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 夕焼けで赤の陰影が刻まれる教室。俺は目の前の少女が、清花(さやか)が涙を流して言葉をまくし立てるなか、
何も言えずに突っ立っているしかなかった。
 始めは思い直すよう説得していたはずが、いつの間にか彼女の感情に呑まれ言葉を失ってしまっている。
「しかたないじゃないっ!!六千万の借金をあと3日でそろえるなんてどう考えても無理でしょ!?
 もう納得もした!お別れも済ませた!今更私の心をかき乱さないでよ!!」
 なにか。なにか言い返さなければここで全てが終わってしまう。その直感にどうしようもなく背筋が凍る。
 きっとこの直感は勘違いでもなんでもない。確かなリアル。その絶望感に背中を押され、なんとか言葉を絞り出す。

「でも…!お前の親父さんが勝手に抱えた借金なんだろ?
 どうして清花が自分の体を、人生を犠牲にしてまで背負わなきゃならないんだ!!」
「実の父親を見捨てられるわけないでしょバカァッ!!」

「お父さんは、私のために借金を抱えて、いつも自分を犠牲にして今まで辛いなか生きてたんだよ…?
 そんなことを知って、お父さんを我が身かわいさで見殺しにできると思うの!?できるわけないじゃない!!
 私一人が犠牲になるだけで家族みんなが幸せになれるならそれを選ぶべきなのよっ!!」
 そうまくしかえされ頭がぐらつく。なんとか切り返せる部分を必死で探すしかない。その間の沈黙が、果てしなく、怖い。
「…清花。違う…。間違ってるっ。清花が犠牲になって幸せになれる家族がいると思ってるのか?
なれるわけがないだろうっ!そうじゃないのか?
 お前の親父さんだって、一生自分の娘を犠牲にしたことを後悔することにな――」
「じゃあどうすればいいっていうのよ!!!!」
 瞬間、聞いたこともない怒号のような叫びが清花の方から響いた。
 びくり、と体が硬直し自分の口がポカンと間抜けに開いているのが分かる。
信じられなかった。
普段声をあげることはあってもここまで…、ここまで感情すべてを押し込んだ悲痛な叫びが、
この清花の口から放たれたところは見たこともない。
信じられなかった…。
 息を荒げその双眸から涙を流して睨みつける清花の姿が、俺の言葉にどうしようもなく傷ついているのが。
信じ…られなかっ…た。

 俺は…。既に追い詰められていた清花を、さらに追い詰めていただけじゃないか…。なんてことを、なんてことをしていたんだ俺は…!!
 茫然と立ち尽くす俺に対し、清花の方は、息がわずかにととのってきたようだった。その代わりか…、潤む目にはもはや何の力もない。
「ねぇ…どうすればいいの?どうすれば私は幸せになれるの?
 お願い教えて…。教えてよ……」
 そんな、普段の清花からは想像もつかない、押せば倒れてしまいそうな儚い姿に、俺は何をすることも、できなかった。
 冷たい現実に、無力な自分に、徹底的に打ちのめされ、自分を責めることしかできていない。
 なんでっ、俺はこうなんだ…!普段どれだけ成績がよかろうと、どれだけ運動ができようと、こんなときに…、
清花のために何もできなかったら意味ないだろうがっ…。なんとかしやがれこのヘタレ野郎!!!

…そうしてどれほど無為な時間が経過したときだろうか。俺は、決してこぼしてはいけない一言を、こぼしてしまった。

「…好き、なんだ」
 えっ…?と顔を上げる彼女の目を見据える。言ってしまった以上逸らす訳にはいかない。それは今以上にやってはいけないっ。
「清花のことが…、好きなんだ。ずっと好きだったんだ。それなのに、行かせられるわけないだろう…!!
 どこの誰ともしらないやつらに、清花が抱かれるのを許せるわけが、ないだろう!!」
 そうだ…。はじめからその思いしかなかった。
 その名前のように清らかな彼女を、すべて汚しつくされると思うだけで、心が壊れそうになるくらい痛かった…!
 いつも俺と一緒にいた清花を、俺なんかをひっぱってきてくれた清花を、俺の大切な人を救いたい!
 その一心で彼女を呼び止めていたのに…っ!!
「…なんて……」
 清花の顔が、心が引き裂けそうな悲痛さを表して歪む。
「…なんてことを…いうのよ……」
 枯れていたと思った涙がまた湧き出して、すっかりかすれてしまった清花の声が俺の心を、責めたてていた。
 …分かってた。こうなることは分かってた!彼女もまた俺を好きでいてくれたことも分かってた!
 そんな彼女に、今の彼女に、それを告げることがどんなに酷だってことも分かってて、でも言わずにはいられなかった…!!
 彼女は我が身愛しさに家族を見捨てられない。それが分かってて俺は…っ!!!

…いつの間にか清花が俺の胸のなかにいた。
 壊れものを扱うようにゆっくりと覗きこんだその顔。
 その顔を見た瞬間、今まで以上にぞっとする寒気が背筋にはしる。
 その表情にさっきまではなかった、すべてを受け入れた決意があるのが、俺にはよくわかってしまう。
 俺の中のどこかで、既に彼女の覚悟のすべてを理解してすらいるのがわかる。でも、でもそれは――
「お願い。私が汚れちゃう前に、私の処女をもらってほしいの」
 心が、折れた。その音を確かに聞いたような気がした。
 握りしめていた拳から、突っ張っていた腕から、色んなとこから力が抜けた。
 無力、感…。なぜ、俺はこれほどまでに、無力なのか…。
そして…、もう、彼女はゆるがない。その事実を確認したことが、何よりも悲しくて、悔しくて、情けなかった…。
「清花…………」
 そんなしわがれた声を返すしてどうしようというのか…。足元がふらつき、現実感の失せるなか、すがるように清花を抱きしめた。
 教室にはもうずっと、暗闇が満ちていた。




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