BBSPINKちゃんねる内で発表されたチャングムの誓いのSS(二次小説)を収集した保管庫です

   −蓼句意虫−       壱参弐様


 味覚を失った。チャングムがウンベク医官にそう話すのを、チョンホは訓練場の
近くにある菜園で偶然耳にした。チャングムは治療法を探ろうと、医書の貸出しを
チョンホに頼んだ。
 部屋に戻り早速開く。うん? なにか挟み込んである。誰の物かしら。チョンホ様? 
いや、書庫からすぐ出てこられたから、お書きになる時間はなかったはず。きっと誰かが
書き付けてお忘れになったのね。このままにしておこう。
 しかし、ちょっとだけ・・・見てみる。杏(あんず)、竹・・・そんな文字が目に入った。
杏に竹・・・、ぱっと思い浮かぶ。

 この閃く瞬間が堪らない。
 こうなるとチャングムは自分自身を抑えられなくなる。わくわくする気持ちが己を
引き摺り、師匠も友も・・・もちろん大切だ。でも、その存在が頭の中から消えて
しまっては・・・考えようがない。もしかしたらこの性向が、悲しみに呪縛されるのを
防いでいたのかもしれない・・・が、とにかくそんな有様だから、今も紙切れを
元のように本に挟み込んで、新味祭の料理について考え始めた。

 数日後、医書を返しにきたチャングムを見送ってから、チョンホは書庫に入った。
手紙が届いたか確かめようと書物を捲る。そこへ上官の内禁衛将が来て、不機嫌そうに
声を掛けた。チョンホは慌てて本棚に戻し、立ち去った。
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 そのすぐ後、クミョンは懇意にしている官員に頼んで、たまたま同じ本を借り受けた。
最近、チャングムを見習って雑書類を順番に借りているのだ。
 クミョンは、医書に挟み込まれた紙片を見つけた。
  「小杏難擧地 孤竹蔵芒屯 軽陰暫重耳 落日自黄昏」
  擧−進士に、杏−首席で、小−幼くして・・・文官の方だわ。
  芒−剣の切っ先、蔵−はらわた・・・武官かしら。
 どなたがお書きになったのか。もしや。

 後日、その官員とすれ違った際、最近あの本を借りたのは誰かと尋ねた。
それはチョンホ様だろうと、官員は答えた。よく書庫で調べ物をされている姿を
見ていると。
 やっぱり。クミョンは合点した。まさか、チャングムへの手紙とは、考えも
及ばなかったのである。

 クミョンは、この詩を次のように読んだ。
   幼くして首席で進士に受かったものの、その位地は難しい
   光る得物(=竹.武器)で(敵の)臓腑を(裂くとき)、一人苦しむ(=屯)
   情けない(=軽)家来だ(=陰)。ただ少し(=暫)の(悩みが)のさばり(=重)
   それで(=自)一日落ち込んで、病む(=黄)とは愚かな(=昏)ことよ

 私と同じ。小さい頃から神童と呼ばれ、自分でも誇りに思うけれど、それでも迷う
ことも多い。そしてこの苦しさを誰にも明かせない、明かしたところで判っては
もらえない。誰とも分かち合えないことが、何より辛かった。

 チョンホ様も、お勤めで人には言えないお苦しみをお持ちなのだ。お気持ちを晴らす
ためこうして詩文に記して、それをそのままお忘れになったのだろう。
 クミョンは自分だけが辛い、と思い込んでいた事を恥じた。愛しい方の思いが
込められた詩。申し訳ないけど、戴こう。
 私ならあなたの苦しみを分ち合えるのではないでしょうか、チョンホ様。

 クミョンは以前買った硯を、大事そうに取り出した。そっと指を置く。ひんやりとした
感触が伝わってくる。
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 硯、
 選んだのは、あの方が文具を好まれ、これを所望されていたから、ではない。

 上蓋(ぶた)を外すと顕わになる、一糸まとわぬ姿。艶々と、きめ細やかな地肌が光る。
乾いた硯石の肌に水を滴らせ、墨で撫で擦る。最初はゆっくり、角で小さく擦り、
次第次第に液体は深く濃く、粘り始める。徐々に大きく、触れる面も広げて墨を回し、
時々墨ために入れたり、全体を撫で回したり。粘液がねっとりと絡まり、
程よく光沢を放ったところで

 いよいよ、太い筆が迫り・・・。思うだけで昂ぶって、早くそれを、とお願い
しているのに、先程から尖端の形を気にされて、眺められ、お触りになり。
 やっと決心された。と思う間もなく、いきなりとっぷりと中へ。時に強く、
時に軽く、まさぐられる。墨ために出し入れしてかき回され、時折り雫(しずく)が
零れる。そっと抜きかけてはギリギリのところで扱(しご)かれ。好きに動けるものなら、
包み込み張り付き動けなくなるまでこのままでいたい。なのに全て、お動きに任せるしか
ない。
 何度か出し入れされ、気が満ちてきたところで、素早く引き離される。
 そして、柔らかな敷物の上で文鎮に押さえ込まれ、身動きが取れなくなった所に、
思いの丈(たけ)を勢い良く、微かに擦れ合う音と共に存分に吐き出される。
それを受け止められる喜び。声を上げたいのだけれど、つつましく吐息をもらすだけ。

 白い肌の上に名残がしっかりと残り、あの方は笑みを湛えて見ておられる。


 愛しむかのように硯を撫で回しながら空想に耽っていると、針仕事をしていたチャンイが、
あなたのものじゃないの? と聞いてくる。悪いけど、邪魔しないで。
  「違うわ。(これはものじゃなくて、私なの。そしてチョンホ様のものなの。)」
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 クミョンが本を返した後、チョンホは再度、医書を調べた。もちろんそこに詩文は
なかった。チョンホは嬉しく、独り言ちた。チャングムさん、私の言葉を受け取って
くださったのですね。
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 ヨンノはチェ尚宮からチャングムの偵察を命ぜられ、今はチャングム、ヨンセンと
同じ部屋で寝起きしている。だが、しばしば元いた部屋に遊びに行く。
 だからヨンノは見ていた。クミョンが、その文(ふみ)を度々読み返しているのを。
ヨンノは、実はクミョンのことも気にしていた。料理がうまくなる秘訣を知りたかった
のである。

 クミョンの不在時、チャンイも僅かな時間、座を外した。早速ヨンノは本棚から詩文を
取り出し、素早く写し取る。しかし意味がわからない。普通に読めば・・・。
   小さな銀杏の木は芽吹くのも難しく 孤独な竹は独りじっと青い光を放つ
   暗い闇は束の間のこと 日が沈めば黄昏はまた美しい
 竹林などの風景を詠った詩ね。クミョンったら、詩作の勉強をしているのかしら。
でも何かが隠されているのかも。
 その時、チェ尚宮から呼び出しがかかった。ヨンノは写しを袖に挟み込むと、慌てて
行った。
 話しが終わり立ち上がろうとしたとき、袖から写しが転がり出、チェ尚宮の目に
とまった。チェ尚宮は有無を言わさず取り上げ、さっと見て顔色を変えた。
  「これは何? どこで手に入れた。」

 よほど重大なチェ一族の秘密なのだろうか。とすれば、黙って写したと告げれば、
お叱りを受ける。ヨンノは半泣きで黙っていた。
  「ええい聞きとうもない。どうせ、カン熟手の持ち込む本の類であろう。だが、こんな物を
  持ち歩いている事が表沙汰になれば、咎めを受ける。返すから、始末なさい。」
 訳が判らなかったが、その剣幕に圧され、ヨンノはすぐに部屋を出た。
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 ヨンノは、その内容が気になって仕方がなかった。こんなこと絶対チョン尚宮様や
ハン尚宮様には聞けない。ミン尚宮様はご存知かも知れないけど、一応尚宮様だから、
言いつけてしまわれるかも。こういう時は、と。

  「チョバン姉さん、こんな詩があるのですけど、意味がよく判らなくて。内緒で教えて
 ください。」
  「ふーん、今時珍しいものを持ってるわね。これはね、あなたも知っての通り、
  漢字にはいろいろな意味があるから、それをはめ込んで、五言絶句を作るの。もっと
  難しく考えると破字って方法もあって、偏と旁(つくり)に分解して解読することもある
  けど、ここでは素直に一字として考えてみるから。
   これだったらね、表向き、情景を詠んだものね。そして、武官がどうしたとか取れる
  ところもある。だけど試験って、文官のことだから矛盾するわね。とすると、こうね。」
  「私(=小)は、艶やかな(=杏)女(=地)に(気持ちを)動かされそうで悩んでいる
  独り・・・あの先に光るものをおさめ(=蔵)られず、悩むのだ。」
  「あのってなんですか?」
  「言いにくいものよ。あれ、竹のような格好の、さ。」
  「はあ。」
  「竹って、最初は皮を被って柔らかいけれど、ずんずん太く硬く伸びるでしょ。だから、
  ね。判るでしょ。」
  「あっ、あれですね。よく春画で見る。」
  「で、次は、少しの間でいいから、重ねたい、それを笑わないで(=軽)くれ。」
  「何に重ねるのですか?」
  「もうっ! 陰って言えば、女性の象徴よ。」
  「はあ。」
  「これはそういうものなんだから、いちいち驚かないでよ。」

  「続けるわよ。一日そんなことを思って、自分で萎んで(=落)、疲れるまで(する)とは
  おろかなことよ。
   あと、ぐっと意味を読み込むと、小杏を銀杏だとすれば、銀杏(いちょう)には雄株と
  雌株がある。実がなるということは雌花のことで、そして銀杏(ぎんなん)は実だから、
  まだ芽も出ていない状態。それをたかぶらせるのは難しい、つまり・・・。」
  「つまり?」
  「つまり、まだ男を知らないような、例えば私達女官がそうだけど、特に内人になった
  ばかりのような女を恋焦がれる歌ね。それで、承句はさっきの通りで、転句の重ねると
  いう字には身ごもるという意味もあるから、つまり・・・。」
  「判りました。それじゃ、耳っていうのは?」
  「それは、それだけ、っていう限定の意味でいいわ。結句の日は太陽、易学でいう
  ところの陰陽の陽で、男の象徴。とすると起句から、女−男と交互に詠んでいるのね。
  昏は婚の異字だから、こんなにあなたを思っているのに、私は他の女を娶っていて、
  なお苦しい、という感じかしら。
   簡単に言えば妻子持ちの男が女官に惚れて、結ばれたいけど叶わない。だから
  その女(ひと)を思って、自分で解消する、と。一見、洗練された中に、欲望の
  滾(たぎ)りが溢れているわ・・・。ねえ、なんでそんな顔して見てるのよ。」
  「よくご存知だと・・・。」
  「先の王は詩歌や演舞はお好きだったの。でも学問がお嫌いで、詩学の教授に逆らって、
  こんな戯れ歌ばかり作らせておられた。謎解きや判じ物の一種よ。だから尚宮様達も
  お話しを合わせるために、必死でお考えになっておられたの。私はそれを見ていただけよ。」

 ああ、それでか。チェ尚宮様の御一門は、代々最高尚宮様を輩出されている。だから
どんな王にもお仕えできるよう、秘かに、料理以外でも英才教育を授けておいでなのだ。
だからあんなに怒って見せて、つまらないものだと私に思わせようとされたんだ。
やっぱり、捨てるなんてできないわね。
 ヨンノはまた一歩、チェ一族の一員に近付くことができた気がして、嬉しくなった。
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 竹筒御飯は高い評価を得た。味覚も戻った。チャングムは報告と本のお礼を兼ね、
団子を作ってチョンホに渡す。チョンホは、詩についても一言あるかと期待していた。
 叙景に、チャングムさんへの励ましを込めた詩。あなたなら、その意図を判ってくれた
・・・はず。
 だが、チャングムは、本と、菜園から宮に戻る道すがら語った、励ましには満たない
言葉に対してだけ、礼を述べた。
 チョンホは肩透かしを食らった感じがした。だが団子はうまい。食べていると、また
女官が来ていると部下が言う。きっと言い忘れたことがあるからだ。それを一番、聞きた
かった。心躍らせて会いに出る。

  「私はこの頃、悩みを抱えていました。でも、チョンホ様もお苦しみだったと初めて
  知りました。どうか私にも分かち合わせてください。」
  「どうしてそんなことを?」
  「チョンホ様がお借りになった医書に、お悩みの言葉が挟み込んでありましたので。」
 チョンホはがっかりした。意図せぬ相手に渡ってしまっことに。だが女官に宛てたとは
言えない。そしてクミョンが何を言っているのか判らない。別に悩みなんて無いのだが。
 とりあえず励ましておこう。えっと、さっきチャングムさんがいいことを言っていた。
  「料理をされる方は、食べる人の顔に笑みが広がればいいと願いながらお作りになる。
  私の仕事は敵を傷つけることですが・・・。」
 そうですね、あの詩も、そのお悩みを詠われたものでした。クミョンは深く頷いて、
チョンホを見詰める。
 何でそんな納得顔で見るのか。早く切り上げよう。
  「あなたはそのような仕事をしているのです。自信を持ってください。」

 クミョンは心を分かち合えた気がした。つと、硯を差し出す。
 一つ所帯になれなくても、この宮中、あの人の苦しさは私だけが判ってさし上げられる。
きっと私の悩みもお分かりいただけるはず。
 そしてこの硯を通して、チョンホ様と私は結ばれるの。

 チョンホは困惑した。この硯、欲しかったけれど、見る度にこの人の顔が浮かんで
来そうだ。使えないだろうな。残念だな。
       :
       :
       :
 チャングムはそんな二人にお構いなく、次の競合の準備に駆け回っていた。
―――――――――――――――――――――――――――――終―――



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