【ロシアンルーレット】 // プリシッラ、ヒルシャー、トリエラ、ジャン、リコ、ジョルジョ、アマデオ、アルフォンソ、オリガ
        //【】// Humor //2013/04/26


   【ロシアンルーレット】


 午後の作戦二課に淹れたてのエスプレッソの香りが広がった。
イタリア人にしては忙しすぎる職場に所属している社会福祉公社の面々だが、
人生を豊かにする三大要素を放棄するつもりは無く、たちまち大容量のエスプレッソメーカーの周りに
手の空いた人間が集まる。
「あ、お茶請けにこれどーぞ」
 チョコレートやビスケットが並ぶ小さなテーブルに、愛の堕天使が大きめの菓子箱を載せた。
「なんだこれ?」
「ふっふっふ。新商品の『ロシアンルーレット・タルト』だよ〜んっ」
「はあ? ロシアンルーレットぉ?」
 明るいプリシッラの声にわらわらと物見高い課員たちが集まってくる。
「20個の内1つだけが激辛タルトなのさ。一個ずつ取っていって」
「なんでそういうキワモノを買ってくるんだよ」
「いーじゃないの。確率は20分の1なんだから大したことないでしょ。誰が一番運が悪いか、
さあさ運試し、運試し!」
 うえ〜っと嫌そうな顔をしながらも手を伸ばす同僚たちに、
あらら意外と付き合い良いなあとプリシッラは内心驚く。
元々、作戦2課はあちらこちらの組織から貧乏くじを引かされて弾き出されたあぶれ者の集団である。
運の悪さには誰もが心当たりがあるわけで、イタリア人の国民性であるオーバーアクションを差し引いても
嫌そうな顔には結構本気が混じっているだろうことは想像に難くない。
それでも皆が菓子箱に手を伸ばすのは、まあプリシッラの人徳と言うものであろう。
 もっとも参加者たちにも多少の計算はあった。彼女が言うように確率はそれほど高いものではないし、
それになんと言っても運無し者ぞろいの作戦2課でも極めつけに運の悪そうな人間がその場にいたからである。
それぞれが手にしたタルトを口に放り込めば、果たせるかな課室の一角から鈍い悲鳴が上がる。
「うぐっ!?」
 振り返った皆の視線の先には、口元を押さえ長身を折り曲げて悶絶するドイツ人の姿。
    あ、やっぱり。
気の毒にと苦笑する者、遠慮なく爆笑する者。
反応は様々だったが、抱いた感想は薄情なことに概ね同じである。
お約束な人だなあと半ば呆れながらも、菓子を用意した人間は責任上笑ってばかりもいられない。
「大丈夫ですかぁ、ヒルシャーさん?」
「Danke...!」
 愛の堕天使が差し出した水を受け取ったドイツ人が、咳き込みながら思わず母国語で礼を言う。
普段ほとんど訛のないイタリア語で話すヒルシャーだが、さすがにその余裕はないらしい。
手渡されたグラスの水を一気に飲み干し、男はいささか情ない表情で溜め息をつく。
どうやら辛いものは得意ではないようだ。
「………すごい味だな」
「いやあ、期待通りのいいリアクションでしたねえ」
 あははーと悪気のない笑いで答えるプリシッラに、男は苦笑いである。
「次回があるなら、今度は当たり外れの無いものの方がありがたいんだが」
「それじゃあ、今度はお詫びに『ジオリッティ』で一番人気のチョコラータをご馳走しますよ」
 100年以上の歴史を持つジェラテリア(アイスクリーム屋)の名前を出され、ヒルシャーは顔をしかめた。
「それは僕よりもトリエラに食べさせてやってくれ。甘いものは苦手なんだ」
「担当官が好き嫌いしてちゃ駄目じゃないですか〜」
 生真面目なドイツ人をからかいながらも次の休みには義体の少女たちにアイスクリームを
買ってくることを約束し、その日の小休憩は大変和やかな雰囲気でお開きとなった。
   しかし、このささやかなレクリエーションが後日阿鼻叫喚を巻き起こそうとは、
この時は誰も予想しなかったのである。






「こんにちは、プリシッラさん」
「あ、トリエラ。ヒルシャーさんだったら今資料室に行ってるよ〜。呼んできてあげようか?」
 明るく軽く元気よく。いつもの調子で応えた愛の堕天使に、ツインテールの優等生は礼儀正しくそれを遮る。
「いえ、いいんです。今日はプリシッラさんと二課の皆さんに差し入れを持ってきたんですから」
「へ?差し入れ?」
「どうぞ。クラエス特製の『ロシアンルーレット・クッキー』です」
   はい?」
 妙に既視感を覚える少女の台詞にプリシッラの本能が黄色信号を点滅させた。
少女が差し出した小さなバスケットには直径4センチ程のきっちりと積み上げた赤いクッキーが20枚。

     なんだかステキにヤバイ予感がするんですけど?

「あの、なんかスゴイ赤いんだけど…これ、ナニが入ってるのか…な…?」
「唐辛子ですよ。ハバネロとかいう種類だそうです」
    ハバネロ。東洋の島国では『暴君ハバネロ』の異名を取る、激辛の誉れ高き唐辛子。
「昨日は随分と楽しいお茶会だったと担当官に聞きましたから、私たちも真似してみようかと。
でも全く同じパターンでは芸がないですから、ひとひねりしてみました。
20枚のうち19枚がハバネロクッキーで、一枚だけ辛くないパプリカクッキーが入っています。
どうぞ一個ずつ取っていってください。誰が一番運がいいのか、運試しですよ」 
 ひねらなくていい、ひねらなくていい。
自分がタルトを勧めた時のセリフを変化球で返されて、愛の堕天使は引きつった笑いを浮かべる。
勿論、義体は公社の人間に危害を加えないように条件付けされているのだから、
この真っ赤なクッキーも生命の危機に立たされるようなシロモノではないだろう。   そのはずだ。
 しかし相手は義体一条件付けの緩いトリエラである。『クラエス特製』と言っても
おそらくトリエラ自身も手伝ったであろうし、その際このクッキーの肝であるところのハバネロの量が
彼女によって決められたとすれば、結構スゴイ事になっている可能性は高い。
 なんとかして危険を回避しようと、愛の堕天使はお愛想笑いのまま人差し指を立てて優等生に指摘する。
「ええと、でもトリエラ、そしたらヒルシャーさんにもその激辛クッキーが当たる可能性があるじゃん?
昨日に続けて辛いお菓子って、ヒルシャーさんが気の毒じゃないかなあ」
「大丈夫です。ヒルシャーさんの分は私が代わりに食べますから」
 きっぱりと答えるトリエラ。
担当官の身代わりは義体の本領。とは言え、担当官に反抗的なことで有名だった彼女が、
わざわざこんな手間ひまかけてヒルシャーの仇を討ちにくるとは。
乙女心って変わるものよねとからかってやりたい所だが、ちょっとこの場でそれを口にするのは命が惜しい。
「自分にだけ分かるように目印がつけてあるんじゃねぇの?」
 度胸の使い所を間違えているジョルジョが疑わしげにそう言えば、
少女はにこりともせずに生真面目に答える。
「そんな卑怯な真似はしませんよ。私は皆さんが選んだ後で、最後の一個をいただきます。
それなら公平でしょう」
 相打ち上等。少女の背後に立ち昇る不穏なオーラに課員たちは思わずたじろぐ。
「えーと俺は課長に報告に行くから……」
「オレも資料取りに行かなくちゃ……」
「ではどうぞ最初に選んでください」
「う……」
 下手な言い訳で逃げ出そうとしたアマデオとアルフォンソは目の前に突き出されたバスケットに
進路を塞がれる。助けを求めて周囲を見回すが、無論援軍はない。
 何で俺らがこんな目に。
昨日彼女の担当官の有様にひとかけらの同情もなく笑い転げていた己の行動を棚に上げ、
二人は哀れっぽく真っ赤なクッキーを見やる。天を仰いで十字を切ると
それぞれ一枚を手に取り思い切って口の中に放り込んだ。
ぼりぼりぼり…不気味に静まり返った課室にクッキーを噛み砕く音が響く。
「……なんだこれ、以外と辛くな    
 陽気なイタリア男たちがほっとしたように言いかけた、その途端。 
「辛ッ!!? つか痛ェっ!!」
「水!水、水っっ!!!」
 たちまち響く阿鼻叫喚。周囲の課員はいっそう青ざめる。
「これもらうぞプリシッラ!」
「あっ、まだそれ熱い……」
「〜〜〜〜〜ッッッ!!!」
 近場にあった熱いコーヒーをあおったアマデオは声にならない悲鳴を上げて廊下に飛び出し、
給湯室へ向かって瞬く間に走り去る。
アルフォンソが手にした自分のマグカップのコーヒーは幸いそれほど熱いものではなかったが、
口内の消火活動には到底不十分な量であり、こちらもやはり同僚の後を追って課室から駆け出す。
「……………」
「……………」
 己の未来予想図を目の当たりにした課員たちの沈黙に、トリエラは挑戦的な笑みを浮かべた。
    さあ、皆さんもどうぞ」
 


 その後の光景はおおむね先行の二人に倣うものだった。
青い顔をした課員が一人また一人と恐怖の焼き菓子におそれおののく手を伸ばし
   冷静になってみればこんなゲームに付き合う義務はないはずなのだが、
なんだかんだ言っても皆彼女の担当官に対する多少の罪悪感は持ち合わせているため、
有無を言わさぬ義体の迫力に呑まれてつい手を出してしまうのである――
口に入れた途端に真っ赤になると給湯室に向かってすばらしい俊足を披露する。
辛い物は好物だと豪語していた連中はさすがに踏みとどまったものの、
発汗量と水分摂取量が増加しているのは明白だ。
 そんな次々に課員が飛び出していくオフィスの出入り口から、ドスの効いた低い声が聞こえた。
「何の騒ぎだ」
「!ジャンさん!」
 鬼のリーダーの登場に、トリエラも含めた全員に緊張がはしる。
「ジャンさんも一つどうすか、トリエラの差し入れです!」
 すかさずクッキーを勧めるジョルジョ。
一枚でも枚数を減らして自分の分担を回避しようという思惑か、
冷厳冷徹なリーダーのポーカーフェイスを崩してやろうという危険な遊び心か、
はたまたやんちゃの過ぎる義体に対する教育的指導を誘発しようという計算か。
どれにせよ傍迷惑なこの行動に『やめろこの馬鹿!』と同僚たちの声なき絶叫が上がる。
 じろりと赤いクッキーを一瞥したジャンは、しかしこれに対して予想外の対応をみせた。
担当官の後ろから興味深々でバスケットを覗き込んでいるショートカットの少女に顎をしゃくり、一言。
「いらん。リコ、俺の分を食べておけ」
「はい」
 嬉しそうに返事をする純真無垢なフラテッロ。
無関係な友人に被害が及ぶことに危機を覚えたトリエラが止める暇も有らばこそ。
ひょいと一番上に乗っていたクッキーを取り上げて口に入れ、ぽりぽりと健康的な咀嚼音が響く。
     が。
 その後は何事も起らない。
周囲の大人たちが無言で見つめる中、ごくんと口の中のものを飲み込んで
ごちそうさまでしたと礼儀正しく挨拶をした年下の友人に、トリエラがおそるおそる問いかけた。 
「……辛くない?リコ」
「うん、ぜんぜん。でもなんだか変わった味だね」
「あー、うん…多分パプリカの味……」
「そうなんだ」
 野菜のクッキーって身体に良さそうだね、と幸運の女神に愛された少女は無邪気に笑う。
どうやら通りすがり様子を見に来ただけだったらしいリーダーは、自分のデスクには向かわず
リコが食べ終わると「行くぞ」と短く声を掛けてまたオフィスを出て行った。
 あとに残されたのはハズレ確定のクッキー数枚と呆然とした表情の課員たち。
「…………さあ。どうぞ、残りを召し上がってください」
 相打ちを覚悟したトリエラの目はすわっている。
背筋につつーっと流れる冷たい汗を自覚しながら愛の堕天使は必死の抵抗を試みる。
「い、いやぁ、今ので一番運がいいのか分かったじゃん。あとはもう食べなくてもさ   
「たまたまリコが辛いものが得意なだけだったのかもしれませんし、
本当に当たりのクッキーが一枚だけなのか、全員食べてみないと確証は得られないでしょう」
 それにここで食べずに済ませたらすでに食べ終わった方から後々恨まれますよ、と言われ
ついにプリシッラは観念した。なにしろこの騒動の発端であるジョーク菓子を買ってきた本人なのだ。
トリエラの言うとおり、食べなければ後が怖い。
「……あんたも同罪でしょ」
「……分かったよ」
 唯一の希望をリーダーとそのフラテッロに振ってしまったジョルジョを堕天使が睨んで促せば、
自分だけが泣きを見てたまるかと傍迷惑男は残りの課員に強制的に赤いクッキーを配布する。
ほどなく危険物が全員に行き渡り、一同は情けなさそうに顔を見合わせると
せーのでそれを口に放り込んで一気に咀嚼し嚥下した。
「〜〜〜〜〜〜っっっ!!!」
 涙目になって口元を抑える大人たちの様子に恐怖のゲームの企画者である二つ髪の少女は
担当官の仇を討ち果たしたことを満足げに確認すると、もはや厳かともいえる仕草で
宣言どおり最後にひとつ残った赤い暴君の潜む焼き菓子に手を伸ばした。
 ――と、突然背後からスーツ姿の腕が現れ、褐色の指がクッキーをつまむ前にそれをさらい上げる。
驚いて振り返った少女の鼻先には見慣れたダブルのスーツ。
あわてた少女が警告の叫びを上げようとしたその瞬間。
   げほごほっっ!!?」
 盛大にむせ込んだ担当官の姿に少女が悲鳴を上げた。
「ヒルシャーさんっ!?」
「……だ、大丈夫だ。ほとんど噛まずに飲み込んだから」
 昨日の経験を生かして最小限のダメージでやりすごしたらしいドイツ人は、
持参していた水のペットボトルを一気にあおる。
「どうしてあなたがそれを食べるんですか!?」
「君の健康管理は担当官である僕の役目だ。“たとえ実害はないにしても”
無用な刺激物を摂取しようとするのを見過ごすわけにはいかないだろう」
 年下のパートナーをかばってのセリフだろうが、辛味成分の刺激でガラガラになっている声で言っても
説得力がない。案の定、それを聞いた少女の悲鳴が怒声に変わる。
「それを言うなら担当官の安全を図るのは義体の役目でしょう!
これでは何のために自由時間を削りリスクを負ったのか…まるっきり無意味です!」
 担当官の身に危険が及ぶほど唐辛子を盛ったのかよ!と声に出さずに突っ込んでいる
激辛クッキーの被害者に対する牽制も含め、げほげほむせながらもヒルシャーは果敢に義体の説得を試みる。
「だから実害はないと言っているだろう!僕が危険な目にあったわけでもないのだから、
君が役目を果たせなかった事にはならない!」
 しかしながら相手は優秀なくせに一度感情的になると判断力が急低下する不器用娘である。
今回もヒートアップした彼女に担当官の意図は伝わらず、スーツの裾をぎゅぎゅっと握りしめ
青い瞳の縁に涙を一粒盛り上がらせる。
「あなたはいつもそうやって……もういいです!!」
「トリエラ!待ちなさい!!」
 暴風のごとく走り去る少女と後を追う担当官。
派手な親子喧嘩、もとい兄妹喧嘩を繰り広げたお騒がせフラテッロが課室を去れば、
後には取り残された課員が唖然として立ち尽くすばかり。
「…………」
「…………」
「………あ〜…えーと……おつかれ?」
 あははーと乾いた笑いで周囲を見回した愛の堕天使に、恨みがましい目つきの面々がうなる。
「……後でおごれよプリシッラ」
「……は〜い」
 ジョーク菓子なんか買うんじゃなかった。三日後に振り込まれる予定の今月の給料が
瞬く間に消えてゆく様を想像し、プリシッラはため息をつく。
「あ〜、でもまさかあそこでリコに持っていかれるとは思わなかったな〜〜。
まあ、おかげでジャンさんの雷が落ちずにすんで助かったけどさ」
「結局一番運がいいのは、強運のフラテッロを持ってるジャンさんってことか」
 ジョルジョの言葉に納得しかけたプリシッラだったが、そこではたと首をひねる。
「あれ?でもさ、昨日参加してなかったジャンさんの分をリコが食べたって事は、
誰か一人食べないですんだって事だよね?」
「ああ?……そう言やそうだな。けど今課室にいる人間は全員食ったぜ。誰が食わなかったんだ?」
 辺りを見回した視線の先に、タイミングよろしくオフィスのドアをくぐった大柄な女性の姿が。
「ただいま。ああもう、ミラノまで列車で往復とか勘弁してほしいわ」
「オリガ!!」
 

 その後、自分のあずかり知らぬところで同僚の恨みを買ってしまったロシア人は、プリシッラとともに、
しばらくの間これをネタに呑み代をせびり倒されることになるのであった。


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