雑学メモ/古代

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古代

 ローマ帝国の時代では、まだ、縦帆(ラテン帆)は発明されておらず、横帆のみであった。横帆は、後方や側方からの風で進むことが出来る。が、前方からの風では進むことが出来ず。進むことが出来る範囲が限られていた。自由な行動を確保するため、風ではなく、人力(櫂)を利用した。これが、ガレー船である。
 ガレー船は、風に比べ、はるかに非力な人力を使用するため、喫水の浅い、舷側の低い細身の船体にマスト1本と櫂からなっていた。櫂は三段から五段であり、漕手300人、兵士120人が搭乗していた。櫂を使った時の速力は4ノット程度、体力の限界があるので、30分程度しか活動出来ないと言う。
 商船は、マスト2つで横幅が広く、丸まった形(積載量が多い)から丸い船と呼ばれた。速力は5ノット、風に恵まれれば10ノットは出たといわれる。
 この時代の海戦は、陣形を組んだガレー同士が正面からぶつかり合い、接舷し白兵で勝負をつけた。また、艦首にそなえたラムを、敵艦の側面にぶつける戦い方も併用していた。横陣の維持や行動の自由を確保するため、軍船はガレー船であった。当然、戦闘中には帆は張らなかった。海戦の形式は1571年のレパントの海戦まで、ほとんどこの形式であった。
 船体の作りは、板を隙間無く繋ぎ合わせる平張りのキャラベルビルドが主流であった。
 ローマ帝国の崩壊後、ヨーロッパ(地中海)では技術の進歩は停滞する。
2006年05月08日(月) 21:33:36 Modified by dol_housen




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