男声合唱組曲「玄冬素雪」誕生記
私事ながら、1947年旧制大阪高校に入学した頃「将来は映画監督になってミュージカル映画を作りたい」と考え、和声学と楽式論を独学で始めた。1950年京都大学に進むと、音楽の友人を求めて京大男声合唱団に入り、秋には先輩の指示で指揮者を仰せ付かった。男声合唱組曲「月光とピエロ」を歌った緑で、作曲家清水脩先生(故人)に作曲全般の重要留意事項について、ご懇篤な薫陶を受けた。
1953年の卒業を前に、極度の不況の為、両親は長男の私が就職浪人になることを恐れ、私に映画監督志向を断念させ、片っ端から就職試験を受けさせた処、銀行に入ることとなった。そこで清水先生を訪ね、今までのご教導の御礼言上傍々、音楽を断念する旨を申し上げた処「日曜作家として一年一作の男声合唱組曲を書けば」と諭された。
その時から今年で60年、現在82歳の私は、数年前から体調不良で、主治医からは「長距離移動、長時間の指揮や講演、長時間の観劇」を禁じられているが、自室に籠っての作曲と資料作成は許された。「いよいよ余命幾許もないか」と考え「今の内に作品を書き残しておこう」と5年ほど前から25ほどの男声合唱組曲を作曲してきた。
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その途上、近年急速にその演奏能力と名声を喧伝されてきたOSAKA MEN'S CHORUS(以下OMCという)との出会いがあった。常任指揮者の一人・安井直人先生(大阪府立淀川工科高等学校教諭・国文学担当)は、御尊父ともども大の北原白秋フアンで詩や語彙の解釈等に多大のご助力を賜ったことから、組曲「東京景物詩・第二」の初演(2010年)をOMCにお願いすることとした。
同じ詩集の中でも白秋先生が、実に冷静に客観的に、当時急変貌を遂げる東京の風物や人間模様を描かれた詩を選び作曲した。OMCの「乱れの無い軟口蓋共鳴の発声」と西欧人が幼児の頃から励行している「周囲の人の歌声に聞き耳を立てながら歌うこと」によって習得した「精微なアンサンブル」を軸に名初演を果たし、多大の称賛を得た。
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2011年、再びOMCから、創立50周年記念演奏会の為の新曲の委嘱があった。前述の私の構想の中に「北原白秋先生の雪の詩を水墨画のような男声合唱組曲に仕立ててみたい」との思いがあったので、迷うことなく作り始めたが、組曲の標題がなかなか思い浮かばなかったので、安井先生にご相談したところ、流石、国文学に精通され且つ白秋文学に造詣の深い先生から「玄冬素雪」との最適の標題が示された。
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前回の「東京景物詩・第二」の名初演以降も、OMCは、西洋の超一流の交響楽団や合唱団が実践する「練習時には演奏するだけではなく、聞き耳を立てて団内のアンサンブルの完熟度を追求すること」「西洋音楽の演奏に必要な構築性主要4項目(リズム・メロディー・和声学・楽式論)の整合性の遵守」「装飾性主要4項目(デュナミーク・アゴーギク・コロリート・フレージング)の整合性の遵守」について、着実に習得をされているほか、メンバー各位の社会生活の中から多くの貴重な人生体験が、無意識のうちに合唱活動の中にも浸透し音楽にもー層の重厚さを与えている。白秋先生の清澄な詩情と、OMCが描く玄冬素雪の抒情を心行くまでご清聴頂ければ、幸いである。
末筆ながら、演奏会のご成功と今後ますますのご隆昌を心からお祈りする。
(初演で配布されたプログラムより)