マイケル・ジャクソンの作品から情報を集めてみました

概要

タイトル:『INSUDE THE JACKSON FAMILY By La Toya Jackson』(ラトーヤ・ジャクソンが語るファミリーの真実)
発売:1991年
著者:ラトーヤ・ジャクソン
翻訳:高橋 伯夫
全352ページ

マイケルの姉、ラトーヤ・ジャクソンの自叙伝。
マイケルについて書かれた部分を抜粋。

原文

日本語訳

第1章
母はマイケルが生まれて間もないころから、この子は“変わっている”と言っていた。
歩き始めも、言葉を覚えるのも早かったし、年にしては大変器用だった。
母は子供達のことはなるべく自慢しないようにしていたが、マイケルのことだけは「天才とまでは言いたくないけど、この子には何か特別なものがそなわってい
るみたいだわ」と認めていた。

←クリックすると開きます

第2章
1969年、ディジーというディスコでデビュー。
マイケルは10歳だったが、8歳と公表。
兄のジャッキーは「マイケルが5歳のときからすでに自分たちのグループリーダーになるとはっきりわかっていたよ」と人に話していた。
第3章
思春期を迎えたマイケルは父から「お前についているその大きな鼻を見ろ。どこからそんな鼻をもらってきたんだ、ビッグノーズくん!」とよく笑った。またにきびがひどくなり食事療法を変えた。16歳の誕生日のころには皮膚の状態はよくなったが、兄弟で1番社交的だったのに引っ込み思案になってしまった。
1974年、ラスベガス公演中、マイケルの命をねらう匿名の脅迫が来ていると報告が入った。
第4章
マイケルは映画ウィズに出演しオフ・ザ・ウォールに没頭した。
マイケルはソフトな話し方で態度も恥ずかしそうだったので自信不足ではと人々から誤解されて見られていたが、彼は最高の自信家なのだ。
いちど何かやろうと決心するとまるで自分自身と約束したみたいに何が何でもやり通した。
マイケルには信じられないくらい集中力があり、仕事のことを考え始めるとその中にすっかりのめり込んでしまうのだ。オフ・ザ・ウォールに全エネルギーを集中させた。
マイケルは読書家で、家が火事になったら知識に代えられるものは何もないからと本を持ち出すと話している。

第5章
ラトーヤとしての自分自身の成功を得たいと願っていたけれど、ジャクソンという有名な名に頼ってそうなりたいとは思わなかった。マイケルとは家庭内では他の兄弟と同じように扱われているかもしれないけれど、大衆の目には力強くそびえるような存在で、誰もができればあやかりたいものだと思っている。仕事をしているマイケルを見るのは魅力的だった。

第6章
妹のジャネットは母の妹に似て、何事にも積極的なお転婆娘で外見を気にしない性格だった。
私は母似で、気難しく潔癖で引っ込み思案だった。
マイケルは少なくとも週に数回は有名人を自宅に招待していた。

第7章
母と二人きりでヨーロッパ旅行に出掛ける前にマイケルが封筒を手渡した。
飛行機が上空にまでいったらこれを母に渡すように頼まれたのだ。そこには手紙と現金1万ドルが入っていた。
マイケルは「お母さんには最高のものをあげたいんだ」といつも言っていた。

第8章
1984年、私はテレビの音楽番組ソリッド・ゴールドで共同ホストを務めた。ジャック・ゴードンがこの番組を見て、私のマネージャーである父にパイロットテープ作りの話を持ちかけた。ジャックは父と仕事をするようになり、父の個人的な資金面や雑多なショービジネス・プロジェクトを取り仕切るようになり、友人となり、家族はジャックが気に入ってしまった。ジャックはクリスマスの時には、ロスの貧しい地区の子供たちにおもちゃを与えたりした。私達の警備主任のビル・ブレイがジャックを疑い深そうに見た。ジャクソン家のビジネスに関るようになった新参者については、その経歴などを調査するのが決まりだった。1981年、ネバタ州でジャックは贈賄の有罪宣告を受け、4ヶ月半服役していたことがわかった。私たちは驚き信じられなかったが父は彼を解雇しないことにした。
第9章
マイケルに関する暴露記事は、毎週のように掲載されていたと思う。
整形に関しては、マイケルは非常にハンサムな青年だったが、ただそのルックスをもっと良くしようと思ってやっただけのことだ。母はマイケルの写真をテーブルに広げ、指差しながら「これはお前の青春真っ只中のころで、顔はふっくらとしてまん丸だった。
これは、最初に菜食主義者になった時のもの、ずいぶんスリムでほお骨が突き出ているのがわかるでしょう。ここでは、夏だったから皮膚がうんと黒かった。で
も、こっちの写真ではあまり黒くないのは、フラッシュが近すぎたためよ。新聞の連中は、なぜこんなことがわからないんだろうね。」と言った。
「一般の人たちは、こんなことちっとも知らないんだよ」マイケルが言った。
「でも不公平じゃないか。どうして新聞や雑誌は、お前をこういうふうに扱うのかね。本当のことじゃないんだもの、何とかしなきゃね」「でも、何をしようというの?」とマイケル。
特に高圧酸素室で寝ているとういう記事は奇怪だった。
私はマイケルに人目を避けていないでもっと公の場で率直に意見を言うべきであると助言したが、返事はいつも、言いたいことは全部その歌の中に含まれており、
つけ加えなくてはならないものは何もないというのだった。ある国内の週間ニュース誌が、マイケルのコメントをゆがめて報道するまでは、彼は自由にインタビューに応じていた。

第10章
両親の元を離れNYに住んだ。マイケルも私が家を出た数日後にヘイブンハーストから引っ越してきた。マイケルはカリフォルニア州サンタバーバラの北にあるサンタイネスに7000平方キロに及ぶ牧場を買った。マイケルとポール・マッカートニーのセイ・セイ・セイのPV撮りをこの牧場で行ったとき、マイケルと私はゲストハウスに泊まった。マイケルは「いつか、ここを買い取って住むことにしよう」と言った。
マイケルは私に電話してきて「ぼくはジョーゼフがすごく嫌いだ」と話し出し私はとてもびっくりした。「本当にぼくは彼を憎んでいるよ。姉さんに質問したいんだけど、もしジョーゼフが明日死んだら姉さんは泣くと思う?あいつなんかぼくの父親じゃないよ!」マイケルがこのような話し方をするのは奇異な感じがした。なぜなら、父親と上手くコミュニケーションをとれず愛していると伝えることができないジェーン・フォンダに対し、父親のヘンリー・フォンダが亡くなる前、マイケルは「お父様の見舞いに行かれたほうがいいですよ。手遅れになる前に、あなたの気持ちを伝えるのです。」父親と断絶した生活をしなければならない人に対し、マイケルの心は痛んだ。
しかし、1988年マイケルは父をののしった。「父が母をなぐった時のことを絶対に忘れない。だから父を憎んでいるんだ。」私は父が母をなぐったことはないと言っても「あいつは本当にやったんだ。ぼくは何回も見たよ!」とマイケルは言い張った。事実なのかリービーとジャッキーに確認したがマイケルと同じ言い分だった。

第11章
新聞報道によるとマイケルは私が本を書くことに激しく反対し、出版社の権利を買い取る可能性も調べたそうだ。しかしマイケルは自伝を書かないように求めたことは一度もなく、否定はしないけれど秘密にしておく方が良いと思ったのである。彼の自伝ムーン・ウォークでは父の虐待についてもあからさまに書いている。
家から離れて暮らすには何人かのボディーガードとともに移動しなければいけないが、信頼できるボディーガードは滅多にいなくて不安だった。 1979年にジャックが有罪宣告を受けた。警察はジャックの命を狙っている殺し屋3人がいて、彼らを厳重に監視していると警告した。ジャックは私が家族から自由になるためには自分と結婚しなければならない。結婚すればジャックは私の法律上の後見人になれる。結婚しないと、私は結局誘拐され、ジャックは殺されることになると言った。私は断ったが結婚許可証にサインした。新聞には結婚詐欺にあったに違いないと書かれた。私は母に電話し「お母さんがやったこと私は知っているのよ。ジョーゼフが殺し屋を使ってジャックの命を奪おうとし、私を二回も誘拐しようとしたことも知っている。父や他の兄弟をだますことはできても私をだますことはできない。」母は「誘拐しようとなんかしなかったわ」父は「誘拐してお前をどうするって言うんだ?」数分後マーロンから電話があり、「ヘイブンハーストにおける私の持分に関する証書を手放して欲しい」と要求してきた。身近におきたことを知らせるためマイケルと話がしたかったが、家族の誰も、ボディーガードを通さなければ直接には彼に電話することができなくなった。私は久しぶりにヘイブンハーストの自分の部屋に行き驚いた。私の寝室はジャーメインの衣装を入れる納戸にかわっていた。マイケルの部屋は出て行ったときのままなのに。私のものは何一つなかった。私は母の部屋に入り、自分の写真が飾られていないか探した。しかし以前あった私の写真は消えていた。私はヘイブンスハーストを後にし、自分の家に帰って行くのだ。
END

関連するマイケルの発言や行動

マイケル周辺の動き

タイトルの歌・メッセージに関連する事項

その他関連事項・その他

未確認事項及び議論すべき議題

コメント

×

この広告は60日間更新がないwikiに表示されております。

Menu

Voice

Information

ヒール・ザ・ワールド・ファンデーション関連

メンバーのみ編集できます