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人物

英雄シャーフリートの妻が誰であったのかは現在までのところはっきりとしておらず、多くの伝説に隠れて実際の歴史が定かならぬ状態である。
しかし、はっきりとしているのはシャーフリートの実の息子であるサーン・アルフリートが北方帝国初代皇帝であるということだ。
皇帝として即位する際にアルフリートはハーン・バルフリートと名を改めた。
以降「ハーン」は北方帝国の皇帝尊称として度々後代の皇帝にも使用されることになる。

功績

国主ズヴァン・ダルの暗殺によって成立間もない北方帝国政府は瓦解の危機を迎えた。
北方帝国政府は、急遽ズヴァン・ダルに代わり、旧ロセアン王国?の元宰相アーロ・ニッキスを臨時の国主に立てたものの、既に高齢かつ、ロセアン王国?の解体の際に勢力を失っていた彼に求心力はなく、各地の有力諸侯たちは独自に勢力を強め、また他の中小の諸侯や軍閥を勢力下に収め、諸侯同士での紛争が多発するようになっていた。
この一連の動きに、北方帝国の実質上の出資者かつ治安の維持者とも言えるゼダ家北方帝国への出資の停止と、北方帝国内に派遣していた単眼神の群の撤兵を決める。 もしこれらが実行されれば北方帝国の瓦解は決定的になるはずだった。
しかし、北方帝国南部の諸侯の一人にして、勇者シャーフリートの子を名乗るサーン・アルフリートは、これを憂い、乳母の息子を始めとする仲間達と周辺の諸侯たちを説得し、リクシャマー帝国のゼダ家本家に向かい説得を試みる。
この旅路に参加したのはサーン・アルフリートの仲間達10名と諸侯たちとその従者20名の計30名であった。
一行が寡兵であったのは既に周辺の地域の諸侯が南部に対して軍事行動の動きを見せていたため、多くの兵力を裂くことができなかったためであり、また北方帝国の争乱により既に旅路であるバキスタ地方がバキスタ卿の軍により閉鎖されていたため、これとの衝突を避けるためだった。
しかし、この行動は既に周辺諸侯の知るところとなっており、彼らには賞金首がかけられ、旅を阻止するために各地の軍勢に彼らは追われることとなる。
この苦難の旅により、バキスタ地方との国境に辿り着いた頃には彼ら一行は半分にまで人数を減らしていた。
閉ざされた国境を超えるべく彼らは賛同者である北方帝国リクシャマー帝国の間で交易を行っていた商人を頼るが、既に追っ手によりサーン・アルフリートらの動きはバキスタ卿の代官に密告されており、また商人は南部地域の諸侯たちによって既に買収されていた。
厄介ごとを恐れたバキスタ卿の代官は密告を受けて彼らを国境付近で捕える。 サーン・アルフリートの処遇についてはバキスタ政庁内およびバキスタ卿の間で揉めたが、結局2か月の投獄の後に処刑が決まる。
投獄された牢獄は決して清潔なものではなく、また与えられた食事も満足なものではなく、尋問と称した拷問が日々行われたため、この投獄により一行は10人にまで減った。 また、この投獄によりサーン・アルフリート自身も旅の途上で受けた矢傷が悪化し左足が壊死してしまう。
密入国の罪で公開処刑されることになったサーン・アルフリート達だったが、高齢であった当時のバキスタ卿の後任として次期バキスタ卿に決まっていたゼダ家家令が偶々その場を訪れていたことで彼らは難を逃れた。
しかし、ゼダ家家令は決して彼らに同情的だったわけではなく、ゼダ家の北方帝国からの撤退をスムーズにするために後の火種を避ける目的でサーン・アルフリートを助けただけの話であり、彼らはバキスタ地方からの即時撤退を求められる。
この際に生き残っていた諸侯とその従者5人が北方帝国へと帰還し、サーン・アルフリートは仲間達と4人(1名は既にそれ以上の旅が続けられない状態だった)と共に、ゼダ家本領のあるリクシャマー帝国内のリクシャマー公国へ密入国する。
しかし、この時期ゼダ家は長年リクシャマー帝国皇帝との軋轢となっていた北方帝国への支援を打ち切ることを既に決めていたためサーン・アルフリートらに対して居城の門を閉じた。
サーン・アルフリートらはこれに対して居城の門の前で座り込み、ゼダ家に北方帝国の窮状を大声で訴え続けた。 その声は城外から場内の隅々へと響き渡り、いかなる扉もその声を遮ることは叶わなかったという。
しかし長旅で衰弱していた彼らは一人、また一人と倒れてゆき、遂にサーン・アルフリートだけになるに至ったが、彼は叫び続けることを止めず、とうとうこれにゼダ家当主も折れ、サーン・アルフリートを居城へ迎え入れた。
この際に行われた会談により、北方帝国の再興の手段に極力武力を使うことを避けることとサーン・アルフリートが北方帝国の当主になることを条件にゼダ家単眼神の群の撤兵を中止した。
しかし、この旅から生きて帰れたのはサーン・アルフリートと衰弱によりバキスタ地方に残した仲間の二人だけであった。
多くの犠牲を払ってゼダ家を説得したサーン・アルフリートは翌年、ゼダ家の後ろ盾と単眼神の群の力を借りソフォフにて既に形骸化していたアーロ・ニッキスの北方帝国政府の廃止と、自身を首席とする新政府の樹立を宣言し、以前の北方帝国政府が諸侯に認めた以上の領内における徴税や軍事、治安維持等における権利を大幅に認めることを条件に政府への帰属を訴えた。
一部の諸侯を除き、諸侯の大半はこの条件を呑んで北方帝国へ参加し、また残りの諸侯も数年のうちに北方帝国政府軍により討伐された。 このことにより、ズヴァン・ダル暗殺より続いた北方帝国の混乱は収まり、後に国主の座をアーロ・ニッキスより正式に譲り受けた際にサーン・アルフリートは自らの名前をハーン・バフリートに改名し、全ての諸侯とゼダ家の承認の元に皇帝を名乗った。
ここに北方帝国制圧戦争によって一時途絶するまで続く皇帝統治による北方帝国の歴史が始まるのである。

逸話

  • ゼダ家説得のための旅路の途中で片足になってしまった彼であるが、将兵の誰よりも馬を上手く乗りこなしたという。
  • また後年に反乱を起こした諸侯の征伐の際にも陣頭で指揮を執り、敵兵を誰よりも屠ったと伝えられている。
  • 非常に大きな声の持ち主であり、彼の声は帝都のどこからでも聞こえたという。
  • 皇帝に即位後は、街道・運河の整備、商業の振興に努めた。 しかし彼の代から既に北方帝国政府の慢性的な予算不足は始まっており、これらが成果として実るのは3代皇帝以降の時代である。
  • 彼自身は後継を「自らの子に限らない。 能力のある者が継ぐべきである」としていたが、彼の死後諸侯は長子のハーン・バルロス・レディンを選んだ。
  • 晩年は足の怪我が原因で衰弱し、後宮の病床で執務を執り行ったが、宦官を介して諸侯や官僚に命令が伝えられることとなった。 この時分の宦官たちはまだ私腹を肥やすなどの不正は比較的(あくまで諸国と比べて比較的である)不正は行わなかったが、後の世に宦官が政治に介入する原因を作ったと言える。
  • 皇帝即位の際に諸侯に対して領土内における多大な権利を与えたが、そのことが央機卿と呼ばれる有力諸侯に政治が牛耳られる原因を作ったとも言える。 また、あまりに諸侯が権限を持っていたため、地方部において条約等を反故にされることを恐れた諸国によって国交の樹立は成されなかった。
  • 北方帝国成立の報酬と、国の後見を任せるためにゼダ家一門の者を北方帝国に招聘し、広い領土を与えて央機卿の一人とした。 帝国の歴史序盤においては彼らは国政に大いに貢献したが、結局は後の北方帝国制圧戦争の一因となってしまう。
  • 様々な欠点もあったと伝えられるが、それでも帝国の民にとって「いかなる苦難があろうとも最後まで諦めずに、文字通り己が心血を削ってまで国を守った英雄」であることに間違いはない。

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