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詐欺の歴史

曽根崎心中

 曽根崎心中(そねざきしんじゅう、曾根崎心中)とは、物語のうちの一つ。近松門左衛門(以下、近松)が書いた人形浄瑠璃 や歌舞伎の演目として有名。
 『曽根崎心中』は、元禄16年(1703年)4月7日早朝に大阪堂島新地天満屋の女郎はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の 手代である徳兵衛(25 歳)が梅田・曽根崎の露天神の森で情死した事件に基づいている。
  

あらすじ

 醤油屋の手代・徳兵衛と、遊女のお初は恋し合う仲であった。物語は、徳兵衛とお初が生玉の社で久しぶりに偶然再会したシーンから始まる。便りのないことを責めるお初に、徳兵衛は会えない間に、自分は大変な目にあったのだと語る。
 徳兵衛は、実の叔父の家で丁稚奉公をしてきた。誠実に働くことから信頼を得、店主の姪と結婚させて、店を持たせようという話が出てきた。
 徳兵衛は、お初がいるからと断ったが、叔父のほうは徳兵衛が知らないうちに、結納まで済ませてしまう。固辞する徳兵衛に、叔父は怒り、とうとう勘当を言い渡す。その中身は、商売などさせない、大阪から出て行け、付け払いで買った服の代金を七日以内に返せ、というものであった。徳兵衛は、やっとのことで、継母から結納金を取り返すが、どうしても金が要るという友人・九平次に三日限りの約束でその金を貸す。
 語り終えたところで、九平次が登場。同時に、お初は喧嘩に巻き込まれるのを恐れた客に連れ去られる。徳兵衛は、九平次に返済を迫る。が、九平次は借金など知らぬと、逆に徳兵衛を公衆の面前で詐欺師呼ばわりしたうえ、散々に殴りつけ、面目を失わせる。兄弟と呼べるほど信じていた男の手酷い裏切りであったが、死んで身の証を立てるより他に、身の潔白を証明し、名誉を回復する手段が、徳兵衛にはなかった。
 徳兵衛は覚悟を決め、密かにお初のもとを訪れる。お初は、他の人に見つかっては大変と徳兵衛を縁の下に隠す。そこへ、九平次が客として、お初のもとを訪れるが、素気無くされ、徳兵衛の悪口をいいつつ帰る。徳兵衛は縁の下で、怒りにこぶしを震わせつつ、お初に死ぬ覚悟を伝える。
 真夜中。お初と徳兵衛は手を取り合い、露天神の森へ行く。互いを連理の松の木に縛り覚悟を確かめ合うと、徳兵衛は脇差でお初の命を奪い、自らも命を絶つ。
 なお、歌舞伎では徳兵衛の叔父が帰らない徳兵衛を探して天満屋を尋ねてくる場面と、お初と徳兵衛が天満屋を抜け出した後に油屋の手代が天満屋を訪れ、それによって九平次が徳兵衛の金をだまし取ったことが露見する場面が追加されている。

稲羽の素兎(いなばの白兎) 古事記−大国主神

 大国主(オホクニヌシ)神の兄弟には八十神(やそがみ)がいた。しかし皆、国を大国主神に譲った。その譲った理由は―。

 八十神は、それぞれ稲羽(いなば)の八上比売(ヤガミヒメ)を妻にしたいという心を持っており、共に稲羽に出かけた時に、大穴牟遅(オホナムヂ)神に袋を背負わせ、従者として連れて行った。このようにして気多(けた)の岬にやって来た時、丸裸の兎が伏せっていた。そこで八十神は、その兎に、「おまえがすべきことは、この海の潮を浴び、風の吹くのに当たって高い山の峰の上で伏せっていることだ」と言った。そこで、その兎は八十神の教えに従って伏せった。すると、その潮が乾くにつれて、その身の皮はことごとく風に吹かれて裂けてしまった。
 そこで、痛み苦しんで泣き伏せっていると、最後にやって来た大穴牟遅神がその兎を見て、「どうしておまえは泣き伏せっているのか」と言った。兎は、「僕は淤岐島(おきのしま)にいて、こちらの地に渡ろうと思いましたが、渡る術がありませんでした。そこで、海の和邇(わに)を欺いて言ったのです。――私とおまえとで競い、仲間の多い少ないを数えようと思う。そこで、おまえはその仲間をいるだけ従えて来て、この島から気多の岬まで、皆で列になって伏せって並べ。そこで私がその上を踏んで、走りながら数えて渡ろう。そのようにして私の仲間といずれが多いかを知ろう――と。そのように言うと、欺かれて列になって伏せったので、私はその上を踏んで数えながら渡って来て、いざ地面に下りようとした時でした。私が、おまえは私に欺かれたのだ、と言うと、言い終わるや一番端に伏せっていた和邇が私を捕えて、ことごとく私の衣服を剥いでしまったのです。このような理由で泣き悲しんでいると、先にやって来た八十神が命令して、海の潮を浴び、風に当たって伏せっていろと告げました。そこで教えられた通りにすると、私の身はことごとく傷ついてしまいました」と答えた。

 そこで大穴牟遅神はその兎に、「今すぐにこの河口を訪れて水でおまえの身を洗い、その河口の蒲黄(かまのはな)を取って、敷き散らしてその上に転がれば、おまえの身は元の肌のようにきっと癒えるだろう」と教えた。そこで教えられた通りにすると、その身は元通りになった。これが稲羽之素菟(いなばのしろうさぎ】である。今は兎神(うさぎがみ)と言われている。
 そこで、その兎は大穴牟遅神に、「あの八十神は、きっと八上比売を得ることはできないでしょう。袋を背負ってはいても、あなた様が得ることでしょう」と申し上げた。

 知恵のある陸上の小動物が愚かな水棲動物を騙して川を渡ることに成功するというのは、東南アジアやインドなどに見られる動物の川渡り(知恵比べ)の典型例である。

八十神の迫害 古事記−大国主神

 このようなわけで八上比売(ヤガミヒメ)は八十神(やそがみ)に、「私はあなたたちの言うことは聞きません。大穴牟遅(オホナムヂ)神に嫁ぎます」と答えた。そこで八十神は怒り、大穴牟遅神を殺そうと思って共に相談し、伯伎国(ははきのくに)の手間山(てまのやま)の麓を訪れると、「赤い猪がこの山にいる。そこで我々が追い下ろすので、おまえは待って捕えよ。もし待って捕えなければ、必ずおまえを殺すだろう」と言って、火で猪に似た大石を焼いて転がし落とした。
 そこで追い下ろされたのを捕えようとすると、その石に焼かれて死んでしまった。そこでその御祖命(みおやのみこと)が泣き悲しんで、天に参上して神産巣日之(カムムスヒノ)命に頼むと、討貝比売(キサガヒヒメ)と蛤貝比売(ウムギヒメ)とを遣わし、作らせて生き返らせさせた。討貝比売(キサガヒヒメ)が岐佐宜(きさげ)集めて、蛤貝比売が待ち受けて母乳汁(おものちしる)を塗ると、立派な男となって出歩けるようになった。

 そこで八十神はこれを見て、また欺こうとして山に連れて入り、大木を切り倒し、楔をその木に打ち立ててその割れ目に入らせると、その楔を引き抜いて挟み殺した。そこでまたその御祖命(みおやのみこと)が泣きながら探すと、見つけることができた。そこでその木を割いて取り出して生き返らせ、その子に、「おまえはここにいたら、遂には八十神によって滅ぼされてしまう」と告げて、木国(きのくに)の大屋毘古(オホヤビコ)神の所へ送り逃がした。
 すると八十神が追い求めてきて、矢をつがえて引き渡しを求めた。その時、木の股をくぐらせて逃がし、「須佐能男(スサノヲ)命のおられる根堅州国(ねのかたすくに)向かいなさい。きっとその大神(おほかみ)が計らってくれるだろう」と言った。


2007年05月21日(月) 16:44:50 Modified by hanamaru0002




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