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Eurosイングランドの歴史



●2005年3月以前


2月23日、大航海時代Onlineプレオープン。
ポルトガル、イスパニアと本拠地が離れているイングランドは特に情報や流通面で遅れをとっており、オポルトで買えるグローブや、パルマやピサで買える紋章をロンドンでバザールしてもあっという間に売れる状態。
初期状態でネーデルランド同盟だった北欧の港を次々に投資で落とし、同盟港としていく。
一方地中海では、初期状態でヴェネツィア同盟だったジェノヴァ以東の街が、次々にポルトガルやイスパニアに占領されていく。

3月、先行プレイヤーの一部が、アフリカに進出し始める。
初期状態では、オスマントルコ圏以外の全てのアフリカとインドの街はポルトガルの同盟か領地となっており、先行イングランド人たちは自分たちの初期状態の不利さにまざまざと気づかされる。
しかしそんな中、当時唯一のダイヤ産出港だったカリビブがイングランド同盟港になるなど、徐々にイングランド商人たちが外洋の街へと投資を始める。

11日、第1回大海戦初日。全サーバ共、イスパニアによるポルトガル同盟港カサブランカへの攻撃。参加者数の圧倒的な差により、ポルトガルが大差で勝利を収める。あまりの一方的な展開に、第2回以降の大海戦の内容が大幅に変更される。

16日、正式サービス開始。
人が減った様子はほとんどなく、ロンドンやリスボンの町は相変わらず混雑。
ポルトガルやイスパニア商人が、コショウ交易や、ホルムズに代表される「名産判定がつく街での名産品現地生産」でどんどん蓄財していくのに対し、イングランド商人の北海引きこもり状態が顕在化してくる。
一方、一部の先行イングランド人はこの頃にはカリブに到達するようになり、ジャマイカが一時投資によってイングランド同盟となる。



●2005年4月


4月1日。第2回大海戦。イングランドの攻撃による第1次ジェノヴァ海戦の火蓋が切って落とされる。
前回の大海戦でイスパニアを圧倒したポルトガルへ戦いを挑むとあって、ロンドンでは前日あたりから「当たって砕けろ」的なハイなお祭りムードが漂う。

結果は初日の開戦直後こそ押されたものの、3日間通してポルトガルに圧勝。
大海戦の戦果のみでは惜しくもジェノヴァを同盟にはできなかったものの、最終日終了後の深夜、有志による投資が行われ、西ヨーロッパに初めて聖ジョージ旗が掲げられることとなる。
以後Eurosサーバでは、商業大国ポルトガル対軍事大国イングランドの対立、両国は基本的にイスパニアに不干渉、という構図が確立されてゆく。

この頃から、イングランドにもアフリカやインドの許可証を得られた人が徐々に増え、激しい投資合戦が行われるようになる。



●2005年5月


5月、カリビブ、ケープと並ぶダイヤ産出港であるルアンダを投資により奪取。「ダイヤ3兄弟」と呼ばれ、イングランドの資金源としてダイヤ交易が定着する。以後、ルアンダはアフリカ最大の投資激戦港となる。

20日、ポルトガルの攻撃による、ケープ沖大海戦が始まる。全サーバ共、攻撃する港は違うものの、初の危険海域での大海戦となる。
イングランドは初日は落とすものの、2日目3日目で逆転し、再びポルトガルに圧勝。インド航路の要衝にしてダイヤ産出港であるケープの支配を磐石なものとする。

またこの間、イスパニアがポルトガル同盟港だったチュニスを投資により奪取。暗黙の了解による共闘が奏功する形となる。

下旬には、有志による投資でカリカットを奪取。ポルトガル人のみならずイングランド人も驚愕する。しかし、数日後には奪い返され、ポルトガルの資金力とPK艦隊の戦力に人々は震撼する。



●2005年6月


大海戦は、イスパニアによる、ポルトガル同盟港ファマガスタへの攻撃。結果、ポルトガル軍の勝利に終わる。
イスパニアはカリブ交易により徐々に資金力を高めてきており、イング内でも時折イスパ脅威論がささやかれることがあるものの、ポルトガルとはやはりまだ差が大きいことが示される。

アップデートによりバインダーが実装されて職人たちに好評を博す。
6月29日パッチの東地中海の安全月間により、冒険者がにわかにアテネに溢れる。既存3国での亡命が可能となり、イスパニアの人口がわずかに増えた様子は見られるものの、勢力図を変えるほどの影響は出なかった。
一部(一人?)のイングランド豪商により紅海周辺の港が一時期イングランド同盟になるなどしたものの、さほど大きな動きはないまま月を終える。



●2005年7月


月始めに、ポルトガル豪商グループによるコペンハーゲン爆撃が行われる。一時陥落したものの、1日と経たずに再び聖ジョージ旗が翻る。

7月15日、イングランド攻撃による大海戦。ジェノヴァでの対ポルトガル戦は2回目、しかも前回は勝利を収めているとあって、ロンドンでは前日からいささか気楽なお祭りムードが漂う。しかし、結果的にこれがアダとなる。
海戦では前回同様、カルヴィ西側の海域にひどいラグが発生。大多数のラグの手前でとどまるイングランド艦隊と、ラグ海域を超えてジェノヴァ方面まで突っ込む一部の無謀な艦隊とに分断される形となる。結果、ジェノヴァ付近では孤立したイング艦隊が勝ち星を多数献上、マルセイユ付近ではポルトガル有名PK艦隊が、連携の取れた速攻により多数のイング艦隊を連続で撃沈、驚くべきスピードで戦果を稼ぎ出す。
3日目には何とか盛り返し、結果を「引き分け」としたものの、勝利数ではわずかに負け。今後に課題を残す。

8/3の新港実装を控え、下旬はどの国も投資は手控え気味となる。



●2005年8月


8月3日、オランダ、ヴェネツィア、フランスの実装、新港実装という大型パッチが実施される。
黒海2港は意外にもオスマントルコ領土で、ヴェネツィア人の悲しみを誘う。イスパニアは計画通り着実にカリブ2港を独占。投資の主戦場はインドの新港となる。
セイロンが例によってポル・イングの宝石商による激戦地となり、その隙にカリブが安定したイスパニアは、手薄だったカルカッタを集中攻撃により奪取。次いで、フランスが初の同盟港としていたマスリパタムをも容赦なく奪取。織物耐性のある生糸2港を手に入れ、マスケット銃、貴金属に加えてベルベット織りという新たな儲け口を得ることとなる。

イングランドは、新港ではポンディシェリとタマタブの2港を確保する。
ヴェネツィアがカンディアを落としたものの、ネーデルランドはモンバサでポルトガルと一進一退の攻防を続ける。Eurosサーバの新3国はいずれもあまり亡命者を集められず、既存3国と大きな差ができていることが察せられる結果となる。

8月17日、未明にポルトガル宝石商グループによるコペンハーゲン攻撃が行われる。一時陥落したものの、朝にはイングランドが奪還。何があったか気付きもしない人が大半となった。

8月19日、セイロン、ルアンダにイングランドが時間差攻撃。奪取に成功するものの、当日のうちに奪い返される。
翌20日は、ヒミコ氏主宰の海戦イベント、ポルトガルダイヤツアー、イングランドダイヤツアーが重なる波乱の土曜日となる。イングランドは久々のツアーとあって、参加者及び護衛の軍人による大艦隊がルアンダに集結。自然発生した投資祭りにより、イング同盟化に成功する。
更に翌日の21日は、有志による投資で再びセイロン同盟化に成功。夜にはエディンバラにてフランネル祭りが開催され、無事フランネルの一般販売が開始されるなど、イングランド大攻勢の週末となる。



●2005年9月


9月2日。第6回大海戦は、ポルトガルによるイスパニア同盟港カルヴィへの攻撃。
投票の選択肢にはコペンハーゲンが入っており、発表当初は当然コペンへ攻撃がくるものと思われたが、宝石商と思われる一部ポルトガル人によるカルヴィへの投票呼びかけが行われ、イング軍人には残念なことに対イスパ戦となった。
イスパニアは、Eurosサーバでは実質的に初となる青ゾーン作戦を導入。初日、2日目と勝利数を伸ばし、結果イスパニア辛勝。カルヴィ防衛に成功する。

4日の深夜から早朝にかけて、ネーデルランドによるオスロへの投資攻勢が行われる。イングランド有志が幾分かの対抗投資を行うものの、「ポルトガルの影響度を減らす為にも、ネーデルが北海に20%程度の影響度を持つことは容認すべき」という意見も多く、この日ネーデルは16%の影響度を確保し、その後も断続的に投資が行われる。一方のポルトガルは、20%を切る結果となる。

5日夕方から夜にかけて、イングランド有志によるアテネ、ジェノヴァ、ルアンダへの同時攻勢が行われる。アテネとジェノヴァを一時奪取に成功したものの、いずれも当日中にポルトガル奪い返されてしまう。

8日、フランスがトリポリに投資攻勢。影響度0%から集中投資にて一気に同盟港とする。早々にイスパニアに奪い返されるものの、これでイスパとフランスの対立は決定的となる。

このころ、イング有志による断続的な投資により、アテネが安定化する。またイングランド私掠グループにより、シエラレオネの同盟化に成功する。

18日。以前から噂されていた通り、イスパニアがジェノヴァに大攻勢をかける。発展度カンスト近かった港に莫大な投資が行われ、一時イスパニア同盟となるものの、ポルトガルのいつもながらの素早い対抗投資により取り戻されてしまう。続いてイスパ同盟港ピサにポルの報復攻撃が行われるが、これは19日未明には再びイスパニアが奪還。日があけてみれば、両港とも旗は変わらず、ジェノヴァに対するイングの影響度のみが10%にまで激減する結果となる。
ジェノヴァはその後も連日のように旗が変わる、イスパ対ポルの泥沼の投資戦となる。
その間隙をついて、イングランドは21日にはマッサワを奪取。数日後に奪い返されるが、24日には今度はサントメを同盟港とすることに成功する。
同じく24日には、フランスがマスリパタムを奪取。ジェノヴァにて大規模投資合戦を初めて体験し、疲弊していたイスパニアの対抗投資はほとんど行われず、フランスは50%以上の影響度を確保する。

30日、ヴェネツィアが投資祭りを開催。投資先はピサとの噂が流れていたものの、実際の行き先はサンジョルジュ。情報操作が奏功し、念願の金産出港を手に入れる。

下旬は、10月・11月の大型パッチがイングランドの主力であるダイヤ等の宝石交易へどのように影響を及ぼすかが見極められず、イングランド人の多くが様子見と貯蓄を選択。カルカッタやマスリパタムといった生糸港への影響度を若干上げた以外には、イングランドの大規模投資はほぼ行われることなく終わる。



●2005年10月


上旬、アテネ、シエラレオネなどがポルトガルに奪い返されるが、イングランドの反抗はほとんど行われないままとなる。
17日午後、コペンハーゲンがポルトガルの攻勢を受け一時陥落。
20日未明、イングランド有志が、現在のところ唯一のフランス同盟港、マスリパタムに攻勢をかけるが、ほどなく奪い返される。またこの頃、カーボヴェルデとアテネを再び傘下に収める。

21日、第7回大海戦は、全サーバ共にイスパニアによるカサブランカへの攻撃。第1回の雪辱をはらそうとするイスパニア軍の士気は高く、初日はポルトガル・フランス・ネーデルランドの連合艦隊をあっさりと打ち破る。
しかしポルトガルは3ヶ国連合艦隊にも関わらず的確に軌道修正を行い、かつては同国人であったイスパニア有名PK艦隊の足止めに成功した2日目以降、イスパニアを上回る勝利数を稼ぎ出す。結果トータルではポルトガル優勢の引き分けとなる。

23日の最終日終了後、ネーデルランドがアルギンに投資攻勢を行い、Eurosネーデルランド初の同盟港獲得に成功する。
また24日深夜から25日にかけて、イングランド有志が再びフランスからマスリパタムを奪取。セイロン、ポンディシェリと共に、東インドの3港を傘下に収める。一方のフランスは一転して、Euros唯一の同盟港を持たない国となってしまう。

26日からは公式イベント「ワイン祭り」、30日にはWiki主催イベント「EurosEngland秋祭り!文化祭!INロンドン!!」が開催されるなど、多くのイングランド人が秋の行楽シーズンを楽しむ。
31日、ブーメラン無効パッチを2日後に控えたこの日の未明、ポルトガルがイングランド同盟港アテネ、イスパニア同盟港ザンジバルに相次いで攻勢をかけ、陥落させる。



●2005年11月


2日のブーメラン無効パッチ実装直前のタイミングで、イングランド有志がホルムズを、またフランスがトリポリを攻略。
パッチ実装メンテ後、トリポリはイスパニアに即座に奪い返されるが、ブーメラン不可になり、縫製の修行場としての価値が下がった影響か、一方のホルムズに対するポルトガルの対抗投資はとんど行われないままとなる。
取引スキルや購入数に関する変更への対応の為、また投資ブーメランが不可能となり、連続投資に投資申請書が必要となった為、多くのイングランド商人は投資にまで手が回らない状況が続く。

9日、遂にイングランド攻撃の第8回大海戦の投票開始。
12日未明、サントメがポルトガルにより陥落。大海戦の攻撃港が、ポルトガル同盟港ルアンダにほぼ確定しつつあることが影響しての動きと察せられる。一方イングランドは、アデンとアテネを奪取するが、アテネは程なくポルトガルに奪い返される。またサントメのほうは、奪還に成功する。

12日夜、ポルトガルがジェノヴァとカリアリ、フランスがトリポリを再び獲得。また12日深夜から翌13日未明にかけて、ネーデルランドPK艦隊が港封鎖の上でハバナを、イングランドがジャマイカを奪取。カリブに半年以上ぶりにイスパニア以外の国の旗が翻り、ヴェネツィアを除く4ヶ国によるイスパニア大包囲戦と相成る。
しかしイスパニアの反撃は素早く、13日中に投資艦隊を各港に派遣し、深夜にはハバナ、ジャマイカ、カリアリ、トリポリを奪回。残すはジェノヴァのみとなる。

掲示板等で、リスボンにて、「大海戦対象港を投票数次点のサンティアゴにする為に、決定直前にイングランドがルアンダに投資して同盟化するので、対抗投資を控えてください」とのシャウトが流れたという報告がなされ、物議を醸す。
投票最終日の午前中、サンディアゴ繰上げにより対イスパ戦となるのを阻止しようとするグループが、3位のポルトガル同盟港カーボヴェルデへの投票を呼びかけを行い、カーボが2位になったものの、この作戦に対抗する為か、突如としてカーボへのイングランドの投資が行われ、同盟港となる。
メンテナンス開始直前、噂通りにルアンダへのイングランドの巨額投資が開始されて万事休すと思われたものの、ルアンダがイングランド同盟になったと同時に、カーボヴェルデをポルトガルが奪還。
さまざまな思惑と陰謀、情報とドゥカートが乱れ飛んだ結果、大海戦は、過半数の得票があったルアンダではなく、次点のカーボでの対ポルトガル戦に決定。対イスパニア好戦派の思惑通りにはならなかったものの、大海戦の攻撃港選定方法などを含め、今後に課題を残すこととなる。

17日、大海戦前日のこの日、イングランドはシエラレオネを同盟化。攻撃目標港であるカーボ近くに同盟港を確保する。
16、17日と、イングランド広場教会にて大海戦へ向けての質問会と、その後は模擬戦が開催され、両日とも大盛況。久しぶりの大海戦への士気が高まる。
18日、いよいよ大海戦開始。イングランドにとっては初の、ヴェネツィア、ネーデルランドとの同盟軍での戦いとなる。
アルギンに集結したイングランド同盟軍は、補給線の長さと嵐に苦しめられ、初日はやや優勢だったものの、2日目はポルトガルに負け越し。3日目は終盤に差をつけて、最終戦績はイングランド優勢の引き分けとなる。
最終日の終了後、ロンドンの広場噴水前では祝勝演奏会が開催される。またロンドン沖では、誰が呼びかけるでもなく大模擬戦大会が勃発。むろん反省会などが開催される気配は無く、ロンドンは街の中も外も、深夜遅くまでお祭り騒ぎが繰り広げられる。

22日、サントメがポルトガルに奪われる。24日にはイングランドがアテネを、フランスがベイルートとトリポリを奪取。
深夜にはサントメが再びイングランドに戻るが、アテネはポルトガルとの一進一退の攻防が続く。
イスパニアはトリポリを即日取り返されたものの、ベイルートへの反撃はほとんど行わず、静観の態度を取る。
26日未明、イングランド掲示板にて話題にはなっていたものの、本気にしている人は少なかったカサブランカへの投資が実行され、久しぶりにイングランドが北海以外の安全海域の同盟港を得る。
27日、以前から計画されていたヴェネツィアの投資祭りが開催される。目的港はベイルート。反撃投資を手控えたイスパニア読みが当たった形となり、フランスはベイルートを巡りヴェネツィアと投資戦を繰り広げる。



●2005年12月


月始めに、2月のアップデートで北海やバルト海を含めた既存海域に17港が実装されることが発表され、イングランド商人の間では貯蓄ムードが高まる。
7日、メンテナンス直前に、リガがポルトガルにより陥落。この日に攻撃対象港が決定する第9回大海戦の為の工作と見られ、当日中にまたイングランドに戻る。
また8日には、イングランドはシエラとカーボを奪取。

9日、第9回大海戦はポルトガルによるイスパニア同盟港サッサリへの攻撃。全サーバ共、葡仏蘭連合軍と相手国の、3対1の対戦となり、EurosとZephyrosでは連合軍が圧勝する。
11日の最終日終了後、イスパニアによるカリカットとコチンへの巨額投資が行われる。その日のうちにコチンが、翌12日夜には遂にカリカットもイスパニア同盟港となる。結果的にカリカットのイングランドの影響度が激減、動揺が走る。
また、12日になってもなぜかEurosサーバのみ大海戦の対象港であったサッサリの影響度の変化が反映されない不具合が生じ、14日のメンテナンス後にまとめて変更される。

14日夜、ポルトガル同盟に戻っていたジェノヴァとカリカット、コチン、カリアリ、そしてモガディシオを、相次いでイスパニアが奪取。ジェノヴァとカリカットはポルトガルが同日奪い返すが、翌15日、再びイスパニアはジェノヴァとカリカットを奪取。17日にもポルトガルがジェノヴァを、18日にはカリカットを奪い返すものの、いずれもほんの数時間後には再びイスパニアの旗が翻るなど、イスパニアの底なしの資金力とフットワークの良さに、ポルトガルが防戦一方という展開となる。
更に19日には、フランスがファマガスタを奪取。ベイルートとの2点間交易ルートを確保する。
クリスマスイヴの24日、長らく平穏を保っていたサロニカが陥落。ポルトガル同盟港となるが、27日には奪還。

28日、イスパニア攻撃の、新ルール初適用の大海戦の投票が開始される。候補港にはカサブランカとベルゲンが入っており、是非とも大海戦で戦いたいイングランド軍人と思われる「イングランド同盟港に攻めてきてくれ」という切なる声が、掲示板に溢れる。




●2006年1月


3日、アテネがポルトガルに奪われ、年末以来、カーボやサントメ、シエラ等、ポルトガルと争っている港がほぼ全て陥落する。
また夜には、ポルトガルはイスパニアからカリカットを奪回。
5日、大海戦の目標港がベルゲンに決定。Eurosではイングとイスパの初対決であり、ポルトガルにとっては、初の大海戦お休みとなる。
7日、第10回大海戦初日。イスパニアによるベルゲンへの攻撃だが、ベルゲンに向かう艦隊は皆無。イスパニア領地アントワープに、防衛側であるはずのイングランド連合軍が攻め込むという、もはやお約束状態の展開になる。また、大海戦初日の最中に、ポルトガルがカリカットをイスパニアより奪還。9日午前1時ごろにはコチンも奪還する。
8日、イングランドがアテネを同盟化する。
最終日終了後、日が明けた10日の午前0時半ごろ、ハンブルグにネーデルランドの大量投資が入ったとのシャウトがロンドンで流れる。午前1時前、ハンブルグが遂にネーデル同盟になる。大海戦終了直後、しかも久々の投資戦とあってヒートアップ、イングのプール金は3.4Gに達し、午前2時前の消化で65%に回復、再びイングランド同盟に戻る。また未明には、イスパニアがまたしてもカリカットを奪取。
12日、イング富豪が突如ジャマイカを陥落させるものの、翌日にはあっさりとイスパニアに戻る。
13日夜、掲示板より発生した、投資申請書ツアーが開催される。
21日未明、少数の投資家による同時攻撃にてジャマイカをイングランドが、サンティアゴをポルトガルが奪取するが、いずれもその日のうちにイスパニアに奪回される。
23日、カサブランカがポルトガルにより陥落。
25日、第11回大海戦の投票開始。最も地中海に近い候補地でもシエラレオネ、後は全て東アフリカ以東という、遠隔地ばかりのラインナップに、小型・中型戦の厳しさが懸念される。
26日夜、カイロがフランスにより陥落。
30日昼、コペンハーゲンがポルトガルにより陥落するが、程なくイングに戻る。



●2006年2月


1日、大海戦の投票結果発表。さしたる混乱もなく攻略港はシエラに決定したものの、補給線の長いアフリカが海戦海域になる上に、ポルトガル側に、フランス及びネーデルランドが同盟。イングランドにとっては初の、3カ国相手の対戦となる。
3日、ルアンダをポルトガルより奪取。サントメと並んでアフリカ南部から西部の4港がイングランド同盟となる。
午後8時、第11回大海戦開始。いつものごとく、若干ポルトガル優勢の展開。
4日、ルアンダがポルトガルに奪還される。
5日、大海戦最終日は中盤戦で差をつけられ、逆転ならず。ポルトガル軍優勢の引き分けとなる。

週明けのEurosサーバでは、カリカット前で造船修行をする大量の船や、オポルト沖やアムステルダム前でイスパニア艦隊と戦うイングランド人など、さっそく次の目標に向かって行動を起こす人が多数見受けられる。
しかし、穏やかだったのは火曜まで。水曜日のパッチより実施されたSt.Valentine's dayイベントの開始地がアテネだったことが知れ渡り始めた夜には、アテネ前にネーデルランドを始めとする各国私掠艦隊が集結、その数20隻以上。血のバレンタイン状態となる。
また深夜には、アデンがポルトガルにより陥落。
11日昼、コペンハーゲンがポルトガルの投資により陥落するが、程なくイングランドに戻る。
19日、再びルアンダがイングランド同盟になる。20日夜、コペンハーゲンがポルトガルによる陥落するが、程なくイングランドに戻る。
22日未明、ルアンダがポルトガルに奪回される。
22日夕、1周年アップデートが実施され、Eurosサーバは数ヶ月ぶりに「混雑」状態になる。
夜には新港の発展度のバグがアナウンスされ、投資合戦は休止状態になる。深夜、イングランドはルアンダを奪取。
緊急メンテナンスが実施された23日の夜には、イングランドは新港のうちダンツィヒ、ベンゲラ、ナタール、ソトコラを確保。ナタールからサントメまでの、南〜西アフリカの港を全て同盟下におさめることに成功する。
しかし24日未明、ネーデルランドがベンゲラを奪取。25日にはルアンダも陥落させる。
27日、ルアンダを奪還をするも、一進一退の攻防は翌月まで続く。




●2006年3月


7日夜、イングランドはモザンビークを獲得するものの、程なくポルトガルに取り返される。また、深夜にはアデンを奪取。
10日夜、ネーデルランドのルアンダダイヤツアーが開催され、ルアンダ陥落。
12日、ルアンダ奪還。またポルトガルからのソコトラ奪取に成功。しかし13日にはナタール、15日にはソコトラがポルトガルに奪われる。

15日、ポルトガル攻撃の第12回大海戦の候補港が発表される。サンティアゴを除く残りが全て北海から地中海のイングランド港となっており、早くも大海戦の準備ムードが漂い始める。
19日、ベンゲラがネーデルランドに奪われる。
22日、大海戦はアテネ防衛戦に決定。前回のシエラレオネ戦と全く同じ組み合わせでの対戦となる。
23日、ヴェネツィアからオデッサを奪取。また夕刻にはポルトガルがヴェネツィアからサロニカを奪取。大海戦の拠点にする為と見られたが、夜にはヴェネツィアが奪還。
24日。大海戦開始前に再びサロニカ、そしてカンディアがポルトガルに。
夜8時、大海戦開始。初日はポルトガルやや優勢で終わる。
夜11時、奪還していたベンゲラが、再びネーデルランド同盟となる。
26日、大海戦はポルトガル辛勝で終了。アテネの影響度が減ってポルトガル同盟港になるはずだったものの、大海戦クエストの報告に訪れた多数のイングランド人による、怒涛の投資祭りが自然発生。1度の反映での限度額といわれる2Gを超える投資が入り、午前0時のプール金消化で影響度は45%→65%に。また次の1時間でも410Mの投資が入り、27日午前1時には遂に発展度6万カンスト、影響度69%となる。
また、この間には、アテネにて両軍入り混じっての記念撮影回が開催された他、アテネ沖ではこれまた各国入り混じっての模擬戦大会が夜遅くまで続いた。





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2006年11月27日(月) 20:07:16 Modified by hannnama




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