2009年3月27日刊行の 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)のカバー(左:帯なし、右:帯あり、松田行正さん作)の画像です。【2009年3月19日記】

 ←(帯をとると左のようになります)


 ←カバーをとった表紙


  

目次

00 プロローグ

I
01 地平線と国境線
02 「私たち」に外はない
03 足の裏に影はあるか?ないか?
04 無関係という関係
05 「さとり」と「おおぼけ」は紙一重
06 ゲームの階梯 
07 あらかじめ失われた……

II
08 さまざまな「迷信」
09 「ものさし」の恍惚と不安
10 数と時の思考
11 一回性と反復
12 「とりあえず」ということ
13 過去と未来、そして現実と仮想
 
III
14 Love Letter
15 寓話「外へ」
16 「問い」と「なぞなぞ」
17 あるパズル
18 哲学と黒板
19 平等な競争
20 「覆面問題」が隠すもの
21 コミュニケーションとしてのプロレス
22 便利と快楽とニヒリズム
23 Memoranda 1991-1992

 
IV 付論
24 「ほんとうの本物」の問題としてのプロレス ープロレスの哲学的考察ー

25 エピローグ +初出一覧


ブックフェアの現場の画像を、神内冬人さんが送って下さいました。





著者が選ぶブックフェア(ブックファースト京都店)のお知らせ

 7月上旬〜7月末の予定で、ブックファースト京都店において、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)を中心にした、私の著書+選書のブックフェアをやっていただけることになりました。ご担当の神内(かみうち)さんから、編集者の綾女欣伸さんにお申し出がありました。

 私がテーマ・コンセプトを設定して、選書した本(15冊〜20冊、うち10冊ほどコメント付き)が自著といっしょに並びます。「入不二ワールドをより多面的に読者に向けて発信する選書フェア」とのことです。


(パネル、実際はA3サイズです)


「足の裏の影」にそそぐ「光」たち
  『足の裏に影はあるか?ないか?』の装幀と各随想に関連した作品や、
  考えることと書くことが、高い次元で融合している作品や、
  良質の思考素材を提供し続けている作品、
  そんな作品たちを、セレクトしました。

選書:
1. レーモン・クノー著、『文体練習』、朝日出版社

2. 松田行正著、『眼の冒険』、紀伊國屋書店

3. 紀野一義著、『維摩経 新装版』(佛典講座9)大蔵出版

4. 谷貞志著、『「無常」の哲学―ダルマキールティと刹那滅』、春秋社
「さまざまな「迷信」」に記した私の「迷信(妄想)」は、仏教の「刹那滅(せつなめつ)」の問題へと接続している。

5. 植村恒一郎著、『時間の本性』、勁草書房
特に、第一章の「速さ」なき「時間の流れ」についての考察(時計論)は、絶品である。

6. 辻正二監修・ 山口大学時間学研究所編、『時間学概論』、恒星社厚生閣

7. 吉田武著、『虚数の情緒―中学生からの全方位独学法』、東海大学出版会
「数」の全体像を俯瞰するのに最適の独学書。中学生・高校生の時に読みたかった。

8. ディオゲネス・ラエルティオス著、『ギリシア哲学者列伝』上・中・下、岩波文庫

9. 岩井俊二監督、Love Letter [DVD]+岩井俊二著、『ラブレター』、角川文庫

10. 中島敦著、『中島敦全集3』、ちくま文庫
11. 安部公房著、『安部公房全集〈24〉1973.3‐1974.2』、新潮社
寓話「外へ」の一つ「仙人」には、中島敦の「名人伝」の影響が、寓話「外へ」の全体には、安部公房の影響がある。

12. 野矢茂樹著、『哲学・航海日誌』、春秋社

13. ジャック・ラカン著、『エクリ1』、弘文堂
本書所収の「論理的時間と予期される確実性の断言」では、「三人の囚人」のパズルが考察されている。「あるパズル」の後に、続けて読んでいただきたい。

14. G.ベイトソン著、『精神の生態学』改訂第2版、新思索社
メタコミュニケーションの問題については、本書所収の「遊びと空想の理論」「学習とコミュニケーションの階層論」などが必読である。

15. ニーチェ著、『善悪の彼岸 道徳の系譜』(ニーチェ全集11)、ちくま学芸文庫
「便利と快楽とニヒリズム」で言及したニヒリズムについては、やはりニーチェ自身の著作を読むことをお勧めしたい。

16. 永井均著、『これがニーチェだ』、講談社現代新書
ニーチェによってニーチェを超えるような、最高のニーチェ本である。

17. 岡村正史・川村卓共著、『超時代的プロレス闘論―われらプロレス・ジェネレーション』、三一書房
プロレスをめぐる知的営為は、プロレスと同様・同等の興奮を呼び起こしてくれることがよく分かる書である。

18. パスカル著、『パンセ』1・2、中公クラシックス(中央公論新社)
思考を紡ぐことと言葉遣いを編み出していくことが、一体であることを教えてくれる哲学随想の古典である。

19. 田島正樹著、『魂の美と幸い―哲学形式としてのエセー』、春秋社
哲学の思考と日本語の洗練とが見事に調和している、希有の哲学エセー集である。

20. 関野昂著、『関野 昂著作選1 関野 昂 哲学論集』、現代図書
14歳で自死した哲学少年の遺稿集。すでに或る高みに到達していて清々しい、と同時に惜しい。

ちなみに、自著の中の一冊として、絶版になっていている
『<思考する>英文読解』(駿台文庫)の帯付き初版本を非売品として展示してあります。



◎  小説家の横田創(よこた・はじめ)さんという方が、今発売中の『すばる』8月号(集英社)・紀行特集「すばるさんぽ部」の、
「原宿・千駄木・代々木上原 意識の自然学」というエッセイの中で、
『足裏影』を取り上げてくれています。(書影も載っています)

 公園・絵本・料理・哲学・詩というパートに分かれている「散歩記」になっていて、
余白的な散歩と思いが、適度な速度で移動していく感じが、とても気持ちのいい文章です。
 「あらかじめ失われた(ている)」という表現が、何度か繰り返されることの余韻と、
途中で「わたしは」が「わたしたちは」に変わる箇所があって、待ち合わせの相手は
誰だったのかな?という思いが、読後に残りました。

 横田さんの文章の中に出てくる入不二基義は、実際の私よりも「かっこいい」感じがします。
文章だけで出会っていて、面識がないからこそ、こういう良きことがもたらされるのでしょう。

 たとえば、こんな感じです。一部分だけ引用します。

「入不二基義は文化人類学者や社会学者と、さらには文芸評論家や小説家と同じ位相で
哲学をする。彼の思考の中ではいつも経験と思惟が背中合わせに「無関係という関係」の
中で向き合っている。(・・・)」(p.138)

「(・・・)そこでわたしたちが彼の思考とともに目にすることとなる景色はいつも爽快で、
意識の自然を、その絶望を、小菅刑務所とドライアイスの工場(坂口安吾)を眺めるように
見ることができる。(・・・)」(p.139)

 その他、画狂人ホルスト・ヤンセンや『良いおっぱい悪いおっぱい』の伊藤比呂美や料理の
レシピなども登場する、楽しい「散歩紀行」です。ぜひお読み下さい。【2009年7月8日記】

 『週刊朝日』で書評を書いてくれた朝山実さんが、
日経ビジネス・オンライン」の 「トップ > ライフ・健康 > 超ビジネス書レビュー」で、

『足の裏に影はあるか?ないか?』を哲学してみよう〜とことん考えることの効用という記事を書いてくれています。ご参照ください。【2009年7月1日記】

 火曜日に発売されている『週刊朝日 7月3日号』(6月23日発売)で、朝山実氏に「まじめと遊び心の詰まった異色さだ」と評していただきました。 以下の画像が、『足裏影』の書評部分の拡大です。

  

【2009年6月25日記】

ブックファースト京都店の神内(かみうち)さんから頂いたメールの転載です(ご本人の許可をいただいています)。】

先生のご著書は『時間と絶対と相対と』(勁草書房)を
(とくに運命論のところを)読んでおりました。

当店の店頭でも『相対主義の極北』(ちくま学芸文庫)がよく売れており、
今回の『足の裏に影はあるか? ないか? 哲学随想』にも
注目していたところ、お客様の反応もよく、
中島義道さんなど人気の哲学者の方が出された新刊よりも
好調に販売できておりました。

そこで、お客様の中にも、『足の裏』の著者の方へ興味を持たれた方が
多くおられるに違いない、と考え、
当店で行っております「著者の方が選ぶブックフェア」に
お願いすることができるか、ご照会いたしました。

哲学エッセイ書の著者では、池田晶子さんや中島義道さん
(専門書も出されていますが)がすでに人気ですが、
『足の裏』には、これまでのエッセイ書のように
「情念」や「モラルを説く」という点がなく(あるいはうまく隠れていて?)、
読んでいて快い軽さ、考える楽しさにあふれているように感じます。
この本を読んで、さらに時間論や禅を読んでみよう、勉強してみようという
若い方も出てくるのではないかと思います。

当店の学生スタッフでも、この本を読んだ者がおり、
「この本に出ている問題に似た疑問を持ったことがあるが、
ここまでつきつめて考えたことはなかった」と気に入っている様子でした。

つたない感想で申し訳ありません。
先生には、どうぞよろしくお伝え下さいませ。
【2009年6月17日 入不二記】

【セノオこうじさんという方が、『足裏影』所収の「ゲームの階梯」について、更なる考察を展開してくれていますので、リンクを載せておきます。】
現実に階梯はあるか? ないか? (1)
現実に階梯はあるか? ないか? (2)
【 2009年6月3日記】


【青山学院大学の卒業生の堂園幸司さんが、演習用掲示板に感想を書いてくれたので、ご本人の許可を得て、こちらに転載します。】

 まず、収録された中から自分の好みのエッセイを三つ挙げます。

さまざまな「迷信」
寓話「外へ」
便利と快楽とニヒリズム

 この中でも『寓話「外へ」』は、そのヘンテコな話が僕の脳髄に直撃しました。外へ出られない困難、不可能性、おもしろさ、またその事実を物語を通して立体化する先生の技に感嘆しました。「外に出られない」は、ややもすると暗く、陰鬱で、湿り気のある内容になりそうなテーマと思われますが(それはそれでおもしろいですが)、このエッセイは、ギリシア的な力強さと爽快さが行間から吹いてきます。

 本書は、地中海性気候に属します。さまざまな本の中には、著者の単なる憤懣が批評と偽って垂れ流されていたり、言葉遣いに著者の高慢ぶりが裸になっていたり、軟弱な文体を「華麗」と勘違いした著者の無様な姿が公表されたりしていますが(本来、こういう汚い言葉遣いは好きではないですがここでは使わせていただきます)、本書は地中海性気候に属するだけあって、そういった病とは無縁です。

 入不二哲学特有の土の香り、太陽の陽差し、激しい運動で汗をかいたあとのシャワー的爽快が、本書には登録されています。「土の香り」というのは哲学の謎が芽生える瞬間の生々しさのことです。「太陽の陽差し」とは、問題の困難さ、頭に照りつける熱さ、文章の湿気のなさ。「激しい運動……」というのは、哲学的パンクラティオン、問題自身に対する問題による問題のパンクラティオンです。当の問題が問題自身に回帰しくる困難と、その克服は、まるでギムナシオンで体を鍛えるギリシア人です。

 相変わらず抽象的な感想ですが、これが正直な感覚です。人に伝えるときは、具体例を出すべきなのですが(それがわかりやすさに繋がると考えるからです)、抽象的な感想もおもしろいと思い、書いてみました。

 しかし、感想を書く、というのは、じつは書く人(堂園)の性質が露わになってしまうものですね。これが批評とかだったら、それを書く人は読解能力、本全体を感じるセンス、所有している知識、性格、等々を試されていると言えますね。すばらしい批評に出会ったら、(特に批判は)自分の利益になりますが、くだらない的外れな批評に遭遇してしまうと悲しくなりますね。

by 堂園幸司(2009年5月28日)
【2009年5月30日入不二記】

DOG LIFE「読書日記」2009.05.06が、『足裏影』にコメントしてくれています。【2009年5月6日記】

メディアマーカーの「いぬのみみ」で、妻の友人が、『足裏影』にコメントしてくれています。【2009年4月26日記】

春風社の編集長・山岸信子さんが、4月23日付けのコラムで『足裏影』にコメントしてくれています。【2009年5月15日記】

2009年4月26日(日)の毎日新聞の朝刊「今週の本棚」に、拙著『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の書評が出ていることを知る。webでも読めるようです→若島正氏(京都大学教授・アメリカ文学)による「果てしなき思考の逸脱」というタイトルの書評です。「・・・・入不二基義という奇観・・・・」という表現には、思わず(^_^;)。
 そういえば、飯倉洋一さん(大阪大学教授・日本近世文学)のブログでは、「近世流にいえば「畸人」である。」と言われていたしなぁ。「奇(畸)」はキーワードか?【2009年4月26日記】

田島正樹さん(千葉大学教授・哲学)が、ご自身のブログ「ララビアータ」で、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の評を(私宛の手紙も転載して)書いてくださっている。私の方も、田島さん宛のはがきを転載しつつ、コメント。【2009年4月13日記】

金原瑞人さん(法政大学教授・翻訳家)が、「近況報告」の2009年4月13日(月)で、『足裏影』にコメントしてくれています。

【朝日カルチャーセンター・新宿の講座(哲学の読書会)の受講生たちとやっているML(IRIFUJI_FanClub)があります。その管理人である竹下哲郎さんが、『足裏影』の感想をMLにアップしてくれました。ご本人の許可を頂いたので、(メンバー以外の)多くの読者にも読んでもらえるように、こちらに転載します。2009年4月12日記】

【第i部】
 第i部は入不二先生既刊書の序文もしくはそれを書き直したものを中心に構成されています。いかなる書物においても序文はとても重要で、そこを読めば大体その本のレベルが分かってしまうのは、恐らく「序文」という名前とは裏腹にそこが最後に書かれるからでしょう。ほとんどの読者がそこを読んで購入するか否かを決めるであろうことを思えば、書き手にとってもおのずと力が入る部分だと思います。
 入不二先生の本は全部読んでいる私にとってはお馴染みの文章が多かったのですが、入不二哲学がコンパクトにまとまっている点でも、これを第馼瑤箸いζ各部分に置いたのは正解だと思います。
 それにしても『「さとり」と「おおぼけ」は紙一重』を読んで改めて感心したのは、入不二先生の哲学が出来過ぎなくらいに名前と一致しているということです。筆名だったら話は分かりますが本名なのですから驚きです。名前はその人の人生に影響を及ぼすと常々思ってはいますが、入不二哲学の由来はその名前にあるという説を唱えてもだれも信じてくれないでしょうね。

【第ii部】
 第ii部は書き下ろしを含むほぼ独立した哲学随想で、個人的には最も哲学的刺激を受けた部分でした。特に「『ものさし』の恍惚と不安」と「数と時の思考」はめまいを感じるほどで、にやにや笑いながらその酩酊感に酔いしれていました。普段何気なく見過ごしている常識が入不二製の哲学メスによって解剖されてゆくさまは芸術的ですらあり、少なくとも表現力においては3N(中島・永井・野矢)を凌駕していると思わせるほどの高みに達しています。
「ものさし…」に関しては個人的な思い出があります。もう十年くらい前に「誤差が2000万年に1秒以下の原子時計が開発された」という新聞記事を見て私は「おかしい!」と思いました。2000万年に1秒の狂いが発覚するためには、2000万年に1秒も狂わない時計が要るはずです。しかしそのような時計がすでに存在するのであれば、それよりも精度の低い時計の開発がニュースになることもないはずです。「ここでいう2000万年とは地球が2000万回公転することなのだ」という反論には意味がありません。地球の公転速度が狂わないという保証はどこにもなく(実際狂うそうです)、それを検証するためには人間の作った時計を基準にせざるをえないからです。今回先生の随想を読んで、十年来の問題にようやく手がかりが与えられたという感じです。
 また「さまざまな『迷信』」に関しては、「場所にまつわる『迷信』」と対比される「場所の同一性という『迷信』」が浮き彫りにされていますが、これを突き詰めていくと最大の『迷信』は「『私』の同一性」すなわち私自身ではないのかと思われたりして、なかなかに興味深かったです。

【第iii部】
 第iii部には時事ネタを含む、よりエッセイ寄りのエッセイが収録されています。最も読みやすい部分ですが、その分哲学的濃度が犠牲にされている感は否めません。後続のプロレス論へと橋渡しするインターバルとして楽しませていただきました。
「Love Letter」は岩井俊二監督の同名映画の分析にウェイトが置かれていますが、個人的には先生と奥さんの思い出話をもっと具体的に聞かせていただきたかったです。男女関係において言葉と行為のどちらが重要なのか、熱烈なLove Letter(言葉)のやりとりはむしろFace to Faceの関係(行為)を阻害するものではないのか、という思いは未だにあります。
 もう一つ私が個人的に気になったのは「『覆面問題』が隠すもの」で触れられている「排除への欲求」です。今死刑制度について考えたり書いたりしているのですが、死刑の歴史的原型として排除機能があっただろうと思います。この排除の構造が「異人/同人」の垂直関係から「敵/味方」の水平関係へ、さらに「善/悪」の時間関係へと内側に狭まってきたのが死刑の歴史ではないかと思っているのですが、これ以上書くとボロが出るのでここらへんで「寸止め」しておきます。

【付録】
 さて「プロレス論」です。読む前は「アントニオ猪木のコブラツイストは……」云々というような村松友規的な内容を(なぜか)思い描いていたのですが、期待に反してというか当然ながらというか、紛れもない哲学論文、しかも紛れもない入不二哲学が展開されていました。
 私が小学生の頃はプロレスの全盛時代で「猪木vsアリ」の試合をそれこそ固唾を呑んで家族全員でテレビ観戦していたものですが、考えてみれば「プロレス」というのは確かに奇妙なスポーツ(?)です。「プロのレスリング」と銘打ちながらレスリングとは似ても似つかないし、野球やボクシングの結果は新聞に載るのにプロレスの結果は載らないし。
 プロレスとは何かの「偽物」なのではなく、その内側に「ほんとうの本物」をあくまでも「無い」という形で包含しかつ交信しているコミュニケーションの総体であるという論理には、後に開花する入不二哲学の萌芽がすでに感じられますが、興味深いのはデビュー作『相対主義の極北』よりも前に書かれたこの論文の対象がプロレスだったということです。まず哲学があり、そこから対象が選ばれるのではなく、興味の対象から哲学が発生することを思えば、プロレスが選ばれたのはむろん偶然ではなく、むしろプロレスが入不二先生を選んだと言ってもいいのではないでしょうか。プロレスの神格化を望みまた信じているプロレスファンが読んだら泣いて喜びそうな論文ですが、彼らの目に留まることはちょっと考えづらいのが残念です。

【総評】
 「入不二哲学入門の決定版」、これしかありません。読みやすさは群を抜いていますし、とはいえ決してレベルが低いわけでもなく、入不二哲学および哲学そのものの入口へと誘うのに充分な魅力を備えています。
 さんざんもめた装丁も、私はとても気に入っています。最初は「ちょっと地味かな」と思いましたが、派手な表紙が乱舞する書店の平積棚にあって、白地に赤と黒の文字だけという意表をついたデザインは間違いなく目立つしむしろ挑発的です。とにかく手に取ってもらわないと話にならないし、手に取ってもらえればしめたものです。(八重洲ブックセンターに潜っている某諜報部員(哲学塾所属)のマル秘情報によれば、哲学書にしてはかなり「売れている」そうです)
 エピローグで当メーリングリストについて言及してくださっているのは、入不二先生の温かな心遣いにほかなりません。「これを書いたからもう死んでもいい」なんておっしゃらずに、今後も入不二哲学の新たな展開を一ファンとして期待しております。

 飲み会のため、昨夜(今朝)4時半頃にタクシーで帰宅。帰宅しても眠れないままネットを見ていたら、友人の飯倉洋一さん(大阪大学・日本近世文学)が、彼の忘却散人ブログに、『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』(朝日出版社)の感想を書いてくれていることに気づく。書評第1弾であると同時に、嬉しく励まされるコメントをいただいたので、ここにもリンクを貼っておきます。【2009年3月30日記】
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フリーエリア






※この時計の時刻は、閲覧しているパソコンのものであり、必ずしも正確な時間とは限りません


著書


2017『香山リカと哲学者たち 明るい哲学の練習 最後に支えてくれるものへ』(ぷねうま舎)


2017 『現代哲学ラボ 第4号: 永井均の無内包の現実性とは?[Kindle版](哲楽編集部・編)


2016 『現代哲学ラボ 第1号: 入不二基義のあるようにありなるようになるとは? 』[Kindle版](哲楽編集部・編)


(カバー+オビ 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 立体)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


(カバー+オビ 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(カバー 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)

(表紙 平面)
2015『あるようにあり、なるようになる ─運命論の運命』(講談社)


2013『子どもの難問』(野矢茂樹編著、中央公論新社)<私の執筆は二編>


2013『英語で読む哲学』(編著、研究社)


2012『哲学の挑戦』西日本哲学会・編、春風社)


2011『Q〜わたしの思考探究〜 (共著、NHK出版)


2010『<私>の哲学を哲学する』(共著、講談社)


(カバー 帯なし)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)

↑(帯をとると上のようになります)


(カバー+帯)
2009 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想 』(朝日出版社)



2009 ちくま学芸文庫版『相対主義の極北』(筑摩書房)



2007 『哲学の誤読 入試現代文で哲学する!』(ちくま新書)



2007 『時間と絶対と相対と 運命論から何を読み取るべきか』(勁草書房)



2006 『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』(NHK出版, シリーズ・哲学のエッセンス )






2002 『時間は実在するか』(講談社現代新書)




2001  『相対主義の極北』(春秋社)



1993  『<思考する>英文読解』(駿台文庫・絶版)

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