マイケル・ジャクソンの作品から情報を集めてみました

概要

Black Or White (ブラック・オア・ホワイト)
作詞:マイケル・ジャクソン
作曲:マイケル・ジャクソン
リリース:1991年
収録:『DANGEROUS』(1991年発売)



アルバムDANGEROUSの発売日(11月22日)に先駆けて1stシングルで発売した。
全米POPチャート7週連続1位、R&Bチャート3位と大ヒットを記録。
(NUMBER ONESの歌詞カードより)

全英1位。リミックス・バージョンまでもが1991年に全英14位を記録。
(MICHAEL JACKSON ポップ・レジェンドに捧ぐより)

文化的価値観の違いを乗り越えようという歌詞が多くの人に受け入れられ、20カ国以上で1位を獲得。
この曲のショートフィルムでは後半のソロ・ダンスシーンが暴力的過ぎるとして一般放映が中止されるという事態になった。後にそのバージョンのショートフィルムはその部分の映像に黒豹が登場することからパンサー・バージョン(パンサーとは豹属の動物一般のことである)と呼ばれるようになった。セクシュアルなダンスや、人種差別団体の名前やハーケンクロイツが描かれた車や店のガラス窓を破壊するシーンが問題とされたのだが、これに対する批判は多い。なお、この映像は現在ではヨーロッパでは一斉放映が許可されており、マイケルのビデオ作品ではじっくり見ることが出来る。アメリカでは深夜に放映されたという話はあるが、日中に放映されたという話はない。ただ、現在見られるパンサーバージョンは、初期の映像とは若干違っており、窓に書かれた人種差別団体の名前などいくつか修正、今ではそれらの文字は消されている。(wikiより引用)


歌詞

I took my baby
On a saturday bang
Boy is that girl with you
Yes we're one and the same
Now I believe in miracles
and a miracle
has happened tonight

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日本語訳

土曜の騒ぎに
彼女を連れていったのさ
あの娘とかって?
そうさ、ぼくらは何ひとつ変わらない

僕は奇跡を信じる
そして今夜
奇跡が起こったんだ

君が僕の恋人のことを考えているんなら
白か黒かなんてことは関係ないのさ

サタデイ・サンに僕のメッセージが印刷されてる
僕は記者たちに
誰にも負けないと言わなきゃならなかった

僕は平等について話した
君が間違っていようが正しかろうが
真実さ

君が僕の恋人のことを考えているんなら
白か黒かなんてことは関係ないのさ

悪い奴らにはウンザリなんだ
こんな話はウンザリなんだ
事態が悪くなった時に
お茶をにごすような仕事には
ウンザリなんだ
お前の兄貴なんか怖くない
シーツなんか怖くない
僕は誰も恐れない
どんなにみじめになっても

ギャングやクラブや国のための防衛が
人と人の関係に悲しみをもたらす
それは世界的スケールでの泥レース
両方の話を聞いてみたいもんだ
人種の問題じゃない
場と顔ぶれの問題さ
お前さんの血の源が
お前さんの住むべき場所なんだ
輝きが失せていった
俺は生涯有色人種と呼ばれて生きる気はない

僕と同じ意見だなんて言わないでくれ
君は僕の顔に泥を塗ったんだから

白と黒を乗り越えるのは難しい
白と黒と ああ
(DANGEROUSの歌詞カードより)

関連するマイケルの発言や行動

ブラック・オア・ホワイトが子供や大人たちに対して破壊的、性的、暴力的に悪影響を与えるとは思ってもみないことでした。
僕はいつでもよいお手本であろうと努めてきたし、どんな人にも悪影響を与えまいとしてきました。
ブラック・オア・ホワイトの最後の場面で、子供たちやそのご両親、あるいはその他の視聴者の方々が心を痛めたり、傷ついたりしたのなら、大変申し訳ありませんでした。(1991年11月15日)

マイケル周辺の動き


タイトルの歌・メッセージに関連する事項

<SFに出てくるブラックパンサー>

ブラックパンサー党(黒豹党、英: Black Panther Party, BPP)は、1960年代後半から1970年代にかけてアメリカで黒人民族主義運動・黒人解放闘争を展開していた急進的な政治組織。1966年、カリフォルニア州オークランドにおいてヒューイ・P・ニュートンとボビー・シールにより、都市部の貧しい黒人が居住するゲットーを警官から自衛するために結成された。共産主義と民族主義を標榜しており、革命による黒人解放を提唱し、アフリカ系アメリカ人に対し武装蜂起を呼びかけた。また、貧困層の児童に対する無料の食事配給や、治療費が無料の「人民病院」の建設を行った。(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3...
↑上の動画、4:45頃からブラックパンサーが出てきます。

<パンサーバージョンに出てくる落書き>

HITLER ALIVES → ヒトラーは生きている
NIGGER GO HOME → 黒人は帰れ
KKK PUIES → KKKは最高
NO MORE WETBACKS → メキシコ系はいらない
ヒトラーは生きている
2009年9月、アメリカの考古学者ニック・ベラントーニが、それまでヒトラーのものであるとされてきた頭蓋骨を鑑定。頭蓋骨が女性としての特徴を示したためにDNA鑑定を行ったところ、ヒトラーのものではなく非常に若い女性の頭蓋骨であると結論づけられている。(wikipediaヒトラー生存説より)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3...
KKK
クー・クラックス・クラン(英: Ku Klux Klan)は、アメリカ合衆国の秘密結社、白人至上主義団体。KKKと略される。
白人至上主義団体とされるが、正確には北方人種を至上とし、黒人やユダヤ人、アジア人、近年においてはヒスパニックなどの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様に、カトリックや、左翼団体、同性愛者の権利運動やフェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。
(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%BC%E3...
メキシコ系はいらない
背中が濡れてる人とは、アメリカの国境沿いの川を渡ってくる不法移民のメキシコ人を指す。

アメリカ=メキシコ国境は、合法、非合法を合わせて、世界で最も多い数の横断が行われている。両国の距離的な近さと、境界の両側での生活水準の違いはこれらの移住を促進している。毎年100万人以上の不法入国者がいると見られ、その8割はメキシコ人である。

フェンスの建設
(共和党・カリフォルニア州)は、2005年11月3日に、アメリカ=メキシコ国境沿いに強化されたフェンスの構築を提案した。
メキシコ政府は、多くのラテンアメリカ諸国の大臣や知識人と同様に、この計画を非難した。テキサス州知事のリック・ペリーも、国境はもっと開かれたものであるべきだとする反対を表明した。フェンスの拡大案はさらに、テキサス州ラレド市議会で満場一致で否決された。(中略)
「2006年安全フェンス法」(H.R.6061)は、2006年9月13日に導入され、翌日、283対138の投票で可決された。9月29日には80対19の投票によって上院が認可し、10月26日にブッシュ大統領が署名した[5]。(wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3...

<ハーケンクロイツ>

ナチが右卍を党章(いわゆる鉤十字、ハーケンクロイツ)に採用した。
このため、欧米ではかつての幸運のシンボルの意味合いは無くなり、ナチのシンボルとしての意味しかなく、ナチとファシズムのシンボルとして認識されている。
現在もハーケンクロイツは、ネオナチおよび多くの民族主義グループによって使用されている。(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3...

<歌詞のシーツについて>

シーツ(sheets)の解釈だが、サタデイ・サン(英国の大衆紙)のようなゴシップ記事、あるいはKKK(白い布を頭から被るため)を指しているのではないかとの見方もある。

当時の時代背景

<湾岸戦争勃発>

1990年8月2日にイラクがクウェートに侵攻したのを機に、国際連合が多国籍軍(連合軍)の派遣を決定し、1991年1月17日にイラクを空爆した事にはじまる戦争。
この戦争において特にアメリカは数々の新兵器を投入したため「新兵器の見本市」「兵器の実験場」などと呼ばれることもある。最新鋭の兵器でなくても湾岸戦争で使用された兵器は販売と輸出に影響を与えた。
米国の当時の大統領はパパブッシュ。(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%BE%E5%B2%B8%E6...

<ソ連崩壊>

1991年12月25日にソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフが辞任し、同時に各連邦構成共和国が主権国家として独立したことに伴い、ソビエト連邦(ソ連)が解体され消滅した事件である。(ウィキペディアより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5...

その他関連事項・その他

未確認事項及び議論すべき議題

コメント

ウィキペディアでは、
ブラックパンサーバージョンについては『初期の映像とは違っており、窓に書かれた人種差別団体の名前などいくつか修正。今ではそれらの文字は消されている。』になっている。

しかし、【もともと文字は書かれてない】そうである。

【以下日経エンターティメント マイケル・ジャクソンMICHAEL(2011年1月発行)ロングインタビュー西寺郷太 からの抜粋 】

1991年に発表した当初は、本能のままにマイケルが踊りまくり、暴れ、車を壊したり、ホテルのガラスを破り、黒豹にに姿を戻して去って行くという衝撃的な内容でした。それに対して、当時の子どもを持つ親とかが「教育上よろしくない」とクレームをつけて放送禁止になるという事件があり、マイケルは悩んだ末に、声明文を出しますが、しばらくは本当にカットされたまま放映され続けました。
2年後の93年秋『デンジャラス・ショート・フィルム』としてビデオ化する際、車のフロントガラスや、ホテルのガラス窓にナチスのマークを入れたり、黒人やメキシコ人を差別している落書きをCGで加え、それらを壊す、というメッセージ性を強化したバージョンに【改変】したんです。クレームを受けたので苦肉の策として新バージョンをつくった、と。
で、今回の『VISION』には、落書きのない、本来マイケルが最初に作った【オリジナル・バージョン】のほうが入りました。

(『VISION』とは2010年11月に発売された3枚組みDVDのマイケル・ジャクソンのショート・フィルム集)
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