マイケル・ジャクソンの作品から情報を集めてみました

概要

開催場所:アメリカ ロサンゼルスのステイプルズ・センター
開催日 :2009年7月7日10:00am〜(日本時間、8日午前2時)

原文

日本語訳

マイケル・ジャクソン追悼式
アル・シャープトン師 演説全文

世界中の人々が、今日、心を一つにして、人を愛することの何たるかを我々に教えてくれた。
一人の男性の生涯を心に刻もうと、たくさんの人々がここに集まっています。

私たちの感情が抑えきれないほとにまで高ぶっているのを、不思議に思っておられる方はマイケルが歩んだ人生という旅路を、またマイケルが我々にとってどのような存在であったかを理解する必要があります。
今日、ここにジャクソン・ファミリーとして集まったみなさん、
いまここにご列席のジャクソン一家、ご両親と9人の子供たちは、
インディアナ州ゲーリーの労働者階級から現在の地位まで上りつめました。
彼らにあったのは、夢だけでした。
彼らの夢が現実のものとなるなんて、一体、当時の誰が信じたでしょうか。
しかし、彼らは信じ続けたのです。
マイケルは決して夢を捨てませんでした。

私が初めてマイケルに会ったのは、1970年頃のイリノイ州シカゴのブラック・エキスポでした。
いままでジャクソン一家を支え続けてきたジェシー・ジャクソン師もいました。
かわいい子供だったその日から、いまこのときまで、マイケルが夢をあきらめることはありませんでした。

その夢こそが、世界中の文化を変えていったのです。
マイケルが活動を始めたときは、いまとはまったく違う時代でした。
しかし、マイケルが前に進み続けたことで、
また、自らの限界を定めなかったことで、
他人に限界を決めさせなかったことで、彼は全世界を切り開いていったのです。
片手に手袋をはめ、ズボンを上げるというスタイルで
音楽界においては彼は人種の壁を打ち壊していきました。
そしていまでは、我々の映像が流され、雑誌の表紙を飾るようになりました。

マイケル・ジャクソンが、黒人、白人、アジア人、ラテンアメリカ人を一つにつないだのです。
マイケル・ジャクソンが「ウィ・アー・ザ・ワールド」を世に送り出し、「ライブ・エイド」よりもずっと前に飢えに苦しむ人に手を差し伸べたのです。

マイケル・ジャクソンが前進し続けたことで
人種の違いや差別に悩む人々の中に安心感が生まれ、
マイケルの音楽とつながっていったのです。
そしてその安心感によって、日本、ガーナ、フランス、アイオワ、ペンシルバニアの子供たちが心置きなくお互いに接することが可能になったのです。

そして、テレビでオプラ・ウィンフリーを目にしても、
タイガー・ウッズがゴルフをする姿を見ても、違和感を感じることがなくなったのです。

当時10代の若者だったマイケルのファンたちも、いまでは40代になり、
なんの引け目も感じることなく、アメリカ合衆国の大統領選挙において
黒人候補に票を投じることができたのです。

それは、マイケルがいたからこそです。
彼のおかげで互いに愛することができたのです。
彼のおかげで互いに手を取り合うことを学んだのです。

世の中にはあら探しをしたがる人がいます。
しかし世界中のみなさん、私たちはマイケルのメッセージを支持しようではありませんか。
くだらないことに固執するのではなく、マイケルが伝えようとしていた愛のメッセージです。
険しい山を登っていれば膝を怪我することもあるでしょう。擦り傷がつくこともあるでしょう。
しかし、注目すべきは傷ではなく。マイケルが歩んだ道のりに焦点を当ててほしいのです。

マイケルは、批判に打ち勝ち頂点に上りつめました。
歌をもって冷笑する人を制し、
ダンスをもって疑う人を制し、
パフォーマンスをもって悲観する人を制したのです。
打ちのめされても立ち上がり、のけ者にされても決して屈しませんでした。
マイケルは決して立ち止まらなかった。
マイケルは決してあきらめなかった。つねに前に進み続けたのです。

私は母親のジャクソン夫人と父親のジョー・ジャクソン氏、
そして、兄弟姉妹の方々に申し上げたい。
我々に夢や希望、そして愛を教えてくれたマイケルを与えてくださったことを感謝いたします。
私たちはあたな方に感謝を申し上げたいのです。
マイケルの夢は、あなた方の夢でもあったのですから。

ご遺族のみなさんはいま、悲しみの淵におられることでしょう。
アメリカ合衆国大統領やネルソン・マンデラ氏からの手紙が、
いくらか慰めになったとお察ししますが、
マイケルはあたなの子であり、兄弟であり、いとこです。
いかなるものをもってしても、あなた方の心に空いた穴を埋めることはできないでしょう。
しかし、人々が示す愛を通じて、
マイケルの人生がいかに意義深いものであったかを知っていただきたいのです。
3人のお子さんたちにも知っておいてほしいことがあります。
お父さんにおかしいことなど何一つありませんでした。
お父さんがよくしようと立ち向かった社会のほうがおかしかったのです。
しかしお父さんはそれに立ち向かったのです。
それでも彼は立ち向かったのです。我々のために立ち向かってくれたのです。

今日、マイケルにさよならを言いに来た方もいらっしゃると思いますが、
私はありがとうを言いに来ました。

ありがとう、あなたは決して立ち止まらなかった。
ありがとう、あなたは決してあきらめなかった。
ありがとう、あなたは決してくじけなかった。
ありがとう、あなたは壁を打ち壊してくれた。
ありがとう、あなたは境界を取り払ってくれた。
ありがとう、あなたは希望を与えてくれた。
ありがとう、マイケル
ありがとう、マイケル
ありがとう、マイケル

転載
息子マイケル・ジャクソンへ 〜天国への遺言状〜
著:ジョセフ・W・ジャクソン

関連するマイケルの発言や行動

マイケル周辺の動き

タイトルの歌・メッセージに関連する事項

その他関連事項・その他

オバマの先駆としてのマイケル・ジャクスン

ENGLISH JOURNAL 2010 8月号 p18〜20より抜粋
越智道雄(明治大学名誉教授)
マイケル・ジャクスンを生んだ時代背景のおさらい
例えば、「クール」は今では「チル」(chill)に変わった。白人にいびられてがまんし続けた仲間を、黒人たちは「クール」と讃えた。ところが、白人の若者には黒人ワナビーズ(真似しっ子)がいて、「クール」を真似し始めた。嫌気が差した黒人は「チル」を使い出したものの、それすらワナビーズに横取りされた。
腰パンも、若者ギャングが刑務所でベルトを取り上げられたのが始めで、以後は銃器を隠すのに便利で定着したが、腰パンだけ、白人はもとより日本の若者にまで横取りされた。いや、アパレル産業にも横取りされた。
マイケル・ジャクスン(以後MJ)の価値は、この「白人による黒人文化の横取り」に終止符を打った点にある。

MJが大ブレークを起こした時代背景をおさらいしておこう。1960年代末、黒人たちの運動は、非暴力主義のマーティン・ルーサー・キングからマルコムXの分離主義に一変、各都市で暴動が相次いだ。‘70年代は2度の石油危機で工場が海外へ逃避、ブルーカラー黒人の失業と家庭崩壊が常態化、金持ち優遇のレーガン政権(共和党)以降、黒人少年は若者ギャングとして家計を支えるべく、麻薬取引に手を染め、縄張り争いによる殺人が横行した。
歌謡界の中心舞台に踊り出た、初の黒人歌手
ジャズ、ロック、ラップと、黒人が辛酸の渦中から生み出した文化を白人たちが横取りしてきた中で、MJこそ、黒人と白人の間に切り裂かれた超え難い深淵を最初に飛び越えた、黒人歌手にしてダンサーだった。白人は、MJを横取りできなかったのだ。MJ以前のいかなる黒人の名歌手も、深淵は越えられず、白人主流文化の周辺部に押しやられてきた。しかし、MJは中心舞台を乗っ取ったのである。そればかりか、横取りした黒人の歌曲を白人歌手だけに歌わせてきた歌謡メディアは、MJの台頭によって差別撤廃を強いられた。中心舞台とはすなわち世界で、アメリカ文化禁制のソ連ですら、MJを密かに聞いた若者たちが、「電撃的だ。これこそ今日の音楽だ」としびれた。
MJのおはこのムーンウォークは、街頭で遊ぶ黒人の子供のしぐさを見て思いついたもので、来るべき宇宙時代のジェスチャーを先取りした舞踏法であり、以前であれば中心舞台に立つ白人ダンサーしか演じてはならない種目だったろう。ちなみに、MJのダンスは、あのフレッド・アステアですら絶賛している。
MJの変容と黒人社会の階層分化
しかし、こういう運命を背負ったMJを、メタモルフォーゼの業苦が襲った。最高傑作とされる『スリラー』(1982)の主題がまさにそれだ。「マイケル」という主人公は、ガールフレンドの前で3度、狼男に変身する(1度目は映画の中、2、3度目は映画を見た後)。劇中映画が50年代ものであることは、公民権運動の初期微動を窺(うかが)わせ、他方、現代の映画館や墓地に現れる狼男やゾンビは、黒人の階層分化から生まれた黒人俊才を、白人たちがどう見ていたかが投影されている。

各界で中心舞台に踊り出た黒人の俊才たちは、しかし、同胞のゲットーにいた時を懐かしんだ。中心舞台では、圧倒的多数派の白人の中で気が抜けない。勤務を終えて、帰宅のため車に乗ってモータウンを聞いて、ホッとするのだ。
オバマの先駆としてのマイケル・ジャクスン
‘61年生まれのオバマ大統領もまた、黒人俊才の孤独を味わったのか?大統領上級顧問のデイヴィット・アクセルロッドや首席補佐官のラーム・エマニュエルら、側近の大半はユダヤ系だから、WASPよりは気が許せるのか。
メディアとファンが事実上の敵であるMJの孤独、いや孤絶は、オバマより深刻だったろう。その最もたるものが児童虐待訴訟とそのメディア報道の過熱で、『ヒストリー』(‘95)は、告発した地方検事やメディアへの反撃である。

映画『ET』(‘82)を見て涙したのも、彼が自分自身を、周りから隔離された「宇宙人」と見なし、主人公ETに自分を見てとったからだ。
しかし、オバマも、奴隷の血筋を持たない、ある意味で完全なアウトサイダー、「宇宙人」だ。しかし彼の場合、MJとは正反対に、「宇宙人」が強さに突然変異した希有な例である。最初の黒人大統領に逆らう白人集団、「ティー・パーティ」に対しても、粘り強い忍耐を発揮した。その意味で、人種の深淵を乗り越えた先輩(MJ)が、最初の黒人大統領の登場を見届けてからこの世を去ったこと自体、因縁めいて、つまり「キリスト復活」めいて見えてくるのである。

【メタモルフォーゼ】(ドイツ)変容 変身 転生
【WASP】アングロサクソン系白人教徒、ワスプ(特に少数民族が米国社会の支配層としての白人中流階級をさして使う。)
【ティー・パーティ】オバマの課税政策に抗議する保守派の運動。
【フレッド・アステア】1899-1987、ハリウッドのミュージカル映画全盛期を担った、20世紀を代表するアメリカの名ダンサー。晩年、MJのムーンウォークを習得した。
【マルコムX】非暴力的で融和的な指導者だったキング牧師らとは対照的に、アメリカで最も著名で攻撃的な黒人解放指導者として知られている。ウィキペディアより引用:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3...

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