その上,もう1つの理由で,決定事項の有効性は低かった.つまり,当時,ソ連国内で食糧供給が十分でなかったのは,単に被災した地域だけでなく,大きな都会や町も同様だったのである.そのため,チェルノブイリ事故被災者への食糧供給を改善するというソ連共産党中央委員会の決定は,実質的には実現できないものであった.共産党の決定に従い,被災住民は「非汚染」食料のために,毎月30ルーブル(住民はそれを「棺桶代」と呼んだ)を支給された.ところが,村の店には「非汚染」食料などなかった.店にはもともと品物がなかったのである.食料の総量自身が足りないのであった.
そうした状況で彼らに何ができただろうか?彼らはもっともシンプルな解決策、つまり汚染地域に戻ることを選んでいる。なぜなら、汚染地域にいれば少なくとも、ささやかなチェルノブイリ補償を受けられるからである。たとえば、立ち退き対象地域に住んでいる人々は、月に50ルーブル(現在のレートで約2ドル)が支給される。また汚染地域で働く人のには月300ルーブル(約12ドル)の賃金が保証されている。ノボジプコフの人々の平均賃金が月290ルーブルであることを考えれば、ささやかな金額がいかに人々にとって重要か想像できよう。