ゆらぎの神話百科事典 - ヴォイグナン・ダゥ・グロシエ
人物

リクシャマー帝国において、魔術師師団の創立に関わった人物。
その間名が示すとおり、魔術師であり、ゴズリング・ダゥ・グロシェ?の養子である。
ステアトの出身で、父親はバキスタの戦いで戦死した騎士であった(異説あり)。

ゴズリング・ダゥ・グロシェの考案したビーンズ式詠唱法を改良し、初級の魔術であれば習得が簡単なウォン派?の魔術にこれを応用して使用することを考案する。
この考案が財務大臣だったマグドゥール・ドゥ・ギボンに見出され、当時再編の進んでいた軍に応用されることになる。

北方帝国制圧戦争時には、魔術師として初の軍務副大臣に抜擢された。

しかし、第二次建国戦争前夜に北方帝国の駐留軍訪問時に、独立派の旧北方帝国領主により暗殺された。(ユハ・ダリンの乱)

ゴズリングとの関係

ゴズリング・ダウ・グロシェの養子として迎えられたヴォイグナンであるが、あくまで死期を悟ったゴズリングによる弟子たちが以後研究を継げるように財産と研究成果を残すために行われた書類上の養子縁組であり、実際には二人の間の年齢差は10も離れてなかったという。
また、ゴズリングは晩年、当時ロズゴール王国領となっていた故郷で静養していたため、ヴォイグナンと殆ど顔を合わせていない。
まだ当時は魔術の研究を行うことの価値が認められておらず、余計な小銭を貯めていると死後、その遺産が軍費として国に徴収されてしまうことはよくあることだったので、そのことからも彼が国がゴズリングの遺産に手を出せない立場の関係者であったことが伺える。
ゴズリング・ダウ・グロシェの養子になった後、マグドール・ドゥ・ギボンが彼の後見人になった。
しかし放蕩の限りを尽くし、ゴズリングの蓄財をすり減らしているように見えた彼の生き方は商人としてのマグドールとは反りが合わなかったらしく、後見人でありながら疎遠な関係が続いた。
その後、マグドールが、政治抗争によって権力を握ったリクシャマー帝国新鋭派?政府に財務大臣として登用されるにあたり、軍事力の再編成に中央政府の制御下の財政規律を持ち込むための一貫として魔術師の力(マグドールは魔術師によって体系立てられていた、数学や会計学を期待したようである)を取り込むために彼をまずは軍務関係の役人として抜擢した。
しかし、その後、彼がほぼ自力で軍務副大臣になった後も、二人は公的な場所以外では滅多に顔を合わせず、葬儀の場になってやっと塩漬けになった死体(ユハ・ダリンの乱の結果、乱が鎮圧されるまでの半年間、彼の遺体は現地のリクシャマー帝国支持者によって保存されていた)と対面した、と言われている。

人となり

ゴズリングの死の直前に養子となったことから、ゴズリングの生前からの弟子達からのうけは良くなかったようである。
また、その放蕩な性格や生き様から、「自身の放蕩のためにゴズリングの遺産を国へ切り売った」という非難が存命中つきまとった。
しかしながら、豪奢な生活や交友関係は、結果論から言えばゴズリングの研究成果を社会に、特にマグドゥール・ドゥ・ギボンの財政改革により軍の再編の進んでいたリクシャマー帝国に知れ渡させ、研究のさらなる資金を得るための手段であったと言えるため、言いがかりのレベルだったとも言える。

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