JOURNEY - BAND Biography

誕生〜創成期の出会い


1971年
サンタナに加入したことでNeal SchonとGregg Rolieが出会う。

1972年
サンタナは分裂、NealとGreggはバンドを脱退する。

1973年
サンタナのロード・マネージャーだったWalter Herbie HerbertがNealを中心としたバンドを作ろうと発案し、2月にはNealとGeorge Tickner(G)、Ross Valory(B)、Prarie Prince(Ds)の4人でバンドを結成する。

その後、父親とレストランをしていたGregg Rolie(Key&Vo)も加わり、6月にはThe Golden Gate Rhythm Sectionというバンド名でNealとGreggは再び一緒にプレイすることになる。

ほどなく、ローカルラジオ局KSANでバンド名を決めるネーミング・コンテスト行いJOURNEYに改名する。が、実際はいいバンド名がなく、結局マネージャーのJohnがJOURNEYというバンド名を提案した。
そして12月31日サンフランシスコのウィンターランド・ポールルームでライブデビューし、翌日にはハワイのマウイ島で行われたCrater Festivalに参加した。

1974年
Prarie Prince(Ds)が2月に脱退、Aynsley Dumbar(Ds)が加入し、11月にはColumbia Records(現CBS Sony)と契約が決まりレコーディングを開始する。

1975年
1stアルバムのレコーディング終了後の4月、George Tickner(G)が学業の為、脱退。
5月に1stアルバムJourney(邦題:宇宙への旅立ち)をリリースし、全米138位を記録。

1976年
1月に2ndアルバムLook Into The Future(邦題:未来への招待状)をリリース。全米100位。
この当時はインストゥルメンタルに比重が置かれている。


転機〜スティーブ・ペリーの加入


1977年
1月に3rdアルバムNextをリリース。全米85位。
6月にはRobert Fleischman(Vo)を初の専任ヴォーカリストとしてバンドに迎えるが3ヶ月で解雇し10月にはSteve Perryを2代目ヴォーカリストとして迎える。

JOURNEYにアプローチを受ける前のPerryは沢山のバンドを渡り歩き、Alien Project というバンドに在籍していた頃にレコーディングしたdemo tracksがCherysalisとColumbiaの2つのレーベルに興味を示される。
しかし、そのバンドのベーシストのRichard Michalsが7月の4週目の週末に自動車事故で死亡したことにより、バンドはRichardの代わりを探そうとするがメンバーの受けた精神的ショックは深く活動停止状態になる。

その後、Perryは故郷の農場で働いていたが、Columbiaレコードに渡したAlien Projectのdemo tracksがJOURNEYのマネージメントに渡っていた。
彼の声に興味を示したMichael DilbeckとDon Ellisが電話を掛けた当時、Perryはシンガーになる事を諦めかけてwest coastで働いていた。そんな彼を彼の母は暖かく励まし続けた。

JOURNEYのマネージメントだと名乗る彼らは、「私達はあなたのベーシストに起こった出来事を本当に悲しいと思う。しかし、あなたはJOURNEYの新メンバーとして歓迎されると思います。彼らに会ってみたくない?」と言い、PerryはJOURNEYのメンバーに会う気になり、出会ってすぐにJOURNEYのヴォーカリストになることを決めた。

そして、10月にサンフランシスコで行われた3公演の最終日のアンコールでJOURNEYのヴォーカリストとしてライブデビューする。

1978年
1月に4thアルバムInfinityをリリースしツアーに入る。
アルバムは一気に全米21位のヒットを記録しプラチナ・ディスクも獲得する。
Aynsley Dumbar(Ds)が音楽性の相違から10月に脱退してJefferson Starshipに加入する。
後任ドラマーはJOURNEYの前座をした事もあるバンドMontroseのSteve Smith(Ds)が加入。

1979年
5thアルバムEvolutionを3月にリリースし今度は全米チャート20位になる。
翌月4月の12日〜18日に初来日を果たした。
04月12日 名古屋市公会堂
04月14日 大阪厚生年金会館
04月15日 東京渋谷公会堂
04月16日 東京新宿厚生年金会館
04月17日 東京渋谷公会堂

その後、全米ツアーを開始。
11月にはベストアルバムIn The Beginningをリリース。但しPerry加入前の音源から選曲されている。

1980年
6thアルバムDepartureを3月にリリースし、全米8位のヒットアルバムになる。
10月に2度目の来日を果たした。
10月08日 東京渋谷公会堂
10月10日 大阪万国博ホール(昼夜2回公演)
10月11日 東京中野サンプラザホール(映像あり)
10月13日 東京新宿厚生年金会館

この来日の際、世界的デザイナー高田賢三が監督した映画『夢、夢のあと』のサントラ盤EP、Dream After Dream(邦題:夢、夢のあと)のレコーディングを来日中に日本で行った。


黄金期〜産業ロック全盛期


1981年
ライブアルバムCaptured(邦題:ライブエナジー)を1月にリリース。
結成当初からのメンバーだったGregg Rolie(key)が4月(1980年12月との記述もある)に脱退し、後任でThe BabysのJonathan Cain(key)が加入。以前、JOURNEYの前座をつとめたThe BabysのJonathanを自分の後任としてチェックするように連れて来たのは他ならぬGregg Rolieだったと、後にS.Perryがインタビューで語っている。

6月13日にJonathan Cain(key)加入後初のライブが行われる。
7月にはEscapeをリリースし、ついに全米1位を獲得。前作のライブアルバムCapturedでプロデューサーをつとめたKevin Elsonがレコーディング・エンジニアを担当する。

リリースしてすぐの7月下旬には3度目の来日を果たした。
07月27日 大阪フェスティバルホール
07月28日 名古屋市公会堂
07月29日 東京新宿厚生年金会館
07月31日 東京新宿厚生年金会館(ヤングミュージックショーかな?映像あり)
08月01日 東京中野サンプラザホール

また、このアルバムにはJonathanがThe Babysでバンドの為に書いたがヴォーカルのJohn Waiteの反対で宙に浮いてたOpen Armsを収録し大ヒットさせた。

そして11月にはJFKスタジアムでRolling Stonesの前座をつとめ、NealはJan HammeとUntold Passionもリリース。またSteve Smithもこの頃からVital Signsというジャズ・プロジェクトを開始する。

1982年
4月には2回目のESCAPE tourで4度目の来日を果たす。
第1部 TENSAW(横浜出身でこの年の暮れに解散してしまうバンド)
04月09日 福岡サンパレスホール
04月11日 京都会館第1ホール
04月12日 大阪フェスティバルホール
04月13日 大阪府立体育会館
04月14日 名古屋市公会堂
04月16日 東京武道館大ホール
04月17日 横浜文化体育館

そしてこのツアーが終わるまでJOURNEYはほとんど休む間もなくツアーに出続けてた事になる。
更にPerryはKenny Logginsとのデュオ曲Don't Fight Itを10月にリリースし全米17位を記録。

1983年
長いESCAPE tourを終え、わずか3ヶ月の休息の後に製作された8thアルバム、Frontiersを2月にリリースし全米2位を記録する。
NealはJan Hammerのプロジェクトで2ndアルバムのHere To Stayもリリース。
2月〜3月にかけて5回目の来日公演の為に来日。
02月22日 愛知県体育館(ブートあり)
02月24日 大阪府立体育館
02月25日 大阪府立体育館(ブートあり)
02月26日 福岡九電記念体育館
02月28日 京都府立体育館
03月01日 東京日本武道館
03月02日 東京日本武道館(ヤングミュージックショー放映)
03月04日 横浜文化体育館

しかし、このツアーの時点でメンバーには多大なストレスと疲労が蓄積されかなり過酷な状態だった。
とにかくバンドは休息を必要とし、次のアルバムまで3年の月日を要した。


休息〜下降線を辿る大物バンド


1984年
NealはSammy Hager(vo)、Kenny Aaronson(B)、Michael Shrieve(Ds)と一緒にHSASを結成しThrough The Fireを4月にリリースする。
11月にPerryの1stソロアルバムStreet Talkをリリースし全米12位を記録。
その後、ニューアルバムのレコーディングを始めるがNealとPerryがそれぞれ活動してる間にRoss ValoryとSteve Smithがバンドから離れていく。Steve SmithはJOURNEYによって経済的余裕が出来、81年頃から取り組んでたジャズ・プロジェクトに本腰を入れて取り組むことを選んだ。

1985年
1月にPerryがUSA for AFRICAというアフリカの飢餓を救う為のチャリティ・プロジェクトでWe Are The Worldのレコーディングに参加。
3月には映画Vision Quest(邦題:青春の賭け)にOnely The Lonelyを提供。映画の評判はそこそこだったがJohn Waite、Style Council、Madonna、Don Henley、Foreignerなど当時人気のあったアーティストが楽曲提供した事で洋楽ファンの間では話題になった。

1986年
9thアルバムRaised On Radioを4月にリリースし200万枚を売上げ全米4位を記録するが、Ross ValoryとSteve Smithが脱退し3人だけになったJOURNEYはレコーディングではベースにBob GlaubとRandy Jackson、ドラムにLarry Londinのサポートによってアルバムを製作。
8月からの全米ツアーではアルバムでもサポートしてくれたBob GlaubとRandy Jackson、ドラムにはMike Bairdのサポートを得てツアーを行うことになった。
この年のライブは大晦日のLong Beach Arenaでのライブで幕を閉じた。

1987年
しかしメンバーが思うほどこのアルバムの評価は上がらなく、またPerryは女手で育ててくれた最愛の母を失った心労と積み重なる疲労に耐え切れなくなり、Journeyでの活動に限界を感じつつ全米ツアーをこなしていたが、1月中旬のハワイ3公演と2月1日のアラスカ公演もって脱退を決意、バンドもこれ以上の存続は不可能と判断し全米以外のツアーをすべてキャンセルし、Journeyの黄金期の幕はあっけなく閉じた。(と思うwww)


ソロ活動〜音楽への熱い思いを胸に充電


1987年〜1995年
1991年11月3日、ジミヘン・サンタナなど超大物を手がけたプロモーターBill Grahamの追悼コンサートで、Steve Perry, Neal Schon, Jonathan Cainの3人は1日限りの再結成ライブを行いFaithfully, Lightsを演奏した。
この出来事を除くと充電期間中の活動はそれほど目立ったものはない。
※ 1992年の春頃にもCow Palace. Daly City, CAでライブを行ったらしいが詳細はわからない。
1987年の解散後、最初にシーンに戻ってきたのはNealだった。Bad English, Hardlineと続けてアルバムをリリースしそれなりには売れたがやはりJOURNEY時代のような輝きを取り戻すのは不可能だった。
現在のドラマーDeenとはこの時期の活動を通して交流を深めたようだ。
一方、S.Perryは1994年に「Street Talk」以来10年ぶりとなるソロアルバム「For The Love Of Strange Medicine」でシーンにカムバックし、アメリカで短期間のソロツアーを行った。
このツアーのステージでS.PerryはJOURNEY時代にステージ衣装に向かって語りかける演出を行っており、JOURNEYへの愛情が消えうせてないことをうかがわせた。

復活〜アルバムリリースと幻のツアー

1996年
活動停止から10年、ソロ活動をしていたメンバーが「あの頃の輝き」を再び求めて再集結した。
ジャズ界やGregg Rolieとの活動で二度と戻ってこないだろうと思われていたSteve Smithまでもが戻ってきた。
こうして再結成アルバム「Trial By Fire」がリリースされた。
ファン待望のアルバムは全編最高レベルのJOURNEYサウンドで全米チャート3位まで上昇した。
また、極上のバラード「When You Love A Woman」のPVで10年ぶりに"あの"ラインアップが勢ぞろい、グラミー賞にもノミネートされた。

1997年
完全復活したJOURNEYはツアーの準備にとりかかった。
ところが、S.Perryがハワイで登山中に腰を痛め、ツアー参加を辞退するという予期せぬ事態が起こった。
バンド側は懸命に説得したが、繊細なS.Perryは結局日程まで決まっていたツアーへの参加を固辞しそのまま音楽シーンの第一線から遠ざかった。
この事件と前後してSteve Smithまでもが再び脱退し、復活はこのまま伝説のかなたに葬り去られると思われた。

このあたりを時系列順に並べると一般に書かれている事実とは少し異なることがわかる。
1995年10月、再結成を発表
1996年04月、曲作りがほぼ終了
1996年08月、レコーディング終了。
レコーディング終了のわずか3日後、S.Perryがハワイ登山で腰を痛める。
1996年10月、Trial By Fireを世界各地で順次リリース。
1996年12月、プロモーションを本格的に始める。
1997年04月〜再結成ツアーを予定していたが、S.Perryの腰が完治しないため延期。
1997年09月〜再結成第2弾アルバムのレコーディングを予定。
1997年12月、結局、1年を通してリリースとかノミネートの話はあるものの
      最終的にツアーもアルバムもめどがたたないと発表された。
1998年03月、Greatest Hits Liveをリリース
1998年05月、S.PerryとS.Smithが正式に脱退、S.AugeriとDeenが正式加入
1998年06月、新メンバーでリハーサルと日本公演を行う。
なぜか、何があったのかはここでは触れません。。。


交代〜新たなる旅立ち


1998年
S.PerryとS.Smithを失って失速するかと思われた。
バンドは後任探しを始めたが、S.Perryという類稀なる資質を持ったボーカリストの後任が簡単にみつかるはずもなく、JourneyのコピーバンドやJourneyサウンドを醸し出すバンドのボーカルを中心にオーディションを行った。
その結果、後任に元TykettoのS.Augeriと旧友D.Castronovoを加入させツアーをスタートさせた。
6月20日(土) 東京 国際フォーラム ホールA
6月21日(日) 東京 国際フォーラム ホールA
6月22日(月) 大阪 厚生年金会館 大ホール
6月25日(木) 名古屋 センチュリーホール

S.Perryの声質・スタイルを彷彿させるS.Augeriのボーカルは多くのJOURNEYファンから認められ、映画アルマゲ丼のサントラでその歌声を全世界にアピールした。

1999年〜2001年
その後、全盛期ほどではないにしろツアーを重ね、2000年に待望のニューアルバム「Arrival」を発表し、2001年初めに来日を果たした。
1月30日(火) 東京 国際フォーラム ホールA
1月31日(水) 東京 国際フォーラム ホールA
2月01日(木) 大阪 フェスティバルホール
2月03日(土) 福岡 Zepp Fukuoka
2月04日(日) 静岡 市民文化会館
2月05日(月) 名古屋 愛知県勤労会館
2月07日(水) 広島 広島アステールプラザ 大ホール

しかし全米ツアーのライブにおけるArrival収録曲の反応があまりよくなく、次第にセットリストは黄金期の曲中心へと変わっていった。


低迷〜輝きを取り戻せず苦悶するNeal Schon


2002年
この年、JOURNEYは長年所属したCBS Sonyとの契約を更新せず、ネット販売に移行するため自社レーベルを立ち上げ、ミニアルバム「Red 13」を発表した。
ところが、4曲入りのミニアルバムでしかも店頭にはほとんど並ばなかったため、ヒットとは程遠い状況であった。

2003年〜2004年
この時期、毎年のように全米をツアーするが年々ブッキングが難しくなり次第に小さなホールやカジノでのライブが増えていった。
アメリカでのそんな状況とは裏腹に2004年秋の日本公演は全盛期ほどではないにしろ大きなホールに多くの観客が詰めかけ大成功だった。
10月13日(水) 札幌 Zepp Sapporo
10月14日(木) 仙台 Zepp Sendai
10月16日(土) 東京 国際フォーラム ホールA
10月17日(日) 東京 国際フォーラム ホールA(追加公演)
10月18日(月) 広島 アステールプラザ 大ホール
10月20日(水) 大阪 国際会議場メインホール


2005年〜2006年
2005年にはニューアルバム「Generations」を発表したが、ライブでも披露されていた全員がボーカルを交代でとるというスタイルをアルバムでも採用し、JOURNEYというバンドのスタンスが世界中で議論された。
前後して世界的に80'sが大きなブームとなり、アメリカ本土でも80年代バンドのカップリングツアーが盛んになった。
JOURNEYも例外ではなく、REO Speedwagon, STYXといったバンドとのジョイントライブや3時間を越える2部構成のステージをこなしていた。
しかし、ここでもニューアルバムの曲が徐々に減り気がついたら黄金期のセット+S.Augeri時代の曲を数曲という構成になっていた。
2006年に入ってフェスティバルやDef LeppardとのジョイントツアーでひさびさにJOURNEYここにあり・・・というステージを披露するはずだった・・・が、
※ ここで全米ツアーを開始する直前に思わぬ情報が関係者から暴露されたのですが、
  オフィシャルにはそのことについて何も触れてないのでここでは書きません。


突然の交代劇〜新たなる旅立ち/再び


2006年夏
7月6日、バンドから衝撃的なニュースがリリースされた。
「S.Augeriがthroat infection(喉の感染症)のため一時的にバンドを離れ、7月7日からS.Augeriが回復するまでJeff Scott Sotoが代役を務める」というものだった。
「Generations」での交代ボーカルやS.Augeriの喉の調子が思わしくないことはファンの間で周知の事実であったとはいえ、この突然のリリースには多くのJourneyファンは驚き悲しんだ。
Jeff Scott Sotoは元々器用でヘヴィメタル・ハードロックからソウルやふぁんきーな曲までいろんなスタイルの曲が歌え、Neal SchonやDeenとSoul SirkUSで一緒にプレイしており、しかもJourneyの大ファンであったことから急な代役にもすんなり対応できた。
とはいうものの、JeffはYngwieのバンドでの活動がもっとも知られており、当時のルックスとダミ声のイメージが残ってるハードロックファンの間では「Journeyのイメージには合わない」「彼の声ではJourneyは違うバンドになる」と揶揄された。
そんな賛否両論の中、長期わたる全米+中米ツアーも11月21日のメキシコ公演で一段落した。
そこからJourneyはいくつかのイベントを除いて翌年3月のイギリスツアーまでの間オフに入り、一時的な代役でツアーを凌いだボーカル問題がどうなるか注目された。
そして12月19日、バンドからS.Augeriに代わってJeff Scott Sotoが正式メンバーとして加入することが発表された。


新生Journey


2007年
1月5日、ARF Rock Festivalで新生Journeyは新たなる道を歩み始めた。
3月、20年ぶりのUKツアーを行った後、Journeyは新たなる伝説に向けてオフに入った。


Journeyは何処へ???


2007年夏
6月12日、順調に再スタートを切ったように思えたJourneyは何の前触れもなく突然プレスリリースを発表した。
「JOURNEY ANNOUNCES DEPARTURE OF JEFF SCOTT SOTO」
正式加入してわずか半年にして、Jeff Scott Sotoがバンドを脱退、理由は語られず。
Journeyのファンの間ではJeffの薬物疑惑や自由奔放な活動への批判など様々な憶測が流れたが、
この脱退についてバンド側は、この短いプレスリリース以外の何も残さず4人で2008年に向け活動を再開するとコメントした。

夏の間、バンド側はNealとJonを中心にニューボーカリストのオーディションをしていたと思われるが、ファンの間では前回の候補者を含めかなりの数のウワサがたった。

秋、無名のフィリピン人ボーカリスト「Arnel Pineda」がバンドと契約したとメロコムのニュースに掲載された。
      • が、バンド側は沈黙を守ったままである。
2007年10月02日(火) 16:47:50 Modified by aloha99

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Uploaded by jss_fan 2006年12月23日(土) 05:16:54



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