朝鮮人戦時動員、いわゆる強制連行に関するウィキです。

否定派の主張

戦争が始まる前も戦時中も、朝鮮からの出稼ぎ者が(時には密航してまで)日本へやって来た。従って、わざわざ「強制連行」する必要はなかったはずだ。

反論

朝鮮半島の余剰労働力の枯渇と動員を忌避する風潮の高まりによって強制の苛烈さも増した


確かに当時の多くの貧しい朝鮮人にとって、朝鮮より賃金の高い日本は魅力的な出稼ぎ先でした。そのため日本へ出稼ぎにやって来る朝鮮人は多く、同時に日本に定住する人の数も増え、戦時動員の始まる1939年にはおよそ百万人の在日朝鮮人がいました。


1939年頃の朝鮮では、日本による植民地支配下の厳しい地主制により、多くの貧しい小作農民が苦しい暮らしを余儀なくされていたことに加え、死者を出すほどの大旱魃にも見舞われていました。そのため、募集が始まった当初は応募者が殺到しました。(資料1資料9)しかし、主な動員先が危険を伴う炭鉱であったこと、動員先の過酷な状況が次第に知れ渡っていったこと(資料10)で、動員に進んで応じる人は減っていきました。また、朝鮮半島内での余剰労働力が減少する一方で日本で必要とされる動員数が増加していったことで本来の方法での募集が困難になってきました。そのため、動員の強制性・暴力性も増大していったのです。

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