609 ◆dWeYTO/GKY第2話07
戦いはひどく長引いた。
ルーファスとおれで騎士を挟み込み、赤魔道士と女エルヴァーンが後方からの支援に徹する。
手練のモンクは鎧の頑強さを拳で学んで、兜の前面に開いた小さな隙間からの有効打を狙う。
おれはというと、ヤンキーの喧嘩みたいに腕時計を握りこんで、少しでも騎士の防御を突き崩そうと試みていた。
お互い致命の得物を持っているはずなのに、十手二十手と切り結んでも勝負がつかない。
普通ならばありえないこんな事態も、絶対の武器と鎧を着た素人と、それを持たない達人との勝負では起こり得るのかもしれない。
プロレスの試合じゃあるまいし、大概にしてくれ。この著しく現実味を欠いた殺り合いは、酷く神経を消耗させた。
騎士の気は大半をルーファスが引いてくれている。
相手にとって恐怖となりえる武器を持っているのはおれだが、喧嘩慣れしていないおれでは相手に触れる事もままならない。だから、脅威度がより低いと判断したのだろう。
赤い剣の威力は、剣の残骸を見せただけで伝わったらしい。
ルーファスはあれ以来、体捌きと足運びだけで相手の斬撃を躱し、どうしても難しいものだけ、剣の刃以外を受け流す事でうまく凌いでいる。
しかし、当然限界はある。おれもルーファスも致命傷こそ負わずに済んでいるものの、身に着けた防具は傷だらけになり、体も無数の刀傷を負った。
赤い刃が絶大な破壊強制力を持つのは、生命を持たないものに対してだけらしい。幾度となく剣が体を掠めたが、それだけで体が解けたり真っ二つになったりする事はない。
その都度後衛からの治癒が飛び、おれ達は戦力を維持し続ける事が出来た。
とはいえ、このままではジリ貧だ。
例のレッドロータスやそれに類する大技を繰り出してこない事や、逃げ続けるおれを挑発して引きとめた事から鑑みるに、騎士の戦力も無尽蔵ではないだろう。
だが、今のところ底は見えない。対するおれ達は、というよりおれは、既に満身創痍の体だし、スタミナも魔法も尽きかけている。そして消耗の度合いはおれ達のほうがずっと速い。
何か状況を打開しなければ。
連続魔に賭けるか？ 馬鹿な、かける魔法がない。時計をルーファスに渡すか？ どうやって。下手をすればそこを狙われて二人とも斬られる。
騎士の鎧が邪魔で、鎧をどうにかするには剣が邪魔だ。ついでに言うなら、解決策を考え付くためには今こうやって戦うこと自体が邪魔だ。
ギリギリのバランスの上に均衡を保っていた戦況を崩したのは、おれだった。
ルーファスが仕掛けて、騎士がこちらに背を向けた。おれは好機とばかりに踏み込んで悪趣味な甲冑に大穴を開けてやろうとした。
そしておれは、騎士の仕掛けたフェイントに完全にはまった。騎士は背を向けるその勢いのまま振り向き、おれを横ざまに切り裂いた。
ブチブチと何かが千切れる感触と、ゴリゴリと刃が肉を切り裂く感覚。
腋から入った剣は肋骨をへし折り、隙間を切り分けるように深々と突き刺さる。真っ二つ、とは行かないが、胸の真ん中あたりまで刃が潜り込んでいた。
ああ、考えるまでもない。これは、死ぬわ。さすが、馬鹿の扱いは心得てたんだな。
荒々しく刃が引き抜かれ、おれは無様に胸壁に叩きつけられる。立ち上がるどころか、受身を取る事すら出来ない。
騎士がこちらに来る。止めを刺そうっていうのか？ よせよ、ほっといても死ぬから、その臭い顔をおれに見せないでくれ。
ルーファスが割って入る。すまん、足を引っ張ってるな。おれなんか見捨ててくれ、頼むよ。
今まさに振り下ろされようとしていた剣を、右正拳で真っ向から迎え撃つ。バキバキと音を立てて拳が砕け、前腕の半ばあたりまで刃が食い込む。
やめてくれ、おれなんかの為に。あんたの芸術みたいな突きを捨てるなんて。
｢"白き祈り"！｣
赤魔道士が叫ぶ。装備による術式補助を切り替え、もはや自然治癒のしようもないほど傷つきボロ屑みたいになった腕に手を添えて丸ごと術式を構築する。
──あぁ、迷惑かけまくり。自己嫌悪だね、こりゃ。せめて最期に何か一仕事しないと。
｢傷つき打ちひしがれた肉体よ、今一度血を通わせ、肉の躍動と骨の癒しを！｣
高位ケアルか。そうやって言葉で術式を構築する方法もあるんだな。
──そういや、何か引っかかってた事があるんだよな。なんだっけか。
砕けた骨が強引に継ぎ合わされ、断裂した腱が繋がり、肉が再生していく。あれ、結構嫌な感触なんだよな。
──そうそう、時計。あれ、なんであいつ拾いに行かなかったんだろ。現におれの所に戻ってきちゃったし。
腕が治りきるのを確かめもせず、ルーファスの右フックが繰り出される。
気迫だけで無理矢理剣を押し返され、のけぞった騎士はまったく対応出来ない。顔面にもろに入る。前歯のもう一本でも折れたろ、ざまーみろ。
──時計を持ってたら出来ない事があったんじゃないか？
鉄槌のような篭手が、ルーファスの太股の辺りに思い切り振り下ろされる。技術はなくても力だけは巨人並だ、服の上から分かるぐらい足が変形する。
ルーファスが獣のような咆哮を上げた。悲鳴ではない、雄叫びだ。
正中線にそって股間から脳天まで七つの光点が灯り、天然の魔法回路を構築して無理矢理に足を繋ぐ。
──出来なくて困る事。おれを追い詰めるのに何度も使っていた。
｢てめえ等には聞きたい事が山ほどあるが──まずは食らっとけえっ!!｣
ルーファスが一陣の旋風になる。地を這う低いローキックから、跳躍しての胴回し蹴り……双龍脚か。治すそばから無茶をする、医者泣かせな奴だな。
騎士の体が文字通り弾き飛ばされる。
──そうだ、あれは……黒い繭！
体の感覚はほとんどなかったが、無理矢理起き上がる分には都合が良かった。手も足もひどく冷たい気がする。まるで死人だ。もうすぐ死ぬから、今少しだけ動いてくれ。
赤魔道士がおれの暴挙に気づいてこちらに駆け寄る。
｢グラビデを！｣
叫んだつもりだったが、血の泡に混じって妙な呻き声が漏れただけだった。
だが聞き取る事は出来たらしい。赤魔道士は意図を汲んで、神妙に頷くと騎士に向き直る。
｢"黒き願い"！ あまねく精霊よ、風の子らよ、わが求めに応じ印を示せ！｣
精霊の印を使って魔術回路を増幅し、騎士の周囲の空間に接続する。
ルーファスの猛攻に圧され、騎士が再び宙に身を投げ出した。狙い通りだ。
黒い繭が展開される寸前、グラビデが完成する。トリは、おれだ。
何か叫んでいたと思う。だけど、意味のある事ではなかった気がする。
これで最後だ、そうしたら楽になる。
全身を覆う気だるさと眠気に必死で抵抗しながら、黒い繭目掛けて再度時計を投げつける。あれだけ大きな的だ、目を瞑っていたって当たるさ。
ゆっくり、ゆっくりと時計が宙を這って行く。酷く寒い。くそ、遅えよ。繭が閉じ切るまでに間に合わないんじゃないのか？
そんな事を考えながら、投げる勢いそのままにおれの体もゆっくりと地面に落ちる。顔面から着地してしこたま鼻を打ったが、何も感じなかった。
黒い繭に時計が到達する。繭が、嵐に見舞われた蕾のように無理矢理押し広げられ、花びらが散華する。
最後に、信じられない、という顔をしながら落ちていく騎士を見ながら、おれは闇へと落ちて行った。
願わくば、次に目が覚めたらあの見慣れた薄汚いアパートでありますように。
ふと気づくとおれは、さっきと同じ城壁の上にいた。
だけど、ルーファスも赤魔道士もいない。空は真っ黒だ。
ただ、さっきの騎士だけが、磔にされたみたいに宙に浮いていた。
ああ、あの世なのかな、ここは。死んでもリアルには帰れなかったのか。
それはそれでいいさ、こいつを道連れに出来ただけで、おれの最期にしては上出来だ。
南天には金色に輝く巨大な月が二つ並んでいて、その下の地平線では、地獄の業火みたいなものが燃えている。
騎士をもっとよく見たくて、そちらに歩を進めた。
おれは服を切り裂かれていたが、体には傷一つない。あの世は便利だ。ついでに今からでも子ミスラにしてはくれまいか。
騎士は最期に見た驚愕の顔を浮かべたまま、微動だにしない。石でもぶつけてやりたい間抜け面だ。
──気になるかい？
不意に業火が揺らめいて、耳障りな声が響いた。
別に。死んだらどうでもよくなった。解脱したからな。
あんた神様か、それとも悪魔か？ どっちでもいい、さあ、おれをとっとと地獄に連れて行けよ。
──君は、剣は何のためにあると思う？
おれの嘆願には答えず、声が再び問う。知るか、そんなもの。
──ぼくは、守る為にあると思う。誰かを殺す為にあるのではない。
──わたしは、殺す為にあると思う。刃向かう者は全て殺せ。敵を殺した後に護るという理由が付くのだ。
ここが既に地獄か。こんな頭の痛くなるような質問を延々繰り返されるのか。
──君は、どう思う？ 答えてくれれば、力を貸してあげるよ。
いらん。使いたい相手はもう死んだ。
──本当に死ぬのかな？
独演にも似た問答が続く。おれはひょっとして幻聴を聞いているのか。地平線の業火が揺れて、誰かが喋っているように錯覚しているのか。
あの高さから落ちたら死ぬだろ。
──さあ、どうだろう。
おれは、声が｢死んだのかな｣と言わなかった事が酷く気に障った。
何が言いたいんだよ、おれに何をさせたいんだよ。
沈黙。おれが何か言うまで、静かな拷問が続くらしい。
分かったよ、答えてやろうじゃないか。
｢理由はどうあれ人殺しは人殺しだ。ある人殺しは崇高で別の人殺しは禁忌なんて事があるか｣
おれはアマルダの言葉を思い出しながら、考えを紡ぎ、織り上げた。
｢同じように、行為はどうあれ理由は理由だ。馬鹿を処刑するのに絞首刑は妥当だが斬首刑が不当なんて事があるか｣
──答えになっていないな。
すうっ、と金色の月が細まる。
｢分かれ馬鹿。唯一普遍の答えなんてない。剣は道具だ、用途はあっても使命はない。それが何をする物なのかは、使う人間が毎回考えて決めるんだよ｣
──無理に結論を出して、思考を放棄してはいけないという事か。逃げにも聞こえるけど、それは一番大変な生き方だよ。
くっくっ、と業火が揺れた。辺りに生暖かい風が吹く。
｢うるせえ。結論を急いで現実から目を逸らすのはガキのやる事だ。さあ、これがおれの答えだ｣
──まあまあ、かな。結構だ、力を貸そう。何をして欲しい？
いちいち嫌味な奴だな。おれの望みを知って、念入りに他に答えようがない状況を作っておいて、その上でまだ、おれに引き金を引けと言うのか。
｢あいつを殺したい｣
おれにはこれしか言葉がなかった。
──わかった。
｢待てよ、代償は何だ｣
あまりあっさり契約が締結されたので、思わず不安になる。
──別に何も。ただ、覚えていてくれれば良い。彼が死んだのは君のせいだ。君は君の意志で、人を…リアルの人間を殺すんだ。
ひょう、と天から飛来する赤いものがあった。赤い、ルビーのような剣だった。
それは雷槌の如き速度で降り注ぎ、騎士の胸を軽々と貫いて串刺しにすると、そのまま地面に縫い付けた。
──さあ、これで彼の死は確約された。満足したかい？ それじゃあ、さよなら。
あれ、おれは連れて行かないのか。
──残念だけど、お仲間がまだそれを許してくれないようだ。
二つの月が再び、さも可笑しそうに細められ、ふふふ、と業火が揺れた。
夜が明け始めた。
気がつくと、空には月もなかったし、地平線に燃える業火も消えていた。
おれはまた動けないほどボロボロになって、血溜まりの中胸壁に背中を預けて寝かされていた。
辺りは明るい。そしていやに騒がしい。
エルヴァーンの女が、おれの手を取って脈を測ったり、顔を拭ったりしている。
女は不釣合いのようでお似合いのような気もする両手斧を背負っている。白魔道士かと思ったが、てんで大外れだった。
｢あ──｣
目があった。
女は振り向くと、城壁から下を見下ろしている二人を呼ぶ。
｢ルーファス、フルキフェル！ 気がついたわ！｣
二人が振り返り、こちらに大股で近づいてくる。二人とも表情は真剣だ。おれの生還を喜んでくれる雰囲気ではない。
｢滅茶苦茶です！ あと一分レイズが遅れていたら、真面目に死んでいたんですよ！｣
｢気迫は認めるけどな、あんな奴と刺し違えて満足か馬鹿！｣
ああ、やっぱり怒ってる。怒鳴られた。まずい。ここは……
｢うーんむにゃむにゃ、もう食べられないにゃ〜｣
がこん、と上から拳骨で殴られた。
｢っ痛ぇ！｣
｢そんな漫画みたいな寝言があるか！｣
殴られた場所を無意識に押さえようとして、左手を上げる。が、わずかに地面から浮かせる事が出来ただけで、それ以上上にいかない。
｢心臓が傷つくほどの怪我をしたのよ、しばらく後遺症が残るわ。……本当に、連続魔とレイズの使える赤魔道士が居合わせた幸運に感謝しなさい｣
女がおれの左手をそっと取って、優しく地面に置く。それってデスペナって事？
｢連続魔は先日使ったばかりだったんですが、どうにかリキャストが間に合ってよかった｣
赤魔道士の男が、おれの剥き出しの左胸に触れる。血でべったりと覆われてはいるが、外傷はもう無いようだ。
｢もう少しで内臓の再結合が済んで衰弱が解けます。もうしばらくそのまま我慢してください。左腕はリハビリをしながらゆっくり治しましょう｣
甘いマスクで微笑まれて、そのケはないが、なんだか気恥ずかしくなった。
｢ったく、心配かけやがって｣
ルーファスが隣にどかっと座り込む。見ればこいつだって相当傷だらけだ。ケアルで無理矢理治した右腕と、チャクラで無理矢理繋いだ右足にまだ少し痛みが残っているらしい。
いちいちぶっきらぼうな対応だが、気兼ねなく話すにはその方がありがたかった。
｢あいつは、どうなった？｣
最初に気になった事をそのまま言葉にした。
｢下で死んでる｣
この騒ぎはそのせいか。そういえばいつのまにか風が戻ってきている。
時計は拾いに行ける状況じゃないな。騎士の死体を見ればここから落ちた事は明白だ、おれの衰弱待ちをしていたら面倒な事になるかもしれない。
｢剣は？｣
ふと、気になった。
｢ほら、そこに刺さってる｣
ルーファスが気の抜けた仕草でぐいと示す。そこにはあの騎士が振り回していた忌々しい剣が、石の床に深々と突き刺さっていた。
｢そっちじゃなくて、空から降ってきて赤い奴を刺し殺した方だが｣
｢はあ？ あいつは転落死。何なら見てみろ、剣なんかどこにもない｣
夢……だったのかな。
｢なあ、煙草持ってないか？｣
ぼうっとしているおれに、ルーファスが指二本で煙草を喫う仕草で問う。
おれは黙ってポーチから白い箱を取り出すと、手渡した。遺品だなんだと鯱張るようなものじゃない。それに多分、おれはリアルに帰って遺族に渡す事なんて出来ない。
｢お、クールじゃん｣
どこが。
｢いや、銘柄な。サンドの巻き煙草も悪くは無いけどさ、やっぱリアルの紙煙草が和むんだよな｣
慣れた手つきでビニールを剥がすその箱には、確かにＫＯＯＬと書かれていた。
箱の尻を弾いて頭を出すと、手を使わずに直接くわえる。
｢おれにも一本｣ ふと好奇心が沸いて言ってみる。
｢しょうがねーな｣
いい具合に一本突き出た箱をこちらに突き出す。さっきまでおれのだったんだぞ。
｢火は？｣
｢ねえよ｣
そういえばライターとかマッチの類はなかったな。
｢使えねーな垢様｣
｢うるせー納金｣
二人並んで火のついてない煙草をくわえたまま、軽口を叩き合う。これはこれで懐かしい感覚だった。
｢どうぞ｣
と、不意に鼻先に親指くらいの炎が差し出された。
優男の赤魔道士だ。掌に小さな火を乗せている。炎の魔法公式から増幅にあたる術式を全て省略して、代わりに効果が持続する術式を追加してある。器用なもんだ。自分で編み出したのか、それとも誰かに習ったのかな。
｢お、さんきゅ｣
ルーファスが体を起こして煙草に火をつける。おれはというと体がほとんど動かないので、彼に火をつけてもらった。
｢ありがとう、ええと…｣
｢フルキフェルです。よろしくお願いします｣
そうそう、そんな風に呼ばれてた。
｢ありがとうフルキフェル。あと、その……レイズもありがとう｣
｢おれはルーファスな。で、こっちがラディール｣
横顔を見せたまま片手を上げて挨拶をするルーファス。研究でもしてるのか。いちいち絵になる奴だな。ひょっとしてリアルではレイヤーだったりして。
名乗るくらい自分で出来るわ、とラディールに叱られるあたりも隙がない。なんとなく、二人の親密さが見て取れた。ていうか、こいつらデキてんな。
｢おれは、ヒロだ。氏族はないけど…強いて言うなら、カラミヤ…かな｣
未練がましく、忘れかけた自分の苗字を言ってみる。
四人でぼんやりと、城壁に突き刺さった赤い剣を見つめる。
ともあれ、これでおれはリアルの人間を一人殺した。いや、二人だ。リアルのおれはこれで死んだ。
誰にも認知されないニートだったおれは、ゲームキャラの事を馬鹿にされて逆上した挙句人を殺すような、新聞やNHKが喜ぶ危ないニートにジョブチェンジした。
でもそれは別の話。今は、このなし崩し的に穏やかな空気に浸っていたかった。
アマルダはどうなったろう。あの可哀想な未亡人は、ピアシュの呪縛から解放されたろうか？
初めて喫った紫煙の不思議な匂いを感じながら、おれはそんな事を考えた。
インターローグ
609 ◆dWeYTO/GKY まとめ
ルーファスとおれで騎士を挟み込み、赤魔道士と女エルヴァーンが後方からの支援に徹する。
手練のモンクは鎧の頑強さを拳で学んで、兜の前面に開いた小さな隙間からの有効打を狙う。
おれはというと、ヤンキーの喧嘩みたいに腕時計を握りこんで、少しでも騎士の防御を突き崩そうと試みていた。
お互い致命の得物を持っているはずなのに、十手二十手と切り結んでも勝負がつかない。
普通ならばありえないこんな事態も、絶対の武器と鎧を着た素人と、それを持たない達人との勝負では起こり得るのかもしれない。
プロレスの試合じゃあるまいし、大概にしてくれ。この著しく現実味を欠いた殺り合いは、酷く神経を消耗させた。
騎士の気は大半をルーファスが引いてくれている。
相手にとって恐怖となりえる武器を持っているのはおれだが、喧嘩慣れしていないおれでは相手に触れる事もままならない。だから、脅威度がより低いと判断したのだろう。
赤い剣の威力は、剣の残骸を見せただけで伝わったらしい。
ルーファスはあれ以来、体捌きと足運びだけで相手の斬撃を躱し、どうしても難しいものだけ、剣の刃以外を受け流す事でうまく凌いでいる。
しかし、当然限界はある。おれもルーファスも致命傷こそ負わずに済んでいるものの、身に着けた防具は傷だらけになり、体も無数の刀傷を負った。
赤い刃が絶大な破壊強制力を持つのは、生命を持たないものに対してだけらしい。幾度となく剣が体を掠めたが、それだけで体が解けたり真っ二つになったりする事はない。
その都度後衛からの治癒が飛び、おれ達は戦力を維持し続ける事が出来た。
とはいえ、このままではジリ貧だ。
例のレッドロータスやそれに類する大技を繰り出してこない事や、逃げ続けるおれを挑発して引きとめた事から鑑みるに、騎士の戦力も無尽蔵ではないだろう。
だが、今のところ底は見えない。対するおれ達は、というよりおれは、既に満身創痍の体だし、スタミナも魔法も尽きかけている。そして消耗の度合いはおれ達のほうがずっと速い。
何か状況を打開しなければ。
連続魔に賭けるか？ 馬鹿な、かける魔法がない。時計をルーファスに渡すか？ どうやって。下手をすればそこを狙われて二人とも斬られる。
騎士の鎧が邪魔で、鎧をどうにかするには剣が邪魔だ。ついでに言うなら、解決策を考え付くためには今こうやって戦うこと自体が邪魔だ。
ギリギリのバランスの上に均衡を保っていた戦況を崩したのは、おれだった。
ルーファスが仕掛けて、騎士がこちらに背を向けた。おれは好機とばかりに踏み込んで悪趣味な甲冑に大穴を開けてやろうとした。
そしておれは、騎士の仕掛けたフェイントに完全にはまった。騎士は背を向けるその勢いのまま振り向き、おれを横ざまに切り裂いた。
ブチブチと何かが千切れる感触と、ゴリゴリと刃が肉を切り裂く感覚。
腋から入った剣は肋骨をへし折り、隙間を切り分けるように深々と突き刺さる。真っ二つ、とは行かないが、胸の真ん中あたりまで刃が潜り込んでいた。
ああ、考えるまでもない。これは、死ぬわ。さすが、馬鹿の扱いは心得てたんだな。
荒々しく刃が引き抜かれ、おれは無様に胸壁に叩きつけられる。立ち上がるどころか、受身を取る事すら出来ない。
騎士がこちらに来る。止めを刺そうっていうのか？ よせよ、ほっといても死ぬから、その臭い顔をおれに見せないでくれ。
ルーファスが割って入る。すまん、足を引っ張ってるな。おれなんか見捨ててくれ、頼むよ。
今まさに振り下ろされようとしていた剣を、右正拳で真っ向から迎え撃つ。バキバキと音を立てて拳が砕け、前腕の半ばあたりまで刃が食い込む。
やめてくれ、おれなんかの為に。あんたの芸術みたいな突きを捨てるなんて。
｢"白き祈り"！｣
赤魔道士が叫ぶ。装備による術式補助を切り替え、もはや自然治癒のしようもないほど傷つきボロ屑みたいになった腕に手を添えて丸ごと術式を構築する。
──あぁ、迷惑かけまくり。自己嫌悪だね、こりゃ。せめて最期に何か一仕事しないと。
｢傷つき打ちひしがれた肉体よ、今一度血を通わせ、肉の躍動と骨の癒しを！｣
高位ケアルか。そうやって言葉で術式を構築する方法もあるんだな。
──そういや、何か引っかかってた事があるんだよな。なんだっけか。
砕けた骨が強引に継ぎ合わされ、断裂した腱が繋がり、肉が再生していく。あれ、結構嫌な感触なんだよな。
──そうそう、時計。あれ、なんであいつ拾いに行かなかったんだろ。現におれの所に戻ってきちゃったし。
腕が治りきるのを確かめもせず、ルーファスの右フックが繰り出される。
気迫だけで無理矢理剣を押し返され、のけぞった騎士はまったく対応出来ない。顔面にもろに入る。前歯のもう一本でも折れたろ、ざまーみろ。
──時計を持ってたら出来ない事があったんじゃないか？
鉄槌のような篭手が、ルーファスの太股の辺りに思い切り振り下ろされる。技術はなくても力だけは巨人並だ、服の上から分かるぐらい足が変形する。
ルーファスが獣のような咆哮を上げた。悲鳴ではない、雄叫びだ。
正中線にそって股間から脳天まで七つの光点が灯り、天然の魔法回路を構築して無理矢理に足を繋ぐ。
──出来なくて困る事。おれを追い詰めるのに何度も使っていた。
｢てめえ等には聞きたい事が山ほどあるが──まずは食らっとけえっ!!｣
ルーファスが一陣の旋風になる。地を這う低いローキックから、跳躍しての胴回し蹴り……双龍脚か。治すそばから無茶をする、医者泣かせな奴だな。
騎士の体が文字通り弾き飛ばされる。
──そうだ、あれは……黒い繭！
体の感覚はほとんどなかったが、無理矢理起き上がる分には都合が良かった。手も足もひどく冷たい気がする。まるで死人だ。もうすぐ死ぬから、今少しだけ動いてくれ。
赤魔道士がおれの暴挙に気づいてこちらに駆け寄る。
｢グラビデを！｣
叫んだつもりだったが、血の泡に混じって妙な呻き声が漏れただけだった。
だが聞き取る事は出来たらしい。赤魔道士は意図を汲んで、神妙に頷くと騎士に向き直る。
｢"黒き願い"！ あまねく精霊よ、風の子らよ、わが求めに応じ印を示せ！｣
精霊の印を使って魔術回路を増幅し、騎士の周囲の空間に接続する。
ルーファスの猛攻に圧され、騎士が再び宙に身を投げ出した。狙い通りだ。
黒い繭が展開される寸前、グラビデが完成する。トリは、おれだ。
何か叫んでいたと思う。だけど、意味のある事ではなかった気がする。
これで最後だ、そうしたら楽になる。
全身を覆う気だるさと眠気に必死で抵抗しながら、黒い繭目掛けて再度時計を投げつける。あれだけ大きな的だ、目を瞑っていたって当たるさ。
ゆっくり、ゆっくりと時計が宙を這って行く。酷く寒い。くそ、遅えよ。繭が閉じ切るまでに間に合わないんじゃないのか？
そんな事を考えながら、投げる勢いそのままにおれの体もゆっくりと地面に落ちる。顔面から着地してしこたま鼻を打ったが、何も感じなかった。
黒い繭に時計が到達する。繭が、嵐に見舞われた蕾のように無理矢理押し広げられ、花びらが散華する。
最後に、信じられない、という顔をしながら落ちていく騎士を見ながら、おれは闇へと落ちて行った。
願わくば、次に目が覚めたらあの見慣れた薄汚いアパートでありますように。
ふと気づくとおれは、さっきと同じ城壁の上にいた。
だけど、ルーファスも赤魔道士もいない。空は真っ黒だ。
ただ、さっきの騎士だけが、磔にされたみたいに宙に浮いていた。
ああ、あの世なのかな、ここは。死んでもリアルには帰れなかったのか。
それはそれでいいさ、こいつを道連れに出来ただけで、おれの最期にしては上出来だ。
南天には金色に輝く巨大な月が二つ並んでいて、その下の地平線では、地獄の業火みたいなものが燃えている。
騎士をもっとよく見たくて、そちらに歩を進めた。
おれは服を切り裂かれていたが、体には傷一つない。あの世は便利だ。ついでに今からでも子ミスラにしてはくれまいか。
騎士は最期に見た驚愕の顔を浮かべたまま、微動だにしない。石でもぶつけてやりたい間抜け面だ。
──気になるかい？
不意に業火が揺らめいて、耳障りな声が響いた。
別に。死んだらどうでもよくなった。解脱したからな。
あんた神様か、それとも悪魔か？ どっちでもいい、さあ、おれをとっとと地獄に連れて行けよ。
──君は、剣は何のためにあると思う？
おれの嘆願には答えず、声が再び問う。知るか、そんなもの。
──ぼくは、守る為にあると思う。誰かを殺す為にあるのではない。
──わたしは、殺す為にあると思う。刃向かう者は全て殺せ。敵を殺した後に護るという理由が付くのだ。
ここが既に地獄か。こんな頭の痛くなるような質問を延々繰り返されるのか。
──君は、どう思う？ 答えてくれれば、力を貸してあげるよ。
いらん。使いたい相手はもう死んだ。
──本当に死ぬのかな？
独演にも似た問答が続く。おれはひょっとして幻聴を聞いているのか。地平線の業火が揺れて、誰かが喋っているように錯覚しているのか。
あの高さから落ちたら死ぬだろ。
──さあ、どうだろう。
おれは、声が｢死んだのかな｣と言わなかった事が酷く気に障った。
何が言いたいんだよ、おれに何をさせたいんだよ。
沈黙。おれが何か言うまで、静かな拷問が続くらしい。
分かったよ、答えてやろうじゃないか。
｢理由はどうあれ人殺しは人殺しだ。ある人殺しは崇高で別の人殺しは禁忌なんて事があるか｣
おれはアマルダの言葉を思い出しながら、考えを紡ぎ、織り上げた。
｢同じように、行為はどうあれ理由は理由だ。馬鹿を処刑するのに絞首刑は妥当だが斬首刑が不当なんて事があるか｣
──答えになっていないな。
すうっ、と金色の月が細まる。
｢分かれ馬鹿。唯一普遍の答えなんてない。剣は道具だ、用途はあっても使命はない。それが何をする物なのかは、使う人間が毎回考えて決めるんだよ｣
──無理に結論を出して、思考を放棄してはいけないという事か。逃げにも聞こえるけど、それは一番大変な生き方だよ。
くっくっ、と業火が揺れた。辺りに生暖かい風が吹く。
｢うるせえ。結論を急いで現実から目を逸らすのはガキのやる事だ。さあ、これがおれの答えだ｣
──まあまあ、かな。結構だ、力を貸そう。何をして欲しい？
いちいち嫌味な奴だな。おれの望みを知って、念入りに他に答えようがない状況を作っておいて、その上でまだ、おれに引き金を引けと言うのか。
｢あいつを殺したい｣
おれにはこれしか言葉がなかった。
──わかった。
｢待てよ、代償は何だ｣
あまりあっさり契約が締結されたので、思わず不安になる。
──別に何も。ただ、覚えていてくれれば良い。彼が死んだのは君のせいだ。君は君の意志で、人を…リアルの人間を殺すんだ。
ひょう、と天から飛来する赤いものがあった。赤い、ルビーのような剣だった。
それは雷槌の如き速度で降り注ぎ、騎士の胸を軽々と貫いて串刺しにすると、そのまま地面に縫い付けた。
──さあ、これで彼の死は確約された。満足したかい？ それじゃあ、さよなら。
あれ、おれは連れて行かないのか。
──残念だけど、お仲間がまだそれを許してくれないようだ。
二つの月が再び、さも可笑しそうに細められ、ふふふ、と業火が揺れた。
夜が明け始めた。
気がつくと、空には月もなかったし、地平線に燃える業火も消えていた。
おれはまた動けないほどボロボロになって、血溜まりの中胸壁に背中を預けて寝かされていた。
辺りは明るい。そしていやに騒がしい。
エルヴァーンの女が、おれの手を取って脈を測ったり、顔を拭ったりしている。
女は不釣合いのようでお似合いのような気もする両手斧を背負っている。白魔道士かと思ったが、てんで大外れだった。
｢あ──｣
目があった。
女は振り向くと、城壁から下を見下ろしている二人を呼ぶ。
｢ルーファス、フルキフェル！ 気がついたわ！｣
二人が振り返り、こちらに大股で近づいてくる。二人とも表情は真剣だ。おれの生還を喜んでくれる雰囲気ではない。
｢滅茶苦茶です！ あと一分レイズが遅れていたら、真面目に死んでいたんですよ！｣
｢気迫は認めるけどな、あんな奴と刺し違えて満足か馬鹿！｣
ああ、やっぱり怒ってる。怒鳴られた。まずい。ここは……
｢うーんむにゃむにゃ、もう食べられないにゃ〜｣
がこん、と上から拳骨で殴られた。
｢っ痛ぇ！｣
｢そんな漫画みたいな寝言があるか！｣
殴られた場所を無意識に押さえようとして、左手を上げる。が、わずかに地面から浮かせる事が出来ただけで、それ以上上にいかない。
｢心臓が傷つくほどの怪我をしたのよ、しばらく後遺症が残るわ。……本当に、連続魔とレイズの使える赤魔道士が居合わせた幸運に感謝しなさい｣
女がおれの左手をそっと取って、優しく地面に置く。それってデスペナって事？
｢連続魔は先日使ったばかりだったんですが、どうにかリキャストが間に合ってよかった｣
赤魔道士の男が、おれの剥き出しの左胸に触れる。血でべったりと覆われてはいるが、外傷はもう無いようだ。
｢もう少しで内臓の再結合が済んで衰弱が解けます。もうしばらくそのまま我慢してください。左腕はリハビリをしながらゆっくり治しましょう｣
甘いマスクで微笑まれて、そのケはないが、なんだか気恥ずかしくなった。
｢ったく、心配かけやがって｣
ルーファスが隣にどかっと座り込む。見ればこいつだって相当傷だらけだ。ケアルで無理矢理治した右腕と、チャクラで無理矢理繋いだ右足にまだ少し痛みが残っているらしい。
いちいちぶっきらぼうな対応だが、気兼ねなく話すにはその方がありがたかった。
｢あいつは、どうなった？｣
最初に気になった事をそのまま言葉にした。
｢下で死んでる｣
この騒ぎはそのせいか。そういえばいつのまにか風が戻ってきている。
時計は拾いに行ける状況じゃないな。騎士の死体を見ればここから落ちた事は明白だ、おれの衰弱待ちをしていたら面倒な事になるかもしれない。
｢剣は？｣
ふと、気になった。
｢ほら、そこに刺さってる｣
ルーファスが気の抜けた仕草でぐいと示す。そこにはあの騎士が振り回していた忌々しい剣が、石の床に深々と突き刺さっていた。
｢そっちじゃなくて、空から降ってきて赤い奴を刺し殺した方だが｣
｢はあ？ あいつは転落死。何なら見てみろ、剣なんかどこにもない｣
夢……だったのかな。
｢なあ、煙草持ってないか？｣
ぼうっとしているおれに、ルーファスが指二本で煙草を喫う仕草で問う。
おれは黙ってポーチから白い箱を取り出すと、手渡した。遺品だなんだと鯱張るようなものじゃない。それに多分、おれはリアルに帰って遺族に渡す事なんて出来ない。
｢お、クールじゃん｣
どこが。
｢いや、銘柄な。サンドの巻き煙草も悪くは無いけどさ、やっぱリアルの紙煙草が和むんだよな｣
慣れた手つきでビニールを剥がすその箱には、確かにＫＯＯＬと書かれていた。
箱の尻を弾いて頭を出すと、手を使わずに直接くわえる。
｢おれにも一本｣ ふと好奇心が沸いて言ってみる。
｢しょうがねーな｣
いい具合に一本突き出た箱をこちらに突き出す。さっきまでおれのだったんだぞ。
｢火は？｣
｢ねえよ｣
そういえばライターとかマッチの類はなかったな。
｢使えねーな垢様｣
｢うるせー納金｣
二人並んで火のついてない煙草をくわえたまま、軽口を叩き合う。これはこれで懐かしい感覚だった。
｢どうぞ｣
と、不意に鼻先に親指くらいの炎が差し出された。
優男の赤魔道士だ。掌に小さな火を乗せている。炎の魔法公式から増幅にあたる術式を全て省略して、代わりに効果が持続する術式を追加してある。器用なもんだ。自分で編み出したのか、それとも誰かに習ったのかな。
｢お、さんきゅ｣
ルーファスが体を起こして煙草に火をつける。おれはというと体がほとんど動かないので、彼に火をつけてもらった。
｢ありがとう、ええと…｣
｢フルキフェルです。よろしくお願いします｣
そうそう、そんな風に呼ばれてた。
｢ありがとうフルキフェル。あと、その……レイズもありがとう｣
｢おれはルーファスな。で、こっちがラディール｣
横顔を見せたまま片手を上げて挨拶をするルーファス。研究でもしてるのか。いちいち絵になる奴だな。ひょっとしてリアルではレイヤーだったりして。
名乗るくらい自分で出来るわ、とラディールに叱られるあたりも隙がない。なんとなく、二人の親密さが見て取れた。ていうか、こいつらデキてんな。
｢おれは、ヒロだ。氏族はないけど…強いて言うなら、カラミヤ…かな｣
未練がましく、忘れかけた自分の苗字を言ってみる。
四人でぼんやりと、城壁に突き刺さった赤い剣を見つめる。
ともあれ、これでおれはリアルの人間を一人殺した。いや、二人だ。リアルのおれはこれで死んだ。
誰にも認知されないニートだったおれは、ゲームキャラの事を馬鹿にされて逆上した挙句人を殺すような、新聞やNHKが喜ぶ危ないニートにジョブチェンジした。
でもそれは別の話。今は、このなし崩し的に穏やかな空気に浸っていたかった。
アマルダはどうなったろう。あの可哀想な未亡人は、ピアシュの呪縛から解放されたろうか？
初めて喫った紫煙の不思議な匂いを感じながら、おれはそんな事を考えた。
インターローグ
609 ◆dWeYTO/GKY まとめ
2006年08月26日(土) 03:26:48 Modified by ID:lMfxPaAzaQ