数年の休筆の後に初めて書いた作品。休筆直前は混声合唱組曲「京都」など技巧的で難解な作品が多くなっていたことへの反省から、この作品は原点回帰の意味も籠めて平易で分かりやすいものをと意識して書かれている。全曲が単曲として取り上げられる完成度を持っていながら、難易度はそれほど高くなく、聴き易く親しみやすい。特に終曲の『雨』は多田の代表作の1つとして愛唱されている。また多田自身この作品を書いた際「第2曲『武蔵野の雨』を作曲し始めてから、芸術の神ミューズが宿った」とライナーノートに記したり、あちこちで「終曲『雨』は私自身の鎮魂歌である」といった旨の記述をしたりなどから、多田にとって特別な作品であると考えられる。
のちに『十一月にふる雨』を差し替えた
改訂版が作られる。差し替え理由は、この詩に差別用語といわれる単語が含まれることによるといわれている。ただ『十一月にふる雨』を高く評価する合唱団が多いことや、差し替え後に挿入された『雨 雨』が他の楽章に比べて突出して難易度が高いことなどの理由から、現在でも『十一月にふる雨』を含めた6曲編成で演奏されたり、第4楽章にあたる曲をカットした5曲編成で演奏されることが少なくない。
なお、作曲者は現在『十一月にふる雨』に対して「なかったものとして扱ってほしい」と明言しており、この曲の演奏について問い合わせを受けたら許諾しない旨の返答をしているとのこと(
実例:「中也の四季:合唱道楽 歌い人」コメント欄)。