これは入不二基義(いりふじ・もとよし)のWikiです



2016年全日本マスターズレスリング選手権大会 (シングレットを着用し試合に臨もうとしているところ)


片足タックルからのテイクダウン!(2016年9月桜花レスリング道場での合宿・練習試合のワンシーン)


桜花レスリング道場合宿での2分スパーリングの動画・二枚刈りの股裂きからの抑え込み


NPO法人スポーツ指導者支援協会作成「ざまあみやがれ シニア・アスリートの新しき挑戦  入不二基義編「レスリング」」


青山学院大学研究者情報のページ
Scrapbox: https://scrapbox.io/irifuji-home/
Twitter: https://twitter.com/irifuji

講談社のHPの『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)の紹介ページ

研究社のHPの『英語で読む哲学』(研究社)の紹介ページ

春風社のHPの『哲学の挑戦』(西日本哲学会編)の紹介ページ

NHK出版のHPの『Q わたしの思考探究(1)』(NHK「Q」制作班 編)紹介ページ

講談社のHPの『<私>の哲学 を哲学する』(講談社)の紹介ページ

朝日出版社のHPの『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)紹介ページ

筑摩書房のHPのちくま学芸文庫版『相対主義の極北』紹介ページ

筑摩書房のHPの『哲学の誤読 ―入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)紹介ページ

勁草書房のHPの『時間と絶対と相対と ―運命論から何を読み取るべきか』(双書エニグマ14)紹介ページ

NHK出版のHPの『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(シリーズ・哲学のエッセンス)紹介ページ

講談社のHPの『時間は実在するか』(講談社現代新書)紹介ページ

告知
(以前に告知したものは、こちら→以前の告知にあります)

◎ 『現実性こそ神(仮)』(筑摩書房)
次の単著は、『現実性こそ神(仮)』(筑摩書房)を予定しています。すでに筑摩書房の増田健史さんと打ち合わせを始めています。
第一章は「現実性と潜在性」
第二章は「事実性と様相の潰れと賭け」
第三章は「現実の現実性と時間の動性」
で構成することは、ほぼ確定しています。
【2018年3月8日記】

◎ NPO法人スポーツ指導者支援協会作成の「ざまあみやがれ シニアアスリートの新しき挑戦 入不二基義編「レスリング」」が完成しました。


スポーツ経験のなかった大学教授が51歳にしてレスラーになった!
 
青山学院大学教授の入不二基義さんは、それまで格闘技の経験がないだけでなく、スポーツ経験もほとんどなかったが、キックボクシングで勝利をおさめた息子さんの姿を見て、レスラーを目指したくなったという。普通なら、50歳を越えて初めてレスリングの世界に飛び込むなどあり得ない話だろう。58歳になった今の目標は68歳まで続けることだというが、世代を超えた仲間との出会い、ライヴァルとの闘いをもっとも楽しんでいるのは、新しい世界に挑戦し続けている彼自身にちがいない。

【2017年4月23日記】

◎ 『51歳でレスリングを始めた哲学者』(仮題、ぷねうま舎)の企画
・ ぷねうま舎の中川和夫さんに担当していただいて、私のレスリング体験記・ルポとレスリングについての考察を織り交ぜた本を書くことになりました。
・ 『読書人の雑誌 本』(講談社)の連載が終了し、註を付け修正加筆して単行本化した後に書き始めますので、まだしばらく先の話ですが。
・ 身辺雑記(メモ)の2013年6月3日・4日のところもご参照下さい。
【2013年6月12日記】

◎ 『新・<思考する>英文読解』の企画
・ 『運命論の運命 ─あるようにあり、なるようになる』(仮題、講談社)を完成できた後に、レスリング考察本(『哲学者、51歳でレスリングをはじめる』(仮題、ぷねうま舎))の執筆を始めます。
・ さらにその完成後になるので、早くても数年後というずっと先の話ですが、『新・<思考する>英文読解』を、研究社の佐藤陽二さんに担当していただいて、執筆する企画(予定)があります。
・ これまで、『<思考する>英文読解』の復刊を望む声が一定数あり、復刊のオファーも複数社からありました。しかし、昔書いたものをただ単に「復刊する」というのが嫌で、断ってきました。
・ そういう経緯がある中で、次の二点を佐藤さんに提案して、快諾を頂いたので、企画としてスタートさせる気になりました。
(1)使用する英文は同じものでも、解説や構成を全面的に変える。つまり、今の私の考え方に従って、全面改訂する。
(2)かつて『高校英語研究』(研究社)に連載した「プレ原書講読」(相対主義について解説した英文の講読演習)を、第10講として追加する。さらに、第11講を新たに追加するかもしれない。
・ まだあくまで企画段階ですので、この先どうなっていくかは分かりませんが、興味を持ってくれる方がいそうなので、告知させてもらいます。
【2014年9月2日記】

公開原稿
2018年東北大学入試 国語【一】コメントと解答例(©入不二基義)

機チ澗療なコメント
供セ笋硫鯏例と設問へのコメント
掘ヅ賈迷膤悗痢崕仟螳嫂泙塙嵒勝
検ジ軻匹砲弔い討離灰瓮鵐
(東北大の入試で使われた私の文章(「私たち」に外はない)を筆者自身が解説し、設問に答え、予備校が作成した解答例を検討するという「変な文章」です。)
「現実の現実性と時間の動性」 in 『哲学論叢』第44号, 2017(京都大学哲学論叢刊行会), pp.1-15.

編著『英語で読む哲学』(研究社)の「はじめに」の部分

「概念を動かしてみる」東京書籍 ニューサポート 高校国語vo.22 特集「大学への国語」

「映画『Love Letter』の図書室」(青山学院大学図書館報AGULI 86号(2009.11.01)特集「図書館での出会い」):『足の裏に影はあるか?ないか?』に載せたエッセイの補遺みたいなエッセイ  

「 中島敦『山月記』『名人伝』」(青山学院大学図書館報AGULI 75号(2006.11.1)特集「お薦めの本」): 野村萬斎らによる芝居「敦ー山月記・名人伝」を観た直後だったので書いたエッセイ     

「「語りえぬものを語る」ことで語られないこと―相対主義・他者・相貌・自由―」(What is not Spoken of in “Speaking of the Unspeakable”― Relativism, Others, Aspects, and Freedom―)<哲学雑誌『語りえぬもの』(有斐閣)第127巻第799号, 2012年所収予定原稿>

「無についての問い方・語り方―「無ではなくて存在」ではなく―」(The Way of Speaking of Nothingness ― It is NOT that there is something rather than nothing.)Heidegger-Forum Vol.6, 2012.pp.22-37.所収)

田島正樹著 『神学・政治論 政治哲学としての倫理学』(勁草書房)へのコメント(2010年3月28日(日)cogito研究会,学士会館)
なお、ララビアータ(田島正樹の哲学的断想)の2011年06月22日に、上記コメントへの田島さんの応答・再批判があります。

「私の死」と「時間の二原理」」(『時間学研究』第3巻,山口大学時間学研究所,pp.15-28,2009年3月31日発行・10月に公刊)

「「論理」をはみ出していく「現実」」(『心理臨床研究』第9巻巻頭言, 青山学院大学大学院文学研究科付置心理相談室発行, 2009年3月発行) 註:この原稿は、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)所収のエッセイ「あるパズル」の続編として書かれている。「あるパズル」の後に読んでいただく方が、いっそう分かりやすいと思われる。

「プロタゴラス説のあるべき姿」(『ギリシャ哲学セミナー論集』Vol. III /2006, pp.15-30.)


身辺雑記(メモ)
◎ 2018年9月15日(土) 「アウトライン変更/「生」の格闘技と「死」の格闘技」
・ 中部哲学会シンポジウム発表用「レスリングする身体」のアウトラインを少し変更して、全体の「量」を削る。

0.レスリング行為・レスリングする身体
・ レスリング「行為」
・ レスリングする「身体」
・ 4つの概念によって特徴づける
1.拮抗中間的な場
(1)ヒトと動物のあいだで揺動する行為・身体
(2)親密性と攻撃性のあいだで揺動する行為・身体
(3)「接続か切断か(=線引きの更新)」が問題化する行為・身体
2.メタコミュニケーション
・ G.ベイトソン『精神の生態学』
・ レスリング行為におけるメタコミュニケーション
3.「生」の格闘技
・ 「生」の格闘技と「死」の格闘技
・ レスリング的な善さ
4.「力の場」の共同探求
・ 力の場
・ 力の場の遷移
・ 力の場の探求
・ 探求の共同性
・ 「技」:ネルソン
5.レスリングとプロレス
(1)レスリングとプロレスの断絶性
(2)レスリングとプロレスの連続性
(3)観客の存在
(4)プロレスする身体
(5)レスリング行為における「第三者」 ≠「観客」
・ レスリングとプロレスの「遠くて近い」関係 (まとめ)
おわりに


・ 3のところで、私が導入する「生」の格闘技と「死」の格闘技という対比は、「闘いを続けるための闘い」と「闘いを終わらせるための闘い」の対比である。

【2018年9月15日記,16日追記】

◎ 2018年9月14日(金) 「100分〜120分の尺」
・ 本日から後期の授業開始。
・ 哲学の授業で、「レスリングする身体」のプレゼンテーションをやってみた。学生のコメントの中に、「レスリングを一度はやってみたくなった」というのがあったので、レスリングの魅力は伝わったのかな?
・ workflowyをそのまま提示して、アウトラインを開いたり・閉じたり、Zoom in したりZoom out したりしながら、喋りを進めた。コアラのレスリング動画・複数のネルソンのバリエーション画像・私の試合動画も挿入。
・ 授業として(学生に向けに)喋っていると、ていねいに進めてしまうので、90分を使っても全部は話せなかった。嗚呼。
・ 学会発表用には大幅にカット・縮小せざるを得ないが、どこかでフルでプレゼンテーションできる機会はないかなぁ。100分〜120分の尺で「レスリングする身体」全体を講演できる機会があるといいのだが・・・。
【2018年9月14日記】

◎ 2018年9月13日(木) 「「レスリングする身体」のプレゼン準備中」
・ 「移行的な場」という用語を使うと一方向性・不可逆性を読み込まれてしまうので、「拮抗中間的な場」という用語に変更。それに伴い、D・ウィニコットやD・モリスの「移行対象」との比較をショートカットできて、発表時間の節約ができるのもいいところ。
・ コアラのレスリング動画と技(ネルソン)の画像と試合動画を、使用予定。
【2018年9月13日記】

◎ 2018年9月12日(水) 「献本」
・ 久しぶりに研究室に行ったら、献本が届いていた。塙幸枝(ばん・ゆきえ)さんの『障害者と笑い 障害をめぐるコミュニケーションを拓く』(新曜社)。なぜ私に?と思った。
・ パラパラめくっていたら、懐かしきフレーム分析の図が眼に入った。ああ、私のプロレス論が、こういう研究で言及されたりするのか!コミュニケーション論なのだから、不思議はないのか…本書は、若き著者の博士論文が元になっているようだ。
・ 最近書いている「レスリングする身体」の最後で、プロレスはレスリング行為の自意識で、過剰な見える化・見せる化であることを論じていて、あの頃のプロレス論を補完していたところだったので、なんか奇遇。


【2018年9月12日記】

◎ 2018年9月11日(火) 「中部哲学会での上映」
・ 2018年9月30日中部哲学会大会シンポジウム「身体、表現、イメージ」の付属企画として、私のレスリング活動を取材したDVD「ざまあみやがれ シニア・アスリートの新しき挑戦  入不二基義編「レスリング」」(NPO法人スポーツ指導者支援協会作成)が、もう一人のシンポジストの青山太郎さんの映像作品といっしょに、(別室にて)上映してもらえることになりました。
・ 私は「レスリングする身体」という発表をするので、それに関連する映像ということで。


シンポジウム「身体、表現、イメージ」
・「レスリングする身体」 入不二基義(青山学院大学)
・「未知の身体力〜ダンスとの出会い〜」 北村明子(信州大学)
・「触媒としてのカメラと開かれる身体―― 一と二のあいだを考える ――」 青山太郎(名古屋文理大学)

司会:松井貴英(九州国際大学)

【2018年9月11日記】

◎ 2018年9月7日(金) 「原稿「レスリングする身体」」
・ 中部哲学会シンポジウム用の原稿「レスリングする身体」を、ひととおり書き終わった。次は、これをどうプレゼンテーションするかだ。動画も入れたいところ。もしこの原稿(50枚弱)を読んでみたい方がいれば、PDFファイルで送りますので、連絡下さい。構成は、以下の通り。

1.レスリング行為/レスリングする身体
2.レスリングは・・・ではない
3.移行的な場
4.メタコミュニケーション
5.「力の場」の探求
6.レスリングとプロレス

【2018年9月7日記】

◎ 2018年9月5日(水) 「原稿「レスリングする身体」」
・ 原稿「レスリングする身体」は、次のような構成で書いているところ。

1.レスリング行為/レスリングする身体
2.レスリングは・・・ではない
3.移行的な場
4.メタコミュニケーション
5.「力の場」の探求
6.レスリングとプロレス

・ シンポジウムの提題では、時間的な制約で、このうちの半分くらいの内容しか話せないだろうな。
【2018年9月6日記】

◎ 2018年9月3日(月) 「ようやく落手」

・ ようやく落手。叢書セミオトポス13『賭博の記号論 賭ける・読む・考える』(新曜社)の表紙と目次。



・ 入不二基義「事実性と様相の潰れと賭け Factuality, Modal Collapse and Wager」の構成は以下の通り。

I. 事実性と様相
1.否定と最小様相
2.事実性から現実性へ
3.ラッセル的拒否感の役割

II. 様相の潰れと確率の潰れ
1.事実性と様相の潰れ
2.様相の潰れから確率の潰れへ

III. 選択と賭けと祈り
1.選択と賭け
2.賭けと祈り

・ 『賭博の記号論 賭ける・読む・考える』は、始めの20ページが試し読みができます。入不二の「事実性と様相の潰れと賭け」も、最初の2ページが読めます。

お試し読み
【2018年9月3日記、4日追記】

◎ 2018年9月2日(日) 「書影」
・ まだ本は手にできていないが、書影を見つけた。
『賭博の記号論 賭ける・読む・考える[叢書セミオトポス13]』(新曜社)

・ 入不二は「事実性と様相の潰れと賭け」を書いています。
【2018年9月2日記】

◎ 2018年9月2日(日) 「結婚式」
・ 本日は、大学レスリング部の長谷川恒平監督の結婚式に招かれて、部長としてスピーチをした。
・ その中で"control"は"contra- + roll"であって、一方的な「支配する」や「抑えつける」ことではなくて、作用・反作用的に巻き返すことであり・・・、レスリングも同様・・・というような話をした。
・ そんなレスリング話を、あの!伊調馨さんや湯元健一さんの前で語ってしまった。
・ こんな挨拶になったのは、シンポジウムの準備で「レスリングする身体」の原稿を書いているところだから。
【2018年9月2日記】

◎ 2018年8月31日(金) 「グレコ」
・ 全日本学生レスリング選手権大会 男子グレコローマンスタイルで、青山学院大学レスリング部の藤井達哉君(82kg級 )と伊藤匠汰君(130kg級) が決勝へ!
・ 藤井達哉君(82kg級 )優勝です!学生王者に。伊藤匠汰君(130kg級)は準優勝。‬
・ 藤井くんはグレコローマンスタイル優秀選手賞も受賞したようです。

【2018年9月1日記】

◎ 2018年8月29日(水)全日本学生レスリング選手権大会
・ 全日本学生レスリング選手権大会の応援・観戦に来ています。藤田雄大君、勝ち進んで次は準決勝。ところで、画像でてぷし添付したぱんパンフレットの顧問・役員名簿に、私ともう一人哲学関係者がいます!‬



・ 女子50kg決勝は、加賀田さんと澤田さんの青学どうしの対決に!藤田君、最後に追いついて逆転かと思われたが、惜しくも再逆転されて敗退。最後がすごい展開だった。

・ もう一人の哲学関係者は、ハイデガー研究者の轟孝夫さんです!私のように学生と一緒にレスリングをやったりはしていないでしょうが・・・

・ 青山スポーツより
【レスリング】全日本学生選手権
今日で男子フリースタイルと女子の試合が終わり、青学大からは4選手が入賞!
明日から行われる男子グレコローマンにもメダル獲得の期待がかかります✨

【2018年8月29日記】

◎ 2018年8月24日(金) 「9月上旬発売」
・ 8月末から発売が延びたのかぁ

9月上旬発売予定

『賭博の記号論 セミオトポス13』
──賭ける・読む・考える

日本記号学会 編
A5判並製184頁・本体2600円+税

「賭博」という人類発生とともにある行為の意味を、多面的かつ記号論的に考察したものです。賭けることは偶然性・無限性に出会い、リアルとは何かを考えることであるという賭博の思想的次元を、深遠な哲学から、競馬の中継というある意味通俗的な次元とからめて考究した第一部と、麻雀などの古典的ゲームからテレビゲーム、パチスロなどまで、実際にやることと考えることの面白さを記号論ならではの方法で考察した第二部から成ります。猛暑の夏に最適の読み物といえましょう。

・ 入不二は、「事実性と様相の潰れと賭け」を寄稿しています。
【2018年8月24日記】

◎ 2018年8月21日(火) 「中部哲学会の案内」
・ 2018年9月30日(日)に南山大学で行われる中部哲学会2018年大会・シンポジウム「身体、表現、イメージ」で、私は「レスリングする身体」という話をします。その案内が、https://sites.google.com/site/chubus4p/ に出ています。

・ シンポジウムは以下のメンバーで行います。
「レスリングする身体」 入不二基義(青山学院大学)
「未知の身体力〜ダンスとの出会い〜」 北村明子(信州大学)
「触媒としてのカメラと開かれる身体―― 一と二のあいだを考える ――」 青山太郎(名古屋文理大学)
司会:松井貴英(九州国際大学)

・ 私の「レスリングする身体」の提題要旨は、
https://goo.gl/7ybbNc
で読めます。
【2018年8月21日記】

◎ 2018年8月21日(火) 「地平線という比喩についての追補」
・ 2018年東北大学入試 国語【一】コメントと解答例(©入不二基義)の最後に、「地平線という比喩についての追補」を付け加えました。
・ 筆者としては、この比喩をこう使っているという解説です。 
【2018年8月21日記】

◎ 2018年8月20日(月) 「伊藤和夫先生の「推薦の言葉」」
・ 故・伊藤和夫先生の「推薦の言葉」を以下の文とともにこちら(⇒ https://goo.gl/1zPhQQ )に載せました。

「この本の最初には、故・伊藤和夫先生の「推薦の言葉」が載っています。伊藤和夫先生が、他人の参考書に推薦文を書くのは、珍しいことでした。私が知っているのは、筒井正明先生の『英文解釈その読と解』(駿台文庫)と私のこの本の二冊だけです。その意味でも貴重ですので、以下にその画像とテキストを掲載しておきます。ちなみに、『英語で読む哲学』(研究社)の「はじめに」で、この伊藤先生の文章から私は一部を引用しています。」

【2018年8月20日記】

◎ 2018年8月18日(土) 「就職のころ・異動のころ・そして今」
・ 2015年8月18日(火)の身辺雑記(メモ)「隔世の感」再掲と一言追記
参照:就職のころ・異動のころ・そして今
【2018年8月18日記】

◎ 2018年8月17日(金) 「「現実」問題の始まり」

執筆中の『現実性こそ神』(筑摩書房)の目次と冒頭部分

目次(仮)

はじめに─「現実」問題の始まり─ (冒頭部分をhttps://goo.gl/qTvT4x で公開しています)

第吃 コア
第1章 現実性と潜在性
第2章 事実性と様相の潰れと賭け
第3章 現実の現実性と時間の動性

第局 インタールード
第4章 時間と様相と現実性
第5章 私の死と二つの時間原理
第6章 無内包とマイナス内包

第敬 ペリフェリー
第7章 「拡張された他者」としての現実性
第8章 「無ではなく存在」ではなく
第9章 瞬間と偶然

おわりに─現実性こそ神─

※「はじめに─「現実」問題の始まり─」の冒頭部分を公開しています。「哲学の練習をしよう」で書いた「大人と子どものやり取り」をさらに細密に、そして先まで展開している文章です。
https://goo.gl/qTvT4x

【2018年8月17日記】


◎ 2018年8月12日(日) 「無内包の現実性」
・ メビウス@mobius774さんという方から、 【https://www21.atwiki.jp/p_mind/pages/153.html 】について、コメントを求められました。
・ 永井均さんと私の「無内包の現実性」の違いについて考察した文章です。まだ十分に読み込んではいませんが、以下のような簡単なコメントを返しました。
・ 参照: https://goo.gl/roZmpR

【入不二のコメント】
・ 絶対現実は、「現に」という副詞的]に働く「力」なので、「(極限的に)広い」「(全てを)包括する」・・・という言い方は、少々ミスリーディングかなと思いました。というのも、「世界を包括する」のように述べてしまうと、なんだか集合どうしの包摂関係のようにも聞こえてしまうからです。「現に」という力の遍在性は、集合どうしの関係とは違います。

・ 私のほうは結局、「現実(性)」を三段階で考えていることになります。

絶対現実 ─ 中心化された現実 ─ 相対現実
無内包  ─ 脱内包      ─ 有内包
無様相  ─ 様相の潰れ    ─ 様相内的な現実

・ その観点からは、〈私〉や〈今〉は、この三区分の真ん中に位置している中間現象のように見えているわけです。

・ そして、その私の観点から言っても、〈私〉や〈今〉は、人称性や時制性は残しながらも、メビウスさんが考えているようには、有内包(個体)では全くないと思います。〈私〉や〈今〉は、いっさいの事象内容性を伴わず、まちがいなく「無内包」です。私の観点から、無内包/脱内包を区別しているだけで、最も重要な分割線を「一本だけ引け」と言われれば、(上記三区分の)左側二つと右側一つとのあいだに引くことになります。

・ 「無内包」と「有内包」の差異を重視するという点、また無内包の現実性と中心性を峻別して論じる点に関しても、永井さんも私もそれほど大きく違わないのではないでしょうか。もちろん、関心の重み付けは異なりますが。

・ それでも違いのほうに拘るならば、永井さんが、現実(様相)・私(人称)・今(時制])を、同型の構造を持つ三領域として、'ほぼ'平等に扱おうとしているのに対して、私のほうは、「現実(性)」だけを様相・人称・時制の区分から離脱させて働かせようとしているという違いがあります。その違いは、時間の動性の捉え方の違いにも影響を与えているかもしれません。

【2018年8月13日記】

ーーーーーーーーーーーー
・ さらに、独在的な原点(開闢点)の他人物への遷移可能性を認めるならば、その遷移する何かは無内包の現実性とは異なる「有内包の独在的現実」でなければならないというメビウスさん自身の論点についてはどう思うかと訊ねられたので、以下のようにコメントしました。

【入不二のコメント】
・ その点に関しては、事態は明らかであるように私には思われます。

・ 〈私〉を、中心化された無内包の現実(=独在的現実)と理解する限りは、そもそも「遷移」や「移行」(別の人物に「なる」こと)は不可能である。つまり、原点が(ある人物のところに)「現にある」ということだけが可能であって、その原点が人物Aから人物Bに移るということには、そもそも意味を与えることができない。

・ 一方、そのような「遷移」「移行」に意味を与えることが可能になるためには、記憶や性格をはじめ、何らかの事象内容的な(人物としての)連続性や変化が必須となる。そして、「遷移」「移行」がそのようにして有意味になると、その有内包性によって独在性は、人物特殊性や個性などへと頽落する。

・ このジレンマの観点からは、「有内包の独在的現実」という言い方自体が矛盾しているように見えます。

・ ただし、そのジレンマ的あるいは矛盾的な状況を、むしろ積極的に受け入れて、無内包かつ有内包であることこそ、それこそが「独在的な存在者」のあり方だと見なす道は、それはそれで「あり」だと思います。

・ ただしその場合には、メビウスさんのように二つに「分ける」のではなくて、矛盾的に同居共在すると言うべきだろうと思いますが。

・  この矛盾的共在の観点から言うと、遷移可能性も、単純に肯定されたり否定されたりするのではなくて、次のようになります。

・ 〈私〉を、無内包かつ有内包という矛盾的な独在者として受け入れるならば、遷移可能性についてもまた、「ある」かつ「ない」という矛盾として受け入れるべきだ、となります。
【2018年8月13日・14日追記】

◎ 2018年8月12日(日) 「再掲: 1993年駿台での最終講義の思い出」
・ 1993年、山口大学に赴任することが決まったため、大学院生のあいだ教えていた駿台を去ることになった。・・・ 
・ 参照: https://t.co/y2m63buevv
【2018年8月13日記】

◎ 2018年8月12日(日) 「雑文より(再掲)」
・ 雑文より https://goo.gl/F9pkgX 「大人になって振り返ってみた中学三年生」2000年1月、山口市立白石中学校で(当時長男が中三に在籍)、「大人になって振り返ってみた中学三年生」という文章の作成が父母に対して求められ、卒業を目前に控えた中学三年生に対して、文集にして配布された。

・ 雑文より https://goo.gl/wpKSG8 「保護者代表挨拶」2000年3月 山口市立白石中学校の卒業式・保護者代表挨拶のための元原稿(当日は原稿なしでスピーチ)

・ 雑文より https://goo.gl/nArWFC  「新しいものは古いもの」2012年2月4日(土) 心理学科の同窓会でスピーチをさせられたので、小・中学校でいっしょだったK君の話をした(地元の公立の小・中なので、ほとんどみんな9年間いっしょに過ごす)。その内容をあとでメモしたもの。

・ 雑文より https://goo.gl/oqj4SZ  「中国語でのスピーチ」中国・瀋陽での、長男・経勝と晶晶さんとの結婚式・2012年5月3日(木)において、新郎の父として挨拶。以下の文章をスピーチした(晶晶さんから発音訓練してもらった)。

・ 雑文より https://goo.gl/VNZVtB  「心理学科同窓会会報の原稿」2012年度:お題「先生の宝物って何ですか?」。規定字数は150字以内。/2011年度:お題「思い出の一冊」。規定字数は150字以内。/2010年度:お題「人生について」。規定字数は150字以内。

・ 雑文より https://goo.gl/m6c96F  「青山学院大学レスリング部納会でのスピーチ」2012年12月1日(土)青山学院大学レスリング部納会でのスピーチを、後日思い出して文書化。

【2018年8月12日記】

◎ 2018年8月10日(金) 「救い」
 きんちゃん@4ypGt 入不二基義『哲学の誤読』まだ途中だが、久々に哲学の本を読んで刺激を受けている。日常の曖昧さテキトーさに嫌気がさした時、誠実で厳密な思考に触れることが救いとなることがある。

・ 救い」と言えば、「哲学の練習をしよう」という原稿の「哲学は何の役に立つのか」の箇所で、「ある種の人たちにとっては、哲学的に思考することが、外の新しい空気を呼吸するための「救い」になりうる」と書いている。それだけでもう役に立っている。
 Hare @HARE1230 以前、とある先生に「先生にとって哲学は遊びですか?仕事ですか?」と聞いたことがあるが、先生は「どちらでもないですね。哲学は私にとって必要不可欠なものです。」とおっしゃっていた。先生にとって哲学はご飯や空気と同じなのかもしれない。
【2018年8月10日記】

◎ 2018年8月5日(日) 「部活メイト」
・ 部活メイト(カロリーメイトのCM)に、青山学院大学レスリング部の澤田さんと木村さんが出演しています。
・ 部活メイト・レスリング編
・ 「あなたより速い子、試合にはいない」で始まる文章は、木村さんが澤田さんに向けて語っているんだな。澤田さんの「速さ」は、私も体感している。


Mate. あなたより速い子、 試合にはいない。 レスリングは、パワーが大切だと思ってた。 一緒に入部した階級の違うあなたと、 毎日一緒に練習するようになって考えが変わった。 少しの隙を一瞬で突かれるスピードに、 自分のレスリングができず、毎日手を焼いてばかりだ。 だけどこの苦労は、試合になった時に余裕に変わる。 どんな相手が来ても、あなたほど速い子は この階級にはいないから。 これからも、手加減なしでよろしくね。
【2018年8月5日記】

◎ 2018年8月2日(木) 「賑やか」
・ 試験期間は2日で終了。18:00〜20:00の大学練習に参加。見学希望のお客さんと出稽古希望者がいて、賑やかな感じ。
・ 見学に来たのは、長谷川恒平監督と大学同期で、当時の青学野球部のマネージャーだったOG。レスリングの練習をぜひ見てみたいという希望を前から聞いていて、ようやく実現。もう一人は、彼女のお知り合いで、日大野球部OBで、彼女同様にレスリングの練習に興味津々のかた。
・ 出稽古希望者は、SKの練習仲間のHさんと、社会人になってからレスリングを始めたMさんと、立教大レスリング部の現役学生Y君の3人。立教大レスリング部は少人数なので、出稽古で色々なタイプの相手と練習する機会はとても重要。
・ 私は、鈍らないように身体を動かすという程度の参加でよかったのだけれど、学生がうまく相手をしてくれるので、打ち込みだけでなく、3分×20本のスパーのうち4本のスパーにも入って(下出君・土屋君と)、グラウンドスパーも数本入る。

・ 以下に引用するのは、2時間まるまる見学をした上記OGの感想メール(ご本人に公開許可をいただいています)。

本日はお忙しい中、見学させていただきありがとうございました。貴重な時間、経験となりました。
実際にレスリングを見ることが初めてだったので、まるで体操選手のようなアップから目が離せず、2時間があっという間でした。

お互いが何も道具を持たず、体と体だけでガンガンとぶつかり合う、気合いと迫力がすごいですね。皆さんの体に付いていた、沢山の小さな引っかき傷が本気で相手にぶつかっていっているんだな、と感じました。

野球部とは違い、先生・監督が練習に参加しながら指導していくのも新鮮でした。疑問があればすぐに先生や監督に相談できる環境は学生は幸せだと思います。

また、入不二先生の学生相手の素晴らしいスパーリングと、練習フル参加に衝撃を受けると共に、後半は長谷川監督の絶対にひっくり返らない芸術のようなスパーリング(手を床につけいてるだけなのに、いくら大山選手?がトライしてもひっくり返らない長谷川監督、魔法のようでした…)を拝見して 、本日は伺って良かったと何度も思いました。

レスリング部の関係者でないにも関わらず、本日はありがとうございました。同席いたしました日大野球部OBも大変感謝申し上げておりました。長谷川監督にもどうぞよろしくお伝えくださいませ。本当にありがとうございました。

・ こういう風に練習を見て楽しめること自体が、彼女が「体育会系女子」であることの証明であると思った。

・ 金曜日は一日、オープンキャンパスの個別相談のお仕事。予想したほど公認心理師資格についての突っ込んだ質問はなかった。鳥取から来訪の親子、心理学と哲学の両方をやりたいという女子、父子関係の心理学をやりたいという中国人の男子学生などが印象に残った。

【2018年8月3日記】

◎ 2018年8月1日(水) 「再校も終了」
・ 再校チェックを終了した拙論「事実性と様相の潰れと賭け Factuality, Modal Collapse and Wager」は、日本記号学会編・セミオトポス13『賭博の記号論─賭ける・読む・考える』(新曜社)のpp.18-44に所収されて、8月末に刊行予定。

構成と前文は、以下の通り。

I. 事実性と様相
 1.否定と最小様相
 2.事実性から現実性へ
 3.ラッセル的拒否感の役割
II. 様相の潰れと確率の潰れ
 1.事実性と様相の潰れ
 2.様相の潰れから確率の潰れへ
III. 選択と賭けと祈り
 1.選択と賭け
 2.賭けと祈り

 本論文は 、「事実性」と「様相の潰れ・確率の潰れ」と「賭け」の三者を、同種の中間的なものとして描き出そうとする。三者はいずれも、現実性とシステムが鬩ぎ合い拮抗するところに出現する中間であり、両極性を持つ。
 現実性とシステムとその中間を考察するために、各章(I・II・III)では、以下の題材を扱う。Iでは、ラッセル的拒否感(命題は様相を持たない)を素材にして、現実性と様相の中間に、事実性を位置づける。IIでは、様相の潰れ(現実=可能=必然=偶然)と確率の潰れ(現実の確率は常に1/2、確率の数値は現実には意味がない)に注目して、現実性によってもたらされるシステム内の歪み(潰れ)としての中間を考察する。IIIでは、選択と賭けと祈りを比較対照する。システム内で安定的に働く「選択」から始めて、そこから逸脱していく方向性を持つ「賭け」を経由して、神=現実性を志向する「祈り」までを辿る。この辿りの遂行を通じて、賭けの中間性を浮かび上がらせたい。

【2018年8月1日記】

◎ 2018年7月30日(月) 「沖縄展・万引き家族」
・ 沖縄展(新宿伊勢丹)で食べた「ソーキ軟骨そば」がとても気に入った。
・ 沖縄展で琉球張り子のお店「ロードワークス」を出店していた豊永盛人さんの作品と、妻が豊永さんにリクエストして描いてもらったカイロスとキドの絵。


・ 実際にはカイロスとキドはすれ違いだった。カイロスは川崎と山口で一緒に暮らして、2001年3月に山口で亡くなり、キドは2001年5月に山口で一緒に暮らし始め、東京に一緒に引っ越してきて2013年1月に亡くなった。私たち家族の中では、カイロスがお姉さん、キドが弟のような関係が(時を跨いで)感じられていて、実際にいっしょに過ごしていたら、さらに面白かっただろうな、きっといい姉弟の関係になっただろうなという思いがあって、この絵のリクエストになった。
・ 是枝裕和監督の「万引き家族」(画像3)をバルト9で観賞。このところ、映画は「夫婦50割」。このあいだ観た「フジコ・ヘミングの時間」(シネスイッチ銀座)も。


【2018年7月30日記】

◎ 2018年7月29日(日) 「変な先生」
・ 先日、レスリング部の長谷川恒平監督(青山学院職員)から、「職員の間で入試問題の解説文が話題になって、変な先生って話になっていますよ!」と言われた。
・ 以下は、ツイッターより引用。

https://twitter.com/YashinNoMeisou/status/10235379...
坪井遥 Haruka Tsuboi
@YashinNoMeisou
哲学者の入不二基義先生が、自身の文章が題材となった2018年東北大・国語の問題を自ら講評、回答、大学自身の解説や予備校回答例の評価まで。面白すぎる… こんなのが気軽に読めるのもインターネット時代ならではという感じだ。しかし出題者、怖いだろうな笑
app.simplenote.com/publish/TK8cVD

【2018年7月29日記】

◎ 2018年7月20日(金) 「公開」
・ 先日お伝えしたPDFファイルは、20名ほどの方からリクエストがありました。
・ 加筆修正をして、公開してみることにしました。ご興味のある方は読んでみて下さい。
・ 東北大の入試で使われた私の文章(「私たち」に外はない)を筆者自身が解説し、設問に答え、予備校が作成した解答例を検討するという「変な文章」です。

2018年東北大学入試 国語【一】コメントと解答例(©入不二基義)

機チ澗療なコメント
供セ笋硫鯏例と設問へのコメント
掘ヅ賈迷膤悗痢崕仟螳嫂泙塙嵒勝
検ジ軻匹砲弔い討離灰瓮鵐

【2018年7月20日記】

◎ 2018年7月15日(日) 「自文章の解説」
・ 筑摩書房のツイッター(@chikumashobo)の「#ちくま1000「本」ノック221」で、拙著『哲学の誤読 ─入試現代文で哲学する!』が採り上げられていた。

・ 『哲学の誤読』は、独特の愛着がある本である。
・ ところで、2018年東北大学国語の問題に、私の文章が出題されていたので、(この本と同じノリで?)自分なりの解答例とコメントを作成してみた。
・ 自分の文章につけられた問いに筆者が答えるとどうなるか?に興味ある受験生がいたら、伝えてみてもいいかもしれない。
・ ということで、私の書いた「コメントと解答例」を読んでみたい方がいましたら、PDFファイルで添付して送ります。
・ (知り合いでない場合には)名前と簡単なプロフィール、そして添付ファイルが受け取れるメールアドレスを教えて下さい。
・ ちなみに、2018年東北大学国語の問題は、〈https://www.kahoku.co.jp/special/exam2018_tohokuda...〉で見られます。
【2018年7月15日記】

◎ 2018年7月8日(日) 「日曜日の仕事」
・ 叢書セミオトポス13『賭博の記号論』(新曜社)所収予定(pp.18-44)の拙論「事実性と様相の潰れと賭け(Factuality, Modal Collapse , and Wager)」の初校ゲラ修正加筆を終了。
【2018年7月8日記】

◎ 2018年7月7日(土) 「土曜日の夜」
・ いったんは良くなった(と思った)膝の状態は、大学での練習の翌日から再び逆戻り。復帰後4回目の練習で慣れてきて、ふつうに頑張ってスパーリングをしてしまったせいか・・・。そのため、復帰しようと思っていた土曜日のSK練習には、参加できなくなってしまった。(膝に注射をするのに二週間に一度通っている)医者からも、レスリング練習をするから腫れるのだと言われた。
・ 土曜日の夜は、出張で東京に来ていた上野修さんと、夕食(蕎麦)とその後場所を移動してのお茶(10時半まで)。2月11日に山口で会って以来の再会。どこでいつ会っても、同じペースですぐに哲学話(議論)になって、世俗的な話はほぼ皆無。
・ 上野さんの原稿「スピノザの真理同一説」を会う前に通読してきたので、いくつかコメント。
・ 同一説の本来的な「言えなさ」が還元の言説へとスライドしてしまうところにこそ、語りえない同一の〈真〉に対する本源的な〈偽〉や〈誤〉の姿を見るべきではないか、その〈真〉〈偽〉は命題に内在的な真・偽とは違う・・・等々。 
・ VRやレプリカやマリオネット問題等との関連で、イメージにも表現にものっからない現実の身体について。あらかじめ二元的にあるのではなくて(むしろ逆であって)、どこまでも接近し同一化しうる。しかし、その完璧な接近や同一化自体が無意味になってしまう場所(焦点)にこそ、現実=身体が位置している。
・ 逆に言えば、イメージや表現は本源的な「マイナス」によってこそ、それ自身でありえている(マイナスのマイナスとしてのプラスとの間で二元性が後から立ち上がるとしても)。身体論に関しては、「第二の自然としての習慣」のパラドクスが、身体のノモス化についても言えること等も話題に。
・ 身体論関連の話になったのは、私が「レスリングする身体」という発表の準備をしているからであるが、上野さんでさえ「レスリングはギリシア・ローマから始まった」と誤解しているようだった。その誤解は「ヨーロッパ中心思考」の産物にすぎない。もちろん、メソポタミア・エジプトではすでにレスリングが好まれていたし、「起源」的なことを思考するならば、人類の起源がアフリカ大陸にあるならば、レスリングの起源もアフリカ大陸にあるだろうし、さらに言えば、「レスリング行為の起源」は人間ではなく、人間以前に(少なくとも哺乳類まで)遡ることができると私は考えている。【2018年7月8日記】

◎ 2018年6月後半 「不思議の感」
・ 4月の後半以降、2ヶ月間、膝の状態悪化に悩まされてきて、レスリング練習どころではなかった。
・ 最悪時には腫れ上がって曲げられなくなり、その後も(家や駅の)階段の昇降を普通にはできない状態が長く続いた。
・ 過去のケガのときとは明らかに違うのは、明確なケガ状況があってこうなったわけではない、という点。半月板損傷の後遺症(膝が抜ける)を抱えながらも、できる範囲で練習を続けていたら、ある時「閾値」を超えたかのように、歩行も困難な状況になった。
・ だからこそ(事故的なケガを経ていないからこそ)、今回は「もう限界なのかな」と思って、目を逸らすかのように他のこと(というか本業!)に打ち込んでいた。
・ しかし、不思議なことに!?、先週辺りから回復。日によって、細かな良し悪しの変動はあるけれども、歩行困難もほぼなくなり、元に戻った!特に(治療等)何もしていないのに・・・。
・ 先週から、大学レスリング部の練習にも復帰して、まずは打ち込みや軽いスパーリングから始めていて、体を慣らしている状況。このまま再悪化しなければ、7月からはSKアカデミーの練習にも復帰できそうだ。
・ まだ回復力というか自然治癒力というか、そういうものが60歳にならんとする身体にも残っているということなのか。まだ油断はできないけれども、とにかく不思議の感に打たれているところ。
【2018年6月29日記】

◎ 2018年6月15日(金) 「ミラクルエッシャー展」
・ 相模原キャンパスでの授業から帰宅後、上野の森美術館へ「ミラクルエッシャー展」を観に行く。帰りは根津に出て、夕食。
・ 図録は、コデックス装なので開きやすい。
・ エッシャーには3人の息子がいたことを知る。



【2018年6月15日記】

◎ 2018年6月14日(木)「レスリングする身体」
・ 明治杯全日本選抜選手権の第菊目を観戦・応援。青山学院大学レスリング部からは、今日は松田コーチ・藤田君・大山君・伊藤君が出場。明日以降、藤井君・難波君・加賀田さんが出場予定。
・ 9月の中部哲学会シンポジウム「身体、表現、イメージ」の提題要旨「レスリングする身体」を、ほぼ書き終わる。以下の画像参照。

【2018年6月14日記】

◎ 2018年6月9日(土) 「『夜航』山名論文」
 『夜航』No.3([https://twitter.com/Yako_Kobe])を注文購入して、山名諒「西田幾多郎とマルクス・ガブリエル─場所と意味の場、絶対無と世界をめぐって─」を読了。私が『相対主義の極北』や『時間と絶対と相対と』で使った「空集合以前」や「手前性」の概念を利用して、西田とガブリエルの違いを浮かび上がらせてくれている好論文であった。西田にもガブリエルにもまったく疎い私であっても、自分の概念を通じて考えられるからこそ、彼らを自分の興味に引き付けて理解することができて、とても勉強になった。

 空集合以後の循環(0と1)の中で生み出される「事後的な手前性」と、その循環に先立つ「端的な手前性」のあいだにも、さらに高次の循環を見出す、というのが山名論文の重要な指摘(の一つ)である。その高次の循環は、存在(論)と認識(論)のあいだでの循環であり、決定不能のメタアンチノミーとも呼ばれる。山名論文の見立てによると、この高次の循環(メタアンチノミー)を構成する両サイドとして、西田(入不二)とガブリエルが位置づけられている。

 その高次の反復がありうることは、まったく山名論文が主張する通りである。そこを認めたうえで(いや認めるからこそ)、存在と認識(あるいは意味)のあいだの高次のシーソーゲームの中にも入って来ないものが、ただ一つあると私は思う。それこそが、現実性である(「世界」や「実在」のことではなくて)。高次の循環は(生じうるとしても)実際には・現にいま生じていないという場合のその「現実性」である。しかも、生じうることには「理屈」はあっても、生じていないという現実は端的にそうであるだけである(可能性と現実性の断絶)。存在・認識・意味のどれでもないこの現実性の働き方こそ、「端的な手前性」と呼ぶのが相応しいと私は思う。

【2018年6月9日記】

◎ 2018年6月3日(日) 「執筆経過」
・ 執筆中の『現実性こそ神』(筑摩書房)は、以下のように2/3はほぼ完成。

 はじめに 「現実」問題の始まり
 第吃 コア
第1章 現実性と潜在性
第2章 事実性と様相の潰れと賭け
第3章 現実の現実性と時間の動性

 第局 インタールード
第4章 時間と様相と現実性
第5章 私の死と二つの時間原理
第6章 無内包とマイナス内包

 第敬 ペリフェリー
第7章
第8章
第9章
 おわりに 現実性こそ神

・ これ、私の本の中でも最高難度の最高傑作(になる予定)です!
【2018年6月3日記】

◎ 2018年6月2日(土) 「テキスト」
・ 駿台予備学校の1992年の夏期講習で、私が作ったオリジナル講座「直読直解のトレーニング」のテキスト。
・ 『〈思考する〉英文読解』の授業版だった。即締め切って増設していた人気講座だったなあ。
・ 最近のオークションでは、3万円以上の値がついている。

【2018年6月2日記】

◎ 2018年5月17日(木) 「シンポジウム提題要旨」
・ 膝が悪くて、一ヶ月近く練習ができないでいる状態だが、そのおかげで(?)色々と執筆の仕事は進んでいる。
・ (締め切りはまだ来月だが)今日は、9月に行われる中部哲学会のシンポジウム「身体、表現、イメージ」用の、提題要旨原稿を書いてみた。
・ 今日の段階では、こんなものになった。

レスリングする身体
入不二基義(青山学院大学)

「レスリング(wrestling)」あるいはその動詞形の「レッスル(wrestle)」は、領域特定的な意味と通底的・一般的な意味の両方を持っている。領域特定的な意味での「レスリング」とは、一定のルールに基づいた特定の格闘競技・種目のことを表し、領域特定的な意味での「レッスル」とは、その競技内での格闘行為を表す。

一方、通底的・一般的な意味での「レスリング」とは、他の格闘競技であっても必ず含んでいるような基礎的かつ汎用的な身体所作を表し、さらに格闘ではなくとも、二つの身体の絡み合いにおける或る固有のあり方を表す。同様に、通底的・一般的な意味での「レッスル」とは、特定競技を超えた「取っ組み合う行為」そのものを表し、その「身体的な力感を交換し合う行為」一般も表す。さらに、対人的行為であることを超えて、「レッスル」は、困難な問題や課題に「取り組む」ことまでも表す。

「レスリング」「レッスル」がそうであるように、「レスリングする身体(wrestl-ing bodies)」もまた、同様の領域特定性と通底性・一般性の両方を持っている。「レスリングする身体」とは、特定の競技・種目を実践する身体だけではなくて、いわゆる「組み技系格闘技」と言われるもの全般に潜行する身体のあり方や技法を表すし、さらに「レスリングする身体」は、じゃれ合い・絡み合い・密着し合う行為群の内に広く浸透する接触身体でもある。その結果、「レスリングする身体」の広がりは、子ども的な身体の古層を介して、動物的身体の次元へも延びている。

私は、10年ほどのレスリング・フィールドワークを通じて、上記のような身体の「古層」を経験することになった。レスリングの観点から見えてくる身体は、当然のことながら一個体をはみ出すし、さらにはヒトという種をもはみ出す。そして、そのはみ出し(連続性)は、翻って「レスリング」というジャンルの(アメーバ的な)あり方にも通じていて、たとえば「プロレス」という独特の表現形態もまた、その連続性の相の下で見ることができる。

【2018年5月17日記】

◎ 2018年5月6日(日) 「先日のシンポジウム」
・ 先日招待された駿台文庫創立50周年のシンポジウム「東大入試に見る不易と流行」(by 大島保彦・雲幸一郎・霜栄)は、記念式典ではなくて(そちらは10月)、高校の先生を対象とした特別イベントだった。
・ 実際300名以上の高校の先生たちで満席で、あとは駿台文庫や駿台予備学校の職員やマスコミ関係者で、旧知の予備校の先生たちに会えるのかなと思ったが、当てが外れた。
・ 高校の先生以外では、雲孝夫さん(駿台数学科講師)と私の二人が「別枠」の招待客のようだった。
・ 教科の異なる(英・数・国の)3人の講演とお互いの絡み合いは、すでに駿台の全歴史の中においても、「最高峰」の作品の域に達しているだろうと思われた。
・ そんな3人のパフォーマンスを堪能しながら、私が抱いた感想(感情)は、3点に要約できるなと思った。
・ それは「寂しさ・安堵感・拒否感」の3点である。
・ 自分がもう当事者ではないことの「寂しさ」。同時に自分が近しい部外者として楽しく見ていられる「安堵感」。そして、「陰謀史観」的とさえ言えるような入試背景(無意識)へと向かう欲望やそれに基づく鼓舞構造に、冷や水を浴びせたいという拒否反応。三点目については、二次会・三次会にて、私の「感想」という形で大島・霜の両氏には伝えた。
【2018年5月8日記】

◎ 2018年5月5日(土) 「Vivaldi」
・ 新しいブラウザー「Vivaldi」を試してみている。
・ Operaを思い出すし、タブ周り(タブスタックとか)がとてもいい。


・ 10 Essential Vivaldi Browser Tips & Tricks for Speed and Productivityの4. Better Browsing With Sidebar Tabsを読んで試してみて、タブは(上より)左サイドのほうがいいと思った。
【2018年5月5日/5月10日追記】

◎ 2018年5月2日(水) 「誕生日会」
・ 久しぶりに自宅に長男夫妻・次男・三男が集まって、4月生まれの二人のための誕生日会。
・ 「それぞれ別のことをやりながら、一緒に居ることが成立している」ことと、「一緒に住んでいながら一緒に居ることが成立しない仕方で、自分のやりたいことに没頭してしまう」こと。その似て非なるあり方の比較論。
・ あえて自分の「得意技」を封印して(うまく出来ている/いっていると思っている進み方を敢えてせずに、ということは成功体験を捨てて)、不自由だと感じるあり方を受け入れてみた方が、新たなフェーズを味わえるという話。
・ 中間的な括りが機能不全になることと、フワフワした個別化とヒステリックな画一化という両極が同時進行すること、その表裏一体性について。
・ などなど・・・を妻・息子たち・娘と話をしながら、ご馳走とデザートでお腹いっぱいになった。
・ 長男と会話をしているときに、もう亡くなって20年ほどになる父親と話しているような「感触」があった。
・ まるで30歳くらいの(私が生まれる前の)若き頃の父親と話しているような不思議な感覚。それくらい似ている(隔世遺伝?)ということなのだろうか。
【2018年5月3日記】

◎ 2018年4月29日(日) 「2001年の自著紹介」
・ 2001年の山口大学広報誌No.56の自著紹介(入不二基義著『相対主義の極北』)。

・ この号には、中田考さんの「私の授業」(p.28)と木村武史さんの自著紹介(p.34)も掲載されている。
リンク先参照: 山口大学広報誌 No.56
【2018年4月29日記】

2018年04月28日(土) 「中部哲学会シンポジウム/このところ」
・ 昨夜、中部哲学会から、9月の大会シンポジウム「身体、表現、イメージ」への登壇依頼メールが届いた。
・ 「入不二先生には、ご自身も実践されているレスリングを手掛かりに、実践内在的な観点からの身体の哲学を論じていただきたいと考えております」というような依頼内容。他のシンポジストは、映像表現・ダンスの分野の方のようだ。
・ 自分のレスリング実践に関しては、これまでいくつかの対談やインタビュー、小論の執筆等を通して語ってきたが、「学会」のシンポジウムでレスリング実践の話をするのは、これが初めてになる。

・ 私以外のシンポジストは、青山太郎さん(名古屋文理大学)と北村明子さん(信州大学)だと教えてもらった。
・ 青山太郎さん(名古屋文理大学)は、映像哲学、映像デザイン、メディア・コミュニケーション論が専門で、自らも映像制作をなさっている。
・ 北村明子さん(信州大学)は、舞踏学、身体論が専門で、振り付け家として舞台制作に関わり、ダンサーとして舞台に立っている。
・ 要するに、私も含めて「実践者」を3人集めたということみたい。

・ 膝が腫れてしまったため、レスリング・BJJ・CACCの練習はしばらくできない。
・ このところ、workflowy (via DeskFlowy)とDynalistを, UlyssesとScrivenerを比較しつつ、両方使ってメモや執筆を試みている。
・ 行ったり来たりして遊んでいるのが楽しいため、いつのまにかアプリと戯れているだけで時間が経つ。
【2018年4月28日記】

◎ 2018年4月22日(日) 「CACC」
・ プロレスラー鈴木秀樹氏を、4人で(アキレス腱固めと腕十字に)極めるの図。

【2018年4月22日記】

◎ 2018年4月19日(木)・20日(金) 「勝ち残りスパー/東京堂書店」
・ 木曜日夜(18:00〜20:00)は、大学レスリング部の練習に参加。
・ 人数が少なかったので、いつもとは違う方式でのスパーリング。
・ 1分間のあいだにポイントを先取したほうが勝ちで、勝ち残り方式で次々に回していく(グレコ組み・フリー組みに分けて)。それを20分間×2本。
・ そのため、ふだんのスパーでは私のような弱者・軽量級の者が相手をしてもらうことのない強者・中量級の学生とも対戦できて、新鮮。
・ 私は、8人抜きのあとのヘロヘロ状態の相手でもポイントすら取ることができなかったり、開始何秒かで投げ技でマットに叩きつけられてすぐに終わってしまうとか、私の攻めを受け流しながら体力回復のための時間として使われたり・・・といった感じ。
・ それでも、この方式だと、1分間という区切りがあって(実際には1分もかからずにやられてしまうので)、スタミナを気にすることなく、思いっきり強者にぶつかってみるという楽しさが味わえることが分かった。勝残る強者は、逆に10分以上戦い続けることにもなって大変であるが。
・ 始めの打ち込みは1年生の山本君に初めて相手をしてもらい、最後の打ち込みは主将の竹之内君に相手をしてもらって、好きなように攻めさせてもらった。

・ 金曜日は、相模原キャンパスでの授業が終わった後、淵野辺から神保町へ移動。東京堂書店へ向かい、平尾昌宏著『哲学、する?』(萌書房)の特集フェアで、配布されている冊子をもらう。
・ 平尾氏の選書の中に拙著『あるようにあり、なるようになる 運命論の運命』(講談社)も含まれていて、画像のように紹介されていた。




【2018年4月20日記】

◎ 2018年年4月14日(土) 「新入会員・今泉雄策さん」
・ 新年度が始まって一週間が経ったが、土曜日の授業や業務はまだ始まっていないので、17:00~19:00のskでのレスリング練習に参加。
・ レスリング界のレジェンド・今泉雄策さん(日本レスリング協会副会長・79歳)が、「新入会員になって、これから練習に来ますよ!」という発言とともに、指導にも練習にも参加。
・ 立ち技での「弾丸タックル」と、寝技での「密着型ネルソン風引き剥がし(?)」を指導して頂く。
・ 私と雄策先生は、最後のスパーリングで対戦。今年80歳と60歳になる者どうしのレスリング・スパーというのもの自体が、珍しいかも。雄策先生は足の状態が悪いので(私もだが)、寝技を中心に攻めさせてもらった。習ったばかりの技で攻めたら、雄策先生も「ぜったい取らせない」と言いながら、本気で守ってきた。翌日以降に筋肉痛が出るのではないか・・・。
・ スパー後に、雄策先生からは「いい目標ができた」「これから先生(私)を目標に鍛え直す」というありがたく光栄なお言葉を頂いた。
・ 私が80歳になる頃も、こうやって誰かとスパーができたらいいなぁと思った。
 
【2018年4月15日記】

◎ 2018年4月10日(火) 「授業開始」
・ 今日から授業開始。執筆中の単著(現実性こそ神)の「はじめに─「現実」問題の始まり─」の最初の部分を授業で喋ってみた。
・ その小見出しは、「離別と死別」「同じ「会えなさ」か、違う「会えなさ」か」「現実と可能」である。
・ 学生のコメントを読んでみて、適切な導入文であるという手応えを得ることができた。
【2018年4月10日記】

◎ 2018年4月7日(土) 「合格・就職祝い」
・ 17時〜19時、skでのレスリング練習に参加。
・ 画像は、練習後の集合写真(大人数!)。

・ その後23時まで、コーチの今泉さん・人見さんと、新宿で食事会。
・ 1年後になってしまったが、人見さんの合格と就職のお祝い会を兼ねて、久しぶりに3人での飲み会。古いsk会員やコーチの近況をはじめ、「婚活中」の若い会員たちのエピソード、レスリング関係のオフレコ話など。
【2018年4月8日記】

◎ 2018年4月5日(木)・6日(金) 「茨城旅行」
・ 新学期の授業が始まる前に小旅行。
・ 水戸から水郡線で山方宿まで。
【画像1・2】水郡線の線路


【動画】水郡線の列車


・「湯の澤鉱泉」にて一泊。
【画像・3】湯の澤鉱泉

・ 翌日、水郡線で袋田へ移動して、日本三大名瀑の一つ「袋田の滝」(奥久慈)へ。
【画像4】袋田の滝

【動画】

・ 水郡線・常陸大子へ移動して「daigo cafe」で昼食。
【画像5】常陸大子駅

・ 水郡線で水戸へ戻って、水戸八幡宮へ。社の奥の「鏡」に自分の姿が映っている
【画像6・7】水戸八幡宮


・ 水戸中央郵便局の近くにあった「白いポスト」と「みとちゃんのマンホール蓋」
【画像8】白いポスト

【画像9】みとちゃんのマンホール蓋


・ daigo cafeは、こんな感じ。

【2018年4月6日記】

◎ 2018年2月1日(日) 「追加原稿をegword universal 2で書いてみた」
・ 『現代哲学ラボ』No.1~No.4は、増補して明石書店から書籍化の予定。
・ No.1は、拙著『あるようにあり、なるようになる』を巡る森岡×入不二の議論。
・ 電子版の修正加筆と私の30枚程の追加原稿「Appendix─時間と現実についての補遺─」を終えて提出した。
・ 新学期が始まる前に終わらせることができてよかった。

・ 今回の原稿は、復活したegword universal 2を購入して、40W×20Lの原稿用紙設定の縦書きで書いてみた。
・ とても気持ちよく書ける素晴らしいワープロソフトなので、今後もこれで書こうと思う。

【2018年4月1日記】

◎ 2018年3月31日(土) 「最近の論文三部作」
・ 最近の論文三部作

1.「現実性と潜在性」(青土社『現代思想』2017年12月臨時増刊号・総特集=分析哲学, pp.30-47.)
2.「事実性と様相の潰れと賭け」(日本記号学会『セミオトポス 13』2018 年所収予定)
3.「現実の現実性と時間の動性」(京都大学哲学論叢刊行会『哲学論叢44』2017年, pp.1-15, https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/hand...

【2018年3月31日記】

◎ 2018年3月27日(火) 「現実の現実性と時間の動性」
・ 『哲学論叢』第44号(京都大学哲学論叢刊行会)
・ 拙稿「現実の現実性と時間の動性」がようやく公開されました(執筆は一年以上前)。「現実性と潜在性」(『現代思想』2017年分析哲学特集所収)と「事実性と様相の潰れと賭け」(『セミオトポス13』2018年所収予定)の二本と合わせて、三部作的な論文である。前文は以下の通り。


本稿は、現代哲学ラボ第 4 回「〈私〉と〈今〉を哲学する――無内包の現実性とは?」において私が行った発表の草稿(永井均『存在と時間–––哲学探究 1』へのコメント)に基づいており、それに修正加筆を施したものである。

以下の本文は、大きく二つの部分から構成されている。前半(I)が「現実の現実性」についてのコメントであり、後半(II)が「時間の動性(時間の経過)」についてのコメントである。前半(I)では、「現実の現実性」を永井的な〈私〉や〈今〉から切り離そうとする議論を展開して、現実の現実性が(無内包に加えて)無様相・無人称・無時制でもあり遍在的であることを強調する。後半(II)では、「時間の動性(時間の経過)」を「現在(今)の移動」という考え方から切り離そうとする議論を展開して、時間の動性とは、今が動くことではなくて、更にその背後に退かざるを得ない潜在的な絶対変化であることを強調する。

【2018年3月27日記】

2018年3月26日(月) 「classicな際(きわ)」
・ 久しぶりの平日夜のSKのレスリング練習(今泉コーチ)に参加。少ない人数での練習は、休む暇が少なくなるので大変。
・ 自由練習の時間に、私が最近「研究」しているグラウンド技を、今泉コーチにかけさせてもらっていたら、他のメンバーもやりましょうということになって、私が「教える」側になった!
・ 私の最近の好みは、BJJやCACCを追加して練習しているせいもあって、それぞれのルールが分かれていく前の「分岐点」に位置するような技になっている。
・ つまり、レスリング(フリースタイル)ならばフォールへと繋げられるし、ちょっとした切り替えでサブミッションにも移行できるような「原石的」な技を、面白く感じている。
・ そういう技ほど、最近は使われなくなった「古典的な技」であることが多いようである。技の分かれ「際(きわ)」には、クラシックな姿が保存されていると言うこともできる。
・ 以下は、SKのブログからの引用

本日の練習は3名プラス体験の方が1名でした。
指導は今泉です。
前半は基礎連も含めてわりと実践的な練習を中心に行いました。
今日は平日には珍しくI先生が登場。最近は色々なところで凄い技を学んでいるのでそれを我々に伝授して頂きました。Catch as catch can系の寝技の数々を教えて頂きました。いにしえの技を学ぶのもいいですね。
そして体験に来られたFさん、高校時代に全国3位の実力者。練習は本当に久々とのこと。スタミナがきつかったそうですが、動きはバリバリでした。また来て頂きたいと思います。
今日も皆さんお疲れ様でした。

【2018年3月27日記】

◎ 2018年3月23日(金) 「大学練習/CACC at Academia Az」
・ 22日・木の夕刻(17:00-19:15)は、大学レスリング部の練習に参加。
・ 初めて新一年生ともスパーリング。これからも4年間お世話になりたい。
・ 最後の打ち込みでは、吉川君・土屋君のレクチャーを受けて、がぶりの時の相手の頭の落とし方を試してみる。自分の肘をマットに叩きつけるようにして練習したため、後で見たら内出血していた。

・ 23日・金の夜(20:45-22:15)は、代表の吉澤昌さんにお誘いいただいたので、アカデミア・アーザでの鈴木秀樹選手のCACCクラスにビジターで参加。
・ 参加者の中には、SKつながりの和田拓也さんや田村裕之さんもいて、久しぶりに会った田村さんに、1時間半みっちり技練習のお相手をしていただいた。
・ 今のSK アカデミーがスポーツ会館にあった頃、つまり私がレスリングを始めた頃、あの地下の小さなマット場での練習クラス(水曜日夜)があった。
・ ある日のクラスで、私と人見コーチと田村さん3人のときがあって、お二人に手取り足取り指導してもらったことが懐かしい。
・ 本日のメインテーマは、Three Quarter Nelson とHead Lock 。
・ 3 Q nelsonへのセットアップのときに使う、相手の頭を下げさせるのに使う前腕(「てこの棒」的に使う前腕)の"指先の引っかけ方"が、勉強になった(アームピット or 鎖骨下へ引っかける)。これだとうまく力がかかることを体感した。
・ セットアップでの他のポイントでは、肩を深く入れることや足を使ったプレッシャーや、クラッチ組んだ腕の肘どうしを近づけるように絞ること、表返した相手への肩でのプレッシャーなどを意識した。
・ 私は受け手側の時に、回り込みや肘取りによって耐えることも試してみた。
・ 相手が踏ん張って耐えてきた場合の技の移行としての「逆方向へのロールで返す技」や、相手がうつ伏せで耐えてきた場合の技の移行としての「Quarter Nelsonへの移行」、あるいは「がぶり(front headlock)への移行」も練習した。
・ head lockの練習のあとには、neck chanceryやhalf hatchからの展開も。
・ 動画は、田村さんのThree Quarter Nelsonからの攻撃を私が受けているところ。
・ 画像1は、逆に私が攻撃側で、Three Quarter Nelsonによって返した後の抑え込み。
・ 画像2は、最後の集合写真。
・ 画像3は、skゆかりのメンバーのみで撮った写真。




【2018年3月24日記】

◎ 2018年3月20日(火) 「卒業パーティ・謝恩会」
・ 今年もまた、卒業パーティ・謝恩会の日が巡ってきた。
・ 卒業パーティ内の「ビンゴ・ゲーム」で2位になって、Bluetoothスピーカー・Skullcandyをもらった(画像参照)。
・ 途中退席して、副手の方と2人で(私はアシスタントとして)、丸山先生を研究室まで迎えに行く。
・ 病のため身体が傾く丸山先生をサポートするために、(恋人のように?)私たちはお互いに手をしっかりと握り合って会場に到着。
・ 謝恩会での挨拶では、先日の部長挨拶でふれて以来気になっていた「卒業と引退の違い」の話題から始める。
・ 要するに、レスリング部の学生たちが言うところの「大学を卒業し、部(競技)を引退する」という言い方がずっと気になっていたということ。
・ たとえば、「途中で」という副詞句は「卒業」とは共起せず「引退」とは共起する。「途中で卒業する」は不自然であり、矛盾的ですらある。一方、「途中で引退する」は十分に理解可能。
・ また、「卒業」はいったん成立すると取り消しができない(後から不成立だったということが判明することはあるとしても・・・)。「卒業」成立後にもう一度始めるならば、それはたとえば再入学になるのであって、二回目の始まりとなるし、二回目の「卒業」へと繋がっていく。もちろん、一回目の「卒業」の成立自体はそのまま残って、微動だにしない。
・ しかし「引退」はその点がまったく違う。「引退」はいったん成立したあとでも取り消しが可能で(引退撤回!)、取り消した後は「実は引退していなかった」ことになる。そういう意味では、「卒業」は繰り返すことができるが、「引退」は一回しかできないとも言える。
・ これは、出来事としての成立条件がそもそも違うという問題なのだろうし、制度と意志(の成立)という問題にも繋がっている気がする。
・ こんな比較を続けると、私は楽しいが聴衆が飽きてしまうだろうから、適当に短く切り上げて、(半ば強引に)二つの異なる種類のことをやる(二兎を追う)という話へと繋げて、何とか「贈る言葉」へと着地させたつもり。
・ 謝恩会の最後は、恒例の卒業生からの花束贈呈。


【2018年3月20日記】

◎ 2018年3月17日(土)・18日(日) 「crucifix談義」
・ 17日(土)は、夕刻より21時まで、レスリング部送別会に出席。
・ 部長挨拶では、「卒業と引退の比較」「文武揺動」の話など。
・ 18日(日)午前中は、鈴木秀樹氏(プロレスラー)のCACC講習会に参加。
・ 鈴木さんとは終了後のツイッターで、技の名称についてやり取り。
・ "ground cobra twist"と"twister"と"guillotine"が、同技異名称であることは知っていたが、
ビル・ロビンソンは、この技にも"crucifix"という呼称を与えてたことを鈴木氏の証言で知る。
・ 「垂直」か「斜交」かの違いはあっても、十字形による固定(はりつけ)という点では、たしかに一括りにできる。





【2018年3月18日記】

◎ 2018年3月16日(金) 「『子どもの難問』11刷り」
・ 『子どもの難問』(中央公論新社)はよく売れている。このあいだ10刷りのお知らせがあったと思ったら、今日は11刷りのお知らせ。
・ 私はプロフィールを「副部長→部長」に修正するのを長らく忘れていた。
・ 各執筆者の卒業小学校・中学校・高校まで書いてあるのが面白い。この中で一番伝統的なエリート学歴は「番町小学校→麹町中学校→日比谷高校→東京大学」でしょう。
・ 誰の学歴か知りたい方も、『子どもの難問』を手に取ってみて下さい。

【2018年3月16日記】

◎ 2018年3月10日(土) 「丸山先生慰労会」
・ 土曜日の午後〜夕刻は、大学院生主催の(今年度で定年退職する)丸山先生の慰労会。
・ 司会者からの突然の指名で(前もって言っておいてよ!)、スピーチをすることになった。
・ まずは、14年前(2004年)に青山学院大学に赴任した頃に(丸山先生54歳・私45歳)、初めて構内でお会いした頃の思い出話から。
・ 心理学研究者ばかりの学科に、1人だけ哲学を専門とする者が入っていくことへの違和感や不安感を抱えていた私は、丸山先生と談笑することで、初めて大丈夫・やっていけそうだと直感的に思ったのだった。
・ 当時は私も丸山先生もヘビースモーカーで、今のような「構内禁煙規定」もなく、教授会の合間などに、頻繁に丸山先生の研究室に招かれて、一緒にタバコを吹かしながら人物批評や学科内政治談義などを繰り返したものだった。このスモーキングタイムは、私にとって憩いの一時だった。
・  丸山先生の「策士的な腹黒さ(ダークさ)」が私はけっこう好きで、しかもその「ダーク」を実現へともたらす「したたかさ」は、ふつうの大学教師ではなかなか醸し出すことのできない味わい深いものである。
・ 丸山先生は、多くの優秀な弟子を育てたけれども、その「策士」の部分を継ぐ者は育てられなかったのではないか。それも当然のことで、策士・丸山が育ったのは、理不尽なカリスマ(N)の下で学び・仕え、その中で模索してきたたからであり、今は幸か不幸かそのようなカリスマが不在なのだから・・・、策士は育ちようがない。策士は、丸山先生の「一代芸」で終わるのだと思う。
・ そういう「ダークさ」と「したたかさ」が、年月を経て形を変え昇華した姿として、今の独特の「かわいさ」も醸し出されているのだと思う。
・ そしてもう一つ、丸山先生はけっこう「エッチ」である。10年以上前のスモーキングタイムの50代の時と、70に近づいた今も変わらない。いや、磨きがかかった「エッチ」さになっている。
・ 先日のスタッフ懇親会の時も、病のせいで自分で立ち上がることのできない丸山先生を支えるようにと(遠藤先生から)指示された私が近づくと、両脇にいた女性に支えられたいということで、私は拒否された!にやにやしながら、私に拒否の眼差しを向ける丸山先生の顔は、相当に「エッチ」だった!
・ この日の慰労会のあいだ、奥様と手を繋いで握りしめながら、自らの身体を支えようとする姿にも、「エッチ」な丸山先生が感じられる。
・ 定年後も奥様と新たな「エッチ」の境地を追求しながら、「したたかに」生きていって下さい!
・ 画像は、スピーチ中の私と聴きながら微笑む丸山先生。もう一枚は、2016年3月16日の卒業パーティでのツーショット。


【2018年3月11日記】

◎ 2018年3月5日(月)〜10日(土) 「この一週間」
・ 課題である「現代哲学ラボ」書籍化のための原稿修正と加筆を始めたが、火曜日に突然の歯痛に襲われて、思うように進まず。土曜日になっても(弱まってはいるが)痛みが続いているので午前中に歯科医院へ。虫歯ではなく、強い噛みしめが原因。とりあえず痛み止めを飲むしかない。
・ 月曜日の夜は、久しぶりのBJJの練習。片足タックルを取られた状態からの技研では、私もレスリング技を「指導」。その後、デラヒーバを外す展開を3種類。スパイダー+巻きつけを外す展開を1種類。
・ 木曜日は、今年度最後の教授会で、夜は心理学科の納会。「心理学は医学や自然科学へのcomplexが強い」という放言(持論)を、私が同僚(心理学者たち)に向かって遠慮なく言えるくらいには、この集団は寛容。
・ 金曜日の夜は、湘南高校時代に連んでいた3人組みで「還暦の会」。1人は地検の検事O、もう1人はお金を回すだけで悠々自適の生活をしている金持ちのS。そのSの紹介で、ふだん私だけなら利用できないようなお店の個室で昔話や密談。まったくフィールドの異なる3人組みというのが、面白いところ。
・ 出がけに妻からの言付けがあった(高校時代のOやSに妻も何度も会っているしよく知っている)。「O君は(高校時代から司法試験を目指していたし)ともかくとして、S君とうちの旦那はよく60までちゃんと生きていて、しかも子どもまでいるというのは、これは奇跡です、と伝えてね」というものだった。
・ まったくその通りで、そのまま彼らに伝えた。
・ 土曜日の午後は、大学院生主催の(今年度で定年退職する)丸山先生の慰労会。
【2018年3月10日記】

◎ 2018年3月8日(木) 「次の単著」
・ 次の単著は、『現実性こそ神(仮)』(筑摩書房)を予定しています。
・ すでに筑摩書房の増田健史さんと打ち合わせを始めています。

第一章は「現実性と潜在性」
第二章は「事実性と様相の潰れと賭け」
第三章は「現実の現実性と時間の動性」

で構成することは、ほぼ確定しています。
【2018年3月8日記】

◎ 2018年3月3日(土)・4日(日) 「sk/誕生会/執筆」
・ 土曜日は、久しぶりのskレスリング練習。といっても、膝に負担がかかりそうな種目は全部パスしながらの半参加。
・ 集合写真のように新しい会員も増えているし、途中抜けながらの不十分な練習しかできないし、しかも久しぶりだし、アウェイ感あり。
・ しかしそれでも、3分スパーの中で、相手をいなして首投げが極まり袈裟固めでフォールできたときには、独特の爽快感あり。
・ グラウンドスパーの前のマッサージでは、専門家の有賀さんにほぐしてもらって、私の筋肉の特徴についてのコメントまでもらった!

・ 日曜日は、恒例になった家族の誕生会(3日・5日・7日が誕生日の3人のための誕生会)。
・ 長男とその嫁さんの腕にはApple Watch、三男の腕にはデジアナテンプ。

・ 「事実性と様相の潰れと賭け」は書き上げたが、次は、明石書店から書籍化される予定の「現代哲学ラボ」のシリーズ(とりあえず1号〜4号)に加えるための新規原稿の執筆が課題。
・ 私は、第1号と第4号に、afterthoughtを書くことになっている。そのためにも、まずは電子版の読み直しから。
【2018年3月5日記】

◎ 2018年2月27日(火) 「執筆終了」
・ 日本記号学会編『セミオトポス13』(2018年)掲載予定の「事実性と様相の潰れと賭け」を書き終わりました。50枚ほどの原稿です。
・ もし原稿段階で読んでみたい方で、読後にコメントを聞かせてくれるという方がいましたら、添付ファイルが可能なメールアドレスを教えて下さい。PDFファイルで送ります。
・ 論文の構成は以下の通りです。

「事実性と様相の潰れと賭け」
I. 事実性と様相
1.否定と最小様相
2.事実性から現実性へ
3.ラッセル的拒否感の役割
II.様相の潰れと確率の潰れ
1.事実性と様相の潰れ
2.様相の潰れから確率の潰れへ
III.選択と賭けと祈り
1.選択と賭け
2.賭けと祈り

【2018年2月27日記】

◎ 2018年2月26日(月) 「東北大学」
・ 2018年東北大学の前期日程の国語・第一問で、私の書いた文章(『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)所収の「「私たち」に外はない」)が出題されているようだ。
・ 国立大学では、名古屋大学で2010年に出題されて以来かな(こちらは「「ものさし」の恍惚と不安」から)。
・ Yomiuri Online に問題のPDFがありました。Yomiuri Online 2018年 東北大学 前期日程 国語
・ 毎日新聞では、こちら
・ 何度も入試で使われている『足裏影』ですが、今回の「「私たち」に外はない」は、(おそらく)初めての出題だろうと思います。よくぞここから出したという感じで、けっこう「攻めている」出題だと思いました。
・ 河合塾「高度に哲学的な内容で、読みなれない受験生には厳しいものであった。」(難化)/駿台「言葉づかいは易しかったものの、設問および内容は 難しかった。」(やや難)
【2018年2月26日記】

◎ 2018年2月23日(金) 「まだまだ執筆中」
・ 昨日(2月22日)は、ゼミ生と昼食をしながら、他大学の大学院受験の報告を受け、TVドラマ談義。夕刻17:00から19:00すぎまでの大学レスリング部の練習に参加。
・ 膝の調子があまりよくない。
・ 片足を(回り込まれて)取られたところからの逆転の仕方を、技術練習でやった。そのいくつかの段階の最初のステップ(膝にかかった相手の手を外して脛の下へ挟み込む)さえ、できていなかったことが分かって、収穫だった。
・ 執筆中の論文は、だんだん形が整ってきた。

日本記号学会編『セミオトポス13』(2018年)用原稿
「事実性と様相の潰れと賭け」
I. 事実性と様相
1. 否定と最小様相
2. 事実性から現実性へ
3. ラッセル的拒否感の役割

II. 様相の潰れと確率の潰れ
1. 事実性と様相の潰れ
2. 様相の潰れから確率の潰れへ

III. 選択と賭けと祈り
1. 選択と賭け
2. 賭けと祈り


・ 本日は、これから採点業務。
【2018年2月23日記】

◎ 2018年2月21日(水) 「事実性と様相の潰れと賭け」
・ 日本記号学会編『セミオトポス13』(2018年)用原稿のタイトルは、一部変更して「事実性と様相の潰れと賭け(Factuality, Modal Collapse and Wager)」に。
・ 概要は、こんな感じ。

本論文は、「事実性」と「様相の潰れ・確率の潰れ」と「賭け」の三者を、同種の中間的なものとして描き出そうとする。三者はいずれも、現実性とシステムが鬩ぎ合い拮抗するところに出現する中間であり、両極性を持つ。

現実性とシステムとその中間を考察するために、各章(I・II・III)では、以下の題材を扱う。Iでは、ラッセル的拒否感(命題は様相を持たない)を素材にして、現実性と様相の中間に、事実性を位置づける。IIでは、様相の潰れ(現実=可能=必然)と確率の潰れ(現実の確率は常に1/2)に注目して、現実性によってもたらされるシステム内の歪み(潰れ)としての中間を考察する。IIIでは、選択と賭けと祈りを比較対照する。システム内で安定的に働く「選択」から始めて、そこから逸脱していく方向性を持つ「賭け」を経由して、神=現実性を志向する「祈り」までを辿る。この辿りの遂行を通じて、賭けの中間性を浮かび上がらせる。


・ 検索していて分かったのだけれども、「入不二」と「入不ニ」では、「二」と「ニ」の部分が違うから、(当たり前だが)ヒットするものが違うのだ。

【2018年2月21日記】

◎ 2018年2月18日(日) 「会食」
・ 青山学院大学レスリング部OB会長の佐々木さんに招かれて、奥様・お嬢様二人もいっしょに5人で会食(於:澁谷)。
・ メインテーマの一つは「駿台」。
・ 大学生とこれから大学生になる二人は、どちらも「大島保彦ファン」で、大島さんの授業の面白さについて熱弁していた。
・ 3月1日発売のアエラムック『駿台予備学校』(朝日新聞出版)を持参して、お二人に見せながらの駿台話だった。英語の斎藤さんの写真が出ているページでは、「モトハル、モトハル」と呼びながら、元カレの話をするかのような感じ。
・ もう一つのメイン・テーマは、父がレスラー・長女が柔道家(七帝柔道)ということもあって「格闘技」。
・ 高専柔道とブラジリアン柔術の比較や、絞め技と関節技のどちらが好みか、得意技談義・・・など。二十歳の女の子との会話だよ!
・ 私のところは息子3人なので「娘たちがいる家庭」が羨ましく、その楽しさをかいま見ることができた一時だった。
【2018年2月19日記】

◎ 2018年2月18日(日) 「再掲(5年前の身辺雑記より)」
・  先日(金曜日に)、駿台のパーティに参加したせいもあり、5年前(2013年)のこの画像が目にとまった。
・ その中に、2009年の同会への言及も含まれている。職員の高田さんと知り合ってから、もう5年になるのか・・・。小池君はいまや人気講師として活躍しているし・・・。

以下、再掲。

◎ 2013年2月17日(日) 「飯田満寿男先生を囲む会」
・ 日曜日は夕方5時から、友人の霜栄さん(駿台現代文科講師)が、彼の新著『生きる 現代文読解語』(駿台文庫)に協力したメンバーを集めての宴会。またこの集まりは、2009年6月14日(日)以来の80歳になられた飯田満寿男先生(元・駿台現代文科講師)を囲む会でもある。

・ その2009年6月14日(日)のwikの「身辺雑記(メモ)」には、飯田先生について、私は次のように書いている。

飯田先生のように、引退後も下の世代から敬愛され続ける「重鎮」(あるいはチェック機構)が、駿台現代文科の「背後」に控えていることは、組織のあり方に独特の「奥行き」を与えていると思う。しかし、この善き構図も、飯田先生一代限りの「個人芸」の世界なのかもしれない。

・ この飯田先生を尊敬する者たち(駿台現代文科およびその関係者)たちの集まりの中に、新たに小池君(『英語で読む哲学』(研究社)の著者の一人でもある)が加わる。飯田先生―霜さん―小池君の年齢差が、25歳ずつであり、駿台現代文科の「伝統」の継続を感じさせる。

・ 今回の集まりで一番ビックリしたのは、駿台職員の高田さん(写真一番右)という「体育会系女子」「格闘女子」が、酔った勢いとはいえ、「入不二先生と闘いたい」と言って、私に技(腕取りとかヘッドロックとか)をかけてきたこと!


【2018年2月18日記】

 2018年2月16日(金) 「駿台創立百周年記念祝賀会」
・ 17時から開催されたパレスホテル東京での「駿台創立百周年記念祝賀会」に出席。
・ パーティ会場での「満員電車状態」を経験するのは初めてのことで、その場に立ったまま移動することもできないほどだった。帰る人が出てきて隙間ができるまでは、知り合いを捜すこともできなかった。
・ 招待客の中には、私のような元講師(清泉女子大の佐伯さんとも久しぶりに会えた)のほか、かなりの人数の高校の先生たちが出席していたし、代ゼミや河合塾などの他塾・予備校の関係者や、教育関係の若い起業家たちも含まれていた。
・ 高校の先生の中には、かつて予備校での私の授業を聴いた人たちもいて、挨拶に来てくれた。
・ 教育関係の起業家の一人からは、哲学ってどんなことをやるのか訊ねられた。最初は当たり障りのない一般的な答え方をしていたのだけれど、そういう話では満足していない様子だった(さすが若き起業家か?)。そこで、午前中にその内容を書いている最中だったこともあり、「選択と賭けと祈り」の比較についての話をしたところ、意外に(?)興味を持ってくれた。
・ 大御所の秋山仁先生と関谷浩先生とは久しぶりにお話ができたし、駿台文庫顧問の冨田豊さんともようやく再会することができた。
・ 英語科の現役講師・元講師の知り合いともっと会えるのかなと思っていたが、言葉を交わすことがでたのは、甲斐さん・飯田さん・福沢さんくらいだった。他教科では、日本史科の福井さんや化学科の吉田さんとお話できた。
・ 数学科の小林さん・雲さん(弟)・桑田さん(元講師)の「三タカ(隆章・孝夫・孝泰)」トリオ、そして霜さんと甲斐さんと私の6人で、神保町のお店で二次会。二次会で雲さん(兄)と職員の高田さんも加わり、三次会はカラオケへ。夜中の1時過ぎまで歌い続ける。私は二週続けてのカラオケだった。
・ 3月1日発売のアエラムック『駿台予備学校』(朝日新聞出版)を、お土産としていただいた。 あと、江戸切子のグラス一対とユーハイムのバームクーヘンも。

【2018年2月17日記】

◎ 2018年2月15日(木) 「鈴村智久さんのツイート」
https://twitter.com/irifuji/status/963791678153703...
「現代思想界隈」のことには私は疎いのですが、拙論を読み込んで頂いていることが嬉しいので、鈴村さんの一連のツイートをリツイートさせてもらいました。











【2018年2月15日記】

◎ 2018年2月14日(水) 「執筆中」
・ 執筆中の「現実性と様相の潰れと賭け (Actuality, Modal Collapse and Wager)」の目次が、ほぼ確定した。
・ 以下の通り

I.  現実性と様相
1. 否定と最小様相
2. 事実性と現実性
3. 中間としてのラッセル的拒否感

II. 様相の潰れと確率の潰れ
1. 事実性と様相の潰れ
2. 様相の潰れと確率の潰れ

III. 選択と賭けと祈り
1. 選択と賭け
2. 賭けと祈り

・ 日本記号学会編『セミオトポス 13』(2018年)用に書いている原稿です。

【2018年2月14日記】

◎ 2018年2月10日(土)・11日(日) 「大同窓会(解体ショー)と翌日」
・ 10日夕刻・湯田温泉に到着後、「山水園」の日帰り温泉に入ってから、大同窓会の会場(防長苑)に向かう。
・ 一期生から十七期生(今年度卒業生)まで総勢140名の出席者で、予想を上回る大盛況。私は三期生と共に文芸・芸能を去り、青山学院大学へ異動したわけだが、五期生までは私の授業を受けている人がいた。やはり、特に一期生・二期生・三期生は、近しい感じがどんどん蘇ってきて、自分の中からひとりでに湧き出てくる記憶にビックリする程だった。
・ 14年ぶりに再会した大御所のお二人、林先生と増田先生とは、テーブルの隣同士で着席していたこともあって、「文芸・芸能コースの誕生から解体までが20年間であったことは、はたして短いのか長いのか」という論争にもなった。
・ 多くのOB・OGたちから「今でも入不二先生のあの授業のことをよく覚えている」と懐かしそうに繰り返し言われたのは、「現代思想」という名の授業のことだった。ジジェクの『斜めから見る』をテキストにして、映画や絵画などを題材に好き勝手なことを私が喋る授業だった。でも、このタイプの授業は(「文芸・芸能コース」だからこそ)その頃特別にやっただけなので、その後はまったくやっていない。
・ もう一つ、たくさんの人たちから何度もかけられた言葉が、「先生!あのテレビ見ましたよ」だった。もう7年前になる2011年、「Q〜わたしの思考探究〜「哲学的に考えるとは」(NHK教育テレビ、2月12日(土)午後11時45分〜午前0時15分」/再放送:2月19日(土) 午前10時30分〜11時00分)を、伝え聞いて見た人・たまたま見た人がかなりいて、テレビの影響力を再認識した。
・ 企画運営者の一人・むつみさんの司会が楽しくて、とてもカッコよかった。各教員が書いた「文芸・芸能コース観」が彼女によって読み上げられるコーナーもあった。
・ 私のコメントで読み上げられた部分は、「山口大学の中で居場所を見いだせずに私が抱いていた焦燥感と、文芸・芸能コースというアイデンティティの定まらない新組織に集まった多彩な学生たちの「恍惚と不安」が、不思議とシンクロしていたような記憶がある」だった。
・ 会場のホワイトボードには、各教員が担当した卒論タイトルで、印象に残っているものが列挙されていて、私も男女2名の哲学系卒論のタイトルを挙げたのだが、残念ながら彼らは欠席だった。
・ 二次会は、菊屋さん・堀家さん・OB・OGたちと、シダックスへ行って久しぶりのカラオケを12時すぎまで。

・ 翌日11日の11時〜14時半は、一の坂川沿いの「むくの木」で、辻先生と上野さんと3人でお喋りをして過ごす。お二人どうしが顔を合わせるのは、山口大学人文学部に在職していた頃まで遡るので、十何年かぶりである。
・ 哲学的な話から昔話や噂話までが入り乱れ、さらに(辻先生と上野さん間で交わされた)世俗的に有意義な約束まで・・・話は尽きず、3人で会う機会が作れてよかった!
【2018年2月11日l記】

◎ 2018年2月10日(土) 「山口へ」
・ 山口大学在職中の10年間(1993年9月〜2003年度)は、「教養部 →(1年間米国留学)→ 教育学部/国際文化コース → 教育学部/文芸・芸能コース」と所属が変わった。大学院では、(社会科ではなく)国語教育専修で演習の授業を担当していたし。さらに、時間学研究所の立ち上げメンバーであったため、最後の何年かは学部外の活動のほうに軸足があった。
・ その「文芸・芸能コース」は、今年度の四年生の卒業を持って17年の歴史を閉じる。ということで、「文芸・芸能コース解体ショー」と銘打ち、在学生・OB・OG・現教員・かつて教員だった者たちが一堂に会して、大同窓会をやることになった。
・ その会へ参加するために、ただいま山口へ向かう新幹線の中。新山口までは、東京から4時間半ほど。
・ 4時間半というまとまった時間は、このところの自宅での仕事をそのまま継続するのに適切。今回は、飛行機ではなく新幹線にして正解だった。ということで、新幹線の中で、論文「現実性と様相の潰れと賭け」(日本記号学会編『セミオトポス 13』(2018年)に所収予定)を、MacBook Airで(Scrivenerを使って)執筆中。
【2018年2月10日記】

◎ 2018年2月7日(水) 「『英語で読む哲学』重版」
・ 佐藤陽二さんから、入不二基義〔編〕『英語で読む哲学』(研究社)の重版のお知らせをもらいました。
・ 本書の構成は、
はじめに(入不二基義)
第1講 理屈の闘い ――サンデルの『正義』を読む(北野安寿子)
第2講 ギルバート・ライル『心の概念』(小池翔一)
第3講 アラスデア・マッキンタイア「美徳とは何か」(小山悠)
第4講 脱道徳家vs人間らしさ ――バーナード・ウィリアムズ「脱道徳家」(壁谷彰慶)
第5講 エリザベス・アンスコム「一人称」(今村健一郎)です。

【2017年2月7日記】

◎ 2018年1月24日(水) 「欠場報告」
・ 今年のマスターズ大会(1月21日)は、欠場でした。
・ 前日(1月20日)の計量に行ってパスして帰宅した後、翌日のための荷物の準備などすべて終えて早めに寝ようとしていたところで、体調がおかしいこと(頭痛など)に気づき、熱を測ってみたら「38.2°C」あった。
・ これでは戦えないし、相手に感染する危険もあるので、欠場せざるを得ないと判断。青学レスリング部やSKアカデミーの関係者に事情を連絡。
・ 実は、1月11日(木)の練習で、かなり酷い突き指をして、指だけでなく手のひらも腫れ上がり紫色に変色。その状態は、ひびが入っている可能性もある酷さ。
・ 翌日1月12日(金)夜の会食で、箸も持てないこの手の状態を見て、それでも試合に出ようとしている私の蛮行を、筑摩書房の増田健史さんは「理解不能です」とあきれ顔で言ったのだった。
・ それでも、テーピングで固めて出場するつもりだったからこそ、減量を最後まで全うし、前日計量にも向かったのだった。膝の状態(半月板の後遺症)に加えて、二重苦になってしまったと思っていたところに、最後になって発熱。これは「出るな」というお告げだったのだろう。
・  現在、まだ静養中です。

・ 出場していれば、画像のような「還暦表彰」を受けるはずでした。

・ 私の代理で還暦表彰を受け取ってくれたのは、SKアカデミー随一の筋肉マン・須藤さん(まだ30代後半!)だったそうです。ありがとうございます。
【2018年1月24日記】

◎ 2018年1月20日(土) 「計量パス」
・ 前日計量。
・ フレッシュマンズ部門・Division B (46歳以上)・58kg級を、57.4kgでパス。
・ 結局12月あたまに減量を開始して、7kg落としたことになる。
・ 減量だけは順調でした。あとは色々悪条件が重なっているのですが、試合が終わってから書きます、
【2018年1月20日記】

◎ 2018年1月19日(金) 「寄付(思い出)」
・ 「niconicoffee 哲学科に7500万ドル(約82億5千万円)の寄付を約束 投資家ビル・ミラー氏
・ この記事を見て思い出したことがある。かつて伊藤和夫先生が、死期が近づいてきたときに、遺産の使い方を考える過程で相談を受けたことがあって、東大哲学科に数億円を寄付するという案も選択肢の一つとしてあった。実際、私は伊藤先生の依頼を受けて、東大文学部の事務に足を運んで、問い合わせたこともあった。大学院生風情の私が話に行ったせいかもしれないが、あまり真面目に受け取ってはもらえなかった記憶がある。伊藤先生の東大哲学科に対する想いは、複雑なところもあったし、別の選択肢を選ぶ結果となった。
・ この他にも、伊藤和夫先生との会話の中で出て、しかし実現しなかった「遺産の活用方法」もあった。毎年優れた受験参考書を選んで賞を出したり、執筆を援助するような財団等を作って、伊藤英語や予備校文化の研究や継承に資する組織にしていく… 。この件は、当時、大島保彦氏・福崎伍郎氏たちにも話してみたことがあったと記憶している。
【2018年1月19日記】

◎ 2018年1月9日(火)・11日(木)・12日(金) 「一月第二週」
・ 今週は、大学レスリング部の練習に9日(火)と11日(木)の二回参加。学生たちが最後の補強運動をやっている間(10分〜15分)、集中的にいくつもの寝技をかけ続けて抵抗してもらうという「贅沢な時間」を、一年生の土屋君に相手をしてもらって過した。そのおかげで、グラウンド技に関する新しい気づきあり。この気づきに基づいて、実験と検証と修正を続けてみるつもり。
・ 私が担当していた心理学科の学生が、卒論を無事に提出。永井均の独在論と平山朝治の同一不二論の比較を通して、存在論的な孤独について考察したもの。
・ 12日(金)夜、筑摩書房の増田健史さんと会食しながら、『現実は神である(仮)』の執筆について、第一回目の相談。
・ 私がケガを抱えたまま試合に出ようとしていることを、増田さんは自分のことのように心配していて(ビビっていて)、無頓着(?)無謀(?)な私の態度を「理解不能です」と一言。「でも、そういう人だからこういう本(『相対主義の極北』など)を書けるわけで・・・」という追加発言もあり。
【2018年1月13日記】

◎ 2018年1月6日(土) 「skの初練習/グリップ」
・ 夕方17:00〜19:00、skアカデミーの今年最初のレスリング練習に参加。
・ お二人(Tさん・Kさん)との2本ずつやったスパーリングが対照的な展開。
・ Tさんとは、組み手争いやポジショニングでほぼ時間が尽きてしまって、互いにポイントの取れないまま終わる。強いてよい点を捜せば、壁際で体勢を崩させて終了した一本目のシーンと、ローシングルをキャッチしたところで終了した二本目最後のシーン。
・ Kさんとは、タックル切りからのグラウンドの展開では、ほぼ完璧にコントロールすることができて、かけたい寝技も三・四種類試して全てポイントをとることに成功。

・ 座学中に考えていること(こうやったらどうなるかや、こんなことできるか)を、実際の練習の中で試せる機会というのは、なかなか訪れない。また、試せないまま時間が経ってしまうと、課題そのものを忘れてしまうこともある。
・ そのような課題の一つに、「左右の技の切り換えと両手のグリップの組み換え」というのがあって、まだ試せていない。
・ たとえば、ゲーブル・グリップを単純に左右転換するならば、右手手前・左手手前の組み換えになるだろうが、そのやり方とリスト・グリップによる一方の手(のみ)の裏返し・表返しによる組み換えは、どのような効果の違いがどれくらいあるのだろうか。
・ どの技の場面でそれを比べるか(ガッツレンチ(ローリング)かアンダーフックからのヘッドロックか等)によっても違うだろうし、腕(かいな)の返しの効果や押しの力・引きの力の働き方などによっても変わってくるだろう。
・ 手印(密教などで両手の組み合わせで形作るしぐさ)にも似て、組み技系格闘技におけるグリップの組み方には、種々のバリエーションと意味や効果があって、興味が尽きない。
【2018年1月7日記】

◎ 2018年1月6日(土) 「友人」
・ Wikipedia の今野真二君の記述に、私と阿部嘉昭君が出てくる。
・ 「今野 真二(こんの しんじ、1958年 - )は、日本の日本語学者、清泉女子大学教授。神奈川県鎌倉市生まれ。神奈川県立湘南高等学校の同級生に入不二基義や阿部嘉昭がいる・・・」https://ja.wikipedia.org/wiki/ 今野真二
【2018年1月6日記】

◎ 2018年1月4日(木)「二部練?/参拝」
・ 昨晩は、31日から帰省している三男(25歳)と、しばらくぶりに自宅リビングにて部分的なレスリング(アップと組み手争いや寝技のかけ合い)をやって汗びっしょり。午後練と合わせて「二部練」みたいだった。おかげで、翌朝体重はいよいよ58kg台へ。
・ 4日午前中は恒例の世田谷八幡宮へお参りに出かける。まだ参拝客は多く、賑やかな女子高校生軍団と保育園児の団体にも遭遇。
【2017年1月4日記】

◎ 2018年1月3日(水) 「初練習」
・ セントメリーズインターナショナルスクールでのレスリング午後練習へ参加するために、箱根駅伝4連覇をまだ確認できずに、車で出発。
・ skアカデミーの会員も何人も来ていて、カニベックさんとも久しぶりに会えた。misdirectionを利用したタックルの打ち込みや後方へのがぶり返しの技研をカニさんと。スパーは吉川さんと(ダブルがぶりになるシーンがあった)。
・ 掛け声(もちろん英語)や補強器具を使った4種の最後のサーキット(腰に付けたトレーニングチューブに逆らって前進/バトルロープを上下して波立たせる運動/パワーバックを使ったsprawlとshot/ゴムチューブを使ったスクワット)が、とても高校生の部活っぽかった。
【2018年1月3日記】

◎ 2018年1月1日 「文武揺動」
・ 新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。今年は、年男(戌)で還暦を迎えます。
・ レスリングを始めてから8年が経つけれど、昨年はケガの後遺症のために不十分にしか練習ができなかった。にもかかわらず、この1月の全日本マスターズレスリング選手権試合にエントリーしていて、減量進行中。
・ 前回は60.2kgスタートからの−5kg強の減量(55kg級)だったのが、今回は65.5kgスタートからの−7kg強の減量(55kg級消滅/58kg級)。このスタート地点の「後退」は、練習量の少なさと、そのストレスから来る食べ過ぎが原因だった。
・ レスリングが十分にできなかったおかげで(?)、論文「現実性と潜在性」(『現代思想』2017年12月臨時増刊号・総特集=分析哲学、所収)を書くことに集中できたし、さらに新著『現実は神である』(仮題)を書く気にもなった。
・ 文武「両道」は難しく、文武「揺動」「両天秤揺動的な交代」がせいぜいの所。
・ 今年も「揺動」を上手く乗りこなして行きたい。
【2018年1月1日記】

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※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません


著書


2017『香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ』(ぷねうま舎)


2017 『現代哲学ラボ 第4号: 永井均の無内包の現実性とは?[Kindle版](哲楽編集部・編)


2016 『現代哲学ラボ 第1号: 入不二基義のあるようにありなるようになるとは? 』[Kindle版](哲楽編集部・編)


(カバー+オビ 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


(カバー+オビ 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(表紙 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


2013『子どもの難問』(野矢茂樹編著、中央公論新社)<私の執筆は二編>


2013『英語で読む哲学』(編著、研究社)


2012『哲学の挑戦』西日本哲学会・編、春風社)


2011『Q〜わたしの思考探究〜 (共著、NHK出版)


2010『<私>の哲学を哲学する』(共著、講談社)


(カバー 帯なし)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)

↑(帯をとると上のようになります)


(カバー+帯)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)



2009 ちくま学芸文庫版『相対主義の極北』(筑摩書房)



2007 『哲学の誤読 入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)



2007 『時間と絶対と相対と 運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房)



2006 『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(NHK出版, シリーズ・哲学のエッセンス )






2002 『時間は実在するか』(講談社現代新書)




2001  『相対主義の極北』(春秋社)



1993  『<思考する>英文読解』(駿台文庫・絶版)

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