BBSPINKちゃんねる内で発表されたチャングムの誓いのSS(二次小説)を収集した保管庫です

   イクピル×シンビ       第三部210様


シンイクピル医局長は疲れていた。思わず目を閉じて顔をしかめてしまう。
夜も更けた医務官室で、イクピルは一人黙々と書類に目を通していた。
医局長の職務は激務だ。内医院の長として医官や医女の監督に当たるのは勿論、
医術教育や衛生行政にも当たらなければならない。
チャングムが王の主治医に登用された分診察の仕事は減ったとはいえ、
それでも医局長として相当数の患者を受け持っている。
それから、内医院について大臣に命令権があり
専任の文官が配置されているとはいっても、医術の責任者として
色々と雑務をこなさなければならない。
なにより内医院には外部からの政治的圧力が有形無形を問わず
常に発せられている。時にはそれに対抗して
内医院の中立を守るという難しい課題に対処せざるを得ない。
もともと内向的で医術以外のことに興味は無く、学者肌であった
イクピルにとっては何かと大変で神経を擦り減らすような職務だ。

今日も診察の後で疫病対策についての意見書を大臣に提出し、
薬品購入予算の増額を求めて役人に掛け合い、
帰ってきてからやっと医官任用試験についての書類に目を通すといった有様だ。
医術の研究どころか睡眠時間さえ乏しく、これまで堅実な私生活の
おかげで健康には自信があったイクピルもこの所さすがに疲労感を
覚えてきた。
もっとも10年前に妻を亡くして以来独り身のイクピルにとって、
仕事に没頭することは誤診の失敗や過去の悲しみを振り切るための手段でもあった。

書類の決裁が一段落すると、イクピルは内医院を出て宮中の一画にある王族の屋敷を訪れた。王のいとこが重い胸の病を患っている。
ここ数日は特に病状が悪化し、主治医のウンベクが2日も徹夜をして治療しようやく危機を脱した。病状はだいぶ好転したが一応二人の医女が付き添っている。
主治医のウンベクは丸三日間の治療で疲労が限界に達し今夜は休養しているので、代わりにイクピルが一度様子を見に行くことにしたのだ。
 イクピルは病室に入ると付き添っていたウンビから患者の様子を聞き、脈診もしてみたが順調に回復しているようだ。
「よし、特に問題はないが今後とも充分注意して治療せよ」
「はい医局長様」
「薬の方はどうした、もうそろそろお飲み戴く時間だが」
「一緒に付き添っていたシンビが薬房に薬を作りに行っています」
「しかし内医院から来る途中には会わなかったが」
「もうだいぶ前に出て行ったのですが、そう言えば少し遅いですね」
  イクピルが医務官室に戻る途中で薬房に寄ってみると、中から明かりと煙が漏れている。どうやらシンビのようだ。
少し安堵したような表情を見せてイクピルは中へ入ったが、室内の意外な光景に思わずうろたえてしまった。

 薬房の中で、シンビは椅子に腰掛け柱にもたれ掛かったまま眠っていた。
側の薬鍋はとうに煮詰まって盛んに沸騰している。

 イクピルは少し慌て気味に駆け寄ると素早く火を消した。
鍋の中身を確かめるが、これは少し薄めれば何とか服用できそうだ。
 シンビの方を見ると、早朝からの仕事で疲れたのだろう、
瞳を閉じてぐっすりと眠ってしまっている。
心地良いからだろうか、口元が少し緩んでいる。
イクピルは亡き妻の若き日を思い出していた。
彼女も時折実に幸せそうな顔をして居眠りをしていたものだ…。

イクピルは何時の間にか、普段仕事中には見せたことの
ない優しい微笑を口に浮かべながら、かつて妻にしたように
シンビの髪を右手で撫でて、その寝顔を凝視していた。

と、シンビが眠たげな目をわずかに開き、
いぶかしげにイクピルを見つめていた。

それを見て自らが何をしているのかを自覚すると、
イクピルは思わずシンビから仰け反って顔を強張らせた。
今自分はシンビを愛でていたのではないか。
かつて若き日に妻に対してしたように。

自らがシンビの唇に思った官能的な感情を振り返り、
イクピルは強い自責の念に駆られていた。
自らはシンビのかつての師であり、
今は彼女を監督する医局長の身であるというのに。
それなのに自らは何を思っているのだろうか。

最初にシンビを女性として意識したのは
何時の事だったろう。かつての妻がそうであったように
優しく健気でそれでいて芯の強いシンビ…。
だが自らの自制心は己の感情を押しとどめてきた。
ところが今不意にその感情が表に出てしまったのだ。

 イクピルは極めて強いショックを受けながらも、
その内面を隠して何時もの自分を取り戻していた。
「目が覚めたか、シンビ」
その声と顔からは、先刻の微笑みと優しさは消えていた。
その調子は、冷厳を以って知られる医局長シンイクピル
その物だった。

「医局長様…」
シンビはようやく自らとイクピルの存在に気がついたようだった。
「すみません私は…」
「眠ってしまったのか」
「はい。申し訳ありません」
 失態を見られたことに顔を赤らめると同時に、
何時ものイクピルの厳しさを知るだけに
消沈したような顔をしながら、
シンビは消え入りそうな声で答えた。
「済んだ事はしかたがない。早く
ウンビに薬を渡してくるのだ」
 イクピルが少し居心地悪そうに、
何時もなら当然したであろう叱責もせず
口早に指示を出したので、
シンビは意外そうな顔をしている。
「はい…。あの、本当に申し訳ありませんでした」
シンビが頭を下げてから薬に
取り掛かった。鍋に向かうシンビの後ろで、
イクピルは何とも形容し難い苦い表情を人知れず浮かべていた。

「少し水で薄めるのだ。そうすればこの薬はもともと水分が含まれているから
多少煮詰まっても充分服用できる」
「はい、医局長様」
薬に水を加えて混ぜながら、
シンビがイクピルに尋ねた。

「あの、医局長様…」
「何だ」
「ひょっとして、私の頭を、髪を撫でられはしませんでしたか」
イクピルはかすかに狼狽しつつ、怒ったような調子で答えた。
「何を言うんだ、私はお前の肩を叩いただけだ」
シンビが申し訳なさそうに、しかし幾分安心したような様子で答えた。
「いえ、すみません。髪を撫でて貰う夢を見た…きっとそうですよね」
 取り敢えず自らの行為が露呈しなかったことに内心安堵する一方、
シンビの口調が少し陰りを帯びていることにイクピルは眉をひそめた。


「昔私が病気がちだった頃、良く父に髪を撫でてもらっていたんです」
意外な展開にイクピルはじっとシンビの後姿を見つめる。
「父は何時も口元に微笑を浮かべながら、優しい目をしていました。
 今お前はとてもつらいかもしれない、でもきっと良くなるから
苦しみに耐えて頑張っておくれ、って」
「…」
「私が昼間眠っていると、父は私を起さないように
そっと髪を撫でてくれるんです。時々私が目を覚ましてしまうと、
寝ていないと体に悪いからと少し困ったような優しい声で、
私を寝かそうとしてくれました。でも私は、あの微笑を見るために、
父に髪を撫でられて目を覚ますのが、とても嬉しかった…」

シンビが作業を止めてうつむいたのを見て、イクピルは思わずシンビを抱き締めそうになった。

「すみません、変な話をしてしまって。父はもう6年も前に亡くなったというのに」
シンビは目を少し手でこすった後、しばらく薬を混ぜて容器に移し替えた。
「ああ、ウンビが遅いので怒っているでしょう。医局長様、失礼します」
お盆に薬を載せて一礼した後、薬房を出て行くシンビを眺めながら、イクピルは厳しい表情を浮かべていたがその瞳は何かを問いかけていた。

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 内医院の医務官室で、チャングムと
医務官達は、治療について活発に話し合っていた。
「王様と似た体格の患者の症例について調べてみましたが、
どうも大長令様のおっしゃるように食欲が…」
「この間医局長様から質問のあった件ですが、
 針を試してみた結果は…」
「慶州で起きた疫病の特徴は…」
「親父に頼んでもらった新しい医学書、来月にも
 明から入荷するらしいぞチャングム」
「これ、大長令様だろう」

「では今日はこのくらいで終わりとし、
  次は月末の王様診察が終わった後に開催します。
  日時は追ってお知らせします」
 延々一時間ばかり真剣な話が続いた後で、
司会のシン医局長がこうまとめて会議は終わった。
 尤も次の診察時間までは幾らか間があるので、
お茶を淹れると4人は何時ものように部屋に残って
雑談に耽った。
「いや、何でもこの間○○院の武官が町の娘に…」
「おいおい、それ本当なのか。どうもお前さんは
 早とちりした間違いが多いからなあ…」
 おしゃべりなチボクが怪しげな噂話を話すと、それに
 ウンベクが陽気に茶々を入れていく。それを聞きながら
チャングムは愉快そうに微笑み、イクピルも話にはさほど関心は
ないようだがこの場の雰囲気に満更でもないらしくゆったりとお茶を飲んでいた。

チボクがある会計官の出張で起きた悲喜劇を面白可笑しく語った後、
雑談の話題は内医院の内輪話になった。

「今度来た医女の□□、チャングム程ではないが可愛いぞ。
ただし仕事はいまいちだがな」
「確かに訓練が足りないかもしれないな。今度誰かを手本に
しっかり教えようか」
「ではこの趙治福めが一つ…」
「お前を見たって勉強にならんだろ」
「そんな殺生な、ウンベク様」
 チボクの大げさな反応にウンベクとチャングムが笑う。
「チャングムは忙しいからな…そうだシンビが良いんじゃないか」
黙って二人の会話を聞いていたイクピルは、
ウンベクの提案に少し困ったような表情を浮かべた。
 勿論、他の3人はそのことを知る由もない。
「でもシンビもヨンセンの診察で忙しいようですよ。
 そういえばこの間、シンビはとても疲れたような顔をしてませんでしたか」
チャングムの答えににイクピルはさらに表情を変えたが、
何事も無かったかのように湯飲みを傾けてお茶を飲んだ。

「おい、ここだけの話だが…シンビは男に言い寄られて困ってたようだぞ」

イクピルは思わずお茶を吹き出してしまったし、
意外な話にチャングムとウンベクも驚きながら口早にチボクに問いかけた。
「一体誰だ、相手は」
「どうして医女のシンビと知り合ったんですか」
チボクはさすがに内容が内容だけに声を潜め、
困ったような表情で顛末を語り始めた。

 三週間ばかり前に、チボクがある役所の局長の診察に行った時、シンビも同行した。
大した病ではなかったので、チボクは途中から薬の投与をシンビに任せておいた。
そのためシンビは数日間その役所に通った。
「どうもその時に、局長の若い部下がシンビに目を付けたらしいんですよ。
それで…」
 若い役人は家柄も良く、何より遊び人として名の通った男で、
何時しかシンビに付き纏うようになった。
「それで、この間シンビが呼び出されて誘われた時、
私はたまたま道で通りかかって見ていたんですがね、
彼女がはっきり断ってたんですよ。それでもあの男、
諦めないどころかシンビを林に追い詰めて
とうとうシンビの体を触わろうとしたのでさすがに彼女も怒って、
男に蹴りをいれたんですよ」
「蹴り?シンビがか」ウンベクが困惑した顔で言う。
「いや、急所に当たったらしくてシンビが
去っていくと男はうずくまってましたが」
純真だが意思の固いシンビならやりそうなことではある。
「私も気になってそれとなくその役所に探りを入れたら、
男は先週から地方に出張に出たそうですからまあ一安心と、
そういう訳ですよ」
「そうか、それなら良かったな」
ウンベクがほっとしたような様子で述べた。
「他の部署の役人共ときたら、医女を遊女か何かと勘違いしているからな。
全くシンビもいい迷惑だったろう」
「そうなんですよ、全く最近の若い連中ときたら…」
話は他の役所の役人批判に移ったが、
イクピルはシンビのことが気になって
耳に入らなかった。



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