マイケル・ジャクソンの作品から情報を集めてみました

MJ's trial footage

裁判について

逮捕から起訴まで
2003年6月には、サンタバーバラ郡保安官が調査を始めた。
2003年7月に、彼らは最初に家族にインタビューを行う。
2003年11月18日に、サンタバーバラ郡シェリフは70人を超える調査者を以って家宅捜索。
同じ日に私立探偵事務所を強制捜索した。
2003年11月20日、証拠不十分のまま、その少年に対する性的虐待等の容疑でジャクソンを逮捕した。
マイケル・ジャクソンの警察写真は、2003年11月20日に映された。300万ドルで保釈された。

逮捕される前日の11月17日にカリフォルニア州知事が共和党のアーノルド・シュワルツェネッガーに変わったばかりであったため、一部ではジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領がイラク戦争に対する批判を逸らすため工作を行ったのではないかという噂も出る。
その当の知事は同月声明を発表。
「あの検察官(トム・スネドン)は10年前の借りを返したがっているように思えるね。検察は適切に動いているかどうかも疑問だ」とした。
ジャクソンは12月25日、子供を傷つけるくらいならリストカットをすると述べた。
また、2003年12月28日にCBSで放送されたインタビューの中で「警察から手荒な扱いを受けた」と公表したが、SB郡保安官事務所は「そのような事実はない。ジャクソン氏は自らの信用を著しく傷つけている」として、ビデオや録音テープを使って反論。
しかしマイケルの弁護人マーク・ゲラゴス (Mark Geragos) や家族は映像がカットされすぎているとしてさらにこれに反論した。
ジャクソンは、2004年1月16日、サンタマリアの法廷で尋問される。ジャクソンは、20分遅れて現れた。ジャクソンは無罪を主張。2004年2月13日、状況証拠のみながら検察官から400ページにわたる証拠文章が提出される。
起訴から裁判まで
2004年4月21日、ジャクソンは起訴される。
証拠は、2004年5月28日のヒアリングで審理された。弁護団のメンバーは当初何度か変わったが、トーマス・メゼロウが2004年4月に引き受ける事が決まった後は彼が中心となり最後まで裁判を引っ張っていく事になる。トーマス・メゼロウは刑事事件専門の弁護士であり、「マイケルの裁判に人種カードは使用しない」と明言し裁判に挑んだ。

一方、日本ではマスコミの報道によりまるで「マイケルがもはや有罪である」という憶測が広がっていた。「読売新聞」は、裁判中は「アメリカの性犯罪情報公開の記事」と題しマイケルの写真を載せたこともあった。
また、「NHK」の視聴者参加型の2時間洋楽専門番組では、マイケルのNo.1ヒットには投票できないようにされていた。

2004年7月28日に、裁判官メルビルは裁判の遅延を与えた。2004年12月3日、ネバーランドで再捜索された。その月に、ジャクソンのDNAは採取された。
だが証拠は見つからず、検察側は捜査令状を発行し続け、令状の数は120を突破した。
判決
現地時間2005年6月13日午後2時15分、児童誘拐・監禁・恐喝を犯すための陰謀容疑1件、児童に対する猥褻行為容疑4件、児童に対する猥褻行為を試みようとした
容疑1件、重罪を犯すことを援助するために酒を飲ませた容疑4件に関し、女性秘書は判決を読み上げ始める。
最後に裁判長メルビルは、マイケルに視線を向け「ジャクソン氏。あなたは保釈から解放され、自由の身となりました」と告げた。
結果、この裁判は全ての容疑に対して無罪が言い渡されるという形で幕を下ろした。
トーマス・メゼロウは「真実はもたらされた。マイケルは無罪だった。初めからそうだった。(Justice was served. Michael Jackson is innocent.)」と勝利宣言を出した。
少年の母親について
少年の母親は過去にも別の人間に対しても同じような訴えを起こしており、その犯行パターンがプロファイルされていた。
訴えた少年の母親は、子供の癌を理由にテレビ司会者のジェイ・レノやコメディアンのジョージ・ロペスなどの有名人に接触し、治療費として貰った金で高級車を買い、全身エステに通っていた。

家族はクリス・タッカーに接触し1万4千ドルのトラックを買い与えられていた。
その経験のあるクリスは『あの家族は危険だから気をつけろ』と忠告をしていた。
だが、マイケルは彼らを物心両面でサポートし続けていた。このクリス・タッカーの5月25日の証言をメディアは「非常に強力な証言(very strong testimony)」と報道した。
裁判のその後
8月23日当局は母親を福祉詐欺で起訴、経済状態を偽って1万9000ドルの生活保護手当をだまし取ったとして、詐欺罪に問う。
マイケルの裁判ではマイケルの弁護士により母親は無一文と主張している間、15万ドルを受け取っていた証拠が出てきていた。

(ウィキペディアより抜粋:詳しくは→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3...

子供に対する性的虐待の歴史

【欧米】
2002年にはボストン・グローブ紙がカトリック教会の性虐待を報道し、教会側が事実を認めなければならない状態となり再び性的虐待に対するパニックが起こりだす。
統計上は全く増えてはいないのだがアメリカ中が苛立つ事態となり、様々な性犯罪及び児童誘拐に対する報道は白熱を極め、その年の8月6日にはホワイトハウスでジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領もテロリズムとの戦いに並べて児童性虐待という歪んだコミュニティの問題に対し立ち向かう姿勢を表明した。

2003年にはマーティン・バシールのインタビューにより「マイケル・ジャクソンの真実」が報道され、その後マイケル・ジャクソンが少年に対する性的虐待で訴えられる。
この裁判は世界的な大スターということで世界中が注目する裁判となった。多くのマスコミ報道はマイケルは有罪であると報道し、トム・スネドンら検察側はマイケルは有罪であると主張した。
だがその主張には矛盾点が多いことをトーマス・メゼロウらの弁護士グループは述べ、2005年6月13日に全面無罪判決が下され、さらに原告は逆に福祉詐欺の罪で2005年8月に訴えられ、2006年11月に原告側が有罪判決を受けた。
(児童性的虐待とは 欧米デコメ待ち受け時点より引用:http://deco.from.jp/wiki/%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%80%...

その他関連事項・その他

<ワールドフォーラム3月例会>

2005年3月25日(金)18:30〜21:30に北とぴあ(東京都北区王子)で開催されたようです。
講演内容
世界的スーパースター マイケル・ジャクソンに仕掛けられた罠―児童虐待容疑事件の真相―1993年と現在進行中の訴訟の舞台裏
木村 薫 氏

ワールド・フォーラム3月例会では、木村 薫 氏をお招きして、世界的スーパー・スターでありながら、現在児童虐待容疑で逮捕・刑事訴追され裁判にかかって話題を集めている「世界的スーパースター マイケル・ジャクソンに仕掛けられた罠―児童虐待容疑事件の真相―1993年と現在進行中の訴訟の舞台裏」というお話をして戴きました。

木村 薫 氏は、2003年、マイケル・ジャクソンをめぐる2つのドキュメンタリー番組を見て、彼の作品や彼に関する情報を収集し始めました。そして2003年12月、ある米国人の告白本に遭遇し、その内容を日本人読者達に伝えたいと考え、翻訳作業を終え、日本の出版社を探してきました。

その本とは、1993年の事件当時、マイケル・ジャクソンを児童虐待容疑で訴えた少年の父親が雇った弁護士の秘書、ジェラルディン・ヒューズによる告白本でした。それは偶然にも原告サイドの舞台裏で働いていた彼女の貴重な体験談です。彼女の職場では、児童虐待の被害者を守るためというより、マイケル・ジャクソンから大金を得る恐喝計画を企てているとしか思えない出来事が起こっていたというのです。密室会議から漏れ聞こえる罵声、不正としか思われない手紙をタイプさせられた体験、原告少年は虐待された少年らしくなく元気で明るい様子であったこと、逆に少年の父親と著者の上司である弁護士は、恐喝計画がばれないかと顔面蒼白になりながら神経質に慎重に計画を進めていたことなど、貴重な証言が生き生きと描かれています。

本書は一弁護士秘書の告白本ですが、マイケル・ジャクソン児童虐待容疑事件という切り口から、現代社会の様々な問題について考えるきっかけを与えてくれます。米国の訴訟社会について、スターの人権、児童の人権、マスコミ報道のあり方、公の権力のあり方など…。

今回のワールド・フォーラムでは、マイケル・ジャクソンの1993年児童虐待容疑の舞台裏について、また現在類似の容疑で進行中の訴訟について、本書の翻訳作業を通じて得られた情報、日本のマスコミが報道していない情報をも交え、わかりやすくお話戴きました。
木村 薫氏のプロフィール
1974年生れ。清泉女子大学文学部英語英文学科卒業。商社勤務、通訳者育成専門学校通学の後、通訳・翻訳など。
1993年マイケル・ジャクソン児童虐待容疑事件の真相を告発した「Redemption 
−The Truth Behind the Michael Jackson Child Molestation 
Allegations」(Geraldine Hughes 著 Branch & Vine Publisher 社 出版)の日本語版出版をめざし、出版社を探している。
(ワールドフォーラム3月例会より引用:http://www.worldforum.jp/information/2005/03.html

<マーロン・ブランド>

2004年7月1日マーロン・ブランド死去
マイケル・ジャクソンとはブランドの家族ぐるみで付き合いがあり、互いに助言を求めたりするほどであったという。 晩年にはマイケルのミュージックビデオにも出演している。(You rock my world)
ウィキペディアより引用
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3...
マーロンは芸能界でのマイケルの父と呼ばれる存在だった。
この時期のマーロンの死去はマイケルにとって更に辛いものになったと思われる。

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