやうに、
みしらぬおまへがわたしの心のなかを風のやうにとほりすぎた。
四月だといふのにまだ雪の深い北国へかへるおまへは、
どんなにさむざむとしたよそほひをしてゆくだらう。
みしらぬお前がいつとはなしにわたしの心のうへにちらした花びらは、
きえるかもしれない、きえるかもしれない。
けれども、おまへのいたいけな心づくしは、
とほい鐘のねのやうにいつまでもわたしをなぐさめてくれるだらう。
みどりの水母
まどかけのうへをすぎてゆく霊のあしおと、
それをはやくよびとめてください。
おまへはさびしいわたしの胸にうかびあがるみどりの水母である。
おまへはわたしの胸のなかをゆききするやはらかい駒鳥の羽である。
その、花粉のやうにひろまつてゆく足おとをよびとめてください。
わたしの眼はしろい蛋白石のやうにひえてゐる。
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多田武彦はこの組曲について「志水雅一­君が,もし私に熱心に作曲を頼まなかったら,この組曲は出来ていなかっただろう」「」­それほどまでに私には創作意欲がなく,元気もなかった」としている。