609 ◆dWeYTO/GKY第11話03
しまった、と思うより先に世界がぐるりと回り、眩しすぎる青い空が視界一杯に広がった。
どこか諦めにも似た心地で、覚えたばかりの受身を取ると、パァンと鋭い衝撃が走って、大きく飛沫が上がった。
波打ち際にいたと思ったが、気づいたら海に入っていたらしい。
耳に水が入ってくるのが不快だったが、立ち上がる全身が重くてなかなか起き上がれない。
なかばやけくそでそのまま寝転がっていると、にやにやしながらオグビィが覗き込んできた。
｢どうした、もう限界か｣
おれはまぶしすぎる空に目を細めながら、
｢戦闘不能なんだ、下さいレイズ、はいお願いします｣
｢なんとも意気地がないな。仕方ない、そのまま聞け｣
オグビィが視界から消えた。砂浜に腰を下ろしたらしい。
｢お主は疲れ切って起きる力も無いほどだ。が、わしは疲れていない訳ではないが、まだそれほどでもない。これは何故だと思う？｣
おれは体の後ろ半分が冷えていくのを心地よく感じながら、やっぱりやけくそ気味に答えた。
｢爺さんが力持ちだからだろ。あと、普段から鍛えてるんだ｣
オグビィが声を出して笑う。それにはどこか｢困った奴だ｣というような響きが篭っていた。
｢それもないではない。お主が投げられてばかりで、ずぶぬれなのも無関係ではないだろうな｣
濡れた服がこんなにも重くなるのを、おれは最近知った。
いい加減言う事を聞かない腹筋に力を入れて、おれは体を起こす。
｢そんな事よりも、いつまでここでスポ根な特訓を続けるつもりなんだよ。人待ちとか言って、かれこれ三週間になるぞ｣
オグビィはいつもの適当な返事をして、顎鬚をさすりながら、まあ聞けと宥めた。
｢確かにわしはお主より体は大きいし、力も強いだろう。それなりに鍛錬も積んでおる｣
もっとも、細かい調べ物なんぞをしたらお主より先に根を上げるだろうがな、と笑ってから、ここからが本題だ、と不意に真面目な顔になった。
｢だが、根本的な違いは、力の使いどころだ｣
｢気功とか、発剄とか言う奴か？｣
思わず言ってから、少し恥ずかしくなった。
｢そうとも言うのかも知れんが、正直のところわしは人に技を教える時その言葉を使うのを好かぬ｣
まあ、好き好んで講釈されたらおれは寝るね。
｢お主はこう、力の使い方が下手なのだよ。わしが押しとるのに押し返す。引いとるのに引き返す｣
手振りを交えながら、オグビィが言う。おれに教えているというよりは、自分の理解を確認していると言った風情だった。
｢これでは疲れてかなわんだろう。自分勝手に動いても大した事はできぬ。相手を理解し、場を理解し、その時の流れを理解せねば｣
何となく、いい事を言っているような気がする。確かにそうだ。相手を力で無理矢理ねじ伏せて、自分のペースに持ち込もうとしていた気がする。
｢それが出来りゃ、苦労はしないけどな。ところでこれを言う為におれにジュードーだかコッポーだかをさせたのか？｣
オグビィは事も無げに、｢ん、まあの｣と返す。
だったら一日くらいやったらすぐに教えてくれよ。そうぼやくと、
｢わしは口下手でな｣
免罪符のようにいつもの台詞が返ってきた。
｢そういや、二つ理由がある、って言ったよな。もう一つを聞いてなかった｣
どうしておれに構うのか。一つはおれが来訪者だから、と言った。もう一つは、結局聞いていない。
丸太のような重い手足をどうにか動かして、重い腰を上げる。オグビィもまた、それを待っていたという風に立ち上がった。
｢約束でな。お主と同じ世界から来たと言う、古い友との｣
珍しく恥ずかしそうに言う。
｢へぇ。そいつもやっぱり格闘技やってたのか？｣
｢うむ。格闘バカと言っていい。今お主に教えとるのも、そやつに習ったものでな｣
すげえな、モンクの神様みたいなあんたに教えたなんて。
そいつがリアルから来たと聞いて、理由もなく誇らしくなる。
｢人待ちって、その人の事だったり？｣
密かに期待を込めて訪ねたが、オグビィは首を振る。
｢あやつはもう来ない。いくら待ってもな｣
その言葉が含む不吉な響きに、少しだけ胸が疼いた。
｢それってつまり…？｣
老格闘家は再び首を振ると、上がって来いと手招きをした。
｢さて、そろそろよいか。日が暮れる前にもう一稽古つけてやろう｣
いい加減勘弁して欲しかったが、体は勝手に水から上がる。
ありったけの防御魔法を掛け直し、また打ち込んでは投げ飛ばされる修行が始められた。
修行は、日が傾き、海と砂浜が赤く染まるまで続いた。
砂と塩にまみれた体と胴着を小川ですすぎ、生ぬるくなった水筒から水をガブ飲みすると、ようやく人心地がついた。
適当な棒切れにすすいだばかりの服をぶら下げて、バラバラになりそうな体を引きずりながらオアシスまで辿りつくと、眠っていたらしい"栗毛"が頭を上げる。
洗濯物を担いだまま"栗毛"にどうにかよじ登ると、西日が肌を灼くのも気にせず、のんびりとセルビナまで歩かせた。
｢言われれば理解するのがお主のよいところだな｣
オグビィはこういう時ずっと無口なのだが、今日は珍しく、おれを褒めた。
｢サマになって来たか？｣
少し嬉しくなって調子のいい事を言ってみる。
｢話にならん。ようやく始まったかもしれん、というところよ｣
しかし師匠の評価は辛口だった。
そっすか、とふてくされて、そこで会話が途切れる。
オグビィはまたいつものように無口になって、しばらくお互い黙ってチョコボを歩かせた。
おれは手持ち無沙汰で、耳の後ろや体中の産毛についた塩をこそげ落としながら、何かを考えようとしたが、結局何も考え付かなかった。
他の奴の体を詳しく調べたわけではないが、自分の体を見た限りでは、ミスラは毛深い。日焼けで体が痛い、などという事に悩まされずに済んでいるのもこのおかげだろうか。
髪の毛は人間のそれと大差がないが、それ以外はそれこそ猫の毛のように細くて、色がついている。
おれの毛はほとんどが白に近い黄土色で、虎猫のような縞がついていた。ブチやキジ、三毛模様のミスラもいるのかもしれない。
セルビナが見えてきた。ミスラの分析はここまで。おれの頭は晩飯と、寝床で一杯になった。
宿は町外れにある。羊飼いの溜まり場亭よりずっとひなびた、それこそ個人がちょっと営んでいる、といった風情の宿だ。
さすがに裸で街に入る訳には行かないと、そこで着替える。いつものワーロック装備だ。
胴着は動きやすく快適だったが、アーティファクトの術式補助なしに高速詠唱をやるのは疲れる。
帽子の羽飾りが随分とよれてきて、どうしたものか思案していると、オグビィがやってきた。
｢小僧、夕餉は街で取るぞ｣
いい加減名前で呼べよ、と思ったが、おれも弟子らしい態度を取っていないので言わずにおいた。
｢どういう風向きだ？ 臨時収入でもあったのか？｣
帽子を被りながら訊ねる。
｢待ち人がセルビナに着いた。明日にはここを発つ｣
へえ、とおれは複雑な心境で漏らした。まだ特訓をまるでものにしていないというのに、これでおしまいかと思うと、嬉しい反面、少々惜しくもあった。
セルビナの街はいつもの通りだった。ハエと一回、そしてオグビィとここに着いた時に一回見たきりだが。
冒険者らしい連中のキャンプが街の入り口付近にちらほらと見え、ゴブリンやアンデッドの侵入を防ぐと同時に街の治安を少しだけ悪くしている。
入って右手には繊維業や漁業、貿易のギルドが立ち並び、左手には訪れた旅人相手の宿泊施設や歓楽街がある。
オグビィは真っ直ぐ、羊飼いの溜まり場亭へと入っていく。今日の晩飯はここか、またとんかつモドキが食えるだろうか。
｢イッチ！｣
入ってすぐに、オグビィが嬉しそうな大声を出す。テーブルで料理と格闘していた一人のミスラがそれに反応して振り返ると、にまりと笑った。
｢トンカツうまいにゃ〜｣
609 ◆dWeYTO/GKY第11話04
609 ◆dWeYTO/GKY まとめ
どこか諦めにも似た心地で、覚えたばかりの受身を取ると、パァンと鋭い衝撃が走って、大きく飛沫が上がった。
波打ち際にいたと思ったが、気づいたら海に入っていたらしい。
耳に水が入ってくるのが不快だったが、立ち上がる全身が重くてなかなか起き上がれない。
なかばやけくそでそのまま寝転がっていると、にやにやしながらオグビィが覗き込んできた。
｢どうした、もう限界か｣
おれはまぶしすぎる空に目を細めながら、
｢戦闘不能なんだ、下さいレイズ、はいお願いします｣
｢なんとも意気地がないな。仕方ない、そのまま聞け｣
オグビィが視界から消えた。砂浜に腰を下ろしたらしい。
｢お主は疲れ切って起きる力も無いほどだ。が、わしは疲れていない訳ではないが、まだそれほどでもない。これは何故だと思う？｣
おれは体の後ろ半分が冷えていくのを心地よく感じながら、やっぱりやけくそ気味に答えた。
｢爺さんが力持ちだからだろ。あと、普段から鍛えてるんだ｣
オグビィが声を出して笑う。それにはどこか｢困った奴だ｣というような響きが篭っていた。
｢それもないではない。お主が投げられてばかりで、ずぶぬれなのも無関係ではないだろうな｣
濡れた服がこんなにも重くなるのを、おれは最近知った。
いい加減言う事を聞かない腹筋に力を入れて、おれは体を起こす。
｢そんな事よりも、いつまでここでスポ根な特訓を続けるつもりなんだよ。人待ちとか言って、かれこれ三週間になるぞ｣
オグビィはいつもの適当な返事をして、顎鬚をさすりながら、まあ聞けと宥めた。
｢確かにわしはお主より体は大きいし、力も強いだろう。それなりに鍛錬も積んでおる｣
もっとも、細かい調べ物なんぞをしたらお主より先に根を上げるだろうがな、と笑ってから、ここからが本題だ、と不意に真面目な顔になった。
｢だが、根本的な違いは、力の使いどころだ｣
｢気功とか、発剄とか言う奴か？｣
思わず言ってから、少し恥ずかしくなった。
｢そうとも言うのかも知れんが、正直のところわしは人に技を教える時その言葉を使うのを好かぬ｣
まあ、好き好んで講釈されたらおれは寝るね。
｢お主はこう、力の使い方が下手なのだよ。わしが押しとるのに押し返す。引いとるのに引き返す｣
手振りを交えながら、オグビィが言う。おれに教えているというよりは、自分の理解を確認していると言った風情だった。
｢これでは疲れてかなわんだろう。自分勝手に動いても大した事はできぬ。相手を理解し、場を理解し、その時の流れを理解せねば｣
何となく、いい事を言っているような気がする。確かにそうだ。相手を力で無理矢理ねじ伏せて、自分のペースに持ち込もうとしていた気がする。
｢それが出来りゃ、苦労はしないけどな。ところでこれを言う為におれにジュードーだかコッポーだかをさせたのか？｣
オグビィは事も無げに、｢ん、まあの｣と返す。
だったら一日くらいやったらすぐに教えてくれよ。そうぼやくと、
｢わしは口下手でな｣
免罪符のようにいつもの台詞が返ってきた。
｢そういや、二つ理由がある、って言ったよな。もう一つを聞いてなかった｣
どうしておれに構うのか。一つはおれが来訪者だから、と言った。もう一つは、結局聞いていない。
丸太のような重い手足をどうにか動かして、重い腰を上げる。オグビィもまた、それを待っていたという風に立ち上がった。
｢約束でな。お主と同じ世界から来たと言う、古い友との｣
珍しく恥ずかしそうに言う。
｢へぇ。そいつもやっぱり格闘技やってたのか？｣
｢うむ。格闘バカと言っていい。今お主に教えとるのも、そやつに習ったものでな｣
すげえな、モンクの神様みたいなあんたに教えたなんて。
そいつがリアルから来たと聞いて、理由もなく誇らしくなる。
｢人待ちって、その人の事だったり？｣
密かに期待を込めて訪ねたが、オグビィは首を振る。
｢あやつはもう来ない。いくら待ってもな｣
その言葉が含む不吉な響きに、少しだけ胸が疼いた。
｢それってつまり…？｣
老格闘家は再び首を振ると、上がって来いと手招きをした。
｢さて、そろそろよいか。日が暮れる前にもう一稽古つけてやろう｣
いい加減勘弁して欲しかったが、体は勝手に水から上がる。
ありったけの防御魔法を掛け直し、また打ち込んでは投げ飛ばされる修行が始められた。
修行は、日が傾き、海と砂浜が赤く染まるまで続いた。
砂と塩にまみれた体と胴着を小川ですすぎ、生ぬるくなった水筒から水をガブ飲みすると、ようやく人心地がついた。
適当な棒切れにすすいだばかりの服をぶら下げて、バラバラになりそうな体を引きずりながらオアシスまで辿りつくと、眠っていたらしい"栗毛"が頭を上げる。
洗濯物を担いだまま"栗毛"にどうにかよじ登ると、西日が肌を灼くのも気にせず、のんびりとセルビナまで歩かせた。
｢言われれば理解するのがお主のよいところだな｣
オグビィはこういう時ずっと無口なのだが、今日は珍しく、おれを褒めた。
｢サマになって来たか？｣
少し嬉しくなって調子のいい事を言ってみる。
｢話にならん。ようやく始まったかもしれん、というところよ｣
しかし師匠の評価は辛口だった。
そっすか、とふてくされて、そこで会話が途切れる。
オグビィはまたいつものように無口になって、しばらくお互い黙ってチョコボを歩かせた。
おれは手持ち無沙汰で、耳の後ろや体中の産毛についた塩をこそげ落としながら、何かを考えようとしたが、結局何も考え付かなかった。
他の奴の体を詳しく調べたわけではないが、自分の体を見た限りでは、ミスラは毛深い。日焼けで体が痛い、などという事に悩まされずに済んでいるのもこのおかげだろうか。
髪の毛は人間のそれと大差がないが、それ以外はそれこそ猫の毛のように細くて、色がついている。
おれの毛はほとんどが白に近い黄土色で、虎猫のような縞がついていた。ブチやキジ、三毛模様のミスラもいるのかもしれない。
セルビナが見えてきた。ミスラの分析はここまで。おれの頭は晩飯と、寝床で一杯になった。
宿は町外れにある。羊飼いの溜まり場亭よりずっとひなびた、それこそ個人がちょっと営んでいる、といった風情の宿だ。
さすがに裸で街に入る訳には行かないと、そこで着替える。いつものワーロック装備だ。
胴着は動きやすく快適だったが、アーティファクトの術式補助なしに高速詠唱をやるのは疲れる。
帽子の羽飾りが随分とよれてきて、どうしたものか思案していると、オグビィがやってきた。
｢小僧、夕餉は街で取るぞ｣
いい加減名前で呼べよ、と思ったが、おれも弟子らしい態度を取っていないので言わずにおいた。
｢どういう風向きだ？ 臨時収入でもあったのか？｣
帽子を被りながら訊ねる。
｢待ち人がセルビナに着いた。明日にはここを発つ｣
へえ、とおれは複雑な心境で漏らした。まだ特訓をまるでものにしていないというのに、これでおしまいかと思うと、嬉しい反面、少々惜しくもあった。
セルビナの街はいつもの通りだった。ハエと一回、そしてオグビィとここに着いた時に一回見たきりだが。
冒険者らしい連中のキャンプが街の入り口付近にちらほらと見え、ゴブリンやアンデッドの侵入を防ぐと同時に街の治安を少しだけ悪くしている。
入って右手には繊維業や漁業、貿易のギルドが立ち並び、左手には訪れた旅人相手の宿泊施設や歓楽街がある。
オグビィは真っ直ぐ、羊飼いの溜まり場亭へと入っていく。今日の晩飯はここか、またとんかつモドキが食えるだろうか。
｢イッチ！｣
入ってすぐに、オグビィが嬉しそうな大声を出す。テーブルで料理と格闘していた一人のミスラがそれに反応して振り返ると、にまりと笑った。
｢トンカツうまいにゃ〜｣
609 ◆dWeYTO/GKY第11話04
609 ◆dWeYTO/GKY まとめ
2008年04月15日(火) 16:32:47 Modified by jikyaramatome